SANRIZUKA 2002/02/15(No601 p02)

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週刊『三里塚』(S601号1面1)

 「反対派は存在しない」とうそぶく空港公団の横暴

 暫定滑走路開港阻止!

 3・31〜4・14三里塚大動員を 人間扱いではない「40メートル飛行」

 政府「問題は解決」 敷地内の叫び「俺らは虫けらではない」

 (写真 滑走路南端60メートル地点の東峰神社。ご神木にシメ縄を巻く(1月13日))
 成田空港の二本目の滑走路となる暫定滑走路。国土交通省・空港公団は、新滑走路の目の前(空港敷地内)の反対派農民を社会的に抹殺することで「4・18開港」を乗り切ろうとしている。「(騒音で)生活できるわけがない。反対派は必ず落ちる」(公団用地部)という考えだ。公団の正式見解は「成田空港問題は社会的に解決した」(隅谷調査団最終所見=九八年)というもので、この世に空港反対運動はもはや「存在しない」という立場だ。朝日新聞などはこの「解決した」論の立場から「報道」している。暫定開港攻撃は、反対派農民を肉体的・社会的に抹殺することで、はじめて成り立っているのだ。三十六年間の農民殺しの集大成ともいうべき4・18暫定開港を粉砕せよ。廃港への歴史的転換点をたたかいとろう。

 「解決した」論を唱える翼賛新聞

 ある空港の開港が、地元住民の生存権を暴力的に抹殺するものならば、そうした開港自体が現行法の下では許されない。これは常識に属する問題だ。
 しかし暫定滑走路の4・18開港は、空港敷地内農家の生存条件を奪い去るものだ(写真記事参照)。なぜこのような暴挙がまかり通っているのか。
 反対派農家の存在自体を社会的に抹殺することに政府・公団やマスコミは全力を上げている。彼らの公式見解は「成田空港問題は社会的に解決した」(前記)というものだ。「解決したのだ」と。反対派農民はもうこの世に存在しないというのが、彼らの「見解」なのである。
 驚くべきことだが、朝日新聞などはこの「解決した」論を正式に採用し、その立場から「報道」を続けている。戦前の大政翼賛報道なみである。
 九七年に同紙は、元脱落派の転向者=石毛博道を使った『ドラム缶が鳴り止んで』という闘争終結キャンペーンを大々的に行い、反対闘争の継続自体が許されないという反動的論陣を張った。これが当時の敷地内農民切り崩しに大きな役割を果たしたことは記憶に新しい。

 農民の自己選択を認めない暴論

 朝日新聞などに代表される「解決した」論の最大の特徴は、反対農民の自己決定権を認めない点にある。「十分な補償があるのだから、これ以上反対するべきではない」という論法だ。
 この論法自身がデタラメである。三里塚の反対派農民には、補償があろうとなかろうと、三十六年間の政府の農民殺しに対して、自分たちの未来のあり方を自分で選択する当然の権利がある。これを国が力ずくで抹殺してきたところに、三里塚農民の怒りの淵源がある。
 ましてや政府は、公の場で「過去を謝罪」(シンポ・円卓会議=九一〜九四年)したのだ。何があろうと、政府・権力への協力はしたくないという三里塚農民の選択は、もはや誰からも批判されるいわれはない。三十六年間、国の横暴とたたかいつづけた農民家族の思い、農民としての生きざま、人間的怒りの数々はまったく正当だ。
 追放されるべきは反対農民ではない。暫定滑走路なる新たな横暴こそ指弾され、この地から追放されるべきである。
 また公団やマスコミは、「地権者の同意なしに新滑走路は造らない」とした円卓会議最終決定を自ら無視している。
 この政府の確約は、暫定滑走路の一方的着工(九九年十二月)で簡単に反故にされた。政府は、長年の空港建設の非を認め「謝罪」さえして見せた。二度とこのような農民無視はしないと誓ったのである。
 その舌の根も乾かぬうちに、政府お墨付きの隅谷調査団が「空港問題は解決した」という意味不明の最終所見(九八年=前記)を出し、公団やマスコミが寄ってたかって反対派の存在を抹殺、暫定滑走路着工が一方的に強行された。

 「必ず落ちる」と公言する用地部

 公団は多寡(たか)をくくっていた。「暫定滑走路ができれば敷地内は生活できない。だから奴らは必ず落ちる」(用地部)というわけだ。
 この姿勢は今も変わらない。彼らは暫定滑走路の開港後、航空機に客が乗らなくても便数を増やし、騒音被害を意図的に増やして敷地内農民を屈服させようとしている。
 現在の成田空港は、昨年9・11反米ゲリラの影響で国際線の需要が三割近くも落ち込み、現行のA滑走路本体ががら空き状態だ。世界同時不況のなか、需要回復は「向こう十年不可能」(アメリカの航空企業)との予測もある。何がなんでも開港を急ぐ理由はない。
 ましてや二一八〇bという国際空港として論外の欠陥滑走路を、無理やり開港する必然性はないのだ。羽田空港も新滑走路の建設(第三空港代替)と再国際空港化が決まった。
     *
 それでも暫定開港を急ぐ政府・公団の意図は何か。敷地内の反対派農家を屈服させる。そのための、それだけのための「開港」である。そして農家を追放した暁には、滑走路を当初計画(二五〇〇〜三三〇〇b)に戻し、有事体制で問題になっている巨大軍事空港として整備する。ここに国策=成田空港の最大の国家的使命があると小泉政権は考えている。
 暫定滑走路建設をめぐる真実と滑走路の惨状を全世界に知らせよう。3・31〜4・14(全国総決起集会、反対同盟主催)と4・18開港をめぐる決戦を断固としてたたかいぬこう。

