International Lavor Movement 2010/07/01(No.407 p48)

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2010/07/01発行 No.407

定価 315円(本体価格300円+税)


第407号の目次

表紙の画像
表紙の写真 ギリシャゼネスト(5月5日 アテネ)
■羅針盤 「新たな全国運動」の発展を 記事を読む
■News & Review 韓国
  MBC(文化放送)労組が39日間スト貫徹  建設労組、“われわれは労働者だ!”
記事を読む
■News & Review 中国
  世界大恐慌下の上海万博の延命策  過熱するバブル経済、高まる労働者階級の怒り
記事を読む
■News & Review ヨーロッパ
  ギリシャ危機が世界を揺さぶる革命情勢   ゼネストに連続決起する労働者階級
記事を読む
■特集 インドめぐり激化する争闘戦 記事を読む
■翻訳資料
  「4年ごとの防衛見直し(QDR)2010」(上)   鶴川遊作 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点 オバマ政権の医療保険改革
  皆保険制度を放棄/保険会社中心の制度のまま
記事を読む
■世界の労働組合 イギリス労働組合会議(Trades Union Congress:TUC) 記事を読む
■国際労働運動の暦 1934年7月16日
  サンフランシスコ ゼネスト   港湾ストに全市連帯
  ランク&ファイルの実力決起が御用組合幹部をのりこえて発展
記事を読む
■日誌 2010年4月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 移民法反対ハンスト(5月4日 米・UCバークレー校)

月刊『国際労働運動』(407号1-1)(2010/07/01)

羅針盤

■羅針盤 「新たな全国運動」の発展を

▼5・15〜17の3日間にわたって、沖縄で米軍基地撤去・安保粉砕の闘いが大爆発した。この闘いの歴史的意義は、5月15日夕方、那覇市民会館で開催された「『復帰』38年5・15沖縄集会」でのうるまユニオンの富田晋副委員長の以下のような宣言に集約される。
 「今年の5・15闘争でついに国鉄と沖縄が結びついた。ここに70年安保・沖縄決戦を超える闘いの壮大な展望をつかんだ」 沖縄を安保粉砕闘争の決戦場に転化する鍵は、まさしく労働運動の革命的再生と学生運動の発展にある。国鉄1047名闘争の「新たな全国運動」による再生と爆発的発展を軸に、動労千葉の反合・運転保安闘争路線を全国・全職場で創造的に発展させよう。
▼三里塚情勢も緊迫している。5月17日午後、団結街道の閉鎖を通告する看板を立てに来た成田空港会社に対して怒りを爆発させた市東孝雄さんの逮捕を絶対許すことはできない。国家権力は、市東さんの怒りの決起を暴力的に抑えこみ、何がなんでも反対同盟の闘いを圧殺しようと弾圧をエスカレートしてきたのだ。だが、市東さんの怒りの決起は、全労働者の猛然たる反撃の闘いを促してしまった。市東さんの闘いにおいつめられた敵の絶望的なあがきを労農同盟の圧倒的強化で徹底的に粉砕しよう。
▼6月3日からのブラジル・コンルータス全国大会と、もうひとつの戦闘的ナショナルセンターとコンルータスとの合同大会への動労千葉の招待は、新自由主義攻撃と激しく闘う南米の労働者階級と日本の労働者階級の国際連帯を一挙的に拡大する決定的機会を提供する。世界革命を目指す労働者階級の国際的団結を圧倒的に前進させよう。

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月刊『国際労働運動』(407号2-1)(2010/07/01)

News&Reviw

■News & Review 韓国

 MBC(文化放送)労組が39日間スト貫徹

 建設労組、“われわれは労働者だ!”

 「民主労組を抹殺するために新年初日に労組法改悪案を抜き打ち通過させたイミョンバク政権は、それでも足りずにメーデーの日の未明に労働時間免除の限度をまたも抜き打ちで通過させました。労働部職員を動員して労働者代表の出入りを阻止し、事実上、労組専従者をなくし、民主労組を干上がらせるための制度を通過させたのです。これがメーデーの朝、韓国の労働者に投げつけられた贈り物でした」(5・9全国入管集会での民主労総ソウル本部ノミョンウ首席副本部長発言より)
さらにノミョンウ副本部長は、「公務員、教師、鉄道など公共部門の労働者に対する労組弾圧や、一方的な労働協約破棄が強行されています。公営放送MBCを政権のラッパ吹きにするための言論弾圧がまかり通っています。天安艦沈没事態は、新たな『北風』を予告しています。ですが、絶望は『これまで』です。鉄道労組が5月12日に全面ストライキ闘争を決議しています。言論労組MBC本部のストライキ闘争は、多くの大衆の支持の中で頑強に展開されています。労働時間免除限度の抜き打ち通過に対し、現場からの怒りの声が組織されています。やつらがメーデーの未明に投げつけた贈り物を、もっと大きな贈り物にしてつき返してやるでしょう。われわれが彼らにつき返してやる贈り物は、われわれの勝利、ただこれだけです」と、確信を語った。
第1章 □メーデー未明に!

(写真 MBC国民の放送を守るストライキ【5月4日 ヨイド】)

 □メーデー未明に!

 5月1日午前2時40分、イミョンバク政権は「勤労時間免除審議委員会」において、労組専従者が労働組合運動を行うための有給時間(タイムオフ限度)を労働側委員を排除して強行決定した。警察と労働部職員を動員し、民主労総のみならず、与党ハンナラ党と政策協定を結んで労組法改悪に率先協力してきた韓国労総すら排除しての強行だった。1月1日未明に国会で強行採決された労組法付則で「法施行後、最初に施行される勤労時間免除限度を2010年4月30日までに審議・議決しなければならない」と明記したことさえ踏みにじっての暴挙だった。ここに追いつめられたイミョンバク政権の姿が見てとれる。
 決定の中身は、組合員50人
未満の労組は専従者0・5人、100人未満1人、1000人未満3人、5000人〜9999人で11人など組合員が増えるほど割合が減り、最大18人までというものだ。
 民主労総傘下の金属労組と金属労組に所属する起亜自動車支部、現代自動車支部、GM大宇自動車支部は5月4日、勤審委決定の無効と改悪労組法無力化闘争を宣言した。今回の勤審委決定に沿った場合、労組専従者を起亜車で19人、GM大宇車14人、現代車24人に減らさなければならないのだ。
 パクユギ金属労組委員長は、「勤審委の決定は一言で言って労組活動をするなということだ。闘争の触発剤になるだろう。標的は韓国労総の金融労組と民主労総の金属労組だ」と指摘し、「今年の賃上げ及び団体協約闘争では、この問題について『労使自立』原則に立脚して合意をかちとる」と宣言した。
 同日、韓国労総の金融労組は、韓国労総とハンナラ党の政策連帯破棄と韓国労総執行部の総辞職を要求し、要求が受け入れられなければ韓国労総から脱退すると宣言し、韓国労総本部で占拠座り込みに入った。

 □報道の自由を守れ!

 3月26日、黄海上の南北朝鮮の境界近くで韓国海軍の哨戒艦「天安」が沈没。4月24日に船体が引き揚げられ、5月20日に「北朝鮮の魚雷攻撃で沈没した」との調査結果を受けたイミョンバク大統領は情報公開を求める声を無視し、5月24日、「今後、韓国は北韓(北朝鮮)のいかなる挑発行為も容認せず、積極的抑止の原則を維持する」「韓国の領海、領空、領土が侵犯されれば即時、自衛権を発動する」との談話を発表した。こうしてイミョンバク政権は朝鮮有事をも演出しながら国内階級支配の危機をのりきろうと、労働弾圧、労組抹殺攻撃を激化させている。
しかし、この4〜5月、労組弾圧に真っ向から立ち向かう闘いが爆発した。それが、全国言論労組MBC本部の39日間のストライキであり、「われわれは労働者だ!」と波状的なストライキを続ける建設労組の闘いだ。
韓国第2の公営放送MBC(文化放送)は4月5日、イミョンバク政権の落下傘社長であるキムジェチョルの退陣を要求してストライキに突入した。4月27日までに業務復帰しろと迫る当局の最後通告に26日、イグネンMBC本部長は決死の無期限ハンストに入った。組合員たちは報道、編成、映美、技術など部門別に一斉に緊急総会を開き、怒りも新たに「最後まで闘おう!」「本部長一人を孤立させてはならない」と決起し、多数の同調ハンスト者も生まれた。
イグネン本部長は、「92年に初めてMBCでストライキ闘争に参加し、公正放送、政治権力からの独立、落下傘社長退陣闘争を闘って来ましたが、経験上、スト2〜3週になると現実論の浮上やさまざまな悩みが発生するのを見てきました。しかし、今回のストは時間が経つほど組合員が確信を持ち、ぜひ勝とうという信念が強まっています。驚くべき経験です」と語った。
5月3日には報道本部長を先頭に記者、カメラマン、映像編集部員など非組合員を含む252人が実名で社長・経営陣退陣声明を発した。4日には同調ハンスト者は60人に拡大した。組合員たちは「私たちの闘いは正当だ。私たちは孤立していない。私たちのスポンサーは国民だ」と燃え立った。
5月14日、MBC労組はストを一時中断し、現場闘争に転換した。イグネン執行部を再信任した組合員は現場に復帰し、闘いを続けている。

(写真 蔚山建設機械支部全面ストライキ闘争勝利のために闘う建設労働者【5月12日 蔚山】)

 □「われわれは労働者だ」

 4月26日、全国建設労組蔚山建設機械支部が無期限ストライキに突入した。
 キムナグク支部長は、「昨年10月からこの闘いを準備してきた。2月19日に蔚山市庁前に500人が集まって1日警告スト、3月には8出5退出闘争で8時間労働制が現場の大勢であることを確認し、一部では8時間の団体協約を結んだ。4月12日に全面ストライキ出征式を行い、26日からは全面的なストライキを続けてきた」と経過を語り、「今、蔚山のほとんどの現場で1日8時間標準賃貸借契約を締結し、履行している。しかし、大手の韓国土地住宅公社とKCCが拒否している。ここで8時間労働制を実現するのが、今回の闘いだ」と、語気を強めた。
 建設労組は4月28日にソウル市大学路のマロニエ公園で全面ストライキ上京闘争を闘った。1万2000人が集まり、イミョンバク政権による労組設立申告差し戻し、代表者変更申請差し戻しへの怒りを爆発させた。生コン労働者は2000年9月に全国建設運送労組として申告完了証を受け合法労組として活動してきた。ダンプ労働者も04年から建設運送労組に加盟して合法的に団体交渉をしてきた。建設運送労組は07年3月に全国建設労組に統合した。この時もなんら問題はなかったが、一昨年になって生コン、ダンプ、貨物車主を組合員から排除しなければ労組申告を受理できないと言い出したのだ。加えて、今年になって申告した建設労組代表者変更も差し戻された。
 労働部の労災死亡統計では09年に606人の建設労働者が亡くなっている。労働組合に団結して安全をかちとることは文字どおり労働者の命のかかった問題だ。
 労働者の名を奪われた「特殊雇用労働者の労働3権を保障せよ! 労災保険を全面適用せよ!」の闘いが続いている。5月交渉の結果いかんで6月は全面ストライキだ。

 □G20特別法が国会通過

 5月19日、11月に韓国で開かれる「G20首脳会議警護安全のための特別法」が国会で成立した。10月1日からG20が終わるまでの期間法だが、この間は警備責任者の恣意的な判断で集会デモが制限・禁止され、軍隊の出動も要請できる。「テロ対策」の名のもとに労働運動の鎮圧を狙う治安立法だ。
 朝鮮侵略戦争を狙う日米帝国主義とともにイミョンバク政権を打倒しよう!
 (室田順子)
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 G20を口実に移住労働者を摘発 移住労組とともに闘おう

 5月3日、韓国政府・法務部と労働部は、11月にソウルで開催される主要20カ国・地域(G20)首脳会議に向けて、法外滞在の外国人労働者、移住労働者に対する摘発・強制退去攻撃に打って出ている。法務部は6月1日から8月31日までを未登録移住労働者集中摘発期間と定め、警察庁もすでに5月2日から50日間にわたる「外国人犯罪」摘発を開始している。
 4月21日には出入国管理法改悪案が国会を通過し、廃止された外国人指紋押捺が復活、強化された。
 5月2日、平日では仕事が休めないため集まれない移住労働者たちのメーデーがソウル市大学路のマロニエ公園で開かれた。スローガンは「われわれは労働者、労働者は一つ」だ。
 5月14日、光化門政府総合庁舎前で移住労働者摘発を弾劾する記者会見に臨んだソウル京畿仁川移住労働者労働組合のミッシェル委員長は「人種差別主義を許さず、移住労働者の人権保障と労働権獲得に力を貸してほしい」と訴えた。
 ミッシェル委員長は5月9日、横浜市鶴見で開かれた全国入管集会に動労千葉の招きで参加し、次のようにアピールした。
 「資本主義・帝国主義が不当で抑圧的な現実をもたらしています。根本的な問題は登録・未登録を含めた移住労働者の数の多さではなく、移住労働者が祖国からの追放を余儀なくされ、生きていける場所を求めてさまよっているということです」
 「労働者が互いに競争しあうことは、私たちを敗北へと導いてしまいます。移住労働者とその国に暮らす労働者は敵対的ではなく、同志的な関係であるべきです。労働者は本来、人種や肌の色、宗教、ジェンダー、階層で分断されるのではなく、それを克服してともに事を成し遂げる存在なのです」
 「私たちのパワーは連帯の力です。国際連帯万歳!」

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月刊『国際労働運動』(407号2-2)(2010/07/01)

News&Reviw

 ■News & Review 中国

 世界大恐慌下の上海万博の延命策

 過熱するバブル経済、高まる労働者階級の怒り

 □中国スターリン主義の危機深める大イベント

 5月1日より開催されている上海万博は、異常なほどの高経済成長を遂げる中国スターリン主義にとってその延命をかけた一大イベントであると同時に、その危機を深める決定的な要因となっている。上海万博は、労働者階級の生活を破壊しその怒りを高めている。
 中国スターリン主義は上海万博を、自らを大国として押し出す一大イベントにしようとしている。危機をはらみながらも、日本を追いぬいてGNP世界第2位の経済大国となりつつある中国を、名実ともに帝国主義と世界に対して見せつける場にしようとしている。
 189カ国と57の国際機関が参加し、万博史上最大規模といわれているが、世界大恐慌の中で多くのパビリオンの建設が開会式に間に合わなかった。アメリカや日本などに加えて史上初めて北朝鮮もパビリオンを出しており、そうした国際政治を展開できるスターリン主義としての力を示そうとしている。そして万博開催期間中に中国スターリン主義は、積極的な「万博外交」を展開しようとしている。
 パビリオンを出しているアジアやアフリカ、南米の諸国の多くは中国との経済関係の深い国であり、レアメタルを中国が得ている国も多数ある。いうまでもなくレアメタルは、最先端産業にとって必要な鉱物であり、その国の最先端産業、ひいては経済の行方を決する問題となる。帝国主義諸国、そして中国の間でのレアメタルをめぐる熾烈な資源争奪戦が実際に今、目前で展開されている。
 中国がレアメタルを得る上で有利なのは、中国がスターリン主義であり、国有企業という形態で、国家と企業が一体化している(民営化された国有企業の多くも、実際は中国共産党幹部が経営しており、国家との一体化は本質的に変わらない)からだ。
 この仕組みは対外交渉に非常に有利である。帝国主義にも「ひもつき援助」というのがあるが、しかし国家と企業の関係は中国スターリン主義の国有企業ほどストレートではない。中国の国有企業が、レアメタルの採掘権を得ようとした場合、その見返りとしてその国に競技場を建てることなどが国家として容易に決定できる。
 中国は、多くの国で帝国主義に対抗してレアメタルの採掘権などを得てきた。スターリン主義としての本質的な独裁性・暴力性と国有企業の存在がこれを可能にした。上海万博は、中国の国際政治と国際経済での力を示す場となっている。
 しかし中国スターリン主義が、帝国主義との資源争奪戦に参入していることが、結局のところ中国が帝国主義の世界戦争に巻き込まれていく存在になっていくということである。したがって中国においては、今後一層軍拡が進展することは不可避だ。
 中国はすでに核武装国であるが、さらに核開発を推進し、空母や大陸間弾道弾など、帝国主義に対抗し、世界戦争でも勝てる軍事力を持つことを必死で追求している。そしてその中国の軍拡自身が、さらにアメリカをはじめとする帝国主義の対中国の重圧政治や軍事を展開させることとなり、ますます世界戦争への道に自らを追い込んでいかざるをえない。
 また一方でアメリカや日本、EUなど帝国主義にとって上海万博は、中国市場をめぐる激烈な争闘戦の場になっている。世界恐慌に突入する中で、帝国主義は中国市場を食い荒らすことで必死の延命を図ろうとしている。それぞれのパビリオンでの展示品などを通じて中国市場への各国の商品の売り込みが激しく進行している。これも中国スターリン主義の危機を深める要因になる。
(写真 【上】「移住労働者の摘発・追放を中断せよ」と抗議するソウル京畿仁川移住労働者労働組合(5月14日)
【下】「われわれは労働者、労働者は一つ」のスローガンのもと開かれた移住労働者のメーデー【5月2日 ソウル】)

