ZENSHIN 2012/03/05(No2526 p08)

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第2526号の目次

「再稼働阻止!」5万人を超える署名者の思いを込めシュプレヒコール(2月28日 経産省前)

1面の画像
(1面)
“原発と核をなくせ”  3・11福島の怒りで世界変えよう
外注化阻止・非正規職撤廃かけ労働組合を軸に3-4月決戦へ
記事を読む  
NAZEN 5万余の署名を提出  経産省に“再稼働するな”(2月28日) 記事を読む  
前進速報版から 記事を読む  
【要項】 原発いらない! 3・11福島県民大集会、3・25三里塚全国総決起集会 記事を読む  
(2面)
12春闘を闘い労組青年部を甦らせる
首都圏青年集会 JRの平成採が先頭で
“外注化阻止が最大の決戦”
記事を読む  
東北 “闘って命守り原発なくす”  被災地で甦る労組(宮城・T)(2月26日) 記事を読む  
関西青年集会 橋下打倒の労組拠点を
関生青年部と港合同が共に(関西・S)(2月26日)
記事を読む  
広島 民営化阻止の決戦へ
呉市交通局支部が決意表明(広島県労組交流センター O・K)(2月25日)
記事を読む  
契約社員制度撤廃を
JR岡山支社・駅へデモ(動労西日本副委員長 山田和広)(2月19日)
記事を読む  
(3面)
“4・1外注化は阻止した”  “組織拡大春闘へ”
動労千葉 定期委で総決起態勢(2月26日)
記事を読む  
国労郡山工場支部のアピール 記事を読む  
JR東労組の中から大反乱を
会社と密約結び外注化を推進
カクマルこそ非正規化の元凶
記事を読む  
【要項】 3・10総武線・成田線沿線・銚子地域集会、3・7国労組合員資格確認訴訟 記事を読む  
(4面)
放射線被曝から命を守れ! 3・11福島集会へ D
広島・長崎原爆症認定訴訟 被爆者の闘い継承し核と原発なくせ
帝国主義の核政策を告発し内部被曝の真実を暴き出す(水樹豊)
記事を読む  
被災現地から1周年アピール
3・11郡山集会に大結集して原発と資本主義に終止符を  東日本大震災現地救援対策本部
記事を読む  
『動労千葉 No32』発行 記事を読む  
(5面)
全国学生の3・11アピール B
犯罪者に責任を取らせる  被災地に団結甦らせよう
記事を読む  
玄海原発再稼働阻止  佐賀県集会に2100人が結集(2月26日) 記事を読む  
この地に生き闘いぬく  福島の労働者と農民の訴え 4
動労水戸平支部は闘う
記事を読む  
(6面)
被災地と結び農地死守の大決戦へ
3・25三里塚全国総決起を訴える
新自由主義の根幹揺るがす革命的労農同盟の大飛躍を  斎田 猛
記事を読む  
“成田軍事空港”の証拠  「UN」マークの自衛隊戦闘車両 南スーダン派兵へ(2月19日) 記事を読む  
2012年日誌 2月22日〜28日
民主党、安保政策の提言機関新設へ/自民党が改憲原案
記事を読む  
(7面)
“奪われたものすべて奪い返せ”
改憲と労組破壊に走る橋下を八尾北・西郡決戦で打倒しよう
3・18全国集会に総力で結集を
記事を読む  
西郡住宅闘争 岡邨さんに強制執行の通告
裁判所執行官が引き渡しを催告 3・14緊急闘争へ(2月28日)
記事を読む  
【要項】 すべてを奪い返すぞ!3・18全国総決起集会 記事を読む  
(8面)
団結ひろば 投稿コーナー 記事を読む  
2月徳島刑務所包囲闘争の地平  階級的労働運動を基礎に星野同志奪還の大運動へ 記事を読む  
国際労働運動 4月号  アメリカ革命の開始 記事を読む  
【要項】 関西 3・7国際婦人デー集会 記事を読む  

週刊『前進』(2526号1面1)(2012/03/05 )

 “原発と核をなくせ”

 3・11福島の怒りで世界変えよう

 外注化阻止・非正規職撤廃かけ労働組合を軸に3-4月決戦へ

(写真 「再稼働阻止!」5万人を超える署名者の思いを込めシュプレヒコール【2月28日 経産省前】)

 全国の労働者、農民、漁民、市民、学生のみなさん。とりわけ福島県民のみなさん。「原発いらない! 3・11福島県民大集会」(13時、郡山市開成山球場)に大挙して集まり、「原発反対!」の意志を断固として示しましょう。3・11集会は、原発再稼働を本当に止めるための行動であり、福島の怒りをひとつにして世界を変えるための集会です。とりわけ闘う労働組合が反原発の先頭に立って闘うことが、勝利のための最大の焦点になっています。青年労働者を先頭に全国の職場で労働組合を再生する春闘を闘い、組合旗を押し立てて3・11郡山に大結集し、歴史を動かそうではありませんか。

 稼働原発をゼロにできる

 現在稼働中の原発は、すでに柏崎刈羽6号機(東京電力、3月26日定期検査入り)と泊3号機(北海道電力、当初予定4月末定期検査入り)の2基のみ。3・11以降の全国と福島の怒り、闘いによって全原発の停止は目前だ。野田政権と各電力会社、原子力産業は、でたらめな「ストレステスト」で、何よりも福島の怒りを金と暴力で分断し、再稼働を強行しようとしている。こんな連中に人生と未来を決められてたまるか! 3・11集会2万人の大結集で、原発再稼働を止めよう!
 本気になって今立ち上がれば、原発再稼働は完全に止めることができる。野田首相と枝野経産相は、経産省前で昨年9月から続けられている脱原発テントの撤去から再稼働に踏み切ろうとした。だが1月27日の750人を超える大結集で撤去は阻止された。
 それに加えて六ケ所再処理工場のガラス固化試験がまたも失敗、核燃料サイクルも破綻の危機に追い込まれている。このままでは使用済み核燃料の行き場がなくなり、たとえ再稼働を強行してもすぐまた止めなければならない状況だ。青森県むつ市の中間貯蔵施設の建設でなんとか突破しようとしているが、展望は何もない。
 原子力安全・保安院(経産省)と原子力安全委員会(内閣府)が、3月末をもっての統廃合にまで追いつめられ(その再編の法案も成立が危ぶまれている!)、4月再稼働は事実上不可能になりつつある。追いつめられた政府と北海道電力は「泊3号機の定期検査入りを5月に延期する」などと言い始めた。
 だが、野田政権みずから「再稼働は最後は政治判断」と語っているように、再稼働は「技術」「安全基準」によって決まるのでなく、どれだけ大きな反対の声が上がるかで決まる。3・11という忘れ難いこの日を、原発再稼働を止め、世界から原発をなくしていく日とするために闘おう!
 さらに3・11集会は、福島の怒りが沖縄の怒りとつながり、世界の原発と核(核基地)を廃絶していく、壮大な闘いだ。
 野田政権は今、原発の再稼働に向け福島県民を金と暴力で恫喝しいがみ合わせ、その怒りをつぶそうと必死になっている。昨年12月には「収束宣言」をでっち上げ、郡山市の子どもたちが立ち上がった「ふくしま集団疎開裁判」に対し裁判所の名で避難の権利を踏みにじった。金をばらまき、8万円と40万円で分断することまでやっている。福島の人びとは、「福島が分断されていることが本当にくやしい。3・11は全国から集まってもらい、福島がひとつになって声を上げる日にしたい」と訴えている。
 他方、野田首相は福島の怒りの抹殺と再稼働の目的を「安全保障のため」(1・24施政方針演説)とも発言している。これは原発政策を「抑止力」(読売新聞)のためとする核武装の論理だ。「原子力の平和利用」の化けの皮が完全にはがされた。現在、米軍は「アジア太平洋最重視」の新軍事戦略で在日米軍再編計画を進めているが、それは対中対峙・対決政策のもと、現実に中国との戦争を構え、イランや北朝鮮の核政策を口実に、侵略戦争・核戦争の口火を切ろうとするものだ。
 日本政府が、福島の子どもたちに大規模な被曝という核戦争に等しい事態を強制しているのも、「核抑止力」という核武装と核戦争の論理と一体のものだ。沖縄や福島の子どもたちをこんな危険にさらして何が「安全保障」だ! 今や世界中の原発や核武装・戦争政策が、福島の怒りをつぶすことなしには一歩も進めない状態に入っている。
 だから福島の怒りが本当にひとつになり団結したときに、世界を変えることができる。連帯する相手を求めて立ち上がり続ける沖縄とつながることができる。大恐慌下に世界中で開始された反乱とも連帯できる。3・11の歴史的意義は決定的だ。全世界に原発と核をなくせの声を上げよう!

 組合旗先頭に2万結集を

 3・11に向け被災地を中心に日本列島は今、「追悼」一色に染め上げられようとしている。しかしこの「追悼」の中には、非和解の対立が存在している。一方にはかけがえのない家族や仲間を失った民衆の、今も薄まることのない深い悲しみと怒りの追悼。もう一方には、この思いを天皇まで動員して政治利用し、震災の一切の責任を負うべき政府・資本が責任をあいまいにしたまま「政治休戦」ムードをつくり出すための「追悼」。だがこれは被災地の怒りを圧殺する攻撃だ。
 被災地の深い悲しみと怒りは、政府や東電に徹底的に原発事故の責任をとらせ、打倒していく決起の始まりである。この被災地の思いを心から共有するとともに、その怒りと行動の先頭に、労働組合こそが立って闘うこと。それが真の追悼であり3・11の意義だ。
 国労本部や連合郡山が動員を決定し、さらに平和フォーラムが動員を大幅拡大して、動員指令を上回る規模での、組合員の現場からの結集運動が始まっている。何よりも福島の怒りが、3・11に向かって沸々とわき上がっている。こうした情勢をつくり出しているのは、福島のお母さんたちの闘いであると同時に、福島県教組や国労郡山工場支部をはじめ現地の労働組合だ。闘う労働組合が反原発運動の先頭に立つものとして3・11が発展していく情勢に対し、労働組合の体制内幹部たちが対抗的に動員を拡大するような力も含めて、今や大結集の展望が開かれているのだ。
 そうであるが故に、闘う労働組合が組合旗を林立させて結集することが、今や最大の焦点に押し上げられている。そしてこれは、反原発運動をいかに進めていくのかという路線をめぐる重大な攻防ともなっている。
 福島大では、3・11の呼びかけ人代表である清水修二副学長と学生の激突が始まっている。3・11を呼びかける学生たちのポスターをはがしてまわる副学長は、「『すべての原発いますぐなくそう!』は無理だ」「『闘う学生自治会を建設しよう』と言っている人たちには協力しない」と公言し、他方において福島大はJAEA(日本原子力研究開発機構)に続いて放射線医学総合研究所(放医研)と協定し、「原子力村」との癒着を深めている。
 こうした対立の本質は何か。電力が足りている現実を前にしてあくまで「福島を自然エネルギー研究の拠点に」と、新たなビジネスを呼び込もうとする清水副学長の思想の根底には、資本主義の原理に頼るしか「脱原発」も、福島の「復興」や「雇用」も実現できないという思想が流れている。そこには資本が福島に参入するために被曝データと福島県民を商品として売り出そうという福島県立医大副学長・山下俊一とも通ずる思想があるのだ。
 反原発運動は今まさに、資本の力とは根本的に違う変革の力を対置しなければならない。今求められているのは、「原発をなくしたら首を切られる」という、労働者の雇用が資本の支配と金もうけに従属するあり方を否定し、労働者が誇り高く労働し生きられる社会の実現だ。そうであるとするなら、その原動力は労働運動・労働組合とプロレタリア革命を実現する闘いの中にこそある。
 福島第一原発での作業が今、在日朝鮮人や被差別部落民労働者を始めとした非正規労働者の差別的な被曝労働によって行われ、日給8000円という低賃金で命が奪われ続けている。事故への対応と原発の廃炉・廃絶に向かっての必要な作業過程が、原発を成り立たせる「差別労働」という構造を再び生み出し続けている。この現実を前にしたとき、原発をなくす根底的な力は、労働者の団結した闘いにあることは明らかではないか。

 新自由主義と闘う真の力

 資本主義社会の中にありながらも、その限界を突破する力をわれわれ運動の側が持たなければならない。社会を根本的に変革するために闘いながら、同時に福島の現実に具体的に立ち向かっていかなければならない。その力は職場の中に、労働者が団結して絶対非和解で権力・資本と闘う階級的労働運動の復権の中にこそある。
 清水副学長に代表される資本主義の「復興」と「脱原発」を一体化する路線に対し、今こそ新自由主義と闘う労働運動という真に未来ある力が、運動全体に見える選択肢として、実践的に登場しなければならないのだ。今こそ反原発運動の先頭に、階級的労働運動の旗を登場させよう。
 動労千葉は日本の労働者の先頭に立って闘い、検修・構内業務の全面外注化の4月1日実施を再び阻止する勝利を切り開いた。外注化とは、職場や生産を請負会社に丸投げし、労働者を非正規労働者へと突き落とし、安全を切り捨てる、新自由主義の核心をなす攻撃だ。動労千葉は10年以上にわたり外注化を阻止し続けてきた。労働組合のもとに労働者が団結して闘えば、外注化も非正規職化もとめることは可能なのだ。そしてこの中から闘う労働運動を復権することもできるのだ。
 動労千葉に続き、職場・キャンパス・地域から12春闘を闘い、3・11の大結集を実現し、再稼働阻止・全原発廃炉へ突き進もう。外注化阻止・非正規職撤廃へ、3―4月決戦に立とう。
 3・11の高揚と勝利から、橋下・大阪維新の会を打倒する3・18八尾北・西郡決戦、福島と結び農地死守・軍事空港粉砕へ闘う3・25三里塚全国集会へ決起しよう。
 最後に、4・1JR全面外注化阻止の国鉄決戦―4大産別決戦と3・11−反原発闘争は、革命的労働者党を建設していく闘いと一体である。職場・キャンパス・地域の闘いの中から、青年労働者と学生の闘うリーダーを膨大に生みだそう。それこそが大恐慌をプロレタリア革命に転化し、世界を根底から変革していく最深の力だ。

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週刊『前進』(2526号1面2)(2012/03/05 )

 NAZEN 5万余の署名を提出

 経産省に“再稼働するな”

 大型段ボール箱6個に納めたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の署名簿が経済産業省本館会議室の机の上に積み上げられた。全国のNAZENの仲間が職場や大学、街頭で集めた貴重な一筆一筆だ。「原発の再稼働も新規建設もやめよ、全原発の停止・廃炉を」「福島の人びとと子どもたちの命と生活を守れ」「国と東電は全被害を補償せよ」の署名の三つの趣旨は、労働者人民すべての要求だ。
 2月28日、経産省に対しNAZENが署名提出行動を行った。午後1時半、経産省テント前に集合した30人の仲間は小集会をもった後、経産省別館のロビーに移った。経産省側は不当にも人数を制限した。これに強く抗議した後、代表の6人が署名簿を携えて本館の会議室に入った。
 対応した3人の官僚は腕時計に目をやるなど、早く終えたい心理がありありだ。それを許さず、NAZEN呼びかけ人で8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委事務局長の三角忠さんが発言した。三角さんは「すべての原発をいますぐなくそうという3点の趣旨を明記した署名5万2千110筆を提出する。この署名の意味を遅滞なく正確に経産大臣に伝えて欲しい」と厳しい口調で要請した。
 続いて、同じく呼びかけ人で弁護士の鈴木達夫さん、法大生の倉岡雅美さん、東京の学生が、署名に込められた多くの人の思いと怒りを述べた。事務局次長の富田翔子さんは「今日はひとりの母親として来ている。避難の権利さえ与えられていない福島の子どもたちの未来をどう思うのか。賠償もしないで何が再稼働だ!」と弾劾した。事務局長の織田陽介さんは「再稼働は全世界の人びとの生活や命に関わる問題だ。再稼働するな!」と強く要求した。最後に、署名簿の入った重い段ボール箱を一つひとつ受け取らせた。
 提出後、仲間と合流し織田さんの司会でテント前において総括集会を行った。鈴木さんは「国家意思を背負っている連中はどうしようもないと強烈な印象を持った。彼らに対してはパリ・コミューンの原則で行きましょう」と発言。
 三角さんは「経産省側は署名簿を受け取るだけで済ませようとしたが、全員が怒りを伝え勝利した。第2次、第3次の提出に向け、多くの署名を集めることを目的にこれからも頑張ろう」と檄(げき)を飛ばした。倉岡さんは「法大で集めた400筆を超える署名は、写真撮影や恫喝に負けないで必死に書いた血の一筆一筆です」と強調。東京の学生は「官僚の対応を見て国に対する不信感がますます芽生えた」と語った。
 富田さんは「署名の重みをどれだけ活かすことができるか、NAZENの闘いにかかっている。これからも絶対あきらめないで闘っていこう」と訴えた。さらに呼びかけ人で弁護士の藤田城治さんが発言した。最後に全員で経産省に向かってシュプレヒコールをたたきつけた。
 3・11福島県民大集会の勝利を実現し、再稼働を絶対阻止しよう。
(写真 三角さんを先頭に経産省に署名簿を提出【2月28日 経産省】)

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週刊『前進』(2526号1面3)(2012/03/05 )

前進速報版から 前進速報版から

▼西郡に住宅明け渡しの強制執行通告▼NAZEN東海を結成▼迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会が最高裁に申し入れ行動

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週刊『前進』(2526号1面4)(2012/03/05 )

【要項】 原発いらない! 3・11福島県民大集会、3・25三里塚全国総決起集会

原発いらない! 3・11福島県民大集会
 3月11日(日)午後0時半 開場/午後1時オープニングコンサート
 午後2時 集会開始/午後3時15分 行進出発
 開成山野球場(福島県郡山市開成1丁目5―12)
 主催/福島県民集会実行委員会

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第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう! フクシマ連帯・原発再稼働許すな! TPP(環太平洋経済連携協定)反対! 軍事空港粉砕・改憲阻止!
3・25三里塚全国総決起集会
3月25日(日)正午
成田市天神峰 反対同盟員所有畑
主催/三里塚芝山連合空港反対同盟

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週刊『前進』(2526号2面1)(2012/03/05 )

 12春闘を闘い労組青年部を甦らせる

 首都圏青年集会 JRの平成採が先頭で

 “外注化阻止が最大の決戦”

