International Lavor Movement 2011/03/01(No.415 p48)

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2011/03/01発行 No.415

定価 315円(本体価格300円+税)


第415号の目次

表紙の画像

表紙の写真 チュニジア革命に決起した労働者(1月14日 チュニス)

■羅針盤   菅改造内閣の危機と超反動 記事を読む
■News & Review 韓国
 年頭から激化する非正規職労働者の闘い
 弘益大が170人を解雇、占拠座り込みで闘う
記事を読む
■News & Review 中国
 急激なインフレ、暴動相次ぐ
 労働者階級の総反乱は必至の情勢
記事を読む
■News & Review 日本
 対中国戦争構えた新「防衛計画の大綱」
 沖縄とその島しょ部が自衛隊の最前線基地に
記事を読む
■特集 闘う春闘取り戻し青年部運動復権を 記事を読む
■翻訳資料
 ウィキリークスが暴露した米軍秘密情報
 鵜川遊作 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 外注化の推移と攻撃の狙い   JR・NTTが突破口/非正規職化の手段に
記事を読む
■世界の労働組合 イギリス編
 全英教員組合(National Union of Teachers:NUT)
記事を読む
■国際労働運動の暦 3月12日
 ■1984年イギリス炭鉱スト■   サッチャー改革と激突
 閉山・首切りにNUM(炭鉱労働者組合)が1年にわたるストを貫徹
記事を読む
■日誌 2010 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 不当解雇を提訴した日航労働者(1月19日 東京)

月刊『国際労働運動』(415号1-1)(2011/03/01)

羅針盤

 ■羅針盤

 菅改造内閣の危機と超反動

▼1月14日、菅第2次改造内閣が発足した。これは日本経団連・米倉会長が全面支持を表明するように、大失業と戦争、消費大増税、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加を推進する超反動内閣だ。今まで口をきわめて民主党をののしってきた「たちあがれ日本」の与謝野を、経済財政担当相に据えた。経済産業相は、TPP推進派の海江田に替えた。また中野寛成に国家公安委員会委員長と公務員制度改革担当相を兼任させた。
▼そして11・23の朝鮮侵略戦争切迫情勢を受けた、「日米同盟の深化」による戦争政策である。昨年来の米・日・韓による軍事演習は、米軍の北朝鮮侵略戦争のシナリオ=「作戦計画5030」の発動だ。新年早々、前原外相が訪米しクリントン国務長官と会談、北沢防衛相も訪日したゲーツ国防長官と会談し、日米の共通戦略目標の見直しや朝鮮侵略戦争への臨戦態勢形成に向け「日米同盟の深化」を確認している。1月10日にはソウルでの日韓防衛相会談で、ACSA(物品役務相互提供協定)の締結交渉とGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の協議開始を確認した。
▼こうして日帝自身が、すさまじい戦争的反動的な突出を開始し、1月19日には朝鮮半島有事を想定した「周辺事態」において自衛隊による米軍支援を拡充する必要があるとして周辺事態法の改定の検討を表明し、今秋にも法案を国会に提出しようとしている。出口のない危機ゆえの凶暴化だ。菅は、ただただ日帝ブルジョアジーと日米同盟にすがりつき、労働者階級を圧殺し、どこまでも大失業・戦争の攻撃を激化させることで自己の延命をはかるという、まさに最悪のボナパルティスト政権としての姿をあらわにしている。

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月刊『国際労働運動』(415号2-1)(2011/03/01)

■News & Review 韓国

年頭から激化する非正規職労働者の闘い

弘益大が170人を解雇、占拠座り込みで闘う

 2011年も非正規職労働者と資本をめぐる攻防は激しく展開している。新年冒頭、1月1日に弘益大で働く約170人の清掃、警備、施設労働者が集団で解雇されるという事態が起きた。1月2日の朝、弘益大当局が解雇を通知したのだ。しかも何の説明さえもなしにだ。当局は「業者の契約放棄が主な原因」と言ったが、労働者は「当局が無理な契約条件を出して、契約放棄を誘導した」と言っている。労働者たちは3日朝から総長との面談を要求して本館6階で、占拠座り込みを開始した。
 弘益大清掃、警備、施設労働者は12月2日労働組合を結成した。公共労組ソウル京畿支部の弘益大分会だ。170人の労働者のうち、140人が労組に加入した。「学校側は、労組出帆式も学校の中でするなと妨害し、組合員を大量解雇しても労組との会話そのものを拒否しようとしている」とソウル京畿支部は主張した。
 問題は高齢の労働者の生計問題だ。長い人で10年も勤務してきた労働者らは50〜60歳を超える年齢層だ。大学当局は業者との再契約が不成立したことへの対策さえ行わず、代替人員を投入した。当局は、大学に直接雇用されていない非正規職という理由から、労働者との対話を拒否している。
 法定最低賃金は約86万ウォンだが、弘益大清掃労働者は夜明けに家を出て、朝の7時頃から午後4〜6時頃まで、長ければ11時間も働いて、受け取るのは75万ウォンだ。食事代は1日なんと300ウォンだ。公共労組ソウル京畿支部のパクミョンソク支部長は「学校当局は労組が賃金 70%の値上げを提示し契約が成立しなかったと言うが、分会が要求した時給は5180ウォンで、支部の所属する大学と同じ要求だった」と主張した。大学当局は代替労働者を清掃は日当6万5000ウォンほどで、警備は8、9万ウォン、時給8000ウォンで雇い投入している。これまでの清掃労働者の時給は3200ウォンだった。  法定最低賃金は約86万ウォンだが、弘益大清掃労働者は夜明けに家を出て、朝の7時頃から午後4〜6時頃まで、長ければ11時間も働いて、受け取るのは75万ウォンだ。食事代は1日なんと300ウォンだ。公共労組ソウル京畿支部のパクミョンソク支部長は「学校当局は労組が賃金 70%の値上げを提示し契約が成立しなかったと言うが、分会が要求した時給は5180ウォンで、支部の所属する大学と同じ要求だった」と主張した。大学当局は代替労働者を清掃は日当6万5000ウォンほどで、警備は8、9万ウォン、時給8000ウォンで雇い投入している。これまでの清掃労働者の時給は3200ウォンだった。
 1月6日午後、弘益大本館前に多くの連帯団体が集まって集団解雇第1次糾弾大会≠ェ開かれた。大学当局と総学生会は労働者の座り込みが民主労総という外部勢力によるものだと言って、総学生会執行部の学生が会場に押しかけたが、参加者が抗議した。総学生会は当局の主張をそのまま言っているだけだ。総学生会を批判する学生も多い。
 11日午後4時、正門前で集団解雇2次ソウル京畿支部全組合員集会≠ェ開かれ、雪と冷たい風の中、約1000人が弘益大清掃労働者との連帯のために集まった。各単科大学生会は連帯し、弘益大サポーター≠ェ労働者の座り込みに参加して当局に対策を要求している。集会は2時間以上続き、弘益大分会のほか、同徳女子大、徳星女子大、高麗大、延世大、誠信女子大、梨花女子大分会などと進歩政党、社会団体の会員らが連帯した。連帯と支持の訪問に、イスッキ弘益大分会長は「ありがたく感謝します。最近になって団結すれば生き、散れば死ぬという言葉が胸に迫る。皆さんと勝利の日まで闘争していく」と応えた。
 15日間の座り込みを続けてきた公共労組ソウル京畿支部は、1月17日、弘益大本館前で記者会見を行った。支部は雇用の継承と労組の認定を要求しているが、当局が労組幹部の告訴告発と一方的な用役従事者選定を進めている。業者選定入札会を行う前日の11 日、当局は、労組幹部5人とイスッキ分会長ら6人を業務妨害、建造物侵入、総長監禁などを理由に挙げ告訴告発した。労組は「学校が労組を瓦解させる長期的な闘いを誘導している」と批判した。19日には第3次の大会を開く。  15日間の座り込みを続けてきた公共労組ソウル京畿支部は、1月17日、弘益大本館前で記者会見を行った。支部は雇用の継承と労組の認定を要求しているが、当局が労組幹部の告訴告発と一方的な用役従事者選定を進めている。業者選定入札会を行う前日の11 日、当局は、労組幹部5人とイスッキ分会長ら6人を業務妨害、建造物侵入、総長監禁などを理由に挙げ告訴告発した。労組は「学校が労組を瓦解させる長期的な闘いを誘導している」と批判した。19日には第3次の大会を開く。
(写真 全員解雇の撤回求め本館で占拠座り込む弘益大の清掃労働者【1月3日】)

  □全北バスのストライキ

 前号で報道した全北バスストライキ闘争は、1月8日全州市庁前で民主労組死守、バス事業主拘束、バス全面ストライキ勝利のための全北地域総力決意大会≠開き、約1000人が集まった。幟を掲げて全北高速までデモ行進をし、棺を燃やす象徴儀式をした後、整理集会を開いた。インタビューでキムソンヨン組合員は「バス労働者のストライキが世の中を変えているということを全身で感じている」と話した。バス労働者たちは微塵の動揺も見せず闘いを続けている。
 13日午後4時半、ソウル地方雇用労働庁前に、ソウル大分会、弘益大分会、全北バス労組など約150人の労働者が集まった。
 労働庁がソウル大病院分会とソウル大病院との間の団体協約に、不当な是正勧告をしたことに抗議するためだ。五つの勧告条項中四つが労組活動に関して違法だというのだ。キムエラン医療連帯ソウル地域支部長始め労組側は「組合幹部の組合活動、交渉委員活動もタイムオフ限度と専従者活動に関するもので、労組が自主的に決め、使用者と自主的な協約で決めればよい」と抗議した。公共運輸労組準備委(仮)も労働庁に抗議を続けてきたが、労働庁は強制是正命令を施行するという立場を繰り返している。
 全北バス労働者も弘益大分会の労働者もこのソウル大分会への労組弾圧が他人事ではないと考えている。彼ら公共部門労組への弾圧が新年早々から始まっているからだ。

  □正規職化元年を宣言

 現代自動車非正規職支会は、1月5日午後5時半、現代自動車ウルサン工場本館前で不法派遣正規職化元年宣布決意大会≠開き、「20
11年は、現代自動車不法派遣撤廃と正規職化の元年にする」 と宣言した。「私たちの闘争は終わっていない。この闘争は正規職化争奪の日まで続く」「労働者の仲間たちの目はまだ輝いていて、現場の力は生きている」。そして新たに選出された代議員たちが決意を明らかにした。 11年は、現代自動車不法派遣撤廃と正規職化の元年にする」 と宣言した。「私たちの闘争は終わっていない。この闘争は正規職化争奪の日まで続く」「労働者の仲間たちの目はまだ輝いていて、現場の力は生きている」。そして新たに選出された代議員たちが決意を明らかにした。
 現代車非正規支会は、18日から組合員教育を行っている。18日はウルサン第1工場の夜間組、19日は第2工場の夜間組に教育を進めた。資料の中で「25日間の工場占拠ストライキ闘争は、支会が独自に現代車の生産に打撃を与えられることを確認し、闘争目標が明確なら闘争力が高まることを確認し、労組の自主性がいかに重要であるかを確認した」と評価した。
 パクソンナク代議員は「すべての社内下請を正規職化しろ≠ニいう8項目の要求を掲げて、第2次ストを準備しなければならない」「闘争は終わっていない。何の合意書も書いていない。2次ストライキは、労組の自主性を失ってはならない。これ以上(正規職)支部の思うままにさせてはいけない。正規職化の旗を掲げ、支会を中心に闘争を展開し現代車と勝負しよう」と話した。
 今年もGMデウ非正規職闘争は続いている。高空ろう城36日目、支会長断食突入17日目を迎えた1月5日、インチョン地域対策委員会は、新年闘争計画を宣布した。非正規職支会の継続的な交渉要求を拒否している使用者側を相手に強度の闘争を展開する計画だ。使用者側の選別的復職案を粉砕して、全員復職するまで闘い続けるのだ。「1月13日にはGMデウ車周辺で車両デモを行い、22日には富平駅で全国労働者大会を開く」予定だ。
 労組に加入したという理由で教師への契約を中止している才能教育社に対し、3年以上も闘争を続ける労働者らとの連帯闘争が行われた。
 民主労総ソウル本部、民主労働党とサービス連盟、進歩新党などが構成する才能闘争勝利、特殊雇用労働者労働基本権争奪のための京道対策委員会≠ヘ12月21日、才能教育本社前で記者会見を開き、才能教育社への不買運動を大々的に組織していくと明らかにした。ソウル大、梨花大、延世大初め40あまりの大学の470人あまりが参加している悪質資本・才能教育、入社拒否¥趨シ運動もさらに進めていく。夜7時からソウル市庁前の座り込み場で「才能闘争3年! 勝利のための闘争文化祭と送年の夜」を開いて勝利を誓った。

 □韓進重工業の闘い

 前年から攻防が続いていた韓進重工業との労働者の闘いは、ついに韓進重工業が1月 12日、労働部に290人の整理解雇を申告し、解雇通知を断行した。  前年から攻防が続いていた韓進重工業との労働者の闘いは、ついに韓進重工業が1月 12日、労働部に290人の整理解雇を申告し、解雇通知を断行した。
 民主労総釜山本部、金属労組釜梁支部、韓進重工業支会は当日午後記者会見し、「 整理解雇撤回」を要求して午後7時半に85号ジブクレーンの下で釜山梁山支部主催のキャンドル集会を開催した。1 週間前から85号クレーンに高空ろう城する釜山本部キムジンスク指導委員は、電話で組合員を激励し、団結して闘争するように訴えた。韓進重工業支会のチェウヨン事務長は「1月4日と5日の交渉で、支会は整理解雇を撤回すれば苦痛分担を受容すると言ったが、韓進資本は整理解雇の方針を曲げなかった。だが昨夜用役チンピラ400人がソウルを出発したという知らせで、全組合員を非常待機させた。未明に全組合員が正門に集まったので、驚いた会社側は用役を送り返した」「全組合員が生活館を死守し、48時間、組合員総団結闘争プログラムを進めている。これをとおして共同体意識を強める」と話した。  民主労総釜山本部、金属労組釜梁支部、韓進重工業支会は当日午後記者会見し、「 整理解雇撤回」を要求して午後7時半に85号ジブクレーンの下で釜山梁山支部主催のキャンドル集会を開催した。1 週間前から85号クレーンに高空ろう城する釜山本部キムジンスク指導委員は、電話で組合員を激励し、団結して闘争するように訴えた。韓進重工業支会のチェウヨン事務長は「1月4日と5日の交渉で、支会は整理解雇を撤回すれば苦痛分担を受容すると言ったが、韓進資本は整理解雇の方針を曲げなかった。だが昨夜用役チンピラ400人がソウルを出発したという知らせで、全組合員を非常待機させた。未明に全組合員が正門に集まったので、驚いた会社側は用役を送り返した」「全組合員が生活館を死守し、48時間、組合員総団結闘争プログラムを進めている。これをとおして共同体意識を強める」と話した。
 決意大会で金属労組ヤンドギュン副委員長は「11年の金属労組の闘争は韓進重工業から断固として始める。資本がいくら弾圧してもたった一人の解雇者もつくらないという覚悟と決意をしている。85号クレーンにろう城している死守隊の仲間と共に、キムジンスク指導委員を笑って出迎えるまで闘争する」と決意を表明した。韓進重工業支会のチャンガニン組合員は現場発言を申請して「私は入社して5年目だ。整理解雇が恐いが先輩たちを必ず守る。先輩たちも私たちを守ってくれ。この一言を言うために出てきた」と闘争を決意した。
 韓進重工業支会は12日、全面ストライキ指針を発表し、「全組合員は一緒に暮らそう≠ニいう闘争指針により現場に投入しないで全組合員は生活館で徹夜座り込み」を続けることにした。また、平日は85号クレーンの下で午後7時半にキャンドル集会を続け、14日には釜山市民対策委主催のキャンドル集会、19日には金属労組主催の全国金属労働者決意大会を開く予定も同時に発表した。

 □全国解雇労働者大会

 

昨年12月13日、ヨイド国民銀行前で全国解雇労働者大会が1500人の解雇労働者を結集して開かれた。全国解雇者復職闘争委員会キムウニョン委員長は「本日の解雇労働者大会は、すべての解雇労働者の解雇撤回のための闘争をつくる場」と述べ、「いつも言葉だけだった共同闘争ではなく、実質的に共同闘争をつくっていく組織を構成して決意を表明する場、単一の解雇撤回闘争をつくろう」と力強く提案した。
 公務員労組のヤンソンユン委員長、民主労総のチョンウィホン首席副委員長も発言した。解雇者復職と非正規職正規職化を要求して座り込み闘争を続けているGMデウ非正規支会のシンヒョンチャン支会長も壇上に立った。学習誌労組解複闘のファンチャンフン委員長は才能教育を弾劾し、「解雇者全員が復職するまで力強く闘う」と表明した。
 この日の決意大会で△解雇労働者全国共同闘争委員会の拡大構成、△解雇者組合員の資格剥奪と民主労組弾圧への報復、△未組織、零細事業場解雇労働者の原職復帰闘争の支援と連帯、整理解雇、非正規職労働者と共同闘争のための連帯闘争の組織、△全体労働者次元の各撤廃闘争拡大を決意した。
 米帝の朝鮮侵略戦争情勢下で、韓国の労働者は非正規職労働者の闘争中心に激しく闘われている。他方でサムソン電子の労働者が「ストレスによるノイローゼ」から、寄宿舎の13階から飛び降り自殺をし、サンヨン自動車を希望退職した労働者も自殺している。労働者階級の闘いだけが世の中を変えられる、闘わなければ逆に殺されてしまうのだ。
 「戦争はまさにここウルサンで戦われている」と言った労働者の言葉どおり、労働者は闘っているのであり、11年冒頭から闘いは止むことなく年を次いで闘われている。国鉄1047名解雇撤回全国運動と、外注化阻止の闘いがこれに連帯するただ一つの闘いだ。動労千葉を先頭に2011年の闘いに勝利しよう。