 □不動産バブルの過熱と上海再開発計画

 上海万博は、経済的には上海でのバブルを過熱化させており、異常なまでの不動産価格の高騰を招いている。
 昨年、中国のテレビで上海を舞台にした『蝸居』(ウォチィ)という番組が放映され空前の視聴率をあげた。『蝸居』とは、「かたつむりの家」のことで、非常に狭い家を意味する。家のローンの支払いに苦労する上海の労働者の夫婦の姿を描いたものだ。このドラマが圧倒的な共感を得たのは、今のバブル経済の中で住宅問題で苦しむ労働者の気持ちを代弁していたからである。そしてこのドラマの舞台は上海だった。上海こそ中国最大の商業・経済都市であり、格差が拡大し、現在最もバブル経済が過熱している土地だからである。
 今年1〜3月の中国のGDPは前年度比プラス11・9%と、予測を超えた「高成長」となり、国内はもとより世界中からも不動産投機が行われている。上海万博の会場とされている地域は建設ラッシュであり、万博にあわせて市街全体の整備が進められている。上海万博の直接経済効果は1兆7000億円にのぼるといわれ、中国経済は浮揚し、バブル経済は今、頂点を極めている。
 実際に、今の上海の不動産価格は異常である。市中心部から約10`で、価格は2LDK(90平方b)で270万元(約3700万円)という家さえあるという。これは上海市民の平均年収の60倍以上に相当する。平均的な物件でも20倍以上。こんな家は、労働者には絶対に買えない。背景には、新自由主義的政策のもとでの格差の拡大がある。
 しかし問題はこれだけにとどまらない。上海万博は、国家権力が大した補償もしないまま多くの労働者の家を奪い、居住地から立ち退かせて、そこを会場にして開催されている。この会場は10月に上海万博が終了すると、中国館など一部の建物以外はすべて取り壊され、再び更地にされる。驚くべきことに万博開催中の今、この万博終了後の更地に建てられる予定のマンションの部屋がすでに売りに出されている。
 「国家的大イベント」とされる上海万博を口実にして労働者から家を奪いながら、中国共産党幹部と不動産屋が結びつき、恐るべき癒着と腐敗を生み出しながら、その奪った広大な土地で上海万博終了後の上海再開発計画が目論まれているのだ。そして同時にそれが万博終了後の住宅バブル継続の決め手にされようとしているのだ。
 バブルによる物価高の問題も含めて、上海万博によって労働者は徹底的にその生活を破壊されているのである。上海万博の掲げるスローガンである「より良い都市、より良い生活」は、実に皮肉なスローガンになり果てた。 
 かつてエンゲルスは『住宅問題』の中で、住宅問題はブルジョア的、あるいはプチブル的な社会改革によっては絶対に解決せず、労働者が革命によって権力を握る以外に解決しないことを主張した。
 「改革・開放」政策をとる中国スターリン主義の国内においても、新自由主義の嵐と格差の拡大の中で、この住宅問題が今労働者階級に生死を決する問題として襲いかかってきているのであり、中国においてもスターリン主義打倒を掲げた労働者階級による真の共産主義革命が求められている。
 しかも重要なことは、労働者を犠牲にした中国の「高成長」に依拠して初めて、現在の世界経済が維持されているという異常な状況である。だがバブル経済は、実体経済を伴わない投機による景気拡大である以上、必ずいつか崩壊する。
 今年2月に、「空売り」で名を馳せたウォール街の投機家であるジェームズ・チェイノスは「中国の不動産バブルがはじければ、その影響はドバイ・ショックの1000倍以上」と警告し、その理由として@過剰な投機資金が流れ込んでいるA昨年と同じ景気刺激策が今年もとられることはあり得ないこと、などを理由に挙げた。
 ブルジョアジーも投機家も、中国経済が危ういことをよく知っているのである。それを知っているからこそ、逆にバブルの続いている今、中国内外の投機家は中国株の「空売り」や不動産投機を進めようとしているのだ。最大のボロ儲けのチャンスなのだ。
 だが一部の投機家は大儲けするにせよ、中国バブル経済の崩壊は、「ドバイの100
0倍」となって世界を襲い、アメリカ経済・日本経済をも崩壊させ、世界大恐慌の本格的爆発となっていこうとしている。
 バブルのときには中国の労働者を無慈悲に追い立て、家を奪ったが、今度は大失業へたたき込み職を奪う。それは中国の労働者のやむにやまれぬ闘いの爆発を生み出していくだろう。スターリン主義や帝国主義資本に対抗する新たな労働運動が生み出されるのは不可避となる。
(写真 経済特区である上海浦東新区)

 □警備強化、ボランティア動員に高まる怒り

 こうした労働者の怒りの爆発を予感している中国スターリン主義は、上海に厳戒態勢をとっている。上海ではしょっちゅう労働争議やストライキが勃発し、住民も含めた政府や企業への抗議行動などもしばしば起きている。
 治安体制の強化は、大きく二つの面がある。一つは警備・検問の強化であり、もう一つは学生や労働者をボランティアに動員することだ。
 警察や軍隊が動員され、上海は警備が徹底的に強化されている。開会式当日(4月30日)には上海市だけからでも4万6000人の警察官が動員され、さらに武装警察部隊なども大量投入され、上海の金融街のほとんどが閉鎖された。会場の中を流れる黄浦江には65隻の警備艇が航行し、上海市南部にはなんと対空ミサイルまで配備された。労働者や諸民族の怒りの声や闘いを、力で圧殺しようとしている。
 検問はあちこちで行われ、ペットボトルや香水や化粧品の瓶などを持って地下鉄に乗ることはできない。この期間中、刃物は身分証明書がないと上海では買えない。会場1`周辺では、屋外に洗濯物を干すのも禁止された。警備体制の強化の結果、上海万博は逆に訪問客をさばけず、大混乱を生み出している。
 だがこういう直接の警備強化以上に労働者にとって問題なのは、「愛国万博」の名のもとでの労働者や学生のボランティア活動への動員である。開会式には治安対策ボランティアとして労働者・学生が86万人も動員された。学生の場合は、授業の一環であり、事実上拒否できない。労働組合からも、労働者は動員されていく。こうして学生や労働者が、「自主的」という形をとって、治安警備や会場でのさまざまな仕事に従事することになる。
 中国スターリン主義の労働者支配の要をなしているのは、一つは徹底した子どものころからの「愛国教育」であり、もう一つは労働組合を通じた労働者支配である。この「愛国教育」の中にボランティア活動があり、国家(スターリン主義権力)のために無償で自主的に尽くすことが思想的にも実践的にも要求される。動員されたボランティアは、その出身が労働者階級であったとしても、警備要員などとして労働者を監視し取り締まる仕事をするのである。労働者階級の団結を破壊し、分断させる攻撃なのだ。
 こうして中国スターリン主義は、上海万博や政府に抗議することなどそもそもできない状況をつくり、また抗議しようものなら動員されたボランティアによって弾圧する体制をつくろうとさえしている。これに労働組合(工会)も手を貸している。中国において労働組合は、スターリン主義体制そのものであり、その行政機関である。労働者の闘いを弾圧する機関なのである。

 □スターリン主義打倒の新たな労働運動を

 ここで問われている核心的な問題は、中国スターリン主義の「愛国教育」イデオロギーとの闘いであり、スターリン主義支配体制そのものの労働組合による労働者支配を打ち破る新たな労働者の闘いである。スターリン主義の暴力支配と対決し、スターリン主義打倒を掲げる新たな労働運動を中国の労働者がつくりだすことである。
 その爆発のためにも日本での国鉄決戦・安保・沖縄決戦の新たな闘いを爆発させることが求められている。
 (河原善之)

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月刊『国際労働運動』(407号2-3)(2010/07/01)

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 ■News & Review ヨーロッパ

 ギリシャ危機が世界を揺さぶる革命情勢

 ゼネストに連続決起する労働者階級

 ギリシャ危機が世界を揺さぶっている。5月21日、東京市場で日経平均株価は3日続落し 、一時9700円割れした。20日のニューヨーク株も376j安と急落し、今年最大の下げ幅を記録した。世界の株式市場の時価総額は4月中旬からの約1カ月で14%減少し、7兆j(約630兆円)目減りした。  ギリシャ危機が世界を揺さぶっている。5月21日、東京市場で日経平均株価は3日続落し 、一時9700円割れした。20日のニューヨーク株も376j安と急落し、今年最大の下げ幅を記録した。世界の株式市場の時価総額は4月中旬からの約1カ月で14%減少し、7兆j(約630兆円)目減りした。
 欧州では銀行間金利が急上昇している。金価格は1トロイオンス1250jに迫り、最高値を更新した。20日、ギリシャでは官民2大労組連合が政府の緊縮策に対してゼネスト。アテネで「(国は)泥棒」と叫びながら8万5千人がデモを闘っている。世界金融大恐慌が激化し、革命的情勢が急速に成熟している。
(図 世界の株式時価総額)

 □ギリシャ危機の原因は世界大恐慌だ

 ギリシャ危機が顕在化したのは昨年10月。総選挙で野党のギリシャ社会主義運動が右派・新民主主義党のカラマンリス首相に勝利し、パパンドレウ政権が誕生したことである。
 2009年のギリシャの財政赤字の見通しは当初3・7
%とみられていた。2008年の財政赤字は当初の対GDP比5%から7・7%に大幅修正され、2009年の見通しは12・7%と当初の3倍以上にも引き上げられた。本年年4月にEUからは13・6%の赤字になったと発表された。
 リーマンショック以来の金融危機の爆発で税収減と財政赤字が急増していたことが明らかになった。日本のマスコミは公務員が多いことが原因だなどとキャンペーンしたが、世界大恐慌こそがギリシャ危機の真の原因である。ギリシャの2大産業は観光と海運業であるが、この産業ほど大恐慌に影響されるものはない。
 格付け会社が相次いでギリシャ国債を格下げし、国債が暴落した。

 □賃下げ、増税、年金切り下げの財政再建策

 5月2日、ギリシャ政府はEUの勧告のもとに財政再建策を閣議決定した。
 財政赤字を今後3年間で300億ユーロ削減する。削減幅はGDPの11%の規模だ。財政赤字を09年の13%台から14年に2・6%にまで低下させる。
 @3月末に19%から21%になったばかりの付加価値税を21%→23%に引き上げる、A高級車や高額不動産などへの資産課税の税率引き上げ、B化石燃料やたばこ、アルコール飲料への課税強化、C全労働人口の25%を占める100万人の公務員の3年間の昇給や新規採用の凍結、賞与廃止、D年金給付年齢を現在の平均62歳から段階的に引き上げ、額も30%削減する。
 この財政政策を強行すれば、ギリシャは10年間はGDP成長がマイナスになるとされている。
 「すべて計画どおりに進むとしても、ギリシャ政府の債務残高は最高でGDPの150%に達し、金利の支払だけで年7・5%に上るとみられる……パパンドレウ首相は退陣し、次の政権はギリシャ国債に30%程度の『ヘアカット』(担保価値の引き下げ)を設定するだろう」と『ニューズウィーク』2010年5月19日付は予測している。
(図 主要国銀行の投融資残高【昨年末時点、億ドル】)

 □ギリシャ危機からPIIGS危機へ

 国際決済銀行(BIS)によると、昨年12月末時点での主要24カ国の金融機関によるPIIGS向け投融資残高は約3兆1800億j。このうちフランス・ドイツが半分を占める。その各国GDPに対する比率はフランスが3割強、ドイツが2割強である。
 4月下旬以降、米格付け会社は相次いでポルトガル、スペインの国債格付け引き下げや見直しの方針を発表した。
 欧州金融市場ではこれらの国債をどの銀行が多く持っているかで銀行間の相互不信が強まっている。金融機関のドル資金の調達コストを示すロンドン銀行間取引金利(LIBOR〔ライボー〕)が4月半ばから0・5%近くまで急上昇している。実際の取引はさらに高い0・8%前後だという。
 EUはGDPが日本の4倍、米国の1・2倍に達する世界最大の経済圏である。欧州危機は、世界各国の欧州への輸出に打撃を与える。中国の輸出全体に占めるEUの比率は25%。電機製品などを軸に米国を上回って最大の輸出先である。人民元を事実上ドルに固定しているため対ユーロで大きく上昇した。米国のEU向け輸出は全体の21%。日本は14%だ。

 □EUのギリシャ支援策

 EUやドイツを中心とするユーロ圏各国はギリシャに財政再建への自助努力を求めてきたが、具体的な支援策には踏み込まなかった。
 ドイツはギリシャ支援には否定的であった。IMFの支援の導入や、新たにユーロ離脱条項を設けるべきことを主張した。フランスとECB(欧州中央銀行)は、EU内のことはEU内で解決すべきと、ドイツと対立した。
 3月25日にユーロ圏16カ国は首脳会議でギリシャ支援の枠組みで合意した。支援表明に消極的であったドイツが、IMFの活用、2国間融資、16カ国の全会一致という条件をつけることで歩み寄った。ドイツは事実上の拒否権を確保した。
 4月11日、EUとIMFはギリシャに最大450億ユーロ(約5兆4000億円)の支援策を決めたが何の力にもならずにギリシャ国債は下落した。
 4月23日、ギリシャ政府はEUとIMFに、資金援助を要請した。信用不安が収まらず、国債の安定発行が不可能になったからだ。
 4月27日、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)はギリシャとポルトガルの長期債務格付けを相次いで引き下げた。ギリシャは3段階下げ、初めて投機的な水準にした。
 ギリシャ国債を投機的水準に格下げしたことは、債権回収率が3〜5割に止まることを意味する。債権放棄を迫られた場合、発行額の4分の1を保有するギリシャだけでなく、750億j(約7兆円)を保有するフランス、450億jを保有するドイツなど、欧州の金融機関は大きな打撃を受ける。
 5月2日、ギリシャ政府の300億ユーロの財政再建策の閣議決定を受けて、EUとIMFはギリシャに3年で1100億ユーロ(約14兆円)の支援を行うことを決定した。1999年の欧州単一通貨ユーロ発足後、ユーロ導入国への融資は初めて。ユーロの信用は大きく傷ついた。ギリシャ支援が呼び水となってユーロが動揺した。

 □ユーロ防衛へ最大89兆円の緊急融資枠

 「例外的な状況には例外的な措置が必要だ」(EU緊急財務相理事会の議長をつとめたスペインのサルガド財務相)。ギリシャに1100億ユーロの支援を決めた後にも「スペインには2800億ユーロ、ポルトガルには1000億ユーロが必要だ」といった憶測が流れた。9日午後から10時間以上に及んだ緊急会合でIMFと合わせて総額7500億ユーロの緊急支援策を打ち出した。支援国は特定せずに巨額な「見せ金」で市場安定を狙った。公的資金枠としては2008年のリーマン・ショック後のアメリカ(7000億j)に匹敵する。
 ECBのトリシェ総裁は10日、ユーロ圏諸国の中央銀行が国債の買い入れを始めたことを明らかにした。ECBの主導で欧州の中央銀行が国債の買い入れを実施するのもユーロ発足後初めて。中銀が購入しているのはギリシャ、スペインなど財政が厳しい各国の国債だ。欧州の一部の国債市場で、取引が事実上停止する恐れもあったという。
 5月18日、ドイツ政府は単独でユーロ圏諸国の国債や一部の金融株などの空売り禁止を発表した。メルケル首相は「通貨ユーロが危機に直面している」と議会で発言した。危機対応策がユーロ不信に拍車をかけ、ユーロ危機を促進した。