 「原発、外注化、非正規化は一体の問題。全国の力で3・11郡山集会を大成功させよう」――JRの青年労働者が全国の青年に向かって訴えた。
 2月26日に千葉で開かれた首都圏青年春闘集会は、JRの青年労働者が中心に座って外注化・非正規職化を撃つ集会としてかちとられた。動労千葉青年部と動労水戸の青年をはじめとする青年労働者ら210人が職場を越えて結集し、新自由主義を打ち倒す団結を圧倒的に固め、労働運動の新時代を切り開いた。
 集会では、動労千葉青年部2人と動労水戸の青年がJR外注化阻止の熱烈なアピールを発した。
 まず動労千葉青年部が外注化、ライフサイクル、基地再編攻撃粉砕へ闘い続ける決意を表明。運転士登用差別事件の2・23最高裁反動判決を「30年闘ってきた人たちが踏みにじられた日だ。これで終わりだと思うなよ」と悔しさをにじませ弾劾した。そして拳を突き上げながら「未来をかちとるのはおれたちです。おれたちのこの手です。みんないっしょに闘っていきましょう」と沸々と闘志を燃やした。
 もう1人の青年部員はJR資本の無責任さに憤り職場で日々声を上げ闘っていると報告、「絶対に外注化をつぶす」と戦闘宣言を発した。
 「堂々と動労水戸と言えることに喜びを感じております」。はつらつと切り出したのは昨年、動労水戸に加入した青年だ。外注化に関する本社団交に参加した。「本社は本当に無責任。自分たちの未来がこんな人間に託されているなら自分たちは殺される」「反対して反対して反対しきって外注化を完全に阻止する」とあらためて固く決意し、「原発、外注化、非正規化の問題は一体だ。本当に全国で団結してやっていかなければ解決できない。3・11郡山集会を成功させよう」と真正面から訴えた。

 青年自らの力で未来を奪い返す

 集会をひとつにしたのは、非正規職の医療労働者による新自由主義を批判しつく基調提起だ(要旨別掲)。「『すべてうそだった』のは原発安全神話だけじゃない。新自由主義のすべてがうそだった」。一言一言に新自由主義への腹の底から怒りが込められた。「青年自らの力で団結と未来を奪い返そう」という渾身(こんしん)の訴えは、参加者の胸を打ち非正規職撤廃の号砲となった。
 そして国労郡山工場の橋本光一さんのメッセージが、司会の福島出身の自治体労働者から涙ながらに紹介され、会場全体が3・11郡山と4・1外注化阻止を誓い合った。
 春闘報告では、司会の郵政非正規ユニオンの斎藤祐介委員長、郵政、NAZEN、交通、医療、福祉、民間、ちば合同労組、東京西部ユニオン青年部が、職場での地をはう実践と豊かな教訓を次々と語った。職場支配権奪還の闘いが、全産別で力強く前進している。
 強制配転攻撃に職場一丸となって立ち向かう郵政労働者は、「『この社会の中でイエスマンのままでいいのかということを体を張って示してやる』という仲間の思いとつながって闘う」と郵政民営化の破綻をすべて現場に押しつける郵政資本に怒りを爆発させた。
 連帯あいさつを全学連の斎藤郁真委員長と動労千葉外注化差し止め訴訟代理人弁護士の石田亮さんが行った。最後に民間の交通労働者が集会をまとめ、団結ガンバローで締めくくった。
 「3・11」と「4・1」への態勢は整った。12春闘を爆発させよう!
基調提起(要旨)すべてウソだった
新自由主義を打ち倒せ!
 企業が存続するためにわれわれ青年は殺され続けている。この現実をひっくり返すのが12春闘だ。「3・11」と「4・1」に向かって原発再稼働阻止・非正規職撤廃をかけてすべての職場や地域で立ち上がろう。
 「すべてうそだった」――”原発安全神話”だけではない。新自由主義のすべてがうそだった。私たちは子どもの頃から競争させられ、団結どころか仲間すらほとんどいない。非正規でいつ首を切られるかわからない。「競争すれば豊かになる」……。全部うそだ。
 私たちは腹の底から怒っている。必要なのは絶対反対で原則的に闘う労働組合が登場すること。
 経労委報告の「企業存続」「定昇凍結」とは正規職の”非正規化”だ。最大の決戦場がJRだ。
 4・1外注化を阻止できる状況に入った。青年の未来を売り渡してきた御用労組幹部の支配を職場から打ち破って団結と反乱を組織しよう。
 職場で声を上げ今日の集会を闘いとっていること自体が、新自由主義を打ち倒して「社会の主人公はおれたち労働者だ」と胸を張れる社会を創っていく団結を生み出している。広範な青年に呼びかけ青年自らの力で団結と未来を奪い返そう!
(写真 「おれたちの手で未来をつくろう」。JRの青年労働者が登壇し、外注化阻止決戦と3・11郡山への決起を呼びかけた【2月26日 千葉県船橋市】)

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週刊『前進』(2526号2面2)(2012/03/05 )

 東北 “闘って命守り原発なくす”

 被災地で甦る労組

 2月26日、仙台市内で東北春闘集会が150人の参加で行われた。3・11から1年間、大震災と原発事故に対して生き抜くために「震災解雇を許すな」「原発なくせ」と必死に闘い抜いてきた東北の仲間が一堂に会し、青年が軸を担って熱気と感動あふれる集会をかちとった。
 3・11後に職場で合同労組分会を立ち上げた福島の青年と、雇い止め解雇と闘い職場で賛同とカンパを集め参加した青森の青年が司会を務めた。
 冒頭、みやぎ連帯ユニオン東北石けん分会副分会長の成田勝さんが開会のあいさつを行った。「3月11日は絶対に忘れることができない怒りの日だ」と切り出し、「政府の政策は福島との分断であり責任逃れだ。国・東電の責任を徹底的に追及し、原発の再稼働阻止へ福島と心をひとつに闘おう」と訴えた。
 そして「私は3年前の不当な解雇攻撃に現在も解雇撤回を闘っている。泣き寝入りする時代ではありません。国鉄闘争全国運動を武器に、あらゆる職場で労働組合をよみがえらせよう」「3・11に向かって、私たちは亡くなった仲間たちの分も生きて、全原発を廃炉にして、腐りきった社会を変えよう。3・11に労組の旗を持って郡山に集まろう」と述べ、団結拡大の先頭に青年が立つとの圧巻の提起を行った。

 御用学者たちをのさばらせるな

 3本の特別報告が行われた。1本目は子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの椎名千恵子さんだ。椎名さんは、福島の子どもたちに甲状腺がんの初期症状が現れたこと、それでも山下俊一福島医大副学長が「独自の検査は遠慮してください」と言ったことに、「いつまでこの人がのさばっているのか」と怒りで声を震わせた。
 2本目は動労水戸の国分勝之副委員長だ。昨年の被曝労働拒否のストライキについて「職場全体の労働者のために闘って支持された」「1人の青年の動労水戸への加入で会社の攻撃をストップさせた。団結拡大は資本を倒す最大の闘いだ」と感動的な報告が出された。
 3本目は福島県教組の仲間からのメッセージだ。今、授業再開による「兼務」が解除されたが、生徒数の減少をもって教職員を削減する人事異動が強行されようとしているという。教育委員会への怒りとともに、原発をなくそうとのアピールが寄せられた。
 全逓労働者によるカンパアピールの後、決意表明が続いた。「NAZEN青森を結成し、金か命か、労働組合として決断と決意をもって闘う」(南部バス労組)。「不当労働行為があっても解雇はOKとする国鉄分割・民営化を認めず闘う」(国労秋田闘争団の小玉忠憲さん)。「4・9政治和解路線反対を貫き、自分の本気さで組合員の信頼、支部の団結をつくり出す」(国労郡山工場支部の橋本光一さん)。「仲間の死をあいまいにせず、命よりも金の資本主義を労働組合の力で変えていく」(仙台市職労)。「3・11以後の休業命令による労組丸ごとの排除を許さない」(あいコープ労組)。「職場で動労千葉を支援する会を立ち上げる」(宮城の全逓労働者)。被災地から確実に労働組合がよみがえっている!
 本宮市職労の仲間が3・11郡山集会の成功と福島診療所を建設しようと行動提起。全金本山労組の長谷武志副委員長が「本集会は17回目だが、今日は平均年齢がグッと下がった。青年とともに行動する」とまとめた。
 集会後に圧倒的デモを打ち抜き、原発に怒る青年労働者も飛び入り参加した。集会に参加した青年労働者は「労働組合ってすごい」「入りたい」と大高揚している。この熱気と興奮を力に、被災地でさらに闘っていきたい。
 (宮城・T)
(写真 「震災解雇を許すな! 原発をなくせ!」の熱い思いを込めて全員が団結ガンバロー【2月26日 仙台市】)

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週刊『前進』(2526号2面3)(2012/03/05 )

 関西青年集会 橋下打倒の労組拠点を

 関生青年部と港合同が共に

 2月26日、大阪市住まい情報センターにおいて関西青年労働者集会が開催され、関西各地から240人が結集した。実行委員会での議論を積み重ねて準備し、その中でつくり上げてきた団結が集会全体を熱気に包んだ。
 司会あいさつの後、大阪市職の赤田由行さんが基調報告を行った。「3月決戦は全労働者の未来を決する決定的な位置にある。JR外注化阻止の闘いは、国鉄分割・民営化以来の新自由主義に決着をつけ、青年労働者を先頭にすべてを奪い返す闘いの始まりだ。闘う労働組合をよみがえらせた時、私たちの存在がこの社会そのものをひっくり返す力となる。国鉄・被災地・西郡の闘いをもって労働者の大反撃の開始としよう」と宣言した。
 そして「12年経労委報告」を徹底的に批判し、「これは企業の存続のために労働者は犠牲になれ、という宣言だ。闘う拠点をつくりだし、2千万青年労働者の怒りを組織して資本家階級との闘いに決着をつけよう。橋下による『アンケート調査』との闘いで、絶対反対を貫く1人の存在が、結集軸となり全体を揺り動かす力を持っている、とつかんだ。国鉄闘争全国運動を職場闘争そのものとして前進させよう」と熱烈に提起した。
 続いて元福島県教組委員長の清野和彦さんが特別講演を行った。「原発事故の責任を徹底追及し、今こそ全国的な闘いを起こそう。3・11集会に赤旗を林立させ、自分たちこそが主人公だと自覚をもって闘おう。沖縄で私が教えられた言葉は『足元を掘れ、そこに泉湧(わ)く』です。動労千葉の闘いに学び、自分の足元から労働運動を組織してほしい」と熱い思いを語った。
 部落解放同盟全国連・西郡支部の佃文弘さんが、3・18八尾北・西郡決戦に向けた特別アピールを行った。「村の更地化、資本への売渡し、これこそ橋下の道州制攻撃の切っ先であり正体だ。私たちの闘いでこれらの本質を暴き出した。追いつめられているのは資本であり、国・橋下・八尾市だ。絶対反対の団結があれば勝利できる。西郡への攻撃を全労働者にかけられた攻撃と見据え、労働者階級として闘おう」と総決起を訴えた。
 次々と青年労働者が決意を語った。関西合同労組、郵政の非正規労働者の発言に続き、全日建運輸連帯労組関西生コン支部青年部が「組合がストライキをしたことが威力業務妨害で逮捕される。こんなことを許してはいけない。これは自分たちだけの問題じゃない。青年がどんどん頑張っていかんと非正規の問題も解決しない。ともにがんばろう」とアピール。

 闘えば展望は切り開かれる

 全国金属機械港合同、全学連、高槻医療福祉労働組合、奈良市従業員労働組合の青年が次々と労働組合の拠点建設に向けた闘いを訴えた。
 とりわけ奈良市従の労働者は「自治体職場での道州制攻撃が、2%賃金カット、清掃だけの特殊勤務手当全廃攻撃としてかけられている。一歩ひいたら根こそぎやられる。人間関係やカリスマ性だけでは団結にならない。絶対反対で闘おう」と力強く提起した。
 最後に、港合同の木下浩平さんが集会のまとめを行った。「情勢を見極める中で労働組合の方針が出てくる。闘いをもって対決すれば展望が切り開かれる。地域の中に団結の結集軸になる拠点をつくろう」
 集会後、梅田の繁華街までデモ行進。「すべての原発今すぐ止めよう」「民営化反対! 非正規職撤廃!」のコールが響き渡り、圧倒的な注目を集めた。
 (関西・S)
(写真 関西生コン支部や港合同、八尾北労組などの組合旗を翻して梅田の繁華街まで意気高くデモを打ち抜いた【2月26日 大阪市】)

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週刊『前進』(2526号2面4)(2012/03/05 )

 広島 民営化阻止の決戦へ

 呉市交通局支部が決意表明

 2月25日、広島連帯ユニオン・呉市交通局支部の呼びかけで、「呉市営バス民営化阻止! 外注化阻止・非正規職をなくせ! 原発全廃! 春闘集会」が呉市で開催され、54人が結集した。1人の決起から始まった呉市営バス民営化阻止の闘いを地域共闘で支え、各職場で決戦化する外注化阻止・非正規職撤廃の闘いを国鉄闘争全国運動でひとつの力にし、階級的団結を拡大する闘いとして感動的成功をかちとった。
 冒頭あいさつに立った広島連帯ユニオンの鈴木範雄委員長は「呉市営バス民営化に対する最大の決戦に向け、決意を固めたい」と集会の位置づけを鮮明にさせた。
 連帯ユニオンの植野定雄執行委員が基調提起を行った。「国鉄闘争全国運動として開始した階級的労働運動の真価を発揮するときが来た。全国運動があって、呉市交通局民営化に対して小なりといえども労働組合を結成し勝負することができている。正規と非正規の闘いの結合で新たな展望を切り開こう」と訴えた。
 国労小倉闘争団の羽廣憲さんが講演を行った。「国鉄分割・民営化とは新自由主義の労組つぶし。労働者を人間として否定し、国のあり方を根底から変えようとした。労働者として絶対許せないという思いで解雇撤回闘争を貫いている」「労組幹部の腐敗と堕落は激しい。5・27弾圧などあらゆる手を使い、ついに4・9和解。原則に立ち返り、動労千葉の呼びかけと国労4人の闘いで新たな国労をつくりたい」と国鉄闘争全国運動の歴史的意義を訴えた。
 続いて連帯ユニオンの井上亮青年部長が、非正規職撤廃闘争に向け特別アピール。「財界トップは”労働者自身が非正規を選んでいる、もっと非正規職が増えればいい”と言っている。ふざけている。団結して闘って生き抜こう。被災地で、鈴コンで始まっている闘いに続こう。労組をよみがえらせ団結を拡大しよう。希望の光は国鉄闘争にある」と勝利の確信をこめて訴えた。

 闘いは今からがスタート

 呉市交通局支部の結城俊哉委員長が満場の拍手を浴びて発言に立った。「昨年後半から闘いが始まった。仲間とユニオンに結集し支部をつくった。ユニオンの仲間は何でここまでできるのだろうと思ったが、信じる者のために活動していることがわかった。呉市営バス民営化のことは小村市長と交通局、労組幹部によって、闇から闇に葬り去られようとしていたが、私たちの闘いでかなり明るみに出せた。公営交通労組がまともに闘っていたら民営化は防ぐことができたはず。労組を変えられなかったことは悔やまれるが、実際の闘いは今からスタート。ゼニカネの問題ではなく、間違っていることは間違っていると認めさせたい。4月以降もまだまだ続く闘いなのでご支援をお願いします」と闘いの決意を述べた。この発言に民営化絶対反対の路線の勝利が示されている。
 倉敷市職労の百本敏昭委員長、春闘ストを構える動労西日本の大江照己委員長、高陽第一診療所労組、社保庁分限免職処分者の平口雅明さんらからともに闘う決意が述べられた。最後に、壹貫田康博ユニオン書記長(広大生協労組委員長)が「国鉄闘争全国運動で労働者をひとつにしていこう」とまとめ、力強く団結ガンバローの声を響かせた。
 (広島県労組交流センター O・K)
(写真 国鉄闘争全国運動を軸に民営化と全面対決すると戦闘宣言【2月25日 広島県呉市】)

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週刊『前進』(2526号2面5)(2012/03/05 )

 契約社員制度撤廃を

 JR岡山支社・駅へデモ

 2月19日、動労西日本と岡山の労働者は岡山市内で、12春闘第1波行動として春闘デモと集会を開催した。
 この日は、南スーダンへの自衛隊PKO派兵が強行されるということで百万人署名運動が抗議の街宣を行った後、JR西日本岡山支社と岡山駅中央改札へデモ(写真)。「契約社員制度撤廃」「青年の使い捨て許さないぞ」「職場に戻って闘うぞ」。職場の労働者と団結させまいと態勢をとっていた岡山駅の管理職をぶっとばし、岡山駅の仲間と団結できた。
 集会は30人の結集でかちとられた。動労西日本は組合員全員が発言。大江照己委員長は、春闘を何よりも契約社員制度撤廃で闘うことを宣言した。山田和広副委員長は、基調で「動労千葉の外注化阻止決戦と一体で非正規職撤廃・外注化阻止の闘いをやろう! 国鉄闘争全国運動を軸に職場に拠点を建設しよう」と訴えた。
 続いて決意表明。医療の仲間は「非正規職解雇に声を上げない組合本部に代わって現場から闘いを開始した」と報告。さらに自治労、全逓、マスカットユニオン、岡山・星野文昭さんを救う会、学生が発言した。
 まとめをマスカットユニオンの清水久美子委員長が行い、「国鉄闘争全国運動の拡大」と「3・11福島への結集」を提起した。
 (動労西日本副委員長 山田和広)

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週刊『前進』(2526号3面1)(2012/03/05 )

 “4・1外注化は阻止した”

 “組織拡大春闘へ”

 動労千葉 定期委で総決起態勢

 動労千葉は2月26日、第66回定期委員会をDC会館で開催し、12春闘決戦段階の闘いを始めとする新たな闘争方針を打ち立てた。
 あいさつに立った田中康宏委員長は冒頭、23日の運転士登用差別事件をめぐる最高裁判決について「あらためて満身の怒りを込めて弾劾する」と述べ全面的な批判を加えた。そして「理屈もなにもない、なりふり構わぬ判決だ。裁判所がなんと言おうが現場からの闘いで運転士登用をもぎとろう」と闘争継続をきっぱりと宣言した。

