新米現闘員奮闘中! 日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 樫の木まつりに参加を

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週刊『三里塚』02頁(1089号02面02)(2022/06/13)


新米現闘員奮闘中! 日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 樫の木まつりに参加を

(写真 監視やぐらから「へ」の字誘導路を臨む【6月1日】)

現地調査に参加して
 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

 三里塚に移って来てから3週間ほどですが、新米現闘として、歴戦の現闘や行動隊の同志とともに奮闘中です。
 このコラムでは、できるだけ新米ならではの視点から、三里塚現地の闘いを紹介していきたいと思います。
 今回は、現闘や行動隊向けに企画された現地調査の報告と感想です。
 現地調査は、まず天神峰の市東さん宅へ。大看板が設置されている監視やぐらに上ると、「へ」の字の誘導路が眼前に。市東さんの南台の畑(耕作権裁判で成田空港会社が明け渡しを求めている)によって、誘導路がへし折られているのがよくわかります。
 なんとも無様な姿ですが、なりふり構わない敵の攻撃の悪辣さもここに表れています。市東さん宅や東峰神社・東峰墓地などは、B滑走路や3本の誘導路によって四方を囲まれ、他の地域からはトンネルをくぐってしか入って来られなくされているのです。
 航空機は、誘導路をジェット噴射で自走していきます。ジェットブラストの調査のために設置されたもう一つの監視台は、ジェット噴射が直撃する位置にあります。5月29日の天神峰カフェの際には、この監視台に新しい看板が取り付けられました。
 そして、その傍らには星の木が。1971年の三里塚代執行阻止闘争を闘った星野文昭同志は、全学連現地行動隊の初代隊長でした。星野同志から始まる歴代隊長の系譜に自分も連なっていることを思うと、遺志を引き継ぎ、人間らしく生きられる社会を実現していく使命を負っているのだと強く感じます。星野同志も眠るこの農地を絶対に奪われてなるものかと決意を新たにしました。
 現地調査は次に、菱田など第3滑走路が計画されている方面へ。谷筋の「谷津」と呼ばれる地形で、里山を背景に田んぼと農家が連なる風景はノスタルジックな感慨を呼び起こすものですが、ここは成田用水決戦の地でもあります。反対同盟切り崩しの攻撃の果てに、第3滑走路計画をここに持ってこようとは、怒りに堪えません。
 第3滑走路計画が「空港をもう一つつくるようなもの」と言われていることは、端から端まで一通りをめぐってみて、その広大さを実感し、本当にそうだと思いました。
 このあと現地調査は、岩山記念館や三里塚十字路など「古戦場」をめぐりました。
 自分の人生よりも長い三里塚闘争56年の歴史は、リアルタイムでは知らなかったことばかりです。けれども、そうした幾多の闘いを経て、今の三里塚があります。現地調査の案内もできるように三里塚闘争の歴史をしっかり学び、歴史的に築かれた地平を引き継いでいきます。そして、これからの新たな歴史を刻んでいきたいと思います。
 いま三里塚現地では、市東さんの農地取り上げの強制執行攻撃に立ち向かい、座り込み行動をはじめとした持久戦が日々貫徹されています。7月3日に行われる天神峰樫の木まつりにぜひご参加を!

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