 □新自由主義と対決する階級的労働運動を

 EUには財政赤字をGDPの3%以内、国家債務を60%以内にするという安定成長協定がある。
 ユーロ圏の金融政策はECBに統一されているが、連邦国家でないために財政主権はECBにはない。こうした問題点を、安定成長協定がかろうじて是正する仕組みとなっている。1990年代初め、欧州共通通貨導入問題が、ドイツの憲法裁判所に提訴された。同裁判所は次のような判決を下した。通貨統合のためには、あらかじめ当事国が通貨安定協定を締結し、通貨統合後、加盟国がこの協定を順守することが条件である。この条件が満たされないようであれば、ドイツは通貨統合から離脱しなくてはいけないと。西ドイツ・マルクがユーロの基盤となった。今回ドイツがユーロ離脱条項を設けるべきことを主張したのは、安定成長協定を守れなければギリシャを離脱させてでもユーロの価値を守るべきだという意志の表明である。
 一方、再統一されたドイツが欧州の覇者となることを恐れ、欧州統合の中にドイツをしっかり組込もうとしてきたフランスにとっては、ユーロが多少下落しようとも、ドイツをEUに封じ込めることが課題であった。
 フランスとドイツの帝国主義国間の同盟を成り立たせた条件が、安定成長協定だともいえるが、大恐慌はこの条件を吹き飛ばした。むき出しの帝国主義間争闘戦・帝国主義戦争の時代になった。EUやユーロ圏の分裂・崩壊の危機が切迫している。
 「強いユーロが必要だ」(メルケル首相)、「EUを守れ」としてかけられてくる公務員削減・賃下げ・社会保障費の削減・増税などの財政再建攻撃に、プロレタリアートの階級的国際的団結で闘わなければならない。
 2009年の財政赤字はドイツ3・4%、フランス8・3%、ユーロ圏平均6・4%、EU平均6・9%とすべて安定成長協定違反である。ユーロの存立条件が失われているのだ。
 2009年のポルトガルとスペインの財政赤字のGDP比はそれぞれ、9・4%、11・2%であり、2013年までにEUが求める3%まで下げるのは容易ではない。
 ポルトガル政府は未契約公共事業の再検討、7万3000人の公務員削減と給与の凍結、付加価値税の1%引き上げ(21%に)、国営企業の売却と高額所得者への増税などを行う。スペイン政府は公務員の削減と給与の5%減、中央官庁職員給与15%削減、年金支給年齢の引き上げと公的機関の整理などで13年までに650億ユーロ(GDPの5%強)の削減と、7月に付加価値税率の引き上げをする予定である。
 ヨーロッパ各国で階級決戦が始まっている。選挙では、政権与党がどの国でも敗北している。3月のフランスの統一地方選挙で与党の国民運動連合(UMP)が完敗し社会党など左翼連合が54%を得て勝利した。3月のイタリアの統一地方選挙で与党派知事は13州のうち6人で過半数に届かず。5月6日の英国総選挙は与党の労働党が敗北。野党の保守党が第1党となったが得票率は36%で、第3党の自民党との連立政権となった。ドイツの5月9日のノルトライン・ウェストファーレン州議会選挙で与党キリスト教民主同盟(CDU)が惨敗し、各州政府代表で構成される連邦参議院(上院)でも過半数を失った。
 ギリシャの労働者階級は、「財政赤字の責任は労働者にはない」と、弾圧を打ち破り繰り返しゼネストを闘っている。帝国主義・EU・政府・資本・体制内労働組合と闘う労働者階級が登場しつつある。ギリシャは革命情勢である。反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命にこそ展望があるのだ。
 (常木新一)

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月刊『国際労働運動』(407号3-1)(2010/07/01)

(写真 インドの自動車部品工場のストライキ(【09年11月】)

特集

■特集 インドめぐり激化する争闘戦

 はじめに

 世界大恐慌は日ごとに深化している。世界経済は、ギリシャ危機からEU危機に発展し、まさに全世界を破壊しつくそうとしている。全世界の労働者人民が決起している。タクシン元首相派によるとされるタイ労働者人民の決起も、実はタクシンが進めた新自由主義の矛盾の爆発である。
 インドもこの間、新自由主義を推進してきたが、それは世界大恐慌の嵐の中で大破産し、必ず労働者階級の決起を呼び起こすものになる。
 第1章は、インドについては本誌では初めてであり、基礎知識についていくつかの点について述べている。
 第2章は、インド自動車産業に対する日米欧帝国主義間争闘戦の実態と、労働者の決起を見る。
 第3章は、インドの原発市場をめぐる米ロ仏の参入と攻防を描いた。さらにインドの核を認めるオバマの二重基準を弾劾している。

■第1章

 BRICsの一員インド――多様性に象徴される大国

 大恐慌の中で、インドは中国と並び7〜8%の経済成長をもって、中国やブラジルなどとあわせ世界恐慌の危機回避の救世主的役割を帝国主義から期待されている。
 しかし最末期帝国主義・新自由主義の破産である世界大恐慌の爆発は、資本主義の最後的破産である。さらに帝国主義経済の一角に身を置いた中国スターリン主義経済は、矛盾と危機を深めている。
 インドは世界大恐慌下で、3度にわたる財政拡大政策をとり、経済成長路線を取ってきた。09年度の経済成長は7%という伸びを見せた。10年度の経済成長の見通しも8%を超えると見られている。
 しかし、ここにきて国内の物価上昇が10%に迫り、国民の怒りも高まっている。最大野党のインド人民党(BJP)は、物価上昇反対を掲げた反政府デモを始めている。
 こうした中で、政府は金融引き締め政策への転換を余儀なくされている。金利引き上げは、インドの経済成長が、物価上昇と財政危機の壁という問題を抱えていることを示した。生き残りをかけた帝国主義資本がインドへインドへと流入し、激しい争闘戦を繰り広げている。また海外の機関投資家によるインド株購入というマネー流入も始まり、3月の海外買越額は43億7191万ルピー(約4100億円)となった。
 IT産業に続く、こうしたインド製造業への資本投下は、明らかにインド経済の成長を促すものではある。だがそれは、世界大恐慌の荒波の中で、破綻を拡大するものとなることは明らかだ。
 まず最初にインドの基礎的認識についていくつか確認することから始めたい。

 民族と文化、言語・宗教

  インドは、周知のように、西はパキスタン、北は中国、ネパール、ブータンと、東はビルマ、バングラディシュと国境を接する南アジアの大国である。中国に次ぐ人口11億の国家として世界に知られているが、その特徴は何よりも、「混沌」とも言われるほどの多様性、多彩性、弾力性という言葉で表現される。  インドの民族は、大きくは北部のインド・アーリア語族と南部のドラヴィダ語族の二つに分けられる。しかし実際には長い歴史の中で混じり合って、800を超える言語と同じだけの多くの民族・文化をもって構成されている。  インドは、周知のように、西はパキスタン、北は中国、ネパール、ブータンと、東はビルマ、バングラディシュと国境を接する南アジアの大国である。中国に次ぐ人口11億の国家として世界に知られているが、その特徴は何よりも、「混沌」とも言われるほどの多様性、多彩性、弾力性という言葉で表現される。  インドの民族は、大きくは北部のインド・アーリア語族と南部のドラヴィダ語族の二つに分けられる。しかし実際には長い歴史の中で混じり合って、800を超える言語と同じだけの多くの民族・文化をもって構成されている。
 紀元前1500〜1000年頃、それまでのドラヴィダ系原住民の土地に中央アジアからアーリア人が侵入し、ガンジス川流域にまで入って定住した。言語としては北部はこのインド・アーリア系民族の言語であったサンスクリット語から派生したヒンディー語、ベンガル語、パンジャブ語などがある。〔サンスクリット語は、ラテン語、ギリシア語と姉妹で、ラテン語から英語、フランス語などが派生したのでヒンディー語は英語と親戚である〕
 現在の南部地方は原住民のドラヴィタ語族系(タミール語など)である。サンスクリット系言語とドラヴィタ系言語とは全く違う言語で、共通の単語もなければ文法も全く異なる。単なる方言ということではなく、全く別な言語である。さらに東部のアッサム州はアーリア系言語でありながら、文化的には中国・モンゴル系を基礎とした文化に特徴がある。
 インドには公用語というものはない。共通語のヒンディー語と準共通語の英語が存在しているが、国語としてヒンディー語など主な言語は22あり、国家として22の国語は同じように尊重され、インドのルピー紙幣はこれらの国語で分かるよう印刷されており、国家の通達も22の国語で出される。いわば22カ国が、インド国内に存在しているのだ。
 また教育制度は一般的には9・2・3制だが、必ずしも法律が守られてはいない。識字率は国民全体で65%と低い(男子76%、女子54% 2001年)。貧富の格差は激しく、学校に行けない子どもたちの対極で、かつてのマハラジャ(藩王)など極端な富裕層が存在している。
 宗教はインドで最大宗派としてのヒンドゥー教を軸に、イスラム教、シーク教、ジャイナ教、仏教、キリスト教、ゾロアスター教、ユダヤ教さらには部族固有の土着宗教などの多宗教国家である。
(写真 インドの紙幣には表にヒンディー語と英語、裏にその他の15言語での金額が表示されている。写真は500ルピー)

 カースト制

 インドといえば、古くからの身分制度としてのカースト(ポルトガル語で「血統」の意)制度が頭に浮かぶと思われる。このカースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度で「バラモン(僧侶階級)、クシャトリア(王侯・戦士階級)、ヴァイシャ(農民・商人階級)、シュードラ(隷属民)」の四姓(ヴァルナ)と、その外におかれた最下層の階級とされる「不可触民(指定カースト)=ダリット」を指すと言われているが、実際のカースト制は、ずっと複雑・多岐である。カースト制は四姓だけでなくそのもとに全国に総計3000以上存在する職業を単位とした内婚集団(=ジャーティー)を指すからだ。ジャーティーは「生まれ」というサンスクリット語で、職業の世襲に宗教的意味をもたせている。自分の職分を果たすと同時にほかの職分には手を出さない形で維持されてきた。カースト制は世襲のこの職分制に上下関係、貴賎関係を持たせたものである。特にイギリスの植民地統治で、この職分制を上下関係として再編、固定化して分断統治の手段としたことが大きく働いている。
 インド憲法では、このカーストは禁止している。しかし宗教的拘束として、あるいは支配社会の中で相手を規定する意味で今も使われており、特に農村部では強い。
 今日では新たな職業の多元化、地方から都市への人口集中、就業機会の拡大などで、世襲職業と実際の職業が一致しない例が一般化していて、従来カーストで阻まれていた壁が取り払われてきている。前インド大統領も指定カースト出身だったし、現国会議長も指定カースト出身である。

 政治体制

 インド政治の課題は、イギリスから独立した1947年以降、常に貧困と失業、過密な人口問題の解消が掲げられてきたが、現在でもそれらはいっこうに解決されていない。
 インドの政治体制は、象徴的存在の大統領の下での議院内閣制である。インドは「世界最大の民主主義国家」とよく言われている。これはインドには選挙で有権者・約6億7000万人(04年時点)が、直接投票で議員を選出する制度を基礎とした統治制度があることを根拠としている。実際に権力の交替が、東南アジアなどによくある軍部のクーデターによって行われたということが一度もない。
 独立以来の民主主義的精神が根付いていて、国民の権利がしっかり保証され、労働者の権利意識も高く、解雇は簡単にできないとされてきた。 1947年8月の独立後の30年間、国民会議派による政権掌握が続いたが、1977年3月に野党が大同団結しジャナタ党(人民党)・デサイ内閣のときに会議派は野党に転落した。その後、会議派と非会議派との間で何度か政権交代を繰り返し、2004年にインド人民党(BJP)政権から会議派が連立政権で権力を回復、現在は昨年5月の総選挙で圧倒的勝利をかちとった国民会議派を軸とした統一進歩連合(UPA)が政権を維持し、マンモハン・シン首相が政権を継続している。
 UPAは、国民会議派のほか、民族人民党、ダラビタ進歩同盟、民族主義会議派、労働者党などいくつもの政党が加わっており、インド共産党(左派)などのいわゆる左翼政党も閣外協力をしている。現在の最大野党は04年まで6年間政権についていたインド人民党(BJP)である。この政党はヒンドゥーナショナリズムを掲げた政党である。
 対外的には、インドは対中国問題、また何よりもパキスタンとのカシミール領有をめぐる領土問題を抱えている。ムンバイ(旧ボンベイ)でのテロ事件は記憶に新しい。カシミール問題が根底にあるが、パキスタンとインドの関係改善が、パキスタン軍のアフガニスタン国境への集中となることへのクサビとして爆発したとされている。
 核問題も、米との間で原子力協定が結ばれ、米帝は核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドの核を例外として認めている。原発市場をめぐっては米、ロ、仏を中心に帝国主義間、大国間で激しく争われている。

 人口と産業

 人口は、06年時点で、約11億人で2000年に10億人を
突破して以降、毎年2000
万人規模で増えている。人口構成が若く、25歳以下が5・5億人で人口の約50%を占めている。これが経済の生産力人口となるわけで経済成長−活性化が期待される大きな背景をなしている。現在、中国の13億人に次ぐ世界第2位にあるが、国連の「世界人口予測」によれば、2035年には中国を抜き世界第1位になると予測されている。
 有名都市としては首都ニューデリー、最大の商業都市ムンバイ(旧ボンベイ)、東部のコルカタ(旧カルカッタ)、南部のチェンナイ(旧マドラス)、そして最大のIT産業中心地バンガロールなどが挙げられる。
 インド11億人のうち農村人口は7割(7億人以上)、都市人口が3割である。全就業人口は4・2億人で、うち農業従事者は2・5億人(約6割)である。
 産業別の04年のGDP比は、農水産業22%、鉱工業26%、サービス・第三次産業が5割以上となっている。
 インドの国民総生産は、07年1兆1768億jで、日本の4分の1であり、1人あたりでは1046j(07年)と低い(ちなみに日本人は1人あたり3万4313j、中国は2432ドルでインドの2倍)。
 貧富の格差が大きく、最近では経済の成長にともなっていわゆる中間層が急激に増えつつある。7割の貧困層と、3割の中上級層の存在と言われていて、3割としてもそれだけで3・3億人が上中間層に当たることになる。日本の総人口の2倍以上であり、これを目指した自動車や家電産業がインドに流入している。独立後、政府主導で進められた経済政策は、公共部門拡大を優先した産業許認可制度に基づく重工業化政策であった。それは民間部門への広範な経済統制、経済自立重視の閉鎖的な対外政策となった。
 1950年代〜65年半ばまで産業基盤形成に力を注いだ結果、工業部門は順調に拡大する一方、他方で農業部門の脆弱性が露呈した。
 65年以降、農業出資が強化され、国際競争から外れたインド工業は長期の停滞に陥る。世界経済におけるインドの工業生産の地位は低下した。ただし、閉鎖的で統制主義的な経済運営は、農業重視の姿勢の下で「緑の革命」が着実に進展し、80年代を迎えるころには、インドはそれまで輸入していたコメ、小麦などの穀物自給が達成されることとなった。食料の自足体制の確立はその後の経済発展にとって大きな土台となった。
 80年代、この穀物自給の土台の下で、許認可制度廃止、生産性向上、規制緩和、生産拡大などが求められるようになった。そして91年、インドの経済危機を転機に、インドは、市場開放政策へと大きく転換することとなる。
 特にIT産業
  インドの主要産業と言えばかつてはジュートや綿工業が有名であったが、今はITと製薬、映画産業が世界的に有名になっている。   インドの主要産業と言えばかつてはジュートや綿工業が有名であったが、今はITと製薬、映画産業が世界的に有名になっている。
 特にIT産業が急速に成長している。インド教育では小さい時から数字に強いことや、英語が準共通語であることが強みだとされている。何よりもIT産業での競争力の源泉として、「高品質」、低賃金労働者の存在がある。国際的な賃金の比較でいえば、インドは中国の3分の1であり、フィリピンよりも安い。
 特にITでの人材は充実していて、インド工科大学(IIT)、インド科学大学院大学(IISc)などをはじめ全インドの技術系大学から毎年12万人を超えるエンジニアが輩出されている。
 もう一つ、カースト制度が三次産業の発達の背後の動力となっているということがある。IT関連の職業にカーストでの世襲制はそもそも存在していないからである。

■第2章

 自動車産業に食い込む日米――ホンダ労働者のストライキ

 1991年、湾岸戦争での原油価格の暴騰などでインドの外貨準備は急減し、インド経済危機が高まると預金の海外逃避なども重なって、支払われるべき対外債務が支払えない「国家債務不履行」(デフォルト)ともいうべきインド独立以来の最大の経済危機に陥った。
 折しもソ連スターリン主義の崩壊という政治的転換点が重なり、また改革開放の中国経済の「成功」が背景に存在していた。国民会議派が選挙で勝利すると、これを機に規制緩和、外資導入策などの「新経済政策」へと大転換することとなった。これは中国における1978年の「改革開放政策」への転換にも比するインド経済の大転換であった。これを打ち出したのが、当時のインド国民会議派ナラシム・ラオ政権で財務大臣として経済を取り仕切っていた、現首相のマンモハン・シンである。
 その主要な政策は
・産業許認可制度、輸入許認可制度の事実上の撤廃
・公的部門独占事業の民間への開放
・輸出補助金の撤廃
・平均関税率の大幅引き下げ
・外資出資制限の緩和
などである。
 独立以来、90年代初めに至るまで、国家規制と計画経済的な手法で進められてきたインド経済政策は、ここに劇的転換を行った。