 JR代理人が「実施しない」

 さらに最大の攻防点となっている検修業務全面外注化については「4月1日全面外注化実施は、ほぼ不可能になった」と明言した。参加した委員と傍聴席から「よし!」という声が上がる。
 田中委員長は、動労千葉が申し立てた外注化差し止め仮処分の審尋の中で、JR東日本の代理人弁護士が、いら立ちをあらわにしながら「検修・構内業務の4月1日外注化は行わない」と表明したことを紹介した。
 そして「いま外注化を強行したら若い仲間が動労千葉に入ってしまうかもしれない。偽装請負の問題も否応なく焦点化する。動労千葉は強制出向を拒否して組織を挙げた闘争に立ち上がる。これらの問題すべてに当局も東労組も確信が持てないから外注化強行に踏み切れないのだ」と現在の状況を明らかにした。「しかし攻撃が止まったわけではない。4・1実施阻止で得た時間を組織拡大闘争に使い切る。本格的な組織拡大を実現することができた時こそ本当に外注化を阻止できる」。参加者は田中委員長の提起に集中して聞き入った。
 来賓あいさつとして動労千葉を支援する会の山本弘行事務局長が発言。経過報告と総括を繁沢敬一副委員長が、情勢を川崎昌浩執行委員が、当面する方針を長田敏之書記長が提起した。

 春闘の山場にストを配置

 長田書記長は春闘山場の課題について、@検修・構内業務全面外注化阻止の闘い、A国鉄闘争全国運動を軸にした1047名闘争の前進、B運転基地統廃合―組織破壊攻撃を許さない闘い、CJR東日本の新人事・賃金制度導入阻止の闘い、JR貨物でのベアゼロ・賃金抑制打破などの課題を強調し、具体的には「第1の山場を3月14日(春闘山場)〜3月17日(JR東日本ダイヤ改定)の過程に、第2の山場を4月1日に設定しストライキを含む闘いを配置する」と提起した。そして「この中でなんとしても本格的に組織を拡大しよう。“組織拡大春闘”と位置づけて闘おう」と呼びかけた。
 討論では各支部から報告・意見が活発に出された。銚子支部の代表は、銚子市や周辺自治体への要請行動などについて報告し3・10銚子地域集会への結集を呼びかけた。車両技術分科会の代表は電車ブレーキの枢要部分に重大な亀裂が発見されたことを報告、「本線上でブレーキが脱落していれば脱線・転覆し、第2の尼崎事故になりかねない事例だ。すべてはコストダウンと検査周期延伸が原因だ」と安全切り捨てのJRを弾劾した。
 決戦まっただ中での開催となった66回定期委員会は、この間の外注化阻止闘争が切り開いた大きな展望を確認するとともに、組織拡大闘争を軸に一丸となって決戦本番に突入する総決起態勢を打ち固める場となった。
(写真 冒頭あいさつで検修外注化攻撃の現局面について提起する田中康宏委員長【2月26日 千葉市】)

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週刊『前進』(2526号3面2)(2012/03/05 )

 国労郡山工場支部のアピール

 目前に迫った「原発いらない!3・11福島県民大集会」に向けて国労郡山工場支部が発したアピールを紹介します。福島現地からの渾身(こんしん)の訴えに応え、組合旗を押し立てて郡山市・開成山野球場にかけつけよう! 2万人結集実現へ全力で闘おう。(編集局)

 「原発いらない!3・11福島県民大集会」に2万人の結集を実現しよう

「収束」?「再稼働」? 信じられない!!
 東日本大震災が起きた日、3月11日は決して忘れることができない日です。そして福島原発事故は、私たちから、平穏な日常と、希望ある未来を奪い去ってしまいました。1年が過ぎようとする今なお、海に、山に、田畑にまき散らされ蓄積された放射能が、日々私たちの健康をむしばんでいるのです。15万人を超える人々が避難生活を余儀なくされているほか、原発自体、放射性物質の流出が一向におさまらず、原子炉から溶け落ちた核燃料を取り出す術すらないのです。それなのに政府・東電は、「収束『ウソ』宣言」をして、原発の早期再稼働ばかりか、原発の海外輸出まで進めようとしています。本当に信じられません。

「被曝労働」を許さない運動を
 政府は「復興」のためにと言い、被曝することを承知の上で、除染作業に住民をかり立てています。私たちの働く郡山総合車両センターでも、高い放射線に被曝しながらの労働を、この1年間強いられてきました。JR東日本は、「復興への期待にこたえる」と言って、昨年10月に常磐線広野までの運転を再開。それにともない放射能に汚染されている車両を、勝田車両センターに入れて整備させています。また、常磐線原ノ町〜相馬間の運転再開のための車両を、多額の費用をかけ郡山総合車両センターにトレーラーで運び込み、検査修繕させています。このように、運転再開を急ぐJR東日本の姿勢には、政府・東電と一緒になって原発事故の「収束」を演出し、原発政策を推進しようとする強い意思を感じます。

2万人結集すれば情勢は動く
 「さようなら原発集会」の6万人結集や「沖縄県民大会」10万人結集が、政治を動かす大きな力となったように、労働組合と市民がひとつになり、福島と全国の怒りが一つになって、開成山公園に2万人が集まれば、政府・東電に責任を取らせる闘いや、原発をとめる闘いの大きな力になっていくはずです。職場での議論をつくり運動をつくり、組合旗を掲げて開成山球場に結集してください。原発再稼働阻止!すべての原発をなくそう!という2万人の声が、3月11日、全国に響き渡ることを願ってやみません。
 2012年2月17日
 国鉄労働組合 郡山工場支部

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週刊『前進』(2526号3面3)(2012/03/05 )

 JR東労組の中から大反乱を

 会社と密約結び外注化を推進

 カクマルこそ非正規化の元凶

 JR東日本がたくらむ4月全面外注化を阻止する決戦は、激烈な攻防の過程にある。この外注化を資本とともに90年代から推進してきたのがJR総連・東労組だ。彼らは資本から切り捨てられる危機におびえ、外注化に対する青年労働者の怒りに追いつめられて、現場段階では口先で「外注化反対」を唱えることさえして延命を図ろうと躍起になった。だが、東労組こそが外注化・非正規職化の先兵であることは歴史に刻印された事実だ。以下、その実態を暴く。

 契約社員の導入に率先協力

 東労組は1月31日、JR東日本が昨年1月に提案した「人事・賃金制度の見直し」を基本的に受け入れ妥結した。
 JR東日本はまた、1月11日に「駅業務委託のさらなる推進について」を各組合に提示し、駅業務の全面的な外注化を打ち出した。実施日は4月1日とされている。
 東労組はこれについても1月20日、妥結を前提に申14号「駅業務委託のさらなる推進に関する申入れ」を会社に出した。彼らの主張は、3月で雇い止めとなる契約社員=グリーンスタッフの「雇用の場」として、さらにエルダー社員(再雇用職員)の「雇用の場」として、外注業務を受託している下請け会社を積極的に使うというものだ。
 東労組は交渉報告で「(グリーンスタッフの)駅業務第一期生には正社員化が難しいため、グループ会社への採用の道を切り拓(ひら)くことができました!」(『業務部速報』NO.86)などと述べている。一方で駅業務の全面外注化を率先推進し、他方で雇い止めにされる青年たちへの下請け会社の雇用あっせんを「救済」と描き出しているのだ。実際には非正規職を固定化し、さらなる超低賃金で青年労働者をとことん搾取することにほかならない。どこまでも腐り果てた連中だ!
 そもそもグリーンスタッフの導入は、東労組が資本と癒着・結託して強行したものだ。この事実を徹底的に明らかにしなければならない。

 提案に先行し水面下で合意

 ことの始まりは90年代にさかのぼる。
 98年7月2日、JR東日本は「旅行業部門への契約社員(グリーンスタッフ)導入」を提案した。旅行業部門での経営破綻(年間約100億円の赤字)を低賃金の契約社員の導入でのりきるという内容だ。まさに唐突な提示だった。
 ところが、これに先立つ同年6月の東労組第14回大会では、グリーンスタッフ導入に関する論議が行われていたのだ。正式な提案の前から、会社と東労組との間で、すでにグリーンスタッフ導入の方向で合意が成立していたということだ。
 東労組は、同年の「秋のたたかい」と称して、グリーンスタッフ導入の論議を営業職場を中心に積極的に行っている。その際、東労組は、グリーンスタッフが導入されても正社員の「雇用の場」は守られると強調した。しかし、「雇用を守る」と言うのなら、正規職労働者こそ非正規職撤廃を掲げて闘わなければならなかったのだ。
 同年11月2日、会社は「グリーンスタッフ導入」について、東労組の要求に沿う修正提案を出した。99年1月14日に至り東労組は交渉を集約、合意「確認メモ」を単独で会社と締結した。
 グリーンスタッフは00年度から導入されたが、最初は旅行センター「びゅうプラザ」での業務に限定されていた。それが07年度からは駅業務にも拡大、以来5年間で約2500人が採用された。1年契約の有期雇用で5年で雇い止め。その結果、今年3月で約300人が解雇(=使い捨て)にされる。
 こうしたJR東日本の施策は、青年労働者を塗炭の苦しみに突き落とし、未来と誇りを無慈悲に奪っている。正社員登用試験に落ち、命を絶った青年もいるのだ。
 こんな許しがたい制度の導入に、東労組は計画段階から積極的に加担してきたのだ。その罪は絶対に消えない。

 経営計画の根幹に「覚書」が

 裏切りはそればかりではない。グリーンスタッフ導入に至る過程は、JR東日本の中期経営ビジョン「ニューフロンティア21」(00年11月提示)の骨格が形成され、そのための合理化指針が固められた時期と重なっている。
 この過程で東労組は、合理化・外注化推進の「覚書」を幾度も会社と結んでいる。公表されているものだけでも、以下の四つがある。その多くは97年から99年に集中している。このころすでに東労組は外注化の片棒を積極的に担ぎ、労働者の権利を売り渡していたのだ。以下、その内容を検討する。

 90年代初頭に外注化を承認

(1)「効率化の実施に関する覚書」(92年10月23日)
 ここでは、国鉄分割・民営化からの5年を総括して、「業務の効率化・システム化は、民間企業として永久に追求しなければならない命題である」と確認されている。その内容は合理化一般にとどまらない。システム化とは、協力会社を含めた鉄道事業の全体系を対象とするものだ。システム化=外注化なのだ。
 また、「相互の信頼関係に立ち、個別具体的に議論を重ねる」と、外注化協議を労資一体で進めることも確認している。90年代初頭の段階で東労組は外注化を労組として承認していたのだ。
 この覚書が締結されたのは、日経連がプロジェクト報告で「9割の労働者の非正規化」を叫んだ95年の3年も前だ。そこにはすでに00年11月に示された「ニューフロンティア21」から始まる第2の分割・民営化攻撃の指針が盛り込まれていた。
(2)「21世紀を展望した効率化の実施に関する覚書」(98年9月10日)
 ここでは、「鉄道事業が21世紀においても生き残っていくうえでは、業務の効率化・システム化は不可避である」として「効率化の実施」があらためて労資で確認されている。
 そして、「効率化・システム化・機械化等」がうたわれている。その背後には、設備部門(保線、土木、建築、機械、電力、信号通信)や検修部門の外注化推進という狙いが隠されていた。しかし「設備」「検修」などの言葉は明示には使われていない。
 また、「大量退職期を迎える中で、世代交代をどう進めていくかは喫緊の課題」として、シニア協定の内容も先取り的に確認されている。
 00年7月、東労組はこの覚書の内容をさらに進めるとした「効率化との闘い方」なる通達を出した。東労組は「合理化」を「効率化」と言い換え合理化・外注化を積極的に推進してきたのだ。
(3)「大量退職期を迎える中での高齢者の雇用に関する覚書」(99年1月29日)
 これは、「シニア協定」を導き出した決定的な文書だ。“60歳定年以後も雇用を希望する社員に対して、グループ会社への就職をあっせんする”として、退職者(シニア)の「雇用の場の確保」を押し出しながら、その本当の狙いは、グループ会社に駅業務や設備、検修業務などを外注化することにあった。
 この覚書に先立って98年3月に締結された「高齢者雇用の場の確保について」なる「確認メモ」には、「グループ会社等への単純業務のアウトソーシング(外部委託)と、そこへの高齢者の出向であり、対象は駅業務・駅員」「人件費削減がその最終目的」と、その狙いがストレートに書かれている。先に挙げた「21世紀を展望した効率化の実施に関する覚書」の内容も、この「確認メモ」に由来する。
 この覚書はその後、00年3月1日に「シニアの雇用に関する協定(シニア協定)」と名を変えて締結された。シニア協定の第3項目には、「グループ会社と一体となった業務体制を構築する」と書かれている。外注化推進条項だ。
 このように、労資の癒着・結託体制のもと、すべての合理化施策が会社と東労組との間の「確認メモ」や「覚書」として成文化され、それはそのまま「協定(=合理化施策)」となり実施に移されてきた。この現実を徹底的に暴露・断罪しなければならない。

 “国労を出しっぱなしに”

(4)「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築」(97年)
 これは東労組の内部文書である。東会社と東労組が単独で締結した同名の「密約」に関する討議メモと見られる。
 そこには、その狙いが「国労対策を考えた外注化」と露骨に書かれている。「外注化メニュー」の項目には、「機械グループの外注化 K55%」「はたして(国労を)未来永劫(えいごう)、出しっぱなしが出来るのか」などという度しがたい言葉が並んでいる。“出向者の過半を国労組合員に割り振り、その状態を永久に固定化したい”という願望が露骨に語られている。外注化推進の狙いは他労組解体にあったのだ。
 それから3年後の00年9月、会社は同時に二つの外注化を提案した。一つは「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築について」、もう一つは「グループ会社と一体となった業務体制の構築(運輸車両関係)」の提案だ。
 前者は設備部門についての外注化提案であり、東労組は01年6月に単独妥結した。
 後者は検修部門の外注化提案だ。東労組は01年3月、これに単独妥結したが、その「基本的な考え方」の中には、運輸車両関係(運転士、車掌、検修職)も含め、グループ会社での「雇用の場の確保」と書かれている。この時点ですでに、運転士や車掌も含むすべての業務が外注化の対象になっているのである。
 以上に列挙した「覚書」などの全内容は、00年以降の合理化攻撃の指針となっている。松崎明を先頭とする東労組カクマルは、こうした「覚書」を積極的に締結し、JR東日本の経営戦略に深々と関与することで延命の方途を探ろうとした。彼らの裏切りは、すべての合理化攻撃の中に刻印されているのだ。
 JR東日本の中期経営ビジョン「ニューフロンティア21」は、これらの合理化指針を経営戦略として体系化したものだ。東労組は、「ニューフロンティア21」を次のように絶賛した。「会社は完全民営化を前提として、『ニューフロンティア21』で世界に冠たる鉄道会社の基盤をつくるスタートを切った」「東労組も世界に冠たる労働組合として進むべき道と到達点を示さなければならない」(機関紙『緑の風』01年2月15日号)

 JR体制打倒・東労組解体へ

 「ニューフロンティア21」では、鉄道事業は第3番目に位置付けられ、「ステーションルネッサンス」(駅の集客システムとしての転換)「IT化」などの営利優先の企業戦略が打ち出された。鉄道業務は徹底して外注化するということだ。
 当時、JR東日本の収益の90%は鉄道事業によっていた。こうしたあり方を抜本的に変えるというのだ。そして、メンテナンス費用の縮減が数値目標化されるなど、安全の崩壊に直結する問題がはらまれていた。
 これによる痛みを強制されるのは現場の労働者だ。経営幹部は巨額の報酬を手にするようになり、現場の労働者はどんどん無権利・低賃金の非正規労働者に置きかえられていった。グリーンスタッフも同様だ。
 この経営ビジョンが出されてから5〜6年のうちに、人件費は850億円も削られた。その対極で経常利益は1000億円以上に跳ね上がった。
 その後、経営ビジョンは「ニューフロンティア2008」(05年)、「グループ経営ビジョン2020−挑む−」(08年)へと引き継がれ合理化・外注化も重層的に強行されている。
 それらの根幹には、90年代に東労組と会社が結んだ「覚書」の全内容がある。東労組の屈服と裏切りこそが、外注化を支えているのだ。
 この構造を根底から覆してこそ、青年労働者の未来は切り開かれる。外注化−非正規職化攻撃の推進者=東労組を今こそ解体しよう。
 すべての平成採青年労働者は動労千葉青年部に続き、4月検修外注化阻止決戦に総決起しよう。JR体制とJR総連・東労組を解体し階級的労働運動を復権させよう。
 〔矢剣 智〕

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週刊『前進』(2526号3面4)(2012/03/05 )

【要項】 3・10総武線・成田線沿線・銚子地域集会、3・7国労組合員資格確認訴訟


銚子運転区・成田車掌区廃止反対! ローカル線切り捨て反対!
総武線・成田線沿線・銚子地域集会
 3月10日(土)午後1時 JR銚子駅前
 呼びかけ 動労千葉銚子支部
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国労組合員資格確認訴訟
 3月7日(水)午前10時15分〜
 第2回口頭弁論 東京地裁527号法廷
 終了後、報告集会

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週刊『前進』(2526号4面1)(2012/03/05 )

 放射線被曝から命を守れ! 3・11福島集会へ D

 被爆者の闘い継承し核と原発なくせ

 広島・長崎原爆症認定訴訟

 帝国主義の核政策を告発し内部被曝の真実を暴き出す

 全国の集団訴訟で原告が歴史的勝利

 広島・長崎の被爆者が闘ってきた原爆症認定訴訟は、帝国主義の核政策を根底から告発し、隠されてきた内部被曝の真実を暴きだした決定的な闘いだった。
 「原爆症認定」とは、被爆者援護法に基づき、国が被爆者に対して行う唯一の認定制度である。被爆者に生じた疾病や傷害が原爆放射線の影響であると厚生労働大臣が認定した場合、医療費の国庫負担と特別手当が給付される(ただし、認定を申請できるのは援護法第1条により被爆者健康管理手帳を交付された被爆者のみ)。申請が却下された場合、被爆者は国に対し却下処分取り消しを求める訴訟を起こすことができる。
 2003年4月17日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の呼びかけにより、全国の被爆者が初めて集団での訴訟に踏み切ったのが、原爆症認定集団訴訟の始まりである。その当時、被爆者手帳所持者26万6598人のうち原爆症認定を受けたのはわずか2232人で、全体の0・8%だった(弁護団は訴状で「1%を下回るような制度は、『認定』制度ではなく、『却下』制度と呼ぶべきである」と弾劾した)。政府・厚労省は内部被曝の影響を無視した基準をもとに、被爆者からの申請をことごとく却下してきた。個人訴訟で原告が勝利しても、政府はむしろ認定基準の厳格化を図った。「被爆者は黙って死ね」と言わんばかりの態度に怒りが爆発して集団訴訟へと至り、最終的に原告団は306人、全国17地裁に係属して闘われた。
 今日までに地裁・高裁合わせて30の判決が出ているが、内部被曝の影響を不当に無視した岡山地裁判決(10年6月)を唯一の例外として、行政訴訟としては異例の原告側29連勝で、原告団306人のうち279人が原爆症認定を受けている。政府・厚労省は08年から認定基準を緩和せざるをえなくなり、以後、新規認定者数は大幅に増加した。戦後一貫した日帝の反動的被爆者政策(とくに80年代、新自由主義への突入を境に認定者数が激減)に風穴を開けた歴史的勝利だった。

