団結街道

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週刊『三里塚』02頁(1162号01面05)(2025/06/23)


団結街道


 日本帝国主義の一貫したアジア侵略の拠点=「軍都」だったがゆえに原爆投下の目標となった広島。ベトナム戦争の最中、原爆詩人の栗原貞子は被爆者も加害者であったこと、そしてそれは決して過去のものではないことを鋭い感性で指摘した▼「〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉‥‥血と炎のこだまが返って来るのだ‥‥アジアの国々の死者たちや無告の民がいっせいに犯されたものの怒りを噴き出すのだ‥‥〈ああ ヒロシマ〉とやさしいこたえがかえって来るためには‥‥わたしたちの汚れた手をきよめねばならない」(「ヒロシマというとき」より)▼千葉もまた「軍都」と呼ばれた。山縣有朋による「軍備意見書」により首都と横須賀軍港防衛のための海堡(かいほう)=海上砲台が富津岬の先に設置され、「東京湾要塞」の一角を担った▼松戸、船橋、市川、習志野など下総台地の原野は演習場に適しており陸軍が発足当初から注目。連隊や司令部が置かれた。習志野には毒ガス兵器を開発する陸軍習志野学校。船橋には海軍の無線通信所。日中戦争以降は、県内各地に飛行場が次々と建設され、戦争末期には自爆攻撃も行われた▼首都防衛の血塗られた要塞の現実は今も変わらない。松戸の飛行場の一部や館山の海軍施設は自衛隊が使用し、米軍があえて空爆しなかった木更津飛行場・海軍施設は米軍管轄下に。安保粉砕・全基地撤去! 農地死守、成田軍事空港の粉砕を!
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