耕作権裁判証人尋問 位置特定の誤り明白 NAAの主張が完全に崩壊
耕作権裁判証人尋問
位置特定の誤り明白
NAAの主張が完全に崩壊
市東孝雄さんの耕作権裁判が1月22日、千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で開かれた。
開廷に先立ち、千葉市中央公園で決起集会が開かれた。伊藤信晴さんが、「戦争情勢のもとで、市東さんの農地決戦は今まで以上に重要。今日の裁判は南台耕作地の位置特定をめぐる重要な証人尋問だ」と訴えた。
続いて動労千葉副委員長の中村仁さんが自民党の金権腐敗政治を弾劾し、農地決戦勝利を誓った。さらに連帯発言を受け、太郎良陽一さんのリードで力強くシュプレヒコールを上げ、市内デモに出発。宣伝カーからは婦人行動隊・宮本麻子さんが、農地強奪と岸田政権の戦争・軍拡政治を弾劾するアピール。
デモ後直ちに、この間全国から寄せられた成田空港拡張反対署名の提出行動へ。地裁前に再結集した仲間は、二分冊、計2196筆の署名を携え地裁に入っていく反対同盟を拍手で送り出した。空港拡張差し止め裁判が係属する民事第3部(岡山忠広裁判長)の書記官室へ署名を提出した。
60席を超す傍聴席を埋めて開廷。
この日の証人は、反対同盟法対部として活動していた元永修二さん。
弁護団の主尋問に答えながら、1971年に慶応大学に入学してから足尾鉱毒事件の調査をしたこと、76年から17年にわたって三里塚現地で支援活動を行ってきたことを振り返った。80年代は法対部として反対同盟にかかわる行政事件、民事事件などで弁護団に協力して活動した。当時は特に、成田1期開港後の2期工事着工、農地強制収用の攻撃が具体的に迫る中で、市東東市さん(孝雄さんの父・故人)の小作の権利関係を確固としたものにするために、手続きや調査などにいそしんでいた。
87年12月26日、元永さんは東市さんに同行して車を運転し、南台耕作地の地主である藤﨑政吉宅に地代を支払いに行った。藤﨑は東市さんだけを奥の応接室に呼び、次のように求めてきた。
①市東さんの当初小作地はどこか教えてほしい。今の耕作場所が当初の小作地と違っていたら元の場所に戻してほしい、②小作地4反7畝を「地主7、小作3」の割合で所有地に分割しよう。
さらに露骨に「ホテル事業で失敗して借金を抱えたので南台小作地を空港公団に売りたいが、公団が買いやすいように一緒に公団に売ってくれ」と求めてきたという。
この話を聞き、あからさまな要求に怒りを覚えつつ元永さんは直後から反対同盟の指示のもと、市東さんの小作権について調査を開始。もちろん東市さんが公団に売る気などさらさらないが、市東さんの小作権は地主の「売りたい」との意向に法的に対抗できるのか。
小作権は所有権と同等に強力だ
元永さんは88年3月に成田市役所内の成田市農業委員会を訪れ、同委の事務局長と面会して次のような説明を受けた。
①農地の売却には農業委員会が発行する農地法第3条の許可書の添付がなければ、地主が売り渡すことはできない。②成田市農業委員会は小作人の印鑑証明付きの同意書を提出されなければ、手続き上農地法3条許可書を出せない。③土地に複数の小作人がいて、小作地が小作契約で特定されていない場合、場所確認の同意書を全小作人から提出されない限り、農地法3条許可書は発行されない。
東市さんが反対している限り、地主が公団に売却することなど到底不可能、ということだ。
さらに、かつて農地委員の経験もある反対同盟員の三浦五郎さん(芝山町宝馬・故人)にも教えを請い、「農地は本来耕作者が所有すべき」との農地法の基本原理から、小作権は所有権と同等の強い権利であり、「耕作と小作料支払いを行っていれば、小作地として永久に使用できる」ことを結論として確認できた。
そのような内容を盛り込みつつ東市さんからの綿密な聞き取りを行って、元永さんは報告書「小作地の件について」、通称元永メモを作成し、反対同盟に提出した(88年3月19日)。そこには手書きの地図付きで、市東家の当初からの耕作場所はA、Bであり、E1は石橋家の耕作地であったことが明記されている。
ところがその後、空港公団は地主・藤﨑から小作権が付いたまま底地を買収したというのだ。ありえない! しかも15年もそのことは隠し通され、市東家は藤﨑に地代を納め続け、藤﨑はなに食わぬ顔で受け取っていたという。こんなでたらめが許されるのか!
