大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1103号02面06)(2023/01/09)


大地の響き 投稿コーナー

国策と闘って勝つ力
 首都圏学生 福田 薫

 年末の4日間決戦に参加した。逮捕を覚悟して現地に赴いたが、強制収用を跳ね返し無事に年越しを迎えることができた。NAA社長・田村明比古は強制執行を「円滑かつ確実に実施する」などと言って年内に強行する意思をあらわにしていた。しかし、私たちの闘いがそれを粉砕した! 労・農・学の力が国家の全体重をかけた攻撃をも打ち砕けることを半世紀以上にわたって示してきた三里塚闘争は、この勝利でそのことを全労働者階級の前にさらに明らかにした。
 私は三里塚闘争が始まったはるか後に生まれた若い学生だが、「農地死守・実力闘争」を貫いてきたこの闘争に加わり、NAAと国家権力の農地強奪策動、戦争策動に対する年末決戦をともに闘ったことを誇りに思う。そして自分たちの力で年内の執行を阻止できたことは自信になった。私たちには力がある。闘えば勝利できる。今まで頭ではわかっていたこのことを、自分自身が闘いに決起した経験を通して本当に知ることができた。
 年末の決戦を経てますます学友を三里塚の地に連れてきたくなった。資本主義の下で苦しんでいる学生、希望をもてずにいる学生、闘いたくてもどうしたらいいのかわからなくなっている学生は周りにたくさんいる。彼ら彼女らに三里塚の闘いに参加して自信をもってほしい。私たちには国家権力とも闘って勝利する力があることを自らの経験を通じて知ってほしい。一人でも多くの学生に三里塚の現状を伝え、組織化に努力したい。

暖かさ伝える焼き芋
 東京・青年 藤井 考

 年末4日間決戦のうち2日間参加しました。
 到着した私たちは、現地闘争本部の方々に暖かく迎え入れられました。そして連日の闘争でお疲れにもかかわらず、私たちのために早速現地案内をしてくださいました。天神峰には何度か足を運んだことがありましたが、東峰神社や東峰墓地、組合道路など初めて行く場所もあり、ようやく三里塚現地の全容が私の中で理解できました。何度も現地に来ることが大事だと思いました。
 学生を中心とした行動隊が現地で指揮をとり緊張感がある一方で、子ども連れで現地を訪れる支援者など終始和やかな場となりました。その後も続々と学生たちが天神峰に到着します。学生のほうから気さくに話しかけてくれたので助かりました。学生生活のこと、学園闘争のこと、日々忙しい中でもがんばって三里塚までかけつけたことなど、色々な話ができました。
 現地では24時間態勢で警察権力の動向をチェックしていました。日中の市東さん宅前の道路は車の往来が案外多く、ときには自転車で通る人や歩行者もいます。見ていて飽きません。ときにはあいさつしてくれたりします。日常ではあまり感じることのない太陽の傾くのを体中で感じ、農地、自然を守り抜くことの大切さを知りました。
 学生はとても元気で、常に私たちの労をねぎらってくれました。焼き芋を焼いてくれたとき、「そういえば昔はよくたき火で焼き芋をしたな」と田舎を思い出しました。現闘の暖かさに触れたような気がします。
 応援に行くつもりでかえってご厄介になりっぱなしでしたが、4日間決戦は団結の完全勝利をおさめました。一緒に行った青年の仲間も躍動しています。
 三里塚は私にとって第二のふるさとです。

