国家暴力による土地収用攻撃を粉砕し市東さんの農地を守ろう

週刊『三里塚』02頁(1183号02面02)(2026/05/11)


国家暴力による土地収用攻撃を粉砕し市東さんの農地を守ろう


 「『タブー』から民主的手段に」(4月16日付、日経)などと、NAAの事業認定申請のために暴力装置である土地収用制度の反人民的暴力性をあいまいにする攻撃が強まっている。石毛博道・石井新二など転向者を使った土地収用容認キャンペーンを粉砕するために、土地収用の本質を根底的に暴露し、強制収用阻止闘争に突入しよう。

「農地を武器に」

 土地収用批判は同時に、谷中村・砂川・三里塚と日本人民の闘いの金字塔をなす闘いが、土地収用をめぐって闘われたことを明らかにすることでもある。なぜ収用が、それぞれの闘いを階級闘争の頂点に押し上げたのか、これは凶暴な国家権力による暴力発動に対する全人民の怒りの爆発というだけでない。土地収用そのものが、資本主義的所有制度を支えるものだからだ。収用攻撃との対決は、労働者人民の資本主義打倒に転化できる闘いだ。
 強制収用は、階級支配の根幹、資本主義的搾取の秘密を公にし、資本家的所有関係とそれを土台とする全上部構造の動揺を呼び起こすことになる。国家の「中立性」「超階級性」の装いが破綻し、階級対立がむき出しになる。
 故萩原進反対同盟事務局次長は、「農地を武器に」と訴えた。文字通り土地収用との闘いは、ひるまなければ土地を武器に、どこまでも闘い続けられるのである。三里塚は、大木よねさん、市東さん、萩原さんなどの不屈な闘いで、土地収用を粉砕した。今進められているNAAの強制収用策動は、中国侵略戦争を内乱に転化する闘いと一体で必ず粉砕できる。反対同盟とともに、市東さんの南台農地を死守しよう。
 強制収用は、支配階級にとって「両刃の剣」だ。国家権力を発動して、土地を暴力的に奪うことは、逆に現在の所有関係が資本家階級の暴力によって成り立っていることを直接に顕在化させてしまう。

収用制度の歴史

 「収用」という言葉は、17世紀に資本主義の初期において、初めて使われる。近代国家の発達、ブルジョア的所有の発展が「収用」制度を構成する2要素となる。
 近代的な「収用」制度の確立は、1871年プロイセン土地収用法と指摘される。(国宗正義「ドイツ土地収用法」)
 資本主義の成熟とともに巨大投資事業(とりわけ鉄道)の拡大、そして帝国主義段階への移行による国家権力の強大化と軍事国家化が収用制度の確立を促進していく。
 「収用」は、商品売買の一般的な土地取得と対立する形態をとる。だが、「収用」は資本家的土地所有から派生し、それを支える不可欠の制度である。資本家所有自体が「収用」を表裏の関係として、つまり国家暴力の発動を前提に成り立っているということだ。
 土地所有者が売る意思のないのに、買主が売買の関係を維持しつつ、土地所有の独占を侵害する、この新たな土地取得の形態が「強制売買」である。支配階級であるブルジョアジーが、個別利害を土地所有に押し付け、国家権力が売買を強制する。これが「収用」の原点である。
 収用は、支配階級にとって資本家所有を守る要でありながら、その目的の実現は「抜くぞ」という脅しで土地所有者の独占意思を挫くことにあり、逆に「抜いた」場合には「なまくらな正体」を露呈する、逆説的な意味での「伝家の宝刀」である。

「公共性」を撃て

 資本主義は、19世紀後半以降、土地収用に関して、「公益性」認定、損失補償、行政手続きなどを準司法制的に整備し、今日の土地収用制度を作り上げた。
 およそ、土地収用法を適用する公共事業の多数は、公共インフラの造成に見られるように帝国主義の社会政策(高速道路・空港・港湾・鉄道・発電所等)であり、ブルジョア的生産力を高め、帝国主義の国力を培うためである。
 プロレタリア人民にとってはどうか。収用と対決する闘いは、資本家的土地所有が内包する矛盾を攻勢的に利用することができる。
 土地収用制度は、行政手続きの厳格さや司法的性格がまずは、収用する側(国)に求められている。一つ一つの手続きの瑕疵(かし)が、判断の成否や公権力発動を左右するため、被収用者は逆にその一つ一つにおいて権力を追い詰めることが可能だ。
 労働者人民の強制収用との闘いは、ブルジョア階級の暴力的支配を「公共性」と「暴力の発動」という核心においてブルジョア権力の凶暴な本性を引き出し、労働者階級人民を権力打倒で全面的に組織することが可能だ。敵の凶暴さは、逆に弱さの表れである。さらに、戦後土地収用法は、敗戦による日帝国家権力の脆弱性に規定され、執行機関としては極めて脆弱である。
 強制収用は、支配階級にとって「両刃の剣」であり、「伝家の宝刀」である。労働者・農民の総結集で、成田機能強化、軍事空港建設のための強制収用を阻止しよう。
(大戸剛)
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強制収用関連年表
1969年9月13日 空港公団が土地収用法にもとづく「公共事業認定」の申請手続きを建設大臣に提出
12月16日 建設大臣が成田空港の「事業認定」を認可
70年3月3日 公団が千葉県収用委員会に土地収用裁決を初申請
12月26日 県収用委が1期工事(A滑走路)の収用裁決。代執行が可能となった
71年2月22日~3月25日 第1次強制代執行(駒井野)
9月16日~20日 第2次強制代執行(三つの砦と大木よねさん宅)
73年11月 公団が2期工事(B、C滑走路)の明け渡し裁決を申請し翌年公告したが、ここで土地収用法の手続きはストップ
1978年5月 A滑走路のみで開港
1988年4月20日 B滑走路着工
5月 強制収用を実行するとの関係者の発言が相次ぐ。「土地収用法の発動を検討」(秋富公団総裁)、「軒先まで遠慮せず工事をする」「土地収用法の剣を突きつけ、話し合いを迫る」(松井副総裁)、「日本の土地はすべて国家のもの」(石原運輸相)
6月16日 千葉日報が「十一月には千葉県収用委員会の審議が再開される見通し」と報道
7月11日 沼田千葉県知事が収用委7名を新たに任命。11月審理再開策動
10月24日 県収用委員会の委員全員が辞任を表明
93年6月 公団がすべての未買収地に対する収用裁決申請を取り下げた
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