大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1158号02面09)(2025/04/28)


大地の響き 投稿コーナー

耕作権不当判決に憤る
 全学連 斎藤翔史

 私は日本共産党員であったため、日共で活動している間、三里塚について学ぶことはなかった。せいぜい、「成田闘争は新左翼が暴れて死人が出た」くらいのイメージしか持っていなかった。しかし、全学連の仲間との学習会や三里塚での集団生活・現地闘争を通して、外側からはほとんど見ることのできない、三里塚闘争の真実を知ることとなった。
 まず、最初に違和感を覚えたのは裁判闘争である。建前ではこの国は三権分立をうたっているはずだが、裁判所に警察権力が公然と出入りしていたのである。民事裁判でそのようなことをする権限が警察にはあるのだろうか。そして耕作権裁判の判決では、「契約は面積を定めたのであって位置は特定していない」というようなデタラメで市東さんに土地の明け渡しを命じた。その際、NAAの違法・脱法は一切不問に付したのである。ここまで不当な判決はどんなドラマでもアニメでもみたことがない。最初からNAAを勝たせることは決まっていて、後から理由をこじつけたようにしか考えられない。一体となった行政と司法のもとで出された不当判決を目の当たりにし、この国の法律はしょせんブルジョア法にすぎないということを実感した。
 それから、仮執行は付かなかったことに少しだけ安堵(あんど)しながら、三里塚での集団生活・援農に入った。そこでは、フィールドワークや仲間との交流を通して、闘争の歴史を知った。その歴史の中で共通なのは、条件派・脱落派は、結局国に裏切られたか、もしくは自らの正当化のために権力にすり寄ったということである。毒まんじゅうを食らえば、その毒が永遠に心と体をむしばむのだ。必然的に侵略戦争へと突き進む帝国主義国家には、どんな条件も通用しない。生活を守り反戦を貫くには、資本主義・帝国主義国家を打倒するしかないのだ。国家と労働者・学生・農民は非和解の存在なのだから。
 三里塚闘争の歴史を知ることで、希望を持つこともできた。60年近く続く実力闘争により、成田軍事空港の完成を何十年も遅らせているからである。この闘いで侵略戦争を阻止し続けているのだ。反戦闘争を貫徹する上で、三里塚闘争を絶やしてはならない。
 これから中国侵略戦争に向けて、国家暴力はますます激しくなるだろう。しかし、この激動の時代を我が物とし、反戦のために、被抑圧人民解放のために、心強い戦友と共に命を賭して闘うことを固く誓う。

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