ZENSHIN 2008/01/01(No2325 p12)

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第2325号の目次
 
1面の画像
(1面)
300万学生ゼネストへ  鉄鎖以外に失うものは何もない
一人ひとりが革命的存在だ 競争・分断ぶっ飛ばし団結を  全学連委員長 織田陽介
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12・14法大闘争  07年の激闘に勝利宣言
2学友を奪還し第10波デモ(法大生N)(12月14日)
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日程 4・27法大弾圧裁判 記事を読む  
おことわり 記事を読む  
(2面)
特区連賃金闘争 現業職9%賃下げ弾劾
執行部の屈服妥結に怒りを  職場の団結を基礎に闘おう
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三里塚 北延伸阻止へ東峰デモ
市東さん“農地強奪許さず闘う”(12月15日)
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部落解放東日本共闘会議総会
差別分断に反撃  狭山再審へ決起誓う(12月16日)
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キャンプ座間  “第1軍団は来るな”
前方司令部の発足に抗議(12月19日)
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2007年日誌 12月12日〜18日
国会、19年ぶりの会期2度延長  全駐労が格差給など廃止合意
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日程 国労5・27臨大闘争弾圧公判日程 記事を読む  
(3面)
沖縄からの新年メッセージ
 「象のオリ」返還の勝利に続き今年も 読谷村議会議員 知花昌一さん
  そこに貴方が必要そこに私が必要だ 百万人署名・沖縄の会共同代表
  9・29と全駐労スト労働者の力は無限 北中城村議会議員 宮城盛光さん
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大阪・八尾市西郡の闘い 労組先頭に住宅闘争 記事を読む  
福嶋裁判控訴審 高裁が早期結審策動
証人採用拒否を徹底弾劾(12月13日)
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『未決勾留16年』を推す
理不尽な弾圧を告発  被告団の熱い呼びかけ  高田隆志
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(4面)

'08新年メッセージ  団結の力で勝利開こう

青年労働者・学生の巨大な決起の年に! 全国労組交流センター代表運営委員 辻川慎一さん
労働者・農民が革命勝利へ突き進む時代 国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団副団長 葉山岳夫さん
“反撃から攻勢へ”の転換こじ開ける決意 とめよう戦争への道!百万人署名運動 小田原紀雄さん
闘う星火団の主導で新日本人民共和国を 在日台僑元日本兵 林歳徳さん
戦争・差別なくすのは労働者階級の団結だ 反戦被爆者の会会長 大槻泰生さん
帝国主義の断末魔の悲鳴が聞こえるか 東京反戦共同行動委員会代表 三角忠さん
「私ってすごいかも」の誇りを胸に全国へ 反戦共同行動委員会事務局長 滝口誠さん 福田打倒へ労働者の団結で立ち向かう時 婦民全国協代表 相模原市議会議員 西村綾子さん
労働者階級とあゆむ革命的議員めざして 杉並区議会議員 北島邦彦さん
マルクス主義の旗のもと一致・団結して 阪神被災地・雇用と生活要求者組合代表 長谷川正夫さん
世界の労働者は一つ国境を越える闘いを 沖縄民権の会 座覇光子さん
自国の侵略戦争との対決を兵士の中に 反戦自衛官 小多基実夫さん
医療・福祉切り捨てに弾圧をはね返し闘う 高槻市議会議員 小西弘泰さん
団結は国や行政と闘ってこそ強まる 八尾市議会議員 末光道正さん
「革命」が青年労働者の心に響く時が来た 泉佐野市議会議員 泉州住民の会事務局長 国賀祥司さん

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(5面)

「北延伸」粉砕! 市東さんの農地を守れ  三里塚から労農の新たな団結を
権力との正面対決貫く 反対同盟新年の決意

 自信もって08年へ 事務局長 北原鉱治さん
  原則貫いて勝とう 事務局次長 萩原進さん
  敷地内の苦闘共有 本部役員 鈴木幸司さん
  農地法悪用許さぬ 事務局員 鈴木謙太郎さん
  労農の結束固めて 事務局員 伊藤信晴さん
  社会変える闘いを 婦人行動隊 宮本麻子さん
  耕す者に権利あり 本部役員 三浦五郎さん
  この農地守りぬく!畑の耕作者は私だ 事務局員 市東孝雄さん
  労農の闘い言葉に 天神峰現闘本部裁判を支援する会代表世話人 戸村義弘さん

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全関西実行委員会の決意
3・30全力決起へ 代表世話人 淡路町空港反対同盟代表 永井満さん
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(6面)
革命の時代が到来した!マル青労同に結集を
マルクス主義を職場で貫き2千万青年労働者の団結を
青年労働者座談会
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(8面)
08年を星野解放の展望開く年に
労働者の団結で無期を覆そう  星野同志の新年メッセージ
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星野暁子さんに聞く 絵と詩で思い表現国際連帯も始まる 記事を読む  
☆星野文昭さんへ激励の手紙を 記事を読む  
(9面)
□革共同政治局1・1アピール□
金融大恐慌と戦争の危機をプロレタリア世界革命へ!
革共同破壊に転落した塩川一派打倒し階級的労働運動の白熱的実践かちとれ
――4大産別決戦勝利、攻めの改憲阻止闘争へ
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週刊『前進』(2325号1面1)(2008/01/01 )

 300万学生ゼネストへ
 鉄鎖以外に失うものは何もない
 一人ひとりが革命的存在だ 競争・分断ぶっ飛ばし団結を

 全学連委員長 織田陽介

 「革命の学校=法大にようこそ!」。新入生の入学を歓迎して始まった07年の法大闘争は、起訴と投獄という反動すらもぶち破って勝利した。法大当局と国家権力よ、ざまあ見ろ! もはやどんな暴力装置も学生を屈服させることなどできない。東京拘置所は法大闘争にとって、強固な革命家を生み出す革命の学校=法大の「小菅キャンパス」でしかない。法大闘争は、動労千葉に続くような青年・学生の勝利性を証明した。07年の勝利を確認し、全学連は08年、大学の権力を奪い返すストライキで、300万学生ゼネストの歴史的画期を切り開く。何よりこのアピールは、獄中で闘う内田晶理くん(てるまさ・10・17法大クラス討論弾圧被告)と星野文昭さんの闘いへの熱烈な連帯を表明し、08年決戦勝利の不可避性を確認するものである。

 法大闘争は青年・学生の勝利性を証明してきた

 クラス討論で起訴・投獄。こんな弾圧に屈してたまるか。
 「2人に1人が一生フリーター」「労働者の9割を非正規職に」という資本家階級の極限的労働者支配によって学生の未来が奪われている。法大当局よ、討論を禁止する前に少しでも抗議したらどうだ。軍需産業の水増し請求にこたえ、ゴルフに接待にと蜜月をくり返しながら、他方で「消費税増税」を叫び、年金記録復活の公約は「誤解」などと言っている政治家どもに対する怒りのかけらもないのか! われわれ学生は怒りに燃えている。討論して当然だ!
 検察は「11・4を訴えるクラス討論だから犯罪」などとぬかしている。11・4労働者集会は「世界の労働者の団結で戦争を止めよう、世界を変えよう」と訴える労働者自己解放の闘いだ。これを弾圧するなど、どちらが犯罪なのかは明らかだ。
 法大当局よ、知らないなら教えてやる。教育とは人間を解放するためにあるのだ。「教育」を語りながら資本にかわって学生を競争させ、学費を使って闘いを圧殺する法大当局は、二度と「大学」を名乗るな。革命を目指す学生の存在こそが真の大学なのだ。
 大学の主人公たる学生に対してやつらは、しょせん「みせしめ」程度のことしかできない。退学も逮捕もみせしめでしかない。だから、見せしめにされている学生が元気に闘っている一日一日が勝利だ。そして、弾圧への怒りで学生が立ち上がるたびに、その一人ひとりの決起が勝利なのだ。
 はっきりさせよう。逮捕・退学、上等だ。われわれ学生は鉄鎖以外に失うものは何もない。これこそ現代の学生が革命的存在であることの証明なのだ。
 大学で煽(あお)られる「資格をとって差をつけよう」などという競争はぶっ飛ばせ。競争すれば幸せになれるというのはまったくの幻想だ。資格学校のビラには「安定した公務員になる夢」などと書かれている。われわれ学生の夢とは「安定した職に就くこと」なのか? こんな夢のために今までの人生を生きてきたとでも言うのか! あげく「公務員200万人をワーキングプアに」と、その「夢」とやらも破壊しようとしている。しかも労働組合を破壊して改憲・戦争だ。「過労で死のうが戦争で死のうが一緒だろう」――これがわれわれ学生に対する資本家階級の唯一の言葉だ。
 なめるんじゃない。われわれ学生の回答は分断と競争ではない。団結と闘争だ。こんな世の中は革命をやって当然だ。
 逮捕・退学によってわれわれが失ったものは、こうしたくだらない幻想としての「夢」くらいである。国家権力や資本家階級の攻撃など、どこまでいってもこの程度なのだ。何よりもやつらは、けっして仲間を奪うことはできない。くだらない幻想を奪うことはできても、団結した闘いをつぶすことはできない。「鉄鎖以外に失うものは何もない」と自らを根本的に自覚した学生は、どんな弾圧をもぶちやぶる決定的存在だ。

 帝国主義の末期的危機

 われわれ学生を革命的存在として規定しているのは、帝国主義体制の末期的危機だ。市場に比して過剰になりすぎた生産力が、物があふれて売れない過剰資本・過剰生産力状態を生み出している。労働者が生み出した富の大きさが資本家を破壊に走らせる。労働組合を破壊し、雇用・賃金を破壊し、民営化によって介護や福祉も食いつぶし、あげく憲法を破壊して戦争へと突き進む。
 同時に帝国主義体制の末期的危機は、資本主義体制の墓堀り人としての労働者階級の闘いを生み出している。全駐労のストライキは、戦争をしなければ延命できない帝国主義が基地労働者すら食わせられないという帝国主義の危機を突き出している。「9割の労働者を非正規職に」と叫ぶ資本家階級は、労働者を競争させ分断しなければもはや延命できない。他方で彼らは、資本主義的あり方の一切を転覆しなければ生きていけないわれわれ現代の青年労働者と学生を生み出したのだ。
 今こそ現代に生きる青年労働者と学生はこの社会を根本から把握し、自己の本質に目覚め、自らを革命的存在として自覚する時だ!

 マルクス主義を武器に人間的あり方奪い返せ

 学生は「資格」や「単位」、
「テストの点数」で自己を表現させられ、競争させられている。これこそ非人間的なブルジョア・イデオロギー(資本家階級の思想)だ。
 ブルジョアジーは、「これだけの資産を持っている自分」というように、ブルジョア革命で保障された私的所有をもって自己を表現する。だから、共産主義者が私的所有を廃止すると宣言するやいなや「人格を廃止するな」と叫んで非難する。
 人格を所有に預け、物や金が人間を支配するイデオロギーで労働者・学生も競争させられてきた。「○○を持っている自分」「○○大学の自分」――競争の中では、真の信頼を築くための人間関係ではなく、互いにけ落としあうための人間関係が強制され、低められた自己と低められた相手が生み出される。「こんな彼氏・彼女のいる自分」「こんな音楽を聴いている自分」。いったい、われわれの真の自己はどこへ行ってしまったのか? こうしたブルジョア的自己表現は、芸術や「彼氏・彼女」すら“所有するモノ”におとしめてしまった。
 根本にあるのは、労働力商品化という資本主義のあり方である。一切を労働者から奪い取って資本を独占する資本家階級に規定され、労働者は労働力以外に売るものがない。労働力は商品である以上、労働者同士は競争させられ、機械と同等に扱われる。少しでも労働力の価値を高めるために資格や学歴で人間が評価され、人間関係すらこの競争に規定されざるをえない。いくら「おれをテストの点数なんかで評価するな」と言っても、実際は資本主義的現実に支配され、競争しなければ生きられない存在としてブルジョア・イデオロギーを強制されてきたのである。
 しかし、はっきりさせよう。われわれ学生は競争したって生きられない存在だ。われわれにブルジョア・イデオロギーなどもはや必要ない。競争・分断の思想をぶっ飛ばし、団結して立ち上がろうではないか。
 自己を低め、相手を低め、くだらない競争をするためのブルジョア・イデオロギーをぶち破って、真の人間関係を取り戻し、真の自己を獲得する。これが団結の思想であり、労働者階級の思想=マルクス主義だ。
 労働者階級は、私的所有の一切から排除され、自らを商品として扱われて人間性と人間関係のすべてを奪われ、抵抗する暴力すらも奪われている。そうした自己の存在を自覚し、革命によって資本主義を打倒して人間性の一切を取り戻す。団結して闘う以外に生きることができない一切を奪われた自己を自覚する中に、すべてを獲得する原点があるのだ。学生にとっての真の自己とは、未来を奪われ、人間性や人間関係のすべてを奪われている自己であり、同時にそれは、革命へと向かう闘争と団結の中で未来を奪い返し、怒りを取り戻し、支配を覆す暴力を取り戻し、真の人間関係を奪い返す、もっとも人間らしい歴史的・決定的な自己なのだ。
 学生は労働者階級の側に階級移行し、ともに闘うことによってのみ解放される。そして学生は団結できる。その武器はマルクス主義である。

 世界革命の深紅の旗を掲げ、いざ激動の08年へ

 警視庁、東京拘置所、練馬鑑別所の獄壁をうち破る大勝利を切り開いた法大闘争は、革命的存在としての現代の青年・学生の勝利性を証明した。全学連はこの勝利の展望を掲げて08年、300万学生ゼネストの歴史的画期を切り開こう。
 08年は、サブプライムローンの崩壊から、世界金融恐慌が本格的に爆発する年になる。そして、ブッシュがイラン空爆の準備を開始しているように、ますます帝国主義が戦争へとのめり込む。それはすなわち、世界で青年労働者と学生が立ち上がる時代の到来だ。
 動労千葉派の学生運動の勝利の旗をうち立てて、この激動の08年に突入できることに最高の喜びがある。300万学生の怒りを体現する拠点大学ストライキをやろう。情勢は予想をはるかに超えて進む。われわれの構えの小ささが敗北を生み出すということを肝に銘じてほしい。
 何よりも1000人の学生革命家の団結をつくり出そう。学生は勝てる。だから勝ちにいこう。すべての活動家が、「自分が闘う」というところから、団結を組織する困難に立ち向かって仲間をつくる闘いに入ろう。
 法大闘争は、07年の激闘に勝利してきた。その勝利の原動力は、闘う一人ひとりの仲間の決断と団結した行動にあった。仲間の逮捕以来、毎日法大に通った仲間。逮捕覚悟でキャンパスに入っていった仲間。人生で初めてビラをまいた仲間。そして何よりも獄中闘争を闘いぬいた仲間。一人ひとりの決断と行動がひとつになって、弾圧をうち破ってきた。
 そして、11・4のデモだ。誰もが国家権力への怒りに燃え立ち、これ以上仲間を拘束し続けるとどうなるかを、いやというほど思い知らせた。この解放的デモを実現したのは、獄中の仲間と獄外の仲間の団結した力だ。そして、4人の保釈・釈放を認めさせたのだ。
 すべての仲間は自らが実現した勝利の大きさに確信を持とう。参院選で爆発した労働者・学生・農民の怒りに対し、語ることのできる勝利性とはわれわれの存在自身だ。さらに11月労働者集会は、アメリカ・韓国・日本の体制内労働運動を打倒し、労働運動を再生し、戦争を止めていく、世界を革命していく歴史的位置をもった闘いだ。日本で体制内労働運動と激突しているわれわれは、世界を変える存在だ。われわれの闘いは、世界の労働者階級の人間的・根本的解放の闘いだ。「おれの闘いは世界の労働者を解放する闘いだ」と胸を張って闘おう。われわれの闘いこそ世界史的なのであり、われわれこそ革命の勝利性である。自らを決定的存在として自覚する者が、最強の組織者だ。
 最後に、あらゆる反動をぶっ飛ばし、今年こそ11月労働者集会1万結集をかちとろう。日本階級闘争が深紅の革命旗を掲げて進撃を開始するや、その内部からマルクス主義を解体しようとする裏切り分子が登場した。彼らの居場所をなくしたのは3・18ワーカーズアクションからの青年・学生の闘いだ。われわれは08年、さらなる前進で反革命を徹底的に打倒する。3・18から1年、イラク反戦5周年の全世界一斉デモに、われわれは世界革命の旗を掲げ、全世界の労働者階級の勝利性を示す強固な運動として登場する。いざ08年の激動へ。動労千葉派が主流派に躍り出る時が来た。勝利へ! ただひたすら勝利へ!