戦争阻止と一体の闘い
 東京・青年 米津 守

 昨年年末に市東さんの農地収用の強制執行がせまるなか、少しでも現地で闘争に参加したいと思い、泊りがけの座り込みに行ってきました。いざ強制執行が始まれば権力側が力ずくで執行を実行し排除することは簡単かもしまれません。しかし、私たちが抵抗の意思を示すことが重要だと思ったからです。
 今回年末の4日間決戦の後半29〜30日にかけて参加し、学生を中心に20人程が泊まり込みに参加しました。翌日朝には参加者と畑に面した道路をはさんでアピールを行い、市東孝雄さんも決意を述べられました。また現地闘争本部の方に周辺を案内して頂き、見張り用やぐらや看板、収用対象となっている市東さんの農地などを見学しました。
 今回自分が現地に行って強制執行阻止の闘いにわずかながらも参加できたことは、自分にとって大きな意味があったと思います。市東さんをはじめ、これまで50年以上にわたって空港建設反対、農地収用阻止の闘いをされてきた方々の思いを受け取ることができ、これまでの闘いの歴史を知れたことが重要でした。
 現在成田空港では拡張計画によって、その面積を2倍に拡張されようとしています。それはこれまで主張されているとおり、空港の軍事転用を目的としたものが明らかだと思います。三里塚闘争を昨年から始まったウクライナ戦争と今危機を迎えている中国侵略戦争阻止の闘いと一体でとらえて、農地の強制執行阻止を闘いたいと思います。

「長期強靱」の陣形を
 杉並 木梨義孝

 天神峰カフェで現地常駐の学生同志が言っていた。11月24日の千葉地裁の授権決定を聞いた夜「明日の夜にはクサイ飯だ。美味しいもの食いたいものを好きなだけ、たらふく食べました」。心も身体も健康で、決意は全く鮮明だ。敵の攻撃の凶暴さをしっかりと見据え、現地学生同志とともに同じように決意を固め、この1カ月を闘い抜いた。
 そもそも誰が収用阻止の激突が年明けに延びると想っていただろうか。
 機動隊暴力とカネ、強権を振りかざして51年ぶりの「代執行」を宣言した空港会社と国家権力。盗っ人たちがやりたくてたまらなかった農地強奪を見事に阻止した。実力闘争が敵を追い詰め腰砕けにしたのだ。
 感動的な毎日だった。普段は集会とデモだけで帰る仲間が、休日を取り全国から三里塚に駆けつけた。三里塚闘争と農業を心底知る。育苗のためのビニールハウスに泊まり、明るいうちは県道沿いの市東さん宅前に座り込む。座り込みの前を一日に何回も南台農地に通う市東さんを見送り、休みのない営農、農業を知る。休憩中には現地を回り56年の歴戦を学び、ヤグラに登って「ぶざまな空港」の姿を見る。
 この決戦で三里塚闘争は確実に拡大、強化した。さらに長期強靱な陣形を確立していこう。
 私は産直野菜担当として決戦の最中、東京西部地域で市東さんの野菜を待つ消費者に正月野菜セットを届け、現地の報告と怒りを伝え、新年からの産直の継続を約束して回った。毎週の無農薬野菜を待つ産直会員との共同の闘いだ。

日曜市で三里塚連帯
 徳島・星野救援会 黒田 勇

 三里塚の市東さんの畑が、決戦になっている。星野文昭さんが闘った地だ。
 農を忘れて、放置された地は痩せ、人は滅び消え去る。これを許してはならない。働く人の生活は苦しい。それなのに、資本家は無視している。労働者はデモ、ストをもってたち上がろう。階級的闘争だ!ゼネストだ!
 2022年4月より、網の目のように草の根が張った休耕田を、鍬一つで耕し始めた。80歳を超えた老人が畝を作り、野菜を苗から育てて酷暑を越え、晩秋を迎えて収穫の時期を迎えた。
 三里塚の市東さん宅で、みんなの座り込みが続く12月23日には、南国徳島にも大雪が降った。
 翌日、徳島星野救援会の主催で徳島合同労組の応援も得て、25日朝日曜市に出店した。(写真)
 割り振られたのは、自民党の事務所の看板の真ん前だった。雪の残る中、泥まみれになって収穫し、出荷・直売した。品物はキャベツ・白菜・大根・里芋・分葱。
 年末であったので、多くの人でにぎわっていた。給料は上がらず、物価高の時節であることが如実に反映されていた。人々の買い方に現れていた。財布のひもは締まり、緩くはなかった。
 無理だとおもったが、やれば出来る。やってみて、初めて分かる事なのだと思った。
 寒さの厳しい中、ミャンマー支援カンパを呼び掛けると、コインを入れてくれる人もいた。嬉しかった。この輪を広げていきたいものだ。野菜を買ってくれた人に、三里塚のビラ、星野さんの缶バッチ、大坂さん無実のビラを渡し私たちの取り組みのアピールをした。

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