 (本木明信)

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月刊『国際労働運動』(415号2-2)(2011/03/01)

■News & Review 中国

急激なインフレ、暴動相次ぐ

労働者階級の総反乱は必至の情勢

 □全国で頻発、住居、宅地、農地の強制収用

 今、中国各地で土地の強制収用が行われ、多くの労働者や農民、住民が住む家や宅地、農地を奪われる事態が、都市部や農村部を問わず異常なほど頻発している。
 労働者が仕事から帰ってきたら家が取り壊されて瓦礫の山になっていたり、保育園に突然ユンボが来て建物をぶち壊し始めたり、労働者の集合住宅が事前の話もないままにぶっつぶされてプレハブの宿舎に強制的に移住させられたり、農村では作物が植えてある農地が突然収用されたりしている。日常的に全国で行われている。抵抗すれば、すぐに逮捕である。
 また、大きな労働災害問題になっている塵肺症の労働者(多くは炭鉱労働者)が集中している住居地域を突然接収し、病気とその補償を政府と企業に訴えている労働者をその地域からたたき出すなど、明確な政治的目的を持って行われているところもある。
 中国はスターリン主義体制であり、その暴力的な支配体制を背景に、国家(中央と地方の行政権力)による労働者や農民の家屋・土地の収奪が横行している。
 そして昨年12月25日のクリスマスに、中国政府を揺るがす大事件が起きた。
 工場団地建設に伴う土地の収奪に反対していた浙江省楽清市蒲岐鎮塞橋村の村長・銭雲会さんが、数人の警察官に路上に押さえつけられ、工事用車両と言われる車に残忍にひき殺されたとされる事件が起きたのである。そしてその後、銭さんの家族や、事件を目撃した村民たちが「些細なことを口実にして」、次々と警察に逮捕された。
 公安当局はただちに単なる「交通事故」との見解を発表した。だが、銭さんは警察によって惨殺された≠ニの声が広がり、中国の一部マスコミも警察の発表に疑問を提示した。
 銭雲会さんは、1957年生まれの生粋の農民であり、「大躍進」政策期の大災害に耐え抜き、10年間の文革の嵐も生き抜いて、黙々と土地を耕して生活してきた。$粕N前に自分の村の土地が強制収用されることを知って以降、村人とともに6年間にわたって上訴を繰り返し、上訴しては逮捕され、投獄され、有罪とされる日々の連続であったという。
 村人たちの熱い支持を受けて村長となり、強制収用に先頭で反対して闘ってきた。またすでに奪われてしまった土地の農民への正当な補償も要求していた。こうした中でこの事件は起きた。
 車による轢殺の事件現場写真は、その残酷さが怒りをかった。また目撃者の逮捕は明らかに警察による権力犯罪の証拠抹殺である。事件後、村には警察官が部隊で配備され、村人たちは監視下におかれている。
 しかし1月1日、銭雲会さんが死んだ7日目には、村人たち数百人が銭雲会さんの小さな家の前に集まり、権力へ強い抗議の意志を示した。今も激しい抗議が全国で続いており、今年に入って警察発表に異議を唱える民間の事件調査書も作成されている。1月以降も全国で続いている労働者や農民の家や土地の強制収用に反対する各地の闘いのシンボルとなっている。
(写真 強制収用され排除された住民【12月17日】)

 □投機資本の流入で過熱するバブル、インフレ

 なぜ、今中国でこうした労働者や農民への強制収用が頻発しているのか?
 それは世界が大恐慌へと突入し、世界経済が停滞する中で、バブルにある中国に膨大な投機資金が流れ込み、それがさらにバブル経済を過熱させ、中央政府や地方政府による乱開発が一挙に拡大しているからである。バブルが崩壊の危機にあるからこそ、それを維持するためにもますます過熱している。それが都市部においても農村部においても、再開発のための土地や家屋の強制収用を日常的に生み出しているのである。
 これができる背景には、中国のスターリン主義体制の問題がある。一つは前提として、土地が国有であり私有ではないということ(より正確に言えば、共産主義社会としてあるべき「社会有」ではないということ)。一方でスターリン主義官僚が権力と特権を握っており、それが開発会社や不動産会社と結びついて、利権を拡大し私腹を肥やしながら、警察や裁判所を含む暴力的装置を利用して容易に土地を奪えるということ、である。
 こうしてスターリン主義官僚と資本家は癒着を深め、労働者や農民の生活を破壊して、バブル経済を維持し、破産に瀕している省政府の財政を補填し、そして自らの私腹を肥やすために、次々と「開発」の名による強制収用を行っている。また今日の「改革・開放」政策のもとでの新自由主義的な政策の展開は、中央対地方、地方と地方相互の間での経済競争を生み出しており、それがますますこの事態に拍車をかけている。
 「改革・開放」政策のもとの中国で、政府と資本による激しい攻撃が労働者と農民に対して襲い掛かっており、都市での労働者の闘い、農村での三里塚闘争のような闘いがあちこちで生まれようとしている。これは三里塚闘争が、中国の労働者・農民と連帯していく質を持った世界的な闘いであることも意味している。そして何よりも労農連帯によるスターリン主義打倒の闘いが、中国でも求められていることを示している。
 世界恐慌の中での投機資金の中国への膨大な流入は、もう一方で急激なインフレを生み出している。政府の公式発表によるインフレ率は年5%と言われ、これ自身大変な数値だが、実態ははるかにそれを超えている。特に食料の物価上昇は異常であり、野菜などでは1・5倍から2倍に上昇したものもある。
 上がっているのは食料価格だけではない。もっと深刻なのは住宅価格の異常な上昇である。上海や北京の住宅は、普通の労働者の収入ではとても手が出るものではなく、わずか2畳ほどのアパートに住んだり、それはまだよい方で、日の当たらない不健康な地下につくられた狭いアパートで共同生活する青年労働者や家族が出てきている。彼らは、ニートを指すアリ族に対して、モグラ族と言われている。これらの攻撃を真っ向から受けているのは、何よりも青年労働者である。とりわけ地方からきた農民工などの青年労働者の現実は深刻極まりないものとなっている。
 北京政府は今年2月から、この地下室を住居として賃貸することを禁止する政令を出した。だがこれに対して、「月1200元(約1万5600円)の給料で家族を養うのに地下室以外、どこに住めるというの」(30代の女性労働者)などの怒りの声が爆発した。昨年12月30日には、北京で青年を先頭に500人の労働者が集まり、この政令に抗議する無届集会が開催されている。集会は警察の解散命令に抗議しながら、1時間にわたって貫徹された。治安警備が厳しい北京でこのような労働者の無届集会が起きたのは極めて異例な事態であり、大恐慌下での中国の労働者の闘いの今後の爆発を予感させるものである。

 □頻発する労働者のストライキと暴動

 物価はドンドン上がるのに、唯一賃金だけが上がらない。食料と住居を失い、労働者の生活は急激に追い詰められている。
 こうして中国においては、本誌2011年2月号の中国特集に紹介されているように、労働者のストライキが激発している。労働者の賃上げ要求の闘いは、急激なインフレの中で、まさに死活をかけた闘いである。こうして使い捨ての非正規労働とされている農民工を中心とした青年労働者が、闘いの先頭に立っている。
 1月に入ってからも、ストライキは次々と起きている。1月10日から、鄭州でタクシードライバーがストライキに入った。11日には市内を走る1万台のタクシーの半数以上がストに入ったという。会社は警察を導入し、走っているタクシーに警察官を同乗させ、ストライキに合流しないように監視させた。ストライキでタクシーがつかまらず、1時間もたってタクシーを停めたら、警官が乗っていて客はびっくりしたという。
 また同じ10日に深せんで、バスの乗務員が賃上げを要求してストライキを行った。これに対して会社は警察隊を導入し、ストライキをしている乗務員と激突。警察による暴行で、女性を始めとする数人の労働者が病院に運ばれることになった。
 労働者は賃金も上がらず物価高で生きる道を失いつつあるのに、官僚や資本家は、ますます肥え太っていく。
 昨年の中国のネット流行語のトップに選ばれたのは、「俺は李剛の息子だ」という言葉である。河北大学で学生が飲酒運転で車を暴走し、女性2人を轢き死傷させた事件で、警察官が現場で逮捕しようとすると「教えてやろう。俺は李剛の息子だ!」と父親の公安幹部の名前をあげて逮捕を逃れようとした。これが格差社会と官僚の腐敗を象徴する言葉となって大流行した。 こうした格差社会への怒りは、労働者を先頭に暴動的事態を生み出している。
 昨年12月5日に、吉林省長春市で、赤いマツダの高級車に乗った男が、女性を轢きそうになった。男は車から降りてきて、轢かれそうになった女性に対して「俺は金を持っている。おまえをどうにでも殴れるんだ」と暴言を吐いた。これに対して周辺の人びとは怒り、1000人がマツダの高級車を取り囲み、破壊してしまう事件が起きている。
 さらに昨年12月27日には、雲南省昆明市で、市の職員が老人をぶん殴った。これに怒った昆明市の住民は、市職員と激突し、市管理局の建物を包囲し、車をひっくり返して放火する事態になった。
 同じ12月27日に、首都北京で、行商人に市の職員が数人で暴行をふるったことに対して、市民数百人が彼らを取り囲み、徹底的に弾劾するという事態も起きている。12月30日に青年労働者を中心として北京で住宅問題での無届集会が開かれている。
 物価高、低賃金、住宅難、失業、そして強制収用、広がる格差という現実は、労働者の職場でのストライキや街頭での暴動という事態に発展している。何かで火がつけば、労働者の総反乱が起きる状況に、中国社会は今、確実に入りつつある。

 □米日帝の朝鮮・中国侵略戦争情勢に突入

 11月23日を大きな転機とする朝鮮半島情勢の激動は、米日帝による朝鮮侵略戦争が開始され、それが本格的に展開しようとしていることを告げ知らせている。12月に発表された日本の「新防衛大綱」に、中国の労働者は、日本帝国主義が中国への戦争体制構築を意図していることをを察知している。
 一方で1月15日に、中国は北朝鮮の経済開発区である羅先市に「港の防衛のために」軍隊を駐留させることを発表している。米日の朝鮮侵略戦争は、中国との戦争が不可避な情勢に入っているのだ。
 中国の労働者階級は、バブル経済(とその崩壊の危機)、そして急激なインフレの進行、家屋・土地の強奪という状況の中で、生きるためのストライキや暴動に次々と立ち上がっている。このスターリン主義の労働者階級(と農民)に対する攻撃の中で、新たな東アジアでの戦争の危機が深まっている。2011年は中国の階級闘争にとっても新たな段階に入る。
 中国スターリン主義は、労働者のストライキに対して、昨年の後半以降、明確に暴力的な弾圧方針を鮮明にしてきている。リコーやマツダのストライキ、1月の深せんの交通労働者のストライキを、武装警官によって徹底弾圧した。「天安門型」の弾圧の本格化である。しかしこれは逆に労働者階級にとって、スターリン主義打倒なくして、自分たちの解放がありえないことを意味している。同じことは農民にも言える。
 問われているのは中国における「反帝・反スターリン主義、世界革命」綱領の党と階級的労働運動の組織化(団結の形成と拡大)の闘いであり、同時に、この戦争情勢の中で、国鉄闘争全国運動を軸に日本と中国、韓国、北朝鮮の労働者の国際連帯の闘いを実現していくことである。
 (河原善之)

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月刊『国際労働運動』(415号2-3)(2011/03/01)

■News & Review 日本

対中国戦争構えた新「防衛計画の大綱」

沖縄とその島しょ部が自衛隊の最前線基地に

 菅内閣は昨年12月17日、新「防衛計画の大綱」を閣議決定した。これまでの大綱にあった「基盤的防衛力構想」などを投げ捨て、「動的防衛力」の旗印のもとに日米同盟を強化し、北朝鮮・中国侵略戦争路線へ大転換した。周辺事態法の改悪などにも踏み込もうとしており、米軍との集団的自衛権行使に行き着くものだ。断じて許せない。

 □陸軍削減し空海大軍拡

 1月6日にゲーツ米国防長官は記者会見を開き、4万7千人の兵員削減と武器調達見直しで、国防費を14兆円減額すると発表した。削減は陸軍2万7千人、海兵隊1万5千人から2万人。イラクからの完全撤退と14年までのアフガン駐留米軍の大幅縮小を見込んでいる。
 圧縮した経費から1千億j(8兆3千億円)を「優先順位の高い分野への投資」に振り向けるとした。陸を削減し、その分でエア・シー・バトルで大軍拡をするということだ。具体的に以下を挙げた。
▼核兵器搭載可能な長距離爆撃機
▼沿岸戦闘艦
▼無人機
 「核兵器搭載可能な長距離爆撃機」は明らかに縦深性のある中国を想定したものだ。
 米帝はイラク、アフガンから大きく対北朝鮮・中国侵略戦争シフトへ舵を切ろうとしている。イラク、アフガン戦争で陸軍と海兵隊は敗退し、疲弊してしまった。陸軍での戦争を避け、空海戦闘で勝負しようという戦略が「ジョイント・エア・シー・バトル(統合空海戦闘)」構想だ。
 朝鮮侵略戦争においても陸戦は韓国陸軍に依存しようとしている。

 □ジョイント・エア・シー・バトル構想の日本版

 そして「ジョイント・エア・シー・バトル」構想は、日本では沖縄の自衛隊基地の強化となっている。新「防衛計画の大綱」の核心はそれにつきる。米軍と同じく陸を削減し空海を増強している。
 新防衛計画の大綱に基づく中期防衛力整備計画(中期防、2011〜15年度)では、東中国海に面した南西地域の島しょ部の防衛強化を柱に据えている。
▼南西地域の島しょ部に陸自の沿岸監視隊を配置し、配置場所としては台湾に隣接する与那国島を想定。
▼戦争の際に初動対応できる実戦部隊を置く。中隊(200人程度)以下の規模で複数の島に置くことを検討している。宮古島や石垣島が候補地になっている。
▼陸自第15旅団(沖縄県那覇市)の輸送力を向上。新型輸送機C1輸送機を投入。
▼陸上から中国艦船を迎撃する地対艦誘導弾を島しょ部に迅速に運び、発射できるように訓練する。これは近年、宮古島付近を通過して太平洋に抜け出る中国海軍の艦船を標的にしたものだ。
▼移動警戒レーダーを島しょ部に展開。
▼空自では、那覇基地の戦闘部隊を22機1個飛行隊から36機2個飛行隊に増強する。機種もF15に変える。青森・三沢基地の早期警戒管制機E2Cが南西地域で常時活動できるようにする。
▼海自でも潜水艦16隻から22隻体制に増強する。対潜ヘリ搭載護衛艦の大型化を進め、周辺海域での監視活動を強化する。
▼空海戦闘能力の強化と共に、ソ連の北海道侵攻を想定した北海道の陸自部隊を縮減し、部隊配置、装備、監視活動などの「対中国戦争」シフトを鮮明にした。
▼新戦闘機、新哨戒機、新輸送機を導入。
 すでに以下のことが進んでいる。沖縄本島の南西約300`にある宮古島の航空自衛隊宮古島分屯地には「フラフォー」と呼ばれる通信・電波・情報収集施設がある。東中国海沿岸や上空を飛ぶ中国航空機がどういう航空機か、何をしているのかを割り出す。この施設は全国で2番目で09年に運用を開始したばかり。
 糸満市にある航空自衛隊与座岳分屯地は弾道ミサイルの探知・追尾能力を持つ「固定3次元レーダー」、いわゆる「ガメラレーダー」を建設中だ。全国で4番目だ。
 九州・南西諸島では、空だけではなく海上、海中を含めて各種探知施設・装備の新設、更新が相次いでいる。
 中国の空海戦闘部隊を南西諸島で迎撃し、撃滅する戦略が新「防衛計画の大綱」なのだ。ジョイント・エア・シー・バトル構想の適用なのだ。

 □真の敵は日米帝だ

 日米軍事同盟にとって、沖縄は、対朝鮮、中国侵略戦争の最前線基地になった。これまでは米軍基地の島であった沖縄は、これからは自衛隊の基地の島にもされようとしている。沖縄本島を始め島しょ部の全部がそうされる。
 対米戦争において、沖縄が本土防衛の最前線とされることによって悲惨な沖縄戦が起きた。日米帝は、対北朝鮮、中国侵略戦争で真っ先に沖縄を戦火にたたき込もうとしている。
 その狙いは、沖縄の米軍基地撤去、沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の闘いを圧殺することにある。労働者階級の真の敵は日米帝である。
 11・23情勢、新防衛計画の大綱、中期防策定によって、安保粉砕、沖縄奪還闘争はいよいよ重大な局面に入った。「侵略を内乱へ」を掲げて階級的労働運動路線で闘い抜こう。
 国鉄闘争全国運動を前進させることが勝利の最大のメルクマールだ。
 (宇和島洋)

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月刊『国際労働運動』(415号3-1)(2011/03/01)

(写真 動労千葉はライフサイクル撤廃、事前通知の撤回を求め指名ストに突入【1月19 日 千葉運転区庁舎前】) 