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週刊『前進』(2325号1面2)(2008/01/01 )

 12・14法大闘争
 07年の激闘に勝利宣言
 2学友を奪還し第10波デモ

 法大生は12月14日、今年度10回目の法大包囲デモを闘った。これまでのどのデモよりもすばらしい、最高のデモだった!
この闘いをもってわれわれは、07年の激闘に完全に勝利したと宣言することができる。
 この日の闘いの勝利は何よりも第一に、4・27法大弾圧で逮捕・勾留されていた新井拓君・友部博文君の2学友奪還の勝利を経て闘いとったことだ。
 2学友が逮捕されたのは4月27日。今年度1回目の法大デモの日だ。その後、法大生は「新井君・友部君のように闘おう」をスローガンに一歩も引かずに闘ってきた。キャンパスでは新たな学友が立ち上がり、団結を拡大しながら、2週間に1度のペースで法大包囲デモをうち抜いてきた。2人が獄に奪われている半年の間に、無数の「新井君・友部君」が生み出されたのだ。
 この日の昼休み、新井君の凱旋(がいせん)アピールがキャンパスにとどろいた。
 「法大生の団結の力で奪還され、いまこの場で発言しています」「目の前には警備員、後ろには公安刑事がいる。しかし絶対に負けない、闘うんだ、というのがぼくの誇りです」「法大と東京拘置所は同じです。入り口にはガードマンがいてカメラで監視される。拘置所で『おかしい』と声を上げたら即、懲罰。一方、この法政大学では当局からすぐ呼び出しがきて退学や停学、厳重注意といった処分がすぐやってきます。東京拘置所のいわゆる『犯罪者』に対する扱いと、法政大学の学生に対する扱いはまったく同じなんです。しかし、決定的に違うことがあります。東拘では周囲と話すことは厳禁だが法大ではそれができ、団結を形成できる。だから学生や労働者にとってキャンパスや職場は武器なんです。拘置所はぶっ壊すしかないが、団結すれば大学は学生のものにできる」。
【写真】解放感と勝利感あふれるデモが、総長室のある九段校舎に向かう(12月14日 市ヶ谷)

 処分の恫喝をはねのけ決起

 法大と東拘、二つの「革命の学校」で学んだ新井君のアピールに学生の注目は高まった。
 この日の闘いの勝利の第二は、新たな処分をちらつかせた呼び出しなどあらゆる恫喝(どうかつ)をうち破って法大生が決起したことだ。
 ある学友はキャンパス内で、法大当局の「拡声器禁止」なる一方的規制をうち破ってマイクをとった。「被処分者こそ学生の味方であり、学生部が敵であることは今や明らか。われわれは最後まであきらめません。こうした現状を正しいものであるかのように押しつけてくる大学当局、理事会の方針を絶対に認めません。今日演説したことで処分を受けようと関係ない。学生の権利を奪って規制ばかり押しつける学校側の勝手な対応に気を配る必要なんかないんです」。
 学友の毅然(きぜん)とした態度に、当局は弾圧に出てくることもできなかった。単位を盾にどれだけ脅そうが、処分をちらつかせようが、法大生の怒りと闘いを押しとどめることなどけっしてできない。このことを、きっぱりと法大当局にたたきつけたのだ。
 法大生はこの後、総長室のある九段校舎にむけてデモに出発した。この1年間の法大闘争がつくりだした地平は、革命情勢をたぐり寄せている。勇躍、08年決戦に突入しよう!(法大生N)

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週刊『前進』(2325号1面3)(2008/01/01 )

 日程 4・27法大弾圧裁判

第10回公判 1月11日(金)午前10時開廷 (傍聴は、午前9時までに東京地裁前に集合)
第9回公判  2月13日(水)午後1時半開廷
 東京地裁429号法廷

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週刊『前進』(2325号1面4)(2008/01/01 )

 おことわり

 本紙は、本号を新年特別号(12ページ)として1月1日付で発行し、1月7日号は休刊とします。次号は、1月14日に発行します。

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週刊『前進』(2325号2面1)(2008/01/01 )

 特区連賃金闘争 現業職9%賃下げ弾劾
 執行部の屈服妥結に怒りを
 職場の団結を基礎に闘おう

 特区連の07賃金確定闘争は、12月14日の特区連執行部による区長会との妥結で終了した。特区連のもと特別区=23区で働く自治体労働者は、理由もなく現業だけ給料表を9%引き下げる妥結に納得がいかない。怒りに堪えない。特区連執行部は直ちに辞任せよ! 体制内労働運動と決別し、動労千葉にならい、「敵よりも一日長く」闘う特区連―区職労運動をつくり出そう。

 現業職員の給料表だけ改悪

 07確定闘争最終盤の11月21日、区長会は突如、賃金表改悪提案(業務職給料表平均9%引き下げ)を出してきた。
 50歳以上のほとんどの現業職員は今後一切昇給しない。区によっては現業職員の約7割が昇給なしとなる。退職金が最大2カ月カットされる。
 「ふざけるな! こんな提案は絶対認められない。白紙撤回しかない」――全区で怒りが噴出した。特区連現業評議会の要請行動、各区職労の総決起集会、学習会、要請行動などが12月13日まで連日闘われた。
 「現業・非現業が一体となって区の業務を担っているのに、現業の給料表だけ改悪するのは分断だ」「現業職員の子どもは大学に行くなということか」「自治体が格差を拡大していいのか」「ローンが払えない」「給料を減らすならバイトさせろ」「昇給がないのは処分と同じ」「越年したって闘おう」「ストライキをやろう」――怒りの決起が続いた。
【写真】 色とりどりの横断幕、のぼり、メッセージボードを掲げて新司令部の発足式に抗議をたたきつける(12月19日 キャンプ座間正面ゲート前

 現場の怒りを抑圧するな!

 ある区では非現業の組合員が「現業にやられている今回の攻撃をわれわれもともに闘おう」と呼びかけ、業務職給料表改悪の撤回を求める決議を職場で上げた。多くの区で現業労働者が怒りの声を当局にぶつけた。
 12月13日、120人以上の現業労働者が区政会館に結集、夜を徹して拡大闘争委員会、中央委員会を傍聴した。ところが特区連執行部は、この闘う機運に依拠できず、その力をまったく信頼しなかった。このため、区長会―区政会館を包囲する総決起集会、デモを指令できなかった。「責任執行など、やれるものならやってみろ!」と怒りを爆発させて闘う方針を出せなかったのだ。
 「こんな内容では妥結できない」(特区連速報)なら妥結しなければよいではないか。越年しようが決裂しようが、断固とした態度を示し続けることで初めて団結が生まれ、組織が強化される。現場の怒りを解き放ち、各区職労が次々とストライキに突入すれば、こんな提案など吹き飛ばせるのだ。
 しかし特区連執行部は、現場に満ちている闘う機運と怒りの声を抑圧し、当局との交渉にすべてを注ぎ込み、屈服し、裏切り妥結に走った。彼らは組合を私物化しているのだ。官僚化した執行部を打倒し、労働組合を組合員自身の手に取り戻さなければならない。
 区長会は現業の業務職給料表だけを改悪する理由を示さない。なぜ現業の賃金を非現業の賃金より低くするのか? なぜ民間の現業労働者の低賃金に自治体の現業労働者の賃金を合わせなければならないのか? 何の説明もできない。区長会は「自治体現業の賃金は民間に比べて高いから低くしろ」という総務省のでたらめな統計に基づく不当な指導を背景にごり押ししているだけなのだ。

 赤字1千兆円の責任を転嫁

 業務職給料表改悪の狙いは何か? それは第一に、国と地方を合わせて1千兆円に上る財政赤字の責任を公務員労働者の「高賃金」のせいにすり替えることだ。
 これは20年前、政府・資本家階級が国鉄赤字の責任を国鉄労働者が「働かない」せいにし、分割・民営化を強行し、国鉄の財産を分け捕りしたやり方と同じだ。支配階級は現在、国・地方の財政赤字の責任を公務員労働者に転嫁し、国・自治体丸ごとのリストラ・民営化によって、公務員労働者の大幅削減、非正規雇用化、200万人首切り=ワーキングプア化を進め、日帝・大資本の危機を救おうとしている。
 公務員の賃金を下げ、非正規雇用にたたき落とすことができれば、民間の賃金、全労働者の賃金をますます低くできる。しかし、それは階級対立を激化させ、階級闘争を呼び起こす。労働者階級は、帝国主義の延命のために犠牲になることを拒否し、帝国主義打倒の闘いに立ち上がる。滅亡すべきは帝国主義だ。

 改憲・道州制狙い労組破壊

 業務職給料表改悪の狙いは第二に、特区連―区職労運動つぶしにある。
1920年代から闘ってきた東京都の現業労働運動をつぶすこと、それをとおして自治体労働運動をつぶすことにある。現業・非現業が一体となって闘ってきた特区連―区職労運動の団結を破壊することにある。
 区長会は、日帝・総務省の意を受けて特区連―区職労運動をつぶそうと躍起になっているのだ。その証拠に、自民党は「自治労、日教組をつぶして改憲(=戦争)を」と公言してはばからないではないか。
 日帝支配階級は、4大産別(国鉄、全逓、教労、自治体)の労働運動を破壊することで階級的抵抗力をたたきつぶし、戦争と改憲、道州制導入=国家大改造を進めることで延命しようとしている。であれば労働者、労働組合は団結の力でこの攻撃を跳ね返すしかない。職場で資本・当局と闘うことを基盤にして戦争、改憲と闘おう。
 団結の究極の拡大は革命だ。労働運動の力で革命をやろう。労働者階級の究極的解放をめざして闘いつつ、当面の直接的利益・権利を守るために闘おう。妥結を自己目的とする体制内労働運動と決別し、団結を総括軸とする階級的労働組合運動に転換しよう。労働運動の力で革命をやろう。

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週刊『前進』(2325号2面2)(2008/01/01 )

 三里塚 北延伸阻止へ東峰デモ
 市東さん“農地強奪許さず闘う”

 

【写真左】 150人で三里塚現地集会。北原事務局長が07年の勝利を宣言(12月15日 成田市東峰)
【写真右】 集会後、市東孝雄さんと反対同盟旗を担いだ鈴木謙太郎さんを先頭に意気高く敷地内デモ

 12月15日、新誘導路工事阻止、暫定滑走路北延伸阻止を掲げて三里塚現地闘争が激闘の07年をしめくくる闘いとして打ち抜かれた。
敷地内天神峰の市東孝雄さんにかけられた農地法による農地強奪攻撃に対し、反対同盟はすでに10月30日、新たに「農地取り上げ違憲訴訟」を提訴し、市東さんの営農と闘いを守るために全国に決戦を呼びかけている。
午後1時半、市東孝雄さん宅南側の開拓道路に反対同盟を先頭に労働者・学生150人が集まり、事務局員の伊藤信晴さんの司会で集会が始まった。
冒頭、北原鉱治事務局長が市東さんの農地をめぐり激しい法廷闘争が闘われた1年を振り返り、「この成田空港は有事の際には米軍50万が降り立とうとしている。若い君たちの未来のために、韓国に対して力強く労農連帯を呼びかけ、それを実現してくれた動労千葉に感謝している」と、11月に来日した民主労総ソウル地域本部との三里塚現地での交流の意義を確認。「三里塚闘争は必ず勝利する。反戦・反核の砦(とりで)三里塚は君たちと一緒に闘う。来年も頑張りましょう」と呼びかけた。
本部役員の鈴木幸司さんが「市東さんへの攻撃をわがことと思って闘っている! この地はわれわれの土地だ。精一杯闘おう」と熱く語った。
現地情勢報告に立った萩原進事務局次長は、東峰での夜間工事を弾劾するとともに、「北延伸は、限りなく4000bに近い滑走路をつくり、完全空港化しようとする攻撃だ」と位置づけ、北延伸阻止を訴えた。さらに有事の際の成田空港の軍事使用と直結する動きとして習志野駐屯地へのPAC3ミサイル配備などを指摘。「この攻防の中心に市東さんの闘いがある。われわれの力が弱かったら新たな土地収用もやられる」と警鐘を鳴らし、FTAとの闘いも強調。「08年、全人民の課題として三里塚をとらえて闘おう」と結んだ。
市東孝雄さんがマイクを握り、「私の父はかつて土地収用法と闘い、畑を守ってきました。私は農地法による不当な攻撃と闘い、畑を守っていきたい」と決意を表明し、大きな拍手を浴びた。
共闘団体の発言の冒頭、動労千葉の田中康宏委員長が、「北延伸や南延伸、特に市東さんの農地取り上げ攻撃との決戦になっている。反対同盟のもとに労働者や農民の大きな団結をつくりあげることが今、僕らに課せられた課題だ」と語り、11・4に結集した本気で闘う労働者・学生とともに「反対同盟と最後まで車の両輪として闘いぬく」と宣言した。
さらに関西実行委の松原康彦さん、都政を革新する会の北島邦彦事務局長、解同全国連などが連帯のあいさつを行った。
シュプレヒコールをあげて、東峰部落を周回し、団結街道を現闘本部の先の市東さんの畑までデモ行進。全学連の学生たちの「労農連帯で闘うぞ!」「われわれは一挙に奪い返すぞ!」の元気なシュプレヒコールが響きわたった。
デモの後、反対同盟は、警察官らによる市東さん宅および反対同盟宣伝カーに対する監視・尾行を弾劾する記者会見を行った。

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週刊『前進』(2325号2面3)(2008/01/01 )

 部落解放東日本共闘会議総会
 差別分断に反撃
 狭山再審へ決起誓う

 12月16日、東京都内で部落解放東日本共闘会議の第16回総会が開かれ、東日本の部落解放同盟全国連各県連・支部と共闘の労働者ら95人が結集した。総会は、例年を大きく上回る結集のもと、プロレタリア自己解放の立場から部落解放運動を推進する基本路線を確認、08年の飛躍を誓った。
 「差別裁判を打ち砕こう」を斉唱した後、東日本共闘会議議長の田中康宏・動労千葉委員長が主催者あいさつに立った。田中委員長は「私が運動を始めたきっかけは高校生の時の狭山闘争、部落解放闘争だ。74年には10万人が日比谷公園を埋めて闘った。どこの労働組合にも解放研がつくられた。闘いが困難になると総評労働運動は衰退した。しかし今、新しい情勢が来ている。労働者が自らの主体的な闘いとして部落解放闘争を担わなければならない。新たな決意で解放共闘を発展させよう」と述べた。そして「プロレタリアートの自己解放闘争をとおして人間の人間的解放をかちとるマルクス主義の原理にのっとって闘おう。それがプロレタリアートの歴史的使命だ。労働者はあらゆる抑圧、搾取を受けている普遍的な階級。団結をかちとり階級として自己形成し、自らの解放をとおしてすべての人民の解放をかちとる。部落解放闘争は労働者階級自身にとって不可欠。差別の現実を許したら自らの解放もかちとれない。部落大衆の闘いを学び、自ら部落解放闘争を取り組もう。敵は国家権力、日帝、天皇制だ。これを打倒せずして部落の解放はない」と鮮明な路線を提起した。
 そして11・4労働者集会、訪韓・訪米闘争の意義と地平、現情勢を明らかにし、「職場で資本と闘うことを基盤にあらゆる闘争を」と階級的労働運動路線の実践を訴えた。また部落解放闘争の当面の課題について重要な視点を提起し、圧倒的な拍手で支持された。
 2007年の経過と総括、2008年の方針を東日本共闘会議の井上長治事務局長が提起した。井上事務局長は「07年は第3次再審闘争として狭山要請行動を中心に闘った。08年は東日本解放共闘の飛躍をかけ、石川一雄さんと連帯し第3次再審闘争に勝利しよう」と訴えた。特に「労働者階級は、最後の階級社会、資本主義社会を転覆し、無階級社会を実現する力を持つ唯一の階級だ。部落差別は身分的差別をてこにした労働者階級への分断攻撃だ。差別糾弾闘争は、権力と資本に対する闘いであり、労働者階級が敵階級による差別・分断を打ち破り、階級的団結をかちとる闘いである」と規定した。そして「動労千葉の国鉄分割・民営化反対ストライキは、部落解放闘争絶滅攻撃を含む『新自由主義政策』による帝国主義の延命策動への全階級的反撃である」と明らかにし、動労千葉労働運動=階級的労働運動を軸に闘おうと訴え、改憲・戦争、民営化―労組破壊との闘いへの決起を呼びかけた。
 闘いの決意を解同全国連の茨城県連・品川支部・杉並支部、共闘の都政を革新する会・婦民全国協関東ブロック・動労水戸・動労千葉・東京労組交流センターが述べ、閉会のあいさつと団結がんばろうを茨城県連から行った。
【写真】 ”狭山第3次再審闘争勝利へ全国連と解放共闘は団結ガンバロー”(12月16日 東京)

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週刊『前進』(2325号2面4)(2008/01/01 )

