大地と共に 元全学連副委員長が語る 90年闘争会館決戦(下) 市東さん親子に触れ感動 自ら屈しなければ負けぬ

週刊『三里塚』02頁(1092号02面01)(2022/07/25)


大地と共に
 元全学連副委員長が語る
 90年闘争会館決戦(下)
 市東さん親子に触れ感動
 自ら屈しなければ負けぬ

(写真 闘争会館撤去攻撃との闘い【1990年8月22日】)

(写真 手錠にも充実感溢れる笑み浮かべ)

(写真 川添望さん【近影】)


 90年は天皇「即位の礼・大嘗祭(だいじょうさい)」が11月に控えていて、闘争会館の強制撤去は「(天皇制儀式の)警備のための先制攻撃という警備当局の意向がはたらいた」と当時の読売新聞が報じたように、天皇制攻撃の一環としてもありました。警察権力は「過激派一掃」を掲げましたが、私たちは全力で闘い抜き、その思惑を打ち砕きました。

獄中闘争を闘い

 逮捕され、千葉刑務所の拘置区に入れられました。女性の房は大した数がなく、ワンフロア1列で14〜15くらいしかなかったと思います。そのうちのいくつかが集団で入る雑居房でした。私たちは個室に入れられました。三里塚の闘争で前に逮捕された女性も2人くらいいたと思います。
 起訴については、当然されると思っていましたが、接見禁止の期間が長く9カ月程。その翌年の4月に裁判が始まります。出たのが92年の3月頃だから1年半程勾留されました。罪状は、凶器準備集合罪と、公務執行妨害だったかな。傷害は付いてなかったと思います。実際は凶器なんか持っていないんだけど、凶器準備集合罪ってことにしておかないと、成田治安法にある「暴力主義的破壊活動」にならないからでしょうね。
 獄中生活はご飯もおいしかったし、まだ若くて健康上は問題なかったので、法政大学で活動していたときよりも健康で文化的な生活をして、ある意味では楽してすみませんという感じでした。
 また、当時は狭山事件ででっち上げられた石川一雄さんがまだ千葉刑務所におられて激励の包囲行動に宣伝カーがやってくるんです。窓を閉めてもよく聞こえました。
 私は獄中に入ってはじめて勉強したんです。レーニン党組織論を課題に設定し、マルクス、レーニン、本多延嘉著作選をまじめに読んだんです。面白かったですね。今まで活動してきたことが何なのかということが勉強してよく分かって。それですごく新鮮な気持ちになって出てきました。
 当時も世界は激動していました。湾岸戦争の開始は獄中のラジオで知りました。三里塚への攻撃もそうした世界的な激動情勢の中で行われたものです。闘争会館はつぶされても、闘争の拠点は守りぬくことができ、よかったなと思います。
 それから30年余。三里塚闘争は今も闘い抜かれています。
 市東東市さんは存じていましたが息子の孝雄さんが帰ってくるというのを聞いたときはビックリしました。集会で突然「親の後を継ぎます」と。何てすごい人が出てきたのだろうと思いました。
 東市さんは、言葉は多くないんですが、「権力なんか絶対に許さないんだ」というのが体中からあふれ出るような人でした。一度お話を聞かせてもらいましたが、体験からくる戦争反対の強い思いを語ってくれました。だてに軍事空港反対を掲げているわけではないと強く思いました。
 孝雄さんもまじめでまっすぐな性格がすごく似ていますよね。「嘘をつかない」とよくおっしゃいますが、その通りの人柄ですよね。発言はいつも、すごく心がこもっていて、みんな納得しちゃう。
 全学連、青年労働者など若い人たちは、援農などで反対同盟の人たちと直接話をする経験はどんどんしてほしい。何と言っても三里塚は日本が誇る反戦・反権力闘争ですから。
 2011年に天神峰現闘本部の撤去を認める東京高裁判決に抗議して、私も北原鉱治事務局長はじめ50人の仲間と逮捕されました。3・11の後だったので、取り調べで「福島を三里塚のようにさせてはならないんだ」としきりに言っていたと他の人からも聞きました。
 やはり三里塚闘争は今の情勢を根底において規定している大きな闘いなんですよね。

治安弾圧と対決

 当時は、直接的には成田治安法との闘いだったわけですが、今振り返ってみても重要だったなと思うんです。今、土地調査規制法とかいろいろと国家権力が取り締まるための弾圧法を作ろうとしているときに、あらためて成田治安法決戦とか三里塚の闘いが重要になっていると感じています。
 こういう治安弾圧に勝ち抜くには、実力で闘い抜く以外ありません。
 闘争会館は完全に生活の場だし、三里塚闘争を支援して、学生や青年たちが生活し、農業を手伝い、デモをやるという場でした。それを向こうは成田空港妨害のための過激派の人間が集まる拠点だということで暴力的につぶしにきたわけです。
 向こうがやると決めたらその時はやってくるわけですが、闘争会館がつぶされても新たな闘いの拠点が立派に作られたように、治安立法が作られたり適用されようが実力で闘い抜くというのが、やっぱり闘う方法なんだなと思いますよね。敵は強そうに思うんだけど、強いから襲いかかってくるわけじゃない。
 自ら屈しなければ負けないというのをすごく三里塚は教えてくれているんじゃないかと思います。これからますます三里塚が大事になってくると思います。
川添望

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