International Lavor Movement 2010/09/01(No.409 p48)

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2010/09/01発行 No.409

定価 315円(本体価格300円+税)

第409号の目次

表紙の画像

表紙の写真 中国ミツミ電機労働者のスト(6月29日)

■羅針盤   ブルジョア政党と議会政治の崩壊 記事を読む
■News & Review   韓国
 労組破壊の「タイムオフ制」を拒否
 金属労組先頭に現場からストライキ拡大
記事を読む
■News & Review   イギリス
 サッチャー以来の一大階級激突へ
 大恐慌下の緊縮政策と闘う英労働者
記事を読む
■News & Review  中国
 中国共産党支配揺るがす自主労組
 天安門事件の大虐殺乗り越える闘い
記事を読む
■特集 国鉄全国運動の壮大な発展を! 記事を読む
■翻訳資料
 「核態勢見直し(NPR)2010」(上)  鵜川遊作 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 BP原油事故と資源争奪戦
 「インフラ海外展開」にかける日帝・菅政権
記事を読む
■世界の労働組合
 イギリス炭鉱労働者組合(後編)(National Union of Mineworkers:NUM)
記事を読む
■国際労働運動の暦
 9月11日
 ■1973年チリ軍事クーデター
 米帝が主導した反革命
 アジェンデ「社会主義」政権を転覆し労働者の闘いを襲った軍事独裁政権
記事を読む
■日誌 2010年6月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 ストに決起した中国ホンダ労働者(6月7日 仏山)

月刊『国際労働運動』(409号1-1)(2010/09/01)

羅針盤

 ■羅針盤

 ブルジョア政党と議会政治の崩壊

▼7月11日の参院選で民主党は惨敗し、改選54議席を44議席に減らし、国民新党は1議席もとれず、与党新勢力は110議席と過半数を大幅に割り込んだ。再び「ねじれ国会」へと突入した。昨年の8・30総選挙で自民党支配にとどめを刺した労働者階級の怒りはますます高まり、今度は菅・民主党に大敗北を強制した。6・2に労働者人民の怒りで鳩山・小沢が倒された後、「市民派」のクリーンな政治家のように装って登場した菅・民主党に労働者階級は直ちに断を下した。普天間基地移設問題での日米合意の強行や「消費税10%」といった労働者人民への攻撃は、労働者階級の怒りの前にはねとばされた。
▼51議席を得た自民党も、その内実は政党力を示す比例代表の獲得議席では過去最低だ。自民党がかつての政権党に復活することもありえない。渡辺喜美らの「みんなの党」が「消費増税の前にやることがある」などと、公務員への集中攻撃に訴えるファシスト的なペテンで、階級的流動のすき間をぬって一定の議席を得た。さらに日本共産党スターリン主義も歴史的な敗北を喫した。
▼参院選の結果が示すものは、体制的破綻の中で労働者階級の怒りが爆発的に高まり、それがブルジョア政党と議会を通した戦後的なブルジョア支配を破綻させていることである。求められているのは資本主義の打倒、ブルジョア国家権力の打倒を正面から掲げた労働者階級の党の鮮明な登場だ。革命的情勢の進展に対する主体の側の準備である。核心は4大産別決戦だ。24時間365日の職場における階級的団結をめぐる攻防にくらいつき勝ちぬこう。プロレタリア革命の成否は、一切が労働組合をめぐる攻防にかかった。

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月刊『国際労働運動』(409号2-1)(2010/09/01)

■News & Review

韓国

労組破壊の「タイムオフ制」を拒否

金属労組先頭に現場からストライキ拡大

 勤労時間免除制度(タイムオフ制)の7月1日施行阻止の6月ストライキが激しく闘われた。金属労組では6月第2週に延べ4万7千人がストに参加し、第3週には延べ4万5千人、6月25日には1万人がストライキに参加し、1カ月の間に延べ12万人がストライキに立ち上がった。
 金属労組では5月26〜28日と6月1〜4日の二度にわたり、組合員3万5585人を対象に2010年賃上げおよび団体協約更新のためのストライキ賛否投票を進めた。その結果83%にあたる2万96
00人がストライキに賛成した。
 労働者階級の怒りの決起がイミョンバク政権に6・2統一地方選での大敗北を強制した。勢いに乗った労働者の6月ストライキがイミョンバク政権に追い打ちをかけた。
 自動車部品関係では、ギア部品を製造する忠清南道のダイモスで金属労組ダイモス支会が14年ぶりにスト。鋼板部品を製造する現代ハイスコでは支会がスト手続きに入ったのは13年ぶり。スプリング部品を製造するテウォン鋼業では支会のストは9年ぶり。自動車用半導体を製造する亀尾のKECでも支会が11年ぶりの全面スト。燃料噴射制御装置を製造する大田の韓国ロバート・ボッシュ機電では支会が11年ぶりの特勤拒否闘争を闘った。
 自動車組立工場でも、6月末現在、起亜自動車支部が71・9%、GM大宇自動車支部が86・4%の高率でストを可決した。また、造船業でもSTX造船支会が10年ぶりにストに参加した。
(写真 非正規職労働者66人に整理解雇が通知された! 現代車非正規職支会は7月20日、現代車蔚山2工場本館の前で非正規職整理解雇糾弾決議大会を開いた)

 □労組専従賃金禁止

 タイムオフ制は、労組専従者に対して会社側が賃金を支給することを原則禁止する労組法改悪に伴って施行されるもので、労働、経営、公益の各委員でつくる勤労時間免除審議委員会が有給の労組活動の範囲を決めるというもの。この制度をとおして資本の側は、労組活動の内容に介入し、労組を破壊することを狙っている。
 経済人総連は会員会社約400社に労組との交渉の余地を遮断する内容の「タイムオフ交渉指針」を出した。
 実際、起亜自動車資本は、@7月1日から組合員教育や総会、代議員大会は無給処理、A団体協約で提供してきた業務用車両やパソコンなどの各種備品の返却、B労組教育委員と常執幹部218人の無給休職、C原職復帰に応じない場合は懲戒手続きに入ることなどを明らかにし、労組活動に圧力をかけている。

 □現場からの決起

 

7月16日、中央労働委員会が「現代自動車の元請けは、下請け労働者の交渉相手ではない」という決定を下したことに対し、現代自動車の蔚山非正規職支会(組合員567人)、牙山非正規職支会(145人)、全北非正規職支会(217人)の3非正規職支会は、「これ以上、労働委員会に期待することはない」とスト手続きに入った。
 3支会の共同要求は、△賃金引き上げ△差別是正手当10万ウォン△定期賞与金の150%引き上げ△2〜34次社内下請け労働者同一適用△解雇者復職などだ。
 この2日前の14日には蔚山非正規支会の2人の組合員が口頭で解雇通告を受けていた。「正規職組合は非正規職が首になろうと関係ない。元請けに怒り、正規職労組に怒っている」と解雇された41歳の組合員は怒った。
 現代自動車支部は、すでに7月1日、労組専任者縮小とタイムオフ制受け入れを発表し、「一人だけで生き残ろう」としている。
 イサンス蔚山非正規支会長は、「現代資本は来週月曜日に非正規職66人に契約解約通知をすると言っている。06年以降まともに闘争できなくて毎年300〜400人が現場から追い出された。反省して闘争を決意した」と語った。
 闘う労働現場では今、昨年、双龍自動車で闘われたストライキ闘争の映画を上映し、「双龍に続こう!」とストライキに決起しているという。自動車シートを製造している慶州の金属労組ダス支会では、組合員が「民主労組を死守するためになぜ工場占拠ストライキをやらないのか」と執行部に提起したという。
 「公営放送死守」を掲げて7月1日からストを続けている言論労組KBS(韓国放送)本部でも、スト9日目に双龍自動車闘争の記録映画「あの月が満つる前に」を上映し、闘いを誓い合った。
 「労働運動と言論運動をするのは言論労組の基本的な責務だ。公営放送をかちとることは、言論労働者の労働条件と直結した内容だ」と語り、「今回の闘争を必ず勝利に導く」と話すオムギョンチョルKBS本部長。「ストライキ直前は組合員は840人だったが、7月8日には920人に増えた。きょう、光州地域で10人ちょっと加入する。組合員1000人を突破しそうだ。組合員が新しい組合の姿をつくっている」と自信を見せた。
 双龍労働者の77日間の決死の闘いは、韓国全土に広がろうとしている。   双龍労働者の77日間の決死の闘いは、韓国全土に広がろうとしている。 
(室田順子)
(写真 「公営放送死守」を掲げてスト中の言論労組KBS【韓国放送】本部支援に市民2000人が集まった【7月7日 ソウル】)

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 “解雇は殺人だ” 77日間の双龍自動車ストから1年

 昨年春から8月6日まで77日間の工場占拠ストライキを闘い、大恐慌下の整理解雇に立ち向かった金属労組双龍自動車支部。資本とイミョンバク政権は、最後はテロ鎮圧部隊を送り、ストライキ圧殺に乗り出した。これを迎え撃った労組は、最後まで団結を維持して闘い、世界中の資本家どもを震え上がらせたのだ。あれから1年。今、韓国の労働現場で労働者たちが、双龍自動車闘争や07年イーランド闘争の映画を見て闘争の決意を固め、ストライキに立ち上がっている。
 昨年8月6日の労使合意でストは終結。しかし、政府と資本はこの「大妥協」を履行するどころか、凶暴な刑事弾圧と損害賠償請求、御用組合をデッチあげて労組破壊攻撃を繰り出してきた。拘束者は労働事件史上最大の94人におよび、150億ウォンを超える損害賠償仮差し押さえが襲いかかった。ハンサンギュン前支部長始め労組幹部らが獄中に奪われる中、新たな執行部を選出し、団結を固めて闘いぬいてきた。

 全国を巡回闘争

 

この春、5月10日から19日までの10日間、双龍車支部は、「玉砕ゼネスト77日、煙突籠城86日、双龍車闘争1周年全国巡回闘争」を闘った。「弾圧を突破し、抑圧を超えてもう一度!」を掲げ、京畿―全州―天安―ソウル―仁川―光州―昌原―蔚山―慶州―平沢を回り、各地の労働者と積極的に交流し、双龍闘争を広げたのだ。(写真は、「5月15日(土)巡回闘争6日目の活動報告」=光州で80年5・18民衆抗争を記念して開かれた「労組抹殺阻止! 労働弾圧粉砕! MB審判! 全国労働者大会」)
 現在、双龍車支部は、組合員の生計を支えるためにこれまでの写真集販売や物販に加え、ソウル・ 仁川を含んだ首都圏全体と忠南地域で代行運転事業を始めるなど、財政事業に取り組んでいる。  現在、双龍車支部は、組合員の生計を支えるためにこれまでの写真集販売や物販に加え、ソウル・ 仁川を含んだ首都圏全体と忠南地域で代行運転事業を始めるなど、財政事業に取り組んでいる。
 4月13日、双龍車支部は、「奴隷契約書を堂々と拒否した錦湖タイヤ同志たちの闘争を死守しよう!」と声明を発した。これは、今春、光州の錦湖タイヤで整理解雇と外注化攻撃にゼネストで立ち向かった労働者たちに送った檄だ。
 「労組指導部の屈辱的な譲歩合意案を組合員賛否投票で否決させたという消息を聞きました。 私たちは過酷な非難と圧力の中で屈辱的譲歩案を拒否した錦湖タイヤ組合員らに心より拍手を送ります。昨年の双龍車ストで前金属労組指導部が譲歩を強要した悪夢が浮びました。闘争指導部であるべき金属労組が組合員らを崖っぷちに追いつめる譲歩を進めたという事実に怒りがこみ上げます。  「労組指導部の屈辱的な譲歩合意案を組合員賛否投票で否決させたという消息を聞きました。 私たちは過酷な非難と圧力の中で屈辱的譲歩案を拒否した錦湖タイヤ組合員らに心より拍手を送ります。昨年の双龍車ストで前金属労組指導部が譲歩を強要した悪夢が浮びました。闘争指導部であるべき金属労組が組合員らを崖っぷちに追いつめる譲歩を進めたという事実に怒りがこみ上げます。
 錦湖タイヤ危機の責任はすべて錦湖資本と使用側にあります。労働者が苦痛を担わなければならない理由は何もありません。
 私たちは『双龍車のように戦えば敗北する』という一部の非難に同意できません。 それだけ資本と政権は『第2の双龍車闘争』を恐れているのです。  私たちは『双龍車のように戦えば敗北する』という一部の非難に同意できません。 それだけ資本と政権は『第2の双龍車闘争』を恐れているのです。
 双龍車ストで足りなかった連帯の力を錦湖タイヤでは必ずつくり出しましょう。双龍車整理解雇特別委員会は同志たちの強固な支援軍になって共に闘争するでしょう。闘争!」

(写真 双龍自動車工場占拠ストライキ1周年決意大会【6月9日 ピョンテク】)

 『スト闘争白書』翻訳

 

この双龍自動車争議を、現場で闘った組合員の視点から明らかにする白書が今年1月に出版された。『解雇は殺人だ――金属労組双龍自動車支部77日間スト闘争白書』(金属労組双龍自動車支部・労働者歴史ハンネ著/448n)だ。
 白書は、「経済恐慌期に資本に迫った危機を労働者に転嫁するやり方」に対し、「整理解雇が簡単にできないことをはっきりと見せつけてやった」と双龍車支部の闘いを評価し、「この闘いをとおして、資本主義を正しくつかむことのできる1000名余の同志を残せたとしたら、とてつもない未来を準備したと言える」と総括している。
 この白書の発刊の辞と序文、4章「闘争の意味と総括」が翻訳され、小冊子として発行された。双龍自動車支部の同志たちと連帯し、その教訓を日本での国鉄全国運動の職場実践に生かそう。「とてつもない未来」をたぐり寄せよう。

(写真 『スト闘争白書』翻訳パンフは動労千葉を支援する会で扱っています。送料込み頒価500円。10部以上は300円)

 

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月刊『国際労働運動』(409号2-2)(2010/09/01)

 ■News & Review

 イギリス

 サッチャー以来の一大階級激突へ

 大恐慌下の緊縮政策と闘う英労働者

 □労働組合が怒りの声明

 日帝と並んで巨大な財政赤字の重圧下にあるイギリスで、労働党政権に代わって登場した保守党=自由党連立政権が、5年間に予算を40%削減し、公共サービス労働者を60万人解雇するという超緊縮政策を、7月冒頭に発表した。
 労働組合は次々に憤激の声明を発している。
 RMT(鉄道・海運労組)のボブ・クロー書記長は「これは、予算にブルドーザーをかけ、瀕死の資本主義を救おうとするものだ」「80年代にサッチャーが炭鉱労働者を攻撃して以来の最大の労働組合運動破壊攻撃だ」「われわれは、公共部門・民間部門を含めた統一した闘い(=ゼネスト)と地域住民を組織した直接行動をもって反撃する」と声明。
 PSC(公共・商業サービス労組)は、「われわれは、すでに他の公共部門の労組と連絡をとり、この数十年、わが国ではなかったような大抵抗闘争に立つ準備に入っている」と語り、GMB(全国都市一般労組)は、「銀行の連中が起こした恐慌のつけを、われわれに払わせようというのだ」「これは階級戦争だ」と宣言した。
 マスコミも「労働組合の怒りは頂点に達している」「労働争議の年がやってきた」(ガーディアン紙7月11日)と書いている。
 大恐慌の激化の中で、ギリシアをはじめヨーロッパ全域で始まった労働者の決起に続いて、イギリス労働者階級は、30年ぶりの闘いに立ち上がろうとしている。 
  第2章 □戦後最大の超緊縮政策

 □戦後最大の超緊縮政策

 

7月初頭、オズボーン大蔵大臣が10月の予算案本格審議に向けて各省に指示したのは、「戦後最も激烈な」財政緊縮政策で、公務員労働者への攻撃(解雇、賃金カット、退職手当の削減などなど)をはじめとし、社会保障、教育、公共交通など、すべての領域にわたっている。
 こうした中央政府での緊縮政策の実施に先立って、すでにバーミンガム市などの地方自治体では、市職員の大量解雇、賃下げ、福祉労働者などへの諸手当の廃止などが強行されている。公共サービス労働者だけにとどまらず、民間企業も賃金、雇用、年金などに対する攻撃を計画している。
 保守党=自由党連立のキャメロン政権は、成立とともに、付加価値税(消費税)を現行の17・5%から20%へとアップさせることを発表して、労働者人民への攻撃を開始していた。

