新版・現闘員奮闘中!日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 3・18千葉地裁デモへ 法理証人ついに出廷 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

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週刊『三里塚』02頁(1130号02面03)(2024/02/26)


新版・現闘員奮闘中!日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 3・18千葉地裁デモへ
 法理証人ついに出廷
 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

(写真 千葉市中央公園からデモ出発【19日】)

 連続闘争の2月ですが、元気ですかー! 2月15日には、関東一円で春一番が吹きましたね。春先の現地は、関東ローム層の土を巻き上げる「赤っ風」が吹きまくります。この風は何かと困りもの。キャベツやレタスといった作物も、中まで砂が入り込んでしまいますし、収穫や出荷の時にコンテナの底に敷く新聞紙が飛ばされたりと、苦労の種となるばかりで何もいいことがありません。目や鼻に砂が入り、花粉症の症状も悪化してしまいます。千葉が誇る(?)ふなっしーのマネとかじゃないですけど、「鼻汁ブシャー!」ってなっちゃいます。
 昨年11月から始まった耕作権裁判の人証調べは、19日の裁判で4回目となりました。この日も結構な風の中、翌日の出荷のための聖護院大根や小松菜の収穫作業をやってから、裁判闘争に向かいました。
 この日は、出廷拒否を続けていた元空港公団用地部職員の法理哲二が出てくることが、直前になって決まりました。毎回の千葉地裁に向けたデモやビラまき行動などの力で、ついに重要証人を引きずり出したのです。
 でも、空港会社の側も法理を出すことで裁判的にこちらに得点を与えはしないでやれる一定の目算があって決断したことなのでしょう。法理は反対同盟副委員長だった石橋政次の用地交渉の担当でしたが、藤﨑が地主の南台農地のうち石橋の小作地が明らかになれば市東さんの小作地の傍証となることから、案の定、石橋の小作地がどこであったかは「知らない」で通す態度で臨んできました。小作地については地主の藤﨑を担当していた職員(故人)が交渉していたことで、聞いてもいないというわけです。死人に口なしで、真実を闇に葬り去ろうなんて、とうてい許せません。
 そもそもこの法理は、反対同盟を切り崩すために立ち働いた下手人です。人目に触れないようこっそり石橋と会っていた様子は、反対尋問でも明らかになりました。「石橋を叩かれないようにして押し渡る」って感じだったんでしょうね。
 これとは対照的に、現闘と元現闘の仲間による証言は、市東孝雄さんの父親である東市さんの空港絶対反対を貫く姿を鮮明に描き出すものとなりました。お連れ合いとともに闘い抜くために家を新築するなどしていた同時期に、空港公団の切り崩し攻撃に乗ってしまうような文書に署名するなど、およそ考えられないことなのです。
 上から読んでも下から読んでも裏から読んでさえも「市東東市」というお名前とちょうど同じように、誰から見ても反対同盟の闘いの原則を貫き通した人だったのだと思います。きっとそのことを空港会社もよく知りながら、証拠隠しのみならず文書の偽造にまで手を染める不正義極まるやり方は、いずれ破産するしかありません。
 日ウクライナ経済復興推進会議粉砕闘争と同日ながら、前回より参加人数は増えました。次回3・18は、いよいよ市東孝雄さんが証言に立ちます。結審策動との攻防でもあります。法理証人を引きずり出したことが示す通り、裁判は力勝負です。大結集の千葉地裁デモと傍聴闘争の力で、軍事空港建設のための農地強奪攻撃を粉砕していきましょう!
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