International Lavor Movement 2011/06/01(No.418 p48)

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2011/06/01発行 No.418

定価 315円(本体価格300円+税)


第418号の目次

表紙の画像

表紙の写真 原発の即時停止などを訴えデモ【3月20日 渋谷)

■羅針盤 労働者の力で原発を止めよう 記事を読む
■News & Review 韓国
 「北朝鮮が原発攻撃」想定した軍事訓練を実施   朝鮮侵略戦争体制突入下、団結強め闘う労働者
記事を読む
■News & Review ヨーロッパ
 反原発闘争と中東革命に揺らぐEU帝国主義   大恐慌・緊縮政策・原発事故に怒りの決起
記事を読む
■News & Review 日本
 「日本有事」の「トモダチ」作戦   福島原発事故に米軍核専門部隊を派遣
記事を読む
■特集/全原発の廃止へ   怒りの総決起を 記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点 東日本大震災の経済的影響
 部品供給の断絶で自動車など操業停止
記事を読む
■国際労働運動の暦 6月15日   ■60年安保6・15闘争■
 全学連が国会に突入
 社共の「平和と民主主義」のりこえ戦後史転換させた戦闘的実力闘争
記事を読む
■日誌 2011年3月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 ドイツで50万人参加した反原発デモ【3月26日】

月刊『国際労働運動』(418号1-1)(2011/06/01)

羅針盤

■羅針盤 労働者の力で原発を止めよう

▼大震災と福島原発事故は、大恐慌と大失業・戦争の攻撃を激化させながら、新たな階級闘争の大激動をつくり出している。被災地支援と反失業・反原発の闘いを、国鉄闘争全国運動と一体で全力で推し進めよう。福島原発事故は史上最悪の深刻な事態となり、収束の見通しも立っていない。原子炉の水素爆発や水蒸気爆発で大量の放射能がまき散らされる危険は去っていない。まさに大震災と原発事故は、国家と資本による大犯罪だ。歴史的寿命が尽き、腐りきった資本主義・帝国主義の打倒こそが求められている。
▼大震災と原発事故で、東北・関東を始め数十万、数百万人の労働者と農漁民の生活・生業がすでに破壊されている。被災地の労働者・農民・漁民は深い苦しみと悲しみ、怒りの中で、必死に情勢に立ち向かい、闘い、生き抜いている。全力で支援し連帯しよう。資本家階級と菅政権の統治能力は完全に破産・崩壊している。彼らにはなんの解決能力もない。資本家が延命すればするだけ、労働者階級人民の苦難は増すばかりだ。
▼問われていることは、この期に及んでも原発をやめない資本主義の「復興」=延命を許すのか、それとも階級的労働運動の発展で、資本主義を倒し労働者が権力を握るかだ。労働者階級の団結と組織の力のみが、このとてつもない惨禍をのりこえ、労働者人民の生活と生業の再生、全原発の即時停止と廃棄をやり遂げることができる。そして社会と全産業の、真に理にかなった根本的な変革を行うことができる。プロレタリア権力だけが一切の責任を果たし、人類の未来を押し開くことができる。革命の実現は労働者階級が生きるための、真に切実で死活的な課題となっている。

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月刊『国際労働運動』(418号2-1)(2011/06/01)

■News & Review 韓国

「北朝鮮が原発攻撃」想定した軍事訓練を実施

朝鮮侵略戦争体制突入下、団結強め闘う労働者

 3月11日、東日本を襲った大震災と大津波は、大恐慌下の日本帝国主義の危機を根底的に深め、その突破をかけた新自由主義による大失業攻撃、震災解雇、震災雇い止めが被災地のみならず激増している。しかも日帝は、福島原発の大事故で崩壊した原発政策をあくまで遂行しようとしている。

 □東日本大震災への日米合同の有事体制に呼応

 韓国では、キムファンシク首相が国会答弁で、「現時点では、既存の原発政策を変えたり放棄したりは難しい。危険にも耐えるしかない」「部分的に危険があってもその危険を減らしつつ、耐える政策を考えるしかない。既存の原発政策は推進するのが政府の立場」と述べた。そして、被災地で発動されている日米合同の有事体制に呼応して、原発を北朝鮮が攻撃、爆破したという想定での大々的な対テロ軍事訓練まで行った。また韓国各地で微量ながら検出された放射性物質に、4月7日には京畿(キョンギ)道では雨天のために126の幼稚園、小中学校が休校し、全羅(チョンラ)北道では5校が休校、10校が短縮となった。
 蔚山(ウルサン)では、3月28日、蔚山環境連合をはじめとする17の市民社会団体が原子力発電所の追加建設と寿命延長反対の共同行動を行った。「核施設で囲まれている蔚山は、原発事故に無防備」と、新古里5、6号機の推進計画白紙化、寿命が尽きた古里、月城1号機の永久閉鎖を求めた。蔚山は計9機の原発に囲まれている。蔚山市議会は原発増設の再検討を要求する決議を4月議会で発議する。また、蔚山の南に位置する釜山(プサン)でも弁護士会が運転停止を求める仮処分を申請した。
 東日本大震災と福島原発事故に対して、動労千葉と連帯する世界中の労働者、労働組合や団体から、支援のメッセージと物資、カンパが送られてきている。韓国からも、3月11日の震災直後から民主労総ソウル本部をはじめとする日韓連帯活動に参加した多くの同志から安否確認のメールが来た。そして3月14日の動労千葉の声明を読んだ同志から、賛同のメッセージが再び寄せられてきている。
 そして韓国からの支援行動などへの活動方針が、また反原発行動への方針が出されている。民主労総ソウル本部は4月13日、ソウルの中心部・普信閣(ポシンガク)で核反対ローソク集会を開いた。ソウル本部は22日にも民主労総本部と共同の反核行動を企画している。反原発の闘いが、新自由主義による大失業攻撃との闘いと一体のものとして、世界で韓国で、日本の動労千葉と労組交流センターが共同で立ち上げた救援対策本部と連帯している。
 国鉄闘争全国運動の階級的労働運動路線が、世界の労働者を獲得し、震災という未曽有の事態に対して立ち向かう戦列を強化し始めているのだ。命脈の尽きた資本主義の打倒以外に解決のない闘いが始まったのである。

 □大学非正規職労働者の闘いが発展

 こうした情勢一変の中で、韓国の非正規職労働者を先頭とした闘いは一層強固に進められている。
 1月の弘益(ホンイク)大学の清掃労働者の闘いから、延世(ヨンセ)大、高麗(コリョ)大、高麗病院、梨花(イファ)女大などの清掃労働者は、最低賃金の保障を求め共同でストライキに立ち上がった(既報)。
 数次の警告ストライキの後、ついに高麗大と延世大の清掃労働者らは3月28日、無期限全面ストライキに突入した。賃上げをはじめとする雇用環境改善などの集団交渉が妥結するまでストを続ける方針だ。そして29日午後2時、延世大本館前で、「美化労働者生活賃金争取! 高麗・延世・梨花大ストライキ闘争勝利決意大会」を開いた。
 これに先立つ23日には梨花女大清掃労働者が全面ストライキに突入し、3日目の25日に用益業者との交渉で時給4600ウォンへの賃上げ、食費の6000ウォンへの値上げ、休憩室などの労働環境改善などの合意案を引き出した。ソウル・京畿支部のクォンテフン組織部長は「梨花女大の妥結で用益業者も圧力を受けている。強度を高めて交渉を続ける」と言った。
 そして4月1日午前、高麗大清掃労働者は賃上げと団体交渉の妥結をかちとった。高麗大病院、梨花女大に続いて、同じ時給4600ウォンへの引き上げだ。だが、延世大は業者が「民事責任を問う」との脅迫文を掲示した。業者のこのような不当労動行為に対し「延世大の責任を問う」と労組側は強調している。どの大学でも、学生らの決起と支援で闘いが発展している。
(写真 高麗大の清掃労働者たちが時給4600への賃金引き上げなどを求めて無期限ストライキに突入【3月28日】)

 □全北バス労働者のストライキ

 全北(チョンプク)バス労働者のストライキが110日を超えた3月26日、公共運輸労組民主バス本部長パクサフン氏をはじめ5人が全教組全北支部の屋上に25bの高さのやぐらを立て、ハンスト闘争に突入した。
 バス事業主らは、市民社会団体と雇用労働部が提示した「社会的合意案」と「雇用労働部仲裁案」を拒否し続けている。労働組合を認めないから、という理由だ。また全州市もバスの運行率を上げることだけに集中し、バス事業主への補助金も実質的に撤回した状態だ。
 さらに、4月5日午前0時ごろ、「バスストライキ解決と完全公営制実現のための全北市民社会団体対策委」の座り込み場を撤去した。1月と3月に続き、3回目だ。市民対策委は緊急集会を開いた。イセウ代表は「全州市と市長がすべきことはバスストライキの解決であって、市民を連行してのバスストライキの弾圧ではない。このまま退かず、座り込み場を設置して座り込みを続ける。コンテナを返せ」と弾劾した。
 4月11日、民主労総全北本部と「バス労組民主化争奪のための全北地域闘争本部」は市庁で記者会見を行い、闘争計画を発表した。キムジョンイン闘争本部長は「125日の闘いで、殴られ、拘束され、手配され、入院し、離婚され、ある組合員は金がなくなり、子どもたちを学校にも送れない。死ぬこと以外しなかったことはない」とさらに強力な闘争の意思を見せた。13日に1000人の労働者を集めて全北労働者大会を開くと発表した。

 □現代重工業と現代自動車の非正規職労働者の連帯

 現代(ヒョンデ)重工業社内下請け支会は、3月24日、現代自動車非正規職支会と懇談会を開き、「蔚山地域闘争事業場連帯」を提案し、これに現代車非正規職支会非常対策委が応え現代重工業、現代車の下請け労働者の連帯が出発した。
 現代重工業社内下請け支会は3月29日午後6時、現代重工業正門前で「ブラックリスト撤廃、労組活動保障要求決意大会」を開いて「現場の下請け労働者がすべて労働組合に加入すればブラックリスト自体が消える」と宣言した。ここには、金属労組傘下の組合員、現代車非正規職支会が参加した。
 一方、現代車非正規職支会は3月30日、蔚山工場正門前の道路で組合員決意大会を開き、「選挙管理委員会の出入りの条件として、選挙期間の闘争不可という方針を出した現代車の屈辱的な案を拒否し、非常対策委の闘争を続ける」と宣言した。
 現代車側は30日午後5時、蔚山工場正門をバスで封鎖し、管理者を動員して集会場所を源泉封鎖した。名目は「交通キャンペーン」だ。交通キャンペーンのたすきをかけた管理者たちは群れをつくり行進した。非正規職支会イウンファ非対委員長は「われわれの闘争は堂々としている。われわれの集会を封鎖している現代車の管理者は恥を知れ」「最も基本的な労組活動も妨害する現代車の弾圧を突破し、新たな強力な指導部を打ち立て、民主労組を死守する」と決意を述べた。
(写真 現代車蔚山工場正門前で「非常対策委闘争を続ける」と決意大会を開く現代車非正規職支会【3月30日】)

 □双竜自動車支部の闘いも力強く継続

 双竜(サンヨン)自動車支部の闘いも力強く継続している。双竜自動車から追い出された労働者の精神健康状態は、時間がたつほど悪化していると労働環境研究所などが明らかにした。中程度の憂鬱(ゆううつ)症が30%、高度な憂鬱症は50%に達することがわかった。報告によれば、解雇労働者の40%が日雇いで働いており、32・6%は現在まったく職がない。他の職場で正規職として働いているのはたった3・6%に過ぎない。解雇労働者の平均月収は82万2800で、最低賃金水準にも届かない。そのため調査対象者の82・6%が借金を抱えており、このうち83・96%は09年の構造調整以後借金が増えたと答えた。
 3月31日午後、双竜車支部は、無給休職者と整理解雇者らの問題を解決するために、平沢(ピョンテク)工場前で組合員と連帯合わせて100人で「交渉要求決意大会」を開いた。
 整理解雇で闘争を始めて679日目を迎えてファンインソク双竜自動車支部長は「労働者は資本に弾圧され、工場は労働者の犠牲で回復した」「14人の労働者と家族が死んだが、無能な経営陣には何の対策もない。絶望の工場になったのは明らかに資本の責任」と述べ、資本が対話を避けていることを批判し、対話を要求した。
 さらに支部長は組合員らに「多くの労働者と市民が私たちを支持している。工場の正門を蹴飛ばして仲間たちとともに入ることだけが残された。10人なら100人のように、100人なら1000人のように闘おう」と激励した。
 平沢参与連帯のイウンウ代表は「多くの平沢市民が双竜車の状況を理解できない。双竜車が地域の企業なのか疑問を抱いている」と資本が対話に応じないことを糾弾した。さらに「共に生きようという双竜車労働者の叫びを通じて、社会的連帯であることも知った。共に生きる地域共同体、共に生きる労働共同体だ」と平沢で共に労働する喜びを分かち合おうと発言した。

 □韓進重工業などでも闘いは続く

 労働者の闘いはまだまだ続く。韓進(ハンジン)重工業支会の整理解雇粉砕闘争では、4月8日に民主労総決意大会を開いた。クレーン高空籠城96日目のキムジンスク民主労総釜山本部指導委員は自分のすべてをかけて絶叫した。そしてとても貴重な仲間の名前を呼んだ。「私は何があっても皆さんを守ります」
 解雇者復職などで1200日に近い闘争を続ける全国学習誌産業労組才能支部は、早期の事態解決のために委員長の剃髪断食と共に同調ハンストも行っている。
 3月31日、ソウル広場で記者会見。「問題解決の意思も見せず、組合員の全員解雇と世帯道具の差し押さえ、競売、損害賠償訴訟など、労組弾圧を続けている」と糾弾した。ユミンジャ支部長は「才能支部の正当性を知らせ、社会的共感を組織し、一刻も早く事態を解決するため、剃髪とハンスト闘争に入った」とし、共同対策委は「今こそ労働組合弾圧史≠ノ終止符を打つ強い意思と怒りで同調ハンストに立つ」と強調した。3月25日の才能教育本社前の「才能支部闘争勝利のための解雇労働者決意大会」で、ユミンジャ支部長など5人が剃髪し、断食に入った。
 錦湖(クムホ)タイヤでは、使用者側の職場閉鎖から7日目の3月31日、労使合意書を作成し、翌日から正常出勤を始めた。3月25日には、全組合員の1日警告ストライキで、会社側の誠実な交渉を要求していた。
 韓国労働者は、世界大恐慌と米帝の朝鮮侵略戦争体制突入下で、階級的団結を強めつつ闘いを続けている。東日本大震災と原発事故という未曽有の情勢下で、日本の労働者も被災労働者を始めとして、動労千葉派が被災地救援、全原発廃止の闘いに立ち上がっている。それは今日の時代が革命的情勢に突入していることを示している。(本木明信)

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月刊『国際労働運動』(418号2-2)(2011/06/01)

■News & Review ヨーロッパ

反原発闘争と中東革命に揺らぐEU帝国主義

大恐慌・緊縮政策・原発事故に怒りの決起

 □「フクシマは警告する」

 

「フクシマは警告する! もう原発はごめんだ」――ドイツ50万人の反核デモは、このスローガンを発し、「日本の兄弟姉妹のみなさん、私たちはあなた方の生きぬくための勇気ある闘いを敬意をもって注目しています」「全世界の核施設の即時停止の貫徹のために闘うことを誓います」(ドイツ反核運動春季会議)という連帯声明を、動労千葉あてに送ってきた。
 「フクシマで負けた」――これは、3・11直後のドイツ地方選で、原発反対の声によって大敗北を喫した保守党メルケル首相の言葉だ。
 今、大恐慌に直撃され、緊縮政策をもって労働者階級に襲いかかっていたEU帝国主義諸国は、ドイツを先頭として、原発政策に象徴される反労働者人民的攻撃に対する労働者階級の総反乱の開始におびえ、軒並みに政治支配の危機に直撃されている。
 加えて、エジプト革命の爆発は中東・北アフリカ全域を揺さぶるとともに、ヨーロッパ諸国の労働運動のスローガンを、「ギリシア労働者の決起に続け」から「エジプト革命に応えよ」と発展させ、さらに原発事故をも契機として、支配階級の足元を掘り崩そうとしている。リビアへの軍事介入は、争闘戦をかけた石油資源確保と同時に、中東・北アフリカ革命が、ヨーロッパ革命に転化することへの予防反革命としての性格をもって、EUやNATOの内部分裂〔英仏と独〕を賭して、強行されているのである。