(写真 裁判所前で勝利の歓声を上げる客室乗務員【5月20日】)

(写真 ブリティッシュ・エアウエイズのストライキ【5月25日】)

 □相次ぐストライキ

 イギリス労働者は、政権交代をかけた5月の総選挙を前に今年の前半、労働党政府の民営化、賃下げ、首切りなどの攻撃に対して、体制内指導部のブレーキと激突しながら、闘いを続けてきた〔前進速報版(2〜5月)参照〕。
 2月20日、RMT労組は、ファースト・スコット・レール社(スコットランド急行)で、24時間ストに突入した。会社が、導入を予定している新路線で、車掌を廃止し、運転士と検札係だけで列車を運行しようという攻撃をかけてきたのに対し、労働強化反対、安全運転を掲げて闘いに入ったものだ。まさに、動労千葉の反合理化・運転保安闘争そものだ。ストは、さらに4月12日から3日間、闘われた。
 また、RMTは、3月以来、ロンドン地下鉄の合理化、リストラ攻撃に対して、ストを構えて闘争中である。
 3月8日には、PSC(公共・商業サービス労組)の37万人の組合員のうち、公共部門の27万人の労働者が48時間ストを闘った。これは、公務員の退職手当削減の攻撃に反対するものである。すでに地方公務員のうち、17万人が労働党政権の手によって解雇されている。
 このストで、ロンドンの中央官庁、議会、裁判所の前など、500カ所以上にピケットラインが張られた。ギリシア労働者の闘いに呼応するものである。
 続いて4月10日、Unison(統一公務員労組)傘下の1万人の集会が行われ、その後、ロンドン中心部で巨大なデモが闘われた。集会とデモは、イギリス北部スコットランドの中心的都市、グラスゴーでも行われている。
 こうした闘いの中で、最も激しく、また長期にわたって闘われてきたのは、BA(ブリティッシュ・エアウェイズ=英国航空)の客室乗務員のストライキである。その闘いは、ストつぶし、組合つぶしを狙う労働党政権だけでなく、ストライキ労働者に屈服を迫る英最大労組Unite(ユナイト)の体制内的中央本部との非妥協的な闘争として行われている。
 会社が、昨年11月、労組との協議なしに、客室乗務員に的をしぼって、1000人の解雇、2年間の賃金凍結計画を発表した。この攻撃は、明らかに、客室乗務員労働者を、パイロットや地上勤務員労働者などと分断し、屈服を迫ろうという組合つぶし攻撃であることは明らかであった。ところがこれに対し、Unite本部は、合理化を逆提案するという大裏切りに打って出た。客室乗務員労働者は、スト権を確立して、3月20〜22日の第1波スト、3月27〜30日の第2波スト、さらに1カ月以上にわたる組合中央と会社側の交渉の決裂の後、5月24日、30日、6月5日、再びストを闘った。
 このイギリスの闘いとほぼ同時に、賃下げ、労働強化などに反対して、ドイツのルフトハンザのパイロット労働者、エアフランスの客室乗務員、イタリアのアリタリア航空ではパイロットと客室乗務員など、各地でストが続き、「ヨーロッパの空、ストの波に直面」とマスコミは書いた。
 これに引き続いて、BT(ブリティシュ・テレコム社)の労働組合が、2年間の賃金凍結と3年間で3・5万人の人員削減という攻撃を打ち破ろうと、ストを構えて闘争を行った。〔結果は、9%の賃上げ(3年間にわたって3%ずつの賃上げ)という「高額回答」で、ストを中止して妥結した〕
 注目すべきなのは、この二つの闘争に対して資本は、スト権投票を無効とする訴訟を起こし、闘争つぶしを狙ってきたことである。資本と権力は、今回の緊急政策の引き起こす「サッチャー時代」以来の階級対決に備えて、ストそのものを規制する立法を策動している。

 □後退強いられた労組

 この30年間、1980年代におけるサッチャーの新自由主義攻撃への敗北以後、イギリスの労働運動は大きな後退を強いられてきた。組合員総数は、1320万人から76
0万人に激減した。組織率は、20%まで下がった。その中で、80年代には、「ストライキは労働者の生活習慣」だったのが、今やストライキは闘争手段ではなく、組合幹部が、有利な交渉結果を引き出すためのテコにされてしまってきた。こうした後退を許してきたのが、労働党政権の支柱=TUC(英労働総同盟)だ。今回も、「財政危機への対案」を提出するという対応であり、労働者の怒りを抑えきれるものではない。
 世界大恐慌の中で極限に達しつつあるイギリス帝国主義の危機は、その矛盾を労働者階級に集中し、労働者人民の決起を自ら生み出さざるをえない。危機は、深刻な財政破綻(財政赤字がGDPの11%)だけにとどまらない。世界大恐慌のなかで、大失業が社会を揺るがしている。この間、最近の失業率が7・9%に低下したという発表が行われたが、実は非正規雇用が膨大に増加しているのだ。この3カ月でパートタイマーが、14・8万人増えて782万人になった。これは、労働力人口の27%に当たり、歴史上、最大の数、率となった。これに対応して、フルタイムの労働者数は、2・2万人減って1460万人となった。
 1年以上失業している労働者の数は、3カ月で6万人増加し、78・7万人となり、13年間で最大である。失業者数は250万人に近い。この状況の中で、新たに60万人を解雇しようというのだ。
 一方、平均賃金は、この6カ月、低下し続けている。
 今回の超緊縮政策は、イギリス労働者階級を、地獄の底に突き落とす攻撃だ。英帝国主義は、まさに階級決戦をいどんできたのである。

 □EUの「弱い環」

 英帝国主義は、EUの「弱い環」である。
 世界大恐慌下で英経済は弱体化が進み、現在の低成長(2010年第1四半期の成長率は前期比0・3%、年率で1・2%)のところに、今回の超緊縮政策がとられた場合には、経済の縮小、金融の停滞が避けられない。最近IMFは、英政府発表の2011年への成長見通し2・5%を2・1%に下方修正することを要求してきた。
 ドイツが、ヨーロッパ内外への輸出を柱に、経常収支の黒字国として、EUの中心国としての位置を占めているのに対して、イギリスはかつて世界経済における基軸通貨国であったことを背景に世界金融市場における独自の位置を踏まえて、EUの発展の中でもユーロ圏に参加していない。
 それは、通貨政策・財政政策におけるしばりからまぬがれているということの反面、ポンドをあらゆる通貨的金融的圧力にさらすことになり、今回の金融危機・世界大恐慌の中で、きわめて不安定な位置に置かれてきた。独仏の金融資本ほど、いわゆるPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシア、スペイン)諸国や中東欧諸国に大量に貸し込んでいないことから、リスクは少ないが、EUの主要金融機関そのものが、危機にさらされているということは、英金融機関に影響を及ぼさざるをえない。
 そのため、6月のG20でも、世界金融市場の規制、財政政策の緊縮化を主張してきた。今回の財政削減政策は、先日のG20での決定、すなわち財政赤字を2013年までに、安全基準に合うように削減するという決定を背景にしている。
 今回のG20の共同声明は、「世界金融市場の再建」「銀行業務への監視の強化」「ヘッジファンドの規制」「国際的に統一的な決算基準の制定」など、金融危機・世界大恐慌下における金融市場の崩壊を告白し、すさまじい危機感を表明している。
 そして、「われわれの金融制度は相互に依存しあい、不可分の構造をもっているので、協同の行動が必要である。ある一国の金融制度の弱さは、國際金融制度全体の安定性を脅かすものとなる」と警告を発し、さらに「先進財政赤字国は、国内貯蓄率を高めること、そして市場を開放し、輸出競争力の強化に努めること」「〔経常収支における〕黒字国は、外需依存の構造を変革し、内需の振興に成長の道を求めるべきである」とまで、各国の政策に踏みこんで、争闘戦むき出しの指示を行っている。
 英帝国主義は、こうした国際的重圧のもとで、まさに帝国主義としての延命をかけて、今回の超緊縮財政政策を、階級戦争の開始として打ち出しているのだ。このような帝国主義の攻撃は、英労働者階級を、非妥協的な階級対決へと決起させ始めている。
 世界大恐慌へのヨーロッパ労働者階級の闘いは、ギリシア、スペインをはじめ、ドイツ、フランス、イタリア、またハンガリーなど中東欧諸国でも、ストライキの波として爆発している。体制内労働運動のもとで、分断されている労働者の戦闘的な闘いを、新たな労働運動の潮流へ、動労千葉のような階級的労働運動の一大潮流へと結集させていくことが必要となっている。
 (川武信夫)

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月刊『国際労働運動』(409号2-3)(2010/09/01)

 ■News & Review

 中国

 中国共産党支配揺るがす自主労組

 天安門事件の大虐殺乗り越える闘い

 □自主労組結成運動の歴史的始まり

 5月中旬から始まった広東省仏山市の中国ホンダ工場の青年労働者のストライキは、ホンダ関連の部品工場のストライキに広がり、日系資本の中国子会社や合資企業のストへ連鎖した。トヨタの部品請負会社デンソーの中国広州工場のストライキで、トヨタ広州工場の操業がストップする事態も起きている。
 青年労働者は、各工場、各地方で自主労組を結成し、中国共産党・スターリン主義の労働者支配の根幹をなす御用労働組合で、労務担当の行政機関というべき総工会(工会は中国語で、労働組合の意味)との激突を勝ち抜いて、ストライキに勝利している。
 自主労組の結成は、総工会による労働者支配、ひいては中国スターリン主義の労働者支配を根底から揺るがしかねない事態だ。中国労働運動の画期的な闘いであり、中国スターリン主義打倒にいたる新たな闘いである。
 ところで中国で初めて自主労組が結成され、弾圧されたのが天安門事件であった。これを振り返りながら、今日起きている事態の大きさと歴史的意義を明らかにしていきたい(天安門事件に関する自主労組の事実関係は、石井知章明治大学経営学部教授の研究に多くを依拠しています)。
 総工会は、中国革命(1949年10月1日成立)の勝利の後に中国共産党(スターリン主義)が労働者を組織し、統制するための機関としてつくられた。その位置づけやあり方は、時の政府の方針によっていろいろ変化しているが、その労働者の統制機関としての性格は、基本的に変わっていない。
 1978年12月、中国共産党十一期三中全会で搶ャ平は党の実権を掌握し、搶ャ平を最高実力者とする掾E胡耀邦・趙紫陽の体制で「改革・開放」政策を本格化させた。経済改革と政治改革の一体化が搶ャ平自身によって提起され、80年代の半ば以降、趙紫陽が主導する形で政治改革が進められていた。
 こうした政府の動きの中で、多くの知識人や学生の「民主化」運動が80年代後半に活発になる。86年以降には、民主化を求める学生の街頭デモが激化していく。87年1月に経済の過熱成長と民主化運動の爆発を抑えることができなかった責任を問われて胡耀邦党総書記が失脚し、趙紫陽が党総書記代行となった。87年に趙紫陽は、「党・政の分離」を方針とし、行政機関における党組織の廃止を打ち出すにいたる。この結果、末端の工会も党の直接の統制から相対的に自由になっていった。
(写真 歴史的な五・四運動の日に天安門広場を埋めた巨万の中国学生・労働者人民【1989年】)

 □天安門事件と自主労組

 そして89年6月4日の天安門事件に発展していく。
 78年の改革・開放政策開始以来の10年間で、都市住民の生活物価指数は88・7%上昇しており、インフレ率は88年は20・7%にも達し、87〜89年にはこのインフレ率の高騰により実質賃金が25%も減少していた。
 しかも88年時点で労働契約制のもとにある労働者1080万人のうち、労働契約期間切れで退職を余儀なくされた労働者は6万人であったが、そのうち2万8000人が転職に成功したものの、3万2000人が失業していた。
 また88年の時点で、都市における労働者のうち2000〜4000万人が在職失業者(レイオフ)に転じるという深刻な社会問題が生じていた。こうした中で、浙江省の繊維工場におけるストライキ・デモを皮切りに、中国の各地で「低賃金」「長時間労働」などを理由にストライキが勃発した。こうした背景で階級的な激動が大いに進んだ。
 89年4月15日、胡耀邦が病死し、葬儀の花輪を持って300人の学生たちがデモをして天安門広場に集まり、「民主化」を政府に要求した。学生が指導する天安門広場での運動に、労働者も合流していく。「五・四運動(1919年5月4日)70周年」の5月4日、さらに5月17、18日には広場を埋めつくす百万人の大集会となった。総工会の一部の職員も、学生のハンストを支持して、赤十字に10万元の寄付をしたという。
 5月18日、自主労組の結成が始まった。中華人民共和国建国以来、初の自主労組である工自連(北京労働者自治連合会)が結成され、「民主主義を求め」「独裁を引きずり下ろし」「共産党を監督する」ことを掲げて、労働条件の改善を求めて学生と行動をともにした。
 工自連が結成された翌々日の5月20日、李鵬首相が戒厳令を布告した。だが北京にいた軍隊は労働者と交流があり内部に動揺が広がり動員できなかった。
 4月下旬に陳雲(中国共産党八大元老のひとりで1925年入党の実力者)は搶ャ平らに以下の書簡を送った。
 「学生運動を鎮圧するために断固たる行動をとらなければなりません。さもなければ、運動は単に拡大するのみであり、もし労働者がこれに参加すれば、その結果はわれわれの想像のできないものになるでしょう」と恐怖心もあらわに書いている。
 中国共産党指導部が一番恐れていたのが労働者の決起であった。それが総工会の統制の外で始まっていた。だから戒厳令だったのだ。
 工自連の結成の後、上海、長沙、杭州、合肥、フフホト、済南、南昌、蘭州、南京、西安、鄭州など中国各地で自主労組が続々と結成されている(工自連は最初から自主労組をめざしたのではなく、結成前に総工会などへの加入を求めていたが「非合法」組織としてはねつけられた)。
 戒厳令の発令以来、連日、工自連はこの戒厳令に反対するデモを繰り広げた。彼らのビラは日を追うごとに先鋭化し、中国政府を「スターリニストの独裁」とあからさまに批判し、「われわれは搶ャ平を歴史の舞台から葬り去るために団結しなければならない」と断言するにいたる。
 次第に工自連は、指導部である学生代表らが工自連の要求に無関心であるばかりか、労働者の権益を擁護し、実現する上で阻害要因になっているとさえ感じ始める。
 工自連は5月28日に、工場と商店の閉鎖を提唱したが、学生側は、この運動が「学生中心」であると主張し、工自連がストライキを打つことを絶対に許さなかった。
 あくまで「愛国運動」「民主化運動」であろうとする学生と、「政府の打倒」を掲げてゼネストをも志向するに至った労働者の間に方針の相違が生まれていたのである。
 一方で総工会は、「少数者が労働者組織を名乗っている」として「労働者を職場に戻す」ことを訴えた。だが少数どころか工自連の組織拡大の勢いはとどまるところを知らず、労働者の熱烈な共感と支持を受け、天安門事件前夜の6月3日にはそのメンバーは2万人にも膨れ上がっていた。革命情勢そのものである。
 搶ャ平は、楊尚昆軍事委員会副主席直系の第27軍を動員し、6月4日早朝に装甲車と戦車を先頭に天安門広場を襲撃した。学生・労働者はバリケードを築き、火炎瓶と投石で英雄的に戦いぬいたが、戒厳軍の銃撃による血の弾圧に数千人が犠牲となった。人民解放軍による労働者・学生に対する大虐殺が強行された。
 中国スターリン主義にとって、学生の「愛国運動」「民主化要求運動」の水準を超えて、「スターリニストの独裁」を批判し「搶ャ平打倒」を掲げた労働者自主労組の組織2万人が首都・北京で連日デモや集会をし、ゼネストまで構えている事態は絶対に看過できないことであった。しかもその数は日々膨れ上がっていた。
 中国共産党・政府はその労働者の階級的な団結と闘いの発展の中に、スターリン主義打倒のプロレタリア革命の未来を見たのである。彼らが徹底した労働者の虐殺を行った最大の根拠がここにあった。
 この天安門事件を受けて1992年に新たな工会法が制定され、「総工会」を唯一の合法労組とすることが規定された。つまり自主労組は絶対に非合法なのだ。ここには天安門事件での自主労組の登場に恐怖し、それを二度と許さないとする中国スターリン主義の強烈な意志を見て取ることが出来る。
 工会のあり方も、「党政の分離」は趙紫陽の誤った方針として完全に否定され、中国スターリン主義の労働者支配の機関として逆に強化されていくようになった。
 天安門事件以降、中国スターリン主義は経済での「改革・開放」政策は急速に進めながら、政治改革はストップさせ共産党の独裁、愛国教育の徹底、そして工会を通じた労働者支配の強化を進めていった。