 インド自動車産業

  1993年、自動車産業でも外国企業の出資比率制限が緩和された。そしてこれを契機に外国資本による自動車生産が大きく始まることとなった。インドが巨大な国内市場を抱えているほか、人件費が中国に比べて3割程と安く、鉄鉱石などの資源も豊富なことが背景にある。
 何よりも、米、日、欧の先進諸国での自動車生産と販売は限界を迎えており、中国市場とともに成長を続けているインドは、資本全体に決定的に注目されることとなったのだ。
  自動車産業で言えば、スズキは1982年に進出していたが、94年の外資制限緩和の年に、ダイムラー・クライスラー(ドイツ)、GM(米)、大宇(韓国=2000年に経営破綻してGMに吸収)、95年にホンダ(日)、フォード(米)、96年には現代(韓国)、97年トヨタ(日)、フィアット(イタリア)と日・米・EUの代表的な自動車各社が相次いで参入した。   自動車産業で言えば、スズキは1982年に進出していたが、94年の外資制限緩和の年に、ダイムラー・クライスラー(ドイツ)、GM(米)、大宇(韓国=2000年に経営破綻してGMに吸収)、95年にホンダ(日)、フォード(米)、96年には現代(韓国)、97年トヨタ(日)、フィアット(イタリア)と日・米・EUの代表的な自動車各社が相次いで参入した。
 そして2010年には出遅れていた日産・ルノー(日仏)も操業を開始した。
 インドでは乗用車市場の約6割が、排気量1200CC未満の小型車。売れ筋の価格帯は30万〜45万ルピー(約60万〜90万円)で、ここでの需要拡大が見込まれている。そこへインド・タタ自動車が約20万円の「ナノ」を売り出した。これは2輪車人口を乗用車人口へと買い替えさせる価格設定で、これを機にさらに販売競争も激化している。
 インドの乗用車販売でのシェアを見てみると、1位がシェア50%弱と約半分に迫る最大手のマルチ・スズキ(日本のスズキの子会社)で、ダントツのトップである。続いて韓国の現代自動車の16・5%、3位と4位がインドのタタ自動車(14・1%)とマヒンドラ・アンド・マヒンドラ(8%)と続いている。5位は米GMで3・9%、5〜6位が日本のトヨタとホンダの各3・2%となっている。
 日産はインドでは立ち遅れたが、今年初めてルノー・日産の工場を稼働させ、新たな小型自動車販売競争に突入した。まさにインド市場をめぐる自動車産業による生き残りをかけた争闘戦が繰り広げられている。

 自動車生産台数

 インドの自動車生産台数は、世界1位となった中国の1000万台と比べると年間250万台で、その4分の1であるが、中間層の増大の中で「数年で600万台となる」伸びが見込まれ、その獲得をめぐって激しい生産=販売競争が繰り広げられている。
 このうちスズキは2010年総出荷台数(輸出を含む)は、約102万台(前期比29
%増)で1社で100万台を突破したのはインドで初めてである。これはスズキとしても過去最多である。その販売内訳は全体の9割弱の87万台(前年同期比21%増)がインド国内で占めている。都市部と農村部の双方で「スイフト」など小型乗用車が大きく伸びた。
 マルチ・スズキは、小型ハッチバック車で17万〜22万ルピー(約34万〜44万円)という低価格車を武器としている。スズキのニューデリー近郊の主力グリガオン工場では、2010年半ばまでに設備増強するだけでなく、09年100万台販売の突破を受けて、年間生産能力を125万台に拡大する設備投資を決定した。現在30万台の生産能力をもつマネサール工場(ハリヤナ州)の敷地内に2012年稼働を目指して年産25万台増強して55万台を生産するため新工場を建設する。
 販売をめぐっても販売店数の拡大競争が激烈で、スズキは販売店の1000店体制(今より3割増)を目指している。
 さらに輸出にも力を入れ、08年末から欧州向けにインドから輸出を開始した。08年度のスズキの輸出台数は約7万台だったが、09年度は15万台で倍となっている。
 インド2位の韓国・現代自動車は08年からチェンナイ(旧マドラス)の第2工場を稼働させ、09年は生産台数の約半分にあたる27万台を輸出した。
 ホンダも小型車を開発中で、5人乗り、50万ルピー(約100万円)を下回る価格での販売を目指している。これを11年にインドに投入するほか、タイでも生産・販売する計画である。これまで新日本製鉄などの鋼板を使用していたが、この車の価格を抑えるために日本製より2〜3割安い現地鉄鋼メーカー・タタ製鉄から鋼板を調達することになっている。また部材の現地調達を8割以上に引き上げる。これまでの現地調達率は7割。
 トヨタ自動車は、バンガロールに第二工場を建設中で、ここで排気量1200CC級の小型車「エティオス」を2010年末に生産を開始し、11年から販売する計画である。年間7万台を目指す。ハッチバックを100万円を切る価格で販売する。ここでも低価格化のため、トヨタも現地製鋼板の使用を決定した。現在のトヨタのインド国内でのシェアは3%だが、「2010年代半ばには、シェア10%を確保する」目標を立てている。販売店数も今の5割強化し、150店体制とする。トヨタはまたインドを小型低価格車の輸出拠点としても位置づけており、12年から小型車の輸出を始める方針である。
 米GMは、33万4千ルピー(約67万円)の小型車「ビート」の発売を発表し、インドでの販売競争を強化している。
 ドイツVWも、インドでの販売実績はほとんどない中で、小型車「ボロ」の新型車を公開し、「今後4〜6年間で販売シェアの8〜10%にする」という。

 インドを世界の小型車輸出の戦略拠点化

  インドを小型乗用車の世界の輸出生産拠点とする動きも進んでいる。この海外戦略を展開している典型的な例は、上記した日産と仏ルノーとの合弁会社が運営する、南部チェンナイ郊外に完成した年20万台の自動車生産工場である。
 すでに述べたようにインドでは、スズキ、ホンダ、トヨタが現地拠点を構えており、日産は「後発組」である。だがこの工場が他社と決定的に違う点は、初めからインドからの輸出に軸足を置いていることである。
 新たなインド工場は、その5〜7割を欧州、中東、アフリカなど100カ国への輸出向けに計画している。新興国中心にした日産の小型車戦略では、中国市場への中国工場、日本や東南アジア、豪州向けにはタイ工場(日本の小型車生産・横須賀市追浜工場の生産中止)、南米に対してはメキシコの生産工場、そして中東と欧州、アフリカ向けがインド工場として位置づけられている。インドをこうした小型車の輸出拠点とする自動車業界の動きはトヨタなどでも加速している。
 こうして、自動車産業全体が、世界戦略としてインドを生産拠点とすることを目指すようになっている。インドからの乗用車輸出台数は09年前年同期比で34%増えている。 2010年からASEANとインドの自由貿易協定が発動し、相互の関税のゼロ化によって、ASEANとインド間の経済の一体化、生産工場や部品調達の一体化が進むことは明らかで、この地域全体を一つの生産圏として構えた企業進出が始まっている。
(写真 10万ルピー車「ナノ」)

 部品関連企業の進出

 こうした自動車生産に伴う関連部品のインド現地の調達体制も強化されている。部品の水準アップをはかって現地調達することで価格を低く抑えるのである。こうした現地調達を見越して、鋼板、タイヤ、その他自動車関連部品を日本企業が現地会社との合併工場を建設して供給する態勢作りが始まっている。そのために指導者を送り込んでいる。
 例えば、鋼板に関しては、新日鉄はインドのタタ製鉄と提携、またJFEスチールが別のインド鉄鋼大手JSWスチールと提携し、自動車向け鋼板取引を確保しようとしている。
 タイヤでは、ブリジストンが、インドで約500億円をかけて2工場目となる新工場を建設中で、現地生産能力を今の約8割伸ばす計画をもっている。フランス・ミシュランもバス・トラックのタイヤ製造工場建設に入った。投資額は400億ルピー(200億円)で、現地で1500人の従業員を雇う。
  こうして、インドの自動車生産の拡大とそれを見越した関連部品や材料調達に向けた体制がインドで作られている。中国が「世界の工場」となった先例を見据え、各社が立ち遅れまいと必死で生き残るための投資拡大に走っている。   こうして、インドの自動車生産の拡大とそれを見越した関連部品や材料調達に向けた体制がインドで作られている。中国が「世界の工場」となった先例を見据え、各社が立ち遅れまいと必死で生き残るための投資拡大に走っている。

 ホンダ2輪のストライキ

 インドでは00年にスズキで、01年にトヨタで労働者が、長期のストライキに決起した。ここでは日本でも報じられた05年のホンダ2輪工場での労働者の闘いを挙げておきたい。
 2輪車製造のホンダのインド子会社「ホンダ・モーターサイクル&スクーター・インド(HMSI)」(デリーの郊外ハリヤーナー州グルガオン)は、09年9月、関連部品会社がストライキに入ったことから、自動変速機の部品供給が追いつかず、バイクやスクーターの月産10万台の生産ラインを5万台に減少することが余儀なくされた。関連部品会社の争議が直ちに本社の月産ラインを50%台にしてしまう事態が月を超えて続いた。インドへの外資参入は、労働者の決起ですぐにでも止めることができることが示された。
 HMSI自身も、向こう3年間の長期賃金交渉を進めていたが、05年の時のような大争議に今回はなっていない。労働者は、平均年齢28歳で1500人。賃金は、月2万
5000ルピー(約4万77
50円)で、給与は以前と比べ倍以上になっている。
 HMSIでの、05年の大規模労働争議は、最後は数日にわたって従業員が警官隊と衝突し、多数負傷するという大闘争となり、インド国会でも問題となった。
 HMSIは1994年に外資規制が撤廃されてから本田技研が建てた資本100%の2輪子会社で、いわば新しい会社である。ホンダはインド業界トップのヒーロー・ホンダとスクーター会社カイネティック・ホンダ、このHMSIと合わせて、2輪車のインド国内シェア50%以上を占めている。ヒーロー・ホンダは規制があった当時、現地会社との合併で出発した会社である。
 インドの自動2輪車市場は、経済の自由化政策の下で急成長を遂げてきた。HMSIは特にスクーター市場で、04年に占有率が5割というトップの位置を獲得している。05年段階での従業員は現在の倍の約3000人だった。

 05年のストライキ

 HMSIの日本人経営者が、インド人従業員を平手打ちした(蹴った)ことが争議に発展する契機となった。それまでHMSIに労働組合はなく、労使10人ずつの労使協議会で問題を処理してきた。
 しかしこの事件を機に組合の結成へと進み始めた。05年2月、全インド労働組合会議に加盟する組合設立の申請がなされ、5月末に登録された。HMSIは、組合登録される前にリーダー4名の解雇、それに同調した従業員50名を出勤停止処分とした。これに怒った従業員の一部(=組合員)がストライキに立ち上がった。
 この闘いで、HMSIは、
1日2000台の生産が40
0台に激減した。経営者はさらに1000人の従業員を休職させ、代わりに契約社員を導入して1日1000台を回復した。労働者を勝手気ままにすげかえる資本の論理そのものだ。
 しかしこの措置で闘争はさらに発展し、ヒーロー・ホンダと比べて賃金が低いことへの改善をも求め、解雇撤回、労働条件改善、賃上げという要求を掲げた闘いとなった。実際、ヒーロー・ホンダの平均賃金はHMSIの2倍以上だった。経営側は「ヒーロー・ホンダと同じ額を要求しているが、ヒーローは古い会社で従業員の年齢が高いせいだ」などと要求を拒否した。
 闘いは激化し、労働者による社長の拘束も含む交渉へと発展。会社側報道機関は「一部の従業員が外部勢力に惑わされ、無規律と不服従の行動を始めた」「彼らは勤勉な従業員を惑わし、生産の減退を生じさせている」などとキャンペーンした。
 しかも会社は許せないことに新たに従業員を公然と募集し始めた。そして6月27日には、工場をロックアウトして「生産を阻害しない」「会社に従う」という「善行」署名した従業員のみを職場復帰させた。分断と屈服を強制して乗り切ろうとした。経営側はこのときまでに1900人に出勤停止を命じていた。(従業員の3分の2)。
 組合側はこれに従わず、就業闘争を続行した。工場前は処分撤回と労働条件の改善、賃上げを求める闘いの場となった。スクーター生産は、再び1日2000台の予定が、約250台に落ち込んだ。6月1カ月でHMSIの損失は10億ルピー(約20億円)となった。
 7月に入って、公的労働機関が介入して話し合いが行われ、従業員400人の職場復帰を認めることで一時ストライキは収束するかに見えた。しかし会社側は復帰者数を100人に減らすと言い出し、4人の解雇と50人の停職の撤回も拒否した。闘いはすでに争議開始〜組合結成をめぐって半年以上に及んでいた。

 警官隊との激突

 7月25日のグルガオン市街での警官隊との激突はこうした中で起こった。
 組合はこの日、従業員10
00人で工場から離れたクルガオン市街地で集会とデモで抗議を行っていた。警官隊はこのデモ隊に対し殴打などの暴力を働き、それに対して投石、車両への放火として事態が進展した。
 この衝突は数日続き、合わせて700人が負傷した。(内務大臣の国会報告では、逮捕者61人、負傷者は従業員92人、警官35人)。
 数日にわたる激突は、自動車産業が多いこの地域でそれが広がることを恐れた州と政府が介入し、政治解決の運びとなった。
 グルガオンは2輪車だけでなく、マルチ・スズキなどの自動車生産工場もあり、その関連部品メーカー多数が存在している。警察や政治家が介入して必死でこの鎮圧に入った。この地域でこうした闘いが起きることを国や資本としては避けなければならなかったのだ。
 7月29日、州知事同席の下で、経営側と労組代表が合意を取り交わした。しかしその内容は、
・4名の解雇者とそのほかの停職者の職場復帰を認める
・従業員は「善行」の約束の署名をして、1年間も賃上げを断念する
・5〜6月の未払賃金を支払う(ただし6月27日から7月29日までは除く)
・逮捕された者はこの条件に含まれない
というもので、「部分的勝利」(組合)というだけのものだった。
 ここには外資の勝手な労働者支配、植民地支配を彷彿とさせる蔑視があり、その上、外資の企業間の賃金格差が大きいこと、正規と契約社員(非正規)の賃金格差や労働条件の違い、不安定雇用という大きい問題が横たわっている。
 これは、新自由主義の世界的拡大の中で資本によって普遍的に引き起こされている問題である。インドでは特に自分がどう評価されているのかをカースト制の下で極めて敏感に感じ、賃金問題は直ちに扱いを巡る怒りに直結し、団結する。労働者同士を分断し、競争させ、資本の思いのまま使い捨てようという資本の意図がインド労働者の決起で粉砕されたのである。
 実際、インドでの自動車各社、部品メーカーの賃金を比べると、当時ヒーロー・ホンダの2万ルピー(約4万円)に対し、その他の企業は1万ルピー(約2万円)以下であった。契約社員(臨時工)に至っては3000〜5000ルピー(約6000円〜1万円)で、その後の雇用の保障はなく、会社の都合で工場内を移動させられるなど労働条件も悪いものである。
 この年(05年)、グルガオンでの労働争議はHMSIの件もあって多発していた。「われわれはかつてこのような問題(ストライキの多発)に直面したことはなかった」(自動車部品連合団体)という状態だった。
 インドでの労働争議は、一般的に解決が難しく外国資本にとって大きな障壁となっていると言われている。反動的なことに、労働者の権利を保障しているインドの労働法制の改正(=改悪)が、これを機に政府によって検討されている。
 しかし、本質は法制度で解決できるような問題ではない。資本のあくなき利潤獲得要求が、インドの低賃金労働力市場を食い物にしようということの矛盾であり、労働者にとって生きることをかけた非和解的決起であるからだ。
 05年のホンダをめぐる大争議の爆発は、国、州、既成組合指導部によってひとまず押さえこまれたが、労働者が納得している訳ではない。
 帝国主義資本のインド流入の中で、とりわけ日本資本に対してこのインド労働者の怒りのマグマが今後必ず爆発することは明らかだ。資本の国際的広がりは労働運動の国際的爆発を不可避とさせるのだ。