 原告一人ひとりの命をかけての闘い

 裁判では、原告の被爆者一人ひとりが、法廷で自らの被爆体験を明かし、原爆症に苦しんだ生活史を語った。「この苦しみが、原爆と関係ないとは言わせない」という怒りが、裁判闘争の最も根源的な力だった。
 「原爆は、私の健康を奪いました。私の人生はつねに先の見えない不安を抱えた人生となりました。こんなことが起こる原因は、原爆以外に考えられません。……私が声を上げることで、一人でも多くの被爆者が救済され、日本が戦争は二度としない、核兵器を絶対に許さない国になればと思って、この裁判に加わることにしました。これが、原爆で命を失った人びとに対するつとめでもあると思います」(西本治子さん。長崎で被曝)
 「被爆距離が4`だろうが、5`だろうが、政府が被爆の責任を認めて被爆者に謝罪する姿勢に立つのかどうか。申請でそれを問いたいのです。……被爆者が血を吐くような思いで原爆症認定を申請しても、機械的な基準で切り捨てる。その政府の姿勢を変えるためなら先頭を切って突っ込んでいきたい。そうでないと死んでも死にきれんですよ。……原爆被害を過小評価することは、再び戦争への道につながる」(荻沢稔さん。広島で被爆)

 被爆者抹殺と福島棄民政策

 病室からそう訴えた荻沢さんは、訴訟準備中の03年10月にがん性腹膜炎で亡くなった。多くの原告被爆者が、自らの勝利判決を聞くことなくこの世を去っている。「体はもうボロボロ。国は絶対控訴しないでほしい」(東数男さん。高裁判決の1カ月前に死去)という被爆者の声を無視して、政府は裁判を長引かせ、勝訴した被爆者や遺族にも謝罪の一言もなく、却下した時と同様に一片の紙切れで通知するのみだった。まさにこの日帝政府の被爆者抹殺政策が、今日の福島への棄民政策につながっているのだ。
 だが、原告被爆者らは不屈に闘い抜いた。一つひとつの勝利判決のたびに「闘ってよかった!」と歓喜した。

 内部被曝を争点に評価基準の嘘暴く

 勝利判決の決定的根拠は内部被曝であった。被爆医師の肥田舜太郎氏や物理学者・矢ケ崎克馬氏(琉球大名誉教授、NAZEN呼びかけ人)の活躍が、内部被曝を決定的争点へと押し上げた。
 原爆放射線による被曝態様は以下の三つに大別できる。@爆発後1分以内に照射された初期放射線による外部被曝、Aそれ以後の残留放射線(中性子を浴びた物質が放射能化した誘導放射線や「黒い雨」などの放射性降下物)による外部被曝、B放射能を含んだ水・食物・砂塵(さじん)などを体内に取り込むことによる内部被曝である。
 政府の認定基準が根拠とするのは、「被爆者を治療せず、モルモットにした」あの悪名高き旧ABCC(原爆傷害調査委員会、現・放射線影響研究所)作成の被曝線量評価基準「DS86」である。これは@の初期放射線の外部被曝線量を爆心地からの距離で推定するものにすぎず、Aは無視ないし軽視し、Bについては完全に無視する。
 DS86を根拠に、爆心地から2`以遠の遠距離被爆者や入市被爆者は、ことごとく申請を却下されてきた。だが、澤田昭二氏(名古屋大名誉教授、広島の被爆者)や矢ケ崎氏が証明したように、実際には原子雲の傘の下(半径約20`)は大量の放射性微粒子が充満し、被爆者はこの高濃度汚染地帯をさまよい歩き、呼吸・飲食を通じ大量の放射性物質を体内に摂取した(図)。救護や肉親を捜すために入市した人びとも同様だ。
 またDS86は、大量の放射性物質を洗い流した枕崎台風(1945年9月17日)の影響を考慮していない。米帝は当時、台風が去った後の広島・長崎に調査団を送り込み、残存する放射線を測定して「始めからこれだけしかなかった」と実際の汚染を大幅に過小評価したのだ(グラフ)。
 DS86のゴマカシが法廷で暴きだされ、次のような判決が次々と闘いとられていった。
 「DS86による被曝線量推定方式には現実と符合しない多くの問題点がある。……これらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著しく軽視していることは明らかである」「(厚労省の)審査の方針では、線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており、内部被曝による被曝線量を特に算出していないが、内部被曝は、放射線被曝態様の重要な一つであり、これを無視することは許されない」「内部被曝の場合、放射性物質に近接した周囲の細胞が集中的に放射線被曝を受ける(ホット・パーティクル理論)のであるから、当該細胞から見れば、高線量被曝であり、受けた線量が同じであれば影響に差がないとするのは実態を無視するもの」(08年5月大阪高裁判決)
 また、この判決で決定的なのは、ICRP(国際放射線防護委員会)をはじめ御用学者が口をそろえて担ぐ「100_シーベルト以下なら影響ない(リスクは確認されていない)」論の根拠とされる放影研疫学調査に対して、「現実との乖離(かいり)が甚だしく、その正確性に問題があるDS86に基づいて被爆者の初期放射線量を推定している上、残留放射線や内部被曝をまったく無視している」と断じ、疫学の方法としてもまったく誤っていること(例えば調査開始が1950年で、最初の5年間に死亡した被爆者が統計に含まれていない等)が指摘されたことだ。
 また、千葉訴訟東京高裁判決では、「放射線がDNAにただ1つの損傷を創った場合でも障害が起こる可能性があることは動かし難く、…放射線の線量…ごく低いものであっても確率的に障害が起こりうる」と指摘している。
 09年、麻生政権(当時)は、原爆症認定集団訴訟の政治和解に乗り出した。同年8月6日、被団協と確認書を取り交わし、原告全員の救済と引き換えに集団訴訟の終結を図った。だが、日帝は核政策や認定制度を根本から改めたわけではなく、内部被曝の有害性も認めていない。そして10年度以降、再び認定申請の却下件数が激増し、被爆者の怒りの声が噴出する中で、3・11福島原発事故が起きたのだ。

 核戦略と一体で被害を隠す

 米日をはじめとする帝国主義の核戦略(核開発・核武装と原発政策)は、広島・長崎・ビキニの被爆者を政治的に抹殺し、内部被曝による長期的な健康被害を押し隠すことと表裏一体だったのだ。そこには、マンハッタン計画副責任者ファーレル准将が、45年9月6日に発した「広島・長崎では死ぬべき者はすでに死に、原爆放射能に苦しむ者は皆無だ」という米公式見解が貫かれてきた。「100_シーベルト以下のデータがない」のではなく、その被害を知りながら政治的に切り捨て、公式記録から排除してきたのである。
 原爆症認定集団訴訟は、被爆者の渾身(こんしん)の決起で内部被曝の真実を明るみに出し、ICRPを始めとする既存の「放射線防護体系」が、帝国主義の核政策を擁護し、その犯罪行為を隠すための虚構の体系であることを暴きだした。

 原発労働者の被曝実態隠す支配構造

 最後に、原発労働者の労災認定の状況について触れておきたい。
 今月24日、福島第一原発での作業中に心筋梗塞で死亡した配管工・大角信勝さんの労災が認定された。大角さんは、東芝の4次下請けにあたる建設会社の臨時雇用労働者で、昨年5月に亡くなった。労災を求めた遺族は、放射線被曝による死亡の可能性や救急体制の不備を指摘したが、労基署は「短時間の過重業務による過労死」だったとしている。
 これまで、作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された労働者は10人、内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被曝線量が最も高かった人は129・8_シーベルト、残り9人は100_シーベルト以下で、最も少ない人は約5_シーベルトだった。
 被曝による白血病のため29歳で亡くなった青年労働者・嶋橋伸之さんは、8年10カ月で累積50・6_シーベルトを被曝したとされ、死後労災認定を受けたが、彼の放射線管理手帳は下請け会社の手で何十カ所も改ざんされていたという。しかも、「原発では、”労災申請ができない力”が強く働いている。……労働者が労災申請をすれば、発注者から二度と仕事が回ってこなくなる。……原発ではずさんな管理が行われていたのにもかかわらず、労災申請は08年度までの32年間で48件しかない」(週刊東洋経済記者・風間直樹講演)。外注化をテコとした原発労働の重層的支配構造のもとで、労働者の被曝の実情は闇から闇に葬り去られてきたのだ。
 反原発の闘いは、新自由主義のもとでの資本の支配を覆すことと一体だ。原発推進に加担してきた連合など御用組合の支配を職場の闘いで打ち破ろう。
 被爆者が命をかけて闘いとった勝利の地平は、今こそ反戦反核・反原発の闘いの中に継承されなくてはならない。世界から核と原発をなくすために立ち上がろう。3・11郡山をその歴史的な出発点としてかちとろう。
 (水樹豊)

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週刊『前進』(2526号4面2)(2012/03/05 )

 被災現地から1周年アピール

 3・11郡山集会に大結集して原発と資本主義に終止符を

 東日本大震災現地救援対策本部

 大震災と原発事故から1周年にあたり、東日本大震災現地救援対策本部より3・11郡山への大結集を呼びかけるアピールが寄せられた。この熱い呼びかけに全力で応えよう。(編集局)
 怒り、怒り、怒り! 
子どもたちに甲状腺がんの症状があらわれ、自治体労働者は大量退職に追い込まれています。「事故収束」や「復興」のすべてがウソです。
 東日本大震災から1年を迎える被災地は、原発事故への怒り、復興ビジネスへの怒り、「命よりも金」の転倒した社会への怒りの渦中にあります。
 ある仲間は「自分には 3・11以前と以後、二つの人生がある」と闘いに立ち上がりました。またある仲間は「自分にとっては今日も明日も3・11です」と闘い続けています。闘いの決断! 3・11を生み出し、今なお被災地を殺し続ける国家と資本を打ち倒す決断です。

 労組の闘いが未来切り開く

 3・11を境にして、あらゆる闘いは労働者民衆の生死をかけた闘いになりました。
 去年までの春闘は終わりました。今や何の魅力もありません。労組執行部が賃金交渉の窓口を装い、資本による賃下げ・首切り・非正規化の承認機関として労働者を売り渡すあり方はもはや通用しません。青年労働者の社会変革への熱烈な欲求が、労働運動に新たな生命力を吹き込み、古い支配のあり方を崩壊させました。
 「仲間の死の責任は人員削減と労働強化を強いてきた当局にある! 奪われた安全と労働条件を取り戻そう!」――仙台市職労の中から開始した闘いは、亡くなった仲間の無念を晴らし、「仲間の命を守るのが労働組合だ!」とつかみ取り、今までの労働組合観を根本から変革する闘いです。そして2万人の仲間の死に向き合い、すべての人びとの未来を切り開く闘いです。だからこそ、一枚のビラが当局を震撼(しんかん)させ、あらゆる反動を引き出し、職場を激しく揺り動かしているのです。
 「復興需要は巨大なビジネスチャンス」と公言する宮城県知事・村井嘉浩、「市職員が身を削って復興財源を生み出さなければならない」と賃金カットを強行する仙台市長・奥山恵美子。しかし、ハッキリさせましょう。彼らの語る「復興」こそ、被災地の民衆から土地も職も命さえも奪い尽くし、大資本のみが肥え太る最悪の新自由主義です。労働者にとって憎しみの的です。
 復旧工事の現場がひとつ終わるたびに失業が待ち受けている下請け労働者の姿を見よ! 大手ゼネコン鹿島ががれき処理で2千億円の「復興特需」にありつく一方で、被災地の労働者の賃金を削って語られる「復興」とは、いったい誰のための「復興」なのか! 震災解雇で首を切り、新規求人は9割非正規化です。仙台市職労で始まった闘いを被災地全体、日本全国に押し広げましょう! 闘う労働組合の拠点を被災地につくり、やつらの「復興特区」「被災地支援」の化けの皮を引きはがし、粉々に打ち砕こう。

 失われた仲間への真の追悼

 福島では、福島県教組の仲間が「原発いらない!3・11福島県民大集会」の先頭に立っています。バラバラにされた職場や家族を取り戻し、子どもたちの命を守るために、団結して闘おうという渾身(こんしん)の決起です。
 郡山市では、国労郡山工場支部が闘いの旗を立てました。「3・11集会に何としても2万人結集を!」とアピールを発しています。国鉄分割・民営化から25年、原発事故の足下でついに国労の中から動労千葉、動労水戸に続いて、闘う労組拠点が公然と登場しました。
 失われた仲間への真の追悼は、3・11を生み出した国家・資本との闘いの中でこそ果たされます。だからこそ、私たちは3・11の惨劇に終止符を打つため、「すべての原発を今すぐなくそう!」と訴えます。家族、友人、仲間の命日である3月11日に、「原発いらない!福島県民大集会」を成功させましょう。
 集会不参加を早々に決めた連合本部の思惑とは反対に、「反原発を取り組まない春闘はありえない!」と多くの労働組合が結集を始めています。連合支配は終わりだ!
 1年間の闘いの到達点として、そして新たな闘いへの跳躍点として、「資本家なしでやっていける労働者の力」を解き放ちましょう。郡山開成山球場に全国から労働組合の旗をたなびかせて結集しましょう!
 原発は20万人もの福島県民から故郷を奪いました。収穫の喜び、暖かな食卓、職場の人間関係、子どもたちの未来、すべてを奪い尽くしました。「事故収束宣言」、放射能安全キャンペーン、原発再稼働と海外輸出。いったいどこまで人びとを踏みにじれば気がすむというのでしょうか。
 原発施工メーカーの大成・鹿島・大林が72億円の「除染モデル事業」に群がり、被曝医療までもが「ビジネスチャンス」と呼ばれています。そして人間の命に1人8万円、子どもと妊婦は40万円という「賠償額」が値札のようにつけられる。こんな資本主義社会は一刻も早く終わらせましょう。

 診療所建設は命守る闘う砦

 農民、漁民、子どもを持つ親たち、福島から避難した人たち、すべての人びとの怒りとつながり、54基の原発を今すぐ廃絶しましょう。
 最後にあらためて、36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、福島診療所建設へのご協力を心から訴えます。
 『週刊文春』3月1日号は、福島から避難した子どもたちから甲状腺がんの疑いのある症状が発生していることを報じました。山下俊一・福島県立医大副学長が「独自の検査は遠慮してください」と、被害のもみ消しに暗躍しています。
 私たちは医師の仮面をかぶった人殺しが福島を蹂躙(じゅうりん)することを決して許しません。御用学者をただちに牢獄へと追放し、人びとの拠りどころとなる診療所を、労働者民衆自身の手でいち早く建設しようではありませんか。
 現地救援対策本部は、全国の皆さんとともに労働者民衆の未来をかけて被災地から闘います。一層のご支援と共闘をお願いします。3月11日、郡山で会いましょう。

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週刊『前進』(2526号4面3)(2012/03/05 )

 『動労千葉 No32』発行

 動労千葉が機関誌『動労千葉32』を発行した。「外注化阻止、組織拡大へ/労働運動の復権を」と題して、1月22〜23日の全支部活動者研修会での田中康宏委員長と長田敏之書記長、国鉄闘争全国運動呼びかけ人の伊藤晃さんの講演を収録している。田中委員長は、資本主義体制の崩壊が始まった情勢下で強まる民営化・外注化・非正規職化攻撃と対決し、階級的労働運動を復権する道筋を提起している。長田書記長は、それを受けて外注化阻止、基地統廃合粉砕、組織拡大へ闘う春闘の具体的方針を提起している。伊藤さんは、昨年11月の日韓理念交流での講演(『世界に翔びたとう13』に収録)を踏まえ、動労千葉が総評・戦後労働運動をのりこえていることを、外注化阻止闘争のマルクス主義的な意義も明らかにして提起している。
 組合員の感想文と併せ、”動労千葉の団結と闘いがどういう時代認識と路線のもとにつくられているか”を学ぶ格好のテキストだ。全労働者に薦めたい。
◆A5判158n◆頒価600円◆注文先・動労千葉/千葉市中央区要町2−8DC会館/TEL043-222-7207 FAX043-224-7197 E-mail:doro-chiba@doro-chiba.org

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週刊『前進』(2526号5面1)(2012/03/05 )

 全国学生の3・11アピール B

 犯罪者に責任を取らせる

 被災地に団結甦らせよう

 全原発廃炉へ歴史的大決戦

 「原発いらない!3・11福島県民大集会」まで残り1週間。「3・11」1周年は、原発再稼働阻止と全原発の廃炉をかちとれるかどうかをかけた歴史を分かつ大決戦だ。すべての原発・核を地上から一掃・廃絶するために、全国の学生は怒りも新たに郡山市・開成山野球場に総結集しよう。
 残る稼働原発はあと2基。「全原発の停止」の現実性を突きつけられる中で、追い詰められた日帝・支配階級と野田政権はあがきにあがいている。最後の稼働原発である北海道電力泊3号機の定期検査入りを、4月下旬から5月上旬に先送りした。
 はっきりしていることは、3・11大震災以降の被災地と福島を先頭に全国で闘いに立ち上がった労働者・学生・農民の怒りの決起が、一つの原発の再稼働も許さなかったということだ。われわれには社会を変え、歴史を動かす力がある。怒りと団結こそが、新自由主義攻撃を粉砕し原発政策にとどめをさす原動力だ。
 全世界が注目する「3・11」の大爆発こそがフクシマの未来を決し、青年・学生の未来を決する。
 全国の学友は3・11の成功に向かって総決起しよう。そして、歴史的寿命の尽きた帝国主義の打倒=世界革命へ突き進もう。
 第一に訴えたいことは、原発政策にどこまでもしがみつく野田政権による大飯原発(関西電力)・伊方原発(四国電力)の再稼働策動を3・11の大結集で粉砕しよう、ということだ。