 

(写真 ドイツでの50万人反原発デモ【2011年3月26日 ベルリン】)

 □ドイツなどで反原発・反核デモが大高揚

 

福島原発事故は、ヨーロッパ、とりわけドイツを直撃した。早速3月12日、老朽化した原発を抱える南西部ネッカーベストハイムの近郊で、6万人が原発閉鎖を要求する「人間の鎖」行動を行った。スリーマイル、チェルノブイリを思い起こさせる大事故に、ドイツの労働者人民は激甚に反応し、反核団体は、3・11以後、毎月曜に「原発全廃!」を掲げたデモを行うことを決定し、現在にいたるまで「全国700カ所」で続行しているという。3月26日には、ドイツ全土の原発の廃炉を求める大規模なデモが行われ、ベルリンやミュンヘン、ケルンなどの大都市に50万人が決起した。
 〈福島原発事故〉そのものの衝撃と、反核デモの巨大な爆発に恐怖した独帝国主義メルケル政権は、地方議会選挙のただなかで、3月14日、国内の原発の運転を延長する政策を3カ月間凍結することを決めた。ドイツでは昨年、太陽光や風力などの再生可能エネルギー開発まで既存原発を活用するとして、「原発17基を20年ごろまでに全面閉鎖する」との従来の脱原発政策を軌道修正、稼働年数を平均12年延長することを決定し、反核団体をはじめ労働者人民の憤激をかっていたが、その逆転を迫られたのだ。
 ドイツだけでなく欧州各国が、これまで推進してきた原発政策(原発はEUの電力供給の3割弱を占めている)の一定の手直し・見直しという事態に追い込まれている。
 スイス政府は3月14日、原発の改修・建設計画(3カ所)を当面凍結すると発表した。現在、国内電力の4割を、1969〜84年にかけて造られた原発5基でまかなっている。政府は、これらの原発を20年までに順次廃炉にしつつ、原子炉を刷新する計画で、13年にも国民投票で最終決定するとしていた。09年には、73%が「原発は必要」と答えていた世論調査の結果が、3月20日発表のものでは「原発廃止」が87%と完全に逆転した。
 イギリスでは、19基の原発が電力の2割を供給しており、政府は老朽化した原発を順次閉鎖し、新しい原発を建てる方針だが、世論調査の結果は、昨年11月には「賛成」が47%で、「反対」の19%を大きく上回っていたのが、今回(3月18〜20日)は、原発の新設に「賛成」が35%と後退、「反対」が28%と増加した。
 イタリア政府は3月22日、閉鎖している原発の再開に関するすべての計画を1年間停止する方針を固めた。同国では、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故後、国民投票で当時の原発関連法を廃止。すべての原発が廃止され、建設計画も凍結された。しかし、ベルルスコーニ政権は脱原発政策を転換、09年2月にフランスと協力協定を結んだ。13年までに原発建設に着手し、20年までに最初の原発を稼働させる計画で、すでに法律も成立しているが、法律の存続を問う国民投票が6月中旬までに実施されることになっている。
 これに対して、電力の8割を原発に依存する「原子力大国」フランスは、「脱原発は論外」(サルコジ)、「深刻な事故ではあるが、原子力大事故ではない」(エネルギー担当相)と反動的に開き直った。事故直後の日本に、サルコジ大統領が、フランスの原発会社アレバの技術者とともに乗り込み、菅政権を「激励」している。しかし、3月27日に実施された統一地方選では、与党・国民運動連合(UMP)は惨敗した。
(図 ドイツの原子力発電所立地点)

(表 ドイツの地方選挙の結果と今後の予定)

 □3・11を契機としたEU帝政治支配の動揺

 ドイツは今年が地方選挙の年で、大恐慌下のメルケル政権の緊縮政策に対する労働者人民の反撃がどう表明されるかが注目されているが、福島原発事故が決め手となって、原発政策での反動的転換を行ってきた保守党政権が、軒並みに完敗、残る三つの選挙でも勝算はない。(表参照)
 このような選挙結果を裏書きするように、4月6日発表の世論調査によると、まがりなりにも反核・反原発を掲げる緑の党〔実際は、州によっては原発推進に加担しているという〕の支持率が、東日本大震災の前(3月9日公表)に比べ12ポイント急伸し28%と過去最高となった。メルケル政権のキリスト教民主・社会同盟は30%(大震災前は36%)に減らし、第2党に浮上した緑の党が肉薄。連立与党の自由民主党は3%(同5%)に下落。野党の社会民主党は23%(同26%)。与党側が合計33%なのに対し、野党2党は51%と大きくリードしている。メルケル政権の政治支配の危機は一層進行している。
 フランスでは、大衆紙の世論調査(3月6日発表)で、2012年次期大統領選の第1回投票で極右・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首が23%を得票し、現職のサルコジ大統領の21%、最大野党・社会党のマルティヌ・オブリ第1書記の21%を抑えて首位に立った。また、3月27日に行われた県議会選挙の第2回投票では、社会党が36・2%を得票し勝利した。サルコジの与党、国民運動連合(UMP)は18・6%で惨敗。国民戦線(FN)は11・1%で第3党の位置を確保した。新興政党の「欧州エコロジー党」が予想外に約3%を得票、反原発の機運を反映している。
 ポルトガルではソクラテス首相が3月、政府の財政緊縮策が議会で否決されたことを受け辞任を表明した。4月6日には、テレビ演説で「欧州連合(EU)に金融支援を要請することを決めた」と発表した。要請額は最大で800億ユーロ(約9兆8千億円)と見られ、支援要請はユーロ導入国としてはギリシャ、アイルランドに続き3カ国目であり、他国への波及が必至である。財政危機が深刻化するスペインでは、失業率が約20%に達し、政府の緊縮財政に怒りが高まっているなかで、4月2日、サパテロ首相が2012年に予定される総選挙に「出馬しない」と事実上の引退を表明。
 イギリスにおいても、キャメロン政権の公務員50万人削減をはじめとする緊縮財政に対して50万人デモ(3月26日ロンドン)が爆発している。イタリアでは、ベルルスコーニ首相が率いる与党、自由国民からたもとを分かった(昨年7月、下院で与党過半数割れ)フィーニ下院議長ら上下両院議員らが2月13日、新党を結成し、フィーニが党首に就任した。

 □リビア侵略戦争めぐるEU・NATOの分裂

  リビアの原油生産量は日量170万バレル、埋蔵量は360億バレルでアフリカ一、二と言われている。01年9・11以降、カダフィ政権は帝国主義との関係を修復し、外国石油資本が参入し石油生産力を高めてきた。帝国主義諸国は、この石油資源の争奪をめぐり、そして、何よりもチュニジア・エジプト革命に続く中東・リビア革命圧殺のために、リビア空爆に突入したが、当初から明らかなように、米欧間の対立だけでなく、EUとNATO内部の分裂、とりわけ、軍事的政治的に突出した仏英帝国主義とドイツ帝国主義【資源エネルギー問題では、ロシアの天然ガスとの独自のパイプを持つ】の対立を激化させ、絶望的な展開を見せている。
 そもそも当初から、3月17日の国連安全保障理事会における対リビア武力行使容認決議案採決自体が、15理事国のうち草案を作成した米英仏など10カ国が賛成、ドイツ、中国、ロシア、インド、ブラジルは棄権し、亀裂が生じた。
 作戦遂行過程でも、地上軍派遣の可否をめぐる「有志連合=多国籍軍」5カ国(米英仏伊加)内部における不一致、さらに米軍からNATOへの指揮権委譲についても、国家財政破綻のただなかで、イラクとアフガンの二つの戦争を抱え、委譲を急いだ米帝と、NATO内部で、不参加のドイツ、軍事行動に反対するトルコ、そもそもNATOへの指揮権移行に反対するフランスなど、分裂が露呈した。とりわけ対リビア空爆で戦端を開いたフランスは「アラブ連盟は作戦がNATOの完全な指揮下に入るのを望んでいない」(ジュペ外相)と指摘し、「アフリカは欧州の担当地域」との対米対抗性をあらわにして、アラブ世界への影響力を取り戻そうとしている。
 世界大恐慌、大失業、侵略戦争との闘いに、原発全廃をスローガンとする労働者人民の闘いが合流しつつあり、帝国主義の政治支配を揺るがしているのだ。
 (大場 健)

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●ドイツの地方選挙の結果と今後の予定

2月20日 ハンブルク        SPD勝利
3月20日 ザクセン=アンハルト CDU 4%減少、緑の党7.1%と倍増
3月27日 バーデン=ビュルテンブルク CDU=FDP連立政権44.3%で敗北
                        SPD=緑の党47.3%で勝利
       ラインラント=ブファルツ   緑の党15.4%と3倍増、
5月22日 ブレーメン
9月4日   メクレンブ=フォアボルメン
〔2010年5月 ノルトライン=ェストファーレン CDU大敗

【CDU=キリスト教民主同盟、CSU=キリスト教社会同盟、SPD=社会民主党、FDP=自由民主党、緑の党、左翼党】

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月刊『国際労働運動』(418号2-3)(2011/06/01)

■News & Review 日本

「日本有事」の「トモダチ」作戦

福島原発事故に米軍核専門部隊を派遣

 3月11日の東日本大地震と巨大津波に直撃された福島原発は、1カ月を過ぎても原子炉の暴走状態が収束する見通しはまったく立っていない。依然として空中に大量の放射能を放出し、海にも大量の放射能汚染水を垂れ流している。
 4月12日、原子力安全・保安院は福島原発がレベル7に該当とすると発表し、チェルノブイリ事故と同レベルと認定した。
 福島原発から空中に放出された放射能は隣国の韓国などだけではなく、アメリカのカリフォルニアなどでも飛散が問題になっている。大量の放射能汚染水の海への垂れ流しも魚の汚染につながるもので、韓国をはじめ世界で大問題になっている。
 「フクシマ」は国内問題ではなく、完全に国際問題になっている。その収束は、日帝だけの問題ではなく国際帝国主義、核大国全体の問題になっている。

 □米帝の対応

 東日本大震災の被災地支援を名目に、米軍は「TOMODACHI(トモダチ)作戦」などと名付けた空前の規模の「日本有事」作戦を展開している。それは自衛隊の総兵力の半数に近い10万人出動体制との統合作戦に発展し、事実上の「周辺事態法」の発動、日米安保体制の総力を挙げた実戦発動体制に発展しつつある。
 米軍の態勢は陸海空と海兵隊の4軍で約1万8千人に達した。航空機140機、原子力空母ロナルド・レーガンなどを含む艦船は19隻。佐世保基地の強襲揚陸艦エセックスやドック型揚陸艦トーテュガも投入した。
 これは被災地支援出動の域を完全に超えた軍事作戦だ。 こうした中で、米軍は派遣した4軍を統括するため、在日米軍司令部のある東京・横田基地に「統合支援部隊(JSF)」を新設し、指揮官にJSF発足に伴い米海軍太平洋艦隊司令官=太平洋軍最高司令官のウォルシュ(大将)が着任した。
 そして日米両軍の合同作戦司令部が市ケ谷の防衛省統幕監部と米軍横田基地、陸上自衛隊仙台駐屯地(東北方面総監部)に設けられ、24時間態勢で「部隊運用の調整」が始まったことも重大だ。97年の新安保ガイドラインであいまいになっていた「日本有事や周辺事態」での「指揮権」の問題が実戦的に発動した。
 一連の動きは、3・11大震災の直前まで韓国本土の38度線付近で強行されていた米韓合同演習の直接の延長上にある。
 この演習で米軍は、核や生物化学兵器、いわゆるNBC兵器用の装備品を使用していた。演習場となった韓国・抱川(ポチョン)は北朝鮮との軍事境界線から15`の至近距離にある。ここで米韓合同軍が「あらゆる状況下で活動ができる新型の特殊装甲車」を含む部隊による実弾射撃訓練を強行したのだ。
 米空母が、福島原発から125(約200`)も離れた海域に展開し、防護服の着用や線量計による兵士の身体の測定、特定の任務以外は甲板に隊員を出さないなど「核攻撃を想定した作戦」に準じる体制をとっているのも、こうした演習の一環だ。
(写真 三陸沖に向かう米原子力空母ロナルド・レーガン)

 □米核対処・特殊専門部隊

 4月上旬、米海兵隊の特殊専門部隊シーバーフ「CBIRF」145人が米本土から来日し、9日に米空軍横田基地(東京都)で、原子力災害を想定した訓練を実施した。「NBC(核・生物・化学)」テロ対処部隊である陸上自衛隊の中央特殊武器防護隊の6人も参加した。
 米海兵隊司令官が、昨年、北朝鮮の「政権が崩壊した時には、北朝鮮にある核を押さえることが海兵隊の目的である」と朝鮮侵略戦争における海兵隊の役割を語った。   米海兵隊司令官が、昨年、北朝鮮の「政権が崩壊した時には、北朝鮮にある核を押さえることが海兵隊の目的である」と朝鮮侵略戦争における海兵隊の役割を語った。 
 「核を押さえる」とは、北朝鮮の原発や核処理施設などの核関連施設を戦場にするということだ。原発を攻撃し、放射能が飛び散る中で軍事作戦を展開し、「核兵器を押さえる」のが米海兵隊の任務だ。これは今回の福島原発事故と似た状況だ。「トモダチ作戦」とは核戦争としての朝鮮侵略戦争の実戦演習としてあるのだ。

 □フランスの対応

 フランスのサルコジが3月31日に来日し、菅と首相官邸で会談、福島原発事故への対応で協力を約束した。今年の主要8カ国(G8)と20カ国・地域(G20)の議長国を務めていることもあるが、フランスは「原発大国」であり「原発不信」の連鎖を食い止めたいということだ。
 3月30日にはフランスの核燃料会社アレバの最高経営責任者(CEO)のアンヌ・ロベルジョンが日本に到着した。事故の復旧作業の障害になっている放射性物質で汚染された水の除去作業などの支援を申し出た。
 フランスは電力の80%を原子力発電に依存している原発大国である。福島の原発事故で原発の危険性がはっきりした今、これを無事に収束できないなどという事態となれば、フランスの原発政策も危機に陥ってしまう。すさまじい危機意識を持って日本に飛んできた。

 □帝国主義から陥落

 しかし日帝は、帝国主義として簡単に自らが引き起こした原発事故の解決を他の帝国主義に委ねることはできない。それは帝国主義の座からずり落ちることを意味するからだ。日帝には原発大国であることの自負がある。しかしそのすべてが今、崩壊したということだ。
 突きつけられているのは、現代帝国主義支配の根幹は核支配だということだ。つまり帝国主義による労働者階級人民への支配の最後の砦は、核・核戦争である。
 米帝国主義は、全世界を滅亡させるだけの威力を持つ核兵器を保持することによって、何よりも米労働者階級人民を徹底的に抑圧している。そして他の帝国主義諸国、新植民地主義体制の諸国とその労働者階級人民をも抑圧している。核兵器の存在は、国際労働者階級を分断し、対立させ、何よりも自国の労働者人民支配の武器になっている。
 日帝は原発大国であり、原発から出る使用済み核燃料の再処理を通じて膨大なプルトニウムを所蔵している。いつでも核武装できる状態にある。
 しかし日本の労働者階級人民の反戦・反核闘争の力が日帝の核武装を阻止している。そしてアジア諸国の人民もアジア侵略の日帝が核武装することに強く反対している。さらに米帝は日米安保の核の傘の下に日帝を縛りつけておくために日帝の核武装を許さない。
 今回、日帝は原発大国でありながら、原発事故に対してはまったく無力であることが露呈した。これは核戦争時代における帝国主義の存立を左右する大問題だ。原発大事故を起こしながら、自分で処理できないというのは、帝国主義失格の烙印を押されることになる。
 福島原発事故によって日帝は、国際帝国主義の一角からずり落ちようとしている。日帝はまさに国際帝国主義の最弱の環である。没落する日帝を労働者の力で根底から打倒しよう。