 キャンプ座間
 “第1軍団は来るな”
 前方司令部の発足に抗議

 「私たちの住む街が、朝鮮半島や中国、中東をにらむ侵略戦争を指揮する場所になるなんて許せない」「いつまで米軍基地は居座るつもりか!」
 12月19日、キャンプ座間(神奈川県相模原市、座間市)で行われた米陸軍第1軍団前方司令部の発足式典は抗議のシュプレヒコールに包まれた。 米陸軍第1軍団の司令部移駐に対し、この間地元からねばり強い反対運動を続けてきた多くの団体・個人がこの日キャンプ座間の前に駆けつけ、声をかぎりに抗議の声をたたきつけた。
 午後1時すぎ、横断幕、のぼり旗などを林立させて正面ゲート前に続々と労働者・市民が集まってきた。車両で正面ゲートを通過していく式典参加者に抗議を浴びせた後、抗議団は式典会場が目の前に見える座間公園に移動。フェンスをはさんで100bぐらい先に式典会場が見える。フェンス内では軍用犬をつれた米軍兵士、歩哨などが警戒を強めている。
 基地撤去をめざす県央共闘が中心になり、午後3時からの式典にあわせ英語も交えながらのシュプレヒコール、リレーアピールが式典終了までくり返された。マイクをとった相模原市議会議員の西村綾子さんは「闘いはこれから。基地を撤去させるまで、ともに闘いましょう」と強調した。 

 「発足式中止を」3団体が抗議

 この行動に先立って11月30日、婦人民主クラブ全国協議会、とめよう戦争!百万人署名運動・湘北連絡会、神奈川労組交流センターが「発足式の中止」を求めて抗議申し入れを行った。おりしも30日は全駐労の第2波ストライキの真っ最中。抗議団は早朝、相模補給廠前でピケを張る労働者への激励に訪れた。場所を移してキャンプ座間ゲート前でピケラインに立つ全駐労組合員を激励したあと、その目の前で「新司令部の発足は絶対に許さない」と抗議・申し入れ行動をやり抜いた。3団体は12月19日の抗議行動でもその先頭に立った。
 キャンプ座間への第1軍団司令部の移駐は〈米軍再編―日米同盟再編〉の基軸をなしている。米陸軍第1軍団は”米陸軍最強の部隊”と言われ、イラクやアフガニスタンにも主力部隊を送り出してきた。この日、キャンプ座間に約30人で前方司令部が発足し、08年9月末には約90人まで増員する。第1軍団の司令部そのものは当面、米西海岸ワシントン州に残るが、在日米陸軍幹部は「2014年までに軍団司令部の本体機能を移すことも目標としている」としており、いずれ約300人を座間に移す計画だ。
 また、陸上自衛隊の中央即応集団司令部も、2012年度までに朝霞駐屯地(東京都、埼玉県)からキャンプ座間に移駐することが決まっている。08年は、辺野古新基地建設や米海軍横須賀基地の原子力空母母港化を含めて米軍再編―日米同盟再編をめぐる大決戦の年となる。

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週刊『前進』(2325号2面5)(2008/01/01 )

日誌'07 12月12日〜18日

 国会、19年ぶりの会期2度延長
 全駐労が格差給など廃止合意

●思いやり予算減額、3年で8億円 日米両政府は、08年3月末で期限切れとなる在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の特別協定分(光熱費など)について、08年度から3年間で総額8億円減額することで合意した。特別協定分の削減は00年の改定交渉以来、7年ぶり。日本側は1400億円にのぼる特別協定の大幅な減額を目指したが、米側がイラク戦争の戦費増大などを理由に反対し、微減にとどまった。(12日)
●沖縄北部振興策、執行方針伝える 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設をめぐる政府と沖縄の関係自治体との協議会が首相官邸であり、政府側は沖縄県の北部振興策の今年度分予算(100億円)を執行する方針を正式に伝えた。(12日)
●イージス艦情報漏出で逮捕 米国から提供されたイージス艦情報の漏出事件で、最高レベルの秘密である特別防衛秘密を含む資料を漏らしたとして、神奈川県警と海自警務隊は、資料を作成した海上自衛隊の艦艇開発隊に所属していた3等海佐を日米相互防衛援助協定(MDA)等に伴う秘密保護法違反(漏洩)の疑いで逮捕した。同法違反容疑での逮捕者は初めて。(13日)
●92年にオスプレイ明記 米海軍省が1992年に作成した普天間飛行場マスタープラン(基本計画)で、米海兵隊の次期主力輸送機MV22オスプレイの普天間への配備が明示され、格納庫を設置することなども具体的に示していたことが分かった。宜野湾市がマスタープランを入手し、伊波市長が発表した。(13日)
●19年ぶりの国会2度延長 臨時国会の会期を08年1月15日まで31日間延長することが衆院本会議で与党などの賛成多数で決まった。会期を2度延長するのは19年ぶり、年をまたぐ「越年国会」は14年ぶりになる。(14日)
●普天間と那覇軍港、国が使用認定
 石破防衛相は、09年末に使用期限が切れる米軍普天間飛行場と那覇港湾施設(那覇軍港)の一部土地の強制使用手続きで、米軍用地特別措置法に基づく「使用認定」を行った。防衛相の認定を受け、沖縄防衛局は08年2月ごろをめどに沖縄県収用委員会に「裁決申請」を行う。強制使用の対象は普天間飛行場の約1万6200平方b(19筆、788人)と那覇軍港内の364平方b(3筆、7人)。(14日)
●アセス方法書「書き直し」要求 沖縄県環境影響評価審査会は、米軍普天間飛行場の代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)方法書に対する審査結果を知事あてに答申した。答申は方法書の不備を指摘し「事業内容がある程度決定した上で、再度実施すべきだと思量する」とし、方法書の再提出を求めている。(17日)
●海上MD迎撃実験が成功 弾道ミサイル防衛(BMD)の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載した海上自衛隊のイージス艦「こんごう」が米ハワイ沖で初の実射訓練を実施し、標的のミサイルを大気圏外で迎撃するのに成功した。米国以外の国がSM3の実射実験をしたのは初めて。「こんごう」は08年1月上旬に海自佐世保基地(長崎県佐世保市)に実戦配備される。(17日)
●全駐労、格差給廃止に合意 思いやり予算の新特別協定改定に合わせた基地従業員の給与見直しをめぐり、全駐労と防衛省は、格差給、語学手当、枠外昇給制度を廃止し、退職手当を引き下げることを正式に合意した。格差給、語学手当に関しては、08年4月1日の施行日から5年間、廃止前に受けている額の5割を固定支給することを確認した。(18日)

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週刊『前進』(2325号2面6)(2008/01/01 )

 日程 国労5・27臨大闘争弾圧公判日程

 国労5・27臨大闘争弾圧公判日程
 第86回12月26日(水)/第87回1月11日(金)
 第88回1月25日(金)/第89回2月8日(金)
 ※いずれも午後1時15分から、東京地裁

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週刊『前進』(2325号3面1)(2008/01/01 )

 沖縄からの新年メッセージ

 「象のオリ」返還の勝利に続き今年も 読谷村議会議員 知花昌一さん

 1996年4月以来11年間闘い続けてきた「象のオリ」が昨年6月、解体され、全面返還を勝ち取りました。
 思えば、私の土地の使用期限切れ、2度にわたる立ち入り実現、日本政府による389日間に及ぶ不法占拠、米軍特措法改悪糾弾の参議院での逮捕、最高裁までの特措法裁判、3年にわたる強制使用との闘いと、1995年9月の米軍による少女暴行事件以来、反戦・反基地闘争の象徴的存在だった「象のオリ」の返還を勝ち取ったことは、うれしさと寂しさが入り混じった妙な気持ちです。
 そして1987年10月の「日の丸焼却」闘争以来20年がたちました。よくも闘ったと、闘いの軌跡が走馬灯のように浮かんできます。
 私も今年で還暦という節目を迎えることになりました。休みたい気持ちも正直ありますが、政治情勢がそれを許さないでしょう。身辺を整理し、ギヤを入れ直し、古波津英興先輩をめざして、反戦・反基地を闘いぬきます。今年もよろしく。

 そこに貴方が必要そこに私が必要だ 百万人署名・沖縄の会共同代表 桑江テル子さん


 08年はどんな年?
 高校歴史教科書改ざんに怒る沖縄の声、自らの過去を正視せず、意図をもって歪曲する戦争勢力への怒りの声をまともに受け止め、真実に立ち戻れるのか。
 ブッシュ追従でない、日本国憲法を順守する政治に戻れるのか。第9条非戦非武に立ち返れるのか。
 与野党問わず、そのことが問われている。「防衛」という名の軍事産業が隆盛を極め、国民、市民、人々の生活予算を食い荒らし、腐敗の温床と化している。
 決して容認してはならない。糾弾し、弾劾し、うまんちゅ(万民)のくらしを死守しなければ。
 08年は、そんな年にしたい。そこに貴方が必要、そこに私が必要だ。

 9・29と全駐労スト労働者の力は無限 北中城村議会議員 宮城盛光さん

 07年は沖縄にとっても歴史的な1年となりました。9・29県民大会(12万人結集!)、全駐労(基地労働者)のストライキへの決起、11・4全国労働者集会の感動的な実現。どれひとつとっても新たな激動の時代を感じさせるものです。
 私もかつて全軍労牧港支部・青年部(牧青)として闘った経験があります。今私たちの目の前で起こっていることは、労働者が自分の持っている力に目覚め、この腐り切った社会を変革しようという巨大な力として登場し始めているということです。ストライキに立ち上がった基地労働者(特に青年労働者)はストライキの中から、あらゆることを学び、自分たちの力を自覚し始めています。
 9・29県民大会も、高教組・沖教組の労働者が立ち上がれば、何ができるのか、労働者の力は無限であることを示してくれました。「検定意見撤回」の闘いはこれからです。そしてこの闘いは「日の丸・君が代」不起立で闘う教育労働者の闘いと一体のものです。
 そして「労働運動の力で革命をやろう」という青年労働者・学生の決起こそ闘いの原動力です。
 沖縄では辺野古への新基地建設をはじめ怒りが全島に渦巻いています。労働者・民衆の団結した力で戦争と改憲につき進む福田政権を打ち倒しましょう。今年も頑張りましょう!

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週刊『前進』(2325号3面2)(2008/01/01 )

 大阪・八尾市西郡の闘い 労組先頭に住宅闘争

 

【写真左】11月21日、「住宅追い出し許すな!」と住民、労組、支援ら100人が八尾市役所包囲デモ
【写真右】同日、市役所前で市と住宅管理課への抗議の先頭に立つ末光道正市議(中央)

 大阪・八尾市の西郡(にしごおり)では八尾北医療センター労働組合や部落解放同盟全国連西郡支部が市営住宅家賃値上げ・住民追い出し攻撃、八尾北医療センター民営化・人員削減・労組破壊攻撃と闘っている。決戦の渦中にある住宅闘争の現場からの報告を掲載します。(編集局)

 11・4を転機に攻勢に立つ

 今、西郡は決戦のまっただ中です。「10月31日までに団地から出て行け」という不当な攻撃が、八尾北医療センター労働組合(八尾北労組)の組合員でもある3人の西郡住民にかけられています。八尾市は、議会で3人を強制的に団地から追い出すことを決議し、裁判所に訴えようとしています。12月議会は白熱的な攻防にあります。
 八尾市・住宅管理課(住管)は、追い出そうとしている3人の住民の給与を4分の1も差し押さえ、住宅闘争をつぶそうとしてきました。しかしこの八尾市・住管のもくろみは完全に吹っ飛んでいます。「柱に体をくくりつけても闘い抜く」と決意した3人と、この3人とともにムラぐるみ・地域ぐるみで闘う住民、そして八尾北労組の闘いがあるからです。私たちは、この住宅闘争を八尾市中の労働組合に持ち込み、闘いを呼びかけ、八尾の労働運動を塗りかえていく決意です。
 闘いの決定的な転機になったのが11・4労働者集会です。10月31日、住宅闘争勝利住民総決起集会を200人の結集で大成功させ、その勢いで部落解放同盟全国連西郡支部、八尾北命と健康を守る会、八尾北労組が一体となって大型バス1台で11・4集会に参加しました。11・4に参加して、「この労働者と団結して闘えば必ず勝利できる」「こんな闘いをやろう」とつかんだのです。
 集会後、参加者が集まり、感想を出し合いました。『前進』を広げ、私たちの隊列の写真を見て歓声が上がりました。
 「今回は怒りが爆発した。青年労働者と学生がすごいデモをした。警察の規制をはねとばして解放区になった。住宅闘争を全国に広げたいと、住宅闘争陳述集を146冊売った。弁護士や報道の人にも。同和住宅に応能応益家賃をやるのは解放運動をつぶすもんやと訴えた。西郡の闘いの正しさが広がった」
 「今年はかっこよかった。デモの時、『民営化許さない』のプラカードを持って歩いた」
 「住宅追い出しと闘う3人のためだけにがんばっているんと違う。3人の追い出しを阻止して、がんばって団地を建てさせた時の家賃制度に変えさせる。それでみなさんと一緒にやっている」
 「東京に引っ越した患者さんが妹夫婦と一緒に会場まで来た。三池炭坑の労働運動をやっていた時のハチマキを巻いて参加しはった。『やっぱり団結ですな』と言っていた。毎年形の違う出会いがあり、やっぱり行くべきやなあと思った」
 「新聞(『前進』)にも出てたけど、今回のデモは一番おもしろかった。時間も忘れる。会場でパンフを売って『なんで団地追い出されるの』と話したら『がんばってや』と声をかけられた」
 「住宅闘争は長いこと裁判の中に運動が閉じ込められてきた。攻防の主導権も八尾市・住管にあった。でも今はこっちから打って出る闘いを始めた。これまでの何倍もビラをまいて、今度はデモもかける。次第に向こうは行き詰まってきている。必ず逆転できます。11・4は、全国の労働者の力がひとつになり、国境を越えた団結の力で立ち向かっている。自分たちの行動で住管にがんがん突きつけていこう」

 100人で市役所包囲デモ 

 私たちは、11・4に続こう、沖縄のように「国が決めたことでも変えられる」という闘いに続こうと決意し、連続して市役所前の集会、ビラまき、住管追及に立ち上がっています。11月21日には市役所を取り巻く100人のデモを闘いました。この力で12月議会の攻防に突入しています。
 住管は「9月17日までに来庁しなかった」ということを唯一の理由として3人を追い出そうとしています。末光道正議員との事前の話し合いで、住管はその期限を延期すると約束したにもかかわらず、「期限は延期しないと回答した」とウソを書いた文書を送りつけてきました。末光議員は12月13日の市議会建設常任委員会で、その時の会話のテープを証拠として提出し、住管のウソを暴きました。追い詰められた議長は末光議員の発言を制限し、傍聴者の退廷命令を乱発しました。また日本共産党は住管の手先となり、末光議員の追及を妨害しました。
 私たちは乱発される退廷命令をものともせず闘い、市議会と田中誠太市長の不当性を八尾市中に暴き出しました。
 住管と一体となり、部落差別をあおり、労働者人民のなかに差別・分断を持ち込む共産党は労働者の敵です。また、その手先として八尾市職労(自治労連)は、「国が決めたことに従え」と言い、末光議員が市議会で八尾市の差別行政を糾弾することを「行政介入」と非難し、差別をあおって、住宅闘争の破壊の先頭に立っています。
 私たちは市職労執行部に「公開質問状」を突きつけましたが、彼らは答えようとせず、受け取りさえ拒否しました。私たちは八尾市役所で働く自治体労働者に住宅闘争の正義性を訴え、市職労執行部を打倒し、闘う自治体労働運動をつくり出そうと呼びかけています。
 闘いはこれからです。12月21日の議会最終日に向けて、立ち退きを迫られている当該の怒りのハンストが20日から闘われます。08年、私たちは、部落解放運動を自らの課題とし、労働者住民から生きる権利を奪う住宅の民営化阻止、医療の民営化阻止を掲げて闘っていきます。全国からの支援をお願いします。(投稿/八尾北医療センター労働組合・青木麻季)

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週刊『前進』(2325号3面3)(2008/01/01 )