 再稼働を阻み帝国主義倒せ

 ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ――歴史は「核・放射能と人類は絶対に相いれない」ことを突き出している。しかし帝国主義者とスターリン主義者は、そのたびに怒りの声をたたきつぶし、むしろ「核」「原発」を自らの支配を継続させるための道具として利用してきた。つまり3・11フクシマにおいて、再び三たび怒りが支配階級に押しつぶされるのか、それとも今度こそ帝国主義打倒の非和解の闘いへと発展させていくのかが人類史的に問われているのだ。
 3月11日に郡山市に決起することによって、もちろん放射能の影響を受ける。野田政権の「事故収束宣言」はデマであり、いまだに福島は多くの地域が「放射線管理区域」レベルにあり、低線量内部被曝の問題は深刻だ。
 しかし、日々の放射能汚染と帝国主義者からの重圧を受ける中で、全階級・全人民の利害を体現して、福島県教組、国労郡山工場支部、福島大生が立ち上がっている。この階級的拠点を守り支え抜く中に、根底的変革のエネルギーがある。
 野田政権がやっていることは、「収束宣言」や「放射能安全キャンペーン」による徹底した分断だ。避難やがれき、福島産の農作物をめぐって、福島県内の対立、福島と全国の対立が意図的にあおられている。しかしすべての原因は、政府・電力資本がまったく責任を取っていないということではないか! 自らの利権構造を守るために犯罪に犯罪を重ねている。万死に値する行為だ。
 「放射能を気にすると普段の生活を送れないから、考えないようにしてきた。福島は孤立していると思っていた。でも、東北大で原発反対の活動があると知ってうれしい」(福島出身の東北大受験生)。フクシマとどこまでも心を一つにして、生き抜くための団結を3・11でつくろう。

 犠牲者の英霊化を許さない

 第二に、われわれは3月11日、大震災と原発事故を引き起こした犯罪者どもに全責任を取らせるために闘う。それが労働者階級の立場から、亡くなった方々を追悼するということだ。
 3月11日の政府主催の「追悼式典」の核心は、歴史的な大犯罪を免罪し「挙国一致」体制をつくることだ。絶対に怒りの声を上げさせないということだ。野田は、宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲になった労働者を「彼女たちが示した公に尽くす覚悟に、日本人として生きていく誇りと明日への希望が見いだせる」(咋年9月の所信表明演説)などと恥知らずにも「英霊化」し、「国家のために命を捨てよ」と美化し、道徳の教科書に載せようとしている。
 われわれは「追悼」という問題をあいまいにしない。3・11で2万人の方々が亡くなり、今でも被災地の悲しみは癒えていない。沿岸部に広がる巨大ながれき、すべてがなくなった風景。この現実をのりこえて、被災地から怒りの声を上げるのは簡単ではない。しかし「自然災害」「想定外」と片付けられたままでよいはずがない。「国家のための犠牲は素晴らしい」と「英霊化」されていいはずがない。
 責任追及を免れて裏でほくそ笑んでいるのはいったい誰なのか! そして“1%”のために“99%”が犠牲にされる社会を「復興」することなど許してはならない。
 「命よりもカネ」を優先する新自由主義攻撃が、2万人もの人びとの命を奪ったのだ。“99%の確率で起きる”という警告を無視し、地方切り捨て政策でろくな地震・津波対策も行わなかった結果が、2万人の犠牲と数十万人の生活破壊を生み出した。そしてまた「復興」の名のもとに、巨大ゼネコンが被災地を食い物にしている。
 仲間を奪われた悲しみを怒りに変えて決起しよう。日帝・支配階級の責任を絶対にあいまいにせず、新自由主義攻撃を粉砕し、資本主義・帝国主義を打倒しよう。

 全国で学生自治会の建設を

 第三に、全原発を廃絶する主戦場はキャンパスであり、全国学生は法人化=「教育の民営化」と徹底的に対決して3・11集会に大結集しよう。
 敵は新自由主義であり、野田政権であり、「原子力村」だ。これまで学生は、競争・分断のもとに徹底的に団結を奪われてきた。しかし、反原発闘争の中から、団結をよみがえらせ学生自治会を建設することは絶対にできる。
 「3・11」からの1年間で、被災地に生きるわれわれは人間的共同性=団結をよみがえらせ、自らの社会変革の力を実感してきた。大震災下で最も力を発揮したのは、法人化攻撃に反対して築いてきた学生の団結だった。地震直後の電気がない、物がない、お金に意味がない、携帯電話の電池切れ、という極限的状況で、東北大生は仲間と団結しどんな困難をものりこえてきた。
 この時、政府・御用学者は一体何をしていたのか。高速道路を封鎖し、「ただちに身体に影響はない」と大宣伝し、そして学生寮やサークル部室という学生の拠点を混乱に乗じてたたきつぶすという攻撃をかけてきたのだ。東北大当局は、闘う寮生のたたき出しを狙い、サークル部室の鍵の貸し出し規制(実質上の部室使用禁止)を始めてきた。
 しかし、東北大生は反原発闘争を軸にしたキャンパスでの闘いで大学当局との力関係を変え、勝利してきた。その到達地平として、昨年7月8日の東北大学全国集会、そして12月の学生自治会執行部選挙における過去5年間で最高の信任率での当選がある。
 原発反対の思いを持つ学生を大胆に広範に組織し、「教育」の名のもとに“緩やかな殺人”をする原発推進大学を変えよう。学生の闘う拠点としての学生自治会を、福島大学を先頭に全国大学に建設しよう。
 最後に、3・11大結集をとおして、300万学生の中に、とりわけ被災地大学の中に、21世紀革命を実現する革命党と革命拠点を建設しよう。
 すべての学友はマルクス主義学生同盟中核派へ結集し、人類史を前進させるプロレタリア革命に突き進もう。
 マル学同中核派・東北大学支部
 (連載おわり)

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週刊『前進』(2526号5面2)(2012/03/05 )

 玄海原発再稼働阻止

 佐賀県集会に2100人が結集

 2月26日、佐賀市のどんどんどんの森広場で、「さようなら原発1000万人アクション佐賀県実行委員会」などが主催する「原発再稼働にNO! いのちが大事! さようなら原発 九州総決起集会」が開催され、2100人が参加しました。佐賀県の玄海原発は今、全原子炉が停止していますが、野田政権は再稼働を狙っています。これに対する地元佐賀県を始めとする労働者の怒りが2千人を超える結集となりました。(写真)
 NAZENナガサキも参加して、福島原発事故から1周年の3・11福島集会への参加を訴えるチラシを配り、「フクシマと連帯して、すべての原発をいますぐなくそう! 3・11福島へ!」と全参加者に訴えました。 
 玄海原発、とりわけその1号炉は、原子炉の脆弱(ぜいじゃく)化が激しく、全国で一番危険な原子炉といわれています。その脆弱性は、冷却したら原子炉が割れてしまうというほどで、福島のように事故が玄海原発で起きたら冷却もできないというほど危険な状態だと言われます。老朽化が進む玄海原発での事故は、福島原発事故以上の大事故になる可能性があるのです。
 しかし野田政権は、その危険を百も承知で再稼働を強行しようとしている。原発再稼働と原発政策の維持は最優先課題であり、労働者の被曝や命・生活には何の関心もないのです。労働者・住民の生きる権利を虫けらのように踏みにじろうとしているのです。玄海原発の再稼働は絶対阻まなければいけない!
 集会の後はデモを行い、九電前では「再稼働を絶対に許さないぞ!」と怒りの声をたたきつけました。
 (K)

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週刊『前進』(2526号5面3)(2012/03/05 )

 この地に生き闘いぬく

 福島の労働者と農民の訴え 4

 動労水戸平支部は闘う


 動労水戸平支部座談会

 門馬高弘さん(支部長、いわき市在住)
 小野裕通さん(いわき市在住)
 川俣辰彦さん(いわき市在住)
 国分勝之さん(動労水戸副委員長、いわき市出身)

 1月28日に福島県いわき市に事務所を開設した動労水戸の平(たいら)支部の組合員にお話を伺った。団結して、ともに3・11福島県民集会に駆けつけよう!(聞き手・編集局)
(写真 左から国分副委員長、川俣さん、門馬支部長、小野さん【動労水戸平支部事務所にて】)

 被災時のすさまじい状況

 ――まず昨年3・11の大震災直後の状況を聞かせてください。
 門馬 3月11日、私は水戸で仕事をしていた。電車は止まって、いわきには帰れない。夜になっていわきの私の家族と連絡が取れた親戚とメールがつながって、家族の無事が確認できた。自宅が津波で流されたこともその時に知りました。
 自宅はほんの数十b先が海岸線で、波打ち際が見えるところでした。2階建てで、1階は津波が貫通し、全壊扱い。うちの並びでも津波で亡くなった人が一人います。
 川俣 私と小野さんは11日、勝田の職場で働いていた。地震直後、とにかく屋外に出たけれど、現場責任者は何の指示も出せず、寒空の下に何十人も立ちつくしていた。だから私が「地元の人間は明るいうちに帰れば家族の安否確認もできる。勤務解放にして早く帰せ」と言って、帰っていいことになった。帰れない人間には水と乾パンが渡されて、避難所へ。
 小野 翌12日、車でいわきに帰ってきた。でも水も食料もガソリンもない。スーパーもコンビニも棚に何もない。
 川俣 兵糧攻めでしたね。いわきを含めて原発周辺の市町村は物資は全然届かなかった。
 門馬 物資はないし、原発が次々爆発する。どうしようもないので、15日に東京に避難した。
 小野 テレビで3号機の爆発を見て「これはもう逃げるしかない」と思った。15日、とりあえず親戚のいる日立を目指した。結果として一番放射線量が高い時に逃げたって感じだよな。
 川俣 逃げよう思っても、情報が断片的だしガソリンもない。動労水戸の石井委員長が「うちに来いよ」と言ってくれて16日に自宅を出た。最終目的地は千葉。その時点では、千葉にあんなにホットスポットがあることも知らなかったから。

 スト構え出勤強要に反撃

 ――職場はどのような状況だったのですか?
 小野 3・11で常磐線の電車が止まり、自宅待機扱いでした。
 川俣 その後JR東は3月18日に土浦駅まで、31日に勝田駅まで、4月7日に高萩駅まで、11日にいわき駅までと、段階的に暫定ダイヤで運行を再開した。
 門馬 私の職場はJR貨物。会社から電話が来て「旅客会社が4月7日に高萩駅まで運行再開する。その前に日立に止まっている貨物列車を動かすため、6日に検査をしたい。家賃はいらないから、水戸の社宅に入って欲しい」と言われた。それで避難先から戻って、6日に出勤しました。
 川俣 私と小野さんは東日本会社ですが、勝田車両センターでは3月下旬から出勤しろという圧力との攻防でした。会社が「いわきから土浦まで社員専用のバスを仕立てるから、出勤しろ」と言ってきたんです。
 小野 私は電車通勤と決まっているのに、所定の通勤方法以外で出勤を強いるのはおかしい。しかも電車が勝田まで走ってないから、出勤したとしても検修の仕事はなかったんです。
 川俣 そういう中で会社が平支部組合員の宇佐見さんに「バスで出てこい」と迫った。宇佐見さんは泊まり勤務もしていたから必要だと。それに対して動労水戸は「日勤者は自宅待機でいいのに、なぜ泊まり勤務の人間だけ出てこいというのか。おかしい」と。
 小野 いわきの人間はそのころ、原発がどうなるかもわからず、できるだけ車を使わずガソリンをためて、いつでも逃げられる態勢を取っていた。どこかの店が開いたと聞いたら1日がかりで並ぶ。「そんな中で出勤しろとは何だ」と。
 それで「あくまで出勤を強制するなら、宇佐見さんを指名ストに入れる」と通告した。ストライキを構えたら、当局も折れて「宇佐見さんも自宅待機していてください」となった。
 川俣 動労水戸が毅然(きぜん)と対応したから、東労組の若い人間も「無理やり行かなくていいじゃん」となった。
 小野 県外避難していた人もいるから若い労働者も喜びました。結局、いわき駅まで開通した4月11日から出勤した。
 川俣 だけどその4月11日と12日に、いわき南部では震度6弱の大地震が来た。いわき南部はこの時の方が3月11日より被害が大きかった。建物もいっぱい崩れて、壊滅的な打撃を受けた。「原発もまだくすぶっているのに、またこんな地震が来て、どうすればいいんだ」って感じでしたよ。

 7・17いわきで反原発デモ

 ――動労水戸は7月17日に、「すべての原発を止めよう!7・17いわき集会&デモ」を開催しましたね。
 小野 何よりも「いわきがどうなっているのかを知らせたい」という気持ちでした。相馬・双葉地区からいわきにいっぱい避難してきているし、そのいわきから労働者が原発に行って働いている。この現実を知らせたいし、労働組合が呼びかけるべきだと思った。
 国分 全国で5〜6月に原発反対のデモが始まり、動労水戸もつくば、水戸で行動を起こした。そして「動労水戸には平支部がある。次はいわきで闘おう」と考えた。
 その前に6月19日、福島労組交流センターなどが「怒りのフクシマ大行動」を行い、1500人も集まった。沿道の人がみんな手を振り、「反原発、頑張りましょう」とすごく歓迎された。それをいわきでも実現したいと思った。
 小野 集会では私は正直な自分の思いを話しました。「東海村JCO事故の際にもJR東海駅に勤務していて被曝した。今こそ『原発なんかいらない』とはっきり言おう。ほとんどの原発労働者は声も上げられない状況にある。なんとしても原発労働者との連帯をつくりたい」と。
 川俣 デモの宣伝カーを運転したんですが、デモの途中で若いあんちゃんが「これ飲んでください」とペットボトルのお茶を差し入れていった。「こういう若い人がいる。自分らがやっていることは間違ってないんだな」と思いましたね。
 小野 あれほど注目されるデモはないよな。

 被曝労働をストで阻んだ

 ――10月には被曝労働を拒否してストライキに立ちました。
 小野 常磐線の久ノ浜―広野間の運行再開に伴い、第一原発から30`圏内の広野駅に3・11から半年間も放置されていた車両を勝田車両センターに持ってきて検査させようとした。放射能汚染されていることは間違いないのに、測りもしないで持ってくる。客を乗せるのもとんでもない。検査するのもわれわれ労働者。許せないですよ。
 川俣 運行上の必要も何もない車両を無理やり持ってきた。「おかしいことはおかしい」と言ってきた動労水戸の正義がはっきりした。だから青年労働者が動労水戸に加盟してくれたんです。
 小野 JRはその後、12月に常磐線の相馬―原ノ町間を運転再開した。電車を通すことで住民に「帰れ、戻れ」と圧力をかけている。でも運転が再開されても、住民はそんなに戻っていません。
 川俣 広野も原ノ町も放射線量は毎時0・5マイクロシーベルトもある。本来はとても住めるような線量じゃない。

 いわきは原発労働者の拠点

 ――いわきの現状を聞かせてください。
 川俣 いわき市には主に広野町、楢葉町、富岡町などから約2万人が避難してきています。
 門馬 いわきは原発で働く労働者の出撃拠点です。福島第一原発、第二原発、広野火力の三つに事故後の一番多い時は1カ所あたり4〜5000人が働き、その8割、1万数千人がいわきから通っていた。
 川俣 原発労働者の人数は今が底だそうです。これから廃炉に向かって燃料棒の取り出しなどを本格的に始めると、東芝や日立などのメーカーの関係の労働者がさらに増えるそうです。
 門馬 大きい会社はいわき湯本の旅館を丸々借り切っている。孫請けやひ孫請けの会社は、津波で1階部分が流された民宿やホテルを2階以上だけで開業させて、原発作業員を泊まらせている。
 朝の通勤時は、いわきから広野方面に向かう高速道路、国道6号線、県道35線の3本の道路がみんな大渋滞です。
 ――原発事故の被災者が避難してもなお原発に働きに行く以外にない。
 小野 結局はカネです。相馬・双葉地区は漁港があるぐらいで、産業がない。そういうところに原発を持ってきて、カネをばんばん落とす。
 門馬 3・11以前でも、東電の下請け・孫請け・ひ孫請けで働いていた人間で東電の言っていることを信じた人間なんて一人もいない。だけどみんな、地元で暮らしたいんです。そうすると仕事は原発しかない。「だから仕方ない」と思わされてきた。
 川俣 沖縄の基地と同じ。それまでは出稼ぎしていた人が、原発関係の職につき、どんどん待遇がよくなる。原発労働者がばんばん来て、町の商店でもジュースもタバコもばんばん売れる。反対する家は「非国民だ」と言われるような雰囲気。
 小野 一昨年、3号機にプルサーマルを導入した時も、町の財政が逼迫(ひっぱく)して「どうしようもない。プルサーマルに合意しましょう」と。合意すればまたカネが下りるから。
 川俣 だけど3・11以降、県民感情は本当に一変しました。「もうこんな原発はいらない」と。
(写真 2波のストで被曝労働強制を阻んだ動労水戸【昨年10月13日 JR勝田車両センター前】)

 平支部事務所を開設して

 ――平支部の事務所開設にかけた思いを聞かせてください。
 小野 始まりは、7・17いわき集会の準備過程で「原発反対の運動をつくるために拠点が欲しい」と思ったことです。
 国分 職場に根ざした労働組合が中心になって、継続的にしっかり根を下ろした運動の拠点をつくることが必要だと。
 門馬 同じ浜通りとして、原発に対して深刻な思いを持っているのがいわきであり平。自分はここで生まれ、ここで育って、ここで死んでいこうと思っている。そのためにどうするのか。いわきの地で声を上げる拠点をつくろうと思いました。
 小野 いわきにはJR労働者がいっぱいいるので、事務所を拠点に組織拡大を実現したい。平支部が主催する講演会に向け、JRの社宅にチラシを入れたりしています。
 川俣 地域に根ざした運動をして、JRの若い労働者や国鉄OB、地域住民に開かれた拠点にしたい。いわきから逃げられない人たち、相馬・双葉地区からいわきに避難してきた人たちの声に耳を傾けて、労働相談などもやりたいし、非正規の青年労働者を組織する拠点にしたい。
 この事務所に来たら、出ていく時はみんな「なんとかユニオン」の組合員になっている、というのが私の理想です。
 国分 動労水戸はけっして大きい組合ではないけれど、昨年、被曝労働を阻止する闘いを全国、全世界に発信できた。7・17集会でも、労働者・民衆が集まって行動を起こしたらものすごいエネルギーが湧くことを実感した。平の地で、日々原発と背中合わせで生きている人たちと一緒に「労働組合にはこういう力があるんだ」ということを示したいですね。