反対同盟顧問弁護団は、2011年に藤﨑を約束なしで訪問し、元永さんも同行した。NAA側が証拠として出してきた、東市さんの署名捺印のある「同意書」「境界確認書」について、弁護団が「あなたが東市さんから署名捺印をとったのか」と藤﨑に尋ねると、「そんな古いものをもってこられてもわからない」。元永さんも直接問いただしたが、何も判明しなかった。
現地闘争本部をめぐる裁判では、空港公団の法理哲二、前田信夫と石橋との間での綿密な交渉記録が出てきたのに、この耕作権裁判では関連文書は何もないと言い張るNAA。その態度に、元永さんは同意書、境界確認書が偽造であることへの確信を一層深めた。
「空港反対」貫くことに迷いなし
この耕作権裁判でNAAは元永メモについて、「同意書、境界確認書でE1土地が当初からの耕作地であったことを市東東市自ら確認したのに、後になってそれを否定するために元永に作らせたもの」という難くせをつけてきた。元永さんはこれについて、石橋家の家族を訪ねて直接話を聞いたことを述べ、E1の土地には石橋家の屋敷林がはみ出しており、市東家が耕作していたなどというのは「ありえない」ときっぱりと否定した。
そして主尋問の最後に元永さんは語った。「市東さんは84年に家を新築して農地死守の意思を明確にした。その後強制収用攻撃が具体的に迫る中、天神峰の小川グループが脱退するなど厳しい状況にあったが、自分がこの地で百姓として空港反対を貫くことに迷いはなかった。藤﨑がもってきた間違った図面に同意して署名捺印することなどありえない。藤﨑と面談して、同意書、確認書は偽造と確信した」
元永メモは、「市東東市は同意書、確認書に署名捺印した。その地図でE1を自らの当初からの賃借地だと認めた」というNAAが描くシナリオを完全に粉砕した。そして「元永メモ」は、のちにNAAが市東家に対し「不法耕作者」のレッテルを貼り民事訴訟を起こし、位置特定が争点となることなど想定もせずに作成され、そこに重大な証拠価値があることがあらためて浮かび上がった。
NAA代理人、上野至が反対尋問に立ったが、ケチつけにもならなかった。上野は「東市さんは脳梗塞を起こしたそうだが、しっかりしておられたか」「最初はあなたも署名は東市さんの字だと思ったんじゃないか」などと見当はずれの質問をへらへらと続け、傍聴席から怒りを買った。
弁護団は最後に、証人として出廷拒否したままの法理哲二元公団用地部職員の法廷への喚問を強く裁判長に要求した。
次回期日を2月19日として閉廷した。
千葉県教育会館で報告集会が開かれた。市東さんが「元永さんが120%がんばってくれた。NAAの内容のない質問を聞いていて、あんな連中になぜ訴えられなくてはならないのかと感じた。次の次で私がしゃべるが、昔のことを思い出しながらなんとかがんばる」と笑顔で語った。
次回2月19日には、現闘の同志たち3人の証言が予定されている。さらに成田空港の騒音被害に損害賠償を求める住民の民事訴訟が5月1日から始まることが確認された。最後に萩原富夫さんが3・31芝山現地闘争への参加を呼びかけ、戦争を阻止する闘いに三里塚が立つ決意を述べた。