 福嶋裁判控訴審 高裁が早期結審策動
 証人採用拒否を徹底弾劾 

 福嶋昌男同志に対する控訴審第1回公判が12月13日、東京高等裁判所第2刑事部(安廣文夫裁判長)で開かれた。
 福嶋同志は、1986年の迎賓館と米軍横田基地へのロケット弾戦闘の「共謀共同正犯」としてデッチあげられた。福嶋同志は無実である。ところが、東京地裁・服部悟裁判長は、2006年3月、実刑12年のデッチあげ重刑判決を出した。これを覆すための控訴審の開始である。
 傍聴席は、福嶋同志の家族・友人、支援者らでいっぱいとなった。
 公判では、弁護人の控訴趣意書が陳述された。さらに福嶋同志の控訴審にあたっての意見が弁護人によって代読され、福嶋同志は自ら無実であり、一審判決がいかに証拠と事実に基づかない政治的判決であるかについて怒りを込めて弾劾した。
 一審判決は、「岩手押収物」であるメモが迎賓館・横田事件のための飛距離計算等が書かれたものであると勝手に解釈し、そのメモの筆者が福嶋同志であるとして、有罪判決を行った。しかしながら、メモは福嶋同志の書いたものではないし、飛距離計算など行われていない。
 弁護人は、この日までに、▽この裁判の重大な争点であるメモの筆跡が福嶋同志のものではないとする新たな筆跡鑑定人▽メモを福嶋同志の筆跡と決めつけた一審判決を批判する二つの意見書▽学者証人−−の事実調べを請求した。また、本件の証拠とされたメモ内容が両事件の準備行為に関連するとした一審判決の判断の誤りを明らかにする物理学者を証人請求した。
 これに対して、この日、安廣裁判長は、これらの被告・弁護側の事実調べ請求をまったく顧みることなく抹殺し、事実調べをする必要は一切ないと言い張った。一審判決を覆す筆跡鑑定書を作成した鑑定人の証人採用を拒否し、メモ内容が飛距離計算などではないことを明らかにする学者証人も採用するつもりはないと強弁した。絶対に許せない。
 安廣裁判長は、早期結審−3月判決を意図していることを露骨に明言し、福嶋同志を早く「被告席」から解放させるためであると、あたかも被告のためにそうしているとまで言い放った。
 11月労働者集会は、闘う労働者が職場から決起し、体制内労働運動の壁を団結の力でぶち破って、帝国主義打倒の革命へ猛然と進撃を開始していることを示した。このことを何より恐れる安廣裁判長は、早期結審策動にのめり込んでいる。福嶋同志を先頭に、すべての証人・証拠の事実調べをかちとろう。
 次回、2月12日の第2回公判で、高裁の不当な早期結審策動を粉砕しよう。2月23日、迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会主催の「差し戻し審・控訴審の勝利をかちとる集会」に結集しよう。

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週刊『前進』(2325号3面4)(2008/01/01 )

 『未決勾留16年』を推す
 理不尽な弾圧を告発
 被告団の熱い呼びかけ
 高田隆志

 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧とは何か、それはどれほど卑劣で悪質な弾圧であるか、それに対する反撃はいかに闘われてきたか。これらのことが余すところなく盛られた1冊の本がついに刊行された。
 この弾圧は現在進行形である。須賀、十亀、板垣の3同志の裁判は、一審無罪判決を東京高裁が無理やり覆し「原判決破棄・一審差し戻し」の暴挙に訴え、最高裁もそれを追認した。同じ事件で共犯とされ別に起訴された福嶋同志は一審で有罪判決を受けた。20年も延々と続く国家権力の攻撃に対する闘いはいまだ道半ばである。
 この20年の闘いの集大成でもある本書は、したがって、二つの裁判の絶対勝利に向かって、闘うすべての労働者人民に知ってほしい、という呼びかけである。被告同志たち、そしてそれを支えて闘ってきた人びとのほとばしる熱い呼びかけが聞こえる。

 鮮明な判決批判

 まず、圧倒的に迫ってくるのが、被告団が執筆した「私たちはやってない」という章と「完全無罪をわが手に」という章である。
 前の章では、1986年の迎賓館および米軍横田基地に対するロケット弾戦闘によって大打撃を受けた日本政府・権力が、「中核派壊滅宣言」を発してなりふり構わずデッチあげ弾圧に乗り出して以来の、20年間にわたる攻防を鮮明に描き出している。特に節目となる日付が小見出しに付されているので、事柄の推移が良く頭に刻まれるようになっている。
 証拠もないのに起訴して裁判に持ち込み、質的には証拠価値のない「証拠」を総動員して提出し続け、「いつ、誰が、どこで、どのように」という基本的な「罪状」を明らかにしないまま論告求刑を強行した検察。その間16年間もの未決勾留にするという拷問的な人権抑圧。一審無罪判決はあまりにも当然だった。
 控訴審は当初、検察側の証拠申請を一括却下し、控訴棄却は当然と考えられた。ところが、判決では「審理不尽」なるデタラメな理由で無罪判決を破棄した。この全体がどれほど許しがたいものであるかを、被告団は克明かつ精密に暴き出している。巻末の資料を読めば、ますますそれは裏付けられる。
 後の章では、各被告が怒り心頭に発し、同時に勝利への執念と確信に燃えて、決意を表明していて、これも激しいインパクトがある。「デッチあげなどで人生を台無しにされてたまるか」(十亀同志)という憤怒の叫びだ。
 公判で、「裁かれる被告」としてではなく、権力犯罪を暴き弾劾する闘争者として立ち続けた被告の姿勢が、どの文章にも貫かれている。

 広範な支援陣形

 この本のもう一つの特徴は、広範な裁判闘争支援者によって作成されたことだ。それはこの弾圧との闘いの普遍的な意義を示すものといえる。裁判員制度や共謀罪の新設攻撃は、証拠がなくてもどんどん迅速に有罪判決を出せるようにするものだ。だから本書は司法改革を始め国家権力の強権化を告発し、それとの闘いの道をも指し示す。
 「司法よ、教えてほしい。お前は何のために、誰のためにある機関なのか。その目は何を見ているのか、そして耳は、何を聞いているのか」。横浜事件の被害者・木村亨さん(故人)のつれあいである木村まきさんは、こう弾劾している。
 この爆取弾圧がすべての闘う人びとにとってけっしてひとごとではなく、無縁な人はいないことが多くの筆者によって語られている。
 ページ数は多いが、一気に読める。この本を多くの人に薦め、裁判闘争をなんとしても勝ち抜くためにともに頑張ろうという決意を新たにした。
   ◇
 『未決勾留16年』刊行委員会編・著/発行・編集工房 朔/定価・本体1800円+税(前進社でも扱います)

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週刊『前進』(2325号4面1)(2008/01/01 )

 '08新年メッセージ

 団結の力で勝利開こう

 青年労働者・学生の巨大な決起の年に! 全国労組交流センター代表運営委員 辻川慎一さん

 「窓際」ならぬ「ホーム際」20年。だが動労千葉と共に闘ってきたおかげで、毎年胸躍る出会いに恵まれる。
 07年は、紛れもなく日本階級闘争の転換点だった。3・18集会で鮮烈に登場した青年労働者と学生が、あらゆる困難や妨害にひるまず「労働運動で革命を!」のスローガンを掲げ、団結を深化させ、限りなき戦闘性で11月集会5700の結集と解放的デモを牽引(けんいん)した。
 07年動労千葉と動労水戸は「国鉄分割・民営化攻撃に対する完全勝利」を宣言した。「新自由主義」攻撃の切っ先、国鉄分割・民営化を団結の力でうち破り、JR体制に完敗を強制したのだ。
 私は、沖縄をはじめ各地で多くの青年労働者と出会い、さらに学生の燃え上がるような息吹に接した。さまざまな試練と格闘し、情熱的に時代をつかみ、革命へと強固な団結を生み出している姿に心底胸を打たれた。
 08年は、彼らが火花となり巨大な青年の決起を実現する年になる。「新しい酒は新しい革袋へ!」、「古酒は、厳しく深味を増し!」時代を迎え撃とう!(茨城県地域連帯労組委員長/国鉄水戸動力車労組副委員長)

 労働者・農民が革命勝利へ突き進む時代 国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団副団長 葉山岳夫さん

 激動の2008年の年頭にあたりご挨拶(あいさつ)を申しあげます。
 2007年沖縄での12万人の大集会の成功、動労千葉をはじめとする3労組主催の11・4集会の成功、国際連帯の一層の強化、三里塚の市東さんの農地取り上げに反対する裁判では、法廷に入り切れない傍聴闘争参加者の増大等々、情勢は確実に盛り上がってきています。階級的労働運動が職場において、デモ行動において着実に展開されています。法政大学をはじめとする学生運動も燃えひろがってきました。「労働運動の力で革命をやろう」の叫びは「生きさせろ」の叫びと結合しつつあると思います。
 福田政権、日本経団連をはじめとする総資本は、自らの生存をかけて9条改憲攻撃を強めつつあります。この攻撃は、法体系、政治支配体制を反動的、根本的に変革する反革命クーデターです。この反革命に対しては、革命によって対決するほかないでしょう。
 1917年のロシア社会主義革命から、あと10年で100周年です。今年は、カウントダウンの闘いを開始する年と思います。革命の勝利で労働者、農民が生き残るのか、帝国主義戦争で殺されるのか、二者択一の時代が来たと思います。
 動労千葉、三里塚芝山連合空港反対同盟、5・27国労被告団と固く連帯して、裁判闘争勝利のため闘い抜く決意です。一層の連帯とご支援をお願いします。(動労千葉弁護団長/三里塚反対同盟弁護団事務局長/救援連絡センター代表弁護士)

 “反撃から攻勢へ”の転換こじ開ける決意 とめよう戦争への道!百万人署名運動 小田原紀雄さん

 参議院選挙の結果と、愚劣きわまる安倍政権の倒壊、福田政権の登場という事態を受けて、「改憲」策動が後退したかの様相を呈している現在であるが、新テロ法制定策動、給油法の強行制定の動向と同時に、11月29日深夜の習志野自衛隊基地へのPAC3の抜き打ち的搬入に象徴的なように、「日本国憲法」の「上位」である日米安保条約に基づく軍事施策は、「テロ対策」を口実に、実質的な「改憲」状況を着々と作り出している。
 この機に、百万人署名運動の現状は、諸般の事情があって、十全に機能しているとは言い難い状況が続いているが、全国に張りめぐらした連絡会のほとんどはまだ活力を保持しており、各地で新たな方針をめぐる水準の高い論議を続けている。
 08年3月末までに、「ミサイル防衛(BMD)」計画の展開として横須賀の武山、霞ケ浦へのPAC3の配備がもくろまれており、入間に配備されたこれの首都圏展開訓練の実施が迫っている。関東圏の百万はこれを迎え撃つべく、習志野の闘いを主導したみなさんに学びつつ、地域から反戦・反基地の闘いを創り出す。百万の生命線である署名運動のねばり強い展開と同時に、こうした闘いこそが「改憲阻止」の闘いの内実でなければならない。
 ジョルジョ・アガンベンのいう「例外状態」が恒常化したかのような世界情勢下にあって、百万人署名運動は労働者階級総体の反撃から攻勢への闘いの転換点を、自らがその主体としてこじ開ける任務を担う決意でいる。全国の仲間たち、艱難(かんなん)が闘争主体を鍛錬してくれる機会ととらえ、全力で百万10年の闘いの蓄積の上に、08年、さらに大きく飛躍しよう。

 闘う星火団の主導で新日本人民共和国を 在日台僑元日本兵 林歳徳さん

 2007年9月29日、琉球人民12万余人が反日帝の大集会を行った。
 同年11月4日、日帝の首都東京の日比谷公園大野外音楽堂で、日韓米の労働者人民が連帯して日米の世界支配の侵略戦争反対大会を行った。会場は超満員で5700余人の反戦哮(おたけ)び声が天に響いた大盛況の大会だった。
 集会後の反戦デモコースは、会場→新橋駅→銀座大街→東京駅。銀座大街はデモ隊で充満し、まさに解放区同然であった。そのデモ隊を阻止する武装警官隊の大阻止行動を突破して大勝利の大会だった。世評は「45年ぶりの快挙だ」と称賛した。
 08戊子(つちのえね)革命年は07年以上に発展して、闘う日本人民(星火団)主導で、国際人民と団結し連帯して日米英露覇道者の世界支配の野望の夢を撃破して、平和的世界の中に、新鮮で平和的「新日本人民共和国」が誕生することを共に闘い、共に喜ぶ万歳の哮び声を叫んで、08年戊子革命元旦の祝賀を私の新年のメッセージとす。
2008年戊子年革命元旦記 林歳徳 90歳

 戦争・差別なくすのは労働者階級の団結だ 反戦被爆者の会会長 大槻泰生さん

 闘いにあけ闘いにくれた昨年で、世の中は大きく変わりました。
 「病は気から、元気を出して」と自分に言い聞かせて、私は被爆の後遺症である皮膚ガンとの闘病生活を続けてまいりました。
 62年前の8月6日、私たち被爆者は、悲しいつらい苦しい体験をしました。最愛の肉親すら救出することもできなかったあの時の光景は、今も私たちの心に焼き付いています。
 戦争は、最大の人権無視であり、差別でもあります。それをなくすのは労働者階級の団結以外にはありません。闘いは、一面では荊(いばら)の道ですが、団結の力でそれをのりこえてゆきましょう。
 同時に、ヒロシマが原点となり、沖縄闘争に立ち上がったために、無実のまま33年間も獄につながれている星野文昭さんをとりもどすことは、被爆者としての私の務めと決意しています。
 ヒロシマが、世界の人々との平和への掛け橋となることを念じ、「敵権力よりも一日長く」がんばりましょう。
 人の世に熱あれ! 人間に光あれと言える世の中を目指して!

 帝国主義の断末魔の悲鳴が聞こえるか 東京反戦共同行動委員会代表 三角忠さん

 2008年は、安倍を打倒した日本の労働者階級が帝国主義の危機の深化をさらに促す階級決戦の年になる。いやそうしなければならない。
 2006年の秋、朝鮮民主主義人民共和国の「核の脅威」をデッチ上げ、核武装論が一気に浮上した。それをテコに、07年に入って前年の沖縄嘉手納基地に続いて、3月末、埼玉・陸自入間駐屯地、11月末、千葉・陸自習志野駐屯地にパトリオットミサイルPAC3を強行搬入した。12月には東京新宿御苑にも移動展開訓練を狙っている。
 MD(ミサイルディフェンス)の全面展開こそ、「国民保護計画」そのものである。
 MDは、タテマエの「専守防衛」から、「攻撃は最大の防御」への転換を、さらに画段階的に押し上げるものである。この窮極目標は、朝鮮・中国を照準にした「核の先制攻撃」だ。
 だが、これに恐れをなす必要はない。日本の帝国主義の危機がそれほど深いということだ。私にはそれが帝国主義の断末魔の悲鳴に聞こえる。
 11月労働者集会に結集し、国際連帯の力を、こうした「核の先制攻撃」というアジア侵略の刃を逆のテコとして闘おう。階級的労働運動の中にしっかりと反戦反核の魂を根づかせていこう。
 階級的確信を胸に、東京反戦共同行動委員会は本年を先頭で闘う。共に固いスクラムを。

 「私ってすごいかも」の誇りを胸に全国へ 反戦共同行動委員会事務局長 滝口誠さん

 9・29沖縄県民大会、12万人の怒りの決起と深く結びついた11・4労働者集会、そして民主労総労働者大会への百名を超える仲間の合流。
 昨秋の国境をこえた団結と闘いは「死の苦悶(くもん)」にあえぐ帝国主義と真っ向から対決し、同時に労働者の「反乱」を抑えている腐った既成の労働組合指導部・政治勢力を根底から突き破り、階級的団結の前進のもとでの広範な労働者人民の総決起にむけた歴史的一歩を切り開きました。
 青年労働者・学生を先頭に熱気と解放感あふれる闘いの中で、「労働者の団結で世界を変えよう」という戦闘宣言が発せられました。
 米国から参加したアーリーン・イノウエさん(「校内の軍国主義に反対する連合」代表)は、「私ってすごいかもと思えてきた」と言いきり、結集した5700名の仲間も「俺(おれ)って、私ってすごいんだ」という自信と誇りを胸に全国の職場、地域、学園に就いた。
 迎えた08年、いよいよ本格的反撃の時です。
 首をかけ不起立を闘う根津さん、河原井さんの闘いにつづき、戦争と民営化攻撃粉砕・福田政権打倒の08春季闘争に進撃しようではありませんか!

