大地の響き 投稿コーナー 長谷川さんと三里塚 杉並 木梨義孝

週刊『三里塚』02頁(1090号02面07)(2022/06/27)


大地の響き 投稿コーナー
 長谷川さんと三里塚
 杉並 木梨義孝

(写真 三里塚全国集会で発言に立つ長谷川英憲さん【91年5月19日】)

(写真 お別れの会【5月18日】)


 5月29日天神峰カフェに参加し、「へ」の字誘導路をにらむ監視台に幅4㍍の新看板を設置した(写真)。畑と滑走路のまさに境界線上5㍍の高さで作業。私の気持ちとしては鳶(とび)か大工にでもなったつもりだが、実は冷や汗をかきながらの素人仕事。空港警備の感知センサーに触れないように気を付けながら1時間余りで完了。看板はガチガチに固定された。飛行機からは乗務員も乗客も『Close the Airport』を見ざるをえない。三里塚闘争勝利への決意を示し、世界的な反戦闘争のうねりの中に日本階級闘争からエールを送る国際連帯の看板だ。裁判所から言わせれば強制執行予定地内での『現状変更禁止』かもしれないが、そんなものは屁でもない。この1年間、市東さんの畑の強制執行を阻止してきたではないか。法的には強制執行可能だが国はあまりの悪事を自覚し手を出せず、一方、国家権力に比して圧倒的に「非力な」われわれだが、来るなら来い!と意気軒高と堂々と闘い抜いている。これが56年間の三里塚闘争勝利の地平だ。ブルジョアジーとプロレタリアートの階級関係、力関係も本質的には同じだ。団結して闘えば勝てる!
 都政を革新する会元代表・元東京都議の長谷川英憲同志のお別れ会で、反対同盟の萩原富夫さんから弔辞をいただき、その返礼の参加だったが、最前線の特等席で充実した一日を過ごしたことで霊前への良い報告もできた。身体を動かし汗を流す三里塚闘争は本当に気持ちがいい。
 80年代から三里塚産直が始まった。無農薬有機栽培農業への転換は反対同盟破壊攻撃に対する絶対反対の決意であり、農業破壊、農民殺しへの日本農民を代表した回答であり、それは同時に農民と労働者の分断を打ち破る労農同盟建設への挑戦だった。長谷川さんは杉並の地で多くの区民を三里塚闘争に導き、消費者(労働者)の側から闘う農民への連帯を込め産直野菜を広めた。今でも30年を超える多くの古参会員が毎週の野菜を楽しみに待っている。われわれが100万人とつながる切り口がここにもある。
 安全は高価なものとされ、一時期の無農薬ブームは消えたとも言える。新自由主義が労働者から生きるための全てを奪ったからだ。安全な食材の購入や調理の時間も、心の余裕さえも奪っている。負けてたまるか! だ。労働監獄で職場闘争を闘う青年労働者は、今、三里塚闘争に触れる中で食と農業と健康の大切さを知り、自分と仲間の命の大切さを考え、仲間と話し合い、ケース野菜を広めている。三里塚農民と共に闘う先頭には、いつの時代でも青年労働者と学生がいる。市東さん、萩原さんと団結し、勝利まで闘おう!

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