 3・11郡山で会いましょう

 ――3月11日には郡山で集会が開かれますね。
 門馬 私は今は自宅のあったところから数十b内陸部の借り上げ住宅に住んでいます。また津波が来たら危ないのは十分承知している。だけど俺は結局、地元から離れられなかった。ここで生まれ育って、仲間がいる。理屈じゃなかった。私は津波は恨んでない。できればもう一度、同じ場所に家を建てたいです。
 家は流されたけど、津波と地震だけだったらまた違った。そこに原発事故が加わった。やっぱりがんは原発です。原発をなくすため、この事務所を拠点に全国にもっと発信していきたい。
 小野 確かに地震、津波はすごかったけれど、親戚や友達も「原発がなければ」というのが一番の思いです。親戚は第一原発のある大熊町から避難して、今は会津の仮設住宅暮らし。娘が東京に避難し、二重生活になっている友達もいる。
 今度こそなんとしても原発を廃炉にするために、3・11集会はすごく大切だと思っている。3月11日は被災した県民としてはやはり慰霊の日。だけどあえてその日に、慰霊だけじゃなくて、全国の人たちがみんな集まって集会をやることに意味がある。全力でやりたいと思ってます。
 国分 僕らも組合旗を持って参加します。全国のみなさん、3・11郡山で会いましょう。
 ――どうもありがとうございました。

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週刊『前進』(2526号6面1)(2012/03/05 )

 被災地と結び農地死守の大決戦へ

 3・25三里塚全国総決起を訴える

 新自由主義の根幹揺るがす革命的労農同盟の大飛躍を

 斎田 猛

 3・25三里塚全国総決起集会は、反原発闘争と国鉄決戦の鉄火の中で、市東孝雄さんの農地死守決戦に突入する全国闘争だ。被災地・福島を先頭に三里塚とともに立ち上がる農民たち、全国の労働者と労働組合、そして反原発を闘う膨大な人民大衆、新自由主義大学と切り結んで進撃する300万学生が一つになって結集し、農地死守決戦の大衆的で強靱(きょうじん)な陣形をつくりだそう。第3誘導路建設を徹底的に弾劾し、軍事空港の完成を46年間実力で阻止し続けている三里塚闘争の新たな進撃を開始しよう。
(写真 市東さんの畑で「農地を死守するぞ」【昨年10月】)

 市東さんの農地を死守する闘いが火ぶた切る

 3・25全国集会は、市東孝雄さんの農地を守る闘いが文字通りの決戦段階に突入したことを宣言し、不抜の闘争陣形をうち立てる闘いだ。それは、被災地農民との連帯を通してついに始まった農民闘争の全国的発展を基礎に、動労千葉をはじめとする労働者階級と三里塚の労農連帯を軸に営々と築き上げてきた労農学共闘の全人民的な陣形を大々的に解き放つ新たな出発点である。
 周知の通り、日帝・国土交通省とNAA(成田空港会社)、これと結託する千葉地裁は、46年間にわたる反対同盟の闘いによって「へ」の字に湾曲した暫定滑走路上の誘導路の「直線化」を口実に、農地法を濫用(らんよう)して市東さんを裁判に訴え、代々耕し続けてきた農地を奪い去ろうとしている。
 行政訴訟・農地法裁判(注1)では、千葉地裁民事第3部の多見谷寿郎裁判長は、早期結審の策動を強引に推し進めている。市東さん側が申請した24人の証人尋問をわずか6人に制限、ほぼ月1回のペースで弁論強行を企て、年内結審から来年春にも反動判決を下そうという思惑をむき出しにしている。
 耕作権裁判(注2)では白石史子裁判長(民事第2部)が証人尋問なしの抜き打ち結審すら策動している。そしてこの両裁判でNAA側は「仮執行宣言付き判決」を要求している。上級審の判断を待たずに、ただちに強制執行を許可せよという無茶苦茶な要求だ。
 裁判では、市東さん側の正当性が法廷を圧倒している。昨秋の闘いで市東さん側は、空港公団(NAAの前身)が、畑の位置を特定したとする文書で市東東市さん(孝雄さんの父)の「署名」を偽造する驚くべき犯罪行為に手を染めていたことを、筆跡鑑定で衝撃的に暴き出した。空港公団は地積測量図や「同意書」そのものを偽造していたのである。
 1988年当時、空港公団は翌年12月の土地収用法(空港建設の事業認定)の執行期限切れを目前に追いつめられていた。70年に提出した収用裁決申請は、実力闘争によって収用審理が18年間も中断に追い込まれていた。この時点で公団は、市東さんの耕作権をはく奪するために動き出し、市東さんの署名まで偽造するという違法行為に手を染め、市東さんの農地を空港の敷地に取り込んでしまう計画変更申請の準備をしていたのだ。強制収用で土地を奪ってしまえば、違法行為は露見しないだろうというのだ。何という浅はかな権力思想か。(ちなみに千葉県収用委は88年10月に人民の怒りで委員全員が辞任。以後強制収用は完全に不可能化した)

 農民の爆発的怒りを結集し

 権力・公団の犯罪行為は今、闘う人民の注視の中、千葉地裁の法廷で次々と暴かれている。
 市東さんの三つの農地裁判は、厳しく国家権力を追いつめている。だがこれは国策裁判でありブルジョア法廷だ。労働者人民の実力によって反動判決を粉砕する力関係を強制していくことが勝利への核心問題だ。
 裁判傍聴闘争への取り組みをさらに強め、圧倒的な労働者、農民、学生人民に市東さんの農地闘争の正義を訴え、弁論の機会を積極的に準備することを含めて、「市東さんの農地を守れ」運動を新たに発展させることが必要だ。
 そして何よりも今年、被災地・福島の農民をはじめとする闘う農民たちとの全国的交流が新たに始まり、反原発と三里塚連帯を軸とする「全国農民会議」が結成され、TPP(環太平洋経済連携協定)による農業破壊に反対する全国の農民たちの爆発的な怒りを共有する力強い運動を開始したことが決定的だ。三里塚闘争46年の地平が、反原発闘争の非妥協的発展の一翼を牽引(けんいん)しつつ、プロレタリア革命を担う革命的労農同盟の陣形が新たな次元に発展する展望を大きく開きつつあるのだ。
 市東さんの農地死守決戦は、日帝国家権力との文字通りの正面的激突だ。それを保証するのは、プロレタリア革命を目指す労働者と農民、学生、全人民が総決起する非妥協的で強力な陣形を作り出す闘いの中にある。2012年の三里塚闘争において、わが革共同は断固この地平に踏み込むことを決意し、進撃を開始したのである。
 日常の現地攻防も緊迫している。2013年3月完成を公言して突貫工事が強行されている第3誘導路建設と実力で対峙しなければならない。市東さん宅に隣接した”地上げ屋”同然の土木工事は、市東さんへの移転強要であり人権侵害だ。これを渾身の怒りで跳ね返し、24時間の営農と生活を通して権力と対峙し続ける市東孝雄さんと反対同盟農民たちの闘いへの断固たる連帯闘争が求められているのだ。第3誘導路工事を粉砕せよ! これは3・25全国闘争の大きな課題だ。

 新自由主義と闘い軍事空港の完成阻む三里塚

 三里塚闘争の歴史は、87年国鉄分割・民営化と全面的に対決し、JR総連カクマルのファシスト労働運動との血みどろの激突の中で階級的労働運動と労働組合運動の地平を守り抜いてきた動労千葉の闘いと”車の両輪”となって、日帝の新自由主義攻撃と対決しこれを乗り越えてきた革命的な闘いの歴史だ。
 現在、東京羽田空港の「再国際線化」が進み、国際線の旅客枠が成田から羽田にシフトする”成田の地盤沈下”が問題になり、ブルジョアジーと国交省・NAAは「失われた24年」(前社長・黒野匡彦)などと悲鳴を上げている。民営化されたNAAの経営危機も深刻をきわめている。
 この「成田の危機」は、第一級の国策と対決して一歩も引かない三里塚農民の存在と闘いが、日帝の軍事大国化の柱をなす航空産業の分野における規制緩和と新自由主義政策を徹底的に打ち負かしてきた結果だ。
 今日にいたる新自由主義の流れは、70年代末の米航空産業から端的に表れた。78年の米カーター政権による航空自由化政策、そして81年のレーガン政権による航空管制官労組への大量解雇攻撃、この労働組合への大規模な破壊攻撃をテコにした「オープンスカイ(航空業界の完全自由化)」政策の全面的な展開である。それまで国家事業の代表格だった航空産業全体が世界的な「大競争時代」に突入。これが公的企業の民営化の攻撃の先駆けとなった。
 当時、経済的没落を深めていた米帝レーガン政権は、新自由主義政策を経済の全分野に拡大し、アメリカが国際競争力を保持していた航空産業、金融産業、軍事産業の分野を武器に世界市場の再制圧に乗り出していた。90年代初頭までには、米航空会社の攻勢を受けたヨーロッパがオープンスカイ政策に移行。日帝の航空産業の新自由主義的転換も激しく促進されることになった。

 労組破壊攻撃と表裏一体で

 「自由化」による帝国主義的争闘戦で航空会社のシェア争いは激化し、大手航空会社の経営悪化と淘汰、寡占化も進んだ。そしてバブル経済の繰り返しと崩壊、世界経済の低迷と恐慌への突入の中で、安全性を度外視した労働強化と合理化による多くの”格安”航空会社も生まれた。
 重要な点は、こうした新自由主義的航空政策の展開が、まさに国鉄分割・民営化を切っ先とする労働運動、労働組合運動への大々的な階級的破壊の攻撃と表裏一体だったことである。日本の航空業界でも、業界再編が労働者への徹底的な合理化と労働組合への破壊的な分断攻撃として進行したことは周知の通りだ。
 この中で、日帝の空港建設政策が、国際的なハブ(拠点)獲得競争で敗北し、国策空港=成田の没落を生んだことは日帝の危機を大いに促進する問題なのだ。
 空港政策は軍事大国化の柱となる航空産業と軍需産業の基盤だ。この根幹が破綻したことで、日帝の帝国主義的アジア侵略政策と国家政策に与えた打撃は甚大だ。現在日帝支配階級は、戦後憲法体制にいまだに手を付けられないことに危機感をつのらせ、橋下反革命にすら依拠して危機突破の道を迷走しているが、これは三里塚闘争46年と労農同盟の地平に対する日帝権力の悲鳴以外の何ものでもないのだ。
 動労千葉を先頭とする国鉄闘争が、階級的労働運動の全面的な復権の突破口を開き、大恐慌下の日帝ブルジョアジーの危機の核心を揺さぶっている地平と、三里塚闘争46年の地平はまさに一体だ。敗戦帝国主義からの脱皮をかけた国策たる軍事空港建設を阻み続けた三里塚の地平は、疑いもなく、階級的労働運動の復権で新自由主義攻撃と全面的に対決し、大恐慌と戦争情勢をプロレタリア革命に転化する階級決戦の最先端を形成する闘いなのである。

 3・25は被災地福島と三里塚が連帯した闘い

 3・25全国集会は、被災地・福島と結び、反原発・反TPP・沖縄基地撤去を焦点に「国策・国益」と対決する全人民的な激突を牽引する革命的結集点だ。
 1月18日、大飯原発の第1次ストレステストでの「妥当」報告、大飯原発再稼働の攻撃などに対して、被災地・福島の怒りと結んだ闘いが、経済産業省前の座り込みテントひろばをはじめ力強く前進し、再稼働阻止への人民的うねりが着実に拡大し、日帝・野田政権を追いつめている。反対同盟は何よりも、この被災地・福島を先頭とする闘いとの連帯を強烈にアピールし、反原発の3・11福島県民集会(郡山)への総力決起とならんで3・25三里塚全国闘争を呼びかけている。この両者は不可分にして一体の闘いだ。
 反対同盟は2月1日、福島県で行われた全国農民交流集会に参加し、「反原発・反TPP、三里塚を旗印に、怒れる全国津々浦々の農民の思いを結集する運動を」とのアピールを発し、これらの闘いの先頭に立つ決意を表明した。
 この新たな農民運動が被災地・福島で大きな注目を集めたことには理由がある。農民たちの怒りは根源的なのだ。ペテン的な保護政策を通した農業切り捨てを進めてきた戦後自民党的な農政が完全に破綻した中で、農民たちの雪崩を打った流動化と怒りがどこへ向かうか。これは階級的労働組合運動とならんで日本階級闘争の命運を決める戦略的な問題だからだ。
 これらの闘いの一切が、3・11福島県民集会〜3・25三里塚全国闘争で、その階級的な爆発力を求めているのだ。農業破壊と労働者階級への新自由主義攻撃を極限化させるTPP攻撃を粉砕するという、日帝ブルジョアジーの危機の根幹を突く闘いも、沖縄の新基地建設との激突における勝利の道も、この3・11〜3・25の圧倒的な高揚と勝利の中から開かれようとしている。それは韓国やアメリカ、そして世界の労働者・農民と真に連帯して前進する闘いの道である。
 3・11東日本大震災と福島第一原発のメルトダウンから一周年。「原発は安全」という数十年にわたるブルジョアジーの総力を傾けたデマ宣伝のウソは完全に暴かれた。それは帝国主義国家の生き残りをかけた核政策であり、金融資本と大企業の私利私欲に基づく欺まんそのものであることが明らかになったのだ。
 この欺まんに対する全人民的な怒りのエネルギーに日帝権力は震撼(しんかん)している。このエネルギーを誰が解き放つのか。誰がその先頭に立つのか。反人民的な「国策」を46年間にわたり阻止し続けている三里塚闘争であり、三里塚と動労千葉を軸にした労農連帯と階級的労働運動の地平の真価が、まさにこの3・11〜3・25で問われているのだ。
 市東さんの農地死守決戦はまったなしの決戦として迫っている。われわれはその勝利への展望をいま本当に開こうとしている。すべての仲間の皆さん! 三里塚・芝山の地で権力の包囲をものともせず、反対同盟と空港絶対反対の旗を守り抜き、志半ばで倒れた反対同盟の故鈴木謙太郎さんの無念を、何としてもわれわれの手で晴らそうではないか!
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(注1)
 行政訴訟・農地法裁判 農地法によって農地の明け渡しを求める裁判(原告=NAA)と県知事の許可の無効を確認する行政訴訟(原告=市東さん)の併合裁判。
(注2)
 耕作権裁判 NAAが市東さんの農地の一部を「不法耕作」だとして提訴し明け渡しを求めている裁判。

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週刊『前進』(2526号6面2)(2012/03/05 )

 “成田軍事空港”の証拠

 「UN」マークの自衛隊戦闘車両 南スーダン派兵へ

 

 本紙前号で報じた通り、反対同盟が自衛隊PKO(国連平和維持活動)派兵弾劾デモを行った2月19日の午後5時ごろ、空港の北側に位置する野毛平工業団地で、白い車体に「UN」と国連のマークが書かれた計8台の自衛隊戦闘車両が、大型トレーラーで「日通航空・成田空港第三物流センター」に搬入された(写真上2枚)。その一部始終がビデオカメラに収められ、三里塚反対同盟のブログで公開されている。これらの車両が、南スーダンPKOで現地に送られるものであることは疑う余地がない。
 マスコミでは、南スーダンへのPKO派兵の自衛隊本隊は羽田空港を使って出発したことが報道されたが、車両をはじめとする様々な軍事物資の空輸基地として成田空港がフル稼働している実態が改めて突き出された。滑走路が完成できないことによる国際線の没落も”軍事空港=成田”の本質を加速させている。
 この車両は軽装甲機動車と呼ばれるもので、陸自が昨年までに1500両以上を調達し、イラクやハイチなどへの海外派兵に使用されてきた。米陸軍の高機動車ハンビーの日本版だ。イラクでは人民の武装解放闘争の主要な標的にされてきた。
 固定された武器は見えないが、現地では天井のハッチに機関銃や対戦車砲などを設置できる。「小型・軽量」なので輸送機やヘリでの空輸が容易だ。1台の「調達価格」は3千万円を超しているという。
 日本通運(日通)は1937年に国策会社として発足して戦争に協力し、戦後も官公庁の物資輸送を一手に引き受けてきた。特に自衛隊・防衛施設庁関連の仕事は独占的に担い、車両、武器(精密部品)などの輸送はもとより、核物質輸送の技術も持っている。海外派兵では必ず輸送業務で自衛隊と渾然一体で活動する企業だ。
 「人道支援」「インフラ整備」の名で行われる南スーダンPKO派兵の本質は、石油やレアメタルなどの豊富な天然資源の略奪・争奪戦だ。帝国主義的侵略派兵そのものなのだ。その前線基地として成田空港が使われている現実を断じて許してはならない。
(写真 成田空港に搬入される直前の戦闘車両。屋根上に機関銃の銃座が【2月19日】)

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週刊『前進』(2526号6面3)(2012/03/05 )

日誌'12 2月22日〜28日

 民主党、安保政策の提言機関新設へ/自民党が改憲原案

●民主、安保政策の提言機関新設へ 
民主党が安全保障に関する提言機関を新設する方針を決めた。輿石東幹事長の直属の組織で、北沢俊美元防衛相がトップに就任。(22日) 
●小沢「増税解散なら政界再編」 民主党の小沢一郎元代表は新聞のインタビューで、野田首相が増税を掲げて衆院の解散・総選挙に踏み切るなら「民主党自身の再編を含め考える」と強調。 また橋下徹大阪市長の「船中八策」について、統治機構を変える主張に「共鳴する」と賛同した。(22日)
●北東アジア舞台に米日韓が演習、非軍事部門も参加 米国が北東アジアを舞台に、日本や韓国との軍事演習を相次ぎ実施している。自治体など軍事部門以外の参加などが特徴。(23日)
●AIJ、年金”消失” 国内の投資顧問会社で、日経ランキング「1位」だったAIJ投資顧問が、企業年金から受託した資金約2千億円のほぼ全額を、租税回避地の英領ケイマン諸島を通じて運用し、巨額の損失を隠していたことが明らかになった。多額の企業年金が消失し影響は深刻。(24日)
●アフガニスタンで米軍のコーラン焼却に怒り拡大 アフガニスタンの米空軍基地内で2月20日、イスラム教の聖典コーランが焼却され、地元住民が21日から激しい抗議デモを爆発させている。25日には首都カブールのアフガン内務省で米士官2人が射殺され、26日にはNATO軍基地で手りゅう弾が炸裂し米兵7人が負傷した。(26日)
●米韓が合同軍事演習開始 朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」が27日、始まった。3月9日までの予定。野外機動訓練「フォールイーグル」を3月1日〜4月30日まで韓国全域で予定。上陸訓練は89年以来、最大規模に。(27日) 
●首相が沖縄知事と会談「辺野古が唯一の方法」 野田首相が沖縄を訪問し仲井真弘多知事と会談、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で「辺野古が唯一有効な方法だ」とする政権の意向をあらためて示した。 (27日)
●エルピーダメモリ、会社更生法を申請 半導体のDRAM(ディーラム)製造で世界3位のエルピーダメモリ(東京都中央区、東証第1部上場)は会社更生法の適用を東京地裁に申請し、倒産した。国内唯一のDRAMメーカーだったが、円高で輸出の利益が出なくなった。「産業のコメ」と言われた半導体事業の日本の中核が国内から消えようとしている。枝野幸男経済産業相は、破綻に伴う「国民負担」が最大約280億円になることを明らかにした。(27日) 
●自民が憲法改正原案、「元首」に天皇、「自衛軍」も 自民党憲法改正推進本部の憲法改正原案が明らかになった。天皇を「元首」とし自衛隊を「自衛軍」と明記、集団的自衛権承認を想定して「自衛権」を強調した。首相の「緊急事態」宣言の権限や、国民が「国の指示に従う義務」も盛り込んだ。「公の秩序を害する目的の」結社は認められないとし、公務員の労働基本権の制約も盛り込んだ。4月28日までに決定し国会提出を目指す。(28日)