特集

■特集 闘う春闘取り戻し青年部運動復権を

 はじめに

 2011年春闘を闘い抜き、日本全国に渦巻く青年労働者の怒りを解き放とう。青年労働者こそが未来を切り開く存在として6000万労働者階級の前に登場しよう。闘う青年部運動の復権が決定的だ。青年部運動こそ青年労働者の団結そのものだ。国鉄闘争を基軸に闘われてきた戦後労働運動を継承し、その限界性を突破する課題の担い手は、青年労働者にほかならない。青年労働者の決起で国鉄1047名解雇撤回闘争をめぐる4・9反革命と対決し、11・23の砲撃戦で開始された朝鮮侵略戦争情勢と対決しよう。連合・全労連指導部の支配から、青年労働者の決起を解き放とう。青年労働者に肉薄し、合流し、ともに闘おう。
 第1章は、闘う春闘を取り戻し青年部運動の復権を訴え、第2章は、JR平成採の青年労働者(運転士)への攻撃であるライフサイクルを全面的に暴露し、第3章は、動労千葉の反合・運転保安闘争路線について提起した。

■第1章

 青年労働者が先頭で牽引 帝国主義を打倒する力

 (1)青年労働者の状態

 まず、現在の青年労働者の置かれている状態を見ていきたい。そこから見えてくるのは、世界大恐慌の矛盾が青年労働者に集中的に押しつけられている事実だ。
 だい1項 高い失業率
 日本における15〜29歳の青少年人口は約2千万人であり、そのうち労働力人口は1200万人である。
 昨年11月の労働者全体の失業率が原数値で4・8%(季節調整値は5・1%)なのに対し、青年労働者の失業率は15〜24歳で8・7%、25〜34歳で6・3%(いずれも原数値)と、極端に高い。これはあくまで政府統計であり、短時間でも働いている者や就職をあきらめた者は反映されないため、実質的な失業率はこれよりはるかに高い。
 例えば、いわゆる「ひきこもり」と呼ばれる青年が15〜39歳で約70万人も存在するが、そのきっかけは、「職場になじめなかった」(24%)、「就職活動がうまくいかなかった」(20%)など、労働条件や就職難に起因する。(2
010年度版「こども・青年白書」)
 今春の有効求人倍率も、高卒で0・67倍の超低水準である。とりわけ地方では沖縄(0・12倍)、青森(0・21倍)、熊本(0・22倍)など、青年労働者は逆立ちしても就職できないような状況がある。

 約半数が非正規雇用

 15〜24歳の青年労働者の約45%は非正規雇用である。就学者を除いても30%が非正規雇用だ。25〜34歳でも26%が非正規であり、いったん非正規雇用に追い込まれたら簡単には抜け出すことができないことが分かる。また、例え正規雇用であっても、そもそも外注先である下請・孫請会社での正規雇用だったり、賃金・労働条件がきわめて劣悪な「名ばかり正社員」が横行しているのが現状である。

 劣悪な労働条件

 青年労働者の約46%が小売業や飲食サービス業に従事している。主に小売り店やコンビニ、居酒屋の店員などである。これらの業種の特徴は、低賃金・不安定であること、職場に労働組合がないことである。非正規雇用に限れば、過半数の51%がこのような業種で働いている。一方、比較的賃金の高い製造業に従事するのは、非正規雇用では4%未満である。08年のリーマン・ショック以降、「派遣切り」などで青年労働者が真っ先にたたき出されたのだ。

 超低賃金

 青年労働者は低賃金で搾り取られている。09年の男性正規雇用の平均賃金38万円に対し、非正規雇用の20〜24歳の男性で18万円、同女性で17万円であり、半額以下だ。
 正規雇用でも、例えば高卒3年目の東京23区の自治体・一般職の青年労働者の手取りは、残業をしなければ15・5万円程度だ。東京では住居費用だけで7〜8万円かかる。数千円の住居手当がついても収入の大部分が固定費用で吹っ飛び、手元にほとんど残らない。文字どおり生きるだけで精いっぱいの低賃金だ。さらに賃金上昇率が押さえられ、一時金は下がる一方なので、何年働いても賃金はほとんど上がらない。
 かつては「将来は賃金が上がる」という幻想ぐらいは与えられたが、現在はそれすらない。まさにむき出しの搾取の中で、生活と将来を奪われているのだ。
 現在を生きる青年労働者と日本帝国主義の間には「和解」の余地はない。青年労働者の生き血を吸い、青年労働者の生活と未来を犠牲にして、かろうじて存在しているのが日本帝国主義なのである。資本主義的な一切の幻想から解放されているのが現在の青年労働者なのであり、だからこそ、その決起は根底的(ラジカル)である。

(図1 産業別就業者数【15才〜24才】の構成比【09年】)
(図2 産業別非正規の職員・従業員数【15才〜24才】の構成比【09年】)

 (2)青年労働者と日本帝国主義の歴史的関係

 青年労働者と日本帝国主義との対決は、今に始まった話ではない。むしろ帝国主義が生まれた瞬間から、青年労働者は常に帝国主義打倒の闘いに立ち上がってきたのだ。
 そもそも日本帝国主義は歴史的に青年労働者に超低賃金を強制することによって成り立ってきた。そして青年労働者こそが、一貫して日本帝国主義の矛盾を告発・糾弾し、労働者解放の闘いの先頭に立ってきた。
 青年労働者の怒りと闘いをたたきつぶし、体制内に押さえ込むことが、今日に至るまで日本帝国主義の労務政策の中心課題である。あらゆる時代、日本全国で青年労働者は決起し、その主戦場は国鉄だった。大ざっぱだが、日本帝国主義と青年労働者との歴史的な関係を見ていきたい。

 ロシア革命と青年労働者

 日本における労働運動の本格的発展を切り開いたのは青年労働者である。1917年のロシア革命を受け、日本においては1920年を前後して労働運動が空前の爆発を遂げる(『最前線』掲載の「神戸の大造船ストライキ」など参照)。この先頭に立ったのが青年労働者だった。革命のリアリズムが青年労働者の心をとらえ、怒りを解き放ったのだ。これに突き上げられる形で協調主義的労働組合だった友愛会も大きく左傾化し、本格的な労働組合に発展していく。

 戦後革命期

 戦後革命期に労働運動の先頭に立ったのも青年労働者である。彼らは「革命を目指す労働運動」として産別会議労働運動に結集した。国鉄・全逓を先頭として青年行動隊を結成し、47年2・1ストの実現に向けて奮闘した。彼らの目標は共産党指導部の言う「社会党主軸の民主政府の樹立」などではなく、文字どおり革命の実現であった。
 公務員からスト権を剥奪した「政令201号」に対しては、国労旭川支部・新得機関区分会の青年労働者が青年行動隊を結成し、職場放棄の闘いに立ち上がった。「革命は近い、立ち上がれ」と檄(げき)を発して北海道全域にオルグに散った。この闘いは国鉄・全逓を中心として北海道・東北地方全域に非合法の職場放棄・山猫スト・ストライキを激発させ、関東・関西にまで広まり占領軍を震撼させた。
 これらの争議の中で結成された青年行動隊が現在の青年部の原型でもある。
 戦後革命の圧殺とは、これら青年労働者の決起の圧殺にほかならなかった。占領軍と日帝ブルジョアジーはそのことによって初めて朝鮮戦争に突入できたのだ。49年に国鉄労働者10万人の首を切った定員法もターゲットは青年労働者だった。同時に占領軍と日帝ブルジョアジーは、下山事件・三鷹事件・松川事件を利用したフレームアップ、資本と民同が手を組んだ職場と組合からのたたき出しなど、なりふり構わぬ弾圧をやってのけた。労働者の側も必死だったが、敵の側も必死だったのである。
 戦後革命の圧殺を経て、御用組合として組織されたのが総評である。総評は占領軍のテコ入れで民同を主軸に組織され、その任務は現場の闘いを押さえ込むことだった。

 総評と55年体制

 55年体制を支え続けたのは、青年労働者に対する超低賃金政策だった。高度経済成長が始まる直前、1954年の平均給与1万7千円に対し、17歳以下の青年労働者の給与は3分の1以下の5千円、高卒採用の18〜19歳で半分以下の7700円だった。1954年6月から闘われた近江絹糸争議が「人権争議」と呼ばれたように、紡績産業などで働く青年労働者は労働3権どころか人権をも完全に無視した労働監獄に置かれていたのだ。
 高度経済成長のまっただ中、農村から都会に集団就職し、「金の卵」と呼ばれた青年労働者も同様だった。1962年の年間平均給与が29万円に対し、中学卒業の青年労働者の平均給与は3分の1に近い11万円だった。
 戦後の日本の経済成長を「東洋の奇跡」と表現することもあるが、1950年に始まった朝鮮戦争に伴う「朝鮮特需」で生産設備を全面的に更新し、そのもとで青年労働者から徹底的に搾り取ったことが出発点なのである。戦後の日本帝国主義はこのことによって初めて繊維などの軽工業から重化学工業への転換を実現したのである。

 生産性向上運動

 1955年に国策として日本生産性本部が設立され、資本家団体はもとより、後の同盟につながる右派の労働組合が参加した。その思想的背骨は「生産性向上」のイデオロギーである。「賃金は生産費ではなく、利潤の分け前」「資本の利益と労働者の利益は一体」といったマルクス主義解体の古典的手法だ。その核心は、労働者の階級性と団結を解体することにある。
 生産性向上運動は、青年労働者対策と一体であった。インフレ政策と、アメリカ市場を食い荒らして得た利潤の国内への再投資により、日帝ブルジョアジーは名目賃金をドンドン上げた(もちろん労働組合の闘いがあってのことだが)。「終身雇用・年功型賃金・企業内組合」という日本独特の雇用関係を確立し、青年労働者の未来を企業成長の枠内に押し込もうとした。
 同時に青年労働者を合理化で組み敷き、徹底的に搾り取ろうとした。青年労働者を「柔軟な労働力」として技術革新=合理化の直接の担い手に組み込んだ。QC(クオリティーコントロール)サークルといった小集団活動などをとおして「自主的・主体的」に合理化を推進することを強制しようとした。そして勤務評定と職階制賃金制度の導入で労働者同士を競争させたのだ。
 これらはけっして「労使協調で生産性向上」などというキレイごとによって成り立つものではなかった。資本と一体となって現場労働者を抑圧する労組幹部の組合支配があって初めて成り立ったのだ。合理化や生産性向上運動の核心は、何よりも労働運動の解体にあり、総評労働運動を解体して右翼労線統一を実現することにあった。

 反マル生闘争の勝利と反戦派労働運動

 この攻撃をギリギリのところで跳ね返したのが国鉄と全逓の青年労働者だった。1950年代、60年代をとおして民間を席巻した生産性向上運動も、官公労では国鉄と全逓における反マル生闘争によって破産に追い込まれた。国鉄では71年、磯崎総裁が国会で不当労働行為を陳謝。動労千葉地本のように既成指導部が攻撃の激しさの前に逃亡する中で青年労働者が真っ向から闘い粉砕したのだ。反マル生闘争の勝利は右翼労線統一の流れを押しとどめ、日帝の労務政策を10年は遅らせたと言われる。
 これを準備したのが反戦派労働運動だった。総評は結成直後から「ニワトリからアヒルへ」と左旋回し、局面的には戦闘的に闘った。資本家と労働者の間に一定の力関係を築いた意味において階級的であった。しかし、あくまでも戦後革命の圧殺の上に登場した体制内の労働運動だった。 その限界性の突破を目指して登場したのが反戦派労働運動だ。三井・三池闘争と安保闘争の敗北をいかにのりこえるのか。社会党・共産党をいかにのりこえ革命を実現するのかという課題に、青年労働者は文字どおり体を張って立ち向かった。青年労働者の闘いは歴史の節目において必ず爆発し、その目指すところは例外なく革命なのである。

 国鉄分割・民営化と労働者派遣法

 1980年代の国鉄分割・民営化攻撃は、このような力関係の反動的突破を図るものであった。74〜75年恐慌を経て日本経済の戦後的発展が完全に行き詰まる中、新自由主義政策に転換するためには、国鉄労働運動の解体と、総評の解体―連合の結成が必要だったのだ。これと一体で、労働者派遣法を制定し、非正規職化の準備を進めた。
 民営化と外注化による青年労働者の非正規職化は、日本帝国主義の歴史的政策である青年労働者に対する低賃金政策を極限にまで推し進め、かつそれを生涯の賃金として固定化するものだ。単に人件費の削減のみを目的としたものではない。新自由主義のもとでの青年労働者の反乱を未然に防ぐために青年労働者を分断する予防反革命だった。

 分割・民営化攻撃を破った動労千葉労働運動

 しかし、国鉄分割・民営化の攻撃も、労働者階級の闘いを完全に解体できなかった。反戦派労働運動の中で生まれ、反合理化・運転保安闘争路線を確立し、三里塚ジェット燃料輸送阻止闘争、動労本部からの分離独立を闘い抜いた動労千葉が、この攻撃を根底においてうち砕いた。
 分割・民営化を2波の大ストで迎え撃ち、団結を守り抜き、国鉄闘争を最深部において主導し、守り続けた。その結果、1047名解雇撤回闘争が生まれ、これを軸に百万人の支援陣形が新自由主義の攻撃に対抗し続けたのだ。
 青年労働者は日本帝国主義との対決を繰り返し、その闘いは動労千葉労働運動として、継承され発展している。そして動労千葉は4・9と11・23という情勢と真っ向から対決して国鉄闘争全国運動を呼びかけ、多くの青年労働者が合流を開始している。この闘いは青年労働者と日本帝国主義の対決に歴史的決着をつける闘いだ。
 青年労働者の歴史的闘いの蓄積は、国鉄と全逓をはじめ全国の労組青年部や青年労働者に脈々と受け継がれている。例え青年労働者自身が意識していなくても、既成指導部によってその歴史が歪められ抹殺されても、青年部という存在自体が歴史的存在なのである。青年部と青年労働者は、国鉄闘争を水路とすることにより、ひとたび闘いに立ち上がった瞬間に、これまでの歴史的経験と蓄積をわがものに奪還できるのだ。

 (3)連合・全労連指導部の青年支配をうち破ろう

 春闘解体に突き進む連合指導部と日本経団連

 11春闘で連合指導部は当初からベースアップ要求を見送った。要求したのは諸手当や一時金などによる「給与総額」で1%の引き上げと、定期昇給の維持のみである。
 東証1部企業の利益はすでにリーマン・ショック前を超えている。大企業は世界恐慌をもテコにして労働者に低賃金を強制し、ボロもうけをしている。
 他方で、この10年あまり、労働者の賃金は大幅に下がっている。連合自身が言うように、厚労省・毎月勤労統計調査では97年と09年で比較すると一般労働者で5・1%減だ。同・賃金構造基本統計調査では、平均所定内賃金(労務構成の変化の影響を除く)で97年と09年を比較すると、全産業・規模計でなんと7%も減少している。
 労働組合は大幅賃上げを要求してストで闘うことは当然なのだ。「定期昇給の維持」など、本来なら要求にすらならないものである。

 2011年経労委報告

 しかし、日本経団連はこのささやかな「要求」すら真っ向から拒否している。201
1年経労委報告では「給与総額1%引き上げ」を「極めて厳しい要求」とバッサリ切り捨てている。定期昇給に関しても「容認」どころか「交渉を行う企業が大半」としている。それどころか「賃金カーブの見直し」として熟練労働者層の「定期降給」を打ち出している。
 さらには、日本経団連は「春闘」を「春の労使パートナーシップ対話」とするよう提唱している。「労使が一体となって国際競争に打ち勝つための建設的な議論の場とする」「海外の需要を積極的に取り込む可能性を探るなどの(労使)協議が求められる」などと言っているのだ。まさに労働組合に対してTPPや「新成長戦略」の先兵になることを要求しているのだ。
 重大なのは、連合指導部はすでにこの中身について賛成し、推進していることだ。連合指導部が参加し、支えている菅・民主党政権は日本経団連の全面的支援を受け、その政策は日本経団連そのものである。われわれの目の前で政権・財界・労働組合が完全に一体化し、アジア侵略に突き進もうとしている。
 このような連合指導部の支配に対して反旗を翻す青年労働者の決起をつくり出すことが、11春闘の最大の闘いだ。

 連合の青年支配の現状

 連合指導部の労働者支配、とりわけ青年労働者支配は、現場で完全に空洞化している。連合指導部がいかに資本家と一体化しようが、労働組合は労働者の基礎的団結形態であり、資本と闘うための組織である。連合指導と労働組合本来のあり方とは完全に相容れないものになり、完全に求心力を失っている。20年間の裏切りの結果、現場は多忙化し、時間内組合活動は禁止され、基本的な組合活動が成り立たなくなっている。かつての同盟幹部は総評労働運動と対決するためゴリゴリとイデオロギー闘争を行ったが、そのようなイデオロギーも完全に空洞化し、資本の言いなり以上でも以下でもない。
 その結果、連合の青年委員会の活動はもっぱら「エコ活動」とボランティアとレクレーションを通じた「仲間づくり」になっている。例えば昨年11月19日に開催された連合東京青年委員会第21回総会では、2011年度の活動方針として「雪国ボランティア」(雪かき)と「ユースラリー」を中心とした取り組みを提起し、確認している。ちなみに昨年の連合東京青年委員会のユースラリーは、第1部が国会議員の講演、都議・区議を交えたディスカッション、第2部がいわゆる「婚活パーティー」である。