 □原発は隠された核兵器

 日帝はこれまで北朝鮮の核武装への動きをしきりと悪宣伝してきた。しかし今回の福島原発事故で本当に危険な核の脅威は日本の原発であったことが明らかになった。
 「安心でクリーンで低コストの原子力」というデマ宣言のもとで全国に54基もつくった原発こそ隠された核兵器であった。
 日本の労働者階級人民にとって核放射能の惨禍をもたらしたのは、他でもなく、国内の原発であることが明らかになったのだ。
 それは原発で働く労働者の姿にも鮮明になっている。原発労働者は放射能を浴びる労働を強制される中で、被曝し、ガンに冒され殺されている。原発は膨大な非正規労働者を絶えず補充することで初めて成り立っている。電力資本こそ労働者を搾り、そして命までも奪う労働者階級の敵だ。
 日帝は、北朝鮮の脅威をあおることで、労働者人民に排外主義を吹き込み、国家主義をあおり、北朝鮮の労働者人民と日本の労働者人民を分断し、資本と国家による労働者階級に対する階級支配を固める絶好の宣伝文句にしていた。こうしたペテンがはげ落ちたのだ。
 日本における原発導入の契機は、1954年3月のビキニ水爆実験における大量の放射能を浴びた第五福龍丸事件であった。23人の乗員全員が急性放射線症になり、久保山愛吉さんが死亡した。「第五福竜丸」のマグロから強い放射能が検出され、気流にのった放射能は、イチゴ、野菜、茶、ミルクから検出された。
 これが「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆被爆の惨禍を思いおこさせ、労働者人民の反戦・反核の運動に火を点けた。杉並で始まり、各地域や職場に広がった署名を全国的に集約するセンターとして「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、「8月6日に広島で世界大会を開く」ことを決めた。
 この原水禁運動の高揚に労働者の革命の恐怖を感じた日帝が、対抗的に推進したのが「原子力の平和利用」というペテンを使った原子力発電所だった。根っからの反革命だった。そして日帝は、原発を通じて独自の核武装を狙っていった。

 □原発への攻撃

 韓国では、東日本大地震を受けた日米合同の有事合同作戦に呼応して、韓国の原発を北朝鮮が攻撃、爆破したという想定で大々的な軍事訓練が行われた。
 日帝も、北朝鮮から日本の原発に対するテロ攻撃の危険について、執拗に繰り返し宣伝してきた。
 04年に有事立法の一環として制定された国民保護法は、第105条に(武力攻撃原子力災害への対処)を置いて原発に対するテロや軍事攻撃を想定した対処を規定している。どのように堅固に建設された原発も軍事攻撃には無力である。「想定外」はない。戦争になれば、攻撃を受けた原発は立ちどころに放射能をまき散らす核兵器に変身する。フクシマが示していることはそのことだ。原発などを即座に廃止しなければならない。
 原子炉に対する軍事攻撃として1981年のイスラエルのイラク原子炉攻撃がある。1982年7月に稼働開始の予定であったイラク原子炉を、イスラエルは稼働前の81年6月7日、空爆し完全に破壊した。その後、同国の元核技術者により、当のイスラエル自身が1960年代よりフランスの協力により核開発を行い、既に多くの核兵器を保有していた事が暴露された。
 今年1月には米とイスラエルが共同で開発したウィルス攻撃でイランのウラン濃縮施設に深刻な影響を与えたとされている。
 米帝は、1994年の北朝鮮核危機の際に、北朝鮮の核開発阻止として核関連施設の爆撃と全面戦争の発動寸前までいった。重大な核戦争危機を引き起こした。
 大恐慌、大失業、戦争の時代が始まり、日米帝が朝鮮侵略戦争に突入している。3・11を契機に核戦争を想定した有事体制が発動されている。この戦争が核戦争であり、核災害をアジアと全世界の人民に及ぼすことは不可避だ。
 米帝は核戦力を配備し、世界の海を原子力空母、原子力潜水艦を始めとする原子力艦船で制圧している。しかしこれまでも幾多の大事故を起こしている。しかしその詳細は軍事機密として公表されていない。
 核兵器を生み出した帝国主義とスターリン主義は、もはや膨大に生み出した核兵器・原発・原子力を制御できず、人類を滅亡させるしかない。帝国主義とスターリン主義の時代は完全に終わったのだ。
 核を廃絶できるのは全世界の労働者階級人民の団結した闘いのみであり、帝国主義を打倒する力もここにある。ここに労働者階級と人類の未来がある。
 それに敵対し帝国主義を体制内翼賛運動で支えるのが連合だ。国鉄闘争全国運動を柱に大失業粉砕・反原発・国際連帯の大運動を発展させ労働組合の再生をかちとろう。
 福島原発事故を起こした日帝と電力資本の国家犯罪を徹底的に弾劾する。すべての原発の即時廃止をかちとろう。8・6―8・9ヒロシマ・ナガサキの闘いの地平に立ち、反戦・反核・反原発の世界規模の大運動を発展させよう。
 (宇和島洋)

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月刊『国際労働運動』(418号3-1)(2011/06/01)

(写真 東京電力本社を徹底糾弾するデモ隊。警視庁がこの直後に襲いかかり3人の学生を逮捕した【3月31日 千代田区】)

特集

■特集/全原発の廃止へ

怒りの総決起を

 はじめに

 東日本大震災――地震・津波災害と福島原発事故は、新自由主義の地方切り捨てと安全を無視・敵視した国家的核開発という重大な犯罪行為が生み出したものだ。この期に及んでも政府・保安院、東電は「原発の運営、政策に誤りはなかった」と言い、核政策をさらに強引に推進しようとしている。そして震災・原発事故を口実に大量解雇が拡大している。労働者・人民の生活と原発の存在は相いれない。
 本特集では第1章で、福島原発事故の実像を示し、新自由主義の野放図な安全破壊を明らかにする。
 第2章はアメリカの原爆開発と日本の「原子力平和利用」の名による核武装戦略の中で、放射能の害が過小評価されてきたことを示す。
 第3章は労働者階級を軸にした、全人民の団結によってのみ、原発事故の危機を最小限に抑え、新しい時代を切り開くことができることを明らかにする。

■第1章

 全原子炉崩壊の大事故 新自由主義こそ元凶だ

 @労働者、住民への被曝強制と非人間的な扱い

 福島第一原発の事故は、複数の原子炉の激烈な事故という史上最悪の事態になった。大量の放射性物質が放出されている。3月12〜15日の水素爆発のような外部から見える爆発的事態はしばらく起きていないが、1万dを超える汚染水の海洋放出など、重大なことが次々に行われている。
 最初に発表された放射性ヨウ素、セシウムに加えて、ストロンチウム、プルトニウムなど、重大な放射性物質の放出が次々に明らかになった。事態は予断を許さない。
 特に原発の近くの地域では、多くの住民が、行方不明になった家族を捜すにも、地域が放射能で汚染されてしまったために不可能な状態に置かれている。
 さらに数県にまたがる広範囲な地域での放射能汚染のために、労働者が大量解雇され、農民、漁民、自営業者の生活が破壊されている。
 しかし東京電力も政府、原子力安全・保安院も、「放射線は、直ちに人体に影響を与える量ではない」といった、ごまかしに終始している。事態を過小評価することによって、さらに被害を拡大しているのだ。

 屋内退避地域

 政府は、福島第一原発から20`〜30`の地域に屋内退避勧告をした。そのため、外部からの物資が届かなくなり、この地域の住民は、食料、ガソリンなど基礎的物資の不足で困窮した。だが、東電は、これほどの大事故を起こしておきながら、物資の搬入・配布など何一つやらない。金銭的な賠償さえない。政府も勧告しておきながら、何もやらない。ボランティアもこの地域に入らないように勧告されているから、基本的に救援ができていない。
 地域の住民は、残って生活することもできず、ガソリンや旅費もなく、避難生活も困難という状態に置かれている。
 また東電、東芝、関係大銀行はビル、保養所、寮・社宅、役員・元役員の豪邸、別荘など多数あるにもかかわらず、その被災者への提供さえ拒んだ(社会的に弾劾されてから東電が一部をしぶしぶ提供)。
 数百万、数千万の労働者、農民、漁民、自営業者が、今すぐ生活を保障されなければ、生きていけない状況にたたき込まれているのに、政府、与野党は「将来の賠償を東電の資産でできるかどうか」など口先の議論をしている。今や自力救済=i裁判所の命令によらず、占拠等で損害賠償を自力で獲得すること)が全人民の圧倒的支持で正当とされる時代が到来したのだ。
(写真 放射能汚染された牛乳を出荷できず捨てる福島県の酪農家)

 命がけで仕事している原発労働者を奴隷扱い

 事故現場では、労働者が大量被曝し、命を削りながら働いている。炉心の全面的な溶融、圧力容器・格納容器の全面的な破壊、爆発――桁違いの放射能汚染――を阻止するために必死になっている。本来なら、この労働者たちを心から尊敬し、尊重し、力を合わせて事故対策をしなければならないはずだ。
 だが東電、原子力安全・保安院、菅政権は、まったく逆の態度をとっている。原発労働者を報道から隔離し、事故の真実を隠蔽することに熱中し、労働者の命などどうでも良いという態度をとっているのだ。
 通常、原発の現場で働く労働者は、各人が線量計を着用して、放射線を浴びた量を計測する決まりになっているが、3月11日以後、放射線量が桁違いに増えているにもかかわらず、「線量計が足りないから」という理由で、各人の着用をやめた。こんなことが2週間以上も続いたのだ。そして、食事も、「1日2回。朝にビスケット30枚程度と小さな野菜ジュース1本、夜は非常用のレトルトご飯と缶詰1つ。当初は飲料水も限られ、1人当たり1日ペットボトル1本(1・5g)」(3月28日の保安院の記者会見)であり、寝る所も、「廊下やトイレの前で雑魚寝」という状態が2週間以上続いたのだ。この状態が暴露されてから、保安院は記者会見でこれを認めたのだ。翌日からは、1日3食になった。線量計も、事態が発覚してからたった1日で柏崎原発から運び、全員に行き渡らせることができた。
 東電や政府は原発労働者を何十年も奴隷のように使ってきた。だから3・11以後も、被曝しながら原発事故の進行を食い止めている労働者に虐待的な待遇をして平然としていたのだ。
(写真 水素爆発を起こした原子炉建屋の周囲で、高レベルの放射線を浴びながら作業を続ける労働者)

 次々に基準を書き換え

 3月15日、厚生労働省は、この事故の処理に携わっている作業員の累積被曝線量の限度を現行の100_シーベルトから250_シーベルトに引き上げた。一挙に2・5倍にするという激しい引き上げであるにもかかわらず、同省は、「この量で健康被害が出たという明らかな証拠はない」と言い、原発労働者や家族に謝罪の言葉もなく、一方的にこの措置を強行した。
 これに対して、多くの下請け業者が、「現場が納得しない」として従来の100_シーベルトの基準を続けることを明らかにした。東電と下請けの力関係の中で、今までだったら考えられない反乱が起きている。労働者の怒りが沸騰しているのだ。
 また、従来の一般人の許容線量基準について、年間1_シーベルトから年間20_シーベルトへの引き上げが行われた。放射能の影響を最も受けやすい子どもについても適用される。原発事故で汚染された現実に合わせて、基準を書き換えたわけだ。
 こうして被曝をさらに拡大し、また将来の発病に対する補償を「原発が原因という明らかな証拠はない」として拒否する準備をしているのだ。

 放射線防御を遅らせる犯罪

 3月12日〜15日、水素爆発や火災などの激しい破壊が何度も発生し、敷地内だけでなく、離れた場所でも放射線が観測された。
 これに対して枝野官房長官は、「直ちに人体に影響が出る値ではない」という発表を繰り返した。御用学者たちは「レントゲン検診、CTでも放射線を浴びている」といって、放射能放出の深刻さをごまかした。二重の意味で詐欺師の論法だ。
 第一に、医療用X線も有害だ。病院では「放射線管理区域」という看板を掲げ、立ち入りを厳重に管理している。
 第二に、CTでは、放射線は浴びても、放射性物質を体内に取り込むことはない。だが、原発事故で放射線が観測される所では、放射性ヨウ素、セシウムなどの微粒子が漂っている。それが肺などに付着し、長期にわたって放射線を人間の同じ細胞に照射し続ける。この内部被曝は、少量でも非常に危険だ。
 彼らは、原発政策を守るために、ニセの安心感を振りまいたのだ。「パニックを起こしてはならない」ということを口実にして、防御マスクの配布、放射性ヨウ素を体内に取り込むことを抑えるための安定ヨウ素剤の配布、近隣住民の避難のための的確な輸送手段の提供などはやらなかった。そして、マスコミは、福島第一、第二原発周辺の住民に対して、放射線計測を行っていることを一言も報道せず、映像も出さなかった。海外のマスコミが放射線防護服を着た職員が住民の被爆量を測定している画像を連日報道して何日もたって、国内でも隠し通せなくなってから、ようやく報道された。
 その間、住民は無防備な状態に置かれ、大量の放射線を浴び、放射性物質を体内に取り込む危険にさらされた。原発政策を守るために住民の健康、命を犠牲したのだ。
 3・11以後、何度も大規模な地震が起きている。4月7日の地震では六ケ所核施設、女川、東通原発などの電源・冷却システムが非常事態に突入した。にもかかわらず、菅は、4月12日にも、あらためて「運転中の原発を停止する考えはない」と断言した。
(写真 「放射線管理区域」の看板を掲げる、病院のレントゲン検査室)

 “原発政策に誤りはなかった”

 彼らには、遅くとも3月中旬には事故がチェルノブイリ並みの「レベル7」であることは分かっていた。だが、レベル7だと発表したのは、4月12日になってからだ。枝野は翌日、「3月末には、保安院からレベル7相当だという報告を受けていた」と認めている。
 保安院は、その12日の記者会見で、大事故になったのは従来の安全対策に間違いがあったからではないかと問われ、「間違いはなかった」と断言した。
 また東電の清水社長も、原発の運営に「誤りはなかった」と言っている。「迷惑をかけた」と抽象的な、あたかも謝罪をしているかのようなムードをただよわせつつ、自分たちは100%正しかったと居直っているのだ。
 日本経団連の米倉は、3月16日に、「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と発言したのに続き、4月11日にも、「東電は国の基準を守っている」「賠償について国の支援は当然(労働者人民の税金を使え!)」と言っている。
 福島原発をつくった東芝も、同じだ。東芝の佐々木則夫社長は14日、日本経済新聞などのインタビューで「2015年度に原子力事業の売上高を1兆円にする目標が遅れる可能性がある」と言いつつ、「原発の必要性は変わらない」として経営の柱とする戦略は変えないと言い切った。
 そして、このころから右翼マスコミは、東電、政府に対する批判に対して、一斉に「原発と放射能で『過激な嘘』がまかり通る」などという攻撃をエスカレートさせた。
 彼らには、ほんの少しでも「謝罪」とか「政策の変更」の余地はない。徹底的に居直り、むしろ被害者を攻撃することによって責任を回避し、原発政策を推進することしか考えていないのだ。

 A「想定外の巨大地震」のウソ

 彼らは、今後も原発政策を推進するために、あらゆるペテンを使っている。そのペテンの一つの軸が、「千年に一度の巨大地震であって、想定外だった」ということだ。
 しかし、こんなペテンは労働者人民の怒りの前に粉々に打ち砕かれるものだ。
 まず、マグニチュード9・0だから「想定外」というのは見え透いた嘘だ。
 同じ太平洋プレート沿いのチリで1960年にマグニチュード9・5という段違いの巨大地震がおきている〔マグニチュードが0・2大きくなると、地震のエネルギーは約2倍になる〕。その後、太平洋プレート沿いのアラスカ、カムチャツカなどでもマグニチュード9以上の地震が起きている。