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週刊『前進』(2526号7面1)(2012/03/05 )

 “奪われたものすべて奪い返せ”

 改憲と労組破壊に走る橋下を八尾北・西郡決戦で打倒しよう

 3・18全国集会に総力で結集を

 2月28日、大阪地裁の執行官が八尾市西郡住宅の岡邨(おかむら)洋さん宅に現れ、住宅から追い出す強制執行日を通告してきた。3月14日だという。ふざけるな! 「1%」の資本家が生き延びるためなら労働者人民は住む場所まで奪われ死んでもいいというのか! こんなことは断じて認めない。大恐慌下の3・11大震災と原発事故で瀕死(ひんし)の日帝ブルジョアジーは「99%」の怒りで打倒あるのみだ。その恐怖におびえ、あせりにかられて、破綻した新自由主義攻撃を絶望的に進める先兵が大阪市長・橋下と八尾市長・田中だ。3・14緊急行動に立ち、3・18全国総決起闘争を、橋下を打倒し「すべてを奪い返す出発」(岡邨さん)の日としよう。
(写真 12・21市議会闘争を闘い、岡邨支部長を先頭に八尾市内デモを打ち抜く)

 労働者人民の生きぬく闘い

 3月18日、八尾北・西郡決戦の全国総決起闘争が闘われる。住宅明け渡し強制執行、診療所廃院、更地化攻撃を開始した八尾市と裁判所を徹底弾劾し、生きぬくために非妥協的に闘う八尾北医療センター労働組合、部落解放同盟全国連西郡支部との連帯をかけて全国から総結集しよう。
 この闘いは、世界大恐慌と3・11大震災・原発事故にあえぐ脱落日帝の新自由主義攻撃の先兵、橋下徹大阪市長を打倒する闘いだ。橋下を先兵に日帝は道州制・特区、民営化・外注化・非正規職化、改憲・労組破壊攻撃を絶望的に強行している。だが労働者人民が国鉄決戦、反原発・反失業を軸に階級的労働運動を前進させれば必ず勝利の道は切り開かれる。
 動労千葉を先頭とするJR全面外注化阻止決戦、3・11反原発福島大闘争に続く3・18闘争、3・25三里塚闘争を大高揚させ、4・1JR検修外注化を阻止し、八尾北・西郡決戦に勝利しよう。
 3・18闘争は第一に、労働者人民の生きぬく闘いである。住宅と診療所という生活と生命にとって不可欠の場を問答無用の国家暴力で奪う理不尽な攻撃に対して怒りを爆発させ、絶対反対の闘争で立ち向かうことは人間として当然の行為だ。住宅、診療所の明け渡しと闘う西郡支部、八尾北労組と固く連帯しともに新自由主義をうち破ろう。 人間が生きていくためには住宅と医療機関は必要不可欠だ。住宅や診療所を整備し保障することはもともと自治体や国の責任である。だが八尾市当局は戦後、西郡部落に対して何の施策も行わなかった。そこで住民たちが自ら土地を提供しあい、市営住宅を建設させた。当然にも家賃は市と住民の協定で一律低家賃となった。これは階級闘争の前進の中でかちとった権利だ。
 ところが96年の公営住宅法改悪により応能応益家賃制度が導入、西郡の住宅にも98年から適用された。多くの住民の家賃が一挙に2倍、3倍にされた。一挙に高額になった家賃を一体だれが払えるのか。払えなければ出ていくしかない。住み続けるためには闘う以外にない。こうして家賃供託闘争が始まった。
 他方、八尾北医療センターの前身は、地元住民がまったくの自前、自力で1951年に建設し、自主運営した西郡平和診療所だ。66年に幸生診療所と名を変えた後、1982年に八尾市の負担で八尾北医療センターが建設された。幸生診療所の医師や看護師、職員がそのまま移って医療を担ってきた。ところが八尾市は97年、医療センター売り渡し・民営化の攻撃を始めた。
 応能応益も診療所売り渡しも、「部落差別を解消する」ための同和対策事業を打ち切り、あとは自己責任で、という地対協(地域改善対策協議会)路線、すなわち新自由主義の攻撃だ。国鉄分割・民営化と一体のこの攻撃は、同和対策事業に依存することで成り立ってきた部落解放同盟をつぶすことを通して、解放同盟と密接不可分の自治労などの労働組合をつぶす攻撃だった。
 2000年に結成された八尾北医療センター労働組合は、03年、住宅闘争を闘う西郡の住民とともに大病院による乗っ取りを阻止した。八尾市は08年に医療センター売り渡し方針を打ち出し、土地建物の鑑定をしようとしてきたが、これを拒否し売り渡しを阻んできた。10年、八尾市は医療センター明け渡しを提訴、一審は3月に結審する情勢だ。
 生きるために絶対不可欠な住宅や診療所を自治体当局が奪い、資本に売り払い、もうけさせるのが今日の新自由主義だ。しかも対象は、住民自身が共同でつくり、支えてきたものばかりだ。八尾市や裁判所には一片の正義もない。大恐慌と大震災・原発事故による日帝の未曽有の危機、それに付け込みすべてを奪おうとする日帝の先兵・橋下徹の台頭が攻撃に拍車をかけている。
 これに敢然と立ちはだかっているのが、強制執行による更地化攻撃と闘う八尾北・西郡決戦だ。これと結びつくなら労働者階級人民の根底的な怒りの爆発は必至だ。労働組合を先頭に全国結集闘争として闘われる3・18闘争を大高揚させ、橋下打倒へ攻め上ろう。

 労働組合の存在めぐる激突

 3・18闘争は第二に、労働組合の存在をめぐる橋下との激突である。労働組合を敵視し労働者をさげすむ橋下への怒りを爆発させ、4大産別を先頭に階級的労働運動の強固な隊列を3・18闘争に登場させよう。
 日本における新自由主義の始まりであり、その基軸であった国鉄分割・民営化から26年、JR7社は全体ではいまだに赤字経営から脱却できていない。資本に全面協力するJR総連の存在にもかからわず、動労千葉をはじめとする階級的労働組合運動がJRの全面外注化を阻んでいるからだ。
 帝国主義に完全屈服した連合労働運動の対抗軸として国鉄1047名解雇撤回闘争、動労千葉・関西地区生コン支部・港合同の3労組共闘、階級的労働運動派、国鉄闘争全国運動が生まれ、本格的に発展しようとしている。こうした階級関係の中で大阪市労連や都労連も存在している。
 しかし大恐慌のもと日帝支配階級はこの階級関係の破壊に乗り出した。連合とりわけJR総連のように資本・当局に合理化・外注化案を先回りして提案し協力する組織であっても、多くの労働者を組織し労働組合と名乗っている限り容認できないのだ。労組を絶滅して全労働者を無権利、無抵抗、「アジア並み」の超低賃金にたたき込まなければ「企業の存続」(経団連12年版経労委報告)は不可能なのだ。
 そこで橋下が日帝の先兵として登場、大量首切り、大幅賃下げ、労働組合絶滅の攻撃に踏み込んできた。昨年来の教育基本条例案、職員基本条例案、「君が代」起立斉唱条例(2月28日成立)、労組事務所退去命令、労使関係アンケート調査、庁内業務メール調査などだ。職員平均7・2%賃下げ、市バス運転手4割賃下げを4月1日に実施しようとしている。
 市労連委員長が頭を下げたことによって橋下は図に乗り、業務命令と処分の脅しで組合員を個々に分断し、アンケート調査を強行、密告を奨励した。卑劣極まりない。
 だが市労連幹部の惨めな屈服をのりこえて1千人の組合員が集会に集まった。橋下は17日「凍結」を表明し、3月1日には「破棄する」と述べた。
 橋下の労働組合破壊の矛先は大阪市・府の現業をはじめ公務員労働運動全体、4大産別、労働組合運動総体に向いている。ここで団結を固め反撃すれば必ず勝てる。労働組合絶滅を狙う橋下反革命を打倒することは全労働者階級の課題だ。
 労働組合は、賃金をはじめ労働条件をめぐる日常的な闘いから革命にいたるまで労働者階級の自己解放闘争を推進する武器、基礎的団結形態だ。こうした可能性と力を労働組合が発揮すれば、大恐慌・原発震災で脱落帝国主義化した日帝を打倒する革命をたぐり寄せることができる。
 奪われたものすべてを奪い返せ! 八尾北・西郡決戦の根底性と戦闘性は労働者人民が本来もつ無限の可能性を押し開く。勝利の鍵は八尾北労組の強化・発展をかちとることと西郡支部の1千人建設である。

 改憲・道州制攻撃との対決

 3・18闘争は第三に、橋下を先兵にした日帝の改憲・道州制攻撃と対決する闘いだ。
 橋下の目標は、日帝支配階級の長年の懸案と同じく改憲と統治形態の転換(道州制)、戦争国家化である。これは大阪維新の会の次期衆院選むけ公約「維新版・船中八策」の骨子が示しているとおりだ(本紙前号3面参照)。
 この骨子に加えて橋下は2月24日、9条改憲の意志を明らかにした。「憲法9条改正の是非を2年間議論し、国民投票にかけて決定すべきだ」「自己犠牲しないというのなら僕は別の国に住もうかと思う」
 橋下が極右翼・大反動の正体を現しはじめた。以前からの主張や「八策」の第七「自主独立の軍事力」などからも、橋下が9条改憲、戦争と核武装を肯定し目指していることは完全に明白だ。
 また「八策」の第一「統治機構の作り直し」とは、首相独裁の専制国家体制、戦争国家づくりにほかならない。
 橋下の大阪都構想、9条改憲、核武装論に全面賛成するのは石原慎太郎東京都知事ぐらいしかいない。
 3・18闘争の爆発で改憲・道州制、戦争・核武装を唱える橋下・石原らを追い詰めよう。

 被災地の闘いとの連帯かけ

 3・18闘争は第四に、野田、橋下、田中(八尾市長)らの道州制・特区・更地化攻撃との闘いだ。被災地で震災復興特区攻撃と闘う労働者人民と連帯して闘おう。
 大恐慌と大震災、原発大事故、放射能汚染という未曽有の危機と困難、恐怖、不安を逆用し大資本が国家権力を使って復興特区を設定し、優遇税制を受け、労働法の規制を免れ、労働者を超低賃金・無権利状態において極限的に搾取しようとしている。『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)のいう「惨事便乗型資本主義」の日本版、新自由主義の極致だ。橋下もこの路線だ。
 西成区は人口12万、日本最大の日雇い労働者の街「あいりん地区(旧釜が崎)」がある。1960年代、日本の高度経済成長期には、「独身者は釜が崎に行け、所帯持ちは西郡に行け」といわれたという。ほぼ4人に1人が生活保護を受給。65歳以上が33・8%と突出している。西成は彼らの“寄る辺”だ。
 しかし、橋下は「西成を変えることが大阪を変える第一歩」とし、2月15日、あらゆる規制を取り払う「西成特区構想」実現へプロジェクトチームを発足させた。そこでは、金のことは心配せずドーンとやれと激励し「ジュリアーニ前市長の号令でニューヨーク市が変わったように必ず変わる」と述べた。ジュリアーニは90年代後半、人権無視の強権発動により「治安回復」に成功、市の中心部を再開発し、観光客増、税収増につなげたといわれる。
 橋下は、西成区を更地にし、大企業で制圧し、街を一変させようとしている。西成区に新住民を大量に入れ、「治安強化」の声を起こさせ、これに応えて警察を大量動員、「浄化作戦」を発動しようとしているのだ。
 簡易宿泊所の建て替え、ごみ不法投棄対策の強化、小中高一貫のスーパー進学校やスーパー保育園の設置、子育て世帯の転入者への市税減免などが提案される一方、生活保護受給者締め付けは先行実施されている。
 更地化攻撃と闘う八尾北・西郡は八尾北労組と西郡支部という闘う拠点をもった、特区攻撃との闘いの最前線だ。ここに全国の力を結集し野田・橋下を打倒しよう。3・18闘争に総決起しよう。

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 八尾北・西郡闘争の略年表

(写真 医療をはじめすべてを奪い返す地域の拠点だった幸生診療所。医師も職員も八尾北医療センターに移行した)

1946〜47年 天然痘流行、行政による村内隔離で子ども中心に200人死亡
1951年 西郡平和診療所開設 住民が資金と資材を出し合い医師も自力で捜す。全国発のトラホーム集団無料検診開始
1962年 改良住宅1、2号館建設。隣保館も。この頃、西郡の乳幼児の死亡率は全国平均の2・5倍。平均寿命は32、33才
1966年 幸生診療所に名称変更
1974年 末光医師、常勤医に
1970年代後半 市営診療所建設運動が高揚
1982年4月 市が八尾北医療センターを開設
      政府は同和対策を打ち切り、地域改善対策協議会路線に転換
   11月 中曽根政権発足、国鉄分割・民営化攻撃へ
1996年 公営住宅法改悪。市が診療所民営化へ向け事業の効率化を打ち出す
1998年 改悪公営住宅法施行、応能応益家賃制度導入に対し家賃供託闘争を開始 
 大阪府、同和地区診療所自立支援事業を打ち出す。民営化攻撃が激化
2000年 八尾北医療センター労組を結成し反撃
2003年 末光院長解雇・大病院の乗っ取り粉砕
2005年4月 医療センターの自主運営開始
2006年4月 部落解放同盟全国連西郡支部結成
   6月 住宅裁判で最高裁が不当判決
   12月 供託者3人に給料差し押さえ攻撃
2007年4月 末光院長、市議に初当選
2008年1月 住宅闘争で分納路線に転落した全国連中央と対決、供託堅持を貫く
   2月 供託者に貯金口座差し押さえ攻撃
   3月 市議会、医療センター売却を議決 土地・建物の鑑定をめぐる攻防に突入
   8月 供託者、貯金差し押さえで市を提訴
   12月 市議会、3家族への住宅明け渡し提訴を議決
2009年2月 森本さんへの住宅明け渡し強制執行、八尾北労組が終日ストで決起
   9月 八尾北労組大会で民営化反対決議
2010年3月 八尾市営住宅機能更新事業計画で村の更地化を打ち出す。
      市の年度末契約解除の恫喝をはねのけ医療センター運営を継続
   7月 市議会、医療センター明け渡し提訴を議決
2011年4月 末光市議再選、解同のムラ支配を打ち破る
   7月 西郡支部大会で1千人組織建設方針確立、住民との結合が拡大
   12月1日 最高裁、3家族に住宅明け渡しの反動判決
     21日 市議会、傍聴者全員退席させ新たに11家族への住宅明け渡し提訴の議決を強行
2012年1月 市が3家族に住宅明け渡せと通告
   2月 医療センター明け渡し裁判、3月23日最終弁論(結審)を決定

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週刊『前進』(2526号7面2)(2012/03/05 )

 西郡住宅闘争 岡邨さんに強制執行の通告

 裁判所執行官が引き渡しを催告 3・14緊急闘争へ

 2月28日、大阪地裁の執行官が土地・家屋の「引き渡し催告書」を持って西郡支部の岡邨洋さん宅を訪れ、「3月14日、朝7時以降に強制執行する」と通告してきた。
 岡邨支部長は「怒り爆発だ! 3・14強制執行、来るなら来い! 絶対反対の団結が広がっている。3・18全国闘争はすべてを奪い返す出発だ」と戦闘宣言を発した。私たちはこの怒りと一つになって闘い抜く。
 催告書の日付は28日。執行まで15日間ときわめて短い。3・18闘争を破壊するためだけの問答無用のやり方だ。しかも八尾市は、自ら通告してきた明け渡し期限の2月20日を待つ余裕もなく、17日に強制執行を申し立てた。その日は八尾北労組や西郡支部が八尾市に抗議闘争をたたきつけた日だ。闘いの爆発に恐怖し、追いつめられて、慌ててやったのだ。
 しかも、給料日直後を狙い50万円の動産差し押さえまで強制執行しようとした。だが、動産差し押さえの催告書はない。土地・家屋の催告書は執行時刻を午前11時に書き直してくれと言いながら訂正印も押さない違法・不法な代物だ。彼らは岡邨さんの断固とした弾劾の前に、張り紙だけしてすごすごと逃げ帰った。
 このずさんさの中に敵の破綻と私たちの勝利の構図が鮮かに現れている。国と八尾市の問答無用のやり方は怒りの火に油を注ぐだけだ。この怒りは被災地を先頭とする道州制、首切り・非正規職化、更地化攻撃に怒る労働者、住民の怒りだ。
 3・14緊急闘争に立とう(3月14日早朝現地結集)。そして一切の回答は3・18全国総決起闘争の大爆発だ。全国、全世界で生きるための闘いが青年労働者を先頭に始まっている。「すべてを奪い返すぞ!3・18全国総決起集会」に大結集しよう。住宅追い出し・病院つぶしの更地化粉砕! 道州制・特区攻撃、改憲・労組破壊の橋下打倒! 国鉄決戦を軸に3・11福島県民大集会から3・18へ! 八尾北労組を拠点に支部1000名建設、全労働者へ団結を拡大しよう。
 (西郡支部・植村清)

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週刊『前進』(2526号7面3)(2012/03/05 )

【要項】 すべてを奪い返すぞ!3・18全国総決起集会

住宅追い出し・病院つぶしの更地化粉砕! 道州制・特区攻撃、改憲・労組破壊の橋下打倒!