 青年の怒りに火をつけよう

 このように、連合の青年労働者支配は完全に破綻し、空洞化している。しかし、この空洞の中には青年労働者の行き場のない不満と怒りが濃密に渦巻いているのである。連合指導部は、この怒りに火がつき、闘いが始まった瞬間に、自らが打倒されることを自覚している。したがって、青年労働者の決起に対しては徹底的な弾圧で応えている。
 だが、この弾圧がいかに激しく凶暴で陰険でも、敵の弱さを示すものにほかならない。孤立しているように思えても、一歩も引かずに青年の怒りを体現して踏ん張り続ける限り、青年の仲間は必ず立ち上がる。その時こそ連合・全労連指導部の支配を根底からぶっ飛ばせるのだ。

 (4)春闘で青年労働者の総決起を

 11春闘を、日本の青年部のすべてを獲得する心構えで闘おう。国鉄闘争全国運動を武器に青年労働者の中へ分け入っていこう。JRの検修業務の全面外注化阻止と闘う平成採の青年労働者との合流で、闘う労組青年部運動をよみがえらせよう。
 何よりも、11春闘はJRにおける検修・構内業務の全面外注化阻止の闘い、ライフサイクルやグリーンスタッフ雇止めに対する闘いと一体だ。

 職場全体の獲得に挑戦

 すべての問題を青年労働者の利害との関係でとらえ、例え小さくとも行動に移そう。職場全体の獲得に果敢に挑もう。その中で青年部権力の獲得に挑戦しよう。その格闘の中で組合全体に責任を取る力をつけよう。青年部運動を、既成指導部批判の運動から、自ら組合権力を奪取する運動に発展させよう。
 青年部のない職場では、青年部建設を目指そう。青年部はかつて青年行動隊から誕生した。決まった形があるわけではない。青年労働者が団結して闘えば本質的には青年部だ。本格的な青年部運動の建設を目指そう。
 何よりも「われわれが労働運動全体を握ってやる」(中野洋・動労千葉前委員長)という心構えが大切だ。地域には今も数多く青年部や青年委員会が存在している。それらすべての獲得を展望しよう。既成指導部が青年部の戦闘的な闘いを全力で妨害する関係にある。この壁を突破するのは簡単ではない。しかし青年労働者は必ず立ち上がる。粘り強く働きかけよう。その中で労働運動の現状を研究し熟知しよう。

 正規・非正規の壁をうち破ろう

 闘う青年労働者は、あらゆる分断をのりこえて合流できる。正規雇用の労組活動家も、職場に組合のない非正規雇用の労働者も、闘えばすぐ合流できる。産別や正規・非正規の壁を越えた団結をつくろう。4大産別を含むあらゆる職場で非正規の仲間を組織しよう。合同労組を徹底的に重視しよう。
 一つひとつの職場では小さな存在から始まるにしても、あらゆる産別・職場に地下水脈のような青年労働者のネットワークを張り巡らせ、互いに支え、励まし、闘おう。

 朝鮮侵略戦争と対決し基地撤去・安保粉砕へ

 菅・民主党政権と沖縄県民の激突は不可避だ。その背景にあるのは開始された朝鮮侵略戦争だ。職場での闘いを基礎に労働運動の力で対決しよう。米軍基地撤去を闘いとろう。反戦は青年の課題だ。学生の仲間とともに決起しよう。

■第2章

 ライフサイクル撤廃を JR平成採の大反乱情勢

 (1)動労千葉、指名スト

 ライフサイクル撤廃求め

 動労千葉の平成採の青年労働者が1月19日夕方から「強制配転の事前通知撤回・ライフサイクル制度撤廃」を求めて指名ストに突入した。
 動労千葉はこの間、ライフサイクル制度撤廃を求めて団体交渉を行ってきた。「もし組合員の配転を強行するなら指名ストに突入する」と当局に通告すると、あわてたJR千葉支社が強制配転の事前通知を強行したのだ。   動労千葉はこの間、ライフサイクル制度撤廃を求めて団体交渉を行ってきた。「もし組合員の配転を強行するなら指名ストに突入する」と当局に通告すると、あわてたJR千葉支社が強制配転の事前通知を強行したのだ。 
 当該の青年組合員は、腹の底から煮えたぎる怒りを会社にたたきつけた。
 「団交の場でも、俺ははっきり『事前通知は出さないでくれ。運転士を続ける』と意思表示しました。1人の社員の意志も尊重できないような会社には屈しません。団交の席で、支社の人間は『あと10年したら私たちはいませんから』などと言いました。無責任にもほどがあるんですよ。絶対に負けない」
 動労千葉の田中康宏委員長は次のように訴えた。
 「なぜ運転士を駅にたらい回しにするのか。会社は、駅員のほとんどを契約社員に置きかえようとしている。そして、非正規職の労働者ができない仕事を運転士に尻拭いさせる。労働者を使って、ほかの労働者を非正規職に突き落とさせる。こんなこと容認できるか!」
 「検査修繕、電力、保線、信号通信など、安全にとって一番大事な部署がすべて外注化され、仕事ごと労働者を下請会社に突き落とし非正規職にしていく。JRは、とにかく金がもうかればいい、事故を起こそうが何が起ころうが関係ない会社になっている」 幕張車両センターで検修の仕事をしている青年組合員は「入社当初、会社は『希望を持って頑張りなさい』とキレイごとを言ってました。それがなんですか。使い回しの機械じゃないんだよ」と会社を激しく弾劾した。
 動労千葉の青年組合員の決起は、一切の犠牲を青年労働者に押しつけて外注化・非正規職化に突き進むJR資本の正体を自らの闘いをもって暴き出し、JR体制打倒の青年の総反乱を呼びかける熱烈な檄だ。
 この章では、「日刊・動労千葉」などをもとにJR(東日本)の青年労働者をめぐる問題を考えたい。

 JR東日本とは

 JR東日本は、1987年4月1日に分割・民営化された国鉄から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社だ。JRグループ最大で、営業路線が最も長い。2010年4月1日現在の社員数は約6万190人。1日の平均輸送人員は約1686万人(08年度実績)で、年間売り上げは2兆7千億円近く(連結)に上る。世界最大の鉄道会社だ。
 JR東日本の社員平均年齢は42・3歳。40歳以下が4割を超える。国鉄時代の80年代に数年間にわたり職員の採用をストップしたため、40歳代前半の労働者が極端に少ない。いわゆる平成採と呼ばれるのは、分割・民営化の後に再開された採用で入った労働者だ。JRで本格的に新規採用が始まるのは1990年。清算事業団が最終的に1047名の国鉄労働者を解雇した後からだ。
 分割・民営化直後の87年に8万2500人だった社員の数は、2010年度現在で6万190人。実に2万人以上の要員が削減されている。2010年の新規採用人数は、いわゆる総合職のポテンシャル採用が200人、現場で働くプロフェッショナル採用が1860人。
 労働組合の組織人数は、JR東労組(JR総連)が4万人余、国労が8千人弱で、JR東日本ユニオン(JR連合)、東労組から分裂したJR労組、動労総連合と続く。
 新規採用で入社した平成採の青年労働者は、問答無用でJR総連に加入することを強制される。浦和電車区事件 に典型的にみられるような暴力支配で青年労働者の怒りを抑圧し、当局と結託して、青年労働者を支配している。  新規採用で入社した平成採の青年労働者は、問答無用でJR総連に加入することを強制される。浦和電車区事件 に典型的にみられるような暴力支配で青年労働者の怒りを抑圧し、当局と結託して、青年労働者を支配している。
 浦和電車区事件とは2000年に、JR東労組に所属し、浦和電車区で勤務していた青年部所属の運転士がJR連合のキャンプに参加したことを理由に東労組からの脱退強要を迫られ退職する事件だ。02年11月に強要罪の容疑でJR東労組の大宮地本副委員長ら7人が逮捕され、懲戒解雇処分となった。
 こういう暴力的支配を行う一方で、JR東労組(JR総連)は、ライフサイクル制度や外注化を容認し、それどころか積極的に当局と結託して推進しているのだ。このJR総連に対して、すでに数十人規模の平成採の青年労働者が反旗を翻し、国労や動労千葉に加入している。
 日本の労働運動をたたきつぶすために20万人の国鉄労働者を職場から追放し、200人を自殺に追い込んだ国鉄分割・民営化から四半世紀。他方で国鉄―JRは、動労千葉を始め国鉄労働者の階級的魂が厳然と存在する階級闘争の最前線であり、闘いの可能性に満ちた産別でもある。
 この中でJRで働く平成採の青年労働者は何を感じ、何に怒り、どんな行動を求めているのか。
 JRで働く青年労働者をめぐる状況は矛盾に満ちている。きわめて抑圧的な労務管理のもとで、青年労働者は携帯電話でメールをしただけで解雇になり、事故を起こせばすべて自己責任とされ、日勤教育の恐怖で締め上げる。尼崎事故は分割・民営化後の青年労働者に対する抑圧支配がもたらしたものだ。JR総連カクマルとJR資本の腐りきった結託体制がもたらした矛盾が一挙に爆発する情勢に入った。平成採の青年労働者の大反乱が始まったのだ。
(図 社員年齢構成比 2010年4月1日現在)

 (2)ライフサイクルとは

 外注化と非正規職化

 ライフサイクルは運転士にとってなんの意味もない制度だ。経験を積み、仕事にも慣れ、職場の中心的存在にもなった30代の運転士を駅に突然、配転することにどんな意味があるのか。「運輸のプロになるため」という会社の言葉は説明にならない。
 ライフサイクル制度は駅業務の外注化や非正規雇用化と一体であり、ある意味で要(かなめ)となる攻撃だ。駅の外注化が全面的に推進され、駅で働く若い労働者の相当の人数が契約社員に置き換えられている。
 基本的に駅営業職をすべて非正規雇用の契約社員にするのがJR東日本の方針だ。その時に問題になるのは、信号取扱いやホームでの合図、列車の分割や併合などを行う輸送職である。いつ辞めてしまうかもしれない契約社員だけでは成り立たないから、ライフサイクルと称して、運転士を駅に回そうとしているのだ。JR東日本は、労働者をいかに安く使い捨てるかという発想でその矛盾を運転士に押しつけているのだ。
 ライフサイクルは、車掌の非正規雇用化をはじめ、JRにおける全職種のあり方を抜本的にひっくり返し、労働者の権利を覆す攻撃だ。駅員の契約社員化を進めていったら、車掌になるための要員もいなくなる。車掌や運転士の登用の、これまでの人事運用や業務遂行のあり方は行き詰まることは明らかだ。
 実際、検修・構内、保線・電力・信通など、あらゆる業務の丸投げ的な外注化が進められている。ライフサイクルはこれと一体の攻撃である。そしてそれは、技術継承と運転保安の崩壊をもたらす。

 動労千葉に適用できない

 ライフサイクルで強制配転させられた運転士から「生活ががらりと変わった」との怒りの声が上がっている。JR東日本会社の言う「運輸のプロ」の説明とはまったく逆だ。多くの青年運転士が「いつライフサイクルで配転されるのか」という不安の中で列車の運転を行っているのだ。
 動労千葉は、ライフサイクルに関する覚書=労働協約を締結してない。したがって動労千葉に所属する組合員にライフサイクルを適用して駅に強制配転することは、法的に言っても絶対におかしい。
 JR千葉支社は、団交で「労働協約は、締結した労働組合に適用される」との回答を行う一方で、「ライフサイクルについては就業規則の任用の基準でできる」と、まったく矛盾する説明を一貫して強弁している。
 しかし、動労千葉が、ライフサイクルによる異動も含めた運用の中身は就業規則のどこに書いてあるのかを明示するように求めると、「就業規則には書いてない」と回答せざるを得ない状況である。具体的な運用も労働協約にしか書いていないから当然だ。答えに窮した会社が苦し紛れに出した回答が、08年3月に出した通達で運用できるという回答だ。通達で物事が進められるなら何でもできる。通達があったとしても「覚書」=労働協約を結んでいないことに変わりはないのだ。動労千葉にライフサイクルを適用できないことは明白だ。
 何よりも許せないのは、それを東労組がのんでしまい、組合員に強制していることだ。駅の要員パンクを生み出した責任は一切会社にある。それを追及するどころか会社に代わって東労組が職場を支配し、現場の運転士を駅への配転に駆り立て、外注化をのんでグループ会社への強制出向に駆り立てていくという腐った現実。こんなことを止めなければならない。
 

 (3)契約社員の大規模導入

 コスト削減のかけ声でJRでは契約社員が大規模に導入されてきた。JR東日本では2000年度からびゅうプラザでのカウンター業務を突破口にして、契約社員である「グリーンスタッフ」が導入された。
 07年には、グリーンスタッフの職種が東京エリアにおける駅業務にも拡大。みどりの窓口での切符類の発券・販売や、駅構内での乗客案内、改札時の運賃精算や問い合わせへの対応など、駅の営業の業務のほとんどを担っている(駅の輸送職に関しては前述のようにライフサイクルが導入された)。
 契約社員は、ほとんど説明もないまま、入社していきなり正社員と同じ24時間拘束の泊まり勤務も行わされる。月8〜9回の泊まり勤務と4〜5日の日勤で法定労働時間めいっぱい働かされても残業代もつかない。月収は手取りで16万円程度だ。事故や故障で列車が止まったり、遅れたりすれば接客の矢面に立たされる。事故や故障の詳しい情報もまったく知らされないままクレーム処理に忙殺される。
 契約社員制度は1年ごとの契約で上限4回の最長5年間が有期雇用。3年働けば正社員になる試験を受けられるが、JR東日本での合格率は3割。合格率は現在、さらに下がっている。正社員になれなければ5年後に何の保証もなく放り出されるのだ。一握りしか合格しない正社員登用の「ニンジン」をぶら下げて、資本に身も心も捧げて、仲間との競争が強いられるのだ。
 09年度の統計で、JR東日本はグループ全体で2万6400人が非正規雇用、26%をしめる。駅ナカ・駅チカや旅行・クレジットカード事業などの分野が多いが、鉄道業務の非正規化も04年度の1・5%から09年度の9%と徐々に加速度を増している。
 07年の全面的な駅業務の契約社員導入から3年が経過し、試験を受けても合格せず、雇い止めで解雇される労働者も出ている。正社員と同じように働いても賃金は半分でいつでも雇い止めにできる。同じ労働者でこんな扱いが許されて良いはずがない。
 契約社員の怒りは積もりに積もっている。インターネット上の電子掲示板などでも、資本に対する憎しみのこもった書き込みが洪水のようにあふれている。
 「5年契約やってはいさようならだな。本当に一部の者だけじゃないのか正社員になれるのは」
 「駅勤務だと泊まりで仮眠時間が5時間くらいあるけど寝るところは個室じゃねーぞ。駅によっても違うが6畳くらいの部屋で3人くらいで寝るんだぞ、他人のイビキやハギシリなどでとても寝られねー」
 「会社側は社会人採用=正社員・正規雇用、GS=臨時雇い、期間雇用であり、 会社の考えでは別物」  「会社側は社会人採用=正社員・正規雇用、GS=臨時雇い、期間雇用であり、 会社の考えでは別物」
 「何だかんだといいながら正社員というエサぶら下げて。期間雇用を更新し続けて正社員にはさせず人件費節約。遅刻、事故などを1度でも起こした時点で更新終了させるんだろ」
 JRは契約社員を「いくらでも代わりのきく安価な労働者」として扱い、東労組の幹部は、自分たちの出世と引き替えに契約社員制度に協力してきた。

 

 (4)外注化は究極の合理化攻撃だ

 労働者をバラバラに分断

 外注化(アウトソーシング)は、究極の合理化攻撃だ。職場を丸ごと現場労働者から奪い取り、何社もの子会社・孫会社に業務を分解して下請けにする。そこでは重層的な企業系列、複雑な雇用形態が錯綜して、同じ職場で一緒に働いているにもかかわらず、お互い違う資本に雇用され、正社員や契約社員など雇用形態もバラバラとなる。
 元請―下請―孫請けという重層的な契約関係の中で、現場労働者にもなかば身分的な上下関係が形成される。賃金も元請の正社員と末端の下請企業で働く非正規雇用と比較すれば、2〜3倍の格差が生じる。
 こうして一緒に働く労働者を文字どおりバラバラに分断し、労働者の間に階層的な上下関係を持ち込む。まさに究極の団結破壊の攻撃である。賃上げや労働条件を労働者が団結して闘うことを一切合切破壊する攻撃だ。
 あらゆる産業の資本が、生産活動を外注化し、自らは「持株会社」として、株という、もっていれば利潤(配当)を生み出す「完成された資本」だけをもった資本として薄汚い生き残りを図っている。
 本当に腐っている。もはや、労働者が汗水垂らして働くことに対する、資本家なりの「敬意」はみじんも残っていない。それどころか生産活動そのものに対する肯定的感覚も希薄化している。
 社会的に必要な生産活動は、すべて外注に回し、自分は株だけ持っていて儲け放題。外注先に起きる事故やトラブルなどには一切責任を取らないのだ。
 もちろん現場で労働者の苦悩や怒りにはまったく向き合わない。すべて外注会社に押しつけるのだ。
 外注化こそ、新自由主義攻撃の中で極限的に腐敗を深めてきた資本の最後の、最も腐りきった姿だ。ある意味、これ以上、労働者に対して敵対的で、無責任な資本のあり方はない。職場生産点から労働者が決起して、ブルジョアジーを打倒して、社会的生産そのものを労働者階級の手に取り戻す闘いが問題になっているのだ。

