3・29芝山現地闘争へ 東京・三里塚集会開く 市東さんが「農地死守」の決意表明
3・29芝山現地闘争へ
東京・三里塚集会開く
市東さんが「農地死守」の決意表明





高市自民党が2・8衆議院総選挙で国会の3分の2以上の議席を獲得し、圧勝した。米トランプ政権と共に中国侵略戦争へ突進する日帝・高市への巨大な怒りはもはや議会主義・合法主義では抑えられない。反戦・反権力の砦(とりで)として闘い60年を迎える三里塚芝山連合空港反対同盟と共に、成田軍事空港粉砕、高市政権打倒へ攻め上ろう。反対同盟の市東孝雄さんを迎えて、三里塚・東京集会が2月15日、杉並区の「ワイム荻窪」で開かれた。主催は、改憲・戦争阻止!大行進東京と同大行進杉並。153人が参加し、集会後のデモも含め画期的成功をおさめた。全国各地で三里塚闘争への取り組みを強化し、3・29芝山現地闘争に大結集しよう。
司会は、杉並区議会議員・洞口朋子さん。「中国侵略戦争への戦時独裁体制が始まろうとしている時、三里塚60年の闘いがそこに立ちはだかっている。三里塚の勝利まで突き進もう!」と第一声を発した。
大行進事務局の川添順一さんが基調報告に立った。冒頭に、映像作品「三里塚2021」の「歴史」編の上映が約20分行われた。新東京国際空港建設を地元住民を無視して三里塚地区に造るとの1966年の閣議決定から始まり、反対同盟の結成、71年の強制代執行との闘い、78年の開港阻止決戦、80年代の成田用水闘争----と、国家権力・機動隊との激しい実力闘争が連続してスクリーン上で再現された。反対同盟の先頭で闘っていた市東東市さん、父の闘魂を受け継いで天神峰に帰還した若き日の孝雄さんの勇姿が、参加者の胸を揺さぶった。
中国侵略戦争阻む
続いて川添さんは、農地死守・実力闘争、軍事空港粉砕、労農連帯などのスローガンに表される三里塚闘争の日本階級闘争における傑出した位置と先駆性をていねいに説明した。さらに「中国侵略戦争を阻む三里塚」として、高市「戦時独裁」政権の登場、米帝国主義の没落と危機、米国家安全保障戦略(NSS)に表された対中国戦争―世界戦争戦略を解説した。特定利用空港・港湾の指定と相まって、4000㍍滑走路を持つ成田空港の軍事利用がたくらまれており、「第2の開港」プロジェクトは物流拠点機能を備えた成田の兵站(へいたん)基地化であることを強調した。そして、第3滑走路建設が地元住民の用地買収拒否によって行き詰まっている現状を暴き、反対同盟との連帯として援農や裁判傍聴への参加を訴え、3・29芝山現地闘争への結集を呼びかけた。
続いて、市東孝雄さんが「農地死守」のはちまきを締めて登壇した。(発言要旨別掲)
父・東市さんから営農と空港反対闘争を受け継いで27年が経過したことを感慨深く語った上、「杉並の方々と三里塚は深い関係。空港反対・農地死守の闘いをともに闘ってくれたことを感謝しています」とお礼を述べた。農地強奪の反動判決の内容を振り返り、「国策ならば何をしてもいいことではない。空港を造る姿勢が間違っていた」と鋭く批判した。高市政権のもとで「有事の際は真っ先に成田が使われることは間違いない」と断じ「反対同盟は数が少なくなりましたが闘う気持ちは誰にも負けません。『闘魂ますます盛んなり』の言葉を大事に、福島・沖縄・三里塚を一つの闘いとしてがんばります」と締めくくった。
市東さんの鮮明で力強い決意表明は参加者の胸を打ち、全員が大きな拍手で応えた。
続いて三里塚現地闘争本部の同志が、現在闘われている三里塚裁判(耕作権裁判控訴審、団結街道裁判控訴審、空港拡張差し止め裁判)を解説し、特に耕作権裁判一審反動判決の内容を批判し傍聴への決起を訴えた。
司会の洞口さんのカンパアピールに続き、決意表明が続いた。
最初に全学連の学生が日帝・高市政権の戦時体制構築を弾劾し、2月12日のフィールドワークを報告し、「今こそ成田軍事空港解体へ。日本の学生は流血も辞さず歴史変革の先頭に立たねばならない」と訴えた。
さらに、大行進杉並、大行進世田谷、婦人民主クラブ全国協杉並支部、NAZEN東京、全国水平同盟杉並支部、東京労組交流センターの山口弘宣代表が次々とマイクを握り、自らの三里塚体験を交えながら、軍事空港粉砕、高市政権打倒への決意を表明した。
荻窪をデモ行進
