3・18耕作権裁判千葉地裁から3・31芝山へ 機能強化粉砕!工事やめろ フィールドワークとデモに立つ

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週刊『三里塚』02頁(1131号01面01)(2024/03/11)


3・18耕作権裁判千葉地裁から3・31芝山へ
 機能強化粉砕!工事やめろ
 フィールドワークとデモに立つ

(写真 反対同盟先頭に菱田をデモ【2月28日】)

(写真 B滑走路の1千㍍北延伸工事を徹底弾劾)

(写真 空港拡張実力阻止!意気高く菱田をデモ)

(写真 「前進」第1217号より)

(写真 北延伸造成工事)

(写真 成田用水竣工碑)

(写真 高谷川改修工事)


 戦後世界体制の基軸国=アメリカ帝国主義が大没落からの脱出をかけ中国侵略戦争に歴史的突進を開始する中、日本帝国主義・岸田政権もまた自らの延命をかけ必死の戦争準備を進めている。経済安保、食料安保を叫び、日米韓軍事同盟を強化し、「台湾有事」を想定した大規模軍事演習を激化させ、今国会での8兆円近い大軍拡予算成立を狙っている。昨年8・6広島闘争への暴力行為等処罰法を使った5人の仲間への弾圧もその一環だ。「安保粉砕・日帝打倒」の反戦闘争の爆発で大弾圧に反撃しよう。三里塚芝山連合空港反対同盟は2月28日、成田空港機能強化策粉砕へ向けて現地調査と第3滑走路予定地内デモを行った。

B滑走路北延伸造成現場

 晴天のもと午前10時、成田市天神峰の市東孝雄さん宅わきに、反対同盟、支援連絡会議など約50人が集合し、この日のスケジュール、コースなどを確認。車両に分乗してB滑走路北端付近に移動した。
 B滑走路は、日韓ワールドカップ開催に間に合わせると称して2002年に2160㍍の暫定滑走路として供用を開始した。これまでも2度にわたる北延伸を行い、ジェット機は東関東自動車道の真上を横切る危険な離着陸を行ってきた。
 そして今回の機能強化で、東関道を地下トンネル化(430㍍)してその上にBの延長滑走路を築こうとしている。その東関道地下化に向けた切り回し道路(仮設道路)を造る工事が今年春頃の供用を目指して急ピッチで進められてきた。滑走路北延伸の造成工事も開始されている。
 一行は、反対同盟の「空港拡張実力阻止、工事強行許すな」の横断幕、同盟旗、のぼりを掲げながら、東関道をまたぐ橋を徒歩で渡った。交通量の多い東関道わきに、切り回し道路はすでに完成間近の姿を現している。
 さらに滑走路北延伸の造成工事の現場に近づいた。
 つい1年半ほど前までは畑が残っていたが、今は見る影もなく地面が掘られ土がむき出しになり、ダンプ、重機が動き、埋め立ての作業が進められている。もともと高低差の激しいこの地域を、途方もない量の土で固め、3500㍍の巨大滑走路に仕立てようというのだ。
 成田空港会社(NAA)の資料によれば、東関道切り回し工事での切土は15万立方㍍、盛土6万立方㍍、北延伸造成工事での切土120万立方㍍、盛土330万立方㍍とされる(東京ドーム一杯が124万立法㍍)。
 この地域のみならず周辺も含めて自然環境、地形、水系をことごとく破壊する工事だ。
 「工事をやめろ!」「空港機能強化粉砕!」「農地を守るぞ!」「成田空港を廃港に!」
 反対同盟宣伝カーから大音量で徹底弾劾のシュプレヒコールをたたきつけた。
 突然現れた「空港反対派」に意表を突かれ、作業員、警備員たちは目をそらしうつむいている。身動きがとれなくなったダンプカー十数台が列を作っている。
 作業員のプレハブ宿舎前で、さらに力強くシュプレヒコールを上げ、「空港絶対反対」の意志を突きつけた。

菱田、第3滑走路予定地

 続いて、第3滑走路建設予定地ど真ん中、芝山町菱田地区の中郷十字路前に再結集。
 目の前には「成田用水竣工記念碑」が建っている。成田用水事業理事長・水野清衆議院議員の名前で、「菱田地区の水田は近代的耕地に生まれ変わった」「郷土のますますの繁栄を祈念し」などのむなしい文言が刻まれている。
 もともとは反対同盟員が圧倒的多数であった菱田地区は、1980年代前半に反対同盟切り崩し攻撃である成田用水をめぐる激戦地となった。成田空港の肝煎りで「整備された」田んぼが広がるこの場所は、今度は身勝手極まりない空港拡張計画によって、第3滑走路建設のために埋められようとしているのだ。
 千葉県警による規制をはねのけ、中郷十字路から勢いよくデモに出発。
 NAAは第3滑走路の準備工事となる菱田地区の高谷川拡幅工事に、昨年12月6日に着手した。総工費は約2億3650万円で今年7月までに完成させるとしている。この日は平日にもかかわらず、デモをおそれて工事は中止になっていた。
 この工事は、本格工事で発生する土砂が「高谷川などに流れ込まないため」の対策だとされる。工事区域から出る濁水の対策として幅40〜70㍍の「沈砂池」を4カ所設ける。川幅を広げれば流れが緩やかになって土砂が沈殿するという。だが、第3滑走路の敷地を平坦にするための盛土と切土は、あわせて3500万立方㍍(東京ドーム28個分)という途方もない量だ。それ自体が大規模な自然破壊で、土砂の流出を防げなければ一帯の水系は完全に破壊される。
 大雨が降れば、これまで森林で吸収されていた水はコンクリートに染み込むことなく調整池へと流れ込む。あふれた水が氾濫(はんらん)すれば、広大な田んぼや家屋が壊滅的な被害を受けるだろう。
 デモ隊は「第3滑走路粉砕!」「空港はいらない!」「芝山廃村化を許すな!」のシュプレヒコールをとどろかせつつ、工事現場を目の当たりにしながら怒りに燃えて行進した。
 「国鉄専用道路」を進むと、成田用水をめぐるかつての大激突の現場に差しかかった。坂になったこの場所は84年9月27日、成田用水の重機搬入を阻止するために反対同盟が全戸総出で、支援300人とともに未明から阻止線を張り、見境のない暴行をふるう機動隊と素手で闘いぬいた地点だ。市東東市さん(孝雄さんの父)をはじめ反対同盟5人をふくむ24人が逮捕された。三里塚実力闘争の真骨頂を見せた闘いだった。
 再び中郷十字路に到着し、伊藤信晴さんが発言した。「芝山町は相川勝重前町長のもとで、『騒音下』であることを押し出しながら機能強化を主導してきた。現在、新滑走路建設による移転を進めようと代替地の上下水道整備などを行っているが、移転に応じるという人はわずか3分の1、あとの人はみな嫌気がさしている。だから私たち反対同盟が住民と本当に結合して、機能強化を粉砕しなければならない」
 さらに、東峰の萩原富夫さんがマイクを握った。「菱田をデモしたのは40年ぶりとなる。工事は始まっているがわれわれはあきらめない。この新滑走路は戦争に使われようとしている。戦争阻止の思いをこめて闘いぬこう。3・31芝山現地闘争に結集し、市東さんの農地を守り抜き、空港機能強化を粉砕しよう」と檄(げき)を飛ばした。

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