「復帰」53年5・15沖縄闘争に参加して 沖縄を再び戦場にさせない

週刊『三里塚』02頁(1160号02面01)(2025/05/26)


「復帰」53年5・15沖縄闘争に参加して
 沖縄を再び戦場にさせない

(写真 勝連分屯地に申し入れ・弾劾行動【5月18日】)

(写真 辺野古ゲート前で座り込み【19日】)


 5月17~19日、改憲・戦争阻止!大行進沖縄が呼びかける「米日の中国侵略戦争阻止! 沖縄をミサイル基地にするな! トランプも石破も倒そう! 『復帰』53年5・15沖縄闘争」に参加した。沖縄の地を踏むのは2度目だが、5・15闘争への参加は初めてだ。
 17日。那覇空港に降り立って移動のために「ゆいレール」(モノレール)に乗ると、海上自衛隊第5航空群の基地が目に飛び込み、「基地の島=沖縄」を感じた。
 6月に天皇も訪れるという「対馬丸記念館」に立ち寄った。1944年8月、学童集団疎開で沖縄から九州に向かった対馬丸が米軍に撃沈され、多くの命が奪われた。護衛艦は子どもたちを助けることなく逃げた。国は生存者に箝口令(かんこうれい)を敷き、被害実態調査も、発見された船体の引き揚げも行わなかった。天皇の訪問は、戦争責任にふたをし、再びの「戦争の邪魔になる子どもたちの疎開」(説明文)に道を開くものだ。断じて許せない。

全基地撤去を!

 那覇市の沖縄県青年会館で開かれた「『復帰』53年5・15集会」に参加した。集会では、相次ぐ米兵の女性暴行事件とその隠ぺい、中谷元・防衛相による旧日本軍第32軍司令官・牛島満への賛美、沖縄戦の史実歪曲をもくろむ自民党参院議員・西田昌司の暴言、そして天皇の訪沖への怒りが次々と表明され、沖縄戦を二度と繰り返さないという固い決意と熱気の下で全基地撤去・安保粉砕へ向け団結を固めた。
 夕方からは、国際通りを「日米安保粉砕・全基地撤去」を掲げてデモ行進。拍手をする人、ガッツポーズで応える人、拳を上げデモに加える人など、沿道から多くの共感の声が寄せられた。
 18日は、まず銃弾痕やトーチカ(中にこもって銃撃するための穴)の跡が残る嘉数(かかず)高台公園へ向かい、そこから普天間基地を見学。元基地労働者で、全軍労(全沖縄軍労働組合)牧港支部青年部として1971年の全島ゼネストを闘った水島満久さんから説明を受けた。水島さんは、実は普天間基地には巨大な地下軍事施設があるという驚きの話を語り、「中国侵略戦争を前にして普天間基地の返還などするわけがない。戦争を止めて私たちが実力で撤去するしかない」と強調した。
 続いて4千㍍滑走路を有する嘉手納基地へ。成田空港とは違ってビルがないため、ただただ広さを実感する。ベトナム戦争時にはB52爆撃がここから飛び立ち、ベトナム人民から「悪魔の島」と呼ばれた。基地労働者をはじめとした全島ゼネストで応えた沖縄人民の闘いに思いをはせた。
 午後は、うるま市の陸上自衛隊勝連分屯地に対する申し入れ行動を行った。陸自勝連分屯地には昨年3月に第7地対艦ミサイル連隊が発足し、奄美大島、宮古島、石垣島に配備されている地対艦ミサイル部隊の指揮統制と管理を担う連隊本部もおかれる文字通りの中国侵略戦争司令部だ。
 門前で模擬銃を構えた隊員が威圧。昨年まではなかったことだという。地元うるま市の沖縄コールセンター労組書記長の梶原健汰さんが、ミサイル連隊の解消などを求める申し入れ書を読み上げた。続けて大行進沖縄代表の赤嶺知晃さんが「中国人民、アジア人民に銃を向けるのか」と迫るが隊員は言葉を濁す。青年・学生が次々と怒りをたたきつけた。
 続いて訪れた平和記念資料館では、「軍隊は住民を守らない」の沖縄戦の教訓を胸に刻み、闘う決意を新たにした。摩文仁の丘には32軍司令部の「黎明の塔」がある。「第三十二軍は沖縄県民の献身的協力を受け力闘奮戦三ヶ月に及んだが......」の書き出しで始まり、牛島をたたえる碑文は怒りなしには読めない。

搬入を実力阻止

 19日は、名護市辺野古で座り込み闘争に参加した。普段は9時に現れる資材を乗せた車両が時間になっても現れなかった。現地で闘っている方が「搬入を止めました! 座り込みを強制排除するための機動隊も来ていません。大勝利です!」と宣言。400人の座り込みで工事車両の搬入を実力阻止したのだ。勝利をかみしめながらマイクアピール、シュプレヒコール、歌を繰り返す。地元の方からは「命ある限り闘います」「若い方たちがこれだけ集まって頑張っていることがうれしくて涙が出てきます」と発言が相次いだ。
 初日にアブチラガマを見学したという学生は、沖縄戦を二度と繰り返さない決意を全身にみなぎらせ、「私たちが、全国に持ち帰って沖縄の闘争をどれだけ拡大できるかが問われている。6・14闘争に学生を大挙結集させ、首都を揺るがす戦闘的な大闘争を巻き起こしたい」と語った。
 全学連の矢嶋尋委員長は、「私たちが実力で立ち上がれば、絶対に戦争を止めることができる。その現実性は、今まさに工事車両を止めているこの辺野古の闘いにある」と確信を込めて語り、70年安保・沖縄闘争を超える闘いを本土・東京でつくる決意を述べた。
 続いて、陸上自衛隊第15旅団の司令部がおかれる陸自那覇駐屯地への申し入れを行った。牛島の「辞世の句」を公式サイトに掲載する同旅団は来年にも師団化が狙われている。権力の不当な介入はねのけ、「第15旅団を解体しろ!」と怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。
(神部俊夫)

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