最後に、大行進杉並の丸田雅臣さんが「まとめと行動提起」に立ち、集会カンパを市東さんに手渡した上、3・29芝山現地闘争、東京での2・22新宿反戦デモ、3・8国際婦人デーへの決起を熱烈に訴え、「帝国主義打倒の荒々しい闘いを!」と強調した。
集会を終え、会場前の道路からデモに出発。宣伝カーからは、「成田第2の開港粉砕!」「市東さんの南台農地守れ!」「日米戦争同盟粉砕! トランプ・高市を打倒しよう!」「中国侵略戦争阻止!」のコールが、荻窪の繁華街にこだました。沿道の人々が次々とビラを受け取り注目した。JR荻窪駅の東西南北を「三里塚」で席巻し、読書の森公園までのデモを貫徹し、全員が3月の連続する闘いへの奮闘を誓い合った。
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闘魂ますます盛んなり
反対同盟 天神峰 市東孝雄さん

思い起こせば私が三里塚に戻って27年目になります。最初は「自分が50歳になったら成田に帰る」という気持ちでいました。ただし家を継ぐとかは決まってなかったですね。それで結局おやじが2年早く亡くなって、それじゃあ帰ろうと。それで帰って何をするかという時に、先ほどのビデオの中にもありましたように、「(事業認定が切れ、空港公団が収用裁決申請を取り下げて)もう強制執行はされない、農地は取られることはない」と聞き、じゃあ、おやじの跡を継いで農家をやろうと決めました。
その時に萩原進さん(東峰、当時事務局次長)から、「百姓の仕事はおれが教えるから一緒にやろう」と言われました。それで農業をやり始めて3年、4年はやっぱりものになりませんよね。貯金を崩しながら4年目くらいからですか、やっと自分の作ったものでお金を稼げるくらいの状況になりました。そういう中で試行錯誤しながら現在に至っています。
杉並の方々と三里塚の深い関係というのは、聞いてます。杉並の方々は「空港反対・農地死守」の闘いをともにやっていただいたということで、大変感謝しております。
今裁判をやっている農地問題ですが、農地法裁判(すでに反動判決確定)の場合は、結局は裁判長が「(離作補償として)1億8千万出すんだから何も問題ない、土地を取ってもいいんだ」、そういう判決でした。
国策のためであれば何をしてもいいということはないですよね。よく閣議決定の時から「ボタンのかけ違いがあった」という言葉がありましたけど、ボタンのかけ違いじゃなくて、自分たちの空港を造る姿勢が間違っていたということです。
うちのおやじたちが昔「また戦争が必ず起きる」と訴えたときに、近所の人たちは「戦争なんかもう二度と起きないんだ」と言いました。だけど今考えてみるとやっぱり、おやじたちの考え方が正しかったと感じますね。昔ベトナム戦争の時に羽田が使われているんです。これから「有事」という場合は、成田空港が真っ先に使われるのは間違いないと思います。
彼らは、私の天神峰農地を取ってじゃあそこに何をしたかと、フェンスを張っただけなんですよ。それで「いついつ草刈りをやります」という連絡だけは来る。何のためにあそこを取ったのかと言えば、本当に嫌がらせでしかないんですよ。
そういうことをやられればやられるほど、私たちは「農地を守る」っていう強い気持ちで闘います。そんなことをされたら誰でも反発するというかね。そういう中で27年目になりますけど、がんばってきました。
この中には、私の倍くらい長く三里塚闘争にかかわってくれた人もいると思います。本当に頭が下がります。こんなに長いですけど、最初から60年も続く闘いになるとはだれが思ったことでしょうね。それはやっぱり同盟だけの力じゃなく、みなさん方の闘いの成果だと思います。60年もかけて、国家暴力を使っても闘争をつぶせない。それは闘っている人たちの力だと思いますよ。
これからも色んなことがあるでしょう、嫌がらせもあると思います。高市政権になって今後ますます闇の中で法律が作られていくようになる。そういう中で、やはり空港港湾関係もいろんな取り決めができていると思います。私たち反対同盟は数が少なくなりました。少数派ではありますけど、闘う気持ちは誰にも負けないと思います。反対同盟はこれからも、「農地死守、戦争反対」の精神をもって、「闘魂ますます盛んなり」の言葉を大事に、福島・沖縄・三里塚を一つの闘いとして、みなさんの力をお借りして、ますますがんばりたいと思います。