 数百の子会社に分割

 JRは、1987年に国鉄が7つの会社に分割・民営化されて人為的に生み出された。JRにおける外注化の動きは、この7会社をさらに数百の会社に分割し、外注化・子会社化していく攻撃だ。
 08年の「グループ経営ビジョン2020―挑む―」は2017年度までに「運輸業以外」の営業収益を4割程度(現在は3割程度)に引き上げるなど、鉄道以外の事業に経営主体を移行させることを打ち出した。
 JRは鉄道会社を名乗りながら鉄道事業を丸ごと外注へと放り出し、現実の社会的生産に伴う「社会的責任」や労働者の怒りと闘いに向き合うことなく、ひたすら金もうけだけをやろうというのだ。

■第3章

 反合・運転保安闘争路線合理化攻撃を唯一跳ね返す

 30数年の合理化との闘い

 動労千葉が10年間にわたって外注化を阻止し続け、団結を強化し、その戦闘性・階級性を引き出し、平成採の青年労働者の結集をつくりだしている背景には、三十数年間にわたる反合理化・運転保安闘争路線と実践的な蓄積がある。
 そもそも合理化攻撃とは、賃労働と資本の関係の中で、労働力の価値=賃金を限りなく縮小し、資本の利潤の増大を追求するためのすべてを指す。資本は労働者を強労働に駆り立て、賃金を縮小し、労働者の団結を破壊するために、機械化、ベルトコンベアーや流れ作業などの生産の組織化、生産過程を管理し、労働を監督する種々の職制組織……あらゆる手段、方法を、あらゆる契機を通して追求する。すべて搾取を強化する方法だ。
 労働者はこれに対して団結して闘ってきた。合理化とは、資本家階級と労働者階級の間の絶えざる闘争と力関係に突き動かされて貫かれるものなのだ。生産技術の高度化に対応して、それを利用して労働組合を弱体化させ、労働者に対する支配力を強め、最大限の労働強化と低賃金化を貫くための攻撃が合理化攻撃だ。それは具体的には、人員削減、労働強化と効率化、年功序列賃金の解体や成果主義の導入、非正規雇用化などの攻撃としてあらわれる。
 反合理化闘争は、資本の労働者への侵害に対する抵抗として、資本と直接的に激突し、逆に資本への侵害として闘われる。それは労働組合(職場の団結)という基礎的団結形態が主体となり、その防衛と団結強化としてかちとられる闘いだ。
 だから反合理化闘争は、労働者階級の究極的な解放、すなわち革命を内包した闘いでもある。だから、その実践は、資本との非和解的な激突をはらむ。戦後の労働運動の歴史の中でも、日本帝国主義ブルジョアジーの合理化攻撃に対する闘いの実践において、幾多の党派・潮流がことごとく破産してきた。

 戦後革命の敗北のりこえる反合闘争の構築

 特に戦後革命の敗北を乗りこえる反合理化闘争の構築という観点で少し考察したい。 47年2・1ゼネストを圧殺した支配階級は、戦後革命を抑え込み、本格的な資本主義の再建を目指した。ドッジ・ラインなどを通して、戦時中の統制経済から市場経済への転換を図り、労働者の賃上げを粉砕して、インフレを抑制し、国内消費を減らしてでも輸出振興を強行した。
 中小零細企業は次々と倒産し、大企業ではすさまじい人員整理の嵐が吹き荒れた。49年には少なくとも100万人前後の労働者の首が切られた。公共部門でも、定員法で10万人の国鉄労働者を始め30万人の公務員の首が切られた。民間部門でのこれほどの首切りは後にも先にも例がなく、公共部門でも10万人規模の首が切られたのは80年代の国鉄分割・民営化の時だけだ。
 しかも、この過程で労働運動に対する徹底的な圧殺と変質化攻撃が貫かれた。政令201号で公務員労働者のスト権と団体交渉権が奪われた。首切りの対象は、共産党員を始めとする労働組合の積極的な活動家たちだった。
 民間の企業整備―人員整理と定員法攻撃で産別会議と共産党は決定的ダメージを受けた。下山事件・松川事件・三鷹事件のフレームアップ事件などの激しい弾圧も続いた。共産党と産別会議は、47年2・1ゼネストの敗北を総括して、日本帝国主義の再建をかけた本格的攻撃に有効に対抗することができなかった。
 共産党と産別会議は、ストや生産管理闘争などを否定して、弾圧を加えるGHQや日本政府に屈服し、2・1ゼネストの総括の中で「生産復興闘争」と称する右翼的な方針を出したり、他方で逆に、地域人民闘争では、共産党の細胞組織が前面に立つ、無責任な職場放棄の方針で権力や資本の激しい弾圧を招いた。
 最後は、1950年朝鮮戦争に向かう過程でレッドパージの嵐が吹き荒れ、共産党は党員名簿を政府に提出し、1万人を超える共産党員が主要産業からパージされた。産別会議の時代は事実上終わり、GHQの肝いりで民同が主導する総評がつくられた。
 日本共産党と産別会議は、戦後革命期から1950年朝鮮戦争に向かう過程において、大量首切りとレッドパージ、大弾圧と有効に闘うことができなかった。そして権力の力を借りて労働運動の主導権を握っていった民同とも有効に党派闘争を展開できず、右翼的な方針と極左的な方針のジグザグの中で戦後革命期は終わった。
 公共部門30万人、民間部門で百万人の首を切り、その中でレッドパージを貫徹して、朝鮮戦争に向かっていった過程を、本当に革命の立場から総括し、共産党と産別会議の路線をのりこえていくことが決定的なテーマだ。

 世界大恐慌下の反合理化闘争

 60年の時を経て、帝国主義世界は、未曽有の世界大恐慌が進行し、帝国主義戦争が全面爆発する時代に再び突入している。今度こそ日本の労働者階級は、帝国主義を打倒し、権力を奪取する闘いをやり抜かなくてはならない。そういう階級的な力を養い、蓄積することが必要だ。
 敵の攻撃と真正面から闘い、階級的力を蓄積する路線とは何か。ここに動労千葉の反合理化・運転保安闘争路線の決定的な意義がある。
 合理化攻撃に対して、動労千葉は、運転保安闘争と結合することで具体的に合理化を阻止してきた。「闘いなくして安全なし」はもともとは炭労のスローガンだった。度重なる落盤や炭塵爆発などで多くの労働者の命が奪われた炭鉱労働者が「抵抗なくして安全なし、安全なくして労働なし」のスローガンを掲げて闘い、安全が確認されるまで抗に降りないという労使協定をかちとったのだ。
 しかし、「総労働対総資本の闘い」と言われた戦後最大の争議である三池闘争では、社会主義協会の指導のもと、最後は指名解雇を受け入れて敗北。炭労の団結と安全闘争が解体された結果、わずか3年後に大炭塵爆発事故が発生し、500人以上の労働者の生命が奪われた。「闘いなくして安全なし」はまさに労働者の命をかけたスローガンである。
 国鉄では戦後、1962年の三河島事故(死者160人)、63年の鶴見事故(死者161人)など、深刻な大事故が続発した。三河島事故の後、国鉄当局は、労使で事故防止対策委員会を設置し、当時の国労や動労はこの提案を受け入れ、協定を締結した。
 しかし、「当局と話し合って安全が確保されることはない」と現場から怒りの声が噴出し、直後の動労大会では協定は否決、執行部は総辞職に追い込まれた。ここから国鉄における反合理化闘争は出発したのだ。
 その後、60年代後半に、機関助士廃止反対の闘いが激しく展開された。SLからディーゼル化・電化という生産手段の近代化とそれに伴う合理化攻撃といかに闘うか。カクマルを始め、社会主義協会派、日本共産党など、あらゆる党派が反合理化闘争に展望を失っていった。

 動労千葉の船橋事故闘争

 この中で動労の反合理化闘争とその戦闘性を唯一、創造的に継承したのが動労千葉なのだ。動労千葉は反合理化闘争を具体的に闘う路線として、72年の船橋事故闘争を契機として反合理化・運転保安闘争の路線を確立したのだ。
 それは、「労働者への事故責任転嫁反対」「裁かれるべきは国鉄当局だ」を掲げて、何度もストライキをたたきつけ、「日本列島を揺るがした」と言われる順法闘争を貫徹して、事故を起こした当該の運転士を守り抜いたのだ。
 船橋事故闘争こそ、反合理化闘争の新たな地平を切り開く画期的な闘いであり、闘争論だ。これまでの反合理化闘争の歴史で本当に有効な闘いが組織されたことはほとんどない。動労千葉は、資本の最大の弱点は安全問題にあることを切り口に、合理化をめぐる攻防の主導権を労働組合が奪い返したのだ。
 資本主義社会では、直接利益を生まない保守・安全部門への設備投資や必要要員の配置は常に無視・軽視されるのは必然的なことである。労働者の生命をかけた闘いがあって初めてそれを強制するのである。資本も露骨に無視できない問題であり、労働組合が資本の弱点を突く闘いなのだ。
 動労千葉は、反合理化・運転保安闘争路線を基軸に据えて、現場労働者の誇りを奪い返し、職場に階級的団結を形成して闘い抜いてきた。合理化や民営化、賃下げ……あらゆる攻撃の核心は、労働組合を弱体化させ、労働者を団結させないことにある。ここを突き破ることが労働組合の最大のテーマだ。
 動労千葉の反合理化・運転保安闘争は、戦後革命の敗北と限界を突破し、来るべき革命に向かって、労働者階級が階級的力を蓄積していく路線だ。
 検修業務の外注化とライフサイクル―非正規雇用化と闘う平成採の青年労働者の大反乱をともに闘い、階級的労働運動をよみがえらせよう。

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月刊『国際労働運動』(415号4-1)(2011/03/01)

翻訳資料

■翻訳資料

ウィキリークスが暴露した米軍秘密情報

鵜川遊作 訳

鵜川遊作 訳

【解説】 
 内部告発ウェブ・サイト、ウィキリークスが公表した米軍内部情報、外交文書の内部情報が世界に大きな衝撃を与えている。
 国家にとって、軍の情報機密、外交機密はその威信と政治の基盤である。機密情報を垣間見て米帝国主義の世界支配の根幹が崩され、崩壊する様を見る思いである。
 米帝は既に経済的な崩壊を開始している。世界大恐慌の爆発は深化し、もはや食い止めることができない。米帝は経済危機からの延命のために軍事に基礎を置いた外交政策、軍事政策、戦争政策にのめりこんでゆく。
 2010年11月23日、延坪島の砲撃戦が起きた。米韓、日米の黄海上での軍事演習はすでに米帝の朝鮮侵略戦争への突入を鮮明にしている。
 帝国主義が戦争の発動へと絶望的に追い込まれる状況下で、ウィキリークスの米帝中枢の秘密情報の暴露は全世界の労働運動、階級闘争に決定的な影響を与えている。
 暴かれたのは米帝のイラク・アフガニスタン戦争はあらゆる意味で不正義の侵略戦争だということだ。そしてこうした帝国主義を打倒する闘い、世界革命へと合流させる階級的労働運動が、日本において動労千葉の闘い、国鉄闘争全国運動、11月集会の陣形、国際連帯の陣形として確立していることである。
 ウィキリークスの情報を共有するために、そこで暴かれている情報、論文を紹介したい。巨大な情報の宝庫のうち、読み解かれているのはまだほんの一部に過ぎない。
 ウィキリークスは国家秘密情報を集めその情報源を秘匿して、逮捕、拘束などによる弾圧を受けない体制をウェブ・サイト上の公表という手段によって構築し、2007年1月から活動を開始した。
 その活動が世界的に注目されるきっかけは2010年4月、ウィキリークス上にて、2007年7月12日のイラク駐留米軍ヘリコプターがイラク市民やロイターの記者を銃撃し殺傷した事件の動画の公表からである。この映像とそこで交わされる兵士と基地の上官とのやり取りは極めて生々しく、イラク市民が一方的に殺戮の対象とされる状況が映されていた。それへのアクセス数は極めて巨大な数に上った。
 2010年7月25日、ウィキリークスはアフガニスタン戦争に関する米軍や情報機関の機密資料約7万5000点以上を公表した。提供された資料は9万点以上に及ぶという。これは2004年から2009年にかけての記録で、パキスタンの情報機関「ISI」とアフガン武装勢力との関係や、未公表の民間人死傷者情報など豊富な資料が含まれていた。
 2010年10月22日、ウィキリークスは、イラク戦争に関する米軍の機密文書約40万点を公開した。
 2010年11月29日より、米国外交機密文書約25万点が公開されつつある。公開されることのなかった外交公電や世界中の重要施設についての情報が公開されている。 
 以下、ウィキリークスにアクセスしたジャーナリズムが米軍の秘密情報の全体を知らせるために出した論文等を翻訳し紹介する。

 ウィキリークス、イラクでの米軍の戦争犯罪を暴く文章を発表 報告者 パトリック・マーチン

 ウィキリークスのウェブ・サイトに公開された秘密米陸軍ファイルは米主導のイラク侵略、占領の犯罪的性格を大量の記録文書によって裏付けている。ウィキリークスは約40万点の陸軍現地報告を掲載した。それは戦闘後、偵察活動後に下級兵士によって作成されたものだ。米軍作戦、反米蜂起の攻撃、あるいは米占領によって引き起こされた市民間内戦などによる死者数を記述している。
 レポートは2004年1月1日から2009年12月31日までなので、米軍が2003年3月に侵略した際に発生した最初の頃の大量虐殺のデータは入っていない。
 記録文書は選択された報道機関で数週間前に利用可能になった。ロンドンの『ガーディアン』、『ニューヨーク・タイムズ』、ドイツのニュース雑誌『シュピーゲル』、フランス日刊紙『ル・モンド』、そして、カタールにあるアラビア語放送局「アル・ジャジーラ」がそれである。これらの報道機関は、金曜の夜、そのウェブ・サイト上にこれらを掲示し、大量の基本書類を公表した。
 ガーディアンは、米軍によってこれまでに報告されていない事件で殺害された1万5000人の市民を含む(米軍は膨大な内部情報を持っていながら、市民の死を数えることすら公然と拒否してきた)虐殺の規模に焦点を当てた。
 ガーディアンのレポートは次のように始まる。
 「イラクにおける米国と英国の遺産のぞっとするような場面が拷問、手っ取り早い処刑と戦争犯罪の詳細を映す米国陸軍の文書の放出によって暴かれた」
 「ガーディアンが見た戦争情報は、米部隊が検問所で、イラクの路上で、人々の家に押し入り無実の市民を殺す恐るべき場面の事件記録を含んでいる。被害者は女性や子どもたち数十人を含んでいる。米国はほとんどこうした死を公式に認めない」
 ガーディアンは、バクダッドの傀儡体制の一部として呼び集められたイラク軍による拷問や殺害の調査をすることを、米軍が何らなし得ていないことを詳述している。
 「多くは医学的な証明によって裏付けられている拘束者虐待、手錠・足かせを掛けられ、目隠しをされ、腕や足首を吊るされた捕虜の記述、鞭で打たれ、殴られ、蹴られ、電気ショックを与えられるなどのおびただしい報告。拘束者が明らかに死ぬことで終わる6つの報告書」
 ガーディアンの他の記事では、米軍によって作られ、ジェイムズ・スティール大佐が指揮をするイラク特殊軍部隊=狼旅団の役割に注目を集めている。内乱鎮圧、拷問、殺人というスティール大佐の経歴には1980年代のエル・サルバドルでの米軍が後押しする死の軍団の助言者としての彼の役割も含んでいる。
 新聞によると、「狼旅団は、当時、反乱者に恐怖を与えるために、サダム・フセインの共和国防衛隊の再雇用メンバーを使い米国によって作られ、支援された。メンバーは赤いベレーをかぶり、サングラスをかけ、トヨタのランドクルーザーの車両集団で襲撃に出かけた。彼らは捕虜を打ちのめし、電気ドリルで拷問にかけ、時には処刑の疑いでイラク人から告発された」
 国連の拷問に関する特別報告者、マンフレッド・ノワクはBBCテレビ番組「トデイ」に次のように語った。
 「米政府は、米軍が捕虜をイラクの看守に拷問と処刑をするために引き渡したという証言を調査する義務がある」「犯人を法廷にかけるのみならず犠牲者を十分に治療し、補償しなければならない」「そうしなければ、米国は国際法を破ったということだ」
 このひどい人権蹂躙はオバマ政権のもとでも進行中である。つい先の12月に、米軍はイラクの陸軍将校が北イラクのタル・アファールで捕虜を処刑しているビデオを受け取ったという報告をこの資料が証明しているからだ。
 米軍情報によると、「約12人のイラク兵士が映されていた。10人のイラク兵士は、2人の兵士が捕虜を拘束している間、互いに話をしていた。捕虜は手を縛られ、イラク兵士は捕虜を道路に連れ出し、地面に押し倒し、殴り、そして、撃ち殺した」
 記録は「調査はまったく必要ない」、米軍兵士はこの拷問や殺人に何ら係わっていないからだと結論付けている。
 これは、2004年にFRAG0242として知られる軍指令として米軍で正式に採用された公式の政策である。恐るべきことだが、陸軍報告は、米軍作戦による死者数を著しく過小評価している。
 人口統計学に踏まえて百万、ないしそれ以上という死者数よりはるかに低い見積もりをしているイラク遺体統計局(IBC)によって計算された数と比べたより少ない、とガーディアンは述べている。
 さらにガーディアンは「米軍が引き起こした市民の死者数の記録を米軍が残さない主要な実例は、2004年のファルージャの蜂起に対する二つの主要な市街戦から来ている。数知れない建物が空爆、戦車の砲撃、榴弾砲によって瓦礫の山となった。そこには数百の市民の死が確認されている。IBCは4月と12月の間にそうした死者が1226から1362と認定している。しかし、暴露された米内部現地報告記録では市民の死者はまったく記録されていない」
 『ガーディアン』も『シュピーゲル』も最も激しい内戦期間、スンニ派とシーア派との宗派間殺戮が頂点に達していた2006年秋の24時間中に引き起こされたすべての種類の死者数を発表した。ガーディアンは146人が殺された2006年10月17日を選び、『シュピーゲル』は318人が殺された2006年11月23日を選び、どちらの新聞もその主題を「地獄の日」と付けた。ニューヨーク・タイムズはそのような記事は一切掲載しなかった。
 ガーディアンもシュピーゲルもアメリカのアパッチ・ヘリコプターが、すでに降参している2人の蜂起者をとらえた時の特に悪名高い事件を取り上げた。パイロットが指示を求めて、彼らの基地に連絡すると、軍の弁護士から「彼らは飛行機に対して降伏することはできないのだから依然として標的だ」と命じられた。二人は逃げたが、ヘリコプターは追い詰め、機銃掃射を加え殺した。
 陸軍報告の分析で、アル・ジャジーラは、米軍兵士が高速道路沿いの検問所でイラク市民を撃ち、殺したすべての事例を集計したところ、全部で681人に達し、その多くが女性と子どもであった。これらのうち、全家族の殺戮が多く含まれ、最悪の場合、4人の子どもを含み、11人が小型トラックの中で殺された。
 ヨーロッパとアラブの出版界の姿勢と、ニューヨーク・タイムズの姿勢(他の米メディアの意向も反映している)の間にははっきりした違いがある。アメリカ以外の出版界は、アメリカ主導の侵略によって起こされた大量殺人の恐るべき性格と戦争犯罪の記録資料の重要さについてかなり正確にすべてが注目した。
 タイムズは米政府の犯罪の証拠から注意をそらそうとしている。論点を拡散し、イラクの事件の中にイランの役割を新しい証拠として示す書類を示唆したり、2次的問題であるウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジに対する薄汚い中傷宣伝を行うなどしている。
 アメリカのメディアはウィキリークスの悪口と資料の重要さを低める努力を組み合わす。タイムズとワシントン・ポストの報道は陸軍資料中にほとんど新しい情報はないと主張し、ペンタゴンと国務長官ヒラリー・クリントンがその漏出を非難するけたたましい声明とまったく矛盾する評価を加えることから始めている。
 こうして、ポストは書いている。「情報は米軍が撤退した後の国の安全を管理するイラク政府のイメージを描く上で最も障害となる」。そしてタイムズの記事は述べる、北イラクのクルド・アラブ紛争の特殊任務部隊の増強は米軍事力をそこで平和維持部隊として留めることを支えるだろうと述べる。
 米メディアによる検閲と歪曲にもかかわらず、米主導のイラク、アフガニスタン戦争の犯罪的性格に関する真実はかつてなく一般に広がっている。世界中で米政府は、暴力と恥知らずなうそという点でも、ナチのやり方を真似ていると見なされている。
 ウィキリークスは巨大な公共サービスを行っている。それは、米大統領バラク・オバマ、ジョージ・ブッシュ、さらにその軍事、情報、外交政策を作成した高官達の将来の戦争犯罪の告発の生情報資料を掲載している。