 民家が壊れない地震で原発が壊れた

 そして、地震の影響をマグニチュードだけを基準にして言うのも見え透いたペテンだ。
 地元双葉町では、多くの民家が地震で壊れずに残っている。建物に大きな被害を及ぼしたのは津波だ。
 だが、「万全の地震対策」をしていたはずの福島第一原発も第二原発も、津波が来る前に、地震そのもので大きな損壊を受けている。
 3月11日、福島第一原発で働いていた労働者によると、地震発生とともに、激しく機器がぶつかり合い、パイプの継ぎ目などから大量の水が流れ出したという。
 原発の場合、少量の水漏れでも、危険な放射能が出るのだから重大事故だ。
 だが、今回は「大量の」水が流れ出した。燃料棒を浸している水がなくなり、冷却機能を失い、原子炉そのものの崩壊につながる超重大事態だ。
 「想定外」という言い訳など、絶対に通用しない。
(写真 「原子力明るい未来のエネルギー」の看板を掲げる双葉町)

 1993年の奥尻津波のほうが高かった

 こうした地震による損傷の後で、津波によって電源がすべて破壊され、燃料棒の冷却が不可能になり、さらに重大な事故に発展したのだ。
 この津波も「想定外」のはずがない。
 1993年の北海道南沖地震では奥尻島の西部で高さ30b以上の津波があった。
 福島原発を襲った津波は、その半分以下だ。
 以前から、裁判闘争でも福島原発が津波に弱いことが批判されていた。だが東電と裁判所が批判を敵視し、抹殺したのだ。津波の危険性をうっかり見逃したのではない。過失ではなく、故意犯罪だ。
 「想定外」を乱発する原発推進勢力の意図は次の発言にはっきり示されている。
原告――「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定していないのか?」
班目(被告側証人)――「想定しておりません」
 「非常用ディーゼルの破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ」
 「そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです」(2007年2月、浜岡原発運転差止訴訟での班目春樹東京大学教授〔原子力安全委員会現委員長〕)
 安全を考えたら原発は成り立たないから、安全を「割り切る」=切り捨てるということだ。

 B原発推進の国策が安全敵視を生み超巨大事故を起こした

 原子力以外の通常の工場などでも、資本は安全を絶えず切り捨てようとする。しかし、そうした通常の安全切り捨てと原発の安全切り捨ては、次元が違う。
 それが証明されたのが、今度の福島事故だ。
 通常の工場などでいかに安全を切り捨てても、100%の確率で事故になることはまずない。そんなことをしたら、資本家は利益を上げることができない。
 だが、福島第一原発では、稼働中の原発3基がすべて大事故を起こしている。100
%の事故なのだ。
 もともと原発は危険きわまりないものだが、それにしても全部が全部、大事故になるというのは、どこに原因があるのであろうか。
 それは、原発推進勢力が単に安全対策を怠っているだけではなく、他の資本とは比べ物にならないくらい安全対策を嫌い、敵視しているからだ。そして原発は国策だから、国家をあげて推進キャンペーンが行われ、全社会的に原発反対派への攻撃が行われてきたからだ。
 原発建設に対しては、必ず地元で反対運動が起きる。これを国家権力が弾圧し、マスコミなどでの攻撃が行われる。そして電力会社は、元警察官を大量に雇い入れて「住民運動対策」の専門部署をつくった。ヤクザを使った住民への暴力的な脅しを行うためにも、こうした元警察官は大きな役割を果たしている。
 そして、電力会社や原発メーカーは大学に巨額の寄付金を出し、教授たちを買収している。原発の安全問題を提起する学者は、大学内で徹底的に排斥される環境をつくった。
 マスコミでも電力会社や原発メーカーが、巨額の広告費を払い、原発批判の声を封じこめてきた。多くの文化人、タレントが買収され、「原発=安全、クリーン」の宣伝を行っている。
 3・11後、テレビでACのCMが洪水のように流されたが、ACの理事会にも各電力会社や原発メーカーが勢ぞろいしている。ACと密接な関係がある日本広報学会の会長は東電の清水社長その人だ。
 こうして、全社会的に原発批判を包囲し、総攻撃する態勢がつくられたのだ。
 原発の安全問題を少しでも提起する者に対する攻撃は内部にも向けられる。原発を推進してきた研究者や技術者であっても、まともな安全対策を提言したら排斥される。たとえば、東芝の原子炉格納容器設計者だった後藤政志氏は退職後、原発の安全問題についてのさまざまな提起をしてきたが、圧力が大きいために、3・11前までは実名を出すことができなかった。

 大恐慌、エネルギー巡る争闘戦

 特に、めちゃくちゃにたががはずれた安全攻撃が行われるようになったのは、民主党政権の2010年6月の「新成長戦略」が発表されてからだ。
 民主党政権の「新成長戦略」は原発輸出を最大の柱にすえている。それは、東芝、日立などの原発メーカーと東電などの原発運営者が連携し、また官民連携して原発輸出に取り組むということを打ち出している。菅を始め、政権中枢が自ら、原発商談のためベトナムなどを訪問し、必死になって走り回ってきた。
 その理由は、07年サブプライムローン崩壊、08年リーマンショックで歴史上かつてない規模の世界大恐慌に突入したからだ。資本主義がもう回復しようがない最終的危機に陥ったからだ。
 大恐慌時代とは世界戦争が迫っていることを意味する。日本帝国主義は、核武装政策の強行を狙っている。核武装のために原発が作られたことについては第2章で述べるので、ここでは別の角度から、大恐慌と原発の関係を見てみよう。
 大恐慌の時代には、平時とは比べ物にならないくらいに帝国主義間の資源争奪戦が激化する。また、全世界で労働者階級の闘いが高まる。
 各国帝国主義は、資源を独占しようとする。帝国主義に収奪されてきた資源輸出国も、労働者人民の闘いに押されて、輸出価格の値上げを迫る。
 だから、帝国主義は、争闘戦で有利なポジションを確保するために、輸入が長期間ストップしても耐えられる備蓄量を確保しようと必死になるのだ。
 特に現在は、エジプトの労働者階級が革命で米帝の中東支配を崩壊のふちにたたきこんでいる。日本帝国主義は必死なのだ。
 それは、世界の他の諸国にとっても重大な危機であり、それぞれが資源・エネルギー争闘戦での有利なポジションを確保するために備蓄を持ちたがる。

 C“巨大な電池”=原発

 原発は、推進派の宣伝とは逆で、非常にコストがかかる。政府補助金がなければとうていペイしない。
 @ウランを濃縮し、原発の燃料にするためには莫大なエネルギーが必要。
 A火力発電は一般的なものでも熱効率が50%程度(さらに効率を上げることも可能)だが、原発の熱効率は30%程度で、残りの熱は捨てられる。
 B原発は運転と停止を柔軟に行えない。一度動かすと、夜間などの需要が少ない時も動かし続ける。
 C原発自体の建設費も他の発電所に比べて桁違いに高い。
 D何よりも問題なのは、使用済み燃料の処理だ。巨大な熱と放射線を出し続けるから、放射線から防御しつつ、電力を使って冷やし続けなければならない。冷却のためだけでも、莫大な電力を必要とする。
 このように純経済的には原発は採算が取れない。
 だが原発は、発電効率は悪いが「巨大な電池」になる。石油と比べてウラン燃料は百万倍のエネルギーを持っている。石油が自由に入手できる時に、石油を使ってウラン燃料を製造し、それを備蓄すれば、単純な石油備蓄よりはるかに多くのエネルギーを備蓄できる。
 70年代初頭、日帝の沖縄「返還」過程から当時の中曽根康弘通産大臣を先頭に石油備蓄基地建設を強行した。その政策を桁違いの規模で進めるのが原発なのだ。

 D国際連帯こそが解決

 原発は、争闘戦と戦争の道具だ。原発をもってエネルギー獲得競争、安価に買いたたく競争に有利なポジションをつくるということは、結局、際限なく相互の競争を激化させる。エネルギー備蓄は受け身の非常時対策ではなく、むしろ侵略戦争の準備なのだ。したがって、原発との闘いは争闘戦・戦争をなくす闘いと不可分一体だ。
 われわれは、労働者階級人民が全世界の国際連帯を形成し、自分たち自身の手で世界を運営する未来にこそ確信をもっている。現に3・11以後、世界各国の労働組合、反核団体から救援のカンパや連帯のメッセージが届けられている。国際連帯の新たな世界がすでに始まっているのだ。

 E新自由主義イデオロギーの破産

 原発は、1950年代から、中曽根康弘(後の80年代の国鉄分割・民営化時の首相)らによって推進されてきたが、特に、日帝が自分の得意分野として推進しだしたのは、1979年のスリーマイル島事故、86年のチェルノブイリ事故で他国が原発の積極推進を止めた時からだ。
 日本の原発産業は、海外の原発関連企業を買収するなどして、急速に拡大した。
 そして、07年、08年の世界大恐慌への突入以後、原発産業を日帝の経済戦略の中軸に押し上げていったのだ。
 その頂点が、現在の民主党政権の政策だ。2010年は、全マスコミをあげて「原発推進」の大キャンペーンが連日のように行われた。朝日は特集記事まで組んでいる。
 決定的なことは連合が執行委員会で決議を上げ、公式に原発推進を声明したことだ。
 原発産業の中の三つの組合――電力総連、電気連合、基幹労連(旧造船重機、鉄鋼労連など)――は、もともと第二組合(組合破壊のために経営側がつくらせた組合)としてつくられた右派組合だ。この三つは、74年に「三労連原子力問題研究会議」を結成し、原発推進の基軸労組になってきた。この三労組は、資本・国家権力と労働者階級全体の闘いの天王山だった、80年代の国鉄分割・民営化攻撃を労働組合の名で推進したのは、国鉄内部では動労本部(後のJR総連)であり、全労働運動的にはこの三労組を始めとする右派組合だった。そして直後に総評が解体され、連合が結成された時、その軸になったのも彼らだった。
 これに対して、後に連合に合流した自治労、日教組は、職場で闘う伝統を持った組合だ。確かに、本部指導部は国鉄分割・民営化に対して何の闘いもせず、嵐が通り過ぎるのを待つという姿勢だったが、多くの現場組合員は、国鉄労働者の闘いを支援した。そして、分割・民営化後も、国鉄の1047名の解雇撤回闘争を支援し続けたのだ。
 そして、長い間、原発反対闘争を多くの自治労、日教組の組合員が担ってきた。だから、ごく最近まで、両労組は、「原発推進」と公然と言うことはできなかったのだ。
 しかし、09年に民主党政権が誕生し、政権中枢に連合幹部が入っていくと、事態は急変しだした。電気連合出身の平野が鳩山内閣の官房長官になったばかりではなく、日教組出身の輿石も参議院議員会長として、政権中枢に入った。また、遅くとも96年からJR総連の献金と組織的支援を受け癒着してきた枝野らが、JR総連カクマルの田城郁を民主党比例区に入れて当選させる策動が進み、凶暴な原発推進勢力が一挙に民主党内・労働運動内に進出した。こうした中で、自治労・日教組は「民主党政権を支えるため」という口実で次々に従来の政策を捨てることを組合員に強制するようになっていった。
 そして、この大転換の軸が、2010年4月9日の1047名解雇撤回闘争放棄の政治和解(「和解」の名の下での一方的・全面的な労働組合の権利放棄)に応じることを彼らが強制したことだ。
 そしてついに、8月19日には、自治労本部、日教組本部が賛成して、連合の原発推進決議が上げられたのだ。こうして、原発の建設推進と輸出を「官民一体」「労使一体」で推進することが公言されるようになったのだ。
(写真 「原発売り込み」を宣伝する朝日新聞)

 “輸出競争で負けるな! 稼働率を上げろ!”

 「新成長戦略」の原発輸出路線は原発建設の量的拡大にとどまらない。原発の運営もがらりと変わった。
 原発輸出で韓国やフランスに負けないようにするには、原発が効率的なエネルギー源であることを海外にアピールしなければならない。そのために、国内の原発の運転効率を上げなければならないという大宣伝が行われた。前記の朝日の特集もその一環だった。
 今年2月15日の日本原子力産業協会の記者発表は、その意図を露骨に示している。
 「我が国の稼働率の低迷は、国家成長戦略の柱として国を挙げて取り組み中の原子力の海外展開に際しても、他国との競争に悪影響を与えている」
 「稼働率が低迷しているのは我が国特有の事情にも原因があると考えざるを得ない」
 「より合理的な安全規制への転換」
 ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの経験を持つ日本の労働者人民の反核・反原発闘争をつぶせというのだ。規制緩和・定期点検カットで、原発稼働率を上げろということだ。
 すでに、この文書が出る前の09年に原子力安全・保安院は、新検査制度を導入し、運転期間の延長を可能にしている。これまで13カ月以内ごとだった定期検査の間隔を見直し、24カ月以内まで延ばせるようにした。
 これは運転期間の延長にとどまらず点検の内容の削減への青信号となった。3・11事故の直前、3月1日の報道で発覚した福島原発の機器点検もれ件数だけでも33件に達していた。この野放図な検査・修繕の切り捨ての中で福島第一原発の原子炉が崩壊するという事態が発生したのだ。
 今、この事故を引き起こした新自由主義への怒り、東電、経済産業省・保安院、御用学者たちへの怒りが沸騰している。震災・原発事故解雇との労働者の闘いを軸に農民、漁民、自営業者、住民の数千万人の生きるための闘いで資本、国家権力とその手先を打倒しよう。
(写真 「原発稼働率向上」叫ぶ原子力産業協会の11年2月15日記者発表)

■第2章

 原発は全人民に敵対する 帝国主義の延命のための核技術

 @超巨大技術と巨大財閥の支配

 核技術は、最初から帝国主義の延命のための戦略的な技術として開発された。
 1930年代、化学物質や生物の調査研究のために放射性同位元素(ラジオアイソトープ)が広範に使われるようになった。その軸になったのが、カリフォルニア大学バークレー校に建設されたサイクロトロンだった。サイクロトロンは、電荷を帯びた粒子(イオン)を加速するための装置で、原子力の研究や応用に使われるものだ。
 サイクロトロンは、巨大な装置だ。そして、サイクロトロンの運用のためには、巨大な電力を必要とする。従来の科学研究とは比べ物にならない莫大な資金が必要なのだ。
 その資金を出したのが、アメリカ帝国主義の中軸中の中軸である巨大財閥――デュポン財閥、ロックフェラー財閥――だった。
 カリフォルニア大学は公立だが、そこの研究所を丸ごと巨大独占資本が買収し、支配していったということだ。
 そして、1938年にウランの核分裂が発見され、1941〜42年以後、原子力の軍事利用研究が英、米、独、日本、ソ連などで開始されていった。

 A原爆開発推進のためのマンハッタン計画

 現在、福島原発の放射性物質の影響が「直ちに人体に影響がない」という宣伝がされている。だが、その「根拠」とされている放射線の人体への影響の研究は、もともと、原爆開発推進のため≠ノ行われたものであり、放射線被害の最小化≠フためのものではない。

 放射線の人体への影響の研究

 マンハッタン計画は、第2次大戦中、原爆を開発するために、カリフォルニア大学バークレー校のロスアラモス国立研究所を中心にして行われたプロジェクトである。
 原爆の研究、製造の過程では、激しく放射線を出し続ける放射性物質が膨大にたまる。これは人体にとって極めて大きな脅威であり、これをコントロールできなければ、大量の労働者を使ってプルトニウム大量生産を行うことは困難だった。
 原爆製造へ向けて、プルトニウム生産技術の開発を目的として、1942年2月、シカゴ大学「冶金研究所」が発足し、核分裂反応の研究が進められ、同時に放射線被曝・保健の研究がシカゴ大学で行われることになった。カリフォルニア大学から呼ばれた、ロバート・ストーンらが中心になった。科学者たちが最初に考えたのは、放射性物質と労働者との間に遮蔽壁・防護壁を設定し、その厚さによって放射線量を減らし、労働者の被曝を、人間が「耐えられる」量以下にしようということだった。
 しかし、このやり方は原子力施設の設計を複雑にし、建設コストを極めて高いものにすることが明らかとなった。そのため、個々人の被曝量を計測する方式に転換した。作業従事者、労働者は2個のポケット線量計とフィルムバッジを身につけ、作業が終えたのち、これらを計測し、過剰な被曝を受けていないことを検査する。本来は1個でもオーバーしていれば、過剰被曝のはずが、2個ともオーバーしていなければ良いとされた。だから「過剰被曝」の大部分は無視されたのだ。しかも、この非常に甘いチェック方式自体、厳密に守られなかったのだ。
 要するに、マンハッタン計画の被曝管理は、原爆の早期開発、原子力施設の建設と経済性が追求され、高線量被曝とその犠牲を労働者に強制したものだ。したがって、労働者が被曝による急性症状で倒れなければ良いというレベルが基準なのであり、労働者に後からどんな被曝症状が出ようと、どうでも良いということなのだ。そして、その急性症状から労働者を守るということさえ、いい加減だったということだ。さらに、これが軍事技術であったために、危険性は「軍事機密」の壁で隠蔽されたのだ。
 マンハッタン計画では、放射線作業環境の検査、その空間線量のモニタリングが導入された。