 □新たな闘う労働運動と自主労組の闘い

 労働者の団結と闘いを圧殺した上で満展開された新自由主義的政策のもとで、中国の経済的な「発展」が異常なテンポで進んでいった。今や中国はGDP世界第2位の国になった。天安門事件は、労働者の階級的闘いの背骨をたたき折ってその後の中国共産党体制の延命を図ったものであり、本質的に日本の国鉄分割・民営化と同じ性格を持つ攻撃だったと言える。
 だがこうした中国スターリン主義のあり方が今、その体制的危機を深化させ、新たな労働者の闘いと団結を生み出している。
 広がる格差の拡大は、もはや天安門事件の時代の比ではない。社会不安が危険水域に入っているとされる。急激なインフレと物価高が中国を襲っている。労働者の生活は、ますます逼迫している。他方で都市の失業率は実質8%ともいわれ、失業者の増大は、大学生の就職難も含めて、深刻な事態となっている。若者は未来の展望が見えない。
 こうした中で年間10万件ともいわれるストライキや労働争議が、中国全土で多発している。しかし総工会のもとでのストライキは皆無であり、このすべてのストライキは、総工会が存在しないか、その統制を外れて爆発している。総工会による労働者支配の破綻が現れている。
 2億2500万人以上といわれる農民工が都市に流入してきている。彼らの多くは斡旋業者を通じて仕事を探す。企業と斡旋業者の間に労働契約があっても、斡旋業者と農民工、あるいは企業と農民工の間には労働契約がないケースがほとんどである。こうなると農民工は正規の労働者とは見なされず、労働法を無視した低賃金と長時間労働を劣悪な労働条件で強制され、しかも簡単に首を切られる。ピンハネも日常茶飯事。総工会に入れる農民工は限られている。だが労働争議は、実際にはこうした組合にも入れない農民工の現場労働者の闘いとして爆発していることが多い。
 今や外資系企業などで一般化している実習生というあり方も、こうした流れのひとつだ。農村出身の若者を、専門学校に所属させ、学生という身分で(すなわち労働者ではないということで)労働法の対象外として奴隷労働を強制するやり方をとる。そして何年も低賃金で使う。こうした現実に対してホンダやトヨタの青年労働者が闘いに立ち上がったのである。彼らの多くが実習生だった。鄭州の自動車修理の専門学校では、実習生が自殺の相次ぐ富士康への実習を拒否する抗議行動に立っている。
 今、中国で起きている青年労働者の闘いは、天安門事件の時の労働者の闘いを引き継ぎ、総工会や権力の暴力的支配体制と真っ向から対決している闘いである。中国スターリン主義打倒までやまない闘いの始まりである。スターリン主義によって一度圧殺された労働者の怒りと団結の闘いが、今再び甦り、爆発しているのである。
 新たな国鉄全国運動は、国鉄分割・民営化を徹底弾劾する闘う労働者の運動であるがゆえに、天安門事件の大虐殺を乗り越えて闘おうとする中国の労働者の闘いとの国際連帯を可能にする。国鉄闘争を爆発させ、国際連帯の闘いを今こそ徹底的に進めよう!
 (河原善之)
(写真 中国ホンダ部品工場で、地元総工会(左)のスト破壊と闘う労働者【5月31日 広東省】)

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月刊『国際労働運動』(409号3-1)(2010/09/01)

(写真 鉄道運輸機構本社に怒りのシュプレヒコール【7月14日 横浜】)

特集

 ■特集 国鉄全国運動の壮大な発展を!

 はじめに

 6月13日、「国鉄分割・民営化反対/1047名解雇撤回/新たな全国運動スタート/6・13大集会」が、東京・文京シビックホールに1650人を集めて開催された。国労本部などの4者4団体による屈辱的な「政治和解」に抗し、「国鉄闘争の火を消すな」を合言葉にした、まったく新たな国鉄全国運動が始まったのだ。この運動の成否に、日本労働運動の限界をのりこえる階級的労働運動の発展、そしてプロレタリア革命運動の前進がかかっている。
 第1章では、開始された全国運動の意義と、その可能性について明らかにする。
 第2章では、この運動を提起した動労千葉の階級的労働運動、特に反合・運転保安闘争路線について考察する。
 第3章では、この全国運動の発展は、革共同が真の革命的労働者党へと飛躍することと一体でかちとられることを明らかにし、全党・全人民の総決起を訴える。

■第1章

 

 新たな大挑戦を開始 全国に組織をつくり出そう

 6・13大集会の大成功は、日本労働運動に大きなインパクトを与えている。それは参加したすべての労働者が実感したことだ。動労千葉争議団、国労闘争団を始めとするすべての発言者と会場が文字通り一体となり、かつてない熱気のうちにかちとられた。今までのどんな集会とも違う、感動と新たな運動への固い決意がみなぎる集会であった。「大変なことを始めたんだ」というのが参加者の感想である。本当に、日本労働運動を階級的に再生させる壮大な挑戦に踏み出したのである。

 4・9和解情勢に抗し

 新たな全国運動の第一の意義は、4月9日に政府・与党、公明党が合意した1047名問題の「解決案」を4者4団体が受け入れ1047名闘争を終息させようとするという日本労働運動の重大な危機の中で、この全国運動がスタートしたことである。
 4・9「解決案」は、動労千葉を排除し、労働運動総体の総屈服を迫り、解体することに最大の狙いがある。
 それは、解雇撤回がないばかりか、「雇用・年金・解決金」のすべてがないがしろにされている。
 重大なのは、「解決案」受け入れの「条件」である。
 「四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定すること。
@この解決案を受け入れること。これに伴い、裁判上の和解を行い、すべての訴訟を取り下げること。
A不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行われないこと。
B政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと」
 さらに、同時に出された前原国交相の談話である。そこでは「国鉄改革は、国民に対して大きな成果をもたらした」「「国土交通省としては……国鉄改革の完遂に全力を挙げてまいります」と言っている。しかも国鉄分割・民営化を強行した張本人である中曽根が「よく解決できたな」と言っているという。
 すなわち、この「解決案」は、幾ばくかの金銭と引き換えに、国鉄分割・民営化を正しかったと認めろ、二度と不当労働行為や雇用の存在は争うな、すべての訴訟を取り下げよ、JRへの雇用も保証できないというものなのだ。
 だが、国労は4月26日の臨時大会では「解決案」受け入れを決定するとともに、「JR産別の企業内労働組合として社会的責任を自覚した未来志向の国労運動」を打ち出した。これは全国組織としての国労を解散し、JR各社ごとの企業内組合になることを意味する。その行き着く先は、JR連合への吸収にほかならない。
 6月28日、最高裁で鉄道運輸機構との「和解」が正式調印され、鉄建公団訴訟や鉄道運輸機構訴訟などは取り下げられた。
 そして、国労は7月28〜29日の定期大会で、闘争団への一切の支援措置の打ち切りと、闘争団員からの組合費徴収停止という方針を決定した。それは闘争団員を国労から排除し、ひいては国労を解散することになる。
 国鉄分割・民営化以来24年間にわたって闘われた国鉄闘争、国鉄分割・民営化攻撃が始まってから約30年、つまり戦後の半分になるこの闘いが、このような形で終息させられていいのか!
 そもそも、この「解決案」に至る経過は断じて許されない。日帝権力は一貫して10
47名闘争の解体を狙い、「JRに法的責任なし」を認めさせる2000年の4党合意などを国労に対して強制してきた。その手先となったのが国労本部の協会・革同の指導部である。だが、これに反対する多くの闘争団が鉄建公団訴訟を開始し、そうした中で、国労闘争団、全動労争議団、動労千葉争議団すべてを網羅した「1047連絡会」が組織され、文字通りの1047名闘争が発展する機運が盛り上がった。これに難癖をつけて、動労千葉排除の急先鋒に立ったのが日本共産党だった。そして、動労千葉を排除した4者4団体による「政治解決」路線が全面化するのだ。
 動労千葉は、国鉄分割・民営化に対して2波のストライキを闘い、公労法解雇を合わせて40人の解雇者を出しながらも闘い抜いて団結を維持してきた誇りにかけて、このような「解決案」は絶対に認めることはできなかった。
 そして、何より動労千葉を排除して、日本労運動総体を解体するような攻撃を断じて許せなかった。このままでは動労千葉自身の団結を守っていけないという激しい危機感を持った。
 さらに、国労闘争団の中からも、「解決案」を拒否してあくまでも裁判を継続して解雇撤回まで闘い抜くことを宣言する闘争団員が現れた。
 こうして、動労千葉は、1
047名闘争を自分たちの手で新しくつくり直そうと提起したのである。

 多彩な呼びかけの陣形

 第二の意義は、多彩な呼びかけ人の陣形である。動労千葉の提起を受けて「国鉄闘争の火を消すな」を合言葉にして、全国の心ある人士、労働者、労働組合が、「国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動」を呼びかけた。呼びかけ人は、別掲のように、学者、弁護士、労働組合役員、国鉄闘争に様々な形で関わってきた人々である。重要なのは、動労千葉とともに11月集会を呼びかけてきた2労組が加わり、6・13集会の重要な一翼を担ったことだ。
 さらにアメリカILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10執行委員のジャック・ヘイマン氏、韓国・民主労総傘下の主要な連盟、労組の代表32人が呼びかけ人に名を連ねた。新自由主義の出発点である国鉄分割・民営化攻撃に対して、国際的団結で闘おうという呼びかけなのである。
(写真 国鉄全国運動のスタートを宣言した大集会【6月13日 東京・文京シビックホール】)

 戦後労働運動の限界をのりこえる労働運動を

 第三の意義は、この運動の主旨が、新しい階級的労働運動とその共闘組織をつくることを呼びかけていることだ。それは日本の戦後労働運動の限界をのりこえる新しい労働運動をつくることに挑戦するということである。
 「全国運動要綱」は、「本会は、新自由主義攻撃への対抗軸となる新しい労働運動をつくりあげることを展望し、国鉄分割・民営化反対、1047名解雇撤回に向けた全国的な運動を呼びかけることを目的とする」と明快にうたっている。そして、「全国の皆さんに訴えます」として、「広く呼びかけ、新たな全国運動の土台となる共闘組織を、年内に全国の職場・地域に立ち上げることを目標とします」「当面の目標を1億円とするカンパ・基金運動を呼びかけます」「賛同金は一口毎月1000円とし、当面3000口の組織化を目標とします」と訴えている。
 4者4団体が「和解」に調印したことにより、「雇用に努力する」というペテン的言辞を弄しても、既存の共闘組織は解散に向かわざるを得ない。総評解散―連合結成にもかかわらず、連合傘下に100万人ともいわれる国鉄闘争支援陣形が存在したことが、連合支配の完成を阻んできた。その国鉄闘争支援陣形がなくなるということは、日本労働運動にとって計り知れない打撃である。
 それに抗して、新たな全国運動は、動労千葉を支援する会を始めとして、様々な全国の職場・地域に共闘組織を立ち上げることを呼びかけているのだ。
 それを実現するためには、従来のように4者4団体を批判していればいいということではない。自分たちの力で、職場・地域に分け入って、労働者を組織し、組織し、組織すること。これを全力でやろうということだ。
 それはまったく可能だ。何より動労千葉400人が団結して闘い抜き、検修・構内業務の外注化の今年4月1日実施を阻止した力がある。動労千葉を軸としたこの陣形は、さらに大きく発展していく展望を持っているのだ。検修業務外注化を阻止した根源である反合・運転保安闘争路線は戦後労働運動の限界をのりこえて、資本主義体制そのものを揺るがす闘いである。こうした闘いを、動労千葉に学び、ともに職場で闘い抜くならば、必ず職場の団結を拡大できるし、労働組合の権力を握ることも不可能ではない。

 大恐慌情勢に立ち向かい

 第四の意義は、新たな全国運動がますます激化・深化する大恐慌情勢と真っ向から対決する運動として出発したことである。
 昨年8・30総選挙で権力を奪取した民主党・連合政権は、鳩山前政権が鳩山自身と小沢の「政治とカネ」の問題、普天間基地の辺野古移設の問題などで労働者人民の怒りによって打倒された。
 それに代わって登場した菅新政権は、消費税増税を打ち出したことにより、支持率が急落し、7・11参院選で大敗し、改選議席では自民党を下回り、非改選と合わせても、与党は過半数を下回った。
 また社民党や共産党も、「消費増税反対」を唱えながらも、惨敗した。
 ここで重要なのは、民主党の比例候補には連合傘下の大単産出身の候補が顔を並べたが、自治労や日教組など軒並み得票を減らしているということである。しかし、にもかかわらず民主党は連合を基盤にしなければならない。社共は労働者を組織することもできない。
 菅首相は、消費増税を掲げたのは「ギリシャのようになってはならない」からだと言っているが、実際に日本帝国主義の財政赤字は、国と地方の長期債務残高が約836兆円(短期借入金などを含めれば約1107兆円)というとてつもない額である。ギリシャの財政赤字の対GDP(国内総生産)比率が100%強なのに対し、日本は200%近くだ。
 したがって、日帝は「成長戦略」の名のもとに法人減税を進める一方で、消費増税を狙い、さらにはその前提として公務員労働者の削減、賃金カット、すなわち道州制による360万人公務員の一旦解雇・選別再採用という方向に急速に向かおうとしている。それは国鉄分割・民営化型の攻撃をより大規模に強行しようとするものだ。すでに社会保険庁の大量首切りが強行され、「公務員庁」を新たに設置して公務員に労働3権を付与することと引き替えに、公務員の身分保障を剥奪しようとしている。
 ギリシャでもポルトガルでもスペインでも、攻撃の矛先は公務員労働者に向けられ、それに対してゼネスト的闘いが繰り広げられている。
 問われていることは日本でもまったく同じだ。今こそ4大産別(国鉄、全逓、自治体、教労)を先頭に、大恐慌情勢と対決する陣形をつくり出そう。そして、国鉄分割・民営化以降の相次ぐ労働法制改悪によって非正規職に突き落とされた多くの労働者を合同・一般労組に組織して闘おう。大恐慌をプロレタリア革命に転化する闘いを組織しよう。
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 〔国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動呼びかけ人〕

伊藤 晃(日本近代史研究者)
入江史郎(スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合委員長)
宇都宮理(愛媛県職員労働組合委員長)
大野義文(元安芸労働基準監督署長)
大和田幸治(全国金属機械労働組合港合同事務局長)
北原鉱治(三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長)
金 元重(韓国労働運動史研究家)
高 英男(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部副委員長)
鈴木達夫(弁護士・法政大学弾圧裁判弁護団長)
高山俊吉(弁護士・憲法と人権の日弁連をめざす会代表)
手嶋浩一(元国労九州本部書記長)
中江昌夫(元国鉄動力車労働組合副委員長)
花輪不二男(世田谷地区労働組合協議会顧問)
葉山岳夫(弁護士・動労千葉顧問弁護団長)
山本弘行(動労千葉を支援する会事務局長)
矢山有作(元衆議院議員)
ジャック・ヘイマン(国際港湾倉庫労働組合ローカル10執行委員)
韓国・民主労総傘下の主要な連盟、労組の代表32人
全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部

■第2章

 動労千葉型労働運動を

 反合・運転保安闘争路線の勝利性

 新たな全国運動を発展させる鍵は、動労千葉型労働運動を広め、「第2、第3の動労千葉」をつくり出すことである。故・中野洋前委員長を先頭にして、右翼的体質の強かった動労千葉地本を闘う労働組合へ変革・飛躍させてきた闘いを徹底的に学び、主体化することである。
 動労千葉は、中野前委員長が3月に逝去した悲しみをのりこえて、昨年10月以来5波のストライキを決行し、JR東日本の検査・修繕部門の4月1日一括外注化という攻撃を阻止した。これは資本が全力を挙げて強行しようとした合理化攻撃を完全に阻止するという、日本労働運動にかつてない大きな勝利である。
 その勝利の土台となったのは、動労千葉が営々とした闘いでつくり上げてきた「反合理化・運転保安確立闘争」路線である。合理化との闘いは、労働運動にとって最も大切で本質的な闘争課題だ。しかし、最も不徹底にしか闘われてこなかった問題である。動労千葉の反合・運転保安闘争は戦後労働運動の常識を覆す闘いであり、戦後の反合闘争をのりこえる闘いである。