 ウィキリークス、秘密イラク・ファイルを公表 アル・ジャジーラ 2010年10月24日

 史上最大の軍事秘密の漏出で、内部告発ウェブ・サイト、ウィキリークスはイラクの戦争のすべての局面を詳述する40万点の秘密米ファイルを公表した。そのコピーをアル・ジャジーラは得た。
 秘密ファイルを含む膨大なデータは、かつて一般に公開された紛争に関するどんな情報よりもはるかに戦争を生き生きとした物語として暴いている。
 数千の秘密の米軍報告を使って、アル・ジャジーラは、数千の死者を残し、国を宗派でバラバラにした戦争の内部の話を語ることができる。
 ロンドンの調査報道機関(BIG)と過去10週間仕事をして、アル・ジャジーラは数万の文書を分析した。そこで米国が公共の精密調査から隠してきた事実を発見した。
 暴露されたことはしばしば紛争の公式な話と矛盾する。例えば、リークされたデータは米国の公式の声明とは逆であるが、戦争の間中のイラク人の死者と負傷者の記録を取っていることを示している。
 ファイルの最新の収納は2004年1月1日から2009年12月31日までの6年間のもので、この期間に10万9000人が死んだことを示している。これらのうちの6万6081人、全体の3分の2が市民である。前に算出されたよりずっと大きな数であり、それらは必然的に紛争の全死者数の上方修正に導く。
 イラク遺体集計機関(IBC)(殺された人の数を記録する組織)は死者数を1万5000人増やし、10万7000人から12万2000人に変えようとしている。
 新しい資料は戦争の毎日の恐怖に光を当てている。軍報告は拷問がいかに蔓延しているか、一般の市民が紛争の重荷をいかに耐えたかを明らかにしている。ファイルは、妊娠している女性が検問所で撃たれて死んだこと、僧侶が誘拐され、殺されたこと、イラク人の看守が囚人を白状させるために電気ドリルを使うことなどの恐ろしい話を記録している。
 同じく、軍の部隊による市民の死者に軍の反応は妨害的である。軍事力の過剰行使は日常化し、調査されず、その罪が記述されることはほとんどない。
 このような傷つきやすい資料の公表は人の命を危険にさらすかもしれないので、この情報に現れるすべての名前は編集したものだということに注意を向けてほしい。イラク首相ノリアリ・マリキのような非常によく知られた人物は例外だ。わがメディア・パートナーも同様な措置をとっている。
 しかし、ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、シュピーゲル、英国の4チャンネルTV、アル・ジャジーラが一緒に仕事を行って、その秘密性にもかかわらず、イラク・ファイルの公表は公共の利益にとって決定的であるということを明らかにした。

 アメリカの恥 2010年10月24日 ザ・インデペンデント記者ロバート・フィクス

 いつものように、アラブは知っている。彼らは大量の拷問、市民への手当たりしだいの銃撃、家庭に対する航空戦力の非道な使用、邪悪な米国と英国の傭兵、無辜の死者の墓場についてはすべてよく知っている。彼らは犠牲者だからだ。
(中略)
 ウィキリークスは2004年〜2009年の間のイラクに関する報告と39万1832件の米軍記録を公表した。主な点は、以下のとおり。
▼捕虜は虐待され、強姦され、殺された
 イラク公安による捕虜の虐待、拷問や、強姦や殺人まで含む事件が数百件起こっていた。米報告ではこれらは項目に整理されているので、今や米当局がそれを調査しなかったことが告発されなければならない。国連指導部と宣伝部隊は公式調査を呼びかけている。
▼市民の死者数を隠ぺいした
 連合軍指導部は決まって言う。「死者数を持っていない」と。だが記録文書は多くの死亡が記録されていたことを暴露した。IBCは、記録文書をざっと調べても、1万5000人の数えていない市民の死者がいるので、死者総数は12万2000人に上ると言っている。
▼降伏しようとしている人を射殺する
 2007年2月、アパッチ・ヘリコプターが降伏しようとしている2人のイラク人を殺した。軍弁護士は「彼らは飛行機に降伏できないのだから依然として標的だ」と言ったといわれている。
▼民営警備会社の虐待
 英国調査報道機関が、ブラック・ウォーター(Xeサービスと名を変えた)を含む民営警備会社による市民の不正な殺人の新しいケースを細かく記した記録文書を発見したと語っている。こうした事にもかかわらず、Xeサービスはアフガニスタンで米国と大規模な契約を結んだ。
▼検問所で数百の市民が殺された
 2004年から2009年までにイラクの検問所で832人以上が殺されたと記録されている。BIJは681人が市民であったと分析した。50家族が撃たれ、30人の子どもが殺された。検問所で殺された反乱者は120人だけだ。

 民営警備会社が判決もなく市民を殺していることを暴く 報告者 トム・エリー 2010年10月27日

 2003年から2009年までのイラクでの米軍事作戦の約40万点の文書のウィキリークスによる公表は、民間警備会社が罪もないイラク人を殺している事実に新しい証拠を与えた。
 米国の占領政策に直接かかわる武装した請負人は現在、アフガニスタンとイラクに4万人いる。この数は本質的に増加することになる。つまり、オバマ政権は、オバマ政権の「撤退」政策によって米軍兵士数を減少させるので、イラクの民営の傭兵数を2倍にする意図であることを8月に発表しているからだ。
 傭兵は誰に対しても責任を負わない。そのうちのある者は1日当たり500jを稼いでいるが。米軍のイラク侵略の直後、ポール・ブレーマー(2003年5月よりイラク戦争後のイラクを事実上管理する連合暫定施政当局・CPAの代表。2004年6月28日の当局解散とともに帰国)は、警備会社の雇員はイラクの法律から完全に免責されるという命令27号を発した。殺人の瞬間が知られていても、誰も米裁判所で傭兵に罰を受けさせようとしなかった。彼らはまた米軍の司法権の下にもなく、軍法会議からも、米陸軍野戦マニュアルに規定されている交戦規則からも除外されている。
 アル・ジャジーラが分析したウィキリークス文書は、最も悪名高い民間警備会社ブラックウォーター・インターナショナルの従業員が市民を撃ったという以前に知られていない少なくとも14のケースを暴いた。
 これらの攻撃で10人が確実に殺され、7人が重体となった。今日Xeサービスと名前を変えた、ブラック・ウォーターはバクダッドの混雑しているニソール広場で、17人の市民を殺し、18人以上に重傷を負わせた2007年の襲撃で最も悪名高い。5人のブラック・ウォーターの傭兵は殺人を犯したが、米裁判官は殺人は誤ってなされたと裁定し裁判を打ち切った。
 米兵の現地報告の書類は、ブラック・ウォーターが、米軍やイラク政府が知らない多くのほかの殺人を行っているが、それについて西側メディアは報道していないことを暴いている。
 2006年2月、ブラック・ウォーターの傭兵は、米外交官をキルク―クへ護衛した時(国務省は4億6500万jを契約の一部として会社に支払った)、市民に発砲し2人を殺した。
 この殺人の後、キルク―クで抗議行動が爆発した。
 2006年5月、ブラック・ウォーターの警備員は北バクダッドで無差別の発砲を行い、救急車の運転手、ヤセム・アベド・サーハンを殺した。銃撃は路肩爆弾で彼らの車がダメージを受けたことへの闇雲の報復として行われた。殺人の後、ブラック・ウォーターは米陸軍の取り調べへの協力を拒否した。
 2005年5月、米兵は、ブラック・ウォーターの契約社員が、バクダッド空港に向かう「アイリッシ・ルート」の呼び名の道路沿いで、白い装甲車の中から「市民の車を撃つ」のを見た。市民の車の運転手は殺され、その妻と娘は障害者となった。現地報告は、契約社員はその事故の間米兵に向けても発砲したと記している。
 2006年4月、米兵は、ブラック・ウォーターの傭兵がバクダッドで3人の市民を撃ち倒した後の状況に出くわした。ブラック・ウォーター警備員は、彼らは蜂起し発砲し、逃げていたと主張した。ブラック・ウォーターの傭兵は誰一人として、イラクでの殺人で罰を受けていない。
 つい先日も、米司法省は、ブラック・ウォーターの社員で、2006年12月24日にイラク副大統領のボディー・ガードを殺したアンドリュー・J・ムーネンに対する告訴を取り下げた。ムーネンはバクダッドのグリーン・ゾーンで起こった銃撃の時、酔っていたことを認めた。
 ブラック・ウォーターは2009年2月以来Xeサービスと称して、実入りが良いCIAと国務省との契約をなお受けている。10月1日、オバマ政権はXeサービスとさらに5年間のアフガニスタンでの契約を更新した。
 翌日、アフガニスタンのカルザイ大統領は、カブール政府の犯罪への加担に対する民衆の怒りを少しでも和らげようとして、それを禁止し、国で仕事をしている他の民営の契約会社にした。
 ブラック・ウォーターは、イラク人を殺し残酷に扱う唯一の民間警備会社ではない。最近発表された文書を分析したガーディアンによると、ウィキリークス文書で明らかにされた事故の数においては、バージン島に登録されている英国民営警備会社、エリニイズがブラック・ウォーターのすぐ後を追いかけている。エリニイズには車の衝突が異常に多く見られる。
 タイムズも市民を攻撃する警備会社の事故を発見した。ルーマニアの企業、ダニュービア・グローバルに働いている傭兵は2006年のファルージアで、3人のイラク人を殺し、「その問題に関する質問に答えることを拒否した」と報告している。
 他の軍報告によると、2009年7月、第77警備会社として知られる企業の社員はエルビル市北部の周辺に入り込み、撃ちまくった。これは、任務を終えた警官との銃撃戦となり、その間3人の女性がけがをした。現地報告は、この飲んだくれグループは楽しくなかったので武器を撃った、と結論付けた。
 新しい発見と同じくらい恐ろしいことであるが、彼らは民営警備会社による殺人の数を非常に過小評価している。まず、彼らが数えるのは、米兵が警備社員の行動を直接見るか、暴行の行われた直後の場面に出くわすかの場合に限られる。
 2番目に、傭兵の攻撃に関する現地報告はその重大さを過小評価している。ガーディアンのチャタルジーはニソール広場のブラック・ウォーターによる惨劇に関する情報が見つからないことに驚いた。
 「遂に、私はいくつかの他の方法を試みてその事故を追い詰めた」「その記録をなぜ見逃したかはすぐ分かった。会社についても、場所についても何の記述もなく、死者数についても不正確に9と記録されていた。これはペンタゴンの死者数記録が不完全であることを示している」
 「たぶん、市民がけがをしたり、殺されたりして、報告されないさらにさらに多くの事件があるだろう。その報告のいくつかは軍組織に入る前に変更される。ウィキリークスは、ブラック・ウォーターや他の民営警備会社がメディアが以前に報道したより多くの傷害や殺人の罪を犯していることを暴いた」
 対照的に、米報道機関は民間警備会社を守ろうとした。タイムズの記事は傭兵が直面している危険を基本的に心配する。米国あるいはイラク政府の部隊が事故で契約会社員の高速車両、一般に何の印も付いてないスポーツ用多目的車(SUV)か小型トラックを撃ったり、契約社員の多くの交通事故死、非装甲の車で手製爆弾に会い死亡する、錯乱した傭兵同士が撃ち合う事故の例、さらに自分の同僚を殺す二つのケースなど、これらが頻繁に起こると記述している。
 アル・ジャジーラによって報告された殺人は前に報告されていなかったけれど、これも米メディアが逆のことを主張することを止めていない。火曜日の編集会議で、ワシントン・ポストは、事故はそれが起こった時に米軍と西側ジャーナリストによって十分に報道されていると主張した」この恥知らずな嘘は、イラクの人々に対する数え切れない他の犯罪とその隠ぺいに「ポスト」が加担しているのを隠すために考慮されたものだ。
 明らかに、警備会社は、戦争責任の告発から身を守るために手を打っている。先日、2人が、連邦控訴裁判所に、拷問の犠牲者やイラクの悪名高いアブ・グレイブ刑務所での殺人の犠牲者の遺族によって起こされた訴訟から、契約会社の社員が訴訟免訴になれるように保証する要請をした。ニューヨークのL―3コミュニケーションズとヴァージニアのCACIインターナショナルの弁護士は、「テロとの戦争」規則(これによって米兵と諜報員は米裁判所での告訴を免れている)は政府が契約している民営会社での労働には適用されるべきだと主張した。

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月刊『国際労働運動』(415号5-1)(2011/03/01)

■Photo News

 ●現代車非正規職支会の闘い

  (写真@A)

  (写真BC)

 すべての社内下請けの正規職化を求めて闘っている韓国・現代車非正規職支会は、会社側の弾圧があれば、ただちに反撃の第二次全面ストライキに突入する体制に入っている。スト体制を確立するために支会は、1月19日から27日まで、組合員の教育を進めている(写真@)。1月20日には、現代車社支部と現代車非正規職支会の組合員800人が蔚山工場本館前で共同集会を開き、会社の交渉引き延ばしを弾劾する闘いを展開した(写真A)。1月23日には、蔚山工場の被解雇者たちは、奇襲的なソウル上京闘争を行い、社長との面会を要求する闘いに決起している。組合員たちは、今回の上京闘争を第2次ストライキの火種になる闘いだと位置づけている。
 1月11日、韓国・弘益大学正門前で、民主労総ソギョン支部の組合員約1000人が、解雇された大学の清掃労働者たちとの連帯のために集会を行った(写真BC)。この集会には、弘益大学の非正規労働者たちの闘いに連帯して行動している学生たちも参加し、労学が連帯して闘うことの重要性を確認した。弘益大学分会長は、この集会で「団結すれば生きることができる、散らばれば死ぬという言葉が一番胸に触れる。皆さんと勝利の日まで闘争していく」と決意を明らかにした。

 ●チュニジアで革命

  (写真DE)

  (写真FG)