 作業区域及び環境のモニタリング

 これは、放射性物質の封じ込めと遠隔操作法の採用を例外的な個所を除いて放棄し、放射能汚染を前提として、放射線作業を労働者に行わせるために導入されたシステムだった。この計画のもとに設置されたハンフォードのプルトニウム製造施設から漏れ出た放射性の廃液は一部は貯蔵タンクにためられたが、大部分は河川に放出された。これはコロンビア河の汚染として有名である。放射性の廃ガスも排気塔を通じて大気中に排出された。
 環境中の放射能のモニタリングも導入された。放射性濃度を低くして放出するために気象学の観測データが使われ、風が低人口密度地帯に吹いている時に放射性ガスの放出が行われた。
 環境モニタリングは放射能による環境汚染、周辺住民の放射能被曝を防ぐために行われるのではなく、現実的には環境への放射能垂れ流しシステムとして機能し、それによって核施設の経済的、連続的運転が可能になった。
 核開発は動員された労働者、技術者、周辺住民、またウラン鉱採掘場の労働に従事した先住民労働者らを被曝させ、犠牲にした。このシステムは、現在でもまったく同じなのだ。

 放射線照射人体実験

 カリフォルニア大学医学部付属病院では患者に高線量のX線全身照射が行われ、血液への影響が調べられた。動物実験ではなく、人体実験をするという残虐行為が行われたのだ。これらの実験のデータは、X線から患者を守るためではなく、逆にX線照射の被害を過小評価するために使われたのだ。
 さらに、アメリカ帝国主義は、人体にプルトニウムを注射する実験、原爆実験をした直後に爆心地に兵士を行進させ、その人体への影響を調べる実験など、すさまじい人体実験を繰り返している。
(写真 兵士を使った放射能の人体への影響調査するため)

 致死線量、半致死線量、

 死亡ゼロ線量
 原爆の実戦使用に向けて、放射線の致死的効果を予測するために、急性放射性障害による致死線量、半致死線量、死亡率ゼロとなる「しきい値」〔注1〕を求める研究に力が入れられた。これらの研究を担ったのは保健部の生物学研究部門、後にABCC〔注2〕指導部となるメンバーだった。
〔注1〕「しきい値――その値以下ならば、人体の被害がゼロになるという値。
 例えば、谷川の水の場合。大雨で増水した谷川に入れば、溺死する危険が高い。しかし、大雨がない深さ十数aの谷川では、溺れて死ぬ危険はゼロだ。その谷川に1000回入っても、1万回入っても同じことだ。谷川では、危険性がゼロだという水の深さが存在する。こういう場合、「しきい値」を設定することができる。
 ところが、戦争で銃弾が飛んでくる地域を考えてみよう。銃弾が1分間に1平方b当たり100発飛んでくる所に1分間立っていたら、人間は確実に死ぬ。1
00分間に1発飛んでくる所に1分間立つことは、危険度は確かに低くなるが、ゼロにはならない。場合によっては死亡する。それを100回繰り返したら、1分間に1発銃弾が飛んでくる所に立ったのと同じ確率で負傷・死亡する危険がある。銃弾の場合には、「しきい値」は設定できない。大部分の化学物質の場合、「しきい値」の設定が可能だが、放射線では不可能。
〔注2〕ABCC(原爆傷害調査委員会)――広島への原爆投下後にアメリカが設置した。被爆者の治療をしたり、その治療に役立てる研究をするのではく、原爆の軍事的効果を調査するために被爆者を利用し、再度の苦しみを与えた機関。1975年、日米共同出資の放射線影響研究所に改組されたが、性格は変わっていない。

 原爆投下後、脱毛と紫斑のみが急性症と断定され、この仮定の上に立って、致死線量700R(レントゲン、1レントゲンは10_シーベルト)、半致死線量400R、死亡率ゼロの「しきい値」線量100Rの死亡曲線が導き出された。原爆の放射線による影響を極端に過小評価することにより、こうしたデータが導き出され、米原子力委員会の原爆の効果公式報告とされ、その後の原子力政策の基礎に据えられた。
 ところがその後、ハンフォード原子力施設の労働者を対象に調査が行われ、多数の労働者がガン・白血病で死亡していることが明らかになった。
 マンハッタン計画の核兵器製造所施設で働いていた労働者の間に、多数の放射線被曝の犠牲者が出ていることが明らかになった。たとえば、オークリッジ国立研究所で1943年から1977年の間にガンマ線に被曝した8375人の白人男子労働者の場合、白血病が一般の49%も過剰に発生しており、その発生率は被ばく線量とともに増加していることが判明した。

 B日本の被曝管理の基準と核の「平和利用」

 1953年12月のアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」宣言は、「平和」の名称とは正反対のものであり、米帝の核兵器の独占政策を補完する核政策であった。
 原発の稼働によって生ずる放射能物質の管理は、マンハッタン計画でつくられた枠組みを踏襲するもので、放射能被曝のリスクを過小評価する基準に基づいて行われた。
 1954年3月1日の米軍のビキニ水爆実験によって延べ1000隻の漁船が被曝し、1万人を超える漁師の被曝、放射能汚染の恐怖が日本列島を覆い、世界を覆った。米帝の核政策に対する労働者人民の怒りが吹き荒れる中、それに恐怖した米帝と日本帝国主義は、「平和利用」のペテンでそれを乗り切ろうとしたのだ。そして、「平和利用」の名で偽装して、核武装を推進しようとしたのだ。
 この時、原発導入を主導したのは、中曽根康弘(後の国鉄分割・民営化の時の首相)、岸信介(60年安保時の首相)、正力松太郎(読売新聞、日本テレビ)だった。彼らの主要な意図が日本の核武装であったことは、今日議論の余地のないところだ。
 そして、日本の金融独占資本、三菱、三井、住友などが、それに飛びついた。これらの金融独占資本は、かつて軍需産業で莫大な利益を上げてきたが、敗戦後は公然と軍需産業を復活させることができずにいた。「原子力の平和利用」は、彼らにとって、軍需産業を偽装して復活させるための渡りに船だったのだ。
 日本共産党に主導されたいわゆる「進歩的科学者」グループは、「原子力3法」などを成立させ、軍事利用への歯止めをかけるように見せたが、実質は日本帝国主義の核武装と原発政策の「いちじくの葉」を提供したにすぎない。
 日本の「進歩的科学者」、日本共産党、そして日本社会党は、根本的には原子力利用を「科学の進歩」として歓迎し、促進する立場だ。原子力は人類と相いれない≠ニいう立場とは正反対なのだ。「原子力の平和利用は可能だ」「原子力を安全に管理すればよい」という立場だ。
 彼らの根本問題は、超巨大な資金、超巨大な装置、超巨大なエネルギーを基軸にして物事を考え、それを社会の進歩だとしていることだ。
 彼らにとって、労働者は基軸ではない。だから、原発政策と放射線管理問題、労働者被曝問題をも焦点化することなく、ビキニ水爆実験被災者の血の叫びの圧殺に加担し、日米帝国主義の核政策、日本への原発導入に加担したのだ。
 このようにして、日本帝国主義の原発政策には、米帝の決めた基準、つまりマンハッタン計画の中でつくられた基準が導入されることになる。

 C福島原発・放射線被曝に対する民主党・連合政権の対応

 津波対策

 東電のホームページでは、次のように、地震、津波には万全の措置を取っていることを強調している。
 「原子力発電所の建物や機器・配管などは、歴史上の地震や活断層の詳細な調査結果に基づき、周辺地域でこれ以上の規模では起こり得ないような大きな地震や直下型地震を想定し、設計しています」
 「原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています」
 しかし、東電が実際に行ったことは津波対策として5・4bの堤防を用意したのみである、ところが14bの高さの津波が福島原発敷地を襲い、原発運転の命綱ともいえる電源システムをすべて破壊し、海水の取水、放水口も破壊され、冷却システムが完全に破壊されたのである。想定される最悪のシナリオ「メルトダウン」は「想定外の」巨大津波によって現実となったのである。

 東電、日帝の地震対策

  東電、日帝は地震対策についてどのようなことをやってきたか? 日本列島は周辺に四つの岩盤(プレート)がせめぎあい、それによってため込まれたエネルギーが周期的に地震として放出されて、その痕跡が活断層として残され、日本列島は地震と活断層の巣窟の上に位置している。原発はそれ自体としても、極めて危険な施設だ。地震とそれに伴って発生する津波の脅威にさらされている日本列島の海岸線にそれを建設するということはけっして許されることではない。
 原発事故は労働者、周辺住民の命と生活を破壊し、けっして起こさせてはならないことだ。しかし、東電そしてそれを国策として推進する日本政府・日本帝国主義は原発事故のつけは労働者民衆に押しつければよい、と考えてきたということである。最も事故になりやすい高速炉「もんじゅ」、若狭湾にひしめく14基の原発群、すでに地震による事故を引き起こした柏崎原発、これから直下型の東海地震によって破壊される可能性が最も高い浜岡原発、伊方原発、六ヶ所核燃料再処理場はすべて活断層の上に建設されている。
(図 大地震の想定震源域と活断層の真上に集中する日本の原発)

 御用学者の役割

 電力会社及び政府、日帝はこの事実を隠蔽し、建設を強行するために、御用学者を動員し、学問的にもあることが実証されている活断層がないと主張してきた。「権威ある」大学の教授になるためには御用学者となることが必要条件なようだ。
 放射能被曝についても、御用学者の果たしている役割は重い。日本では原発は安全であり、そこから漏れ出る放射能被曝は取るに足らないとされている。日本原子力学会という学術組織があり、大学では原発が安全に運転できることを前提に専門学科が開設され、専門教育が行われている。原発はその運転を担う労働者が被曝を強制され、周辺の住民に犠牲を強制する。これも、多くのデータが実証している。

 D無視される内部被曝

 そもそも、広島・長崎の放射能被害報告には内部被曝問題が一切無視されている。被曝実態を明らかにするためには内部被曝問題は決定的に重要である。広島・長崎の被爆者の認定、補償にかかわるこの問題について政府は認めてこなかった。また、劣化ウラン弾の使用について、内部被曝問題は米政府は一貫して否定し、ウランの放射線は極めて微量で健康の害を発生させないというのが公式の立場である。この見解はWHOもとっている。日本政府もとっているので、原子力の「権威ある」専門家もこれに同調し、この事実を認めない。
 したがって今回の事故による放射能・放射線被曝についても、内部被曝については言及せず、放射線被曝線量はレントゲン検査1回分の被曝以下であるなどと言ってことさらにごまかしている。言うまでもなく、レントゲン検査の被曝は外部から一瞬の被曝である。内部被曝は放射能物質が体内に存在する限り密着して被曝するのでそのダメージは極めて大きくなる。また、レントゲン検査の被曝もけっして無害ではなく、これによって白血病や、がんがひき起こされることが今日実証されている。特に妊婦がX線を浴びることは極めて危険である。レントゲン技師に白血病が多発し、一時は職業病の感があった。すでに社会的に認知されている放射線被曝障害について、政府、電力会社、原発メーカーが依然として認めず、御用学者を抱え込んで、デマゴギーを垂れ流してきたのである。今回の事故の解説委員としてマスコミに登場する「権威」はすべてこのたぐいである。

 E核と人間は共存できない

 福島原発の激烈な事故を見てもまだ、「もっと安全に管理すれば、原発は有用だ」と言う人がいる。だが、そもそも原発を安全に管理することは不可能だ。それは、次の三つの点を根本から考えてみれば当然のことだ。

 @放射能と生物の根本的異質性

 人間は生物だ。生物は、化学反応のエネルギーを使って生きている。
 これに対して、原発は核反応を使う。核反応は、化学反応の100万倍のエネルギーを持っている。あまりにも、差がありすぎるのだ。
 しかも、原発は、燃料のウランの採掘、精製から原発の運転、点検、修理、そして使用済み核燃料の処分まで、すべて放射線を出す。
 生物は、放射線に対する防御手段をもっていない。

 A核分裂の制御は不可能

 原発は核分裂反応を利用する点で、原理は原爆と同じである。核分裂の連鎖反応を一挙に引き起こさせるのが原爆であり、逆に連鎖反応が急激に進まないよう微妙に「コントロール」しながら持続させていくのが原発である。だがそれが非常に不安定で危険なものとなることは自明だ。
 さらに重大なことは、原発には「安定停止」が存在しないことだ。
 原発は運転停止しても、ウランの核分裂の連鎖反応が止まるだけだ。それより一桁低いとはいえ、石油と比べ1万倍〜10万倍の熱が出る。
 人類は、「原理的に停止不可能」なものを扱うことなどできないのだ。
 一人の人間が責任を持てるのは、せいぜい数十年だ。核廃棄物のような半永久的な管理が必要な危険物は人間は作り出してはならない。

 B原発労働は被曝不可避

 原発は重大事故が起きていない時でも、常に放射線、放射性物質を出し続ける。
 だから、原発は労働者を被曝させなければ一日たりとも動かない。労働者を白血病などの病に追いやり、死に至らせることで動いているのだ。
 特に深刻なのは、原子炉などの検査や補修をする定検だ。1日千人もの労働者を動員する。作業は、原子炉内外での放射性物質の除去、原子炉直下での配管やバルブの点検・交換など多種多様にわたる。放射性物質や高いレベルの放射線にさらされる極めて危険な作業となる。
 このように、あらゆる意味で、人間は核技術を扱うことはできないのだ。

 核技術を「最高の科学」と賛美する日本共産党

 以上のように、原発は根本的に人類と相いれない。この認識こそが真に科学的な立場だ。だが、現代社会には、そうした「科学」を正反対にねじ曲げるイデオロギーが蔓延している。
 それをあおっているのが日本共産党だ。日共は現在、あたかも原発政策を批判するかのような言葉を使っているが、実際には、原発の即時停止を「無責任だ」といって攻撃している。実際は、原発必要論なのだ。
 日本は60年代から「無尽蔵の夢のエネルギー」「地上の太陽」と言って、核融合研究に莫大な予算をつけてきた。他のことには、「予算のむだ使い」という日共が、これには全面的に容認している。
 こんな非科学的なことはない。太陽は天文学的な距離で離れているから有難いのであって、それが地上にあったら人間は生きていけない。また、太陽は巨大な質量で水素を圧縮しているから核融合が可能なのであって、「科学者」たちが唱えている、容器の中での核融合などとはまったく異なるものだ。われわれはこうした日共のような物神崇拝を粉砕し、人間自身を復権しなければならない。
 原発労働者の奴隷状態に怒り、その解決のためにともに決起する立場に立ってこそ、原発の「科学」の装いをとった非科学性も把握できる。そして、労働者階級自己解放の闘いに決起することによってこそ、農民、漁民を含む全人類の未来を守り、発展させることができるのだ。