 船橋事故闘争で確立

 1972年3月28日午前7時過ぎ、総武線船橋駅において、上りホームに停車していた電車に後続電車が追突し、多数の乗客に負傷者が出るという事故が発生した。追突した電車を運転していたのは、津田沼支部所属の高石正博運転士だった。千葉鉄道管理局は、高石運転士を船橋職員集会所に連れ去り、高石運転士に事故責任を押しつけ、供述を強制し、警察に引き渡した。警察は、逮捕令状のないまま高石運転士を長時間にわたって身柄拘束し、5日間の不当勾留を強いたのだ。
 その間、マスコミは、「運転士のたるみ→ミス→運転士の責任」という大キャンペーンを張った。しかも千葉鉄当局は、高石運転士が釈放されるや自宅に押しかけ、事故責任を強引に認めさせようとしたのである。
 しかし、事故の原因は、直接には信号停電であった。そして信号停電という予期しない異常事態に際して、ATS(自動列車停止装置)の取り扱いについて一切教育訓練がなされていなかった。ATSが鳴動しても確認ボタンを押して、見込み運転を強要する指導が日常的に行われていた。さらに、過密ダイヤとそれを保障するものとしての0号信号機(ホームの中程にある)の設置によって、運転保安無視と労働強化を乗務員に押しつけたことである。
 この当時、動労千葉地本は、まだ御用派の執行部だった。だから中野前委員長(当時・千葉気動車区支部長)を先頭にして、闘おうとしない地本執行部を突き上げながら、「労働者への事故責任転嫁を許すな! 裁かれるべきは国鉄当局だ!」と、高石運転士が拘束されている船橋署に押しかけて身柄を奪還する闘いに始まり、現場から闘いをつくりあげていった。
 「僕自身、激しく迫りくる合理化攻撃に対して、革マルみたいに『合理化絶対反対』と言っていればいいみたいな、こういうやり方ではとても通用しないと思っていました。やはり合理化反対闘争を具体的につくりあげなければならない。その当時、この事故が起きたとたんに、ある意味では『これだ』と思ったところがある。それでこの船橋事故闘争を最大の闘いにしよう、あらゆる努力でやり抜こうと決意するわけです」(『俺たちは鉄路に生きる2』)
 「安全は敵の弱点を形成している」という矛盾を突いて、安全を反合闘争の中心的テーマにしたのだ。しかも、激しい実力闘争に立ち上がる。
 ちょうど、この時は72春闘の過程で、春闘に対する処分が通告された。これに対し地本執行部や動労本部を突き上げたことで、動労本部は、千葉地本の船橋事故に対する抗議の順法闘争実施の要請を含めて4月3日からの「反合・運転保安確立、不当処分・弾圧粉砕」に向けた無期限順法闘争を指令し、津田沼支部を先頭に立ち上がった。
 9月20日、千葉地検は高石運転士に対して、「事故の責任は高石運転士の不注意であり、4本の信号機を見過ごした」というデッチあげ不当起訴を強行した。
 だが、動労本部は「事故問題は、純粋労働運動ではない」という態度に終始し、結局、千葉地本のみの特認闘争として9月25〜27日の強力順法闘争に立ち上がる。千葉鉄局長は「今回の闘争は、反戦系50名、それに追従する100名の闘いであり、たいした影響はない」と発言し、逆に闘いの火に油を注ぐ結果となった。25日の初日には総武線運休100本を出し、夕方には千葉鉄局前抗議集会に全支部から500人の組合員が参加、権力の戒厳体制を打ち破り、集会とデモを戦闘的に打ち抜いた。この結果、高石運転士の刑事休職は一方的に行わない、処分問題については慎重に考慮する、などの当局側の回答を引き出した。
(写真 「高石運転士に事故責任を転嫁するな」とデモ)

 関川―中野体制の確立

 翌73年には、ついに御用派執行部が総辞職し、9月の勝浦大会で、関川委員長―中野書記長の闘う執行部を難産の末、生み出した。
 以後、高石運転士への休職処分発令に対する抗議闘争、公判闘争などを全力で闘うとともに、反合・運転保安闘争を強化した。例えば75年3月のダイ改闘争では「線路の抜本的改善」「スピードダウン」「保線合理化阻止」「労働条件の回復」を掲げて、「列車の速度規制」という全国でも初めての成果をかちとった。速度規制は、管内で1日2000分から3000分、1列車に換算すると5分ぐらいの遅れを出すものだった。それをダイヤに組み入れさせた。文字通りの「ダイヤ改正」を実現した。これらの闘争を「奪われた労働条件を奪い返す攻勢的な反合闘争」と位置づけて闘い、千葉は全国で一番の労働条件を獲得したのである。
 船橋事故闘争に話を戻すと、76年には春闘ストに先駆けて、船橋事故の原因である「0号信号機撤去」をめざし、強力順法闘争に突入した。「撤去すると2分半間隔のダイヤを確保できない」と主張する千葉鉄局を押し込み、ついに船橋駅の0号信号機を撤去させる画期的成果を上げた。国鉄当局に「船橋事故の直接的原因は0号信号機」という事実を、地裁判決を前に認めさせたのである。しかし、千葉地裁は、76年4月1日、高石運転士に対し「禁固3年、執行猶予3年」という反動判決を出した。動労千葉は直ちに高石運転士の現職復帰を目標に4・14半日ストを決定した。
 そしてスト突入直前の13日深夜、当局に高石運転士の復職を約束させ、77年に高石運転士の職場完全復帰を実現させたのである。

 動労の安全闘争の発展

 それまでも、動労には19
62年の三河島事故(死者160人)以来、「安全闘争」という考え方はあった。三河島事故は、高度成長下で列車の増発が行われ、他方では第2次長期経営計画という合理化攻撃が進められる中での事故だった。脱線した貨物列車に下り列車が接触し、さらに上り列車が突っ込んだのだ。
 その翌年には鶴見事故(死者161人)が起きる。これも貨物列車が脱線して、平行して走る横須賀線の電車に突っ込んだ事故だった。
 ちなみに、同じ日に、三池三川鉱の炭塵爆発事故が起こって、458人もの炭鉱労働者が生命を奪われた。三池闘争が「総資本対総労働」の対決として激しく闘われながらも、総評指導部(協会派)の裏切りによって敗北し、労働組合がガタガタにされたことが、この事故につながった。「闘いなくして安全なし」は三池労組のスローガンだったにもかかわらずだ。
 三河島事故での国鉄当局の主張は、「職員の精神的不注意」「規律の欠如」というもので、4人の運転士が刑事告訴される。この事故をめぐって動労の中では本部と現場が衝突する。国労・動労本部は、国鉄の各局長や労組代表で構成する「事故防止委員会」の設置で合意するのだが、直後に開かれた動労青森大会では代議員の激しい怒りが噴出し、「事故防止委員会」の設置に関する協定の批准を拒否し、執行部が総辞職する事態になった。そして63年に初めて「安全闘争」という考え方が打ち出される。63年末に尾久・田端の基地統廃合反対闘争が闘われる。当時、動労の青年部長だった松崎のお膝元だ。だが、動労はATS設置を当局がのんだことで、闘争を中止する。松崎もそれを「成果だ」と評価して、闘いは終わる。カクマル松崎の裏切りはすでにこの頃から始まっていたのだ。
 67年には、機関助士廃止を焦点とした5万人合理化攻撃との闘いが起こる。動労・国労が9波のストを構えるという、国鉄反合闘争史に残る大闘争になる。しかし、これも「1人常務に関する安全性委員会」の設置で収拾される。
 その後、国鉄当局はマル生(生産性向上運動)攻撃をしかけ、国労・動労の切り崩しを行うが、これに対しては70年安保・沖縄闘争の高揚もあって、マル生粉砕闘争に勝利する。だが、それまでの体制内的な反合闘争が限界に突き当たることになる。
 船橋事故闘争は、こうした国鉄反合闘争の歴史を塗り替える画期的な闘争として勝利するのである。

 国鉄反合闘争の総括をかけた闘い

 動労千葉は、こうした闘いで団結を打ち固めたことによって、さらに77年〜81年の三里塚ジェット燃料貨車輸送阻止闘争、カクマルとの熾烈な攻防に勝ち抜いた79年3月の動労本部からの分離・独立、そして国鉄分割・民営化反対闘争を闘い抜くことができたのである。
 特に、国鉄分割・民営化攻撃は40万人のうち20万人の首を切るという究極の合理化攻撃だった。国鉄の労働組合の中のあらゆる党派が“たこつぼに潜って嵐が過ぎ去るのを待つ”か、動労カクマルのように国家権力・国鉄当局の完全な先兵となるという大裏切りの道を突き進む中で、動労千葉だけが唯一真っ向から攻撃に立ち向かい、渾身のストライキをたたきつけ、団結を維持することができたのである。「闘えば分裂する」という戦後労働運動の神話を打ち砕いた闘いであった。
 それはJR体制下での闘いに引き継がれ、相次ぐ合理化攻撃と闘い、組織拡大を実現する力となった。
 そして今、検修・構内業務の全面外注化攻撃は、七つのJR各社に分割した国鉄分割・民営化に次ぐ、第2の分割・民営化攻撃として、JRを数百の子会社・孫請け会社に分割する攻撃として襲いかかっている。
 動労千葉は、あらためてこの攻撃に対して、反合・運転保安闘争路線の真価をかけた、そして国鉄反合闘争の歴史の総括をかけた闘いとして組織の存亡をかけて闘い抜いている。

 合理化とは何か

 さて、動労千葉の反合・運転保安闘争路線を考察する上で、そもそも合理化攻撃とは何かという問題に触れておきたい。
 故・中野前委員長は次のように言っている。
 「合理化というのは今流に言うと『効率化』とか『リストラ』と言われる。本来、資本主義はそういうものだ。常によりコストの安い商品を作り上げる。そのためには労働者をどうやって効率よく働かせるかという、資本のひとつの自己運動だ。だから合理化は、労働者に対しては必ず労働強化と労働密度の強化という形で現れる。問題はそれに対する闘いだ」
 「反合闘争は、資本制そのものに対する闘いのような要素がある。だから一労働組合が個別資本との間だけでそれを貫徹することは大変だけれど、しかし資本に譲歩を余儀なくさせるということはできる。その点、日本では総評時代から反合闘争は非常に中途半端だ」「動労千葉の場合は、国鉄の運転部門の労働組合であるという特殊性から、『反合理化・運転保安確立闘争』というひとつの路線を確立した。だから合理化反対ということと、安全に運転するということを結合させて、当局に立ち向かう路線をつくりあげた。これが動労千葉の第一のスローガンだった」(『甦る労働組合』)
 つまり、合理化とは資本の自己運動であり、それに対する闘いは、資本主義体制そのものに対する闘いである。だから、究極的には資本主義打倒のプロレタリア革命によってこそ、反合理化闘争の勝利をかちとることができるし、そうした立場がなければ、常に妥協したり、かつての総評のように、いくらかの賃上げとバーターで合理化を認めていくということにならざるを得ないのだ。
 協会派もカクマルも「合理化絶対反対」と口先では言っていた。「本当の反合理化闘争は資本主義そのものの打倒へと結合して発展するものである」とは、1967年の国労の運動方針である。だが、現実の攻撃にはまったく立ち向かえず、その「立派な理屈」は逆に、「資本主義体制である以上仕方がない」という言い訳の理由にされる。そして協会派の反合闘争は学習会運動だけになり、カクマルは首切りと民営化の手先になるところまで転落した。

 ドイツ合理化運動

 

合理化を、より一般的に見ると、資本主義の歴史は絶えざる機械化による合理化の歴史だと言える。その上で、「合理化」がひとつの運動として全面的に推進されたのが第1次大戦後、ドイツ革命の敗北の後の「ドイツ合理化運動」である。20世紀に入り大量生産工場が登場し、他方で1917年にロシア革命が勝利する。ドイツでも1918年にドイツ革命が起きたが敗北、世界革命の波が退潮していく。そして24年に資本主義の相対的安定期と言われる時期になる。
 この時期に、ドイツ独占資本は、アメリカ資本の援助も受けながら、国家の支援のもとに、ドイツ社会民主党とナショナルセンターである自由労働組合をもう一方の担い手として、労資協調主義で一種の国民運動として合理化運動を進めた。
 具体的にはアメリカのフォードで採用されたテイラー・システムを導入したことである。テイラー・システムとは、労働をストップウォッチで測定し、熟練度の高い労働者にやらせると何分でできるかを標準時間とし、その標準時間以下の者には階級分けをして、懲罰的、差別的賃金システムを導入したものである。
 ドイツでは、これをレファ・システムとして、より労資協調的に行った。こうしてドイツ独占資本の復活を図ったのである。それがまた、ナチス期の合理化運動へと引き継がれていった。労働者階級はナチズムのもとに組み敷かれていくことになるのだ。
 日本の戦後の合理化運動も、1955年の日本生産性本部の設立に始まり、職制組織とは別にインフォーマルな組織をつくり、労働組合を切り崩す、いわゆるマル生攻撃と一体で進められた。
 合理化攻撃は、このように労働組合を労資協調主義にからめとるか、あるいは徹底した労組破壊として推進されるのである。
 それに対する労働者の武器は闘う団結体としての労働組合である。労働組合が体制内的思想から脱却し、資本主義体制を打倒する視点で対決していった時に、合理化攻撃を打ち破ることができるのだ。
 したがって、反合闘争とは、プロレタリア革命を内包した闘いである。動労千葉の反合・運転保安闘争路線はそのような画期的なものなのである。

■第3章

 革命的労働者党への飛躍を

 労働者を組織し組織しよう

 ここまで、新たな国鉄全国運動が歴史的な闘いへの挑戦であること、そしてそれが動労千葉型労働運動、とりわけ反合・運転保安闘争路線に学び、動労千葉のような労働運動、それぞれの反合闘争をつくり出すことであることを明らかにしてきた。
 これは革共同にとって、どのような意味を持つか、そして革共同がどのような点を変革し、飛躍すべきかを明らかにしたい。

 11月集会1万人へ

 今年の11月労働者集会まで、あと3カ月余りである。われわれは、1万人結集をめざして、まずは6・13集会の成功に全力を挙げた。そして大きな成果を挙げたと言える。その地平に立って、この3カ月余りを文字通り組織の存亡をかけて闘い抜かなければならない。
 何よりも情勢がそれを求めているということだ。つまり大恐慌情勢に本格的に立ち向かう労働運動をつくり出すこと、すなわち大恐慌をプロレタリア革命に転化する闘いを組織することである。われわれは、それを外注化阻止、1047名闘争勝利をめざす国鉄決戦で実現するのだと確認してきた。
 その闘いの成否を、国鉄全国運動の組織化を軸にして11月労働者集会の1万人結集を実現することにかけきるということが求められている。
 全国運動を担う共闘組織を全国の地域・職場につくり出すということは、革共同が革命党として労働者階級との接点と交通を拡大し、革命的共産主義運動、プロレタリア革命運動に組織することと一体であるということだ。
 その中で、マルクス主義青年労働者同盟、マルクス主義学生同盟の各1000人建設を先頭にして、革共同を強大な革命党に飛躍させることである。