すべてを奪い返すぞ!
3・18全国総決起集会

3月18日(日)午後1時〜3時(集会後デモの予定)
八尾市幸町五丁目第1公園
[大阪府八尾市幸町5―12―1/行き方=近鉄八尾駅(準急停車)。北口6番バス乗り場から萱島行き(11時45分発)またはJR往道行き(12時13分発)で西郡新町下車、東へ徒歩5分。タクシーで約1000円]

主催/八尾北医療センター労働組合
   部落解放同盟全国連合会西郡支部

 

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週刊『前進』(2526号8面1)(2012/03/05 )

団結ひろば 投稿コーナー 団結ひろば 投稿コーナー

 2・5星野デモを闘って 星野を返せ!99%を返せ! 広島連帯ユニオン 青年部長 井上 亮

 徳島で全国労組交流センター総会を開催し、交流センターの総力で徳島刑務所包囲デモに取り組むことを聞いた時、私の問題意識は「いかに、労働運動として星野闘争を取り組むか」ということでした。
 ウォール街では「われわれは99%だ」のスローガンとともに多くの政治犯の解放を要求するスローガンが掲げられている。星野闘争を日本におけるムミア闘争に押し上げることだと思う。
 その意味で、今回の徳島刑務所包囲闘争は画期的だった。「星野をかえせ!」の怒りのコールは「99%をかえせ!」という国際プロレタリアートのスローガンそのものとなったと思う。
 印象に残ったのは、現地の青年労働者がデモの先頭でコールを担って全体を牽引(けんいん)したこと、そして暁子さんのうれしそうな笑顔でした。

 2・5星野デモを闘って 帝国主義打倒の戦闘宣言! 東京西部ユニオン 松木誉明

 「星野さんを取り戻すぞ!」「暖房を入れろ、湯たんぽを入れろ!」
 獄中の星野さんに届けと、600人のデモ隊がひとつになってあらん限りの声を上げ、徳島刑務所包囲デモに立ち上がりました。再審闘争を不屈に闘いぬく星野さんと労働者階級人民がひとつとなった闘いが開始されたのです。
 「あと2、3年で出る」。星野さんの衝撃的な声明は、エジプト革命をはじめとする全世界の労働者階級人民の闘いと一体となった、帝国主義打倒の戦闘宣言です。
 全国労働組合交流センターが徳島で総会を開き、星野全国連絡会議とともに徳島刑務所包囲デモを行うという呼びかけに、西部ユニオンも解雇撤回闘争を闘う鈴コン分会の仲間を先頭に多数駆けつけました。
 黄色の星野再審ののぼりとともに、全国の労働組合が赤旗を林立させ徳島市入田に登場した姿は圧巻です。徳島で星野再審を闘う方から「階級的労働運動の力で星野さんを取り戻すことに確信をもってきてよかった」とのあいさつを受けて、地道な地元の闘いにようやく応えることができたのだと痛感しました。
 世界大恐慌は、欧州危機、米帝危機、日帝の福島原発事故と国家財政破綻として進行しています。資本家階級と労働者階級人民の生存をかけた激突の時代に突入しました。星野さんが人生をかけて闘う沖縄奪還・安保粉砕・日帝打倒に決着をつける時がきたのです。
 職場で資本と闘い星野さんを奪い返す労働者階級の力をつくり出していきましょう。
 今回の徳島刑務所包囲闘争を準備した、すべての方に深く感謝します。お疲れ様でした。大成功でした。
 この勝利の地平を星野再審、階級的労働運動の前進へと拡大していきましょう。

 2・5星野デモを闘って 刑務所正門に進むアカハタ 徳島医療福祉・青年

 一本の坂道が組合員のアカハタで占拠されて、それが刑務所の正門に進んでいく。そのシーンが一番印象に残っています。デモってこういうものなのか。一つの道を、端から端まで埋めたのが良かった。
 正門で看守が厳戒態勢。前が見えないほどの梯団(ていだん)。
 個人的には、絵画展に誘うのに、同僚にどう話せばいいか分からなかった。作ってもらった土俵で動いただけになった。ある人の「見ようとしないと見えない」という言葉が印象に残った。

 2・5星野デモを闘って のどが痛くなるほど叫んだ 学生 A

 大成功。V字のところが一番良かった。交流会も盛り上がった。
 自分自身、感動したのは、坂道のところ。星野闘争をやっていて良かった。獄中との団結を感じた。のどが痛くなるぐらい、心から叫んだ。一人の労働者階級として確信が持てた。もっと大きくしたい。

 2・5星野デモを闘って 塀がもろいものに見えた MT

 600人の労働者人民が「星野さんを絶対奪還するぞー」と熱く徳島刑務所包囲デモをやりぬいた。
 内と外が一体となったと心から実感した。
 特に、労組交流センターが呼びかけて、軸になって実現したことが決定的だと思う。分断の象徴の「塀(へい)」が本当にもろいものに見えた。

 2・5星野デモを闘って 人生で最高の感動だった! 広島 Y

 人生で最高の感動だった。
 2・5包囲デモは、階級的労働運動の力で星野同志を奪還するということが、革命的リアリズムをもち始めたことを実感させた。
 大恐慌と3・11情勢、革命情勢の中で星野同志とわれわれを隔ててきた徳島刑務所の獄壁は決定的崩壊を開始した。
 われわれは、この階級分断の壁を最後的に崩壊させる闘いへ階級的労働運動を復権させる闘いへ、4大産別を始めとする職場・地域での闘いへ猛然と突入しよう。

 2・5星野デモを闘って 黄色いハンカチから8年余 東京 N

 2003年11月に徳島で「獄壁を越えて/星野文昭さんを取り戻す全国集会・徳島」が行われた際、集会に先立って徳島刑務所を見下ろす神山森林公園から「黄色いハンカチ」を振って、声を限りに「星野さん頑張れ!」「星野さんを取り戻すぞ!」とシュプレヒコールをくり返した。それは数十人の感動的なツアーだったが、やはり星野さんに近づけないもどかしさが残った。
 それから8年余、今回の闘いは、なんと言っても労組交流センターを挙げての決起があり、「あと2、3年で出る」という星野さんの並々ならぬ決意に応える全国からの熱い気持ちが総結集した闘いだった。あの人も来ている、この人も来た、と顔ぶれを見るだけでも感激だった。
 文字通り刑務所を包囲し、のども裂けよとシュプレヒコールを上げたつもりだったが、時々熱いものがこみ上げてのどをふさいだ。
 デモの声は良く聞こえたとのこと。獄壁を越えて直接団結を固めたのだ。星野奪還へ歴史的な一歩を踏み出し、権力に痛打を与えた。
 これに満足せず、勝利まで追撃しよう。

 映画「フロウ」―水の民営化と汚染の恐怖 東京 国木田 享

 「水の民営化」と聞くと何を思い浮かべるだろうか? 最近「国際貢献ビジネス」などと称して東京都水道局まで株式会社をつくってアジアの水道事業に乗り出そうとし、JR東が水泥棒をやったことは記憶に久しいが、いったい何が起こっているのか。
 ボリビアなどでの水道の民営化との闘いは有名だ。企業がまき散らす工場の廃液で川の水が汚染され、救世主のように現れた水道資本は法外な水道料金で住民を苦しみにたたき込んだ。
 しかしこの映画を見て問題はもっと深刻なことがわかった。大企業が押しつける化学肥料を使う農法は水を膨大に使い、大企業がまき散らす化学物質は水を日々汚染し続け、飲む水すら得られない地域が急速に拡大している。汚い水で病気になる子どもや死亡する子どもがたくさんいる。
 世界銀行が途上国で推進しているダムは、企業の水の独占のために造られ、立ち退かされた住民たちには何の補償もない。水を扱う巨大資本たちは世界水会議まで開いて水の民営化を世界中で推し進めている。
 アメリカやインドではネスレ社やコカ・コーラ社がペットボトルに詰める水を水源地から膨大に略奪した結果、住民の暮らしが危機に瀕(ひん)している。これはひとごとではない。原発事故で日本の水も放射能汚染されている。
 絶望的に発展した資本主義は階級対立を極限的に激化させただけでなく、化学物質や放射能で自然を汚染し、命の水まで商売の道具にしている。資本主義を滅ぼさなければ自然も人類も滅ぼされる、そういう時代がやってきたことをますます確信した。

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週刊『前進』(2526号8面2)(2012/03/05 )

 2月徳島刑務所包囲闘争の地平

 階級的労働運動を基礎に星野同志奪還の大運動へ

 獄壁を越えて

 2月5日、全国労組交流センターと星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議が呼びかけた徳島刑務所包囲デモは、600人が大結集し、感動的に打ち抜かれた。37年の獄壁を越えて、星野文昭同志と完全にひとつになった。
 労働組合の赤旗と、救援運動ののぼりが林立し、「星野を返せ!」の叫び声の連鎖が徳島刑務所を大包囲した。青年労働者と学生がデモの先頭に立って力強く牽引(けんいん)した。労組交流センターに結集する労働者の大隊列、部落解放同盟全国連合会西郡支部、杉並支部、三里塚反対同盟、婦民全国協、障害者が続く。
 さらに地元徳島の救援会、大雪をついて結集した被災地の救援会、広島から徳島まで180`を歩いた支援者、家族での参加や80歳を超えた女性たち、全国各地から星野同志を奪還したいという思いを抱いて徳島刑務所包囲デモに立った。
 翌6日の面会で、星野同志は星野暁子さんに語った、「デモの声は全部聞こえた。皆と心からひとつになった。皆に会いたかった」と。徳島刑務所包囲デモの歴史的勝利を踏み固め、2012年国鉄・反原発闘争の大爆発でプロレタリア革命のとびらを開こう。星野同志を必ずや奪還しよう。
(写真 「星野希望バス」を連ねて600人が集まった【2月5日】)

 奪還の現実性を示した

 2・5徳島刑務所包囲デモの意義は、第一に星野同志を奪還する現実性を圧倒的に切り開いたことだ。労働者階級が星野同志奪還闘争を自らの正面課題として鮮明にさせ、階級決戦の課題に押し上げたのである。
 星野同志へのデッチあげ無期攻撃と、獄中37年の強制は、70年安保・沖縄闘争の爆発が、沖縄と本土の分断を打ち破り、プロレタリア革命に向かって前進することへの恐怖にかられた弾圧であり、帝国主義の延命をかけた反革命そのものである。
 したがって星野同志奪還は、労働者階級の団結で、国家暴力を打ち破る闘いによってこそかちとられる。これを現実化させたのは、階級的労働運動路線の前進である。
 大恐慌と昨年3・11大震災・原発事故は、新自由主義の大破綻をあらわにした。労働者階級を徹底的に分断し、労働組合・労働運動を全面的に一掃しようという攻撃の激化に対して、絶対反対派こそが主流派となる情勢だ。動労千葉は、闘いの中から外注化阻止・非正規職撤廃の決戦方針を確立し、全労働者人民の命と生活を守る闘いを階級的労働運動路線の内実にすえきった。国鉄決戦と反原発闘争が一体となり、職場闘争が闘われ、青年労働者を先頭に拠点建設の闘いが前進を開始した。
 この階級的労働運動路線の前進が、星野同志奪還闘争を労働者階級の団結の基軸に据え、総決起したのだ。

 連綿たる闘い

 そして、星野同志奪還が労働者階級の闘いとなった根幹には、星野同志と暁子さん、さらには救援運動の連綿たる不屈の闘いがあった。星野同志と暁子さんが人生をかけて貫いてきた闘いの正義性と不屈性は人間の尊厳を輝かしく照らし出し、不正義と闘っているすべての人の力となり励ましとなっている。
 「ついにここまで来た」。新自由主義の大破綻の中で、絶対反対闘争こそが、労働者階級の根底からの怒りと結び付く。階級的労働運動と星野奪還闘争を一体で大前進させ、崩壊を開始している分断の壁を力いっぱいぶち破ろう。

 処遇を弾劾し

 意義の第二は、獄中の星野同志を守りぬくために、徳島刑務所の非人間的な処遇を弾劾し、その改善を労働者階級人民の要求として掲げ、2・5徳島刑務所包囲デモを闘いぬいたことだ。
 星野同志の獄中闘争への攻撃が激化するのは、世界恐慌情勢が深まる2008年である。第1次再審請求が最高裁の特別抗告棄却決定によって棄却されたのも、同年7月であった。
 徳島刑務所は、星野同志との友人面会を次々と不許可にした。暁子さんの面会も1度不許可にされた。健康破壊の連続懲罰を加え、「洗面器の置き場所が違う」などと言いがかりをつけて「規律違反」をデッチあげた。暁子さんの手紙を5回も「墨塗り」した。受刑者の安全や権利を奪い、暴力支配を一層強化する刑務所を断じて許さない。
 また、刑務所の処遇はきわめて劣悪で、長期の獄中闘争を生き抜くことそれ自体が命懸けの闘いである。徳島刑務所はこの極寒の中で、暖房も湯たんぽも認めていないのである。
 デモ隊は「湯たんぽ入れろ」「人間扱いしろ」「面会させろ」と懸命にコールした。青年労働者の「生きさせろ!」の闘い、「仲間を守る」闘いが「星野を守れ」と直結し、心底からの怒りとして爆発した。

 安保・沖縄闘争

 意義の第三は、本土における安保・沖縄闘争であり、米軍基地を撤去し、核も戦争もない社会をつくり出す闘いそのものとして2・5徳島刑務所包囲デモを闘いぬいたことである。
 星野無期攻撃の狙いは、70年安保・沖縄闘争を最先頭で闘った星野同志に弾圧を集中し、孤立させ、本土と沖縄の闘いを分断しつぶすことにある。
 したがって、この歴史的反動を突破し、いま沖縄に加えられようとしている辺野古新基地建設、安保・沖縄をめぐる新たな攻撃を打ち破る闘いの爆発こそ星野闘争の核心問題である。
 世界大恐慌が欧州債務危機の爆発として激化し、戦争情勢を促進する中で、日帝は日米安保体制を強化し沖縄への攻撃を強めている。復帰40年の安保・沖縄闘争として星野奪還闘争を闘おう。

 71年11・14渋谷

 星野文昭同志は、1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止闘争をデモ隊のリーダーとして最先頭で闘った。社・共のくびきを打ち破り、職場生産点で資本との非妥協の闘いに決起した青年労働者と学生が、集会・デモ禁止攻撃を実力で粉砕し、沖縄と本土の労働者人民の分断攻撃を打ち破った。
 これに恐怖した国家権力が、星野同志を機動隊せん滅の実行犯にデッチあげ、無期懲役の判決を下した。
 国家権力の悪逆な弾圧に屈せず獄中37年、星野同志の闘いは、労働者階級と資本・国家権力との絶対非和解の本質的関係を貫く闘いであり、マルクス主義の実践そのものである。
 労働者階級の徹底的な団結破壊を核心とする新自由主義の攻撃を、最も根底的なところで日々打ち砕いている。福島県民の原発事故への怒りと闘い、非正規労働者・反失業を闘う青年労働者の闘いと一つである。

 再審闘争に勝利しよう

 徳島刑務所包囲デモは、星野奪還闘争を新たな段階へ押し上げた。星野同志の奪還をかけ大前進を闘いとろう。
 第一に、東京高裁を攻め抜く再審闘争を強力に推進することである。2月徳島闘争がつくり出した勝利感と腹の底からわき上がる国家権力に対する怒りで、再審開始を迫るのだ。
 第2次再審請求の闘いは、東京高裁と検察を追いつめ、新たに開示させた証拠写真(一郎丸写真)で星野同志の無実を一層はっきりさせた。
 ところが、東京高裁は再審を開始しないばかりか、弁護団の全証拠開示要求を拒否する検察を容認し、証拠の「ビデオテープ」を警視庁公安部に「保管委託」して紛失させることまで行った。星野同志は無実であり、デッチあげ証拠はすべて、星野同志の無実を明らかにするものだ。それを隠したり、なくしたり(隠滅だ)するとは絶対に許せない。
 星野同志を殺人罪にデッチあげて、無期の獄中を強制しているのが東京高裁だ。断じて許すことができない。労働者階級の燃え上がる怒りを東京高裁へたたきつけ、東京高裁を包囲する闘いに打って出よう。
 第二に、労働者階級を基軸に星野同志奪還大運動を広大につくり出すことだ。国際連帯を力に全国に星野救援の大運動を広げよう。
 昨年の訪米で出会ったアメリカの労働者たちは、暁子さんの話を聞くや否や、直ちに星野同志の闘いに共感し、「フリーホシノ」の闘いを開始している。徳島刑務所包囲デモと連帯して、全米で「オキュパイ・プリズン」が闘われた。われわれもまた、韓国の韓進重工業闘争が生み出した「希望バス」を仕立てて徳島刑務所に結集した。
 無実の政治犯を取り戻す闘いは、人間の人間としての誇りや団結を呼び覚ます。星野同志奪還に、労働者階級人民は絶対に立ち上がる。全国であらゆる人びとに訴え、救援運動を巨大につくり出そう。2012年星野同志奪還へ、2月徳島刑務所闘争を新たな起点に総決起しよう!

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週刊『前進』(2526号8面3)(2012/03/05 )

 国際労働運動 4月号

 アメリカ革命の開始

 「われわれは99%だ」を合言葉にして闘うウォール街占拠(オキュパイ)運動は、たちまち全米に、そして全世界に拡大していった。
 「自己責任」「自由競争」を説教してきた新自由主義は、すべてウソだった。金融資本は自分が破産したら、血税で莫大な救済を受けている。破産会社の責任者が以前の3倍以上のボーナスを取っている。ウソで始めたイラク戦争にも責任をとらない。怒りは煮えたぎり、オキュパイはどんなに弾圧しても止められない。
 特集の第1章は、労組絶滅攻撃と実力で対決したILWUローカル21(国際港湾倉庫労組第21支部)がオキュパイ運動の爆発的発展を生み出し、またそれによって勝利した姿を描く。
 第2章は、FTA、TPPがアメリカ帝国主義の破綻の産物であり、だからこそ「知的所有権」交渉が重大化することを示す。これは、労働者人民の大反乱、帝国主義の世界支配の崩壊を促進する。
 第3章では、オキュパイ運動がエジプト革命を始めとする国際的な闘いと結合して誕生し、世界革命に発展していくものであることを述べている。
 翻訳資料は、新自由主義の外注化の極致、ファブレス化の典型であるアップル社の製品を作る中国・富士康の労働現場の現実。

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週刊『前進』(2526号8面4)(2012/03/05 )

【要項】 関西 3・7国際婦人デー集会

関西 3・7国際婦人デー集会
革命的大動乱の今 フクシマの怒りと結びつきすべての原発をいますぐとめよう! 労働者民衆に力あり!
 3月7日(水)午後6時開場 エル大阪/大会議室
 主催 婦民全国協関西ブロック/関西労組交流センター女性部

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