■第3章

 原発市場に米ロ仏参入――インドの核を認めるオバマ

 インド政府は、2020年までに、電力発電に占める原発の割合を26%に引き上げる計画を立て、20基以上の建設を計画している。インドの原発市場は、1500億j(約13兆円)と見込まれている。
 このインドの原発市場をめぐって、アメリカのほかフランスやロシアが、またウラン供給をめぐってはカザフスタンが、インドとの原子力協定を結んでいる。インドへの原発輸出には原子力協定の締結が前提であり、日本も参入意志を示して、激しく動いている。

 インド核実験めぐる動き

 インドは、民生用の研究目的と称してカナダから小型原子炉を購入してプルトニウムを作り、それを使って1974年に初の核実験を行った。
 当時の米大統領ニクソンは、核不拡散のための新しい国際的な枠組みを作った。「核拡散防止条約(NPT/1970年発効)」である。
 核保有を米・英・仏・中・ソ連(当時)の5カ国が独占することを認め、核兵器を持たない国家に国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れるという条件を科して、核の平和利用(民生用)を認めるとしたものだ。5カ国による核兵器の独占を維持するための条約となった。しかもその核不拡散のために「原子力供給国グループ」(NSG=日本を含む45カ国/1975年結成)まで設けて原子力関連技術の国際的管理・輸出規制を行ったのであった。
 インドは1974年に続き、さらに1998年5月に再度の核実験を行った。この直後、パキスタンも核実験を行った。
 インドは、NPTに加入せず、包括的核実験禁止条約(CTBT)にも加わらず、独自に核開発を進めてきた。この30年以上、アメリカはインドへの原子力協力を禁止してきた。
 しかし1991年のインドの市場開放政策への転換と経済成長が生み出したインド市場への参入を狙って、アメリカはインドとの関係改善に動き始めた。00年3月のクリントン米大統領の訪印(インド国会で関係改善を演説)と9月のインド・バジパイ首相(当時)訪米という首脳相互訪問が行われた。
 もうひとつ、転換を促したものが、01年9・11のアメリカ・ニューヨークでのゲリラ戦闘である。米ブッシュ大統領(当時)はこの事態に対し「テロとの戦争」を打ち出し、インドがこれを支持した。これを機にインドへの経済制裁の解除が行われた。
 さらにブッシュ前大統領は05年7月、インドへの核政策での従来の立場を決定的に転換した。米印原子力協定の締結、インドの原発市場参入へと大きく動き始めた。そして08年にはこの協定を議会の上下院で批准した。またその発動のために、「原子力供給グループ」にも強力に働きかけ、米印原子力協定に関してインドをNPTの例外扱いすることを08年9月6日に最終的に容認させた。08年10月10日、米帝ブッシュ大統領(当時)とインドのシン首相の間で原子力協定が署名調印され、発効した。
 08年の米印原子力協定を機に、インドへのこれまでの核燃料・核技術の禁輸措置は解除された(インドは、すでに70発前後の核弾頭をもっていると言われている)。
 インドは、それまで自国埋蔵のウランを核兵器と原発に振り分ける形で使用してきた。しかしエネルギー需要の増大で、ウランが枯渇しつつあり、米印原子力協定を結ぶことを通して、核兵器用には自国ウラン全部を回すこととし、原発用のウランは輸入ウランを用いるということが可能となったのである。〔→インドの核弾頭の年間製造能力は、現在の7個前後から、これで40個に増えるという推計がある〕

 デタラメな二重基準

 08年の米印原子力協定は、インドがNPT非加盟であり、CTBTにも参加することなく、核実験の権利を保持したまま、核保有国として例外的に国際的に承認されたことを示すものとなった。NPTは、核兵器保有国に核軍縮の義務を課しているが、その義務をインドは負わない。国際的な制度に加わらない方が得だというインドの例が、国際的に承認されたひとつの歴史的前例となった。
 重大な問題は、核不拡散を掲げてイラン、北朝鮮などに対して米帝がとっている対応は、完全な二重基準であることが誰の目にも明らかになったということである。
 もはやいかなる意味でも北朝鮮やイランに対しての米国の主張がインドの場合と矛盾するということである。そこにあるのは、友好国かどうかというだけの勝手な論理であり、米帝が掲げてきた「核不拡散の国際秩序」という大義はその根拠を失っている。
 北朝鮮は03年に、NPTを脱退。10個前後の核弾頭を保有していると見られている。イランは、NPT加盟国であるので、IAEAの査察に協力する義務を負っているが、これへの非協力が問題とされている。しかもイスラエルは核保有を誰もが疑わないのに、何らこれが問題とされてはいない。
 なおインドに対抗して89年に核実験を行ったパキスタンも、NPT非加盟である。しかし、アメリカはこのパキスタンに対して一時期を除いて一貫して軍事援助を今日まで続けている(特にソ連のアフガン侵略以降のパキスタンを通した武装組織への支援は有名)。
 ブッシュ前大統領は、この協定の矛盾を指摘されたことに対して、「インドは民主主義国家であり、米帝と戦略的連携を目指している。核技術が流失する恐れはない。イランは信用できない。信頼される国になれば、インドと同じ扱いをうけるだろう」などと勝手な言い方をしていた。
 「核廃絶を目指す」として核安保サミットまで開いたオバマ大統領は、この二重基準をはるかに超えた主張をしている。自らはロシアと2国で全世界の90%以上の核兵器を所持しながら、イランと北朝鮮への先制攻撃の意図を公然と示している。
 これは自らの核独占の力の前に、他国を屈服させる露骨な帝国主義政治そのものであり、核廃絶などとは完全に無縁の代物なのだ。
 核に関して、このようにアメリカ帝国主義の都合で勝手な「ルール」が主張されている。それは世界が、逆にすでに帝国主義や大国によるルールなき核支配社会になったということを示している。
  核による恐怖の人民支配を打ち破る道は、国際的な労働者階級の核廃絶の闘い、帝国主義打倒の闘いの中にだけある。   核による恐怖の人民支配を打ち破る道は、国際的な労働者階級の核廃絶の闘い、帝国主義打倒の闘いの中にだけある。

 仏もインドと原子力協定

 米印原子力協定に続き、フランスも米に遅れまいと、仏印原子力協定を結び、原発ビジネスを推進している。
 サルコジ大統領は、08年9月30日、インドのシン首相とエリゼ宮(大統領府)で会談し、両国間の原子力協定に調印した。この段階でフランスのエネルギー大手・アレバ社は、第3世代の欧州加圧水型原子炉2基と核燃料の供給について、この年の12月のサルコジ大統領の訪印においてインド側と契約・調印を成功させたいとしていた。
 フランス業界は、今後15年でインドとの間で200億ユーロ(約3兆1000億円)の取引が見込まれるとしてこのサルコジ訪印に際して強力に働きかけて成功させた。
 こうしてインドは、原子力発電の建設に関して、オバマ大統領の訪印でアメリカに2基、フランスのサルコジ大統領の訪印時に2基を発注した。
 何よりもロシアは、これまでにインド南部のタミール・ナド州クダンクラムに2基のロシア製原発を建設し(09年に稼働)、また08年10月には4基の増設で合意している。さらに今年2010年3月のプーチン首相のインド訪問では、最大で計12基までの原発の建設許可を与えた。
 日本は、これまでNPT未加盟のインドへの核関連技術の輸出を国際的な枠組みの中で禁じてきた。インドとの間での原子力協定を結んではいない。しかしここに来て、原子力ビジネスでの立ち後れを挽回して争闘戦に参戦するために、「原子力協力を進めながら、核不拡散の取り組みを促すほうが世界の安全にとって貢献できる」などという奇妙な論理をもって、日印原子力協定の締結へ向けた動きを急速に強めている。
 政府レベルで日本企業がインドで計画されている原発建設に参画できるよう働きかけも始めた。そしてインドへの原発技術移転、関連機器輸出、原発建設受注へ向けて昨年12月の鳩山首相訪印時や今年4月末の直島経済産業大臣や北沢防衛大臣のインド訪問で強力に働きかけた。直島経済産業大臣とインドのシン首相との会談では、原子力分野で両国が緊密な情報交換を行う政府レベルの作業部会を設置することで合意した。これは原子力協定締結へ向けた地ならしの意図をもっている。
 まさに大恐慌の下で、帝国主義と大国による生き残りをかけた激しい争闘戦の現実が、インド市場をめぐる核問題と原発をめぐっても眼前で展開されている。
 世界大恐慌下で、求められているのは、プロレタリア世界革命なのである。

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月刊『国際労働運動』(407号4-1)(2010/07/01)

翻訳資料

■翻訳資料

 「4年ごとの防衛見直し(QDR)2010」(上)

 鶴川遊作 訳

 鶴川遊作 訳

【解説】
 オバマ政権発足から1年、
2010年2月1日、「4年ごとの防衛見直し、QDR2
010」報告書が「弾道ミサイル防衛見直し、BMDR」報告書、2011年度国防予算とともに米議会に提出された。続いて、QDRと一体の関係にある「4年ごとの核態勢見直し、NPR2010」が4月6日に議会に提出された。同じく、QDRとセットの「宇宙態勢見直し、SPR」が提出される予定だが、夏頃まで遅れる。
 QDR、NPRの内容は基本的には09年4月5日にオバマ大統領がプラハで演説した内容に尽きている。米国防総省は09年4月23日から、QDRとNPRの作成作業を開始したと発表しているが、オバマ演説はもちろん、ゲーツ国防長官と軍事産業の意向を受けたものである。

 世界恐慌を加速させる軍事計画

 オバマ政権としての初めての11年度予算を提出したが、歳入は昨年度2兆5670億jよりさらに落ち込み2兆1
650億j、歳出は昨年度3兆8340億jより抑えて、3兆7210億jとなっている。そこで、財政赤字は昨年の1兆5560億jよりやや下がり1兆2670億jとなったとしているが、金融危機はいまだ始まったばかりであり、これから本格的になってゆく。
 アフガニスタン侵略戦争から、イラン、北朝鮮戦争への軍事戦略を明らかにしているが、そこに投じられる経費は明らかにされておらず、予想を超える膨大なものである。軍事支出額は朝鮮戦争、ベトナム戦争の最大支出年度の軍事費をはるかに超えて増え続けている。戦争に勝つためには資金が用意されねばならない。その裏付けがないのである。QDRは人民の命と未来を食い尽くす吸血鬼・金融資本の断末魔の叫びだ。
 アフガニスタン戦争に勝たねばならないことを絶叫している。タリバンやアルカイダに勝つためには、精強な陸軍兵力と装備が無くてはならない、それを用意しなくてはならない、それがなければ勝てないと叫んでいるのだ。
 そのようなものは破産・没落する米帝国主義に用意できるはずがない。「過去8年間の作戦は地上部隊に偏って負担をかけてきたが米軍が準備しなければならないのは長期にわたる空海作戦である」と言っている。アフガニスタンで死んでもらう兵士を志願で募るのは、もはや限界に来たので、海軍は長距離攻撃の出来る攻撃型原潜の能力をさらに改造する必要がある。
 また恒常的な、監視態勢の強化、電子戦、遠隔型の兵器、高機能の武装ヘリコプター、垂直離着陸の飛行機等の予算化をする必要があるというわけである。残虐な強大な爆発力の爆弾をまき散らし、アフガニスタンを血と硝煙と放射能で埋め尽くし、平定しようとする作戦を世界の平和を維持するために行うと言っているのである。若者の犠牲を減らすために、兵器の不断の開発と発展が必要であるとわめいている。アフガンで血を流す若者は聖戦の尊い犠牲者であり、武器を供給する軍事企業は米国の国益を守る守護神だというわけである。

 オバマ演説は原爆のみが米帝の最後の頼りである事実を吐露している

  米国の教育現場では、いまだに広島・長崎の原爆投下は米国の若者の尊い命を救った正義の行動であったと教えられている。核が米国民を守っているというイデオロギーに取り込まれることによって、米国人民は毎年納税額の50%近くを軍事に貢がされ、資本は肥え太り、人民は貧困化の現実を強制されてきたのだ。
小沢も、鳩山も改憲、核武装論者だ。オバマと何ら変わらない。国鉄、沖縄、大学、三里塚、そして反戦・反核で息の根を止めよう。
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(写真 1951年から2010年、国防総省支出【2009年のドル換算額】)

 QDR(要旨)

 国防総省の使命は米国民の防衛と米国益の増大である。これらの責任を果たすために、われわれはまず第一に米国が戦時中であることを認識すべきである。
 アフガニスタンにおいて、わが軍は同盟国や同調者とともにアルカイダやタリバンをバラバラにして崩壊させ、分解させ、打ち負かすために新しいやり方で戦っている。
 イラクでは、米軍人は責任ある削減と移動を行う一環として、イラク軍に助言し、訓練し、支援している。とりわけ、米国と同盟国、それに同調国は世界中のアルカイダとその同盟勢力とのさらに広大な戦争、つまり、多様な政治的、軍事的、道徳的な戦いに従事し続ける。
 さらに、軍事的超大国として、米国の強さと影響力はより大きな国際的なシステム、つまり、わが国が建設を助け、60年以上維持している同盟、協力関係、多国籍機関等のシステムがどうなっているかと密接に絡み合っている。それゆえ、米軍は、必要とする国家を支援し、公共の利益を増進させ、重要な地域の安定性を増大させるもっと広い国家的目標の達成を支援する準備をしなければならない。
 こうした現実性を考えて、「QDR2010」は二つの明確な目的を進めてゆく。
 一つ目が、今日の戦争に勝利する米軍事力と将来の脅威に対処するのに必要な軍事力の形成の調整である。
 二つ目が、戦士の緊急要求をもっと支援するために国防総省の機関と手続きをさらに改変し、有効な、買い取り可能な、本当に必要な、さらに納税者の金が賢く、責任を持って使われていることを保証する武器を買うのだ。
 QDRに書かれている戦略や構想は安全保障情勢に対応するために発展し続ける。
 その基礎となるQDRを使って、国防総省はその対処を検討し続ける。能力達成目標や資源獲得活動を通じて、わが国、同盟国、さらに同調国、そしてわが制服の男女が最高の一致協力を保証できるように。

 複雑な情勢

 米国は、変化の速度が加速し続ける複雑な不確定な安全保障情勢に直面している。世界政治、経済、軍事強国の分布はますます拡散している。
 世界最大の人口国家、中国の台頭、そして世界最大の民主国家、インドはもはや簡単に定義できない国際システムを作り続けている。そこでは米国は最も強力な役割を演じているが、安全性と平和を維持するためには、基軸となる同盟国や同調国とさらに緊密にならなければならない。
 グローバリゼーションは技術革新の過程を変換させた。参入障壁が低くなり、幅広い国家が先進技術をものに出来るようになった。技術革新と情報は加速的に溢れ出るので、非国家グループが、過去の世紀には、国家の範囲にほとんど限られていた影響と能力を獲得し続けている。
 大量破壊兵器(WMD)の拡散は世界の安全保障を掘り崩し続け、平和の維持と危険な武器競争を防ぐ努力をさらに複雑にする。WMDで武装した国家の不安定さ、あるいは崩壊はわれわれが最も困惑する心配事である。そのようなことが起こると、WMD物質、武器、さらに技術の拡散が直ちに発生し、米国やすべての国家に直接的な物質的な脅威を与える世界危機となる。
 さらに、その他の強力な傾向が安全保障環境を一段と複雑にしているようである。資源需要の増加、沿岸領域の急速な都市化、気候変化の影響、病気による新しい負担の発生、幾つかの地域における根深い文化や人種、年齢、収入、教育レベル、就業状況等の違いから引き起こされる緊張はまさにある種の傾向であり、その複雑な相互作用は将来の紛争の火付け役となるとか、悪化させるかも知れない。

 米国の世界的役割

 米国益は国際システムの完全性と弾力性に密接に絡んでいる。これらの利益の主なものは安全保障、繁栄、世界の価値に対する広い敬意、さらに共同活動を進める国際秩序である。
 バラク・オバマ大統領は、09年10月30日、ホワイトハウスのシチュエイション・ルームでジョセフ・バイデン副大統領、ロバート・ゲーツ国防長官、統合参謀総長を含めた国家安全保障の上級指導者にアフガニスタンについてのブリーフィングを行っている。
 大統領の見方と一致させて、米国は、国内基盤を強化し国力の総力を統合し、相互利益と相互尊重に基づいて、外国と関わり、すべての国の権利と責任を強化することによってわれわれの利益を増進させる国際秩序を実現させることにより、これらの利益を追求する。
 世界における米国の利益を実現し、役割を果たすということは、われわれの利益と公益を防衛するように諸国を使うための比類ない能力と国家の立場に立った積極的な意志を持った軍事力を必要とする。米国は遠距離に大規模な作戦を投入できる唯一の国家であり続けている。
 この特殊な立場は、歴史、決定、状況が与えた支配権と影響力を行使する責任ある管理者としての義務を生み出す。