 大恐慌を革命へ

 大恐慌情勢は日ごとに激化している。08年リーマン・ショックから本格化した大恐慌に対して、全世界のブルジョアジーは、膨大な財政投入をもって大資本、金融資本を救済しながら、なんとか延命を図ってきたかに見える。
 だが、そのため国家財政の破綻が深刻になり、ギリシャ危機に象徴されるように新たな恐慌の激化を招来させているのである。
 ギリシャやポルトガル、スペインなどは深刻な情勢である。だが、それ以上に巨大な矛盾を蓄積させているのがアメリカ帝国主義や日本帝国主義なのである。すでに見たように日本の財政赤字はギリシャの比ではない。アメリカもそうだ。膨大なアメリカ国債を中国などが買ってアメリカ経済を支えているような構造が吹き飛べば、ドルの大暴落という事態に行き着く。
 新自由主義がもたらしたものは、巨大な過剰生産力による危機をマネーゲームでのりきり、社会的格差を拡大しながら帝国主義を延命させることだった。だが、今やそうした新自由主義は破産の時を迎えた。
 中国やブラジル、インドなどの新興諸国(BRICs)の経済成長に依拠して帝国主義が延命を図るなどということは不可能である。
 特に中国のバブル経済が破綻した時に大変な事態に突入することは明らかである。
 この間、中国で、ホンダ、トヨタの部品工場、ミツミなどの日系企業で労働者がストライキに立ち上がり、大幅賃上げをかちとっている。これは、中国スターリン主義に対する総反乱の開始である。外資を導入し、超低賃金労働で労働者をこき使い、膨大な利潤を上げているスターリン主義官僚と日帝などに巨大な打撃を与えるものである。
 7月7日、日本のホンダ資本に対して、動労千葉、全国労組交流センター、全学連などがホンダ資本弾劾、中国スト連帯の行動に立ち上がったことは、こうした大恐慌情勢下の新たな国際連帯行動として重要な闘いであった。
 さらに、それに先だって6月3日〜10日に動労千葉と全学連がブラジルを訪問し、ブラジル労働者階級との大合流を果たしたことは画期的意義を持っている。ブラジルのコンルータス(全国闘争連盟)全国大会、コンルータスとインターシンジカル(労組会議)の統一大会などに参加し、とりわけ動労千葉の訴えが圧倒的な共感をもって迎えられた。コンルータスの全国大会では「日本政府による国鉄分割・民営化攻撃を弾劾し、1047名の国鉄労働者の解雇撤回を求める決議」が採択された。
 コンルータスは、04年に創立され、かつては左派労働運動の指導者だった大統領・ルラ政権による新自由主義政策に真っ向から対決し、ランク&ファイルの労働者を組織して、スターリン主義と対決して闘い抜いている。このコンルータスとの合流は、日本の階級的労働運動が、革命の坩堝にある中南米労働者の闘いと共通するものであることを示した。これは、動労千葉の国際連帯活動の画期的な前進を切り開いたものである。
 革共同は、プロレタリア世界革命をめざす党として、この動労千葉の国際連帯の闘いに学び、応え、国際的な革命党の建設に向かって全力を挙げなければならない。
 確かに今、ヨーロッパを始めとしてストライキの嵐が世界を覆っている。しかし、それが直ちに革命に結びつかないのは、反帝国主義・反スターリン主義の党が確固として存在していないからだ。
 だからこそ、大恐慌をプロレタリア革命に転化するためには、反帝・反スターリン主義の革命党が絶対に必要なのだということを今こそ全世界の労働者に訴えなければならない。そのことを可能にするのが、動労千葉労働運動の存在とその発展なのである。

 労働者階級との接合

 4・9和解情勢のもついまひとつの側面は、動労千葉排除ということに示された敵権力の階級意思ということである。つまり労働運動全体を壊滅し尽くすことをとおして、動労千葉を解体し、革命的共産主義運動と労働者階級を分断していくということである。それをもって革共同を解体していくことを狙ったものだ。「動労千葉は過激派である」というキャンペーンを張り、“労働運動と革命運動は別なんだ、労働運動に革命運動を持ち込むな”という主張をもって、労働運動と革命運動を切断する。こうして革共同と労働者階級の接合を一切断ち切るということをとおして解体していくことを狙ったものなのである。
 これに対して、6・13大集会で始まった新たな全国運動は、革共同にとって見れば、プロレタリア革命を具体的に引き寄せることができる組織的=実践的方針を明確化させたという意義を持っている。
 危機が激化し、労働者の怒りが結集すれば労働者は自然に立ち上がるという立場をわれわれはとらない。革命運動の歴史を見ればそれは明瞭だ。ロシア革命は、第1次世界大戦という歴史上初の帝国主義戦争の爆発に対し、労働者の怒りの決起が全世界で巻き起こった中で、レーニンが率いるボルシェビキが存在したからこそ、プロレタリア革命の勝利に結実させることができた。
 レーニンは、ロシア革命後に『共産主義における左翼空論主義』において、ロシア革命の教訓として、「党の規律」「大衆と結合する能力」「正しい政治方針」の重要性を説いている。
 われわれは、本当の意味で体制内派をのりこえる党派性のある党派として、本当の意味での大衆性を獲得し、労働者階級を獲得していかければならない。
 大4節 革命党のための闘いと階級的労働運動の創造
 革命の大道を切り開く唯一の集約点は革命的労働者党のための闘いである。その場合、次の点を確認することが必要である。
 一つは、革命的労働者党のための闘いと切り離されて、階級的労働運動の意義や重要性が語られるとすれば、それは明らかに別のものに転化するということである。
 二つに、日本労働者階級の営々たる闘いの歴史の真正な継承者、その危機的現状の真の変革者として労働者階級と結合すること、階級的労働運動を創造するための行動の能力、活動の方法と内容を高める困難な実践と少しでも切り離されて党のための闘いの意義や重要性が語られるとするならば、その党は明らかに別なものに転化するということである。
 三つに、革命的労働者党のための闘いと階級的労働運動の創造を一体的に推進するということを保障するものは何かということである。それは@階級情勢に対する感受性を高めること、A階級闘争のあらゆる契機、歴史から学び取る能力を高めること、B革命の本質的把握、すなわち何のために何を解放するのかについて、マルクス主義の理論的・実践的復権を徹底的に推し進めることである。
 中野前委員長が語っていたことによれば、「時代認識・路線と義理・人情」が必要だということである。すなわち現代がまさに革命情勢の到来であることをしっかりととらえ、労働運動の敗北と勝利の教訓から学び、とりわけ動労千葉の反合・運転保安闘争路線の勝利性をしっかりと学ぶこと。そして労働者こそが社会の主人公であり、労働組合は社会を変革する武器となるものであり、労働者階級こそが自らを解放し、新しい社会を建設する能力を持った階級であるというマルクス主義の神髄を復権させること。そして、「義理・人情」とは、労働組合の中で身につける労働者的規律のことであり、労働者が納得する方針を提起する力を指導部が持つということである。

 3全総路線を継承し

 「この動労千葉労働運動はしかし、何もないところから自然に生まれ出てきたのではない。その背景には、革命的共産主義運動による、マルクス主義の奪還と再確立のための半世紀にわたる闘いがある。
 とりわけ重要なのは、19
62年の革共同3全総(第3回全国委員総会)から70年安保・沖縄闘争の爆発に至る約10年間の闘いである。ここで革共同は、創成期の苦闘を止揚して党の基礎を打ち固めるとともに、日本階級闘争の新たな、独自の組織化に全力を挙げて突入した。……その出発点となったのは、3全総で打ち出した『戦闘的労働運動の防衛と創造』『地区党建設』『統一戦線』の路線であった。その核心は、スターリン主義と決別した新たな革命党建設の歩みを開始した革共同が、サークル主義やそれと表裏一体の民同労働運動への埋没といったあり方を打ち破り、プロレタリア革命の実現に向けて全労働者を本格的に組織する闘いに総力で打って出ることにあった。党が労働運動と反戦闘争・政治闘争の先頭に立って闘い、小なりといえどもその闘いに全責任を取りきることをとおして、総評傘下の戦闘的な組合活動家や現場の労働者大衆と圧倒的に結合し、彼らを革命の思想と路線のもとにぐいぐいと獲得していった」(2010年『前進』春季特別号アピール)
 こうした闘いの上に、前述したような動労千葉の戦闘的な変革が闘いとられ、反合・運転保安闘争路線が打ち立てられたのである。
 64年の5全総第3報告では、次のように言っている。
 「大衆の感情と意識に密着して行動を組織することと、それを真の階級的立場に高める意識的闘争とが、現実的に結合されねばならず、その両面において、するどい党派闘争が展開されるのである。われわれの党派闘争・独自活動とは、まさにこのなかにおいて、日共・社民・その他もろもろの思想をうち破り、その論争をとおして行動に結集する大衆と、その一人一人の階級意識の深化をもって貫徹されるのである。これは、安易な一面化――大衆を動員するのに一時的に有利な要素にのみ自己自身までを埋没させてしまったり、あるいは大衆の意識を無視して『階級的視点』を独断的に主張することで革命的にたたかったと錯覚したりする傾向を、常に厳しく反省して進まねばならないのである。一人の労働者や学生を、こうした討論のなかで行動に立ちあがらせ、その行動の意義を自己の内部に確認し、自己の思想化して行く努力こそ、運動の組織であり、かつ党建設の過程でもあるのだ」
 われわれは、こうした結成以来の伝統を引き継ぎ、党と階級的労働運動を一体的に創造するという壮大な挑戦に踏み出したのだ。
 ひるまず、断固としてこの道を進もう。国鉄全国運動の発展で11月1万人を実現しよう。

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月刊『国際労働運動』(409号4-1)(2010/09/01)

翻訳資料

 ■翻訳資料

 「核態勢見直し(NPR)2010」(上)

 

 鵜川遊作 訳

 【解説】

 世界大恐慌の嵐の中、大失業と戦争の時代が始まった。帝国主義間争闘戦が激化し、米帝基軸の戦後世界体制の崩壊が進んでいる。オバマの「核なき世界」とは、米帝の圧倒的な核独占体制を再確立して核戦争と第3次世界大戦に突入していくものだ。1930年代と同じく、全世界における労働組合をめぐる資本・体制内派・スターリン主義との党派闘争に革命派が勝利することに一切がかかっている。
 プロレタリア世界革命にだけ核を廃絶する力がある。

 核廃絶のペテン

 オバマ・プラハ演説から1年経った2010年4月7日、米政府は「核態勢見直し(NPR)2010」を発表した。その書き出しはこうなっている。
 「オバマ大統領は21世紀における核の危険性を鮮明にさせた。その深刻な大きくなる脅威を克服するために、米国は『核兵器のない世界の平和と安全を求める』と宣言したのだ」  「オバマ大統領は21世紀における核の危険性を鮮明にさせた。その深刻な大きくなる脅威を克服するために、米国は『核兵器のない世界の平和と安全を求める』と宣言したのだ」
 オバマがあたかも核廃絶宣言をしたかのように言いつつ、実は核戦争宣言であることを展開していく。
 「今日の最も緊急な重大な脅威は核テロリズムである。アルカイダとその過激な仲間は核兵器を求めている。彼らはそれを手に入れれば、その兵器を使うと考えなければならない」と激越な調子で、核テロリズムの危機をアジっている。  「今日の最も緊急な重大な脅威は核テロリズムである。アルカイダとその過激な仲間は核兵器を求めている。彼らはそれを手に入れれば、その兵器を使うと考えなければならない」と激越な調子で、核テロリズムの危機をアジっている。
 さらに、「今日、特に注目すべき脅威は核拡散である。……北朝鮮とイランは、核保有の野望を追い求め、核不拡散の義務を破っている。国連安全保障理事会の指示を無視し、さらに、ミサイル運搬能力を追い求め、彼らがつくり出した危機を外交手段で解決する国際的努力に反抗している」と、NPTから脱退した北朝鮮、NPT加盟国でありながら核不拡散の義務を破っているとイランを断罪し、
 「米国は、NPTに加盟し、核不拡散義務に従っている非核国に対しては核兵器を使わない」という言い方で北朝鮮とイランへの核戦争を公然と宣言した。  「米国は、NPTに加盟し、核不拡散義務に従っている非核国に対しては核兵器を使わない」という言い方で北朝鮮とイランへの核戦争を公然と宣言した。
 さらにこうも言っている。
 「国際安全保障環境は冷戦終結以来劇的に変化した。世界核戦争の脅威は小さくなったが、核攻撃の危険は増加した」  「国際安全保障環境は冷戦終結以来劇的に変化した。世界核戦争の脅威は小さくなったが、核攻撃の危険は増加した」
 「核テロリズムと核拡散の増加する緊急の脅威に直面して、米国は、存在している核大国、とりわけロシアと中国との戦略的安定性を確信させるこれまでの試みに取りくみ続けなければならない」  「核テロリズムと核拡散の増加する緊急の脅威に直面して、米国は、存在している核大国、とりわけロシアと中国との戦略的安定性を確信させるこれまでの試みに取りくみ続けなければならない」
 「核計画、それを進める戦略と理論と同様その進捗速度や規模を巡る透明性の不足が中国の未来への戦略的意図に関する疑問を引き起こしている」が、  「核計画、それを進める戦略と理論と同様その進捗速度や規模を巡る透明性の不足が中国の未来への戦略的意図に関する疑問を引き起こしている」が、
 「核脅威環境のこうした変化はわれわれの核への懸念と戦略目的の順序を変えた。今後は、核兵器能力を持つ国が増えるのを諦めさせ、テロリスト・グループが核爆弾あるいは、それを作る物質を手に入れないようにするのを最優先させなければならない」と。  「核脅威環境のこうした変化はわれわれの核への懸念と戦略目的の順序を変えた。今後は、核兵器能力を持つ国が増えるのを諦めさせ、テロリスト・グループが核爆弾あるいは、それを作る物質を手に入れないようにするのを最優先させなければならない」と。
 米ソ対決の冷戦時代のような世界核戦争の脅威は小さくなった、核大国であるロシアと中国との間の戦略対話も進んでいる、米の核兵器の役割も冷戦時代とは同じではない、特に中国についてその核計画などでの不透明性による疑問はあるが、最大の問題としてある北朝鮮やイランの核武装を阻止すること、テロリストが核物質を入手するのを阻止することを最優先させると言っている。
 01年「9・11」反米ゲリラ戦を受けて、ブッシュ大統領は「対テロ戦争」を打ち出し、「外への侵略戦争、内への階級戦争」を全面的に展開した。パトリオット(愛国者)法制定と、アフガニスタン、イラク侵略戦争である。
 オバマの「核テロ対策」は「対核テロ」戦争宣言だ。イラン、北朝鮮侵略戦争を核戦争として構え、全世界の階級闘争、民族解放闘争、労働運動を破壊し、世界核戦争を準備するものだ。

 5つの重要目標

 NPRは、具体的に5つの重要目標にまとめている。
1.核拡散と核テロリズムを阻止すること
2.米国家安全保障上の核兵器の役割を減らすこと
3.減らした核戦力レベルで、戦略的抑止力と安定性を維持すること
4.地域的抑止力を強め、同盟国と提携国を再保障すること。そして、
5.安全、確実、効果的な核兵器を維持すること。
 5つの目標の全部が、米帝の核独占によって世界を支配する強固な意思を表明し、そのための政策と方法を語っている。
 1項を実現する口実のもとに、北朝鮮、イランなどへの核戦争を宣言している。核廃絶などはまったく問題になっていない。
 2項の米国国家安全保障上の核兵器の役割を減らすことは、ペテンである。実際には核増強態勢をとっている。
 3項は、米ロ核軍縮条約で行われたことである。核軍縮の内容は戦略核が対象だが、戦略核は相互に重要性が低下しており、戦術核に重心が移っている。相互に都合がいいものを削減し、戦術核は強化している。
 4項は、例としては日米同盟である。北朝鮮や中国の核武装が日本の核武装の口実となることを抑え込むということだ。そのためにも米の核抑止力が重要であるとしている。
 5項では核兵器の維持が決定的であることを恥知らずにも言い切り、核体制の強化を宣言している。

 核兵器生産の増強計画

 以上のことは、米帝が核兵器の生産にどれだけの資金を注ぎ込んでいるかを見れば一目瞭然である。米ソが死力を尽くして核軍拡競争を繰り広げていたころ、核兵器の開発生産に注ぎ込まれていた予算は平均42億jであった。この額自体が異常に大きく、軍事産業・金融資本が人民の税金を食い散らかしている証だ。
 1991年のソ連崩壊以降、冷戦が終結してロシアの核の脅威から自由になり、その支出は激減するはずであった。だが、98年から逆に上昇し始め、01年から急上昇し、08年には65億j、50%も上昇し(表参照)、2020年に向かって100億jに達しようとしている(グラフ参照)。
 2006年10月、ブッシュ政権の下で、エネルギー省の国家核安全保障庁(NNSA)は「21世紀の脅威に対応する核兵器施設のための基盤施設計画」『Complex2030』を提出している。「安全で、確実で、効果的な」核弾頭を作るために、マンハッタン計画以来使われてきた8つの施設を新しく作り直す計画である。その予算規模は2030年までに1550億jないし、1750億jとも見積もられる巨大なものである。
 ベクテル、ロッキード・マーチン、カリフォルニア大学、ハネウェルなどの軍事企業が受注し、莫大な利権が保証され、利権をむさぼっている。オバマ政権はこれをそのまま引き継いでいる。
 オバマ政権は、原発の建設、輸出によって、ベクテルなどの軍事企業の利権を保証しようとしている。ベクテルは世界で最初の原発を建設して以来、米国内の原発の50基あまり、全米の約50%を受注し、インドの原発などアジアの原発にも関わり、放射能の国際基準を一切無視し、世界中に放射能をばらまいてきた。
 インドの核武装にも、今回のインドとの原子力協定にも深く絡んでいる。ベクテルはレーガンを大統領に据え、国防長官、国務長官、エネルギー副長官を送り込み、核兵器・原発生産の利権をむさぼった。イラク戦争、アフガン戦争にも、その戦争利権に深く絡んでいる。
 世界最大の建設エンジニアリング会社であるベクテルは「われわれは建設とかエンジニアリングを商売にしているわけではない、ただ金儲けを仕事としているだけだ」とうそぶいている。
 ベクテルに見習って、日本の日立、東芝、三菱などが原発輸出の権益を、アジア市場を巡って、米帝と争っている。菅・民主党政権は核武装、原発輸出を政策の根幹に据えた。
 沖縄の怒り、広島、長崎の怒り、世界の労働者の怒りを8・6広島、8・9長崎の闘いで解き放ち、オバマ政権、菅政権を打倒しよう。
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 ■NPR(要旨)