■第3章

 全人民的な大運動を 階級的労働運動をつくろう

 @今こそ全原発を廃止しよう

 団結して危機と対決する労働者人民

 地震の後の津波と原発事故という人災に対して、日帝は治安維持のためにのみ自衛隊を派遣した。自衛隊は当初救援活動を行うのではなく、自衛隊の治安活動を容易にするための道路の封鎖と救援に向かう一般車両の通行阻止、情報収集、政府調査団の輸送、原発事故への対応などの治安任務に重点を置いた。日帝は、津波と原発事故という人災を許した政府と資本家に対する労働者人民の怒りの爆発を恐れ、自治体の機能停止による統治体制の崩壊という危機的空白を埋めるために10万人の自衛隊を派遣したのだ。被災した労働者人民を救援するという任務は副次的任務でしかなかった。
 他方、自治体の救援活動も、各自治体の諸機関が新自由主義政策の下での人員削減と財政破綻で衰弱していた上に、地震と津波で被害を受けていたために、ほとんど行われることはなかった。
 こうした中で、労働者人民は急速に相互の団結を固め、自主的な救援活動を組織していった。各地域の自治会や、学校の教師、医療労働者、自治体労働者などを軸に、青年・学生、高校生などが続々と自主的に救援活動を組織し始めた。相互扶助活動や、炊き出し、医療活動、必要物資の調達などが、労働者人民自身の手で活発に組織され始めた。それは新自由主義の下で破壊されていた個々の労働者人民の間の共同性を回復する闘いとして開始された。
 自衛隊が遅まきながら救援活動を開始したのは、このような労働者人民の自主的な団結と相互扶助活動の拡大を封じこめるためであった。
 日帝・支配階級は、大災害の際に、労働者人民が巨大な規模で団結し、災害で崩壊的危機に陥った旧来の抑圧的な支配体制に、労働者人民の要求を突きつけて闘ってきた歴史が繰り返されるのを恐怖した。
 労働者人民は自分たちを悲惨な現実にたたき込んだ津波や原発事故が、労働者人民に犠牲を集中しつつ資本家の階級的利害を強引に追求してきた結果起きたことを今や完全に理解し、激しい怒りを爆発させている。
 日帝はこの怒りが、大災害の中での労働者人民の団結と共同性の回復によって増幅され、巨大な体制変革運動に転化することを激しく恐怖したのだ。

 労働組合を軸とする救援活動と原発廃止の闘い

 政府、自衛隊、自治体が大震災に対応不能になる中で、労組交流センターに結集する労働組合を始めとして、新自由主義攻撃と対決して闘う労働組合が中心となって被災者の救援活動を精力的に開始した。被災者に必要な物資の供給などの活動は、多くの被災者を励ましている。この活動に多くの労働者や学生が参加し、この悲惨な大災害をもたらしたのはいったい誰であるかを明らかにし、被災地の労働者人民の怒りを新自由主義打倒の闘いに組織する役割を果たしている。
 したがってこの闘いは、原発建設を推進してきた資本家や体制内労組指導部と全面的に対決して、原発を全廃する大運動をつくり出すとともに、新自由主義と全面的に対決する新たな戦闘的労働組合のネットワークをつくり出す歴史的突破口を切り開く闘いだ。
 それは被災者の支援をつうじた各地の労働組合の連携の強化によって、津波被害と原発事故という人災を引き起こした政府・資本家、そしてそれに協力した体制内労組指導部と対決し、それらを打倒する闘いだ。それはまた、全国の原発廃止の闘いを被災地の階級的労働運動勢力が牽引することによって、巨大な全国的規模の階級的労働運動をつくり出す闘いだ。

 原発に固執する日帝

 今や政府や資本家がこの大災害を引き起こした原因を除去できないのは明らかだ。彼らは、この期に及んでも原発推進政策を放棄していない。日帝は、今回の原発大事故にもかかわらず、核兵器開発政策と原発依存のエネルギー政策を変更しようとはしていない。大恐慌情勢下での帝国主義間争闘戦の激化と世界戦争情勢の成熟の中で、日帝は核武装戦略をけっして放棄しようとはしない。また中東革命の発展と、帝国主義諸国間の石油資源争奪戦の激化を前にして、石油資源の長期的確保の展望を失っている日帝は、帝国主義としての生き残りをかけて原発政策を放棄することはできない。

 震災解雇許すな

 日帝は大恐慌時代の真っただ中における大震災、原発事故の影響による日本経済の決定的な衰退と財政破産という未曽有の危機を、原発政策の維持と大失業攻撃、非正規化攻撃の極限的強化によって暴力的に乗り切ろうとしている。それは日帝の帝国主義としての延命をかけた極めて激しいものとなるであろう。
 われわれはこれに対して、反原発闘争を全人民的規模で爆発させるとともに、復興を口実とした大規模な震災解雇を絶対許さない反撃の闘いを日帝ブルジョアジーに全力でたたきつけよう。

 A体制内派・日共・カクマルの敵対許すな

 日帝の危機のりきり策に対する労働者人民の根底的決起は不可避だ。3・11以降、全国の労働者人民の反核意識は急激に高まっている。また原発事故と放射能汚染による工業、農業、漁業の破局的危機を乗り切るための、日帝の大失業攻撃やTPP(環太平洋パートナーシップ)政策への突進を予感し、激しい怒りを燃やしている。この怒りの高まりを原発廃止の闘いへと組織し、大失業攻撃やTPP政策に反撃する拠点は、階級的労働運動勢力以外にない。
 連合などの体制内労組は、これまで積極的に原発推進政策を展開してきたが、原発事故後も、政府による挙国一致の危機乗り切り政策に全面的に協力し、労働者人民の怒りを組織することに全面的に敵対している。東電への抗議闘争も放棄し、メーデーも放棄して、政府や資本家に対する労働者人民の闘いを解体しようとする勢力に対して激しい怒りを燃やそう。
 国鉄分割・民営化に賛成し、原発推進政策をとってきた動労本部―JR総連カクマルも連合と同罪である。JR総連カクマルは、民主党政権が新成長戦略の中で、水道や原発や新幹線をアジアや他の諸国に輸出しようとしていることにつけ込み、自分たちが役に立つ存在であると売り込んできた。
 日本共産党は、「戦後未曽有の災害からの復興に、国の総力をあげてとりくむ」(3月31日の共産党委員長・志位和夫の『被災者支援・復興、原子力エネルギー政策の転換を』という提言。以下の引用も同提言から)として復興財源についての提案などを行っている。大企業が「使い道がなくて困っている」手元資金を放出させ、「日本経済が打撃から立ち直って発展をとげる」手段とするとしている。この大災害を引き起こした資本家どもを打倒するのではなく、資本家からの協力と引き換えに、日本の資本主義経済の延命と再建をともに実現しようというのだ!
 また原発政策については、「安全最優先の原子力行政への転換を」「強力な権限と体制をもった原子力の規制機関を確立することを強く求める」と述べて、安全が確保されれば原発も容認する立場に立っているのである。
 その上で「自然エネルギー、低エネルギー社会への戦略的転換を」とペテン的に付け加えているが、それは原発の即時廃止を否定し、原発依存からの転換を徐々に実現すると主張するものでしかない。かつて旧ソ連や中国の核実験を賛美し、「核の平和利用」を叫んで原発を全面的に容認した日共が、何の自己批判もなく、「原発依存からの転換」などとペテン的に言い出していることを絶対に許してはならない。

 B巨大な反原発戦線の構築を

 こうした現実を前にして、われわれこそが階級的労働運動を爆発的に発展させ、その下に全労働者階級、闘う農民、漁民、学生を結集し、全人民の未来をかけた巨大な戦線を形成し、日帝を根底から打倒する歴史的闘いに打って出よう。
 この闘いを牽引する最大の勢力こそ労働者階級である。労働者階級こそ、現場での労働を通じて最も高い安全意識を獲得し、労働者人民の安全を守るために何が必要かを熟知している。だからこそ労働者階級は、資本が利益を求めるあまり安全を無視することに対して常に警告を発し、安全確保のために闘ってきた。
 だが、資本はこれに対して、労働組合を解体し、連合のような体制内労働組合へとつくり変えることによって、労働者階級の安全のための闘いを解体し、原発のような危険極まりないものを資本の利益追求のための手段として使ってきたのだ。
 こうした現実に対して動労千葉を先頭とする階級的労働運動勢力のみが、「反合理化・安全闘争」を全力で展開し、新自由主義による利益優先、安全無視の攻撃と闘ってきた。そして新自由主義攻撃の重要な突破口をなしていた国鉄分割・民営化政策と闘い勝利してきた。現在は、国鉄闘争全国運動を立ち上げ、体制内労働運動の制動を粉砕して、日帝の新自由主義政策と対決する全国陣形を形成している。日本の労働者階級は、階級的労働運動のこのような先進部隊を有しているという圧倒的に有利な地平に立っている。
 そして今、この優位性を基盤として、この先進部隊の闘いに続いて反原発の闘いに続々決起している農民・漁民・市民・学生・科学者・技術者・医師などをも結集するさらに巨大な原発即時廃止、被災地支援の巨大な陣形を労働者階級の力でつくり出していかなければならない。
 さらに世界の階級的労働運動勢力や反原発勢力と国際的に団結し、全世界から原発を一掃する闘いに決起しよう。

 C階級的労働運動に基盤を置いた反核運動

 原発労働者とともに闘おう

 原発を停止させ、廃止していく闘いにおいてカギをなすのは、やはり階級的な労働組合と労働運動の再建である。とりわけ、原発労働者や電力労働者の決起を組織することは決定的に重要だ。
 原発労働者は、日帝の原発政策の矛盾を集中的にしわ寄せされた存在だ。彼らは電力会社の元請け、下請け、孫請けの企業に雇われ、全国の原発での危険な補修作業や清掃作業に動員され、日常的に被曝を強いられてきた。被曝が原因でガンや白血病などの重大な病気に冒されても、被曝と病気との関係が労働者の側から実証できないとして、なんらの補償もされず切り捨てられてきた。劣悪な労働条件を強制された上で、賃金の面でも雇用した会社からピンはねされてきた。このような状態に置かれながら、原発労働者は労働組合もつくることもできず、分断されたまま抵抗して闘うすべを奪われてきた。
 彼らはもともとは農民であり、漁民であり、都市で働いていた最下層の非正規労働者であり、在日外国人や部落民などの被差別人民であった。彼らが原発という危険な職場で働かざるをえなくなった原因のひとつは、日帝による地方経済の解体政策にある。日帝の農業・漁業破壊政策による地方の崩壊によって生み出された農村や漁村の「過剰労働力」が原発へと送りこまれたのだ。また日帝の新自由主義政策の全面的展開の中で生み出された大量の失業者、非正規労働者とりわけ在日外国人や被差別人民は、原発のような危険な場所で働く以外に生きる道はなかった。
 原発は、このような原発労働者に被曝を強制することによってしか存続し得ない。だから原発の危険性を身をもって知り、この危険を取り除くためには、原発を廃止するしかないことを最も良く理解している原発労働者が団結して決起すれば、全原発は直ちに停止せざるを得なくなる。
 われわれは現在最悪の事態を回避しようと、原発労働者が決死の献身的な闘いに立ち上がっていることに最大限の敬意を表するとともに、彼らの闘いに応えるためにも、われわれ自身の全国的な反原発運動を爆発させ、彼らがわれわれとともに立ち上がることのできる条件を必死につくり出さなければならない。

 電力労働者の闘い

 電力会社の労働者を原発廃止の闘いの側に獲得することも決定的に重要だ。電力労働者の組合であった電産(電気産業労働組合)は、戦後、最も先進的な闘いに決起した労働組合であった。帝国主義は原発政策を推進するためには、まず何よりも電産を破壊しなければならなかった。電力会社の原発推進への転換は、かつて総評の中軸を担ってきた電産の破壊をもって実現されたのだ。
 だが、会社側による第二組合の結成と電産労組の切り崩しで電産労組が次第に解体されていく中で、残った電産労組のうち電産中国(電力産業労働組合中国地方本部)の労働者たちは、1977年6月に中国電力が原発設置を豊北町と山口県に申し入れしたのに対し、断固たる原発建設反対闘争に決起した。
 原発に反対する住民たちは、次第に電産労働者の真剣な闘いを評価するようになり、強固な共闘体制が確立された。こうして、電産労働者と協力して闘った住民は、町長選挙で原発反対派の町長を選出し、1978年6月8日の町長の受け入れ拒否宣言で原発の建設をついに阻止したのだ。
 電産中国は、第二組合が圧倒的な勢力を占める中国電力では少数派であった。だが地域住民の切実な要求と結びついて、少数であるといえども労働組合が断固として運動の中軸を担って立ち上がった時、原発建設という国策を阻止できたのだ。
 われわれは、当時の電産中国が展開したような闘いを、今、巨大な規模で実現しなければならない。そのためには4・9の国鉄1047名解雇撤回闘争の反動的終息策動を契機として、自治労、教労を原発推進路線に転換させた4者4団体派の裏切りを徹底的に粉砕し、階級的労働運動路線を貫く労働運動の全国的再建を実現することが必要だ。
 そしてそうした闘いと一体の闘いとして「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の4・29集会をもって形成される新たな反原発全国運動陣形の下に結集して、反原発闘争の爆発的発展をかちとろう。
 この闘いは、新自由主義政策の暴力的貫徹によって自らの利益のために安全を無視し、労働者人民に重大な被害を与えてもなおかつ平然として大災害下でさらに大規模な大失業攻撃を仕掛けようとしている日帝ブルジョアジーを打倒し、労働者階級を主人公とする新たな社会をつくり出す運動である。もはや労働者階級が社会の主人公にならなければ、資本家階級以外のだれもが生きることができない時代に突入した。まさにこの道こそこの大災害を労働者人民の力で真に乗り越え、全ての労働者人民が生きることのできる社会を作る唯一の道だ。

 C原発と闘う農民・漁民と連帯して闘おう

 原発事故の深刻化の中で、放射能汚染が拡大し、農産物や海産物が相次いで出荷できなくなると、農民と漁民の怒りが激しく爆発し、歴史的決起が開始されている。

 漁民の怒りの爆発

 

全国漁業協同組合連合会(全漁連)の会長は、4月6日、福島第一原発が放射性物質を含む汚染水を海に放出したことに関して東電に激しい抗議をたたきつけた後、今後生じる被害について東電が補償するように求め、「今後は全国の原子力発電の全面廃止を求めていきたい」と発言した。全漁連会長のこの発言は全国の漁民の激しい怒りを代表するものだ。
 放射能による海の汚染は、三陸海岸から茨城県、千葉県に拡大しているが、さらに今後日本全国の海に拡大することは不可避だ。海の汚染が進行すれば日本近海でとれる魚のほとんどが売れなくなる可能性がある。そうなれば全国の漁民の生活は全面的に破壊される。全国の漁民が漁民として生きるためには、原発を廃止するために闘う以外にない。このことに全国の漁民が気づき、原発を受け入れてきた漁協の幹部を乗り越えて決起を開始しているのだ。
 労働者階級が、生きるために決起し始めた漁民と連帯して共同の闘いを展開する条件が整いつつあるのだ。

 

(写真左 上関原発に抗議する島民の1000【記念デモ(08年6月14日】)
(写真右 川内【せんだい】原発増設に反対する農民のトラクターデモ(10年3月25日】)

 農民・漁民の闘いの歴史

 農民・漁民の生活と命をかけた原発建設実力阻止の闘いは、これまで全国でさまざまな形で闘われ、大きな勝利をかちとってきた。
 東北電力が福島県の小高町と浪江町に原発設置計画を発表した1968年には、浪江町農民が「棚塩原発反対同盟」を結成して粘り強く闘い、ついに原発建設を阻止した。浪江町棚塩地区の農家140戸の農民たちは、当時闘われていた三里塚空港反対同盟の闘いを学び、「農地を絶対売らない」=「農地死守」の闘いによって団結を打ち固めた。そして、県や町の職員による巨費を投入した用地買収工作を、「口を利かない、見ない、聞かない」の「三無運動」で粉砕して勝利した。
 この地区の農民はすでに福島第一原発(1971年3月営業運転開始)の建設過程と稼働開始後の補修現場で労働者として雇用され、いい加減な設計と工事、放射能汚染の実態をよく知っていた。反対同盟指導部も、放射線管理区域での補修現場での経験をするために、あえて福島第一原発で働き、原発の危険性を体験してきた。このような体験が、強固な原発反対の姿勢を固めさせたのだ。
 高知県高岡郡窪川町では、80年6月、町長が四国電力の窪川原発建設計画を容認したことに対し、地元の農・漁民は81年3月、反対の署名運動を組織し、この原発推進派の町長をリコールした。88年1月には、町予算案に原発関連予算の計上を許さず、原発建設をついに阻止した。
 この他、農・漁民は新潟県巻原発、和歌山県熊野原発、和歌山県日高原発、宮崎県串間原発、三重県芦浜原発などを実力闘争で阻止している。山口県上関原発でも、漁民が29年間に及ぶ激しい実力闘争で原発建設を阻止している。
 漁民たちは総評解散、原発推進の連合結成以降、労働組合からの支援を失い、孤立を強いられながらも、少数でも断固として闘い抜いている。

