強制収用キャンペーン打ち砕こう 「70~71年は三里塚農民の土性骨をかけた収用法との全面対決」 故萩原進事務局次長の著作より

週刊『三里塚』02頁(1183号02面01)(2026/05/11)


強制収用キャンペーン打ち砕こう
 「70~71年は三里塚農民の土性骨をかけた収用法との全面対決」
 故萩原進事務局次長の著作より

(写真 萩原進事務局次長)

(写真 71年第1次代執行との戦いに立つ三里塚農民)

(写真 機動隊の暴行と闘う大木よねさん【71年9月】)

(写真 土地収用法を弾劾する本紙278号【88年9月】)


 三里塚反対同盟は土地収用法による1971年の2次にわたる強制代執行を迎え撃ち、「農地死守・実力闘争」で闘いぬいた。2期工事での88年の千葉県収用委員会の審理再開攻撃に対しては街頭宣伝、署名運動など総力で「強制収用許すな」の反撃に立ち、収用委員会を解散に追い込んだ。この闘いは日帝に大打撃を与えた。以下は、故萩原進事務局次長の著書『農地収奪を阻む/三里塚農民怒りの43年』からの抜粋である。今日、軍事空港としての新滑走路建設、機能強化へ向け「強制収用」が叫ばれる中、同書はその攻撃を打ち砕く教訓に満ちている。
 六九年一二月の土地収用法による事業認定によって、七〇年から七一年は三里塚農民の土性骨をかけた収用法との全面対決となった。
 国家暴力が「法」の名のもとに強制的に私有地を取り上げる。これに抵抗するということはどういうことか。
 突き詰めると、実力で抵抗するというのは、国家体制を認めないというところに行き着く。当時はそこまで考え詰めてはいなかったけれど、「尋常なことでは済まない」と直感的には分かっていた。覚悟を固めて団結できるかどうかが問われていた。(53~54㌻)
    ♢
 第一次代執行に対する闘いは、本当に「北総反乱」と呼べるような闘いだった。地域全体の農民・労働者が、三里塚の農民を見殺しにしたら明日はわが身だという気持ちで応援してくれたのだ。あのような規模の反乱を実現したという時点で、政治的には勝負がついていた。われわれが勝ったのだ。あれから三七年、いまだ空港を完成させられないという現実の大きさをあらためてかみしめている。ここには、権力の暴政に対する農民・人民の意志が結実している。(61~62㌻)
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 やはりあの時、われわれの闘いに権力は震え上がっていた。「三里塚闘争のベトナム化」と言われたように人民の抵抗の大きな高地を築いた闘いだった。なかなかあのような闘いはできない。代償は大きかったけれど、あの闘いが大きくその後の代執行攻撃を抑え込んだと言える。それを正しく評価できるか、どうかが問題だ。その後の未曽有の弾圧を受けて、腰砕けになってしまった部分が多かったが、その辺の評価が一番大切な核心問題ではないだろうか。
 おれはこの時、大木よねさん宅の防衛に当たっていて、東峰十字路や駒井野の闘いの知らせを聞いた。この闘いのすさまじさに身震いする思いだった。(64~65㌻)
    ♢
 追いつめられた収用委員会が辞任・解体した〔1988年〕のは当然だった。
 六九年一二月に認可・告示された事業認定が八九年には二〇年で失効するという問題も大きかった。これを無視することは、収用委は無期限だということになる。そもそも収用委は「計画の緊急性、確実性」が前提なのだ。それが二〇年たっても建設できない。それでも有効だとなると行政権力万能論だ。憲法原理もあってなきがごとしということになる。(102㌻)

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