 2009年4月のプラハでの演説で、オバマ大統領は21世紀における核の危険性を鮮明にさせた。その深刻な大きくなる脅威を克服するために、米国は「核兵器のない世界の平和と安全を求める」と宣言したのだ。彼はそのような野心的な目標は直ぐには達成できないであろう、多分自分が生きている間には、それも分かっていると言った。
 しかし、大統領は、核兵器の数を減らし、米国の安全保障戦略上の核の役割を減らすことを含む到達点に向かって着実に歩んでいく決意を表明したのだ。同時に彼は、核兵器が存在する限り、潜在的な敵を抑止し、米国の安全保障への責任を頼りにする同盟国や安全保障連携国に確証を与えるために、米国は安全な、確実な、効果的な核兵器を保有し続ける、と断言した。
 『核態勢見直し(NPR)2010』は、核の危険を減らし、核なき世界の目標を追求する大統領の公約を進めるための政府の政策の概要を示し、同時により広い米国の安全保障上の成果を獲得することを期している。
 NPRは大統領の国家安全保障の優先性と「QDR2010」に示された支援すべき防衛戦略目標を反映している。
 国際的な安全保障環境の基本的変化を説明した後、NPR報告は核兵器政策と態勢についての5つの重要目標に焦点を当てている。
1.核拡散と核テロリズムを阻止すること
2.米国家安全保障上の核兵器の役割を減らすこと
3.減らした核戦力レベルで、戦略的抑止力と安定性を維持すること
4.地域的抑止力を強め、同盟国と提携国を再保障すること。そして、
5.安全、確実、効果的な核兵器を維持すること。
 NPRは主に次の5年から10年間に取られる手順に焦点を当てたが、それはまた長期間に及ぶ米核戦略と態勢の今後のやり方を考察した。
 核の危険を減少させるための努力を行いつつ、自国と、同盟国と連携国の安全保障を確保することは米政権と議会の長期にわたる協調的努力が要求される。今後のやり方への持続的な合意を育むことが最も重要である。

 変化した、変化しつつある、国際安全保障環境

 国際安全保障環境は冷戦終結以来、劇的に変化した。世界核戦争の脅威は小さくなったが、核攻撃の危険は増加した。
 オバマ大統領が明らかにしたように、今日の最も緊急で重大な脅威は核テロリズムである。アルカイダとその過激な仲間は核兵器を求めている。彼らはそれを手に入れれば、その兵器を使うと考えなければならない。
 世界中のこうした核物質の膨大な貯蔵が盗まれたり、奪われたりしやすいこと、また核の秘密市場で決定的な装置や技術が入手できるということは、テロリストが核兵器を作るために必要なものを手に入れ得るのだ、という深刻な脅威を生み出す。
 今日、特に注目すべき脅威は核拡散である。さらにある国々、特に米国やその同盟国、連携国、もっと広い国際社会とうまくいっていない国が核兵器を持つかも知れない。
 北朝鮮とイランは、核保有の野望を追い求め、核不拡散の義務を破っている。国連安全保障理事会の指示を無視し、さらに、ミサイル運搬能力を追い求め、彼らがつくり出した危機を外交手段で解決する国際的努力に反抗している。彼らの挑発的な行動はその地域の不安定性を増大させ、近隣諸国にその国独自の核抑止力保有の選択を考えさせる圧力を生み出した。これらの国や他の国が不拡散基準への不従順を続けることは核不拡散条約(NPT)を弱め、米国と国際社会に対する逆の安全保障を意味することになるという深刻な事態となる。
 核テロリズムと核拡散の増加する緊急の脅威に直面して、米国は、存在している核大国、とりわけロシアと中国との戦略的安定性を確信させるこれまでの試みに取りくみ続けなければならない。ロシアは、核兵器能力の点では米国の唯一の対等な相手として残っている。
 しかし、米ロ関係は冷戦の時代から本質的に変化した。政策の違いが2国間に生起し続ける一方、ロシアはなお恐るべき核戦力を近代化し続けている。ロシアと米国はもはや敵同士ではない。軍事的対立の見込みは著しく減少した。2国は、核テロリズムと核拡散の阻止を含む、共通利害の領域では協力する機会を増している。
 米国と中国は相互に依存し合う機会を増やしており、そして大量破壊兵器(WMD)やテロなどの世界安全保障上の脅威への対処では共有する責任が増加している。同時に、米国とアジアの中国近隣諸国は中国の核兵器の質量ともの革新を含む現在の軍事近代化路線を懸念している。
 中国の核兵器貯蔵はロシアや米国の貯蔵量よりずっと小さいままだ。しかし、核計画、それを進める戦略と理論と同様その進捗速度や規模を巡る透明性の不足が中国の未来への戦略的意図に関する疑問を引き起こしている。
 核脅威環境のこうした変化はわれわれの核への懸念と戦略目的の順序を変えた。今後は、核兵器能力を持つ国が増えるのを諦めさせ、テロリスト・グループが核爆弾あるいは、それを作る物質を手に入れないようにするのを最優先させなければならない。
 同時に、われわれはロシアと中国との安定した戦略的関係を維持し、どんな新興の核武装国による脅しにも反撃しなければならない。
 その際、米国、同盟国、そして連携国を核の脅威あるいは脅しから守らなければならず、自らの核抑止を求めようとする動機を押さえなければならない。

 米核兵器政策と戦力態勢の意図すること

 二軍事超大国対立の冷戦時代から引き継いだ膨大な備蓄核兵器は自爆テロや核武装しようとする対立的な体制からの挑戦に対処するにはうまく適合できない。
 それ故、核テロと核拡散を阻止するために、われわれの最も緊急な要請として、核政策と核態勢の再編が極めて重要である。これはわれわれの核抑止がどうでも良くなったということを意味するものではない。実際、核兵器が存在する限り、米国は安全な、確実な、効果的な核戦力を維持する。核戦力は潜在敵国への抑止と世界中の同盟国、連携国の安全を保障するために必須の役割を果たし続ける。
 しかし、最近数年間の国際安全保障環境の本質的変化は、それは無敵の米通常(非核)軍事戦力の発展、ミサイル防衛における大きな前進、さらに冷戦の競争相手が扱いやすくなったこと等を含んでいるが、われわれはずっと低い核戦力水準で、核兵器への依存を減らして、これらの目的を達成できる。
 それ故、われわれは今や、これまでの抑止と再保障の目的を損なうことなく、こうした最も危険な安全保障への挑戦に対応できるように、核兵器政策と戦力構成を作成できるようになる。
・米国の核兵器の役割と数を減らすことによって、それは核軍縮へ向けて前進するためのNPT4条にかなっているので、不拡散体制を再活性化し、世界中の核物質を防護するのに必要な手段を採用するようわれわれと協力してほしいとNPTメンバーにずっと説得しやすくなる。
・信頼できる核抑止を維持し、ミサイル防衛や他の非核軍事戦力によって地域的安全保障の構築を強めることによって、われわれは世界中の非核同盟国や連携国にわれわれの安全保障の約束を再保障し、彼ら自身が核兵器保有の必要がないことを確認する事ができる。
・米核兵器の寿命を延ばす健全な備蓄管理計画を進めることによって、われわれは、新しい核弾頭を持つことなく、これ以上の核実験をすることなく、安全、確実、効果的な抑止力を保障できる。
・古い核施設を現代化し、人材を投入することによって、われわれは本質的に技術的な地政学的な予期しない奇襲に備えている核兵器の数を減らすことができるし、退役した核弾頭の解体を加速し、外国の核兵器活動についてのわれわれの理解を進めることもできる。
・ロシアと中国との戦略的安定性を進め、透明性と相互信頼を高めて、核兵器のない世界へ向かって動く条件を生み出し、核拡散と核テロに対処するより強力な基盤を作ることが出来る。
・国際問題における核兵器の突出を減らすように働き、それを廃絶するように一歩一歩進むことによって、さらに多くの核武装国が存在する世界に生きることを運命づけられているという大きな 懸念を逆転し、自らの核武装によって不確定な未来への保障をしようとする動機を減らすことができる。

 核拡散と核テロの阻止

 核兵器のない世界へ向かってゆくわれわれの努力の決定的な要素として、米国は、世界核不拡散体制を再構築し、強化する国際的努力を広げてゆこう。そして、NPR2010は、初めて、これを米国核公約の最優先課題に位置付けた。
 われわれは核の転換点に近づきつつあるという憂慮が最近大きくなってきた。今日の危険な傾向が止められなければ、すぐにわれわれは着実に核武装国の数が増え、核兵器を手にするテロリストが増加する可能性の世界で生きることになるだろう。
 核拡散と核テロを阻止する米国の方法は3つの重要な要素を含む。1番目に、われわれは、北朝鮮とイランの核への野望を逆転させ、国際原子力機構(IAEA)の予防手段を強め、彼らに従わせ、不法な核取引を妨げ、核拡散のリスクを広げないで原子力エネルギーの平和利用を促進することによって、核不拡散体制とその中心的な存在、NPTを強化する。
 2番目に、われわれは、4年間で攻撃を受けやすい世界中のすべての核物質を防護するというオバマ大統領の提案を実行する努力を加速する。
 そして、3番目に、新戦略兵器削減条約(新START)、包括的核実験禁止条約の批准と発効、検証できる核分裂物質のカットオフ条約の話し合いを含めて、不拡散体制と世界中の核物質の防護を強めるための措置への幅広い国際的な支援を呼びかける能力を強める手段として、兵器管理の取り組みを進める。
 政権の主要な構想は以下である。
・世界脅威縮小構想と国際核物質防護とその協力計画を推し進める事を含めた、世界中の全ての奪われやすい核物質の防護を呼びかけた大統領のプラハ提案を大胆に推し進める。
 これは、エネルギー省の核不拡散計画として25%以上の増額、27億jの2011年度予算増額措置を含んでいる。
・不法な拡散ネットワークを解体させる国家的国際的能力を強め、核物質の密輸を阻止し、テロリストの核爆発装置に使われた、あるいは使おうとする核物質の供給源を特定できる能力を高める核科学捜査の取り組みを拡張し続ける。
・検証技術の拡張された作業と透明性対策の開発を含む、核兵器のない世界へ向けて続けられている努力を支援する包括的国家研究開発計画を主導する。
・大量破壊兵器を手に入れたり、使うテロリストの試みを支援したり、可能にする、そういった試みを助けたり、財政支援したり、専門知識を与えたり、安全な場所を提供したりする、どんな国家、テロリスト・グループ、あるいは他の非国家活動家に対しても、完全に責任を取らせる米国の誓約を再確認する。
 大4節 米核兵器の役割を減少させる
 米国家安全保障と米軍事戦略上の核兵器の役割はここ数年間で著しく減少したが、今回さらにそれを進めることはできるし、すべきである。
 米核兵器の基本的役割は、核兵器が存在する限り、米国、同盟国、連携国への核攻撃を抑止する事である。
 冷戦中は、米国はソ連とワルシャワ条約国による膨大な通常兵器攻撃への反撃として核兵器の使用権を留保してきた。
 その上、米国が国際条約に従ってその独自の化学生物兵器(CBW)〔ある国はそれを持ち続け、あるいは持とうとしているが〕を放棄した後、米国、同盟国、連携国へのCBW攻撃を抑止するために核兵器の使用権を留保している。
 冷戦の終結以来、戦略状況は根本的に変化した。米非核兵器の優位性の定着、米ミサイル防衛の引き続いて行われている改良、CBWの効果を軽減する能力によって、通常兵器、生物、化学兵器の非核攻撃を抑止する米核兵器の役割は著しく減少した。
 米国は非核攻撃の抑止力としての核兵器の役割を減少させ続ける。
 そのために、米国は、NPTに加盟し、核不拡散義務に従っている非核国に対しては核兵器を使わない、あるいは使うと脅さないと宣言することにより従来から行われてきた「負の安全保障」を強化する用意が今や米国にある。
 この修正された保証はNPTを順守し、完全に従うことの安全保障上の利益を強調し、不拡散体制を強める効果的手段を採用する米国や他の関係団体とともに仕事をするために、非核兵器国を条約に参加させる説得をする意図がある。この強化された保証を作り上げて、米国は、米国、同盟国、連携国に化学あるいは生物兵器を使うと断言することは通常兵器による壊滅的な軍事的反撃の可能性に直面することはどの国にも適用されることを確認する。
 さらに、国家の指導者であろうと、軍事司令官であろうと、その攻撃への責任は個人が負う。
 生物兵器の最悪の可能性とバイオ技術発展の急速な速さを前にして、米国は、生物兵器の脅威の進化と拡散によって正当化される保障と、その脅威に反撃する米国の能力との調整をする権利を留保する。核兵器を持っている国や核不拡散の義務に従わない国など、核攻撃されない保証がなされない国の場合は、米国、同盟国、連携国に対しての通常兵器あるいはCBWの攻撃を抑止するために米国の核兵器は未だ役割を演じる緊急事態の多少の領域が残る。
 それ故、米国は現時点で、核兵器の唯一の目的が核攻撃の抑止であるとする一般政策を採用できないが、そのような政策が安全に適用できる条件の確立を目指す。
 かといって、それは、新しい保証で守られていない国に対して核兵器を使うことに大いに乗り気になったということを意味するものではない。実際には、米国は、米国、その同盟国、連携国の死活的な利害を防衛するための極端な状況でのみ核兵器の使用が検討されるのだということを強調しておきたい。
 ほぼ65年間核兵器を使っていない記録を永遠にまで引き延ばすことに、米国の、すべての他の国の利害があるのだ。
 したがって、NPRの主要な結論としては、
・米国は、米国、その同盟国、連携国への核攻撃の抑止を米核兵器の唯一の保有目的としようとして、通常兵器戦力を強化し続けて、非核攻撃抑止には核兵器への依存を減らしている。
・米国は、米国、あるいはその同盟国や連携国の死活的利害を守るためのぎりぎりの状況でのみ核兵器の使用を考える。
・米国は、NPTに参加し、核の不拡散義務に従う非核国家に対してのみ核兵器を使用しないし、使用すると脅かさない。

 縮少核戦力レベルでの戦略抑止力と安定性の維持

 冷戦の終結以来、米国とロシアは実戦配備戦略核兵器を約75%減らしたが、双方とも抑止に必要以上の核兵器をなお保有している。政府は、著しく縮小した戦力水準で安定性を維持するためにロシアと作業してゆく約束をした。

 新START

 この過程の次の段階は現在期限切れの1991年STARTT条約を別の裏付けされている合意、新STARTに置き換えることである。NPRの初期の作業は新START交渉で米の立場を発展させ、米軍力を新合意によって求められる縮少に照らして、どう組み立てるか考えることであった。NPRは次の結論に達した。
 (つづく)

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月刊『国際労働運動』(409号5-1)(2010/09/01)

■Photo News

 ●ギリシャで5度目と6度目のゼネスト

 

(写真@A)

6月29日、ギリシア政府の緊縮財政政策に反対し、ギリシャ全土は5度目のゼネストに突入した(写真@A)。ゼネストはギリシャ公務員連合(ADEDY)と民間労働者のギリシャ労働総同盟(GSEE)が呼びかけた。このゼネストによって鉄道・地下鉄・バス・国内航空などの公共交通を始め、ほとんどの政府の事務所・公共サービス・学校・病院から銀行、マスコミもストに入り、テレビニュースも止まった。

 (写真BC)