 労・農・漁の団結した闘いを

 今こそ階級的労働運動の立場に立って反原発闘争を闘う労働運動を爆発的に発展させ、労働者、農民、漁民の力を合わせた闘いで、原発の建設、原発計画の再開を阻止しよう。全原発の即時廃止の闘いは、労働者と現地で闘う農・漁民の団結した闘いなしには不可能である。
 われわれは三里塚軍事空港実力阻止、農地死守の闘いに勝利してきた三里塚農民との労農同盟の強化という勝利的地平を有している。今こそ、この勝利的地平を基礎として労・農・漁が団結した強力な反原発運動を発展させ、それを日帝にたたきつけよう。
 なお、動員された10万人の自衛隊が、連日の戸外での作業によって被曝を強制されている現実についても見ておく必要がある。自衛隊員は、原子力災害時の動員の際の許容被曝量を100_シーベルトと高い値に引き上げられた上、十分な放射能防護装備を与えられないまま救援活動や遺体収容に動員された。このため、3月中旬から4月中旬までの1カ月間に相当量の被曝を強制されているはずだ。
 自衛隊員は、政府の無策やでたらめな救援政策に怒りを抱くとともに、地方切り捨て政策によって引き起こされた大災害や原発事故の悲惨な現実を身をもって体験している。われわれはこのような自衛隊員への被曝の強制を弾劾するとともに、多くが労働者・農民の子弟である自衛隊員を労働者人民の側に獲得するための働きかけや政治的宣伝も強化しなければならない。

 エジプト革命のように闘おう

 この闘いは、新自由主義攻撃の下で生きることを否定されたエジプト人民の命と生活を守るための闘いと同質の闘いである。資本家は、「原発がなければ資本主義は崩壊する。だから、どんなに危険でも原発を維持しなければならない」と主張している。日本の労働者人民だけでなく、全世界の労働者人民に甚大な被害を与えても資本主義は延命しようとしている。
 したがってこの闘いは、新自由主義政策の強行によって大恐慌時代における絶望的延命策動を満展開する日帝との全面的対決を不可避とする闘いだ。われわれ自身の命を守る闘いは、原発推進政策の維持、原発輸出政策の強化による帝国主義間の争闘戦に勝利しようとする日帝の資本主義としての延命政策と、資本主義そのものと激突せざるを得ない。日帝を打倒して労働者人民が生き残るか、帝国主義があらゆる災厄を撒き散らしながら絶望的延命を続けるか、どちらかしかない。
 全世界の労働者人民の反原発運動の巨大な発展と連帯しつつ日帝を打倒して労働者自身の力で全原発を停止させよう。この闘いは全世界の原発を廃止する闘いと一体である。人類と相いれない原発を全世界から廃止する闘いは、エジプト革命をもって開始された世界革命に向けた闘いそのものでもある。今こそ全世界の労働者人民と連帯して、反原発の共同戦線を世界革命へ向かって発展させよう。

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月刊『国際労働運動』(418号4-1)(2011/06/01)

■Photo News

 ●交流センターと全学連を始め反原発デモ

  (写真@A)

  (写真BC)

  労組交流センターと全学連は、3月17日の反原発デモへの歴史的決起を突破口に、3・20渋谷デモ(写真@)、3・31東電抗議デモ(写真A)をもって、全国、全世界の反原発闘争を牽引する闘いをかちとった。この闘いは全国の労働者人民の反原発闘争への決起の呼び水となった。
 4月10日には、東京・芝公園で反原発団体などによる2500人のデモが行われ(写真B)、高円寺では青年を中心に1万5000人の反原発デモが爆発した(写真C)。この日には、鎌倉(400人)、札幌、名古屋、富山、京都、広島、熊本、沖縄などでも反原発デモが行われた。

 

 ●欧米で反原発デモ活発化

  (写真DE)

  (写真FG)

 ドイツでは3月26日、史上最大の反原発デモが闘われた。首都ベルリンで12万人(写真DE)、北部のハンブルクで5万人、中部のケルンで4万人、南部のミュンヘンで5万人と、4都市合わせて25万人以上の人々が決起した。また地元で集会を開催したところもあり、それらを合わせると実に50万人以上が行動に参加したと言われている。メインスローガンはどこでも、「フクシマは警告する:すべての原発を停止せよ!」と「全原発の即時停止!」だ。
 フランスでは4月10日に、ドイツ・スイスとの国境近くのフェッセンハイム(アルサス地方)の原発廃止を求めて1万人のデモが行われた(写真FG)。フランスの4つの反核団体と、スイス、ドイツの反核団体が発言した。集会とデモにはフランス全土から原発に反対する労働者人民が参加した。3月20日には、三国核防護協会の主催で、仏・独・スイスの環境運動活動家など1万人の反原発デモを行われている。4月25日には全国規模の大集会とデモが予定されている。
 アメリカでは、4月14日に、サンフランシスコから200マイルのところにあるディアボロ・キャニオン原発の廃止を求めるデが行われた。4月16日には、この原発の近くにあるアビラ・ビーチで反原発デモが行われる。4月26日には、チェルノブイリ原発事故25周年の反原発全米・全世界行動が行われる。

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月刊『国際労働運動』(418号5-1)(2011/06/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点 東日本大震災の経済的影響

部品供給の断絶で自動車など操業停止

 3月11日の東日本大震災は死者・行方不明者約3万人、福島第一原子力発電所の「レベル7」という恐るべき事故を引き起こし、現在も被害を拡大し続けている。ますます怒りを高めて、被災地支援、反失業・反原発の闘いと、国鉄闘争全国運動を一体で強力に展開しなければならない。
 3月下旬になって、大震災の経済的影響が明らかにされ始めた。そこでの一番の焦点は、大震災によって部品や素材のサプライチェーン(供給網)が断絶し、自動車と電機という基幹産業が操業停止に陥ったことだ。大震災の経済的影響は、国際金融問題や日本の財政問題など広範囲で深刻なものがあるが、今回はこの基幹産業の操業停止とその影響という問題に焦点を当てる。
 阪神大震災の場合、被災地は一大消費地だったが、製造業では兵庫県全体で1位が革・毛皮製造、2位が鉄鋼業、3位が一般機械器具製造であり、他地域への波及はそれほどでもなかった。他方、今回の東日本大震災は非常に広範囲に襲いかかった。岩手、宮城、福島の3県における製造業の産業別出荷額の割合は、1位が情報通信機器で8・6%、2位が電子部品・デバイスで7・6%、3位が木材・木製品で7・5%である。こうした地域での大震災は、自動車と電機という基幹産業を軒並み操業停止に突き落とした。部品や素材の供給が全国的規模でずたずたになったのだ。1カ月を経た時点でも操業再開は部分的にとどまっており、部品調達での綱渡り状態が続いている。
(図 東北の主なトヨタ系工場)

 □シェア大の1社が被災すると全国化

 特に自動車産業が深刻である。自動車を構成する部品数は2万〜3万点という。しかし、完成車メーカーの自社で生産している割合(内製率)はわずか2〜3割に過ぎない。生産の多くは、膨大な数の系列下請け部品メーカーに託されている。第1次下請け、第2次下請け、第3次下請け……と何次にも及ぶ下請け企業群によって成り立っている。
 しかも、その部品を複数のメーカーから調達することは不可能で、特定の部品メーカーにしか造れないものが多くある。シェアの大きい企業が1社でもダメージを受けると、最終的な完成車まですべてがストップする構図にある。
 07年の新潟県中越沖地震では、ピストンリングを製造するリケンという会社の工場が被災し、国内の自動車メーカーすべてが操業停止した。今回の大震災では、壊滅的被害を受けた地域や福島原発の退避エリアに、自動車生産に関連する部品会社が数多く存在する。
 特にトヨタ自動車は東北地方を、愛知、九州に続く第三の生産拠点と位置づけ、系列部品会社を含めて進出してきた。
 トヨタ子会社の関東自動車工業は93年に岩手工場(岩手県金ケ崎町)で生産してきたが、この1月には子会社のセントラル自動車が宮城工場(大衡村)を稼働させたばかりだった(神奈川県相模原市の本工場は3月末に生産停止の予定だった)。この2社の生産能力は年間42万台で、トヨタの国内生産能力の1割を占める。地図を見れば分かるように、東北自動車道に沿って系列部品メーカーが設けられている。これらすべてが操業停止に陥ったのだ。
 自動車各社のエンジンや各部品の素材などは新日鉄釜石製鉄所で生産されているが、ここも被災し供給が滞った。特殊技術が必要なため、他社からの供給にシフトするのは容易ではない。
 ホンダに部品を供給しているケーヒンは、エンジンなどの電子制御ユニットを製造しており、宮城工場は同社の国内生産の9割、世界総生産の3割を占める。ケーヒンの操業停止は即、ホンダの操業停止となった。NOKという会社は、エンジン部分に使用されているオイルシールで国内シェア7割、世界シェア5割を占め、国内の完成車メーカー12社すべてと取引があるが、福島県の2工場が被災した。
 このように、自動車生産は数多くの部品会社とその連関で成り立っている。そのサプライチェーン寸断の影響により、自動車の国内生産は3月末時点ですでに40万台の減少となった。

 □世界首位の半導体材料の生産が停止

 東北地方はまた、半導体や電子部品、デジタル家電などの工場の集積地となってきた。半導体生産では、東北と北関東で国内シェアの約2割を占める。全国の製造品出荷額で見ても、東北地方は電子部品関連で約13%、情報通信関連で15%ものシェアを占めている。電機・電子産業は今や「車載産業」とも言われており、これらの企業の被災は電機産業と自動車産業の両方に大打撃となっている。
 ルネサスエレクトロニクスという半導体メーカーは、茨城県ひたちなか市や山形県鶴岡市など7工場で稼働が停止し、300_のシリコンウエハー(半導体材料)の生産がすべて停止になった。同社は自動車用マイコン(マイクロコントローラー)ではトップメーカーの一つで、家電用マイコンの生産では世界トップのシェアを持つ。この1社の被害だけで、電子機器や自動車生産への影響がきわめて大きい。さらに同社は、テレビやデジタルカメラ、NTT向けのシステムLSI(大規模集積回路)も生産していた。
 シリコンウエハーで世界最大手の信越化学は、国内の半導体用300_ウエハーの半分強を生産している白河工場(福島県白河市)の生産が停止になった。また同2位のSUMCOも、山形県米沢事業所の操業が停止した。この信越化学とSUMCOの世界シェアは合計で6割にもなり、両社の操業停止が長引くと国内だけでなく世界の半導体産業に重大な影響が出るのは必至だ。
 ソニーの磁気テープ製造子会社の宮城県多賀城事業所、富士通の半導体子会社の岩手工場(岩手県金ケ崎町)など東北6工場が大きな被害を受け、操業を停止した。
 その他、スマートフォンやiPadなどに不可欠な部品や材料の工場も被災して製造を停止した。その一つが積層セラミックコンデンサー。日本はこの部品で世界の過半のシェアを持つが、材料を供給する企業が被災した。また、特殊な樹脂で製造される配線基板も製造元の三菱ガス化学の子会社が製造停止となった。
 さらにリチウムイオン電池の2工場が被災し、供給難に陥った。デジタルカメラでは、一眼レフ用交換レンズを製造しているキヤノン宇都宮事業所と仙台ニコンの被害が甚大だ。

 □エチレン・ガラス・製紙も操業止まる

 素材産業の被災も大きい。石油化学の基礎原料であるエチレンでは、年産能力80万d、国内シェア10%という日本最大級の三菱化学・鹿島事業所が操業停止となった。エチレンは自動車・電機から住宅までさまざまな産業に不可欠で、その影響は大きい。
 旭硝子は建築用ガラスを生産する鹿島工場が1カ月以上の生産停止となった。この工場だけで国内建築ガラスの3割を占めるため、供給難となるのは必至である。
 また、タイヤ生産で最大級の住友ゴム白河工場も生産停止となった。
 製紙最大手の日本製紙グループは、主力の宮城県石巻工場を含む3工場で操業が停止。3工場合計の生産能力は、日本製紙の洋紙生産量の3割に及ぶ。特に日産80万dの能力を持つ石巻工場は津波の被害が深刻だ。印刷会社や新聞社は、地震直後から「紙の取り合い」状態である。
 第4章  □米・韓にも波及中

  □米・韓にも波及中

 東日本大震災による東北地方での部品・素材のサプライチェーンの破断の影響は、世界に広がっている。ゼネラル・モーターズ(GM)は、3月21日から米ルイジアナ州の工場の操業を一部停止した。欧州の2工場でも一時的に生産を停止。
 トヨタ自動車や富士重工も米国での生産を抑えて、時間外や土曜日の生産を中止するなどしている。4月冒頭には、日産とフォードも1週間程度の操業停止となった。フォードは数日前からベルギー工場を停止したばかりである。
 電機では韓国のサムスン電子やLGなどが、1カ月程度の部品在庫を保有していると見られるが、「操業停止が1カ月以上続けば、スマートフォンやタブレット端末の世界的なサプライチェーンに深刻な影響を及ぼす可能性がある」と言われている。韓国メーカーは部品・素材の多くを日本から輸入して完成品を造っている。このため、日本からの部品供給の影響は大きい。当面は備蓄部品でしのいでいるが、長引けば影響は甚大だ。

 □新自由主義による延命は大破産した

 自動車の場合、東北や北海道に500社以上の部品メーカーが点在し、その部品メーカーが完成車メーカーの国際競争力を支えてきた。電機も同様だ。
 なぜ、それほど多くの枢要な部品メーカーが東北にあるのか。それは、特にこの10年間、国内でより低賃金の地域で生産を拡大してきたからだ。一層の搾取を狙ってのことだ。新自由主義による地方の切り捨て、一層の貧困状態の強制の上で、より低賃金での新生産拠点として東北地方が進出地域となった。地方切り捨てによる津波災害、貧困化した上での原発の強制という事態と完全に一つのこととして、東北での生産拠点の拡大があった。そのすべてが新自由主義のもとで起こったのだ。
 しかし、そうした延命のあり方は大地震と原発事故によって大破産した。低賃金の新生産拠点の拡大が今や逆に、全国的規模での生産停止に転化してしまった。大震災から1カ月を経た現時点でも被災工場での生産再開は遅れており、国内全体および世界の製造業への影響は逆に大きくなっている。
 製造業は日本のGDPの2割と言われるが、その基幹部分が半ば操業停止状態のままだ。この状態が長期化すれは、国外からの競争によって日本資本の国際競争力が奪われる可能性もある。結局のところ新自由主義は全面的に破産したのだ。
 また、トヨタ方式のジャスト・イン・タイム(在庫ゼロ方式)も大震災によって、その生産方式の危うさと弱さを全面的に露呈させた。労働者の非正規職化と低賃金、そしてジャスト・イン・タイムは完全に一体である。ここでも新自由主義は全面的な破産を突き出している。
 日帝はこうした大破産のなかで、「復興」と称してなんとか延命しようとしている。しかし、それは一層の国債増発に頼る以外になく、国家財政の破滅的危機、日本国債の信用失墜と暴落を引き起こすものとなる。
 結局、これらすべてが大恐慌を急激に、根底的に促進するものとなる。日帝は、一切の矛盾を労働者階級に転嫁して生き延びるしかない。大失業と重税、社会保障の一段の解体、そして戦争への攻撃に拍車をかけていくものとなる。労働者階級は今、階級的労働運動の発展で資本主義を終わらせる時を迎えている。
 (富田五郎)

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月刊『国際労働運動』(418号6-1)(2011/06/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 6月15日