 1月14日、チュニジアで失業と圧制、腐敗に怒りを爆発させた労働者人民による革命がおき、ベンアリ大統領は国外に逃亡した(写真D)。同政権の首相と議会議長を軸に臨時政権が作られ、野党とチュニジア労働総同盟(UGTT)の幹部が入閣した。だが、この政権は革命政権ではなく、UGTTも体制内派労組だ。これに対して労働者人民は、教員労組や郵便労組などの反体制内派労組を軸として、旧政権の完全な打倒をめざす断固たる革命の継続のための闘いに決起している。デモ鎮静化のための大学の閉鎖に抗議する学生たちの闘いも、教員労組の支持を受けて開始されている(写真E)。チュニジアの革命は、経済危機がより深刻なモロッコ(写真F)やレバノン、リビア、エジプト、アルジェリア(写真G)などに波及し始めている。帝国主義の中東支配の崩壊過程がついに始まった。
 エジプトでは25日、ムバラク大統領の強権的支配が続いたこの29年間で最大の数万人の反政府デモが行われた。デモ隊は、治安部隊と激突し、デモ隊2人、治安部隊隊員1人の計3人が死亡した。デモは首都の他に北部アレクサンドリア、ベヘイラ、ガルビアなどの各県に波及し、ムバラク政権を重大な危機に叩き込んでいる。チュニジア革命はエジプトという中東最大の国に波及したが、さらにアルジェリアやレバノンも激動局面にたたき込んでいる。チュニジア革命によって、中東全域が歴史的な革命情勢に突入しつつある。

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月刊『国際労働運動』(415号6-1)(2011/03/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

外注化の推移と攻撃の狙い

JR・NTTが突破口/非正規職化の手段に

 JR検修・構内業務の外注化攻撃との闘いは、「今日の日帝との最大の激突点であり、全労働者の存亡のかかった決戦」(『前進』新年号1・1アピール)である。それは「外注化こそ民営化の完成であり、新自由主義攻撃の核心である」(同)からだ。しかも、「外注化とは9割の労働者の非正規職化であり」(同)、この決戦は2千万青年労働者の怒りと結合していく闘いである。
 以下、01年にJRとNTTで同時に襲いかかった外注化攻撃を今日的にとらえ返すとともに、資本家階級がまさに非正規職化の主要手段として外注化攻撃に突っこんできたことを、当時の文献を含めて暴露していこう。

 □01年にJRとNTTで同時に外注化攻撃

 日本での外注化攻撃が本格化したのは、1990年代末から2000年代初めにかけてのことである。その画期をなしたのが、01年のJR東日本の「ニューフロンティア21」実施、そして同じく01年からのNTTの11万人リストラだった。
 JRでは、土木や建築も含めた保守3部門(保線・電力・通信)、検修・構内、駅、車掌と、運転士以外の鉄道業務のすべてが外注化の対象となった。文字通りの第2の分割・民営化攻撃だ。保線などは下請け、孫請け、ひ孫請け化されていった。
 NTT東日本とNTT西日本は01年から、51歳を過ぎた全員に「NTT本体に残るか、NTTを退職して子会社に行くか」という選択を強要した。本体に残ろうとする者には「全国への広域配転」などと脅し、子会社に行くことを迫った。465人が退職せずに踏みとどまったが、51歳以上の90%以上が退職・子会社再雇用に追いやられた。
 子会社への再雇用の過程で、賃金は少なくとも30%は引き下げられた。民営化された時点で31万4千人いた社員は、配転や事業所の統廃合などによって、01年3月末時点ですでに約21万人に減っていた。そして50歳定年≠フ強行によって、03年には3万6千人にまで大削減された。「11万人削減計画」と言われたが、実際には短期間で17万人以上が削減され、子会社に飛ばされたのだ。こうしてNTT東・西は約400もの子会社に分割され、固定電話等の本来業務もすべて子会社に移された。戦後の終身雇用制・年功型賃金の破壊という点で画期をなす攻撃だ。

 □労働組合が闘えば完全に粉砕できた

 

ここで重要なのは、労働組合が闘っていれば、この攻撃は不可能だったことだ。就業規則の転籍規定、労働協約である転籍協約から転籍は強要できなかった。そこでNTT資本は「労働組合の協力が不可欠であると考え」(当時の宮津社長の述懐)、NTT労働組合の合意をとりつけた。NTT労組は01年秋の臨時中央委員会でこれを全面的に受け入れた。この結果、各自の「自主的な退職、子会社選択」となったのだ。
 戦後労働運動の歴史の中でも特筆すべき大裏切りにほかならない。このNTT労組幹部の屈服と対比する時、動労千葉が01年以来の外注化を阻止し続けてきた地平の大きさがあらためて鮮明になる。
 もう一つ重要なのは、外注化による大リストラと表裏をなして、NTTが戦後初の持株会社になったことである。持株会社とは、他の会社の株式の全部や大部分を所有して、その事業を支配する会社のこと。戦前の財閥はこのやり方で巨大化した。戦後日本の独占禁止法は第9条で、持株会社を規制してきた。財閥が実質的に復活する中でも法的には一定のしばりを受けたため、これは「経済の9条」とも言われた。しかし、98年の独占禁止法改悪で持株会社が解禁され、独占支配を一段と強めることが可能になった。NTT本体は持株会社として、グループ企業の株を持って支配する。NTT本体は企画戦略と管理だけで、もともとの本来業務はすべてグループ内子会社にシフトした。
 00年には会社分割法も成立しており、会社分割による外注化が法的にも容易となった。業務と雇用を子会社などに分割・外注化して、労働者の団結を破壊して非正規職化し、賃金水準を大幅に引き下げ、その過程での合理化によって人員も大削減しつつ、同時に独占体制を強化するやり方だ。そうした外注化による極限的な搾取・抑圧への踏み込みが、NTTを突破口に国家政策として強行された。

 NTT民営化後の略年表

85年 電電公社の民営化 約31・4万人
88年 NTTデータ通信を分離
92年 NTT移動通信網=ドコモを分離
97年 独占禁止法改悪で持株会社を解禁
99年 『アウトソーシングの時代』発行
   NTT、戦後初の持株会社に
   NTT本体を東日本、西日本、長
   距離・国際に3社分割
00年 会社分割法の成立(商法改悪)
01年 3月時点で約21万人に
   11万人リストラの3カ年計画
   NTT労組がリストラ容認
02年 全国で100の子会社スタート
03年 3・6万人に

 □トヨタ・カンバン方式での外注化

 このように01年から外注化攻撃が本格化し始めたと言えるが、一方で戦後日本の製造業では「垂直型アウトソーシング」と呼ばれるあり方が定着してきた。それがトヨタのカンバン方式、在庫ゼロ方式である。トヨタは倉庫も在庫も持たず、部品業者は必要ギリギリ量を指定期日に搬入する。部品業者の車は15分以上早く着くと門を通れず、トラックなどがズラリ並んで周辺の道路が大混雑する。本社工場は組立作業に専念し、部品は系列企業に、加工は下請け加工業に外部委託するというあり方だ。
 日本の製造業の中軸をなす自動車産業の利益も国際競争力も、そうした系列・下請けへの矛盾と犠牲の押し付けによって、初めて成り立ってきた。トヨタは03年からの3年間計画で30%のコスト削減、09年末からの3年間計画でもさらに30%のコスト削減を実施してきたが、そのほとんどが系列・下請けへの犠牲転嫁による。

 □外注化が民営化・非正規職化の柱に

 90年代末から2000年代初めの外注化攻撃の本格化は、もともとのトヨタ方式のような基盤の上に、JRやNTTという民営化された巨大企業での外注化を突破口に、日本企業全体での外注化を全面推進する狙いがあった。
 IT化・情報化に伴う全産業的な外注化も、この時期に重なった。例えばNTTデータ通信は、自前のコンピューターシステムを運営できない企業や官公庁に食い込み、銀行のオンライン、気象庁のアメダス、郵貯システム、社会保険庁の業務などを請け負った。情報システムという機能の外注化だ。トヨタのような「下請け型」と対比して「横請け型アウトソーシング」と呼ばれる場合もある。
 しかし、この時期に外注化が全面化した最大の理由は、雇用を非正規職化し賃金を大幅に引き下げる基本手段とされたからだ。95年の日経連の報告「新時代の『日本的経営』」は、終身雇用制・年功型賃金を解体し、常用雇用は1割、あとは非正規雇用≠ニすることを打ち出した。日本の資本家階級は雇用の非正規職化を、延命のための基本戦略としたのだ。この報告では、非正規職化の方法として「現在すでに一部の企業で実施されているアウトソーシングの活用」も挙げられている。しかし全体としては、非正規化の手段はまだ試行錯誤の次元にとどまっていた。
 これが、非正規職化には外注化しかない≠ニなるのは90年代末から。その典型は99年発行の『アウトソーシングの時代』という本に表れている。筆者は、通産省官僚で後に退職して「村上ファンド」を立ち上げる村上世影などの4人。当時の資本家階級の見解が露骨に出ている。この本で注目すべきは5点。
 @米企業が外注化で収益力を回復したことを指摘し、これに日本企業も外注化で対抗すべきと主張している。米国では「企業の手法としては、M&A(合併・買収)とアウトソーシング」という「資本主義への回帰」があり、外注化により「攻めの経営」が採用された、と言っている。
 A転籍を含めた外注化を主張している。日本の外注化の現状は、「とりあえず外部に任せておける分野に集中した、消極的なもの」で、「いまだにグループ内での閉鎖的取引の域を脱していない」、特に「日本では人員の転籍を含めたアウトソーシング活用は少ない」としている。ここから一気に、JR・NTTでの大々的な外注化攻撃に転じていくのだ。
 B97〜98年恐慌をへて、資本としての延命を「アウトソーシングのコスト削減効果」にかけようとしている。「景気低迷の長期化、デフレ経済への突入、売り上げの停滞」の中で、「一方で、自前主義による組織の肥大化は、人件費圧力として企業に重くのしかかっている。その結果、企業収益はますます減少している」。「自前主義」をやめて外注化し、人件費を減らして収益を回復する≠ニいう主張だ。
 C「行政のアウトソーシング」については、「行政のアウトソーシングがなぜ進まないのか。最大の理由は雇用問題」としている。首切りにまで踏みこんで民営化・外注化をやるべき≠ニいうのだ。
 D「外注化の雇用への影響」について、「バブル崩壊後の日本では雇用のスリム化が一向に進展していない」とし、「今後日本でも、従業員の転籍を含むフル・アウトソーシングが進めば、より成果主義が進むだろう」と言う。狙いは外注化による転籍で雇用削減→成果主義で賃下げ≠ニいうことだ。
 この本が出された後の01年に、JRとNTTで大々的な外注化攻撃が襲いかかっている。外注化攻撃が、労働者の団結破壊、雇用破壊、賃金破壊のための決定的手法と化していったのだ。
 日経連の労働問題研究委員会報告で外注化が出てくるのは99年版で、「企業外労働者の活用」として「アウトソーシング」が挙げられている。それが03年から日本経団連の経営労働政策委員会報告になり、そこでも「雇用形態の多様化の推進」としてアウトソーシングが明示されている。

 □米企業は外注化で賃下げ・収益増加

 米企業の外注化についても見ておこう。
 日本の資本家階級は、90年代初めからの米企業の競争力回復の要因は何よりも外注化によるダウンサイジングだ、と見ていた。その典型は、89年のイーストマン・コダックとIBMの契約である。
 「コダックは情報システムの変更を自前で行うことをあきらめ、IBMを中心とする3社へアウトソーシング。コンピューターセンターはIBMに売却された。日本ではこの両者の契約がアウトソーシングの典型例、米メーカーの復活策の代表のようにとらえられた」(牧野昇著『アウトソーシング』97年)。これ以降、「企業の情報化、サービス化」に伴う外注化が増えただけでなく、製造業でも「事務部門、研究部門、技術部門、設計部門の外注への委託が拡大した」(同上)。
 さらに州政府などの民営化と外注化が一体で強行されていった。メリーランド州は経済開発関連の職員1500人を300人に削減し、900人を民間に外注化した。
 こうした外注化によって米企業は人件費と減価償却費を削減したため、労働者の賃金が減る一方で企業利益は増えた。高卒男性世帯主の所得を見ると、89年の年3・5万jから94年には3・1万jに、4千j(約32万円)も減った。同時に主要500社の営業利益は92年15%増、93年16%増、94年17%増、95年18%増と年々増益となった。

 □労働組合めぐる決戦

 結論として、新自由主義攻撃の核心をなす外注化は、労働組合が闘えば必ず粉砕できる。むしろ、民営化・外注化・非正規職化との闘いを、青年を先頭にして労働組合をよみがえらせる決定的闘いに転化できる。ここに、体制内的労働運動から労働運動の主導権を奪い取り、階級的労働運動を発展させる道筋がある。それこそ、プロレタリア革命の準備に直結する闘いにほかならない。
 (島崎光晴)

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月刊『国際労働運動』(415号7-1)(2011/03/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 イギリス編

全英教員組合(National Union of Teachers:NUT)

全英教員組合(National Union of Teachers:NUT)

 ■概要

 NUTは、イングランドとウェールズ、それにチャネル諸島とマン島で働く教員を組織する労働組合で、イギリス労働組合会議(TUC)の傘下である。組合員には、教員資格を持つ教師のほか、教員資格取得を目指す教師の卵も含まれている。現在の組合員数は29万5000人を超え、ヨーロッパで最大の教員組合である。ロンドンに本部を置き、現在の書記長は2008年に選出されたクリスティーン・ブロワーである。
 1870年にイギリスで初等教育法(Education Act, 起草者W.E.フォスターの名をとって別名Forster Act)が成立し、小学校の義務教育が開始された。この年の6月25日、ロンドン大学キングス・カレッジで開催された会合で、全英小学校教員労組(National Union of Elementary Teachers:NUET)が設立されたが、組合は小学校の教員のみではなく、イングランドとウェールズで働く全教員を対象にしたものであった。しかし、組合の名称を全英教員組合(NUT)と変更したのは、設立から20年近く経た1889年の年次総会であった。  1870年にイギリスで初等教育法(Education Act, 起草者W.E.フォスターの名をとって別名Forster Act)が成立し、小学校の義務教育が開始された。この年の6月25日、ロンドン大学キングス・カレッジで開催された会合で、全英小学校教員労組(National Union of Elementary Teachers:NUET)が設立されたが、組合は小学校の教員のみではなく、イングランドとウェールズで働く全教員を対象にしたものであった。しかし、組合の名称を全英教員組合(NUT)と変更したのは、設立から20年近く経た1889年の年次総会であった。

 ■バーストン・スクール・ストライキ

 NUTは設立当初から、組合の目的の一つに組合員の賃金の確立と労働条件の向上、そしてもう一つは生徒と教師双方にとってプラスとなる教育制度改革と定めている。NUTはこの目標を掲げて戦闘的に闘い、義務教育の年齢引き上げや教師の労働時間改善や賃金アップ、解雇攻撃に反対してストライキに立ち上がって勝利してきた。
 イギリス史上最も長いストライキとして知られるバーストン・スクール・ストライキは、1914年から39年まで続き、今でもノーフォーク州のバーストン村の学校では、労働運動のメッカとして毎年TUCの4大イベントの一つが開催されている。この闘いは、NUTに所属するハイドン夫妻が就任した学校の劣悪な環境と、農業労働者の子どもたちが学校からしょっちゅう農作業に連れ出されてしまう状況に異議を唱え、農業労働者の組合を立ち上げて闘い解雇されたことに端を発する。生徒たちが先生を守ろうとストライキに立ち上がり、村をデモ行進して解雇撤回を訴えたのである。

(写真 NUTの全国ストライキ【2008 年4月24 日 ロンドン・ハリンゲイ区】)

 ■サッチャー保守政権下で破壊された教育政策

 サッチャー政権のもと、1980年代から90年代にかけて成果主義賃金が公務部門に導入され、教員の業績賃金制(Performance Related Pay :PRP)が推進された。この制度の柱は、一定の基準を満たした教員に1年で2000ポンドの給与増額を行なうことを内容にした「能力給」の導入である。NUTは、生徒の成績向上が評価の基準に加わることなどについて猛反発した。NUTが高裁へ訴えたために、同制度は当初の予定より大幅に遅れて実施されることになった。  サッチャー政権のもと、1980年代から90年代にかけて成果主義賃金が公務部門に導入され、教員の業績賃金制(Performance Related Pay :PRP)が推進された。この制度の柱は、一定の基準を満たした教員に1年で2000ポンドの給与増額を行なうことを内容にした「能力給」の導入である。NUTは、生徒の成績向上が評価の基準に加わることなどについて猛反発した。NUTが高裁へ訴えたために、同制度は当初の予定より大幅に遅れて実施されることになった。
 「わが政権の最も重要な3政策は、教育、教育、教育である」――1997年に労働党のトニー・ブレアが政権に就いた時に、勝利に際してこう気勢を上げたが、教育改革と称しながら新自由主義政策をさらに促進した。「政府は、保守党政治に終止符を打つどころか自ら保守党的な教育政策を行っている。地域の子どもたちが通う公立校に欠陥校≠フ烙印を押して廃校にし、代わりに個人や企業がスポンサーとなってカリキュラムに介入するアカデミー校≠つくり始めた。われわれは、公教育への市場論理導入に反対し、総合教育を守らねばならない」。2006年11月25日、アカデミー校反対連盟♂議で全国教師組合NUTの総書記長スティーブ・シノット(2008年4月5日死亡)は訴えた。

 ■21年ぶりの全国スト

 2008年4月24日、NUTが呼びかけて、低率の賃金アップに抗議し、21年ぶりに公共部門の労働者40万人が24時間ストに立ち上がった。
 総書記長クリスティーン・ブロワーは「本日私たちは、すべての教師のためだけにではなく、すべての公共部門の労働者のために決起したことを誇りに思っています。今、公共部門の労働者が何か問題であるかのように言われていますが、公共部門の労働者はインフレの原因ではなくインフレの犠牲者です。もし労働党政府が私たちの声に耳を傾けないのなら、NUTは全公共部門の労働者のために引き続き先頭で闘いたいと思います」と戦闘的な発言をした。