 福田打倒へ労働者の団結で立ち向かう時 婦民全国協代表 相模原市議会議員 西村綾子さん

 「生きさせろ」の叫びが文字どおり地の叫びとなってあふれている現実の中で、世界各地で労働者が共通の課題に苦しみ、そして立ち上がっています。この情勢をしっかりとらえて、進むべき道を見出すことの大切さを痛感しています。
 その意味で11・4国際連帯・労働者集会と沖縄12万人の決起は、大きな展望を示したと思います。
 経済危機を深める米帝の生き残りをかけた世界戦争戦略にいの一番で賛成協力し、改憲して戦後民主主義的権利はすべて破壊するという福田政権は倒されるべきです。あいまいさなく労働者階級の団結で立ち向かう時です。
 戦争国家をつくろうとする者たちの手口はすでに経験済みです。教科書問題、福祉の相次ぐ民営化、自己責任論の鼓吹。労働者への搾取の拡大。核武装を含めた軍事強化、増税……そして労働組合つぶしの攻撃は、労働者の団結が、世の中を変える力であることを敵が一番よく知っているからでしょう。
 相模原は、今まさに日米共同の作戦・訓練・実戦の前線指揮所になろうとしています。初年1億5600万円の米軍再編交付金の札束や一部返還で命と暮らしを売り渡すわけにはいきません。
 2008年、私も階級の一員として議会内外で頑張ります。

 労働者階級とあゆむ革命的議員めざして 杉並区議会議員 北島邦彦さん

 『前進』読者のみなさん! 08年を労働者階級の闘いが大前進をとげる年としようではありませんか。
 昨年11・4での5700個の感動を、今年こそ1万個の感動にしましょう。労働者階級の団結した力でいよいよ危機に立つ日本帝国主義を、ついに打倒することのできる情勢を私たちは握りしめています。
 日本帝国主義は危機にのたうちながら、福田内閣という最悪で最弱の政治権力をもって攻撃をしかけてきています。改憲・戦争と民営化―労組破壊がその攻撃の軸であり、そこにしか帝国主義としての延命の途を見出せなくなっています。
 この攻撃を打ち破ることができるのは、団結した闘う労働者・労働組合を基盤にした革命をめざす荒々しい行動のみです。民営化は労働者の団結を破壊し、労働者に極限的で劣悪な労働条件を強制する攻撃であり、労働者階級にとってけっして許すことのできない攻撃です。
 山田宏杉並区長が進めようとしている「杉並まるごと民営化」との闘いを、議会内外を問わぬ活動で必ず打ち破り、杉並区で働く自治体労働者の団結をともに奪い返していく決意です。
 労働者階級とともに歩む革命的議員をめざして、08年を全力で疾走していきます。ともに闘いましょう!(都政を革新する会事務局長)

 マルクス主義の旗のもと一致・団結して 阪神被災地・雇用と生活要求者組合代表 長谷川正夫さん

 全国の闘う仲間の皆さん! 新年おめでとうございます。
 被災地の運動は、港合同や動労千葉など全国のいろいろな人びとに支えられて今日まで生きてこられました。心から感謝します。
 私は、労働者が先頭に立って闘って、先頭に立って死んでいくという精神で闘ってきました。被災地の運動は、関西合同労組だけでなく要求者組合や企業組合も一つの答えです。
 被災地では労働者階級人民が抑圧と差別に対して立ち上がって来ました。それが被災地の13年間の闘いの歴史です。10月23日に「神戸市は同和住宅から追い出すな!」というスローガンを掲げ、生存権をかけて神戸市行政と闘いました。
 被災地の闘いは永遠に不滅です。不滅の闘いとは何か。労働者の団結です。団結こそが労働者の命です。そして立ち上がる時には労働者が一度に立ち上がる。それが革命です。だれにも止めることはできない。
 全国の仲間は、マルクス主義の旗の下に本当に労働者階級として一致・団結して闘おう。1月13日(日)に「震災13周年第27回被災地反失業総行動」(午後1時半、新長田勤労市民センター)を、”同和住宅からの追い出しをやめろ! 生きる権利・働く権利をかちとろう”をスローガンに開催します。結集をよろしくお願いします。

 世界の労働者は一つ国境を越える闘いを 沖縄民権の会 座覇光子さん

 去る2007年は、身近に多々感じた年であった。
 杉並区議選から確認することは、区議になって地位、名誉を得たとしても、何も持たざる労働者階級を絶対に裏切ってはならない、労働者はこの社会を支える土台石なのだから……。
 沖縄戦の「集団自決」に軍命はなかったとする記述に抗して12万近くの沖縄人民は立ち上がった。
 それに「つづけ」とばかりに東京で5700名の集会、デモで応えた。これからも「つづく」ためにヤマトの権力者のみならず労働者は沖縄を抑圧して来た歴史の責任をはっきり自覚してこそ、沖縄の労働者とヤマトの労働者は真に一体となって闘えるし、我々の時代を獲得できる。
 また沖縄人民12万決起以前に、「南京大虐殺」で30万人を7千人と変え、朝鮮の「軍隊慰安婦」の軍命はなかったとして削除したことに我々は抗議し、謝罪すべきではなかったか! 闘わなかった結果、「集団自決」も打ち消されようとした。
 「世界の労働者は一つ」であるならば、我々こそが国境を越える闘いを、この日本で展開しようではないか! そうすれば明るい未来が開かれる予感がする。

 自国の侵略戦争との対決を兵士の中に 反戦自衛官 小多基実夫さん

 昨年来のPAC3の搬入と移動展開訓練に対する強烈な反撃と、アフガン−イラク侵略戦争からの撤退を勝ちとるよう年頭に誓います。
 昨年8月、イラク先遣隊長であった佐藤正久参院議員は、「オランダ軍が攻撃されたら、情報収集の名目で現場に駆けつけあえて戦闘に巻き込まれて正当防衛・緊急避難の状況をつくり、オランダ軍を警護するつもりであった。そのことで裁かれるのであれば喜んで裁かれてやる」と公言しました。軍部の独走とデッチ上げによる戦争拡大が「南京大虐殺」時の日本軍を想起させる様相で進行しています。
 シビリアンコントロールはもとより自衛隊法、イラク特措法すら踏みにじると公言する佐藤のような無法者を現地戦闘部隊の最高指揮者に抜てきして開始したこの戦争を許しておけません。
 「占領軍がイラク人民に攻撃されたら、駆けつけて撃たれ、死んで開戦の人柱になれ!」と命令され、日々その覚悟を迫られてきた多くの帰還隊員(軍服を着た労働者)が、現実にPTSDに苦しみ自殺に追い込まれています。兵士と家族の中に反戦を広げる闘いを、現にいま行われている自国の侵略戦争への具体的対決の一環として共に切り開きましょう。

 医療・福祉切り捨てに弾圧をはね返し闘う 高槻市議会議員 小西弘泰さん

 読者の皆さん、新年おめでとうございます。
 私は1999年に「いのち第一、福祉は権利」をかかげて高槻市議になり、「反戦・福祉議員ネット」の一員として、戦争と差別に反対し、医療・福祉の切り捨てを許さない闘いの先頭に立ってまいりましたが、今年はいよいよ正念場を迎えたと決意を新たにしております。
 民衆の怒りによって打倒された安倍政権に代わった福田政権も、後期高齢者医療制度の強行や給油新法の制定策動など、戦争と社会保障の切り捨て・格差拡大の道を突っ走り、独占資本救済のためには労働者・民衆は犠牲になれという考えを露骨に打ち出しました。
 一方、政・官・財の癒着による汚職は底が知れません。もはや、このような腐敗しきった社会は根底から変革する以外ありません。その根本の力は労働者階級の闘いの中にあります。福田政権に対する民衆の怒りはほとばしりつつあります。労働者(労働組合)の皆さんがその中軸となって闘いを牽引されることを心から期待するものです。私も医療・福祉切り捨て攻撃との闘いを軸として、弾圧をはねかえし全力で闘います。

 団結は国や行政と闘ってこそ強まる 八尾市議会議員 末光道正さん

 あけましておめでとうございます。私達は、八尾市が解同本部派、共産党と結託して進めて来た、「応能応益家賃による改良住宅からの追い出し」「八尾北医療センターの売り渡し」と闘ってきました。団地も診療所も自分たちの闘いで建てたものだ! 民営化で、労働者、住民の命の砦(とりで)=住宅と医療を奪うことなど絶対に許せない!
 行政や共産党による部落差別攻撃、人民分断攻撃の壁を打ち破って、05年に八尾北医療センターの民営化を阻止し、その力で06年全国連西郡支部を結成、07年には市議会選挙にも勝利しました。
 八尾市は最後の切り札として、支部員であり、八尾北労組員である3名の仲間の「給与差し押さえ・住宅追い出し」攻撃をかけてきました。しかし「体を柱にくくりつけてでも闘う」と決意を固めた3名を先頭にした闘いは、敵の狙いを吹き飛ばし追いつめています。
 11月4日バス1台で労働者集会に参加し、11月21日には八尾で初めて100人のデモをしました。団結は国や行政と闘ってこそ強まる! みんなのつかんだ確信です。
 八尾の労働組合の獲得に向けて立ち上がる八尾北労組を軸に、支部、守る会、住民の団結の力を強め、新年を勝利の年とします。(部落解放同盟全国連合会西郡支部事務局長)

 「革命」が青年労働者の心に響く時が来た 泉佐野市議会議員 泉州住民の会事務局長 国賀祥司さん

 新年あけましておめでとうございます。全国の闘う仲間のみなさん、今年はいっそう強く団結を固めて勝利の年にしましょう。
 昨年は、情勢の大激動に見合った激しい闘いの年になりました。参議院選挙では労働者、農民の怒りが爆発し、「美しい国」=戦争国家を標榜(ひょうぼう)した安倍を打倒しました。民主党も混迷しています。
 それに比して、わが11月労働者集会の大成功は労働者人民の勝利性を示しました。動労千葉を先頭に日本の労働者の決起、アメリカ、韓国の戦闘的な労働者の結集、国際連帯−世界革命の展望をこれほど具体的に示した闘いはありません。
 今年はこの地平をいっそう拡大し、労働運動と反戦闘争を爆発させる決意です。昨年の闘いの経験から確信を持って言えることは、「革命」が青年、労働者の心に響き決起する情勢がきたということです。労働者の闘いを裏切り、歴史を逆戻りさせようとする反動を粉砕し、闘う団結を固めて青年労働者を先頭に日本革命の展望を開く決意です。
 また泉佐野市民と共に新田谷市政の労働者・市民犠牲に対して闘います。そして関空の軍事空港化、北朝鮮侵略空港化を絶対に許さず闘います。
 全国のみなさん、2008年も共に闘いましょう。

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週刊『前進』(2325号5面1)(2008/01/01 )

 「北延伸」粉砕! 市東さんの農地を守れ

 三里塚から労農の新たな団結を

 権力との正面対決貫く 反対同盟新年の決意

全国から1460人の労働者・農民・学生が結集し、反対同盟との血盟にかけて市東さんの耕作地を死守する決意を固めた(10月7日 成田市東峰)

 NAA(成田空港会社)による市東さんの農地強奪を許さず、日帝の農業切り捨て政策と全力で闘いぬいている三里塚芝山連合空港反対同盟から寄せられた新年のメッセージを掲載します。(編集局)

 自信もって08年へ 事務局長 北原鉱治さん

 反対同盟は昨年の闘いに充実感をもち、自信を持って08年へと歩を進めることができる。
 成田国際空港はなぜ完全空港にならないのか。この空港建設は農民の農地を金と暴力で強奪する理不尽によって進められてきたのであり、これに対する人民の抵抗闘争が正義だからだ。永久に完全空港化はあり得ないと宣言する。東峰地区において空港会社は新誘導路の工事を進めているが、住民無視の一方的な工事強行は必ず粉砕されるであろう。
 市東さんの祖父の代から引き継がれた耕作地を農地法で取り上げるなど前代未聞のやり方であり、違法そのもの、言語道断だ。
 「不法耕作」裁判においてはこちら側の追及にあい、空港会社の代理人が明快な回答も出せない。天神峰現闘本部裁判においても、私自身が案内役を買って出ているにもかかわらず、裁判長はかたくなに現地調査を拒否している。
 もしこの市東さんの農地が彼らの手中に入ったならば、それは農業つぶしの先例にされ、やがては「公共」の名による日本列島全体の農業つぶしの手本にされてしまうだろう。生きるためには闘うしかないということだ。
 昨年も韓国・民主労総の労働者が、三里塚闘争42年に敬意を表して現地を訪れ、反対同盟との交流を深めた。また米国の闘う労働者も三里塚に心を寄せている。全世界の労働者・農民の団結した闘いによって世界平和が来るという将来像が、具体性をもって見えてきた。
 08年新年にあたり、心あるすべての労働者人民、とりわけ若い労働者・学生が今こそ自分たちの将来をかけて、三里塚とともに立ちあがることを訴えたい。

 原則貫いて勝とう 事務局次長 萩原進さん

 07年、支配階級の足下に火が付いた。首相が政権を放り出し、政財界はスキャンダルにまみれ、経済はアメリカの住宅バブルで全世界に矛盾が及んだ。地方の疲弊は進んだ。国や地方がもてあましたものはすべて民営化だと、そして首切り・賃金カットで格差がさらに広がった。「改革」というふれ込みでやられてきたことが、実は民衆にとって生活破壊だったということが、だれにも明らかになった。農民に対してもこれまでは「生かさず殺さず」だったのが、「生かさず殺していく」という政策に代わり、国内農業を切り捨て農産物は国外から収奪する路線を選んだ。
 三里塚では、国策に逆らうやつには大型機を頭上40bに飛ばして殺人的騒音の爆撃を浴びせる。ここで農業やるなんて許さないと。そういう意味で憲法改悪は先取り的にここで行われている。すでに、空港を守ると称して国民保護法の名のもとに訓練動員が行われ、ミサイルが搬入された。
 日本における労働者と農民は、今こそ垣根を越えて団結して連帯して闘う時だ。その闘いも条件闘争ではなく、原則的に闘いぬかなければ展望を開けない。また、あらゆる人たちに手をさしのべてわれわれが獲得していくという大胆な発想が求められているんじゃないか。その中で「動労千葉のように闘おう、三里塚のように闘おう」と躊躇(ちゅうちょ)なく訴えることが必要だ。
 韓国の民主労総大会のメインスローガンの一つに「FTA反対」が入っているように、FTAは農民だけの問題ではない。「自由化」の名の下に労働力も国を越えた流動の中に投げ込まれ、労働者間の分断が図られようとしている。労働者階級、労働組合が真っ向から反対を掲げて闘うべき政策ではないか。
 08年、三里塚は労働者・農民の国際連帯のきずなを強め、何としても市東さんへの攻撃を打ち砕く決意だ。

 敷地内の苦闘共有 本部役員 鈴木幸司さん

 07年は動労千葉の大会や動労水戸の結成20周年記念集会にも行って三里塚を訴えてきたが、その場で労働者の闘いに教えられることも実に多かった。
 私は19歳で徴兵され、異国の地で終戦を迎え、モンゴルに抑留され、極寒の中で多くの人が死んでいくのを目の当たりにした。自分も帰国したときは激しい栄養失調で、ご飯もまともに消化できないほどだった。そしてこの社会は農業に根幹を支えられていることを確信し、農業に励んできたが、今はまったく状況が一変してしまった。工業製品の輸出のために農業をつぶすというやり方だ。とんでもないことだよ。
 われわれの闘いは、単に「敷地内の市東さんががんばってるからオレもがんばる」ですませられるものではない。どんなに苦しくても、その苦しみを共有してこそ本物の同志になる。厳しい闘いは敷地内にまかせて……、などという言い訳は通用しない。
 「空港には反対だが、農業用水は空港の世話になる」と言って多くの人が成田用水を受け入れ、結局は闘争から去っていった。部落の中で踏みとどまったのは、わが家一軒。だが闘う者は全国の労働者人民とつながっている。これがなによりの財産であり、私の誇りだよ。
 暫定滑走路を使う飛行機はわが家の真上を飛び騒音をまき散らしている。市東孝雄の闘いはわれわれ一人ひとりの闘いだ。私の名義の一坪共有地を守る闘いも、みなさんと一体となっての闘いだと思う。08年の勝利へ、ともに進もう。

 農地法悪用許さぬ 事務局員 鈴木謙太郎さん

 暫定滑走路「北延伸」は単に北に延ばすということじゃない。明らかに南にある東峰部落をつぶすという攻撃だ。今でさえ堪えがたい騒音なのに、ジャンボ機を頭上40bに飛ばしたら大変なことだ。轟音と風圧で何が起きるかわからない。
 そして曲がった誘導路を今さらまっすぐにしたいから市東さんに出ていけなんて、そんな話があるか。もともと「へ」の字に曲がっていてもやっていけるとタンカを切ったのは向こうなんだから「へ」の字のままでやってろ、ということだ。
 農地法を勝手にあんな風に悪用するのも常識を超えてる。成田治安法だって国会で過半数の投票がなければつくれなかった。憲法だって、国民投票法で投票しなけりゃ変えられない。農地法は農水省が勝手に変えられるというわけだ。こんなでたらめな話があるか!
 三里塚関連の裁判は、行政も司法もグルになって土地の強奪をやろうとしている。現闘本部裁判では、裁判長は現地調査をかたくなに拒否している。反対同盟と弁護団は裁判長の忌避を申し立てたが、最高裁はこれを棄却した。われわれは現地調査を今後も徹底的に迫っていく。
 市東孝雄さんの耕作地をめぐる闘いに、反対同盟の存亡がかかっている。農地の取り上げを絶対に許さない。
 08年、反対同盟は「労働者と農民の新しい社会を作ろう」と訴え、闘う決意です。

 労農の結束固めて 事務局員 伊藤信晴さん

 国家権力は反対同盟の闘いをたたきつぶそうと、市東さんへの猛烈な集中攻撃をかけてきた。しかし市東さんを先頭に反対同盟は団結を固めて敢然と跳ね返し、敵のもくろみを粉砕した。
 アジアゲートウェイ構想という形で、日帝のアジア侵略の戦略が明らかにされてきた。「グローバル化に対応した攻めの農業」などと称して、小規模な農家を切り捨て、大規模な農業経営だけを残そうとしている。今や支配階級は農業つぶしを平気でやろうとする体制に移ったことは明らかだ。
 そうした攻撃と闘う中で、労働者・農民にかけられている攻撃は二つにして一つであり、労働者と農民は結束を固めて闘わなければならないことがはっきりした。
 「反対同盟のように闘おう、動労千葉のように闘おう」という訴えは、今多くの人の心をとらえるスローガンだと思う。反対同盟42年の歴史の意義が、国際的にも浸透している。08年、農地を守る闘いはますます激しくなるだろう。反対同盟は必ず勝利します。