■60年安保6・15闘争■

全学連が国会に突入

社共の「平和と民主主義」のりこえ戦後史転換させた戦闘的実力闘争

 1960年の新安保条約批准阻止闘争は、日本の戦後史の中で画期的な高揚を示した大衆的政治闘争だった。その中でも、60年6月15日の全学連を先頭とする国会構内突入闘争は、樺(かんば)美智子さん虐殺をのりこえた大衆的戦闘的決起として歴史に刻まれている。
 59年、A級戦犯・岸信介首相のもとでの安保条約の改定交渉に対する怒りが高まっていった。戦争の傷跡はまだ生々しく残っており、「二度と戦争の道は歩まない」という労働者階級の危機感と闘いの決意は固かった。
 日本帝国主義は52年の安保条約を改定し、日米安保同盟を強化し日帝の侵略と抑圧の体制を狙っていた。これに反対する59年11・27国会構内突入闘争は、60年安保闘争の巨大な烽火だった。全学連と東京地評傘下の労働組合の労働者2万人が国会構内に突入し、前庭を解放区と化した。この闘いの先頭に立った全学連は、その指導部の共産主義者同盟(ブント)とともに脚光を浴びた。ブントは日本共産党の民族主義と議会主義と内部から闘い、前年に結成された。この年の9月に旗揚げした革共同全国委員会は、ブントとともに闘ったが、まだ少数派だった。
 この後、60年1・16羽田闘争や、4・26国会闘争を経て全学連は数千、数万の大衆的闘いをつくり出した。特に5月19〜20日の機動隊を国会内に導入しての強行採決以降、人民の憤激は爆発的に拡大した。
 6・4ストは労働組合の反安保の実力行使の第1弾だった。それは、総評指導部の思惑を超えて、国鉄、全逓を先頭に下からの戦闘的労働者の力でかちとられた。だが、平和的ストとして押さえ込みを図る総評指導部は、これをさらに発展させる気はまったくなかった。まさに安保闘争は、闘う労働者の指導部の問題を浮かび上がらせたのだ。
(写真 国会南通用門から突入を図る全学連が警官隊と衝突(60年6月15日】)

 ●万余の学生が決起

 一方、相次ぐ指導部逮捕の中で、急遽京都から上京した北小路敏全学連委員長代行の指揮のもとに15日の闘争は闘われた。全学連は南通用門から国会構内に突入し、構内で安保粉砕・岸内閣打倒の集会を開くことを追求した。万余の学生が国会前に詰めかけた。
 国家権力は国会南通用門に閂をかけ、3本の丸太で補強し、内側に三重四重のトラックを配置して阻止線を張った。攻防2時間、門をこじ開け、トラックを引き出し、学生はスクラムを組んで構内に突入した。放水と警棒の乱打による弾圧をはねのけて機動隊との激突が展開された。この中で22歳の東大生、樺美智子さんが警官に殺された。
 「殺された学友のために1分間の黙祷をやろう。だが、その前に警官隊は鉄かぶとをとれ!」と北小路さんが声を張り上げ「トレ!トレ!」の全員の叫びが議事堂を揺るがした。この後、再び機動隊との再度の激突が展開された。
 6・4ストを全労働者のゼネストに発展させようとする指導部は存在せず、第2波統一行動の15日には1本の電車も止まらなかった。全学連の6・15闘争は、闘いの議会主義的収束に抗して、帝国主義と労働者階級の非和解的対立を身をもってさし示した。また、この闘いに真っ向から敵対した日共は、その反労働者的本質を暴かれ、「前衛党」神話を崩壊させた。

 ●労働者党の創成へ

 全学連の大衆的戦闘的決起にもかかわらず、革命的左翼の未成熟によって、闘いは社会党、共産党の「平和と民主主義の勝利」という議会主義的総括をのりこえられず、敗北を喫した。ブントはスターリン主義に対する対決の不徹底や、前衛党組織論の未熟さなどから、政治的に破産し分解した。社共に代わる労働者党が求められていた。
 60年安保闘争の敗北の教訓を「反帝・反スターリン主義を綱領的立脚点とするプロレタリア党の創成のための闘い」として総括した革共同は、その旗のもとにブントの革命的翼を結集する闘いに勝利し、革命的労働者党建設に向かっての苦闘を開始した。
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 ●60年安保闘争の軌跡

1959年11・27 安保阻止統一行動で2万人の労働者学生が国会構内突入
1960年
1・16 岸訪米に対し全学連が羽田空港ビルに座り込み機動隊と激突
1・19 ワシントンで日米新安保条約調印
4・26 全学連、国会周辺で機動隊と激突
5・19 衆院安保特別委で自民党が採決強行。 警官を導入し、社会党議員を排除、会期50日延長、新安保条約承認の強行採決 5・19 衆院安保特別委で自民党が採決強行。 警官を導入し、社会党議員を排除、会期50日延長、新安保条約承認の強行採決
5・20 全学連、首相官邸突入
6・4 安保改定阻止第1次実力闘争、国労などストライキ。全国で560万人参加
6・15 全学連、国会構内突入、樺美智子さん虐殺される
6・18 国会への抗議闘争、空前の33万人
6・19 午前0時、新安保条約自然承認
6・23 新安保条約批准書交換、発効

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月刊『国際労働運動』(418号7-1)(2011/06/01)

日誌

■日誌 2011年3月

1日千葉 団結街道裁判 廃止処分取り消せ
千葉地裁民事3部(多見谷寿郎裁判長)で団結街道裁判の第2回弁論が開かれた。市東孝雄さんをはじめ三里塚芝山連合空港反対同盟17人が原告となり、団結街道(市道)の廃止処分の取り消しと、団結街道を封鎖している障害物の撤去を成田市とNAAに求める訴訟だ
3日東京 全学連、3・20へ駅頭街宣
全学連は3・20渋谷反戦デモへの総決起を呼びかける宣伝戦に全力で立ち上がり、連日駅頭や各大学キャンパスに登場して奮闘している
4日東京 共謀罪関連2法案の閣議決定を阻む
菅民主党政権が共謀罪法案の一部であった「コンピュータ監視法案」「強制執行妨害罪改悪法案」の閣議決定・即日国会提出を策動したのに対し、治安立法と闘う仲間が国会闘争に決起し、当日の閣議決定を阻んだ
4、5日宮城 仙台・国労春闘行動で大宣伝
仙台で開催された3・4国労東北春闘総決起集会、さらに3・5の11春闘国労仙台総行動に、全金本山労働組合、みやぎ労組交流センター、みやぎ連帯ユニオン、福島労組交流センター、東北大学学生自治会の仲間が登場し大宣伝を行った
5日千葉 動労千葉、中野前委員長を偲ぶ会
昨年3月4日に逝去した故中野洋動労千葉前委員長を偲ぶ会が、DC会館で開催され、多くのOB、家族会、組合員が駆けつけた。中野前委員長の思い出を語りあいながら、その遺志を引き継いでさらに闘い抜くことを誓いあった
5〜6日 全国各地で国際婦人デー闘争
東京、大阪など全国各地で国際婦人デー集会とデモがかちとられた。中東の革命の息吹が日々新たに届く状況のもとで、いずれの集会でも「エジプト革命に続け!」が共通のスローガンとなった。東京では集会の熱気そのままに、「戦争には革命を/労働者の国際的団結で朝鮮侵略戦争阻止」と色鮮やかに書かれた横断幕を先頭に、池袋の繁華街へデモに繰り出した
6日千葉 首都圏青年労働者集会
「闘う春闘を取り戻そう! 首都圏青年労働者集会」が、千葉市内で開催され、産別・職場を越えて350人が結集し大成功した。動労千葉の青年労働者が「今年は青年部をつくり、動労千葉に若手がいることをJR東労組にも示したい」と宣言した
6日沖縄 全国運動・沖縄を結成
国鉄闘争全国運動・沖縄の結成総会が、那覇市の八汐荘で開かれた。沖縄における国鉄闘争全国運動と、労働運動の拠点建設の闘いが始まった
8日東京 福嶋さん無罪判決求め最高裁申し入れ最高裁に対して「無実の福嶋昌男さんに無罪判決を出せ」と求める申し入れ行動を行い、福嶋さんを始め総勢11人が最高裁に赴いた。
10日千葉 三里塚一坪裁判 県の強奪策動を追及
千葉地裁(仲戸川隆人裁判長)で鈴木さん一坪共有地裁判弁論が開かれた。法廷では反対同盟顧問弁護団が、この土地を「成田国際物流事業の複合基地」にしようなどという県のバラ色の計画がとっくに破産し、一坪共有地強奪には一かけらの「公共性」もないことを突きつけた
12日神奈川 相模原国際婦人デー行動
大地震と津波の翌日、2011国際婦人デーさがみはら行動は婦人民主クラブ全国協議会相模原支部、同相模原中央支部、国鉄闘争全国運動・神奈川を軸とした国際婦人デー実行委員会が主催し、相模大野駅前での宣伝活動とデモ行進、国際婦人デー相模原集会など連続行動がかちとられた
12日新潟 新潟地域一般労組が集会
3・11大地震の翌日、新潟地域一般労組が呼びかけた「マシンテクノは責任をとれ! 青年の使い捨てを許すな! 団結して資本と闘おう! 3・12総決起集会」が新潟市で開かれ、青年労働者A君の解雇撤回へ総決起した
12日愛知 東海に動労千葉を支援する会結成
動労千葉を支援する会・東海が結成された。動労千葉を支援する会の山本弘行事務局長を講師に招き、結成集会が開かれた
13日千葉 千葉県三里塚集会開く
千葉市のDC会館を会場に「市東さんの農地強奪を許すな!/第4回千葉県三里塚集会」が、実行委の主催で、県内の青年労働者を先頭に80人を結集して意気高くかちとられた
13日東京 杉並、区議選勝利へ総決起集会
「労働者民衆の団結で社会を変えよう! 4月区議選勝利! 総決起集会」が、杉並区内で開催され、大震災の被害、原発情勢と闘う怒りの総決起集会となった。東京西部ユニオン、都政を革新する会、労組交流センターを始め闘う労働者・区民・学生など185人が結集した
13日大阪 関西青年労働者集会
大阪市・エルおおさかで関西青年労働者集会が開催され、110人が結集した。大震災の直後、「闘う労働組合をよみがえらせる中に未来がある!」と宣言する画期的な集会となった。
13日広島 広島で中国電力に抗議
五日市駅で3・13春闘ストライキを構えていた動労西日本と広島連帯ユニオンは、東日本巨大地震と原発事故という超重大事態に対して「緊急共同行動アピール」を発し、広島市中心街での街頭行動に立った
14、15日東京 法政大、倉岡処分許さない
「東北の仲間とともに闘い、生き抜こう」「菅も増田もぶっ飛ばせ!」。法大文化連盟と全学連は東日本巨大地震に対して被災地で闘う労働者・学生の仲間とともに、倉岡さんへの「呼び出し」を徹底弾劾し、2日連続の法大包囲デモを行った
16日千葉 東日本大震災救援対策本部を設置
動労千葉と全国労組交流センターが「東日本大震災救援対策本部」を発足させ、本部を交流センター内に設置した。仙台にも現地対策本部も立ち上げた
17日東京 原発止めろ、渋谷で緊急行動
「ともに生き、ともに闘おう!」。大震災と福島原発事故に対する怒りの緊急闘争が、渋谷で打ち抜かれた。代々木公園には緊急闘争にもかかわらず360人の労働者・学生が結集した
17日広島 被災地救援で広島緊急行動
8・6ヒロシマ大行動実行委員会の呼びかけで「ヒロシマは訴える! すべての原発をなくせ・全労働者の団結で被災地を救おう 3・17緊急行動」が行われた
18日千葉 三里塚反対同盟の被災者救援の声明
三里塚芝山連合空港反対同盟は、労働者・農民・市民の力による被災者救援運動を、事故情報を包み隠さず開示せよ、すべての原発を即時停止せよとする声明を発した
19日東京 杉並、北島選挙事務所を開設
4月杉並区議選必勝へ北島邦彦選挙事務所開きが行われた。昼の部・夜の部も労働組合員、区民、共闘団体の仲間が事務所からあふれるほど結集し、大恐慌・大震災情勢のもとで闘う拠点の開設集会となった
20日東京 全学連を先頭に反戦大デモ
「被災地を全力で支援しよう」「全原発の即時停止を」「菅を今すぐ打倒しよう」と訴えて渋谷の街を行くデモ隊。全学連の学生が集会とデモを終始先頭で牽引した。イラク開戦から8年目の20日、渋谷反戦大デモが闘いぬかれた。東日本大震災の被災者を全力で支援するため、全職場・全大学で被災地支援・反原発の大運動を起こす方針が提起され、1550人の参加者が心をひとつに闘う決意を固めた
20〜21福島 福島、郡山駅前で反原発で街宣
福島県労組交流センターとふくしま合同労組は20日福島駅前、21日郡山駅前と連続して街頭宣伝行動に取り組んだ
21日東京 戦争と治安管理に反対するシンポ
戦争と治安管理に反対するプレシンポジウムが東京都内で開かれ、共謀罪の一部である「コンピューター監視法案」「強制執行妨害罪改悪」の阻止へ関西生コン支部、港合同、動労千葉の3労組など100人が参加した
27日千葉 三里塚、被災地支援・反原発を決意
三里塚芝山連合空港反対同盟主催の全国総決起集会が開かれ、成田空港暫定滑走路の東にある市東孝雄さんの畑を会場に、快晴のもと全国から840人の労働者・農民・学生・人民が「農地死守・第3誘導路粉砕」の決意を胸に結集した
27日福島 三里塚現地と連帯し街宣
三里塚現闘本部の仲間がワゴン車で福島県労組交流センターに直接救援物資を届けたことが伝わる中、福島駅前で連帯街宣行動を行った
29日千葉 第3誘導路裁判初弁論
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で「第3誘導路裁判」の初弁論が開かれた。原告席の反対同盟と顧問弁護団、傍聴席の労農学が一体で闘った
30日千葉 動労千葉、青年部再建準備委を結成
「機は熟した。青年自身の力で組織拡大をめざす」――動労千葉の青年部再建に向けて青年組合員自身による熱いアピールが発せられた
31日東京 東京電力に怒りのデモ
「ただちにすべての原発を廃止しろ」を掲げた東京電力抗議行動に150人の労働者・学生・農民が全学連を先頭に立ち上がった。デモ隊は意気高く日比谷公園を出発、いよいよ東電本社だ。デモ隊が東電本社の正面ゲート前にさしかかろうとした瞬間だ。公安刑事どもがデモ隊の中になだれ込み、織田陽介全学連委員長、坂野陽平同委員長代行、斎藤郁真法大文化連盟委員長を不当逮捕した。完全な狙い撃ちだ。絶対に許せない
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 (弾圧との闘い)

4日東京 法大暴処法弾圧裁判、荻野さんが証言東京地裁刑事1部(河合健司裁判長)で法大暴処法弾圧の第21回公判が行われた。冒頭、被告の新井拓君が意見を表明し2月28日に東京高裁が新井君と中島宏明君に下した暴行デッチあげ裁判の逆転有罪判決を徹底弾劾した。続いて小樽商科大学教授で日本近現代史、とりわけ戦前・戦後の治安体制を専門に研究している荻野富士夫さんが証言に立った

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月刊『国際労働運動』(418号8-1)(2011/06/01)

編集後記

■編集後記

 3・11大地震と福島原発事故は階級的災害である。国家犯罪だ。すべて新自由主義がもたらしたものだ。そこにあるのは、労働組合を破壊し、農漁民の団結を破壊して、安全無視、利潤追及に突っ走ってきた帝国主義ブルジョアジーの腐敗した政治だ。
 数万人が死亡、数万人が行方不明、数十万人が家・家族・仕事を失い避難民となった。すさまじい怒りが高まっている。国家統治の空白が生まれ、市町村など行政機構が崩壊し、そこに自衛隊10万人が入り権力の空白を埋めた。被災地を自衛隊が支配している。政府は労働者住民の自主的な団結と決起を恐れている。
 国鉄闘争全国運動を柱に、大失業粉砕、全原発の廃棄、国際連帯の大運動を展開しよう。ここに3・11に対する労働者人民の団結の方針がある。

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