 7月8日には、上記両組織の呼びかけによる第6回目の官民労働者ゼネストが行われ、数万人の労働者が首都アテネなどで街頭デモに出た(写真BC)
 この2つのゼネストは、ギリシャ政府が国際公約の履行として強行しようとしている資本主義延命のための犠牲を、ギリシャの労働者階級があくまで拒否する宣言をおこなった決定的なゼネストだ。しかも公務員と民間の労働者が団結してゼネストで抵抗している。ギリシャの労働者は体制内派の指導部に対してゼネストを強要するほどに闘争体制を強化しているのだ。この闘いの中から革命的指導部を生み出し、その下に世界革命をめざす闘いを実現することが、今こそギリシャの労働者階級に問われている。

 

 ●中国ストライキに連帯

 (写真DE)

 

7月7日、中国ホンダでストライキを闘う中国の青年労働者との連帯行動が、動労千葉と全国労組交流センター、全学連の呼びかけで取り組まれた。平日の真昼間の緊急行動だったが、東京・関東から労働者・学生約60人が参加した(写真DE)
 青山一丁目交差点、そびえ立つ「本田技研工業本社」前に「中国ホンダ・ストライキと連帯して闘うぞ!」の横断幕、「2人の労働者の解雇を撤回せよ!」「闘う労働組合をつくろう!」のメッセージボード、動労千葉や労組交流センター、全学連の旗、各地の合同労組ののぼりがところ狭しと林立した。道行く人びとにビラをまいて、ホンダ本社弾劾行動を訴えた。あちこちでビラを広げながら話しの輪ができた。

 

 

 ●ILWU、イスラエル船の荷降ろし阻止

 (写真FG)

 6月20日、アメリカでILWUローカル10組合員と反戦活動家の力でイスラエル船の荷降ろし作業を24時間阻止する歴史的大勝利を勝ち取った(写真FG)。こうしたイスラエル船への阻止行動はアメリカでは歴史的に初めてのことである。
 5月31日に、イスラエル特殊部隊が高速艇とヘリコプターを使って、パレスチナ自治区ガザに向かう国際支援船団を公海上で急襲、拿捕し、乗船者9人を殺害、30人以上を負傷させた行為にたいして全世界で抗議行動が行われている。そうした中でのこの阻止行動は決定的に意義のあるものとなった。行動の呼びかけ人に、運輸労働者連帯委員会(TWSC)のスティーブ・ゼルツァー氏が名を連ねている。

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月刊『国際労働運動』(409号6-1)(2010/09/01)

世界経済の焦点

 ■世界経済の焦点

 BP原油事故と資源争奪戦

 「インフラ海外展開」にかける日帝・菅政権

 今回は、世界大恐慌のもとで激化している「資源争奪戦」の現状について見ていきたい。

 □史上最大の原油汚染

 4月20日、アメリカ南部ルイジアナ州のメキシコ湾沖合で起きた英石油大手BPの石油掘削基地の爆発事故は、歴史的な大事件だ。基地の爆発で労働者11人が死亡、17人が負傷するとともに、水深1600bの海底からさらに約4500b下の石油貯留層に到達する掘削パイプが折れ、大量の原油がメキシコ湾全体に流出。その総量は7月16日時点で約70万`リットルと推計されている。
 今回の事故は、1969年カリフォルニア州沖の石油掘削基地での原油流出事故(流出量3000`リットル)、1989年アラスカ州沖でのタンカー事故(同4万`リットル)をはるかに超える、米国史上最大の原油汚染事故となった(写真)。
 オバマ大統領は、就任以来初めて、大統領執務室から異例の演説を行い、「01年の同時多発テロに匹敵する国難だ」などと訴えた。事故直前の4月1日、アメリカ沖合での海底油田の大規模な新規採掘を解禁したオバマは、事故を受けて一転、深さ150b以上の海底油田開発を半年間凍結すると発表。世論調査では「オバマは信用できない」という声が6割に達した。アメリカ労働者階級の怒りの高まりにオバマ政権はグラグラだ。
(写真 大爆発し炎上するBP石油掘削基地【メキシコ湾沖合】)

 □首切り・安全無視のBP資本

 事故の直接の原因は、BPがコスト削減と工期短縮のために油井の設計を簡略化し、安全無視の手抜き工事をしたことだ(『前進』第2445号)。それも今回が初めてのことではない。BPは、05年テキサス州の製油所爆発事故や06年アラスカ州の石油パイプラインの腐食による原油漏出事故などをくり返してきた。テキサスの事故は労働者15人が死亡し、180人が負傷、周辺住民4万3000人がシェルターに避難するという大惨事だった。
 この事故に関する調査報告は「米国内5カ所の製油所すべてに重大な安全上の問題がある」と指摘したが、BPは「原子力発電所の事故よりはるかにリスクが低い」などと居直り続けた。BP幹部らを告訴しようという動きは、ブッシュ政権時代の司法省によって却下された。
 今回も事故の前から、数々の安全上の問題が指摘されていた。原油やガスの噴出・爆発を防ぐために設置されていた噴出防止装置も作動しなかった。この装置が実際に作動する確率は45%でしかないことも明らかにされた。しかもBPは、事業の拡大とともに「徹底したコスト削減」を打ち出し、08年には約3000人、09年は半年間で5000人以上の人員削減を強行してきた。極限的な労働者の首切りと安全の切り捨てだ。事故を引き起こした責任がBP資本とオバマ政権にあることは明らかだ。

 □深海油田開発の破壊性

 今回はっきりしたことは、ひとたび事故が起きれば破滅的な結果をもたらす深海油田開発の実態だ。問題はBPだけではない。すでにメキシコ湾の深海油田はアメリカ産原油全体の25%となり、09年には、水深300b以上の深海油田がメキシコ湾一帯の原油生産の80%を占めるに至っている。
 欧米石油メジャーの深海油田開発の歴史は、民営化・規制緩和・労組破壊の新自由主義攻撃の世界的な展開と完全に一体だ。現在では、世界の石油生産の30%が海洋油田での生産であり、米石油大手のシェブロンやシェルなどもまた、水深2000bを超える超深海油田の開発に突き進んでいる。
 そしてイラク・アフガニスタン侵略戦争が泥沼化し、アメリカ帝国主義の中東石油支配が歴史的に崩壊する中で、石油メジャーはそこにますますのめり込んでいった。
 「メジャーが今後優位性を持って開発できる石油開発のフロンティアは、北極海をはじめとした極地油田と深海部油田だけに限られてきた」(『エコノミスト』2010年6月8日)  「メジャーが今後優位性を持って開発できる石油開発のフロンティアは、北極海をはじめとした極地油田と深海部油田だけに限られてきた」(『エコノミスト』2010年6月8日)
 今回のメキシコ湾の原油事故は、こうした帝国主義・資本主義の根底的破綻と矛盾が恐るべき破壊性をもって爆発しはじめたということだ。

 □闘いなくして安全なし

 資本家階級は、今回の大事故に対して反省などしていない。「政府が民間企業にペナルティーをかけてカネを払えということが頻発すると、恐ろしくて原油の井戸が掘れない」(朝日新聞6月22日)という天坊昭彦・石油連盟会長の発言などは、その典型だ。
 世界の石油産出国を見ても、石油企業による海底油田掘削に対して厳しい措置を取ろうとしている国は一つもない。それどころか、例えばオーストラリアではメキシコ湾の事故の2倍の深さに達する海底油田の採掘権の入札が行われているのをはじめ、ロシア、中国、ブラジル、カナダ、アフリカの産油国などで、深海油田開発はむしろ積極的に進められようとしている。JR資本が、尼崎事故を起こしても、検修業務の全面外注化を強行するのとまったく同じだ。
 極限まで人員を減らし、安全を切り捨て、そうやって労働者を平然と犠牲にしながら資源の開発・独占へと突き進む、そうした資本の搾取のあり方こそ、大事故を引き起こす根本原因だ。まさに「闘いなくして安全なし」。問われているのは、階級的労働運動の復権であり、反合理化・運転保安闘争を闘う労働組合をよみがえらせることだ。

 □資源争奪とインフラ整備

 メキシコ湾の原油流出事故を切り口に問題を見てきたが、米欧日帝国主義やロシア、中国スターリン主義などによる資源争奪戦は、全世界での炭鉱事故の激発や資源全般の価格高騰を引き起こしながら、激化の一途をたどっている。
 この点で、最も激しく危機感を募らせているのは日本帝国主義だ。日本の資本家階級は、中国スターリン主義やブラジルなどが、鉄鉱石や石炭、レアメタルといった鉱物資源の確保を、鉄道や港湾、道路、発電所の建設といったインフラ整備と完全に一体で進めているのを横目で見ながら、「政府が支援する鉱山周辺のインフラ整備事業」(図表)にあるように、日帝としても同じやり方をとって、資源争奪戦を強める方向に動きだしている。
(表 政府が支援する鉱山周辺のインフラ整備事業)

 □菅政権の「新成長戦略」

  菅民主党政権が6月18日に閣議決定した「新成長戦略」は、そうした「パッケージ型インフラ輸出」を国家戦略として打ちだした点で、画期をなすものだ。「新成長戦略」は「アジア経済戦略」として「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)」を掲げ、日本とアジア地域において「阻害要因となっている規制を大胆に見直す」などとしている。「パッケージ型インフラ海外展開」を「国家戦略プロジェクト」の最重要項目の一つとしてあげている。
 具体的には「新幹線・都市交通、水、エネルギーなどのインフラ整備支援」「土木・建築等での日本企業のビジネス機会の拡大」「自治体の水道局等の公益事業体の海外展開策」などを「官民連携して海外展開を推進することにより、2020年までに、19・7兆円の市場規模を目指す」などとしている。
 この「新成長戦略」の原案は、日本経団連が4月13日に出した「豊かで活力ある国民生活をめざして〜経団連成長戦略2010」だ。この中では、よりストレートに「企業がアジアで得た利益を基に国内へ投資できるよう、法人実効税率の引き下げ、雇用の多様性・柔軟性の確保」「鉄道、上下水道、エネルギー(原子力発電、高効率石炭火力発電を含む)などのインフラ整備プロジェクト」といったことが出されている。
 要するに「新幹線」と「原発」を柱にした資源争奪戦・アジア勢力圏化競争と、道州制導入・公務員360万人首切り・労働者9割の非正規職化の攻撃は完全に一体ということだ。

(図 日本企業が参加をめざす見込みの主な大型プロジェクト)

 □国鉄全国運動の推進を

 菅政権も日本経団連も、「日本の『安全・安心』」などということをキーワードにしている。それを「アジアに普及させる」などと言っている。連合中央は、「成長戦略が策定されたことを高く評価する」などとしている(6月21日、事務局長談話)。
 しかし、何が「安全・安心」なのか、ふざけるな。「原発」の輸出など問題外だ。「新幹線」にしても、民営化・外注化によって重大事故が続発しているではないか。「新成長戦略」など最初から破産しているのだ。
 大恐慌のもとで激化する帝国主義とスターリン主義による資源争奪戦に対する、労働者階級の回答はプロレタリア世界革命だ。メキシコ湾の原油流出事故も、世界中で激発している炭鉱事故も、国鉄・JRの安全崩壊の現実も、沖縄米軍基地の問題も、起きていることはすべて一つの問題だ。大恐慌と新自由主義と闘う階級的労働運動の歴史的登場をかちとること、この一点にかかっている。国鉄・4大産別を先頭にあらゆる職場生産点で資本との非和解の闘いに立ちあがり、動労千葉のように闘う労働組合を全国・全世界につくりだそう。
 (柴田之雄)

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月刊『国際労働運動』(409号7-1)(2010/09/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合

 イギリス炭鉱労働者組合(後編)(National Union of Mineworkers:NUM)

 イギリス炭鉱労働者組合(後編)(National Union of Mineworkers:NUM)

 ■半世紀ぶりの炭鉱労働者の反撃

(写真 1984年の炭鉱ストで警官隊と対決して闘うNUMの炭鉱労働者)

 1926年のゼネストの後、炭鉱労働者は50年ぶりにストライキに決起した。危険で過酷な労働現場で低賃金に耐えてきた炭鉱労働者の怒りは、1971年のNUMと全国石炭庁(NCB)との賃金交渉で爆発した。
 7.9%の賃上げを限度に交渉に応じようとしないNCBに対し、NUMは同年11月1日から時間外労働拒否の闘いを貫き、全国のスト権投票で58.8%の賛成票を獲得したが、NCBは頑として賃金交渉に応じなかった。72年1月9日、28万人の炭鉱労働者が全国の289の採掘現場で一斉にストライキに突入した。イギリス労働組合会議(TUC)もスト支援決議をあげ、港湾や発電所、石炭操車場などで2月10日にゼネストに起ち上がった。このゼネストで国内の石炭市場は完全にストップした。
 ストは7週間に及び、炭鉱労働者は大幅賃上げを獲得した。半世紀ぶりのストに勝利したNUMは、労働組合の連帯と団結の力に自信を取り戻し、続く74年にも大規模労働争議を勝ち抜き、NUMの闘いに続いた多くの労働組合が政府との賃金交渉に勝利し、労働運動高揚の原動力となった。

 ■「不満の冬」と労働党政権の敗北

 1974年、炭鉱労働者の戦闘的な争議を突破口にした労働運動の高揚で、保守党は選挙で大敗し、労働党が政権に就いた。
 しかし、革命の萌芽を孕んだ炭鉱労働者の闘いに恐怖した労働党は、78年にNUM分断を画策して、労働条件を地域事業所別の交渉で決める「地域能率刺激給制度」を導入した。
 これで産業別レベルの団体交渉は崩れ、賃金に地域格差が再び生じた。これは労働者の連帯に重大な影響を及ぼした。
 労働党の政策は、保守党以上に資本主義を支援し延命させるものだったため、公共部門の労働組合との対立が頂点に達した。78〜79年はストライキが頻発し、労働党政権への不信が市民の間にも広がって「不満の冬」と呼ばれ、結果として労働党は選挙で大敗した。

 ■サッチャー政権の登場と1984年の大ストライキ

 1979年に誕生した保守党サッチャー政権は、自由な利潤の獲得を制限してきた労働運動をつぶすことを目的に、国営企業を民営化し、徹底して労働組合の活動を規制し弱体化する政策をとった。80年と82年の雇用保護法の改定には、同情スト禁止、ピケットの厳しい制限、クローズドショップ制禁止規定などが含まれていた。83年改定では、スト前の法定のスト投票の義務付け、政治目的への組合費支出の投票による承認の義務付けを定めた。サッチャーは、これらの弾圧立法を整えてから、84年に最強のNUMのいる国営炭鉱の大量解雇に打って出た。
 84年3月6日、マクレガー石炭庁総裁が、84年中に174抗のうち不採算の20抗を閉鎖し約2万人を解雇する合理化案を公表した。これに抗して、アーサー・スカーギル率いるNUMは戦闘的なストライキで闘った。一方、サッチャー政権はフル装備の警官隊を大量導入し、ピケに立つ労働者に大弾圧を加えた。この16カ月に及ぶ争議で1万1000人が逮捕され、7000人が負傷、11人が死亡した。さらに、長期の無給で困窮する労働者家族は、一切の社会保障給付を奪われた。この争議をテーマに、『ブラス』や『リトルダンサー』など多くの映画が当時の炭鉱労働者の闘いと生活を描いている。

 ■NUM攻防の教訓

 TUC指導部は、サッチャー政権の激しい弾圧の中で炭鉱ストを裏切り、NUMの地域的分断を使って敗北に導いた。
 しかし、鉄道労組と海運労組は同情スト禁止を首をかけて乗り越え、石炭輸送を拒否を貫いた。両労組(後に合併して鉄道・海運・運輸労組となる)は、この輸送拒否闘争で団結を守り、組織の再拡大をかちとった(現在8万人)。

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月刊『国際労働運動』(409号8-1)(2010/09/01)