 社会変える闘いを 婦人行動隊 宮本麻子さん

 07年は市東さんを支える運動が広がりました。
 裁判では、傍聴闘争の力がいかに大きいか、実感することがたびたびでした。菅原崇裁判長は反対同盟側に対して測量図の提出をせきたてていました。早期結審を狙っているわけで、08年さらにいっそう裁判を支援する運動を拡大しなくては、と思います。
 11・4労働者総決起集会には私も参加しました。韓国の労働者との交流で、規制緩和・民営化によってあちらでも労働者・農民が生きられない現実に置かれていることを実感しました。集会では萩原進さんが日本農民を代表して演壇に立ち、労農連帯を呼びかけましたが、本当に歴史的な瞬間だったと思います。
 私の職場や身の回りを見渡すと、悲惨な現実を感じざるをえません。娘のバイト仲間の友人は、家族の中のだれかが倒れたら一家共倒れになりかねない状況に置かれていると聞きました。
 私の福祉の職場でも、ホームレスに近い境遇の人が助けを求めて訪れることが多くなりました。当局は以前から人減らしを進めていて、定年などで人員が減っても補充しようとしません。
 こんな社会を変えるため08年、反対同盟は旧年に増してがんばります。

 耕す者に権利あり 本部役員 三浦五郎さん

  私はこの1月6日で満95歳になります。年齢とともに外に出ることがむずかしくなり、大会(全国集会)もご無沙汰していますが、闘う意志は健在です。
  何にもまして許せないのは、市東孝雄君への農地法を使った農地取り上げ攻撃です。こんな理不尽な話はありません。農地法は、敗戦直後、私ども農民組合を先頭にした農民の闘いによってかちとったものです。
  その第1条には「耕す者に権利あり」と明確に書いてあるのです。どこの世界にこの農地法を使って農地を取り上げるという理不尽が許されるでしょうか。
  第3条にも第5条にも底地の売買には耕作権者の同意が必要と明記してあります。市東さんに一言の断りもなく、底地を買ったから畑を明け渡せと要求することは完全な農地法違反です。
  2007年は、労働者と農民の連帯闘争が大いに前進したと聞きました。戦前から小作争議、農民闘争を闘ってきた私としても心強いかぎりです。2008年、ともにがんばりましょう。   

11・4集会を前に韓国・民主労総の労働者が三里塚現地を訪れ、反対同盟と熱く交流した(11月2日)

 この農地守りぬく!畑の耕作者は私だ 事務局員 市東孝雄さん

 07年は私が「不法耕作」で空港会社から訴えられた裁判が5回、私の方から憲法違反として訴えた裁判が1回開かれた。多くの人に傍聴に来ていただき、お礼を申し上げます。
 私の父は土地収用法と闘い畑を守ってきた。私は農地法を悪用した土地取り上げと闘い、この畑を守る決意だ。父の時から国と空港公団は「市東の土地など猫の額だからいつでもつぶせる」と思っていたかもしれないが、闘いも40年以上たって今は「もっと早くつぶしておけば…」と後悔しているのではないかな。
 それにしても裁判で向こうが問題にしてきた土地の位置、形状、境界線はすべてデタラメ、いい加減だ。早くうちを何とかして、東峰をつぶす足がかりにしようとあせっているのだろう。だが耕作者は私だ。農地は農民の命だ。法律の解釈まで変えてこの土地を奪うなど絶対に認めない。私は不本意にも被告にされているが、不正をやっているのは国家権力の側だ。
 東峰では新誘導路の建設が始まっている。萩原さんの畑の脇にはクレーンが林立して、深夜にまで騒音をまき散らして工事が進められている。反対同盟つぶし、住民追い出しの攻撃そのものだ。許せない。
 労働者も農民も、このままでは食べていけない、生きられないという時代を迎えている。車を輸出するために農産物を「自由化」して食料は輸入に頼り、労働者は賃金を下げられる。「トヨタ栄えて農滅ぶ」。こんなあり方を根本から打ち破らなければならない。
 習志野にはパトリオットミサイルが配備され、来年には成田でミサイルの移動訓練が行われようとしている。農民と労働者が、ひとつになって闘う時だと思う。
 今まで三里塚を知らなかった人はぜひ、現地に来てありのままにふれてほしい。そして3・30全国集会への大結集をよろしくお願いします。

10・7デモの解散地で畑の手入れをする市東さん

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 労農の闘い言葉に 天神峰現闘本部裁判を支援する会代表世話人 戸村義弘さん

 2007年の反対同盟の闘いの前進はすばらしい。特に、市東孝雄さんの気負わないでいてどっしりとした存在感に勇気をもらっています。
 何よりも1億8千万円という補償の提示を蹴って、あくまで天神峰の地で農業を続けるんだ、という姿に現代の闘う人間像を見る思いがします。安倍が「美しい国」と言っていましたが、それを言うなら、市東さんのような存在こそが本来の意味にふさわしい。
 また、萩原進さんが壇上から「日本農民の名において」といった趣旨の発言をし、北原事務局長が同盟全体を束ねているのがすばらしい。
 農業・農民問題の切実さが、三里塚闘争の前進もあって、社会的にも注目されてきています。労農学一体の闘いが現実の闘争の基盤の上に展開されている現状を踏まえ、さらにその闘いを言葉として表現し、論理化する作業が必要だと感じています。時代の中で闘いに意味が込められ縄がよじられていくように、言葉がつむぎ出されていく。
 2009年には戸村一作生誕100年を迎えます。新たな角度から戸村一作の存在と闘いをとらえ直す作業を始めたいと思います。
 2008年の三里塚。天神峰現闘本部裁判でも千葉地裁を追い込んでいきます。
(三里塚教会信徒)

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週刊『前進』(2325号5面2)(2008/01/01 )

 全関西実行委員会の決意

 3・30全力決起へ 代表世話人 淡路町空港反対同盟代表 永井満さん

「関空の軍事使用を許さない!」と150人が泉佐野市内をデモした(7月22日) 

 3・30全力決起へ 代表世話人 淡路町空港反対同盟代表 永井満さん

 国家権力の暴虐な土地強奪に抗し、非妥協・不屈に闘う三里塚の闘いは、43年目を迎えました。昨年、暫定滑走路北側延伸に関連して天神峰の市東さんの農地を、本来耕作者を守るべき農地法を悪用して奪おうとする理不尽・悪辣(あくらつ)な攻撃がかけられました。市東さんと反対同盟は毅然(きぜん)とした姿勢でこれをはね返し、闘っています。
また空港会社は、東峰部落と交わした幾つもの約束を反故(ほご)にし、東峰の森の樹木伐採を強行しました。NAAは前身の空港公団そのままに悪辣凶暴な本性をむき出しにして、反対同盟農民に襲いかかっています。
これに対し一貫して、断固・非妥協・不屈に闘いぬく市東さん、萩原さん、鈴木さんと反対同盟を、わたし達関西実行委員会は血盟にかけて守り抜き、勝利することを決意します。本年は重大な決戦の年となるでしょう。
同盟が呼びかけている3・30全国集会に全力で決起します。全国の仲間の皆さんが共に総結集されんことを心から訴えます。
わたし達はまた、憲法を変え、日本を再び侵略戦争に駆り立てようとするあらゆる策動に断固立ち向かい、改憲を阻止し、平和を守り抜くために全力で闘うことを決意します。
全国の闘う仲間の皆さん、共にがんばろう!

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週刊『前進』(2325号6面1)(2008/01/01 )

 革命の時代が到来した!マル青労同に結集を
 マルクス主義を職場で貫き2千万青年労働者の団結を
 青年労働者座談会

イラク反戦4周年・全世界一斉デモ。ストレートに「労働運動の力で革命やろう」と訴えて街頭に飛び出した(3月18日 日比谷野音) 

マルクス主義青年労働者同盟の第4回大会が行われた。時代認識、階級的労働運動路線をめぐって激しい論議が行われた。大会基調のタイトルである「階級の指導部となり、2000万青年労働者の革命に向けた団結をつくろう」をテーマに、青年労働者に語ってもらった。(司会・編集局)

出席者

豊川弘志(全逓)
浜北隆裕(全逓)
住谷 亮(自治体)
辰巳知輝(自治体)
大月悠子(教労)
松根綾佳(医療)
藤代英俊(民間)
庄野拓也(交運)
磯谷彰悟(合同)
上妻莉沙(合同)

 現場で路線貫いた07年 「絶対反対」を掲げて職場に登場

 ――この1年、どのような闘いをやってきたのか聞かせてください。
 住谷 革命的情勢の接近に対し、3月18日に行われたイラク反戦4周年集会とデモで「革命やって戦争とめよう」「労働運動の力で革命をやろう」と宣言した。実行委員会では「革命」をめぐって激論を交わした。この運動は青年労働者の魂を揺さぶったよね。
 松根 街頭の闘いと一体で、自分の壁を突破する闘いに職場で踏み出した。職場・生産点からの決起こそが革命の力だと示してきた1年だった。
 浜北 自分はとにかく「職場で旗幟(きし)鮮明にして闘おう」と思ってきた。8月には初めて局の前でビラを配った。その朝通勤する時は、実はすごく気が重かったんだよ。でも職場の門をくぐったらマル青労同の同志がいた。その顔を見た瞬間に「そうだ、俺には仲間がいる」と思って、職員通用門を解放区にする勢いで闘った。さらに10月1日の郵政民営化を前に、マル青労同の仲間たちに「超勤拒否で闘おう」とごりごり言われ、本気で立つことを突きつけられた。しかも組合役員が陰で「浜北をつぶす」と言い回って逆に腹が据わった。
 大月 初めて分会会議で発言して、組合の方針案に修正案を出した。方針案には「『日の丸・君が代』強制反対」と書いてあっても、行動方針がない。それに対して「声を上げて行動する」と挿入するよう求めた。日ごろまったく開催されない分会会議をやらせること自身が大変だった。分会役員からは「東京の問題は東京で解決しろ。書き直せ」と言われた。大変だったけど、「あんな熱い分会会議は久しぶりだった」と言ってくれた同僚もいた。
 第3回大会の時は「労働運動を始めると体制内指導部との闘いになる」と言われても実感がなかった。「組合内で対立したら、余計に力がなくならない?」と思っていたんです。でも自分が闘い始めて「これか」と実感した。
 庄野 自分の組合は07年は春闘、秋闘で団交も全然行わなかった。こういう時に「闘おう」と訴えきるには、自分が勉強してきた賃労働と資本という関係を、ほかの組合員にも訴えていくことが必要だった。
 職場では「11月4日の集会に来てください」というビラをつくり、組合の会議でも訴えた。自分自身が「ここで逃げ道をつくっちゃいけない」と思ったんだよね。報告のビラもつくった。
 そうしたら組合役員が「お前、11月4日の集会に行ったのか」と言ってきた。「行きました」と答えたら、「お前、流されるなよ」と。「いえ、自分の意志です」と返事して、逆に「08春闘をどう闘うのか。ストで闘うなら、俺は支持するよ」と言ったら、「闘う必要はない。闘っても誰もついてこない」と。冗談じゃない。これはもう本当に決別だと思ったよ。
 大月 私も11・4集会の後、報告ビラを職場の同僚に配りました。そうしたら管理職が「勝手なビラをまくのは許さない」と妨害してきた。こんな妨害には絶対に負けられないと思った。

 労働者は必ず変わる

 浜北 よく「こんな世の中に対して労働者は怒っていいんだ」と言っていた先輩がいた。その言葉の意味が最近よくわかった。
 大月 それって大事。私は第3回大会に初めて参加した。ちょうど高校の未履修問題で「教員が悪い」とたたかれていた。でもむちゃくちゃな学習指導要領にしたのは誰なのか。「左翼教員に戦争のことを教えさせないために歴史の教科書は終わらないようにつくっている」と言った人だっている。
 そんな中で大会に参加して、私の怒りが個人的に納めなきゃいけない怒りではないと気づいて、行動し始めた。
 行動し始めた時に人は変わる。自分自身がこの1年間で全然変わった。同じように、周りの仲間だって必ず変わる。「怒りを持っていいんだ」と言っていくのはすごく大事だと思う。
 浜北 街頭デモをやった時、「局長、お前が配達をやれ。やれもしないのに命令するな」と訴えたら、大受けだった。言いたかったのは「ストレートに怒ろう」ってこと。その思いの集積が11・4のデモだった。「労働者は暴れるぞ。こんな世の中許せない」のコールもあった。労働者が一番思っていることだよ。この社会がまともな社会じゃないことはみんなわかっている。問題は俺たちが何を提示するか。
 庄野 きっかけがあれば、みんな一緒に行動を始めるよね。それが11・4集会なんだよ。

 第4回大会が大成功 革命を本気で訴え本物の団結を

 ――第4回大会はどのような大会になったんですか?
 住谷 帝国主義が労働者を食わせられなくなり、世界中で労働者の闘いが始まった。日本でも青年労働者の「生きさせろ!」の闘いが始まっている。世界は革命情勢ということ。そういう情勢の中でマル青労同の格闘がある。1年間の実践で革命こそ青年労働者の欲する方針だとあらためて確信した。
 豊川 第4回大会は画期的な大会だった。あいまいさなく討論しきって階級的労働運動路線を鮮明化させた。マル青労同を08年に通用する組織にするために、「階級の指導部になる」という強烈な意識を持って討論した。
 11・4集会への5700人結集を俺は本当に「世界革命の出発点だ」と思ったけど、第4回大会であらためて本当の出発点になったと思う。
【写真】 11・4集会後、銀座・数寄屋橋で道いっぱいに広がるデモを実現

 マルクス主義の復権

 住谷 大会ではマルクス主義を鮮明にした。僕らは今、マルクス主義を実践の中で復権させる闘いをしている。「労働運動で革命をやろう」とは、まさにマルクス主義そのもの。それを批判する人たちは、全然マルクス主義ではなくなっているってことなんだよ。
 マルクス主義は「変革の科学」だから実践で貫くのは生やさしいことではない。現実には帝国主義が根底的な危機に陥る中で、矛盾は感じながらも、労働者の日々の生活は同じことの繰り返しで何も変わらないようにも見える。しかし、労働者こそ革命の主体であり、階級的力を持っていることを明らかにしたのがマルクス主義。
 だからマルクス主義の根幹を防衛しぬいて実践の中でよみがえらせてきたのがマル青労同だよね。
 浜北 大会の議論を「自分はどうなんだ」と問いながら聞いていた。同盟員全員が「俺はこの方針でやっていく」と意思一致して前に進む。俺自身も「職場で闘う」と宣言してきたけれど、あらためて「自分自身が立つのかどうか」がシビアに突きつけられた。
 松根 大会で、「階級の指導部となり、2000万青年労働者の革命に向けた団結をつくろう」というスローガンを掲げた。「階級の指導部」になるとは、単純に組合役員になるというだけじゃない。職場の闘いの指導部になっていくことと、階級闘争全体に責任を取る立場で闘うことは、完全に一体のテーマであることがはっきりした。そのことが全国で格闘する仲間たちと共有できて、自信が持てた。
 庄野 大会の方針を見て、胸の中にズバンと来た。職場で「革命」をまだ訴えられていないけど、踏み出そうと思った。そうやって闘うことが革命につながることを確信した。
 磯谷 マル青労同で頑張りたいとあらためて確信した。革命のための団結の中で生きたい。階級的労働運動でしか自分たちの解放はかちとれないことが曇りなくはっきりした。「自分の職場でも階級的労働運動で闘おう」と確信が持ててすっきりした。
 上妻 07年は「自分が主体となって革命を訴えなければ」と思って、周りの人のオルグを始めた。すると「あの派遣は仕事を覚えないから大変だ」という言葉が出てきて、複雑な心境になる。でもそこで「その人も同じ労働者。そういう分断をつくっているのは誰か」と言い切れない自分がいた。人に本音でぶつかっていない関係になっていた。地区のマル青労同の同盟員たちと「自分の職場でこの議案をもとにどう闘っていくか」と議論したい。
 浜北 もっと「革命情勢だ。今の世の中じゃダメだ。一緒に闘おう」と全身全霊かけて訴えていく、そういう闘いを職場で本気でやっていきたい。それで初めて、本物の団結ができるし、それが世の中を変える力になることに確信を持って、闘っていく。
 豊川 マル青労同にも中央執行委員・中央委員と、全国の同志という関係はあるけれど、それは上意下達の関係じゃない。マル青労同は、実践をとおして団結する組織をつくってきた。
 自分も自己変革の連続です。マル青労同の結成から今にいたるまで、ずっと自分の立場を鮮明にして闘ってくる中で、自分がどんどん変わっていく。全国の同志がそういう闘いを繰り返してきた。だから、今大会で相当な内容の方針を打ち出すことができたと思っている。
 住谷 最近、陶山さんの本を読んだんだけど、1960年代、革共同が労働運動の中にマルクス主義を復権するまで、当時の社民や日共は「労働力の商品化」の問題を消し去って、「貧困」という現象を問題として労働運動を展開していたというんだよね。でも当時は高度成長期でしょう? そういう民同はどんどんダメになっていった。そういう中で革共同が大量の青年労働者の結集をかちとったのは、マルクス主義を本当に復権していったからだってことに、すごく確信を持った。
 松根 方針は「失敗してもいいから、やろう」ってこと。やらないで「自分はよくわかっていなかったな」と言うのは違う。「とにかくやろう」というところで逃がさなければ、結構いけると思った。