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月刊『国際労働運動』(415号8-1)(2011/03/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 3月12日

■1984年イギリス炭鉱スト■

サッチャー改革と激突

閉山・首切りにNUM(炭鉱労働者組合)が1年にわたるストを貫徹

 アメリカ帝国主義レーガンによる航空管制官首切り、日本帝国主義・中曽根による国鉄分割・民営化と並んでイギリス帝国主義サッチャーの炭鉱労働者首切り、組合破壊攻撃は1980年代の新自由主義攻撃の三つの頂点をなす攻撃だった。最も戦闘的な組合、NUM(炭鉱労働者組合)への集中攻撃は、サッチャー政権による労働運動破壊の天王山だった。
 危険で過酷な労働現場で低賃金に耐えてきた炭鉱労働者の怒りは、71年のNUMと全国石炭庁(NCB)との賃金交渉で爆発した。72年1月9日、28万人の炭鉱労働者が全国の289の採掘現場で一斉にストライキに突入した。イギリス労働組合会議(TUC)もスト支援のゼネストに立ち上がった。ストは7週間に及び、炭鉱労働者は大幅賃上げを獲得した。74年、この労働運動の大高揚によって、保守党は選挙で大敗し、労働党が政権に就いた。
 しかし、革命の萌芽をはらんだ労働運動の大高揚に恐怖した労働党は、保守党以上に資本主義を支援し延命させる政策を展開した。それまで職場闘争の先頭に立っていたショップ・スチュワード(労組の職場委員)の多くは英共産党や労働党の影響下にあり、「労働党政権を支えよう」といって闘いを抑えた。だから、労働党・労働組合への不信が広がり、特に公共部門で78〜79年はストライキが頻発したものの労働党は選挙で大敗したのだ。

 ●サッチャー政権の登場

 79年に誕生した保守党マーガレット・サッチャーの政権(〜90年)は、最初から炭鉱労組を仇敵としていた。彼女は後に回顧録で「私は70年から74年にかけての保守党政権の歴史から推測して炭坑ストに対処すべき時が来ることをほとんど疑っていなかった」と振り返っている。72年のようなストの前に屈するようなことは絶対許さない、ストをやる労働組合をたたきつぶすことを明確に意識して政権に就いたのだ。
 サッチャー政権は労働運動をつぶすことを目的に、国営企業を民営化し、徹底して労働組合の活動を規制し弱体化する政策をとった。まず、同情スト禁止、ピケットの厳しい制限、クローズドショップ制禁止規定などの弾圧立法を整えてから、84年に最強のNUMのいる国営炭鉱の大量解雇に打って出た。
 84年3月6日、マクレガー石炭庁総裁が、84年中に174抗のうち不採算の20抗を閉鎖し約2万人を解雇する合理化案を公表した。これに抗して、アーサー・スカーギル率いるNUMは戦闘的ストライキで闘った。10万人以上の炭鉱労働者が厳しい貧困に耐えて1年にもわたるストを敢行した。
 石炭公社の閉山計画に反対するNUMの組合員は、3月1日のサウス・ヨークシャーのコートンウッズ炭鉱閉鎖発表を契機にストに入っていたが、3月8日の全国執行委員会はこれを追認し、ついに12日から全国規模のストが開始された。
 一方、サッチャー政権はストライキに立ち上がった労働者を「内部の敵」と呼び、階級的憎悪をむき出しに、フル装備の警官隊を大量導入し、ピケに立つ労働者に大弾圧を加えた。この16カ月の争議で1万1千人が逮捕され、7千人が負傷、11人が死亡した。さらに、長期の無給で困窮する労働者家族は、一切の社会保障給付を奪われた。
(写真 ポートタルボット製鉄所での石炭搬入阻止のピケット。警官隊との激突【1984 年4月3日】)

 ●スト支援の闘い

  TUC指導部は、サッチャー政権の激しい弾圧の中で炭鉱ストを裏切り、NUMの地域的分断を使って敗北に導いた。
 しかし、鉄道労組と海運労組は同情スト禁止を首をかけてのりこえ、石炭輸送の拒否を貫いた。ボブ・クロウRMT(鉄道・海運・運輸労組)委員長は「84年から85年まで、(スト破りの採掘した)ひとかけらの石炭も運ばなかった」と言っている。
 85年、ストは敗北し、労働運動の右傾化が一挙に進んだ。だが、多くの労組がこのストに連帯して闘ったことが、人頭税反対闘争を爆発させ、90年にサッチャーを退陣に追い込んだ力の基礎になった。
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 イギリス炭鉱ストの現場に入って 『シュピーゲル』誌84・10・22より

 イギリスの失業率13.6%のもとでは、炭坑夫の転職先はみつかりえないし、政府は代替措置もまったくとろうとしていない。
 「炭坑を出たらおれたちには未来はない」「おれたちのような炭坑夫には居場所はない」。さらには炭鉱当局は炭鉱住民の古くからのつながりにまったく関係のない人間のみを意識的に雇おうとする。
 「あいつらは、もう、みんなのおまわりさんじゃない。占領軍になりやがった」。警察はほとんど勝手気ままに逮捕する。高速道路を走っていて逮捕された人間もいる。
 ストは、イギリスの階級闘争に再び火をつけただけでなく、女性の立場も変えた。女性解放という要求は、それまでは炭鉱の女性には疎遠だった。しかし今は政治的に活性化し、スト現場にでかけていく。1万人の炭鉱の女たちが5月にはシェフィールドで、8月にはロンドンでデモをした。彼女たちは食糧供給部隊をつくりだしている。

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月刊『国際労働運動』(415号9-1)(2011/03/01)

日誌

■日誌 2010

2日東京 鉄道運輸機構訴訟控訴審の口頭弁論
国労秋田闘争団の小玉忠憲さんを原告とする鉄道運輸機構訴訟控訴審の口頭弁論が、東京高裁第14民事部(西岡清一郎裁判長)で開かれた。この日の裁判は、翌日の動労千葉のストライキと連帯し、国鉄分割・民営化と真っ向から対決するものとして意気高く闘いぬかれた。法廷では、代理人弁護士による準備書面の陳述が行われた
3日東京 12・3渋谷 朝鮮戦争阻止へデモ
渋谷の神宮通公園で反戦共同行動委員会の主催する「朝鮮侵略戦争阻止! 大失業と戦争の菅政権打倒!」を掲げた集会とデモが行われた。緊急行動にもかかわらず東京・首都圏から労働者・学生440人が集まり、渋谷の街に「侵略戦争阻止」の声をとどろかせた。仕事帰りの労働者や学生が迫力あるデモに注目した
3〜4日千葉 動労千葉 12・3〜4スト貫徹
動労千葉は「12・4ダイ改阻止! 検修外注化阻止」を掲げて検修職場を対象とするストを貫徹した。このストを契機に幕張支部で2人、京葉支部で青年労働者1人が新たに動労千葉に加入した。3日午前、スト拠点の幕張車両センターに他支部の組合員や多くの支援が駆けつけ「検修外注化阻止! 動労千葉とともに闘おう」とシュプレヒコールを繰り返した。木更津、津田沼、銚子、鴨川、京葉の各支部でも検修職場の組合員がストに入った。京葉車両センター門前では、京葉支部組合員とともに姿を現した新加入の青年を多くの組合員が出迎え、固い握手を交わした。
 午後2時から千葉市文化センターで「スト貫徹! 動労千葉総決起集会」が意気高く開催され230人が集まった。冒頭、幕張支部の山田護支部長から、新たに動労千葉に加入した3組合員が紹介されると、会場全体からひときわ大きな拍手が上がった。新組合員からはそれぞれ「これからは動労千葉で頑張る」「外注化阻止に向けて全力で闘う」「われわれ平成採が、もっともっと組織を増やしていきたい」と力強い決意が表明された
4日福井 もんじゅを廃炉へ%ヨ賀現地闘争
「’10もんじゅを廃炉へ!全国集会」が福井県敦賀市白木現地で行われた。全国から850人の労働者・学生が結集し、今年5月6日の高速増殖炉「もんじゅ」運転再開強行と8月26日の燃料交換中継装置落下事故への怒りと、「もんじゅ」廃炉まで闘い続ける決意で「もんじゅ」ゲート前までのデモと抗議行動を闘い抜いた
4日広島 日米軍事演習反対! 緊急反戦行動
朝鮮情勢の危機の中、12月3日に日米合同軍事演習が開始された。翌12月4日、8・6ヒロシマ大行動が緊急反戦行動を呼びかけ、原爆ドーム前集会・デモ・街頭宣伝に呼びかけ人を先頭に40人が駆けつけた
7日宮城 東北石けん労働組合、解雇許さぬ
東北石けん労働組合は、結審情勢の中、地労委全一日行動を断固打ち抜いた。のべ60人の仲間が年休を取って結集した。朝、地労委直近の仙台市役所前で20人で街頭宣伝を行った。ビラの受け取りは圧倒的にいい。初参加の青年が演説すると、青年の怒りが市役所前を席巻した。「解雇を撤回しろ! こんな社会は今すぐ変えよう!」。10時からの地労委第7回調査でもこの怒りが審問廷を圧倒した
9日東京 法大包囲デモぶち抜く
「朝鮮侵略戦争反対! 倉岡さんへの追加処分阻止! 菅政権打倒!」を掲げて今年第7波目の法大包囲デモをぶち抜いた。このデモは全世界統一反戦行動として闘われ、法大当局・公安警察の重包囲の中、学生のエネルギーを爆発させ、日本の学生ここにあり!≠全世界に発信する闘いとなった
10日東京 現代の徴兵制に「拒否」表明
「裁判員制度はいらない!大運動」が主催して「みんなで裁判員制度を廃止させるぞ12・10緊急デモ」が闘われた。闘う弁護士、労働者・学生・市民300人が日比谷公園から東京地裁−銀座−東京駅前へデモした。「裁判員制度は現代の徴兵制だ」「100万人への赤紙発送を弾劾するぞ」「みんな裁判員を辞退しているぞ」。シュプレヒコールが銀座の街にこだまし、圧倒的な注目を集めた。「なんで俺らが裁判員なんだ。義務じゃないよな」「私も反対!」。金曜の夜でにぎわう沿道から共感の声が上がった
12日千葉 「市東さんと語ろう」トークイベント「百姓としてこの地に生きる℃s東孝雄さんと語ろう」と題した映像とトークのイベントが千葉市文化センターにおいて開催された。主催は「市東さんの農地取り上げに反対する会」。毎年同会が秋に開いている恒例の催しであるが、今年は市東さん自身の話をじっくり聞きたいということで、市東さんの生活と闘いをクローズアップする内容になった
12日東京 日航客室乗務員組合、解雇通告に抗議 東京地裁前で日本航空の不当な202人整理解雇通告に対する怒りの緊急抗議行動が行われた。当該の日航キャビンクルーユニオン(CCU=客室乗務員組合)、日航乗員組合、航空連を先頭に支援の全労連、全労協、自由法曹団など200人が決起し、労組交流センター女性部、婦人民主クラブ全国協議会なども合流した
12〜13日千葉 動労総連合定期大会
動労総連合の第25回定期全国大会が、千葉市内で開催された。戦争と大失業の攻撃がますます激化する中で、動労総連合はいよいよその真価を発揮する時を迎えている。大会は、この時代に立ち向かう強固な方針を確立した。大会の冒頭、動労総連合の結成以来その先頭に立ち、3月4日に逝去した中野洋前動労千葉委員長への黙祷(もくとう)が行われた
18日茨城 動労水戸定期大会、組織拡大へ態勢
動労水戸は、水戸市内で第29回定期大会を開催し、2011年の決戦方針を確立した。この1年、動労水戸は検修外注化攻撃と全面的に闘いぬくとともに、運転士登用差別事件の最高裁決定を逆手に取ったJR東日本の組織破壊攻撃と全力で対決してきた。こうした攻撃を打ち破り、団結を一層強固に打ち固めるとともに、検修外注化との徹底対決を通して青年労働者の組織化に打って出る決戦態勢を築き上げた
19日千葉 12・19三里塚緊急闘争
三里塚現地で「第3誘導路工事粉砕、切り回し道路への切り替え阻止」を掲げた緊急闘争が行われ、三里塚闘争支援連絡会議と反対同盟の呼びかけに応えて労農学104人が結集し、農民追い出し攻撃に対する怒りをみなぎらせて闘いぬいた
19日東京 東日本解放共闘が総会を開く
部落解放東日本共闘会議の第19回総会が、東京の東品川文化センターで開催された。解放共闘は、同日の三里塚現地緊急闘争に決起するとともに、60人の結集で総会の成功をかちとった
21日東京 国労5・27臨大闘争弾圧裁判
国労5・27臨大闘争弾圧裁判控訴審の第2回公判が、東京高裁第10刑事部(山崎学裁判長)で開かれた。今回の公判は、国鉄1047名解雇撤回闘争の先頭に立つ被告団の闘いの意義をあらためて鮮明にし、4・9政治和解を受け入れた松崎被告の屈辱的な裁判方針との相違を浮き彫りにした
23日新潟 羽越線事故5周年集会開く
05年12月25日に起きたJR東日本の羽越線事故から5年、12月23日に新潟で「JRは検修外注化・非正規職化をやめろ! 国鉄1047名を職場に戻せ! 羽越線事故5周年弾劾!」をかかげて街頭宣伝・集会を打ち抜いた。まずJR東日本新潟支社に隣接するJR新潟駅前で街宣を開始し、労働者が次々に怒りのアジテーション。 国労秋田闘争団の小玉忠憲さんは「羽越線事故の遺族にいまだに補償もしないJRは絶対に許せない!」と怒りをたたきつけた。激しい怒りの前に、妨害に来たJRの職制はすごすごと引き下がらざるをえなかった。支社にシュプレヒコールをあげ集会に移りました 05年12月25日に起きたJR東日本の羽越線事故から5年、12月23日に新潟で「JRは検修外注化・非正規職化をやめろ! 国鉄1047名を職場に戻せ! 羽越線事故5周年弾劾!」をかかげて街頭宣伝・集会を打ち抜いた。まずJR東日本新潟支社に隣接するJR新潟駅前で街宣を開始し、労働者が次々に怒りのアジテーション。 国労秋田闘争団の小玉忠憲さんは「羽越線事故の遺族にいまだに補償もしないJRは絶対に許せない!」と怒りをたたきつけた。激しい怒りの前に、妨害に来たJRの職制はすごすごと引き下がらざるをえなかった。支社にシュプレヒコールをあげ集会に移りました
23日広島 動労千葉を支援する会・広島総会
動労千葉を支援する会・広島の3回目の総会が、広島市西区民文化センターで70人で開催された。総会には、多くの物販協力者や初参加の会員が結集した。動労千葉の12・3〜4ストでの組織拡大の前進、12・12〜13動労総連合定期大会と12・19動労西日本定期大会の成功を受け、動労千葉を支援する会・広島の2011年方針を決定する重要な総会となった
24日・25日東京 全学連がJAL労働者と連帯
日本航空の202人整理解雇攻撃に反対して闘う日本航空キャビンクルーユニオン(CCU)、日本航空乗員組合、航空労組連絡会が東京・有楽町マリオン前で街頭宣伝行動を行った。24日は200人以上、25日は約150人が参加、客室乗務員やパイロットの制服を着た当該2労組の組合を先頭に支援を含めた大街頭宣伝行動は、有楽町を完全に席巻した。CCU組合員を始め当該はみな不当な解雇通告に激しく怒っており、闘う意欲は十分、みな元気だ。全学連、労組交流センター、なんぶユニオン、東部ユニオンなども合流し、ともに闘った

 (弾圧との闘い)

1日東京 法大5・28暴行デッチあげ控訴審
法大5・28暴行デッチあげ弾圧裁判控訴審の第5回公判が、東京高裁第9刑事部(小倉正三裁判長)で行われた。一審無罪判決を確定させる弁護側立証第2弾として、増井真琴君への証人尋問と中島宏明君への被告人質問が行われた
10日東京 前進社国賠訴訟、11月不当捜索弾劾
前進社不当捜索国家賠償請求訴訟の第4回口頭弁論が東京地裁民事第1部(甲斐哲彦裁判長)で行われた。前回の口頭弁論で、原告は、「今年も11月労働者集会への事前弾圧をやるのか。そんなことは許さない!」と弾劾した。にもかかわらず警視庁はまたも、でたらめな不当逮捕を強行し、それを口実にして集会直前に前進社本社など全国で不当極まる家宅捜索を行った。これに対し原告と弁護団は、警視庁と令状を発布する裁判所を徹底的に弾劾する決意に燃え断固法廷闘争を闘い抜いた

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編集後記

■編集後記

 11・23、米帝の朝鮮侵略戦争が始まった。世界大恐慌がついに戦争となって爆発した。昨年の4・9反革命は、国鉄1047闘争を圧殺し、体制内的な労働運動の総屈服を強制し、動労千葉労働運動・階級的労働運動の壊滅を狙うものだった。動労千葉は、「国鉄労働運動の火を消すな」と立ち上がり、国鉄闘争全国運動を開始し、4・9反革命を跳ね返した。
 そして11・23情勢が始まった。戦争が始まった。4・9に総屈服した既成の労働組合の全部が11・23を皮切りに戦争賛成、戦争翼賛の立場に立ち、愛国主義・排外主義を振りまき、階級平和を唱え、階級闘争を圧殺して侵略戦争反対の声を反動的にたたきつぶす先兵になった。
 今こそ「侵略を内乱へ」を貫徹するために、労働組合をめぐる戦争翼賛派との権力闘争に勝利することが一切である。

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