 防衛戦略

 わが国益を防衛し、増大させるために、国防総省は四つの優先方針の中で資源とリスクのバランスを取る。その方針とは次の四つである。現在の戦争に勝利する、紛争を防ぎ抑止する、敵を打ち破る準備をし、広範な領域における不測の事態に備える、そして、志願兵力を維持し拡大する。
 これらの優先方針は米軍が必要としている能力のみならず、現在と未来の使命を果たすために必要とされる集合能力に関する構想をも具体化する。これらを達成するためのやり方は発展し、変化する安全保障状況に対応するために適応される。

 現在の戦争に勝利する

 われわれはアフガニスタン、イラク、世界中での戦場で、わが軍の成功を保証しなければならない。わが同盟国と同調国とともに、アフガニスタンとパキスタン政府がアルカイダを阻止し、解体し、打ち負かすのを助ける新しい取り組みを始めた。
 イラクでの数年間の努力はその政府が人々を守り、基本的なサービスを与えることを主導することが可能になることを助けた。駐留米軍の責任を伴う削減を進めつつ、米軍はイラク軍のアドバイス、訓練、支援などの重要な役割を果たし続けている。他の場所では、米軍はテロリストのネットワークを見つけて、解体するために同盟国や同調国と協力している。
 短期から中期間に、かなりの数の米軍がアフガニスタンで作戦を展開し、そしてイラクでは責任の重い削減を続けるだろう。これらの取り組みは、数年間、米軍事力の主要な要素の大きさと形を本質的に決定するであろう。中期から長期間には、アフガニスタンで要請される作戦を持ちこたえつつ、他のどこかでアルカイダとその同盟グループを打ち破ることを期待している。

 紛争の阻止と抑止

 武力行使をしないで共通の利益を進めるための米軍の持続する取り組みは国際システムの受託責任の証である。米国益への脅威の発生を阻止することは、国政による情報、法の施行、経済的手段に加えて、安定性を維持し増進するための同調国の能力の開発を助けるために、外交、開発、そして軍事の統合的な行使を必要とする。
 そのやり方はまた、存在する同盟を活用したり、共通利益を増進するための条件をつくり出したりする同盟国や同調国との緊密な作業が必要となる。わが抑止力は、陸、空、海軍の戦闘力の限界と国家と非国家集団によって加えられるすべての領域の挑戦への反撃を準備する軍事力に加えて、接近に反撃する兵器と戦術が使われる状況での大規模な紛争とに基づいている。
 これらの軍事力はサイバーと宇宙の戦闘能力によって可能になり、弾道ミサイル防衛とWMD対抗力、弾力的な施設運用、わが国の世界展開する基地運用と取り組みを通して、敵の目的を拒絶する米国の能力を使って強化される。現政権の目的である核兵器から解放された世界が達成されるまで、核兵器能力は国防総省の核心的使命として維持される。われわれは、米国とすべての同盟国と同調国への攻撃を抑止するために、安全な、確実な、有効な核兵器を保持する。
 米軍が現在の戦争に深く関わっている間、国防総省の阻止・抑止活動は米国の深部の防衛を保証すること、アルカイダを含む国境を越えたテロリストの脅しの出現あるいは再出現を防ぎ、他の可能性のある主要な敵を抑止することに集中されるだろう。
 将来、わが軍がもっと強度が低い持続した作戦の時期へと転換されると、国防総省の戦力計画はもっと広く深い領域の阻止・抑止任務、可能ならどこでも政府全体の対処の一部として、そして同盟国と同調国と歩調を合わせて行動することを引き受ける能力を前提とする。

 敵を打ち負かす準備をし、より広い範囲の不測の事態で成功する

 抑止が失敗して、敵が脅しや軍事力でわれわれの利益に挑戦してきたら、米国は米国益の支援のために反撃の準備をしなければならない。すべての不測の事態に米軍が参入する必要はないだろうが、国防総省は広い領域に及ぶ不測事態に大統領の選択肢を与えておかなければならない。その不測の事態とは、自国の自然災害の支援、敵国による侵略を打ち破る、深刻な国際的な脅威に直面する弱い国を支援する、安定させる、集団虐殺や外国の大規模自然災害を防ぐこと等を含む。
 中期から長期にわたって、米軍は重なった時間枠の中で同時に多発する戦場で起きる幅広い領域の作戦に勝利するために計画し、準備しなければならない。これはあり得る二つの国家規模の侵略に対して勝利する能力を維持することも含まれるが、われわれは、本土防衛や行政当局の防衛支援、抑止と作戦準備など、同時多発的に予期しないうちに起こり得るあらゆる作戦について真剣に計画を練らねばならない。
 過去8年間の作戦は地上部隊に偏った負担をかけたが、将来の作戦見通しは米軍が準備しなくてはならない非常に長期にわたる空海作戦でもあることを予告している。

 すべての志願兵力の維持・強化

 戦争の年月はわが国軍人と家族に大きな負担を加えてきた。紛争地域に対してかなり多数の持続した配備の要請に応えるために、国防総省はこれらの人々の世話を物質的にも心理的にも出来る限りのことを行うべきである。
 あまりにも長い間、すべての志願兵や、国防総省を支えてきた市民労働者の健康、そして、国防総省が必要な装備や基盤を与えているやり方は優先順位が低く位置付けられてきた。
 01年以来引き延ばされてきた戦時はその重要さを非常に増した。従って、その失敗の結果は一層深刻になった。国防総省の指導がこの問題に置かれているという緊急性を反映して、QDRはそれらをわれわれの政策、計画、プログラムの考察の核心要素として含めようと努力した。
 われわれの維持拡大の取り組みは、軍の長期の健康を守る持続できる交替比率へと移行することに重点を置くであろう。総省は、著しい危機の時期には、米軍はもっと高い配備率となり、一度に数年間までの短い任務期間とし、あるいは、予備役を動かす準備がなされるよう計画する。
 米国が二つ以上のイラク解放作戦のような大きな作戦で、長い期間従事するならば、これはまさに必要であろう。総省は、また、要求された軍の取り組みを増大するために民間遠征隊を拡大するだろう。
 これらの四つの優先する目標はタイムリーであると同時に、長続きする。それらは総省のカギとなる優先事項をとらえており、現在と未来の米軍の大きさと形について考察させる。これらをうまく調和させることは、総省は、現在の戦争で成功する方法でリスクを受け入れ、操作すると同様に得られる調達のレベルについての難しい選択をすることになる。

 戦力調整

 優先目標を調整しながら、米国益をうまく守り増大するために、QDRは、国益を守り増大する上で決定的な次の作戦で成功をしやすくするために米軍事力の調整を助けるために、一連の提言を行う。
 要求される兵力強化は、もっともらしい未来の挑戦の範囲に展開するシナリオの結合を通して現在と計画された兵力の仕事ぶりと同様に、進行中の紛争を調べることによって判明する。著しい強化は次のカギとなる作戦領域に向けられる。

 米国を防衛し、本国の行政当局を支援せよ

 破壊的な技術の急速な拡散は、暴力的で過激に走る強力な思想と結合しており、テロリストの脅威に対する持続的高レベルな監視を必要とする。その上、敵対国家は、彼らの境界から遠く離れた距離から、ターゲットに打ち込む新しい高い致死性の手段を手に入れている。米国はまた、あらゆる規模のあり得る自然災害に対応する準備もしなければならない。
 QDRは次の項目を含む、一連の強化を指示する。
 結果管理対応力の対応性と柔軟性を増やす。
・領域認識能力を高める
 遠隔放射性核検出能力の開発を加速し、改良された爆発装置(IED)を無効にする国内能力を高める

 内乱鎮圧、安定性維持、テロ鎮圧作戦の継承

 米国は広い環境領域で大規模暴動鎮圧、安定性の維持、テロ鎮圧作戦を行う能力を維持しなくてはならない。米国軍がこの複雑な任務に備えることを保障するために、今日の戦争からの貴重な経験をさらに、軍事理論、練習、能力開発、そして作戦立案に制度化されることが決定的に重要である。
・回転翼機保有の可能性を増やす特別作戦力を可能にする主要資産を増やす
 一般目的の軍事力の中で暴動鎮圧、安定化作戦、テロ鎮圧能力を拡大する。
・アフガニスタンとパキスタンについての地域的な知識を増加する。そして、戦略的情報交換の主要な支援能力を強める
・同調国の安全保障能力を作る
 第2次世界大戦終結以降、国防総省は同盟国と同調国の安全保障能力を作り上げ、米国軍が当該国相当軍と演習を行い、学ぶことを保証するよう働いてきた。アフガニスタンとイラクにおける現在進行中の戦争が明らかにしているように、米軍戦略のこれらの領域はますますかつてないほど重要になった。
 この任務領域における主要なQDR戦略は次である。
・汎用軍事能力を安全保証支援力として強化し制度化する
・言語的、地域的、文化的能力を高める
・訓練相手の航空能力を強め広げる
・閣僚級の訓練能力を強める 同調国に向けての決定的な能力の取得と移行を迅速に処理する機構の創設

 接近を拒否された状況での侵略の抑止と打破

 米軍は潜在敵国による侵略を抑止し、防衛し、打破できなくてはならない。この能力は自国益を守り、主要領域での安全保障を与える国家能力の基盤である。
 圧倒的な米軍事力の投入能力がないところでは、米同盟国と安全保障同調国の統合力が疑問になり、米国の安全保障と影響力が減退し、紛争の可能性が増加する。
 QDRは次の強化を指示する。
・未来の長距離攻撃能力を広げる
・地表下作戦の優位性を生かす
・米前方配置と基地施設の弾力性を増す
・宇宙へのアクセスと宇宙資産の使用を保証する
・主要なISR能力を強化する
・敵のセンサーと交戦システムを破壊する、そして米軍の外国駐留と反応性を強化する

 大量破壊兵器の拡散を阻止し、反撃する

 大量破壊兵器の拡散の可能性は重大な脅威を与える。大量破壊兵器を作り利用する能力は世界中に広がっているので、われわれは協力してこれらの武器の効果を調べ、禁止し、封じ込めなければならない。
 このような脅威の抑止とそれらに対する防衛は手段によって強化される。その手段とは、あり得る脅威に対してより理解し、可能ならばどこであろうと、危険物質を保管し、減らしてゆくことを目指し、致死性病原体や物質、そしてその運搬手段とを監視し、追跡し、そして、関連のあるどこにおいても、物質そのものを無にすることを目指すものである。
 QDRを通して、国防長官は次のことを指示する。
・WMD廃絶作戦を計画し、訓練し、実行する廃絶統合機動部隊司令部を設置する
 従来にない病原菌の対策と防衛を研究する
・核法医学を強化する
・攻撃されやすい核物質を保護する
・生物兵器脅威減少計画を拡張する、そして新しい検査技術を開発する

 サイバースペースを有効に操作する

 安全保障環境はサイバースペースでの脅威に対抗する能力の改善を要求する。21世紀では、現代軍事力は単純に、柔軟な、信頼できる情報と通信ネットワークがなければ効果的な速いテンポの作戦を行うことは出来ない。
 国防総省は何段階かのステップによってサイバースペースの能力を強める。
・サイバースペースの国防総省作戦にもっと包括的な接近を開発する
・サイバーの知識と意識をもっと発展させる
・サイバー作戦の司令部の中央集中
・他の機関や政府との連携の強化

 軍事力の発展への誘導

 結合して時間とともに、QDRに記述された戦略は、短長期間両方での米国益を守り、増大させるために米軍事能力を著しく増大するように計画されている。未来へのわが軍の準備として備えるだけでなく、これらの戦略は、同調国の能力、力量を作るために国防総省を改善する。
 QDRによって指示された変化は次の傾向によって広く特徴付けられる。
 米地上軍は、効果的な持続的な内乱鎮圧、安定性、テロ鎮圧作戦を一国で、また同調国と協力して行う能力に焦点を当て続けて、すべての領域の作戦が可能となり続けるであろう。
 米海軍力は、広い領域での同調国と仕事をする能力と力量を加えるとともに、同様に強力な前方駐留と軍事力投入作
戦を可能とし続けるであろう。
 海上、陸上設置弾道ミサイル防衛能力の急成長は幾つかの領域における戦闘指令官や同盟国の要求に合うように支援している。
 米空軍は、多数の第5世代の戦闘機が軍に加わったので、存続可能性が増すであろう。地上発進、空母発進の飛行機は大きな平均走行距離、柔軟性、さらに強力な接近を阻害する能力をふるう敵を抑止し、打ち負かすために多重任務の多用途性が必要であろう。われわれは、同調国空軍を訓練し、助言するのにうまく適合するわれわれのより広い在庫航空機の中から出動することによって、わが空軍の安全保障軍支援作戦への寄与をまた強めるであろう。
 米国はその特別作戦力の能力を増し続けるであろう。そして、有機的な組織者や汎用軍事力における主要な支援資産の増加によってその能力を拡大するであろう。
 米軍の能力、柔軟性、強さは、より多くの、より良い実用化システムを、つまり、ISR、電子的攻撃能力、通信ネットワーク、より柔軟な基地施設、そして、強力なサイバー防衛を、うまくさばくことによって全体的に良くなるであろう。
 もちろん、これらの強化の多くは経費が高い。QDR報告は、国防総省の指導者が米軍能力の調整を可能にするとみなす取引の幾つかを記述している。さらに多くこのような取引が将来必要となるであろう。QDRの初期そして、2010年度の国防総省の予算提出を完成させる過程の一部として、長官は資金を低位の優先順位の計画から引き離す行動を取った。そこで今年の予算、翌年予算両方で必要性がより強調されて扱われた。
 これらの決定は、F―22戦闘機生産の終了、DDG―1000駆逐艦と未来戦闘システム計画の要求を再構築、新しい海上事前集積船の生産の引き延ばし、そして新しいクラスの空母の要求の繰り延べを含んでいる。
 これらのステップに加えて、国防総省は2011年度予算提出において、航空輸送機C―17の生産を中止した。というのは、これらの飛行機の計画されていた要求が完了したからである。総省はまた、司令艦の取り換え計画(LCC)を延期し、現有の司令艦の寿命を延ばし、巡洋艦CG(X)をキャンセルし、司令制御を可能にするネット計画を打ち切ることを決定した。
 (つづく)

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月刊『国際労働運動』(407号5-1)(2010/07/01)

■Photo News

 ●移民弾圧に反対する闘いの爆発

  (写真@A)

 5月1日、全米各地でオバマの移民弾圧に反対して、06年//以降最大規模のデモが行われた。特に、ロサンゼルス、シカゴではそれぞれ10万人が結集した。アメリカの移民労働者たちは、アリゾナ州の新州法が、「疑い」があるというだけで、令状なしでいかなる外国人に対しても身分証明書を提示させることのできる権限を警察官に与えるという人種差別的・排外主義的規定を導入したことに激しい怒りを爆発させた。(写真@A)

 ●米オークランド教組が全市でスト

  (写真BC)

 カリフォルニア州オークランドで、4月29日、全市の学校が一日ストに突入した。早朝から教育労働者、保護者、生徒、地域住民が各学校前でピケットをはり、この日一日、市内の全校でストライキを完璧に貫徹した。このストは、教員の低賃金の是正、学区当局による解雇や賃金凍結の提案の粉砕、一クラスの人数の増大や授業の削減撤回などを求めて行われた。(写真BC) 

 ●ILWU傘下の鉱山労働者の闘い

 

 (写真DEF)

 アメリカでは、ホウ酸塩鉱山を経営する巨大鉱山資本リオ・ティントの不当な労働協約改定条件提示に対し、600人のILWU鉱山労働者が、闘いに決起している。新労働協約を拒否した労働者に対し、リオ・ティント資本は1月31日、絶望的なロックアウト攻撃を仕掛けてきた。これに対しILWUの鉱山労働者たちは、一致団結して3カ月にもわたる強靭な闘いを貫いてきた。動労千葉は、この闘いに対して断固たる連帯のメッセージを送った。
 5月15日に結ばれた新協約は、ボーナスと賃金の引き上げと引き換えに、年功ではなく、技術や成果に基づく昇進や賃金、繁忙時の契約労働者の導入などを規定しており、必ずしも労働者側の勝利とはいえない。だが、3カ月半にわたるロックアウトとの闘いは、鉱山労働者の団結を強固に打ち固めた。(写真DEF)

 ●英で民営化反対の大デモ

 (写真G)