 塩川一派打倒を宣言 これで革命路線が鮮明になった

 ――関西の一部指導部との闘いについて、聞かせてください。
 磯谷 関西の一部指導部(塩川一派)は、実は根底的に不一致があるにもかかわらず、革命路線をめぐる論議を避けてきた。マル青労同が「労働運動の力で革命やろう」と言った時に、初めて不一致が明らかになった。
 藤代 マル青労同が「労働運動の力で革命をやろう」と訴えた時に、着実に関西の青年労働者の闘いは広がった。労働学校も大成功したし、集会も成功した。初めて来た青年労働者も本当に解放的にデモをやっていた。
 現場での青年労働者の格闘について、塩川一派は何ひとつ方針を出さなかったし、職場に根ざしたマル青労同の4年の苦闘に肉薄しようとしなかった。だから結局、一人ひとりが孤立して闘っている感覚だった。
 辰巳 これまでは僕らの中にも「自分の素性を隠して、なんとかうまくやろう」という傾向があった。07年はそれを払拭(ふっしょく)して、組合の中でマル青労同であることをちゃんと言って、「今の体制内労働運動でいいのか。そもそも労働組合とは労働者の団結をつくるためのものじゃないか」とストレートに訴えて、11・4集会を提起した。
 磯谷 そういう実践をめぐって分岐した。現場労働者が「階級の指導部」となってぶっ立って闘いを開始したことに恐怖して、彼らは分裂にうって出た。地区党やマル青労同の論議や実践にかかわってきた人は、分岐によって、逆に主体が成長した。
 辰巳 帝国主義が根底的危機に陥り世界中の労働者が立ち上がっている。この中でマル青労同は06年11月集会の総括として「今までのあり方ではダメだ。この情勢に見合った革命家にならなければならない」と論議を始めた。
 そういう飛躍が問われた瞬間に、塩川一派はそこを居直った。「今のままではダメだ」と提起したマル青労同や革共同中央に反発して、それまでの自分たちのあり方を正当化した。
 塩川・椿の除名も、党中央が勝手に決定したわけじゃなくて、関西の労働者党員が要求したこと。労働者同志の1年間の実践をとおして打倒したというのが実感です。これで革命路線が鮮明になった。

 革命的情勢とは何か

 辰巳 塩川一派は、「革命的情勢が到来した」という提起に対して「いや、革命的情勢じゃない」と言う。「体制内労働運動的発想や実践と決別しよう」という提起に対して、「いや、体制内労働運動でやっていく」となる。これは路線問題です。
 磯谷 彼らの一員は公式に「革命的情勢でない」と表明した。絶対に許せない。でもそのことで問題が鮮明になった。結局、青年労働者が「労働運動の力で革命やろう」と提起したことに反発したということなんだ。
 藤代 塩川らが組織してきたことは「路線や情勢認識で一致しなくていい。好きなことをそれぞれやったらいい」ということ。中央に対抗するために、「それぞれの主体を尊重する」というような論議がされてきた。
 逆に第4回大会では、情勢や路線をめぐって集中して議論できた。それがすごいよかった。この1年間、マル青労同が「革命的情勢だ」ということで一致して、職場で格闘して、労働者を組織化してきたからだ。
 辰巳 革命情勢とは帝国主義の危機だけでなく、僕たち労働者の決起でたぐり寄せるものだ。自分は街頭や職場で「革命情勢だ。労働者の闘いで戦争をとめよう。革命をやろう」と訴え、その反応を見て確信を持って、先頭で走ってきた。そういう時に「革命的情勢じゃない」と言うのは、妨害そのもの。実践がつくり出した分岐です。
 藤代 塩川一派は動労千葉労働運動に対して、非正規や合同労組、部落解放闘争などの運動を対置する。官民分断は帝国主義の攻撃だし、そんな分断をうち破って階級的団結をつくり出していくことこそ必要なのに、彼らはその対立をあおり立てて、動労千葉労働運動への反発を組織してきた。
 辰巳 椿は「4大産別決戦論に反対」と明言した。官公労に対して非正規労働者を対置し、さらにはアジア人民を対置する。それは組織労働者への絶望を組織するということだし、労働者に革命をやる力があることを否定するための「論理」だ。
 藤代 彼らは新指導路線や階級的労働運動路線をめぐっても、一貫してあいまいで、どうにでもとれるような態度を続けてきた。そうやって、関西の現場労働者の闘いを、勝手に中央への対抗政治に利用してきた。

 団結を破壊する差別

 辰巳 自分は男性労働者の女性差別や一般民の部落差別などを考える時に、これまでは「そいつが悪い」みたいな感じで糾弾してきた。だけどそうじゃない。「その壁は資本主義が植え付けた壁なんだ」とはっきりさせる。「そういう壁を自分からも相手からも取り除く闘いを、自分は共産主義者としてやろう」と思った。
 住谷 マルクス主義の立場に立たないと、その壁を、すべて自己批判的に受け止める。「自分が人間としてダメなんだ」と思わされて、自分自身を無力化していく。
 でも、なぜ俺たちはこんなに苦しい思いをさせられ、使い捨てられるのか。自分たちが労働力商品として扱われている、この根源的怒りを知った時に、自己解放闘争が始まるんだよね。
 辰巳 「7月テーゼ」に反対している人に宣言したい。自分は、差別が労働者の団結を破壊するものだから本当に許せない。怒りをもって団結破壊の差別を絶対に取り除く。そして自分たちの解放のために「7月テーゼ」は本当に必要なものだと思った。
 自分は自治労から絶対に逃げずに勝負する。自治労で階級的労働運動をつくることなしに「非正規労働者との団結」も「アジア人民との連帯」も空語。職場で闘わずに市民集会をやっても、現実は変革できない。本当に革命をやることを回答にしていく。

 革命目指す労働運動 動労千葉のような組合作り出す

 ――マル青労同がめざす労働組合運動とはどういうものですか?
 磯谷 合同労組の交流会の中で、ある青年労働者が「合同労組にとどまらず、職場に分会をつくり、組合をつくろう。ストライキで職場をとめる力を持たないと、戦争はとめられない。そういうことをめざす合同労組運動をつくろう」と提起した。その提起に猛反発したのが塩川一派だった。「労働運動」と言っても、革命をめざす労働運動なのかどうかが問題になっている。
 上妻 私の組合では昨年、ある青年が解雇撤回をかちとった。「これで勝ちだ」と思っていたけれど、それは実は職場で闘いを起こすスタートラインに立ったということ。その青年は「職場で仲間を組織して分会をつくり、その仲間をマル青労同に入れる」と言っている。そこからが本当の闘いだし、そこで勝てた時が本当の勝利だ。
 磯谷 塩川一派は「労働者は革命のことより明日のメシの方が大事だ」と言う。だけど今、青年労働者の半分が非正規雇用化している。低賃金でいつ首を切られるかわからない。
 こんな何の希望もない社会の中で10年も20年も生きていくなんてことは、絶対に認められない。青年労働者の中では、「現状変革を戦争に求めるのか、革命に求めるのか」ということが議論になっている。
 だからこそ、僕たちが正面から「革命に立とう」と呼びかけることが絶対に必要なんだ。世の中を根底から変える革命のための闘いにこそ労働者が決起する時代が来たんです。
 辰巳 今の組合は一応は賃上げ要求もするけれど、上から「交渉しました」と報告するだけ。だから組合動員も嫌々行く。「動員で面白かったことがない」とみんな言う。
 だけど僕が「絶対に革命はできる」と言えるのは職場闘争をやったから。寝る直前まで仲間を組織するために走り回った仲間や、深夜まで仕事があっても会議に参加してくれる人もいた。結局何も取れなかったけれど、「当局にガツンと言ってやった。面白かった」とみんな言う。団結を求めているからだ。そういう闘いをやっている動労千葉に確信を持って闘っていく。
 住谷 動労千葉はどんなに困難に見える時も胸を張って「労働者こそ社会の主人公」「労働者が社会を動かしている」と言い続け、「労働者と資本家は非和解だ」という立場を貫いてきた。そして労働者が本来持っている力に掛け値なしに依拠して、マルクス主義の原則を貫いて闘ってきた。「労働運動の力で革命やろう」とは、動労千葉のような労働組合を全国に無数につくり出していくということ。それができたら、絶対に革命に勝利できる。

 革命に生きる“団結”

 庄野 俺はマル青労同に入って、人生が変わった。自分自身のいろんな問題を、マル青労同の仲間たちが「お前の悩みは俺の悩みだ」と一緒に悩んでくれる。「運動だけの付き合い」ではなく、本物の仲間がここにはいる。
 浜北 困った時に「一緒にやろう。仲間なんだ」と支えあう、信頼できる仲間がいる。それが団結だし、そういう組織の強さがマル青労同には絶対にある。
 上妻 職場のことを相談しても、自分のことのように真剣に考えて一緒に行動方針を出してくれる。自分のことのように怒って、自分のことのように泣いて、一緒に考えてくれる仲間。そうやってぶつかり合い喝(かつ)を入れてくれる人に、今まで出会えなかった。そういう仲間との団結があるから、「職場の仲間だって変わる、労働者は必ず変わる」と信じられる。
 住谷 今大会では「動労千葉のような団結をつくろう。これが08年、マル青労同の最大の方針だ」と打ち出した。これまでのブルジョア的な人間関係なんて、あえて言えばぶっ壊したって構わない。資本家や国家権力と徹底的に闘い、奴隷の鎖を自分自身の力で引きちぎるための団結、革命にともに生きる団結をつくろう、と。マル青労同がこの団結で08年の闘いに突っ込んでいけば、日本の階級闘争は自己解放的に爆発していくと確信している。
 松根 自分たちの自己解放闘争であることを確信する中で、団結、仲間、組織、マルクス主義――こういうことは全部一つのものであると気づいた。動労千葉の中野前委員長がよく「労働者はみんなマルクス主義者になればいいんだ」と言うけれど、それが本当にしっくりきた。
 この1年、職場でバッシングが激しくなって、「どんな弾圧が起きても一緒に頑張ろう」と言ってきた仲間が当局と対決すべき時に何も言わないということがあった。その時、私は心のどこかで責める気持ちを持ってしまった。しかも仲間が当局と一緒に私をバッシングする側に立ち、仲間を責める気持ちがものすごく激しくなった。
 だけど07年の実践をとおして、職場の労働者を「やっぱり労働者だ。仲間だ」と思える信頼を自分が回復した。そういう立場から考えると、あの時の私は団結をつくれない存在だったろうな、と思う。「裏切った」という思いで相手と付き合っていた時の私は、「あいつと人生をかけきろう」という存在じゃなかった。「言っていることは正しいかもしれないけれど……」と思わせていたと思う。あらためて、本当にシンプルなことを獲得した。

 1000人マル青労同を 「階級の指導部」として勝負する

 ――マル青労同1000人建設へ向けて、抱負を聞かせてください。
 豊川 今大会で、1000人建設の原動力がはっきりした。マル青労同のすべての同志の路線と実践での一致が、1000人建設を生み出すエネルギーに変わる。自分たちのこれまでの闘いに自信と確信を持つことが、1000人建設につながる。そういうことだと思った。
 住谷 1000人建設が完全に見えてきた。路線が鮮明化して、マルクス主義と動労千葉労働運動ということにしぼりきった。そのことによって、「これがマル青労同だ」ということがはっきりした。今回参加した人たちは本当に確信を持ったよね。初めて参加した人も何人も加盟した。
 松根 今回の大会の勢いは違った。私たちは、「あなたが闘うために必要な仲間がここにいる」と同盟員みんなが言えるマル青労同の団結をつくってきた。「入ったらなんの得があるの?」なんて話じゃなくて、「あなたが闘うために必要な仲間だよ」と。
 住谷 11・4集会の直後に、ある同盟員の職場の仲間が1人、マル青労同に加盟した。その同盟員が「俺は今の組合を変えるために職場で闘いを始めた。お前にも一緒に闘ってほしいから、今話している」と言ったら、彼は「お前に誘われて、俺が断ると思ってたの?」と答えたんだって。会いに来た時点で決心していて、その場で入ってくれた。職場で徹底的に闘うこととマル青労同建設は完全に一体のことなんだよね。
 上妻 職場で組織してこそ、1000人建設は実現できる。自分が変わらない限り、本当の意味で「あなたとつながって闘っていきたいんだ」ということが伝わらないと思った。
 大月 職場でまだしっかり訴えられていなかったけど、大会をとおして、正面から訴えようと思いました。
 松根 職場にもう一人の仲間をつくるために格闘する。07年は職場の仲間たちと「革命の立場から訴えよう」と議論してきた。08年はこの路線で獲得する闘いを続けつつ、革命の立場から組織していく。職場にみんなが参加できる闘争を持ち込む。それがマル青労同建設につながると思っています。
 住谷 職場闘争をきっちり形成して青年部を再建させる。青年部をつくることと、マル青労同をつくるいうことが、同時に進行している感じなんだ。青年部をふわっとつくることはできるけれど、それでは意味がない。明確に動労千葉派の自治労青年部として登場しなければ、展望は開けない。そこにかけきりたい。
【写真】 8・6ヒロシマ大行動のデモで青年労働者を不当逮捕しようとした警察に猛抗議。街をとめ、仲間を奪い返した(8月6日 広島市)

 職場に支部をつくる

 豊川 やはり職場におけるマル青労同の支部建設が核心。職場の支部における一致がどれだけ大切なことか。大会をとおして、職場でともに闘う人生をかけた同志、生き死にをかけた同志の大切さを痛感した。単に数じゃなくて、職場の同志が一致して団結して行動した時にすごい力が生まれる。
 庄野 俺から一方通行で植え付けるんじゃなくて、仲間ときちんと意思一致することがすごく大事。職場の仲間とお互いに意思をぶつけられるような関係をつくっていきたい。仲間同士が本当に意思を同じくしないと勝てない。本気でそう思った。
 藤代 僕は、とにかく自分の組合の中だけで一生懸命に労働運動をやってきた。そういうあり方と決別する。戦闘的組合活動家ではなく、階級の指導部として、青年労働者を革命に組織することに責任をとる。今回の塩川一派の脱落によって、このことが鮮明にできた。ここで勝負する。自分に壁があることも自覚した。それを支えてくれる仲間がいることがわかった。
 今大会で塩川一派に完全に勝利したことを高らかに宣言できる。彼らにはこんな大会は絶対できない。これから関西の同志たちとともにマル青労同の団結をつくることに力を注ぎたい。
 磯谷 組合で仲間に正面から革命を提起してマル青労同に加盟してもらおうと思う。これまでできてなかったのは、自分が革命家として闘えていなかったから。「自分の職場では階級的労働運動はできない」と思ってしまっていた。大会の議論で、階級の指導部として立つのかどうかを問われ、そこで腰が引けていた自分に気づいた。今は本当にマル青労同の団結を必要としている。必ず仲間をつくります。
 辰巳 11・4の後に、「『共産党宣言』の中身は11・4にある」という学習会をやったら、「職場で日々感じていることとマルクスが言っていることは同じだ」という感想があった。ここに革命的情勢がある。彼ら全員がマル青労同に結集してもおかしくない。それができていないのはこっち側が提起していないという問題だ。
 松根 責任を取る立場に立つとは、新しくマル青労同に入った仲間も責任を取る立場に立たせること。その人が自分で切り開くことを確信して任せる。だって自己解放闘争なんだから。
 「差別された者の痛みを受け止めるべき」とだけ言うようなあり方は、差別された側も差別した労働者もともに自己解放闘争の主体であることをあいまいにした話だと思う。マルクス主義の復権とは相手の自己解放闘争を信じ切るということ。そういう闘いをやった時にマル青労同は増えるということを確信した。