国際労働運動の暦

 ■国際労働運動の暦

 9月11日

 ■1973年チリ軍事クーデター

 米帝が主導した反革命

 アジェンデ「社会主義」政権を転覆し労働者の闘いを襲った軍事独裁政権

 ●もう一つの9・11

 9・11と言えば、今では誰でも2001年9月11日のニューヨーク・ツインタワーを思い浮かべるが、世界史的な意味合いの異なる「もう一つの9・11」があった。1973年のチリの軍事クーデターである。
 1970年、チリ大統領選挙で社会党のアジェンデが36%の票を獲得し、議会での決選投票で当選した。社会党、共産党など6党による「人民連合」派の政権が組織された。議会・選挙を通じての社会主義政権と言われた。
 チリは世界有数の産銅国で輸出の70%を銅が占め、銅生産から上がる収入は歳入の3分の2を占めた。銅山の9割を米の3企業が押さえていた。チリは、米帝の資本に支配され、安い原材料を輸出し、工業製品は輸入に依存する新植民地主義支配下の国だった。
 アジェンデ政権は、米国資本が持っていた五つの銅山を国有化し、農地改革を実行するなどの「大胆な」改革を行った。それは米帝を怒らせ、資本家、地主などの勢力と衝突した。
 米帝は、アジェンデ政権成立以前から、危機感を持って介入を強めてきた。アジェンデ政権の誕生を阻止するために、米国際電信電話会社(ITT)が100万jを準備してCIAを動かそうとした。
 米帝は、技術者の引き揚げ、チリの銅に対する不買運動、経済封鎖などでアジェンデ体制を転覆しようとした。経済的締め付けで、チリはインフレと物資欠乏に陥り、混乱は拡大した。米帝に扇動されたトラック業者の業務拒否やサボタージュが行われ、一方では労働者が工場占拠・自主管理の闘いを展開した。
 9月11日、ピノチェト将軍は軍事クーデターを起こし、武力をもって政権を転覆した。戦闘機と機甲部隊の激しい砲爆撃によって大統領官邸は炎上した。アジェンデ大統領は降伏を拒否し、炎上する官邸内で、自ら自動小銃を握って反乱軍と交戦中に命を落とした。
 クーデターの翌日、3軍と警察からなる軍事評議会が発足し、議長にピノチェト陸軍司令官が就任した。戒厳令が敷かれ、政党活動の禁止、組合・結社の解散・禁止など徹底した反革命が実行された。
 チリ軍事政権は、5大銅山の国有化の白紙化、外国民間資本の投下を認めるなど、米資本のための政策を直ちに行った。軍事政権は、人民連合翼下の全政党を非合法化し、大弾圧を行った。一連の殺戮、拷問などでの死者は5千人とも3万人とも言われる。
 そもそも世界で最初に「新自由主義政策」が実施された所が、軍事クーデターの直後のチリだった。
 アメリカ帝国主義が軍事クーデターを主導し、ピノチェト独裁政権を成立させた。アメリカ帝国主義に養成され、政権中枢に送り込まれたシカゴ学派が中心になって新自由主義政策を強行した。ここで行われた政策が「チリの実験」としてもてはやされ、世界各地で実施されていった。
 「新自由主義」イデオロギーによる民営化・規制緩和、社会保障解体は、最初から流血の弾圧、抑圧、団結破壊と一体だったのだ。そしてAFL―CIOが、米国務省、米軍、CIAのクーデター計画に深く関与していた。
(写真 大統領府に突入するクーデター軍の兵士ら)

 ●革命の敗因

 アジェンデ政権自体がマルクス主義、レーニン主義に立ったプロレタリア革命の政権ではなかった。労働者階級の自己解放闘争の原点に立っていなかった。それどころか、現実には、軍を優遇する一方で、労働者が工場を占拠しようとすると軍を差し向け鎮圧するなど、軍部との妥協の上に「改革」を行おうとした。
 平和裡に「社会主義への道」が実現できるわけがない。帝国主義、資本家階級と労働者階級の利害は非和解的に対立している。革命とは被支配階級が支配階級をねじ伏せ、打倒することである。
 同時に、それはチリ一国の問題でもない。南米労働者階級の総決起、米労働者階級との連帯が必要だ。ピノチェト反革命は、労働者階級の階級的団結と世界革命の戦略的展望の不可欠性を敵の側から教えている。
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 ●1973年チリ軍事クーデター年表

70. 9. 4 大統領選挙で人民連合サルバドル・ アジェンデ、第1位 70. 9. 4 大統領選挙で人民連合サルバドル・ アジェンデ、第1位
  10.24 国会、アジェンデを大統領に選出   10.24 国会、アジェンデを大統領に選出
71. 2.19 農地改革法計画発表 71. 2.19 農地改革法計画発表
  4. 4 地方選挙で人民連合派48・4%   4. 4 地方選挙で人民連合派48・4%
  7.15 銅山国有化法
72. 8.21 商人・小売業者スト 72. 8.21 商人・小売業者スト
  10. 8 トラック業者スト   10. 8 トラック業者スト
73. 3. 4 総選挙で人民連合派43・9%獲得 73. 3. 4 総選挙で人民連合派43・9%獲得
   9.11 クーデターでアジェンデ政権崩壊    9.11 クーデターでアジェンデ政権崩壊
74.12.17 軍事評議会議長アウグスト・ピノチェト、大統領に就任
75.12. 9 国連総会で人権問題に関するチリ非難決議 75.12. 9 国連総会で人権問題に関するチリ非難決議
80. 7. 9 国家評議会、新憲法草案を公表 80. 7. 9 国家評議会、新憲法草案を公表
  9.11 新憲法草案国民投票
81. 3.11 新憲法制定 81. 3.11 新憲法制定
84.11. 6 反政府抗議行動強まり、戒厳令再発動 84.11. 6 反政府抗議行動強まり、戒厳令再発動

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月刊『国際労働運動』(409号9-1)(2010/09/01)

日誌

■日誌 2010年6月

2日東京 爆取裁判差し戻し審 無実承知で逆転迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し第一審の判決公判が開かれた。東京地裁刑事第20部の林正彦裁判長は、無実の3同志(須賀武敏・十亀弘史・板垣宏)に対して逆転有罪判決を下した。須賀同志に対して「リーダー」だからと懲役11年(求刑は15年)、十亀・板垣両同志に対して同8年(求刑は13年)という重刑だ
3日ブラジル 動労千葉と全学連、南米に初上陸
3日〜10日にかけて動労千葉と全学連がブラジルを訪問し、ブラジル労働者階級と大合流した。訪問したのは、動労千葉の照岡清一いすみ支部長、佐藤正和新小岩支部長と動労千葉を支援する会の山本弘行事務局長、全学連の織田陽介委員長、松室しをり国際部長らだ。3、4日はコンルータス(全国闘争連盟)全国大会、5、6日はコンルータスとインターシンジカル(労組会議)の統一大会とANEL(全国学生会議―自由)の集会、7日は国際労働者会議に参加。10日はGM工場がある工業地帯、サンジョゼ・ドスカンポスの金属労組を訪問した
4日千葉 三里塚反対同盟の萩原富夫さん奪還
三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原富夫さんが釈放、奪還された。萩原さんは5月24日の「第3誘導路計画」公聴会弾劾デモで公務執行妨害をデッチあげられ不当逮捕されていたが、国家権力は勾留延長を断念したのだ。勾留理由開示公判において弾圧の不当性を反対同盟と顧問弁護団の総力で追及したことが決定的だった
5日京都 菅政権打倒!の訴えに青年が反応
京都一の繁華街で6・13集会への大街宣が行われた。全学連の仲間と10人でやり、1時間半でビラは300枚、賛同署名は20筆集まった
6日東京 国労共闘を中心に国鉄集会かちとる
品川区大井町で「1047名解雇撤回! 許すなJR! 首切り・不当労働行為とたたかうぞ!」を掲げて南部労働者総決起集会がかちとられた。司会・基調・運営は国鉄労働者が中心になって行われた
6日岡山 動労西日本先頭に6・13へ一日行動
岡山市内で「全労働者の未来かけ、1047名解雇撤回 岡山国鉄闘争集会」が開催され40人が結集した。動労千葉の川崎昌浩さんと全国運動呼びかけ人の矢山有作さん(元衆議院議員)からアピールを受けた
8日千葉 完黙非転向貫き市東さん笑顔で帰る
不当逮捕されていた三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんは、23日間の完黙非転向を貫き奪還された。釈放の知らせに、反対同盟と現地支援の労働者・学生が天神峰に集まった
9〜11日千葉 “JPEXの責任とれ”
JP労組第3回定期全国大会が、千葉市で開催された。初日、全国から結集した労組交流センター全逓労働者部会を先頭とする闘う全逓労働者と、ちば合同労組など千葉で闘う労働者が会場前で大宣伝戦と会場を包囲するデモを闘い抜いた
13日東京 新たな全国運動スタート6・13大集会
「国鉄分割・民営化反対/1047名解雇撤回/新たな全国運動スタート6・13大集会」が文京シビックホールで開かれ、会場を埋める1635人の結集で、ものすごい熱気と高揚の中でかちとられた。大恐慌時代に立ち向かう階級的労働運動の壮大な挑戦が始まった。司会の全国金属機械労組港合同の中村吉政副委員長が開会を宣言。呼びかけ人の葉山岳夫弁護士が開会あいさつに立ち、動労千葉の田中康宏委員長が新たな闘いに向けた訴えを行った。田中委員長は「国鉄分割・民営化反対闘争は、30年近い闘いになる。その結末が、国鉄改革法の承認、『JRに法的責任なし』の承認でいいのか。労働組合はもっと素晴らしい力をもっているはずだ。全世界から怒りの声が噴きあがっている。この大運動の中から大恐慌時代に通用する新しい労働運動をつくろう。私たちの解雇撤回闘争はこの闘いと一つだ」と訴えた。全日建運輸連帯労組関西生コン支部の高英男副委員長が「現場での闘いが最大の支援だ」とまとめた
14日東京 爆取裁判有罪デッチあげ判決を弾劾
「迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会」が、東京地裁・林正彦裁判長(刑事第20部)と東京地裁所長に対し、6月2日の有罪判決への弾劾行動に立った。共同代表の桜井善作さんを先頭に、須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志の3同志と、かちとる会メンバー総勢9人が結集し、地裁で弾劾行動を闘い抜いた
14日千葉 鈴木幸司さんの告別式しめやかに
千葉県香取郡多古町の葬儀場で鈴木幸司さんの告別式がしめやかに行われた。喪主を長男の謙太郎さんが務め、前日の通夜に続き、雨の中を家族・親族、反対同盟、革共同の天田三紀夫書記長や動労千葉の田中康宏委員長、全学連の織田陽介委員長を始め全国の労働組合、闘争団体の人びとが多数参列した。反対同盟の一員として「空港絶対反対」を貫いた生涯を振り返る多くの写真が会場に掲示され、それを見ながら思い出を語り合う故人ゆかりの人びとの輪があちこちにできた
18日神奈川 動労千葉や闘争団と全国運動出発
神奈川労組交流センター主催の集会に103人が結集し、神奈川における新たな国鉄全国運動の出発が宣言された。基調報告を神奈川労組交流センター共同代表の西田貴広さんが提起した
20日東京 沖縄闘争は青年を革命に獲得できる
渋谷駅ハチ公前で6・23沖縄集会に向けた統一街宣が打ち抜かれた
23日 全国で沖縄の怒りと連帯し6・23闘争
東京 文京区民センターで「辺野古新基地阻止、日米共同声明粉砕、沖縄を北朝鮮侵略戦争の拠点にするな6・23集会」が行われた。首都圏の労働者や学生約380人が結集した。集会終了後、「安保粉砕」を掲げてデモを貫徹した
広島 市内中心部で「オキナワ―ヒロシマの連帯で侵略と核戦争の基地・安保をなくせ!」広島集会と原爆ドームまでのデモを行い55人が集まった
関西 大阪・梅田を始め、高槻、京都、尼崎、奈良、泉佐野、八尾など関西各地で沖縄闘争連帯の統一街宣が行われた
宮城 仙台市役所前で沖縄基地撤去を訴える情宣活動が行われた
東海 19日にJR岐阜駅で「とめよう戦争への道!百万人署名運動岐阜連絡会」の呼びかけで街頭宣伝と署名活動、20日に愛知の金山総合駅と三重の四日市で、東海合同労組を中心に百万人署名運動の仲間、労組交流センターの仲間も結集して菅新政権に怒りの声を上げた
23日東京 JRこそ首切りの張本人
JR東日本の株主総会を迎え撃ち、国労共闘と国労秋田闘争団、全国労組交流センターの労働者は、JR東日本弾劾の闘いに立った。朝8時、闘う労働者はJR東日本の株主総会の会場となったホテルニューオータニにほど近い四ツ谷駅前を制圧、直ちにJR東日本弾劾の街頭宣伝を開始した
25、26日東京 星野再審連絡会議が全国総会
東京で星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議の2010年全国総会が行われた。総会に先立ち25日午前、東京高裁第11刑事部に対する申し入れを行い、昼には東京高裁を包囲するデモに決起した。25日午後から始まった総会では、星野文昭同志の長文のメッセージが全文朗読された
27日千葉 動労千葉、外注化阻止・組織拡大を
動労千葉は、第63回定期委員会を千葉市のDC会館で開いた。検修業務の全面外注化阻止闘争を中心とした10春闘の画期的勝利の地平をしっかりと打ち固めるとともに、再び動き始めた外注化攻撃への新たな闘争態勢をつくりあげた
27日福岡 九州で全国運動が本格始動
「和解調印」の前日、九州・小倉にある商工貿易会館大ホールで開かれた「国鉄分割・民営化反対、1047名解雇撤回!/国鉄闘争の火を消すな!/6・27北九州集会」が行われた。6・13集会を皮切りに始まった新たな全国運動を九州の地で本格的にスタートさせる集会となった
27日東京 支援する会結成集会で団結拡大誓う
八王子市で、「国鉄分割・民営化反対!1047名解雇撤回!動労千葉を支援する会・三多摩」の結成集会が50人の労働者の参加でかちとられた
27日千葉 三里塚全国総結集闘争
天神峰・団結街道の白熱的攻防点に485人の労働者・農民・学生・市民が結集し、意気高く全国闘争がかちとられた。集会の最後に鈴木謙太郎さんが、「父は86年の生涯の半分以上の44年間を反対闘争に捧げた。父の遺志を継いで、反対同盟として、農民として闘う」と不動の決意を述べた上で、反対同盟の闘争宣言を力強く読み上げた
28日千葉 三里塚 団結街道封鎖に怒り爆発
成田空港会社(NAA)はついに団結街道の封鎖を強行した。市東孝雄さんを先頭に三里塚芝山連合空港反対同盟はただちに反撃に立ち上がった
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 (弾圧との闘い)

15日富山 富山大ビラまき弾圧、最高裁に上告
08年4・15富山大ビラまき弾圧事件被告の武藤淳範(ぶとう・あつのり)君と弁護団が最高裁判所第2小法廷に上告趣意書を提出した
21日東京 法大暴処法弾圧裁判
法大暴処法弾圧裁判の第14回公判が東京地裁刑事第1部で行われた。内海佑一君が意見表明を行った。警視庁公安1課の税所邦裕に対する反対尋問が行われた。続けて警視庁公安1課の永沼豊に対する尋問が行われた
24日東京 4・24裁判、6学生有罪判決を弾劾
法大4・24解放闘争裁判の判決公判が東京地裁刑事第17部で行われた。登石郁朗裁判長がわずか30分ほどで読み上げた判決は、被告全員に建造物侵入と威力業務妨害で懲役1年6カ月、執行猶予3年とした。断じて認めない。
29日東京 暴処法弾圧裁判、公判の主導権握る
法大暴処法弾圧裁判の第15回公判が東京地裁刑事第1部(河合健司裁判長)で行われた。冒頭、弁護団が裁判の進行について「数日前まで次の検察側証人が誰か決まらなかった。裁判所は検察官を援助して裁判を引き延ばすのをやめよ」。結論は「警察官証人2人を採用するが、それ以外はすべて却下する」というものだ。決定的勝利だ

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月刊『国際労働運動』(409号A-1)(2010/09/01)

編集後記

■編集後記

 世界大恐慌によって、帝国主義者どもは苦悶し、絶望に陥っている。大恐慌は深化するばかりで、ついにはギリシャ危機という国家財政が破綻するという非常事態になった。
 29年恐慌の時代には、帝国主義は、国家財政を投入して公共事業を起こし、不況を乗り切ろうとした。しかし最終的には帝国主義各国が勢力圏を囲い込むブロック化に走り、ついにはブロック間戦争、第2次世界大戦に突入していった。米経済は世界の軍事工場となることで初めて不況から脱していった。
 しかし今やどの国も不況対策で財政を使い果たしている。帝国主義者にとって残された方法は、労働組合を破壊して、戦争・世界戦争に突進する以外に術が無い。ここに新たな国鉄全国運動の意義がある。ここに4大産別が結合して闘うことで労働者人民の展望が開かれる。

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