  4月10日、イギリスで政府の民営化・公共部門の削減攻撃に反対して、1万人以上の公共部門の労働者が参加した数万人の集会とデモが行われた。集会にはイギリス公務員労組(ユニゾン)や、鉄道海運労組(RMT)などが参加し、政府の民営化攻撃、労組弾圧を激しく弾劾した。(写真G)
 この日は、英北部のスコットランド最大の都市・グラスゴーでも数千人のデモが行われた。スコットランドではRMTに所属する数百人の鉄道労働者が、スコットランドレイル社による車掌の廃止に対して、安全を無視するものだとして4月12日から3日間のストライキに突入していた。

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月刊『国際労働運動』(407号6-1)(2010/07/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点 オバマ政権の医療保険改革

皆保険制度を放棄/保険会社中心の制度のまま

 3月下旬、オバマ政権の医療保険制度改革法が成立した。報道各紙は一斉にオバマ政権が「国民皆保険制度」を達成と報じた。この改革がはたして「皆保険」といえるかどうか、アメリカ医療保険はいかなる意味を持つのか、検討してみたい。
 まず、今回の改革の主な内容は、次ページの表のようになっている。
 この改革で民間医療保険加入が2600万人。全体で3100万人が医療保険に加入すると見られる。この改革を検討するため、アメリカ医療保障制度の現状から見ていこう。
(図 米国人の保険加入状況【2008年】)

 □膨大な無保険者と保険会社の利益

 アメリカでは、4600万人以上が無保険者だ。また、一部しかカバーされない不十分な保険加入者も250
0万人。ある推計では、2000年以降6年間に13万4000人から16万5000人が無保険のために死亡した。別の調査分析では年間5万5000人が無保険のため死亡したという。それは肝臓病の死亡者より多く、死亡率は保険加入者より40%も高い。この無保険者の多くがワーキングプアだ。職を失い、保険も失う。新たな職を得ても中小企業が多く、非正規職や契約・派遣社員などだ。保険が無かったり、保険料が高すぎたりで、多くの人が保険加入を断念しているのだ。
 他方で、民間医療保険の保険会社は膨大な利益を上げている。医療保険部門の1位と2位が、世界ランキングで21位、32位を占め、マイクロソフトやボーイング社より上位だ。大手10社の純利益は2000年に2000億円だったものが、2007年には1兆200億円、428%増だ。大手10社のCEO年収合計は107億円だ。

 □働き盛りに公的医療保障がない

 アメリカの公的医療保障は従来、高齢者対象のメディケア、低所得者児童対象のメディケイドに限定され、働き盛りは民間保険、なかでも企業雇用者提供保険が大きな位置を持つ。
 メディケアとメディケイドは1965年に創設されている。
 メディケアは連邦政府の運営。65歳以上の高齢者、65歳未満の一定の障害者、腎臓病患者が対象。加入者は4100万人以上。入院を中心する強制加入のパートA。医師サービスが中心の任意加入のパートB。パートA加入者のほとんどがパートBにも加入している。また民間保険プランから受給できるパートC、外来処方薬をカバーするパートDがある。
 メディケイドは、低所得者世帯の子どもと親を対象とする医療扶助だ。受給者は4000万人。8割が児童とその親である。実施主体は州政府。連邦政府は州政府に対して、要扶養児童家庭扶助(AFDC)受給資格など、一定の条件を満たす住民にはメディケイド受給資格の付与を義務付けている。財政は連邦政府と州政府が拠出しあう。
 要扶養児童家庭扶助(AFDC)とは1935年社会保障法で制定されたもので、扶養児童のいる貧困家庭に最低限の保障をする現金扶助だ。AFDCとメディケイドの受給資格は連動している。
 81年以来のレーガン政権は福祉削減・就労促進を掲げAFDCの受給資格を厳しくした。就労世帯の多くが受給資格を失い、同時にメディケイドも失って健康への重大な影響が出た。慢性病の人は6カ月以内に病状が悪化した。AFDCは1996年に解体され、貧困家族一時扶助(TANF)に再編された。80年代のAFDCからの締め出しと過渡期医療扶助制度の創設は、AFDC受給資格の喪失後も一定期間、メディケイドの受給資格を継続できるとし、「福祉から就労」「公的扶助から民間保険へ」を促進する政策だ。
 1997年にはメディケイドの補完として、無保険者児童を対象にして州児童医療保険プログラム(SCHIP)が創設された。メディケイド受給資格ほどでない貧困者が対象だ。連邦政府が資金を助成し、州政府による無保険者児童への医療の提供を支援する。
 メディケイドが貧困ライン133%以下の6歳未満の児童と貧困ライン100%以下の19歳までの児童を対象としているのに対し、SCHIPは貧困ライン200%前後までの家庭の児童を主な対象とする。(参考として、03年の貧困ラインは年間所得で1万4824j)。
 しかし、SCHIPの実態は、州政府が医療保険を民間に開発してもらい、保険料助成などで積極的に民間保険を活用している。「公的扶助から民間保険へ」が進行している。

 □企業雇用者提供医療保険

 働き盛りの大半が加入しているのは企業雇用者提供医療保険だ。雇用者が民間保険会社と契約を結んで従業員に医療保障を提供するもの。07年時点で1億7774万人、全国民の6割にのぼる。
 アメリカの民間医療保険が急速に発展したのは、194
0年代の10年間だ。1940年で1200万人(人口の0・9%)だったのが、10年後には人口の2分の1となる。戦争と戦後の激動期に民間医療保険が急速に発展したのだ。政府は、雇用者の医療保険給付への税的優遇措置で支えてきた。この税制優遇措置は今日では毎年1885j(1人当たり1180j)にのぼる。 民間医療保険が「命」を食い物にする典型が「アンダーライテング」(保険業という意味)と「マネジドケア」(管理医療という意味)だ。

 □保険会社が医療給付を決めるマネジドケア

 アンダーライテングは、加入希望者の健康状態を評価され、問題ありの場合の保険加入の拒否や、高い保険料、給付を制限するとかということだ。オバマの改革で第一にこの問題が挙げられている。やはり、保険会社の理不尽さへの怒りが大きいのだ。
 70年代後半以降、マネジドケアと呼ばれる医療費削減を目的とした民間保険が発展する。@受診可能な医師(病院)の制限、A診療報酬が定額払い、B保険者の医師(病院)に対する審査機能が強いなどの特徴を持つ。80年代以降、多くの企業雇用者が従来型からマネジドケアに転換した。現在は企業雇用者提供医療保険の8割にのぼっている。
 それは、保険加入者と保険会社と医師の間で、医療や介護の提供、その負担について取り決めおくものだ。医師にはネットワークがあり、医師に顧客の供給を保証する一方で、プランで決められた支払い上限額の中で医療を提供する仕組みだ。
 最も代表的なのはHMO
(Health Maintenance Organization)=健康維持法人といわれるものだ。保険加入者は月額保険料をHMOに支払う、保険会社は診療内容をあらかじめメニュー化し、医師の治療法・検査・薬を監視しコントロールする。医師がコストを抑えた場合はインセンティブ(報奨・賞)がある。保険加入者は、HMOに所属した医師にしかかかれない。ネットワーク内からファミリードクター(gatekeeper)を選び、専門医にかかる場合はこの紹介とプランの承認が必要だ。保険料はマネジドケアの中で最も低額であるが、保険者の医療の質への関与が大きい。他には、HMOを緩和したPPO、POSと呼ばれるものがある。 (Health Maintenance Organization)=健康維持法人といわれるものだ。保険加入者は月額保険料をHMOに支払う、保険会社は診療内容をあらかじめメニュー化し、医師の治療法・検査・薬を監視しコントロールする。医師がコストを抑えた場合はインセンティブ(報奨・賞)がある。保険加入者は、HMOに所属した医師にしかかかれない。ネットワーク内からファミリードクター(gatekeeper)を選び、専門医にかかる場合はこの紹介とプランの承認が必要だ。保険料はマネジドケアの中で最も低額であるが、保険者の医療の質への関与が大きい。他には、HMOを緩和したPPO、POSと呼ばれるものがある。

 □階級的労働運動の前進が求められている

 このようにアメリカの医療保険制度では、1億7000万の労働者の「命」を保険会社が握り、トコトン収奪の対象とし巨額の利益を得ている。また、医療保険の中軸が戦争と戦後激動期のなかで民間保険として形成されたことも注目すべきことだ。4600万人の無保険者の問題は、最末期帝国主義の破綻の問題である。
 オバマの医療保険改革は、その破綻を取り繕い、資本主義を救済しようとするもので、断じて皆保険などではない。その改革の中身は、アンダーライテングに規制をかける一方で、無保険者には課徴金をもって民間保険加入を義務づけている。労働者は新たな負担で保険会社を儲けさせ、受けられる医療はマネジドケアだ。その民間保険会社は巨大資本そのものだ。労働者の命まで食い物にして成り立っている。
 それゆえ、アメリカ医療保障の問題は、アメリカ労働者階級によるプロレタリア革命の問題だ。公的で一元的な医療保険制度をめざす人たちは今回のアバマ改革で落胆していると言われているが、問われているのは労働者階級の階級的団結の力だ。
 今回の改革に対しても、反動的な反対運動が起こった。そこで際だつのは「社会保障は社会主義」「社会主義反対」というものだ。社会的連帯とか、社会性のあるものは、ことごとく「社会主義反対」という非難が浴びせられるのだ。このことは医療保障問題の根本は「革命」の問題であることを反動の側から突き出している。
 アメリカ社会保障は歴史的に3波にわたって形成されてきた。30年代のニューディール期の社会保障法、第2次大戦後の企業年金、公民権運動期のメディケア・メディケイドと、階級的激突が果敢に闘われた時期と重なっている。
 04年MWM(ミリオン・ワーカーズ・マーチ)において、医療保障問題が労働者の切実な要求として掲げられた。90年代以降、新自由主義の吹き荒れるなかで、新たな、闘うランク&ファイルの運動は、医療保障要求を大きなテーマとして掲げている。アメリカの階級的労働運動の大前進が求められている。
 (富田五郎)
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 医療保険改革の主な内容

・ 民間保険会社への規制を強化(既往症による保険加入拒否の禁止、 ・ 民間保険会社への規制を強化(既往症による保険加入拒否の禁止、
 不合理な保険料設定の禁止)
・低所得者層に対する医療保険料控除の制度を州政府ごとに創設。個人に医療保険加入を義務づけ
・事業主に従業員の医療保険への資金拠出を義務付け。保険料負担税額を控除
・高額な医療保険への課税
・ 政府提供医療保険のメディケア(高齢者向け)、メディケイド(低所得者向け)を効率化し財政における医療費の伸びを抑制。 ・ 政府提供医療保険のメディケア(高齢者向け)、メディケイド(低所得者向け)を効率化し財政における医療費の伸びを抑制。

 すぐに導入されるものは@重い疾患を理由に、被保険者を除外することはできない。また保険会社の負担増を理由に治療に上限をもうけることはできない。A26歳の誕生日までは親の医療保険に扶養家族扱いで含めてもらうことが可能。B予防のための医療支出は保険会社が全額負担。但し、既存の医療保険に関しては2018年までこの義務は猶予。C従業員25人以下、かつ平均給与が5万j以下では、企業が提供する医療保険の保険料コストの35%までを税控除。D被保険者と保険会社が医療保険の払い戻しに関して論争になった場合、政府のオンブズマンが調停に入る。
 2014年から導入されるものは、@年間所得3万j以下の家庭はメディケイドが医療保険を提供。3万j以上8.8万j以下の家庭は医療保険に加入することを義務づける。保険負担が年間所得の3%を越える部分は政府が税控除などで支援。A医療保険に入ることを拒むものには、年間所得の1%ないし95jのうち多い方の金額の課徴金を課す。B2014年以降、保険会社は既往症のある被保険者を拒否できない。それまでの暫定措置として既往症のため保険に入れない国民には「疾病にかかるリスクの高い被保険者のための基金」を国に設置して支援する。C現在すでに医療保険を提供している企業や医療保険に加入している個人については今回の医療保険改革法は適用除外。D財政については、年間所得20万j以上の納税者に対して2013年から3.8%の増税を実施する。

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月刊『国際労働運動』(407号7-1)(2010/07/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 イギリス労働組合会議(Trades Union Congress:TUC)

 ■概要

 TUCは、1868年に設立された世界で最も歴史のあるナショナルセンターである。主要な労働組合のほとんどすべてが加盟し、組織労働者の90%が結集している。2008年現在の加盟数は58組合で組合員数は約700万人であり、06年には加盟組合員が男女同比率になった。代表はブレンダン・バーバー書記長である。
 TUCは年次総会を毎年9月に開催している。過去に、労働時間問題、年金制度問題、最低賃金引き上げなどについて話されてきた。労働時間については、長時間労働あるいは休息なしの長期労働から労働者を保護するのを目的として、イギリス史上初の労働時間法「労働時間規制法」がTUCの要求により国会で可決し施行された。

 ■世界最初のナショナルセンター

 イギリスは労働組合運動発祥の地として知られる。18世紀後半の産業革命の進展に伴い広範な労働者階級が形成され、組織化が行われた。19世紀半ばにまず機械技術者や印刷工などの熟練職業別組合が労働運動を推進した。
 1880年代に登場したのは、未熟練工や半熟練工を組織した一般組合で、産業別組織化が進められた。20世紀の初期になって、ホワイトカラーと専門職の組合が、公務、教育、保険の分野などで結成された。
 1868年にロンドンで初めて開催されたTUCの総会には、国内の62団体以上が参加し、@加入している組織、組合員の利益となることを推進すること、A労働者の経済的社会的状態を改善し、雇用中か失業中かにかかわらず彼らを援助すること、B組織の組合員と使用者、組織と組合員、組織と組織の間の紛争解決を援助するための規約を制定すること、が挙げられた。
 TUCは、1979年に組合員数が過去最大の1230万人に達したが、1980年代に大幅に減少した。1979年に政権に就いたサッチャー首相が労働組合の労働市場への影響力を規制する法律制定など強硬な政策を行い、メジャー首相の時代と合わせて、1993年までに8つの労働組合活動を規制する法律を成立させている。マクロ経済への発言の場であった三者構成機関も廃止され、国の政策に反対して長期ストを決行した全国炭鉱夫組合(NUM)も敗北した。この15年間にイギリスの組合組織率が過半数から3人に1人に落ち、TUCの組合員数も1994年末で823万人まで減少し、現在では700万人以下まで落ちた。
(写真 労働党ブレア首相の登壇に抗議してTUC大会を退場するRMT代議員団【2006年9月】)

 ■労働党との「進歩のためのパートナー」路線

 1900年にTUCは社会主義諸団体とともに労働代議委員会を結成し、これが1908年にイギリス労働党に発展した。労働党中央執行委員28名のうち12名が労働組合に割り当てられ、TUC自体は政党とは独立の組織であるが、TUC労働党連絡委員会において政策と両者の協力について協議が行われてきた。1990年時点では、TUCの77加盟組合のうち31組合、組合員500万人が労働党に団体加盟している。
 1997年5月の総選挙でブレア党首の率いる労働党が圧勝した。同年9月の年次総会には、労働党のブレア首相らだけでなく、使用者代表として英国産業連盟(CBI)のターナー事務総長が初出席した。CBIはTUCの協調路線を評価し、TUCとEU社会政策で協働する意向を明らかにした。ブレアは、TUCが企業努力の反対者としてのイメージを払拭しイギリスの競争力改善をめざす国家十字軍に参画するよう要請した。
 1997〜2010年の労働党政権は、保守党政権が制定した反労組法を撤廃するとの当初の公約を破り、逆に民営化・労組破壊攻撃を激化させ、アフガニスタン・イラク戦争を推進した。
 TUCの「パートナーシップ」に対しては、労働党創立メンバーであるRMT(鉄道・海運・運輸労組)やFBU(消防士労組)の労働党脱退や公務員ゼネストなど、怒りの決起が始まっている。
 09年TUC大会では、幹部の抑圧を突き破り、FBU提出のイスラエル・ボイコット決議案が可決された。

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月刊『国際労働運動』(407号8-1)(2010/07/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 1934年7月16日