 08年 新たな闘いの決意 全国の仲間と共に不起立します

 ――08年は年明けから、どのように闘っていきますか?
 大月 私は3月卒業式の「君が代」斉唱時に座ろうと思っています。3月までまだ時間があるから迷うと思う。でも迷っても、全国の仲間とともに不起立をやろうと思っています。
 前は「不起立は特別な人だけができること。根津さんは強い人だからできる。私には無理だよ」と考えていた。でもやっぱり「波風立てて闘おう」。まず私が行動することから始めたい。
 住谷 「座ったら必ず団結が生まれる」ことに確信を持って座ろうよ。
 大月 そう思う。職場でビラを配った時も「こんな暇があれば授業準備しろ」と非難されるかと思ったら、そんなことを言ったのは管理職だけ。「続けてね」と言ってくれる人もいた。
 住谷 07年の闘いをとおして「不起立は階級闘争だ」と位置づけて、教育労働者なら誰でもできる闘いとしてはっきりさせたことが重要だった。そのことによって、08年の不起立闘争を切り開く展望が出た。
 松根 悩んでいいんだよ。私も悩むたびに確信を深め、落ち込むたびに強くなってきた。だから最近、「迷っても落ち込んでもいい」と思っている。
 豊川 職場で最近、「法令遵守(じゅんしゅ)」の研修があって、それをめぐって管理職とやり合った。「ブツがこれだけ残っている。研修に出たらあんたが配達するのか」と。言い合っているうちに、同僚も「人がいないから悪いんだ」と怒り出す。「郵政民営化絶対反対」で闘ってきて、体制内指導部からは散々誹謗(ひぼう)中傷されたけど、やはり俺たちに圧倒的に正義性がある。そこに確信を持ち、年末年始の超勤拒否闘争の組織化に入る。
 浜北 9月末は自分が超勤を拒否しただけだったけど、周りの仲間を組織したい。年末へ向けて職場の中で訴えて本気で分岐をつくり出そうと思う。
 豊川 職場の同志と一緒に超勤拒否をやって団結する。そこから始める。
 住谷 今の自治労には労働運動の力で攻撃をはね返すという発想が全然ない。行政職の執行部が、自分たちの賃金維持のために現業民営化を勝手にガンガンのんでいる単組もある。
 矛盾はみな青年労働者にしわ寄せされている。年功型賃金を破壊した「給与制度改革」により、同年齢でも年間賃金が40万円も違うことがある。こういうことを暴露しないと、出世競争の嵐で団結どころじゃなくなる。
 青年労働者には怒りはあふれている。よく「若い職員は無関心」と言われるけれど、ウソだよ。きちんと闘う方針が出ればどんどん立ち上がる。
 上妻 私は、何よりも職場に仲間をつくることが課題。連日の残業を「仕方ない」とやってしまっている。だけど全逓労働者の超勤拒否闘争の話を聞いて、「奴隷の道を認めてしまっている」と思った。職場で闘いを始める。同僚と真っ向から討論していきたい。

 本気でストを訴える

 庄野 12月に首都圏のタクシーの初乗り料金が710円に上がった。これについては国交省が「値上げ分は労働者の賃金に」と通達を出している。そういう中で迎える08春闘だから、僕らにとってはすごい大事です。
 タクシーは1日営業を止めたら収入がなくなるからストライキは結構特別な闘いなんだよね。でも、本気で「ストで闘おう」と訴えていく。
 組合はストの経験もないしスト基金もないけど、闘い方はいろいろある。一番いいのは無線への協力拒否。「物ダメ」じゃなくて「客ダメ」です。そのためには、「俺だけ無線を取ろう」とならないように、組合員でない人も含めて全ドライバーに協力してもらう必要がある。組合に入っていなくても労働者は労働者なんだからね。
 藤代 米ブッシュ政権によるイラン空爆情勢の中で、08年3月のイラク反戦5周年闘争も重要な闘いになる。本当に2000万青年労働者を獲得するような闘いをつくり出したい。
 辰巳 改憲と民営化、労組破壊の攻撃の最前線はやはり4大産別。この攻撃と闘いぬいて勝利してきた動労千葉が平成採を獲得したのは本当に決定的だよね。国鉄闘争を先頭に4大産別でマル青労同1000人建設の突破口を切り開きたい。

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週刊『前進』(2325号8面1)(2008/01/01 )

 08年を星野解放の展望開く年に
 労働者の団結で無期を覆そう
 星野同志の新年メッセージ

 獄中34年目に入る08年、全世界的な労働者人民の解放の闘いへの高揚と一体に、星野解放の展望を共に開きたい。
 帝国主義は今や末期的姿を極めている。彼らの利益をむさぼり延命するために労働者人民の生活などどうでもいいとしている。失業・不安定雇用・低賃金を強い、貧困に突き落とし、さらに高金利・消費税・福祉自己責任化でトコトンむしりとり、最後には彼らの世界再分割戦によって戦争さえ強いる。これへの怒りと人間らしくありたいという思い、苦闘が世の中に満ち満ちている。
 働き生きる場から闘い・団結をつくり、国境をこえた労働者の闘い・団結、分断をこえた全人民の闘い・連帯をつくり、帝国主義を打倒し、労働者人民が自らの手に全(すべ)てを獲得して全ての人間が人間らしく生きる道すじに、私たちの唯一の未来がある。
 私たちは、70年いったんそのような闘いによって、とりわけ沖縄と本土の連帯へ踏み出すことで体制を揺るがした。その圧殺を目的にしたのが、私の無実を百も承知の無期だ。それは何より70年を引き継ぎ、本格的に闘う今日の闘いをも圧殺しようとしている。その星野無期を覆すことは、全ての労働者人民の課題だ。そして、その勝利は今日の闘いを根底的に解き放つ。
 共に現実に立ち向かい解放をかちとる立場に立ち、解放への思いを団結と力に打ち固め解放をかちとる。そうであれば私たちの力は無限だということが、星野闘争の核心。その底力と無実の真実を力に無期を覆し、一日も早い合流をかちとり、未来を私たちの手に。
 星野文昭同志は、12・1星野全国集会へのメッセージで「帝国主義を打ち倒してすべての人間が人間らしく生きる未来を開く第一歩が11・4によって開始され、9・29と一体に、支配の要を、攻撃の要を、逆に私たちの闘う拠点に転化する挑戦が開始されている」と指摘し、「70年を継承し、新たな爆発期を迎えた今日の闘いへの弾圧」である「星野無期を覆すことは、労働者人民の未来がかかった課題であり、今日の闘いの発展と労働者人民の力をすばらしく解き放つものです」と宣言した。
 今や世界は革命情勢だ。日本でも9・29沖縄12万人結集と、それを東京で引き継いだ11・4をかちとり、米軍基地で働く労働者たちの労働組合である全駐労が16年ぶりの全国ストライキを繰り広げた。星野同志が言うように階級情勢は「70年を継承した新たな爆発期」に突入している。これは同時に星野同志を獄中から奪い返すことが大いに可能な情勢がやってきたということだ。
 08年、革共同は階級的労働運動を爆発させ、その力で星野同志解放へ大飛躍をかちとることを宣言する。獄中の星野同志と家族、全国19の救う会の皆さんと力を一つにして、「星野文昭さんを自由に! 星野再審無罪・釈放署名」に取り組もう。新署名の呼びかけ人となって署名を集めよう。詩画集とカレンダーを活用し、星野救援運動を拡大しよう。08年、労働者階級の総決起で星野同志を取り戻そう!
【写真】 全国の星野救援会から50人余りが11・4集会に参加、「星野文昭さんを自由に!」とアピールして解放区となった銀座をデモ

 必ず取り戻せる手応え

 星野同志は無実だ。無実なのに星野同志は、70年安保・沖縄闘争に対する階級的報復によって獄中33年目の冬を徳島刑務所で迎えている。これ以上、彼を無期の獄に置くことはできない。
 全国再審連絡会共同代表の1人、沖縄の平良修牧師は、「星野さんにとって沖縄は大きな痛みであり続けていると思う。星野さんの解放運動が、辺野古を象徴とする沖縄の解放運動に重なっていくような行動を」と訴えた。
 07年6月8日、星野同志の母・美智恵さんが永眠。1月、重篤な状態となった美智恵さんと文昭さんを会わせたいと刑執行停止運動が始まった。中心になった共同代表、北海道の柴田作治郎牧師は、「なんとしても2人を会わせたかった。けれど実現しなかった。米軍再編の流れの中にある沖縄も、星野の問題も、民衆が怒りをぶつけ、自分の言葉を発していかなければならない」と語り、10万人署名を達成して新たに始まった署名運動への意欲を示した。
 刑の執行停止を求める上申書署名は、短期間に4千筆を超えて広がった。無実の政治犯が病床の母親に会いたがっていると聞いて、「会わせてやれよ、当然だろ」と多くの人たちが署名に応じた。全国の救う会が必死で取り組んだ。執行停止は実現しなかったが、「この道を進めば星野さんを取り戻せる」という確かな手ごたえをつかんだのである。

 青年が星野の存在をつかむ

 07年は、青年労働者・学生たちが星野同志の存在と闘いをがっちりとつかんだ年でもある。
 「労働者の団結で革命やろう!」と青年労働者・学生が先頭で闘った6・9ワーカーズアクションin渋谷。全学連の織田陽介委員長は、法大生2人の逮捕・起訴を弾劾し、「もう一つ、ぶち破らなければならない獄壁がある。昨日、星野文昭さんのお母さんが亡くなった。星野さんは沖縄と本土が一つになることを目標に、71年この渋谷で闘った。この獄壁をぶち破る、本土と沖縄の労働者が団結することが革命なんだ!」と叫んだ。
 12・1には保釈奪還された法大生が登壇、「僕を取り戻した団結の力、怒りを徹底的に拡大して星野さんを取り戻そう! 
 東京拘置所に捕らわれている内田君を取り戻そう!」と発言。やはり法大弾圧で少年鑑別所から出た学生は、「今の学生運動を星野文昭さんが見た時に、今の学生はすごい、革命が間近に迫っているという思いで見てもらえるように闘っていきたい」と語った。

 今に続く70年への報復

 1971年11・14渋谷闘争は、当時の佐藤政府が総力をあげて推進した沖縄返還協定の批准阻止をかけた決戦として闘われた。破壊活動防止法の発動で集会・デモは禁止され、東京は戒厳令下にも等しい状況におかれた。それを突き破って、星野同志を先頭とするデモ隊は渋谷に突入した。
その過程の衝突で機動隊員1人が死亡。星野同志は部隊を集結させるために十字路にいて、それにはまったく関与していない。権力は事後弾圧を行い、逮捕者の中からウソの供述をデッチあげ、星野同志を指名手配した。法廷では6人のうち5人が「共犯者供述」を翻し、残り1人も証言を拒否して唯一の「証拠」である目撃証言は崩壊した。にもかかわらず日帝・国家権力は、無実を承知で死刑を求刑! 控訴審で後に最高裁長官となった草場良八裁判長が無期懲役刑の判決を下した。
星野無期とは、70年安保・沖縄闘争に対する階級的報復であり、今後一切、日本では革命を許さないという予防反革命なのだ。敵はそのために星野同志に憎しみを集中し人質に取ったのだ。
日本の労働者階級が70年闘争を引き継ぎ、のりこえて、プロレタリア世界革命への進撃を開始した今日、星野闘争は全労働者の解放の未来に直結する闘いとなっている。星野同志の不屈の闘いは、獄壁による分断を打ち破り、労働者の団結をつくり出す。08年の激闘の中で星野同志を獄外に奪還しよう!

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  71年11・14渋谷闘争とは

 1971年11月14日。全学連の学生と反戦青年委員会の労働者は、沖縄返還協定の批准を阻止するために渋谷闘争に立ち上がった。戦後4半世紀を超える沖縄の米軍による軍事的分離支配に対する怒りの高まりに対して、日米帝国主義はペテン的「返還」政策によって、基地の島=沖縄の永久固定化を図り、また新たなアジア侵略戦争への国民総動員を図ろうとしていた。
国家権力は、労働者人民の怒りの高まりに対して内乱鎮圧型の弾圧を強め、現代の治安維持法=破壊活動防止法を発動し、集会・デモを一切禁止する攻撃に出てきた。
全学連と反戦青年委員会は、沖縄の11・10全県ゼネスト・暴動闘争と固く連帯し、渋谷暴動闘争を起こすために、星野文昭同志(当時25歳)を先頭に、代々木八幡駅から渋谷をめざし、機動隊の阻止線を破って渋谷に登場、労働者人民の大群衆と合流して闘いぬいた。
星野同志への弾圧は、返還協定阻止闘争の大爆発に対する報復弾圧であり、革命的な闘いに対する見せしめ攻撃だ。星野同志らが明確に指摘したように、今日沖縄は「負担軽減」どころかますます侵略戦争の基地として強化されている。11・14闘争は、沖縄と本土の労働者階級の闘いの道を指し示しているのだ。
【写真】 11・14渋谷闘争を報じる71年11月22日付『前進』560号。中央に星野同志が写っている

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 星野文昭同志 71年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争戦士。

デッチあげ殺人罪で無期懲役。04年1月に再審請求棄却、現在最高裁で特別抗告審中。

徳島刑務所在監、獄中33年

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◎星野文昭同志の歩み

1946. 4.27 札幌市に生まれる
1961. 4   月寒高校入学、翌年生徒会長
1966. 4   高崎経済大学入学、不正入試阻止闘争に参加し不当処分
1967     同大学第7期代議員会議長就任
1969     同大学再建自治会副委員長就任
1971春   成田国際空港反対闘争支援で千葉県三里塚に常駐し指名手配
1971.11.14 沖縄返還協定批准阻止闘争(渋谷闘争)に参加、機動隊員1人火傷死
1972. 2.21 渋谷闘争で殺人罪指名手配
1975. 8. 6 不当逮捕
1979. 2.13 死刑求刑、死刑阻止12万署名
    8.21 一審判決懲役20年 
1981. 7   東京拘置所移監、4次の懲罰
1983. 7.13 二審判決、無期懲役刑
1986. 9.17 暁子さんと獄中結婚
1987. 7.17 上告棄却・無期懲役刑確定
    10.30 徳島刑務所移監
1990. 9.27 父・三郎さん逝去
1996. 4.17 再審請求
1999. 9. 3 東京高裁求意見書→10.25意見書提出
2000. 2.22 再審棄却決定→2.24異議申立
2004. 1.19 異議申立棄却→2.23特別抗告
2004. 9.28 特別抗告理由書提出
2005.11.14 徳島刑務所、四国地方更生保護委員会要請行動
2006. 5.24 立会人なし弁護団面会
    6. 6 22年振りの友人面会実現。手紙も受信が自由に(発信は制限)
2007.1.23 母・美智恵さんの看病のために刑の執行停止申立(却下)
    6. 8 美智恵さん死去
    8   8.6広島−8.9長崎で集めた署名で再審要求署名10万人を達成
    9.21 最高最申し入れ行動、再審要求署名10万924筆を提出
    12.1 星野全国総会、新署名運動開始

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週刊『前進』(2325号8面2)(2008/01/01 )

 星野暁子さんに聞く 絵と詩で思い 表現国際連帯も始まる

 11・4労働者集会の1週間後、民主労総の労働者大会が開かれたソウルに星野暁子さんはいた。帰国直後の14日、徳島に飛び沖縄の知花盛康さんらとともに星野文昭さんに面会。17日に宝塚市で誕生した全国18番目の救う会集会でも暁子さんが詩を朗読した。東奔西走の暁子さんに07年の闘いと08年の抱負を聞いた。
    ☆
 獄中33年、文昭と獄中結婚をして21年を超えました。文昭に対する弾圧が見せしめであるというシビアさに屈しないで、奪われても奪えない2人でつくってきた一緒に生きるあり方や喜び、毎日を大事に生きることの大切さを絵や詩で表現してきました。
 それが詩画集やカレンダーになり、各地で開かれる絵画展の会場で詩を朗読するようになりました。いろんな人に見てもらい、聞いてもらって、それが外で普通に生きている人にとっても大事なものだと受け止めてもらえることがわかりました。多く新たな出会いになりました。
 もう一つ、一昨年から友人面会ができるようになったことはすごく大きなことだと思います。獄中でずっと無実を訴えて闘っている文昭ですが、どうしても長くなればなるほど文昭の存在が抽象化します。それが、直接会うと、切れば血も流れる自分と同じ人間が獄中でずっと闘ってきたことが伝わります。獄壁が一つ崩されたという実感があります。
 文昭自身は外の闘いに対する揺るぎない信頼をもっています。外の闘いに身を置いて一体に獄中で闘っているのです。私も意識して、沖縄、三里塚をはじめ、具体的に一緒に闘いながら奪還闘争を呼びかけるようにしてきました。
 11月労働者集会に参加したアメリカの労働者から支援運動に取り組みたいという提案がありました。民主労総ソウル本部も署名運動に取り組んでくれました。日本に星野がいることを知ってもらう過程が国際連帯になっていくと思います。
 今回初めて韓国に行って驚いたのは、12車線もある広い道路を占拠してそこで集会をやる。韓国の闘いの蓄積、大きさを感じました。あのエネルギーはすごい。
 08年はもっと広く、全面的にやっていきたい。裾野(すその)を広げて世論をつくっていく取り組みもしたいです。
【写真】 ソウルを訪れ、路上を占拠して闘われた非正規職闘争に参加した暁子さん(11月10日)

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週刊『前進』(2325号8面3)(2008/01/01 )

☆星野文昭さんへ激励の手紙を

あて先 〒779-3133 徳島市入田町大久200-1  星野文昭 様

☆文昭さんと暁子さんが絵と詩でつづった真実!
☆カレンダー1200円(前進社でも扱います)

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