いざ反戦の砦三里塚へ 新入生歓迎 援農・現地調査に駆けつけよう 全学連現地行動隊のアピール

週刊『三里塚』02頁(1089号01面01)(2022/06/13)


いざ反戦の砦三里塚へ
 新入生歓迎 援農・現地調査に駆けつけよう
 全学連現地行動隊のアピール

(写真 新やぐら控訴審に先立ち、反対同盟を先頭に東京高裁包囲デモ【5月9日】)

(写真 婦人行動隊の座り込み【71年】)

(写真 ジェット燃料輸送阻止を掲げて)


 全学連三里塚現地行動の二川光隊長の新入生に向けたアピールを掲載します。日米両政府は、対中国侵略戦争のための戦争準備を急ピッチで進めています。米バイデン大統領は、台湾有事への軍事介入を公然と宣言し、岸田政権は、10兆円規模の軍事費の増額(世界第3位へ)、敵基地攻撃能力の保有、日本全土への核ミサイルの配備を強行しようとしています。断じて許せません。改憲・戦争を阻む力は三里塚が築き上げてきた労農学連帯の中にあります。ぜひ一度「反戦・反権力の砦」=三里塚を訪れ、反対同盟農民の闘魂に触れて下さい。

 新入生の皆さんは成田空港建設という「国策」に対し、今も「空港絶対反対」で闘う三里塚闘争をご存じでしょうか? 
 あたかも反対運動が終わったかのようにマスコミは報道していますが、地元の農民組織である「三里塚芝山連合空港反対同盟」は56年経った今も健在です。
 空港敷地内には農家、畑、神社、墓地、共有地などが存在し、土地の買収を断固拒否しています。B滑走路の誘導路は「未買収地」を避けて不自然に曲がりくねり、この空港が永久に完成しない欠陥空港であることを表しています。
 日本全国だけでなく世界中が注目する三里塚闘争を理解し、初めての方は全国集会や現地闘争などに参加して下さい。援農や現地調査も募集しています。
 今回は三里塚闘争の初期から現在に至る歴史と現状を紹介したいと思います。

突然の閣議決定

 1966年に当時の自民党・佐藤内閣が住民の反対を押し切って新東京国際空港を千葉県成田市三里塚地区に設置するという閣議決定を行いました。背景にあるのは羽田空港がベトナム戦争に出発する米軍のチャーター機によって手狭となっていたこと、そのために新たな空港建設の必要性を掲げ、地元の住民には寝耳に水の閣議決定を強行したのです。
 これに対し1966年7月10日に農民ら約4千人が集まり結成されたのが三里塚芝山連合空港反対同盟です。空港公団や国は全ての部落で反対の声があったにも関わらず67年に外郭測量を強行し、これに対する測量阻止(測量の杭を打たせない)の実力闘争が爆発します。
 この反対同盟の闘いに応える形で、全学連や全国から反戦派の労働者が現地に駆けつけ、全国闘争として発展しました。闘争が盛り上がりを見せる中で空港公団は71年には土地収用法を使っての強制的な土地取り上げ、2度の行政代執行を暴力的に強行してきました。大量に動員された公団職員や機動隊の暴力、重機などによって体を張って抵抗する農民をたたき伏せ、大量逮捕しました。団結小屋を暴力的に破壊し、反対同盟の大木よねさんに対し見境のない凄惨な暴行をふるい、住居を破壊しました。まさにむき出しの国家暴力を発動したのです。

「農地死守」貫き

 78年のA滑走路のみでの空港開港強行に対しても反対同盟と支援勢力の怒りの実力闘争が爆発し、5月に厳戒体制のもとでやっとのことで空港は開港しました。
 力ずくでの空港建設に行き詰まった政府は反対同盟の破壊、条件派化の攻撃を進めました。この中で、反対同盟から「熱田派」が分裂・脱落しましたが、反対同盟は「空港絶対反対、一切の話し合い拒否」の基本路線を貫きました。
 その後、85年には2期工事着工攻撃に対し、全学連を先頭として10・20三里塚十字路戦闘が闘われ、機動隊を撃破・粉砕する勝利を勝ち取りました。さらに、土地強奪の最後の手段=土地収用法による強制収用攻撃の手先となった千葉県収用委員会は、人民の怒りの前に自ら解散しました。
 空港公団はこの状況を覆そうと、92年から99年にかけて「成田空港問題の解決」を掲げて「シンポジウム」「円卓会議」と称して熱田派を話し合いのテーブルにつかせ、「社会問題としての成田問題は終わった」などと宣伝し、闘争を終結させようとしてきました。しかし、反対同盟はこのような策動を粉砕し、全国の人々と共に農地を守り、闘いぬきました。
 そして今、天神峰の市東孝雄さんは、父・東市さんの遺志を継いで営農を続け、反対同盟の先頭で闘っています。
 市東さんにたいする農地強奪攻撃がかけられています。
 NAA(成田空港会社=空港公団)は市東さんに対し、「底地を買収したから農業をやめて出ていけ」と民事裁判に訴え、追い出しを図っています。
 冗談ではありません。市東さんの耕す農地はおじいさんの代から耕してきたもので、市東さんには確固とした耕す権利があります。しかし、千葉地裁、東京高裁、最高裁は空港建設の手先となって、土地取り上げを認める反動判決を出し続けてきました。今、私たちは強制執行を阻止するために市東さん、反対同盟と共に体を張って闘っています。

動労千葉と連帯

 この歴史の中で刮目すべきなのは、国策に抗し、改憲と戦争を阻止する団結を培ってきた動労千葉と反対同盟の労農連帯についてです。
 空港への燃料パイプライン建設が沿線住民の反対で遅れる中、ジェット燃料を国鉄の貨車で輸送するという攻撃がかけられました。これに対して、運転士・機関士を中心とした労働組合である動労千葉は三里塚農民と連帯を貫き輸送阻止の闘いを展開しました。
 戦争を止めるためには決定的な瞬間に自らがハンドルを握っていることが大事だと全組合員と徹底的に討論を重ね、単に輸送を拒否するのではなく(他の人に運ばれることになる)、職場の支配権を維持しながらねばり強く闘いを展開するという非常に高度で困難ですが、決定的な闘いをやりぬきました。
 動労千葉と並び全学連もまた国家暴力に対して真正面からぶつかり、実力闘争を展開してきました。
 成田は今「機能強化」と称して、第3の滑走路の建設を強行しようとしています。市東さんの農地を守り、空港の拡張を阻止しよう。第3次世界大戦が現実味を帯びる中で、成田軍事空港粉砕の実力闘争を三里塚現地で共に闘いましょう。

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