サンフランシスコ ゼネスト

 港湾ストに全市連帯

 ランク&ファイルの実力決起が御用組合幹部をのりこえて発展

 1934年7月のサンフランシスコゼネストは、29年世界大恐慌下で、港湾労働者の権利と賃上げを求めるストライキに、全市の労働者が連帯してかちとった偉大な闘いだった。
 サンフランシスコは、アメリカ西海岸第2の港町であり、港湾労働が最大の柱で成り立っていた。しかし、それは長時間の過酷な労働であり、賃金は低く、労働条件は劣悪だった。シェイプアップと呼ばれる、手配師が仕事を分配する奴隷市場のようなやり方が、労働者の憎しみの的だった。長い苦闘の末、1933年に労働総同盟(AFL)傘下の国際港湾労働者組合(ILA)の支部がつくられた。組合は経営側に団体交渉を要求したが、拒否され、34年2月、ランク&ファイル(現場労働者)の大会が開催され、統一した要求内容の協定書が作成された。「時給1jで週30時間の1日6時間労働、すべての雇用は組合のハイヤリングホール(就労斡旋所)を窓口にする」というもの。ハイヤリングホールは組合が仕事を平等に分配するという、最も重要な獲得目標だった。
 船主側は、ILA専従の保守的な組合幹部となら交渉に応じるが、「共産主義者と話し合う余地がない」と回答した。これに対し、ストライキ投票が行われ、圧倒的多数がストを支持した。ルーズベルト大統領が電報を送ってきてスト中止を呼びかけた。経営側と妥協を図るILA幹部を労働者は激しく弾劾、回答期限を5月7日とし、進展がなければストを決行することを決めた。
 ILAサンフランシスコ支部は1500人の労働者の参加の下、5月9日よりストに突入することを満場一致で決議し、他の西海岸でも投票が行われて圧倒的多数でストが決定された。
 埠頭では警官の隊列と対峙してピケットが張られた。トラック運転手の組合であるチームスターズの労働者も、国際船員組合の船員も、多くが港湾労働者に連帯し、合流した。
 ILA本部委員長のライアンが来て、経営側との調停案にサインした。しかし労働者は、まったく納得しなかったし、ストを解除するつもりもなかった。
(写真 波止場のピケットライン)

 ●「血の木曜日」の襲撃

 7月5日、警官は催涙弾と拳銃で襲いかかり、完全装備の州兵も出動し、戦時戒厳令下の状態になった。2人の労働者が虐殺されたこの日は「血の木曜日」と呼ばれた。港湾労働者の不屈の闘いに対する支持と共感は全市に広がり、市内にゼネストの気運がみなぎった。7月7日、サンフランシスコの14の組合で行われた投票ではゼネスト賛成が圧倒的多数だった。ゼネスト突入の期日は16日だったが、それ以前から次々とストに突入し、路面電車もタクシーも商店も工場も止まり、街の機能は完全に停止した。闘いは資本家と労働者の階級対階級の大激突となった。連邦政府から来たジョンソン全国復興庁長官は「ゼネストは政府を脅かす内乱である」と訴えた。
 ジョンソンの介入でゼネストは終わり、19日からサンフランシスコは再び動き出した。ゼネストは短期に終わったが、「労働者が社会を動かしている」ことを参加したすべての労働者が実感した。ゼネストは港湾労働者のストライキを防衛する役割を果たした。

 ●ILWUの結成

 闘いはその後2年間にわたって続き、37年についにハイヤリングホールを獲得した。そして闘いの成果は西海岸全港湾を管轄する団結の武器としての労働組合ILWU(国際港湾倉庫労働組合)結成に結実した。
 この闘いの指導者でILWUの委員長になったハリー・ブリッジスは次のように総括している。
 「1934年のストライキが素晴らしいのは、ランク&ファイルの潜在的な力を見せつけたことである」
 「労働組合とはすべて、労働者階級の勇気と確信の上に立った労働者の努力で成り立っているのである。これは1934年からずっと変わらない真理であり、この先もずっと変わることはない」
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 ●1934年ビッグストライキ日誌

 2   ランク&ファイル運動西海岸大会  2   ランク&ファイル運動西海岸大会
 5・ 9 沿岸地帯を遮断する港湾スト突入  5・ 9 沿岸地帯を遮断する港湾スト突入
 5・13 チームスターズ、ストに同調を決議  5・13 チームスターズ、ストに同調を決議
 5・15 国際船員組合の労働者がストを宣言  5・15 国際船員組合の労働者がストを宣言
 5・28 ILA本部のライアンが経営側と調停案にサイン。ピケ隊と警官衝突  5・28 ILA本部のライアンが経営側と調停案にサイン。ピケ隊と警官衝突
 5・30 戦没者のメモリアルデー、ストに連帯する集会に警官が襲撃  5・30 戦没者のメモリアルデー、ストに連帯する集会に警官が襲撃
 6・16 経営側とILA幹部の新たな協約  6・16 経営側とILA幹部の新たな協約
 6・17 労働者、圧倒的多数で協約を否決  6・17 労働者、圧倒的多数で協約を否決
 6・19 大衆集会でゼネスト呼びかけ  6・19 大衆集会でゼネスト呼びかけ
 7・ 3 経営側、「港を動かす」決断  7・ 3 経営側、「港を動かす」決断
 7・ 5  警官がピケを襲撃、2人虐殺。州兵が派遣される。「血の木曜日」  7・ 5  警官がピケを襲撃、2人虐殺。州兵が派遣される。「血の木曜日」
 7・ 7 14の組合が同情スト決定  7・ 7 14の組合が同情スト決定
 7・ 9 葬儀行進に4万人が参列  7・ 9 葬儀行進に4万人が参列
 7・12 ゼネスト、部分的に進行  7・12 ゼネスト、部分的に進行
 7・16 ゼネスト突入  7・16 ゼネスト突入
 7・17 州兵が組合本部を封鎖、警官が乱入  7・17 州兵が組合本部を封鎖、警官が乱入
 7・19 ジョンソン長官介入でゼネスト終息  7・19 ジョンソン長官介入でゼネスト終息

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月刊『国際労働運動』(407号9-1)(2010/07/01)

日誌

■日誌 2010年4月

1日東京 JR東・西入社式に宣伝戦
JR東日本とJR西日本の入社式に対し、大宣伝戦が闘いぬかれた。JR東日本の入社式が行われた大宮ソニックシティ前で、会場に向かう新入社員に次々とビラが手渡された。
2日宮城 解雇1周年を弾劾し総決起集会
東北石けん労組は、仙台市内で「解雇1周年弾劾!東北石けん闘争勝利!総決起集会」を35人の結集でかちとった
2日東京 4・28へ中野駅前で青年が宣伝戦
JR中野駅北口で、東京北部・西部の青年労働者が合同で「普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地阻止4・28沖縄デー集会」の街頭宣伝を行った
10日千葉 中野洋動労千葉前委員長を偲ぶ会
動労千葉の中野洋前委員長・常任顧問の追悼集会及び偲(しの)ぶ会が、千葉県労働者福祉センターで盛大に開催された。遺族、動労千葉組合員、OB、家族会、共闘団体など大ホールからあふれかえる800人が参列した
9日千葉 「1047名和解案」への動労千葉の見解政府と与党3党・公明党による国鉄1047名解雇撤回闘争についての「解決案」に対して、動労千葉は「見解」を発した
10日千葉 交流センター女性部大会
10〜11日、国鉄1047名解雇撤回闘争の解体か、新たな継続・発展かをかけた歴史的な激突情勢の中で、全国労働組合交流センター女性部第17回定期全国大会が千葉市のDC会館で行われた
10日東京 救援連絡センターが第6回総会
東京芸術劇場(池袋)で救援連絡センター第6回定期総会が行われた。3月26日に再審で無罪をかちとったばかりの足利事件の菅家利和さんと、同じく再審で無罪が確定している富山(氷見)事件の柳原浩さんを迎え、100人の結集で成功した
11日大阪 泉佐野、こくが市議必勝へ総力決起
5月の泉佐野市議選を控え、泉の森ホール大会議室で関西新空港絶対反対泉州住民の会の26回目の総会と、こくが祥司市議の市政報告会が110人の参加で行われた
11日青森 「反核燃の日」六ケ所で集会
前日の青森市内での一連の反核燃集会・デモを引き継ぎ、六ケ所村の日本原燃再処理工場前で青森反戦反核学習会主催の反核燃行動がかちとられた。「日帝の核武装阻止! 核燃サイクル・再処理工場即時解体!」の正門前集会を断固貫徹した
15日千葉 鈴木一坪裁判、5・16へ決戦の檄
千葉地裁で鈴木幸司さん、いとさん夫妻の一坪共有地裁判の口頭弁論が開かれ、三里塚反対同盟と支援の労働者・学生が傍聴闘争を闘った。この裁判は駒井野の一坪共有地の明け渡しを求めて、千葉県が共有者である鈴木さん夫妻を訴えたもの。「計画は破綻しているが土地は分捕る」というこの恥知らずで悪らつな思惑を、弁護団が鋭く徹底追及した
16日東京 鈴木達夫弁護士が「沖縄学習会」
「4・28大集会に向けた講演学習会」が開催された。東京・首都圏から青年労働者・学生をはじめ100人を超える参加で熱い講演学習会となった。「職場から安保・沖縄闘争の炎を! 4・28日比谷野音を埋めつくそう」と題して弁護士の鈴木達夫さんが講演を行った
18日鹿児島 徳之島「基地絶対反対」で1万5千
民主党・連合政権が、普天間の移設先候補地に徳之島を浮上させたことに対し、全島民の6割に当たる1万5千人の労働者人民が「米軍基地受け入れ絶対反対」の総決起集会を行った
18日東京 4・28沖縄デーへ渋谷街宣
4・28沖縄デー集会実行委の2回目の統一街宣がJR渋谷駅前で行われた。「普天間基地撤去!ウソつき鳩山ぶっ飛ばそう!」の横断幕を見て多くの若者が署名した
18日大阪 民族差別を撃つ関西研究交流集会
第19回外登法・入管法と民族差別を撃つ関西研究交流集会が大阪・東成区民ホールで開かれた。集まった250人の誰もがこの1年、「打ち破ろう分断! 取り戻そう団結! 民族差別・排外主義と入管体制を打ち破り、全世界の労働者は団結しよう!」のスローガンのもと実践に踏み込んできた自信にあふれていた
18日福井 もんじゅ運転再開に敦賀現地闘争
敦賀市で、もんじゅ再開反対!現地抗議集会が500人の参加で行われた。北陸労組交流センターと富山大学学生自治会は、愛知労組交流センター、東海合同労組、8・6―8・9反戦・反核全国統一実行委員会の仲間とともに結集した
21日千葉 動労千葉の鉄建公団訴訟
動労千葉鉄建公団訴訟の第24回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(白石哲裁判長)で開かれた。この日は、田中康宏委員長への証人尋問が行われた。きわめて重要な裁判闘争となった。
23日東京 3万法大生の怒りと共に包囲デモ
法政大学文化連盟と全学連、闘う労働者ら250人が、3万法大生の怒りと一つになって法大解放総決起集会を市ケ谷キャンパス正門前で闘いぬいた。法大当局はこの日、校舎のすべてのブラインドを下ろし、キャンパス中央へ続くすべての通路と正門を封鎖した。不当処分に学生証チェック、そしてキャンパス全面封鎖の仕打ちに学生の怒りはさらに爆発した。新入生は学生証チェックに拒否をたたきつけ、1年生のクラスで抗議の決議も上がっている。この日は新入生もデモに合流し、午前と午後の2波のデモを貫徹した
24日東京 迎賓館・横田爆取裁判4同志が宣言
迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会主催の「不屈・非転向23年!無罪決着を!4・24集会」が江東区東大島区民センターで開かれ、82人が集まった。須賀武敏・十亀弘史・板垣宏同志の差し戻し審と福嶋昌男同志の上告審の勝利に向けた総決起集会として、熱気に満ちた感動的集会となった
25日沖縄 基地撤去・安保粉砕へ9万人の怒り
読谷村運動広場で開かれた沖縄県民大会は、実に9万人が結集し、米軍基地に対する沖縄県民の根底的怒りが爆発した。開始時で約10`の渋滞で会場に到着できなかった約1万人を含め、計9万人が大集結した。同日、宮古島集会に3000人、前日の八重山集会に700人が結集。全体で実に計9万3700人の参加者となった。県民大会に三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進さんと市東孝雄さんが参加した
25日兵庫 JR尼崎事故弾劾、480人がデモ
尼崎事故から5年目のこの日、尼崎現地で事故弾劾の集会と事故現場までのデモが闘われ、480人の労働者・学生が結集した。この闘いは、4月25日を「静寂な慰霊の日」からJR資本弾劾の「怒りの日」へと塗り替えた。また、国労臨時大会を翌日に控え、1047名解雇撤回をあくまで貫く大決戦への出撃の場になった
26日東京 星野文昭さんの誕生日ライブ開く
渋谷の「公園通りクラシックス」で星野文昭さんの誕生日ライブ「あふれる光の中の対話」が行われた
26日千葉 市東さん耕作権裁判
千葉地裁で三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれ、労働者・農民・学生・市民が駆けつけて傍聴席を埋め、反対同盟とともに闘いぬいた。今回は白石史子裁判長に交代したことに伴う更新意見陳述が行われた
26日東京 国労臨大決戦、終日激しく弾劾行動
国労本部は臨時大会を強行し、4月9日に政府が示した「1047名問題解決案」の受け入れを決定した。和解絶対反対派の闘争団員を先頭に、国労共闘や動労西日本、全国労組交流センター、全学連などの労働者・学生は、国労臨時大会会場の社会文化会館前に陣取って、大会開始から終了まで、激しい弾劾の声を上げ続けた
26日東京  “国鉄闘争の火を消すな”と集会 26日東京  “国鉄闘争の火を消すな”と集会
夜、「1047名解雇撤回! 検修外注化阻止! 国鉄闘争勝利総決起集会」がティアラこうとうで開催され、400人が結集した
27日東京  国労闘争団員が和解拒否 27日東京  国労闘争団員が和解拒否
鉄道運輸機構訴訟原告・秋田闘争団の小玉忠憲さんが、翌28日には鉄建公団訴訟原告・小倉地区闘争団の羽廣憲さんと同・旭川闘争団の成田昭雄さんが訴訟代理人弁護士を解任し、訴訟を継続する意志を公にした。
28日東京 沖縄と連帯、800人が集会
4・25沖縄県民大会と連帯し、「普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設阻止、4・28沖縄デー集会」が日比谷野外音楽堂で開催された。800人が結集し「沖縄からすべての基地を撤去し、日米安保をうち砕こう!」「鳩山政権打倒!」などの決意を固め、夜の銀座を戦闘的なデモが席巻した
28日富山 富山市で4・28沖縄デー闘争
北陸労組交流センター、北陸ユニオン、富山大学学生自治会、百万人署名運動富山連絡会の呼びかけで、4・28沖縄デー集会がかちとられた
29日広島 メーデーに大宣伝闘争
広島の労働者・学生は連合広島の第81回中央メーデー(広島市中央公園)への大宣伝活動に広島労組交流センターを中心に登場した
29日東京 連合メーデー、鳩山政権支える連合
代々木公園で開かれた連合中央メーデーは、民主党・連合政権の危機性と反動性、それに対する労働者階級の底深い怒りを表明するものになった
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 (弾圧との闘い)

20日東京 法大4・24解放闘争裁判
弁護側証人として法大生の洞口朋子さんが昨年の4・24闘争について証言した。被告団を代表して斎藤郁真君が弁護側立証を締めくくる意見表明を行った。検察官の論告求刑に移った。求刑は「懲役1年6カ月」だ。断じて許されない。次回、5月19日に弁護側の最終弁論が闘いとられる。法大闘争の爆発をかちとるとともに政治弾圧を絶対に粉砕しよう
28日東京 「転び公妨」で不当逮捕の同志奪還
14日に「転び公妨」でデッチあげ逮捕されたA同志を奪還した。大勝利である。警視庁公安部は、A同志を逮捕し自宅の強制捜索をするために計画的に襲撃したのだ。破廉恥にもほどがある。22日には前進社の家宅捜索を強行した

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月刊『国際労働運動』(407号A-1)(2010/07/01)

編集後記

■編集後記

 今号の『国際労働運動』は、国鉄分割・民営化反対、1047名解雇撤回を断固貫徹する新たな全国運動のスタートを準備する闘い、沖縄闘争の大爆発局面への突入、三里塚闘争の緊迫情勢、ブラジルのコンルータスとの国際連帯の歴史的発展を切り開くためのブラジル訪問の準備という激動情勢のなかで発行される。
 それぞれの闘争課題が戦略的な意義をもち、かつ有機的・重層的に展開される闘いだ。世界大恐慌下でこれらの闘いを一体的に貫徹することによってこそ、日本革命・世界革命に向かう道が切り開かれる。日本全土に日帝に対する激しい怒りが満ちており、これをいかに日本革命に向かって組織することができるかが、一切のカギをなす。今こそ全国大運動の爆発的発展を軸にして日本階級闘争の新たな発展段階を切り開こう。

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