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週刊『三里塚』(S601号1面2)

 有事法制を国会提出

 戦争か内乱か

 「反テロ」治安戦争に反撃を

 政府・与党三党は二月五日、今国会に提出する有事法制整備の基本方針で合意した。日本が戦時体制に入る場合の基本的枠組みを示す「基本法」と自衛隊法改正など膨大な個別法を「包括法」として一体的に扱う方針だ。
 有事法制制定をめぐるたたかいの核心的問題は、すでに始まっている「対テロ戦争」への参戦の既成事実と戦時体制への移行を承認するか、これに真向から反対するかをめぐる国内治安戦争にある。もはや単なる法律問題ではない。
 すでにアメリカを先頭とする「対テロ戦争(アフガン侵略戦争など)」は世界規模で拡大し、日本も参戦している。米ブッシュ政権は次の戦争は「イラン、イラク、そして北朝鮮」(大統領一般教書=一月二十九日)と公言している。
 このなかで日本の労働者人民を戦争に強制的に動員し、言論を統制し、反戦運動と結社を禁圧し、反戦派を投獄するための法体系。それが有事法制なのだ。
     *
 有事法体系は最終的に、憲法の停止=戒厳令を首相権限に定める「緊急事態宣言法」(マーシャルロー)や「国家機密法(スパイ防止法)」を頂点とする全面的な戦時法体系を目指すものとなる(マーシャルローについては次期国会)。当然、明文改憲の攻撃も一気に具体化する。
 これをベースに、有事法制のいわゆる個別法(@自衛隊の行動上の制約を完全に撤廃する諸法令A国家総動員にかかわる諸法令B政府機関の臨戦化にかかわる諸法令など)が膨大に定められる。「米軍の行動の自由」が項目として入ったことも大きな特徴だ。
 三里塚闘争は、それ自体が有事法制制定を阻止する中心的たたかいだ。(2面に関連記事)

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週刊『三里塚』(S601号1面3)

 巨大空港が基地となる現代戦争

 暫定開港は米軍の要請?

 農民の生活条件を極限まで追い込む暫定開港を政府が急ぐ背景には、成田という巨大空港の軍事的性格がある。
 現代の戦争における空港の位置はあまりに大きい。一九九七年の日米新安保ガイドライン締結では、米側が「周辺有事」の兵站基地として真っ先に成田空港使用を要求した。周辺事態法(九九年)では成田など国内の空港・港湾の強制使用が定められた。九一年湾岸戦争では戦域のサウジや周辺諸国の巨大空港が軒並み兵站・出撃基地となった。米軍・NATOのコソボ空爆(九九年)では欧州のほとんどの空港が爆撃と補給の基地となった。ドイツのフランクフルト空港も米軍の戦略輸送機が占拠した。
 (写真 インド洋ディエゴガルシア島の飛行場からアフガン爆撃にむかう米軍のB52爆撃機)
 そして10・7以降のアフガン侵略戦争では、米軍が隣接国の空港を爆撃基地としていかに確保するかが戦局を決定的に左右した。戦略爆撃機が展開したインド洋ディエゴガルシア島(英領=写真)の戦略的役割は突出していた、等々。
 アメリカが「反テロ戦争」を拡大し、中東やアフリカ、さらには中国・北朝鮮を対象にした世界規模の戦争を準備し、小泉政権がこれに戦争国家としての飛躍を掛けて臨んでいることを考えれば、成田空港の死活性は自明だ。
 また軍事基地=成田が、強靭な武装闘争を含む三里塚闘争に包囲されている現状は、治安政策上の最大の破たん点だ。有事法制=戦時国家体制づくりの柱は反戦派を鎮圧する国内治安戦争である。反戦闘争の拠点である三里塚闘争の破壊それ自体が、最優先の治安問題となっているのだ。

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週刊『三里塚』(S601号1面4)

 追及の眼

 滑走路に農家! 誘導路なぜ「へ」の字

 報道されない暫定滑走路の真実

 (写真 北側上空から見た暫定滑走路。右側の白い線が誘導路。市東孝雄さんの畑と現闘本部のところで大きく、「へ」の字に曲がっている。滑走路すぐ脇に反対同盟の一坪共有地や開拓道路も見える【02年1月】)
 国土交通省・空港公団は、暫定滑走路(二一八〇b)の4・18開港を正式に発表した(一月十七日)。天神峰の市東孝雄さん宅を初めとする多くの農家や畑など未買収地を用地内に残したまま、農家の軒先まで滑走路とコンクリートで埋めつくしての開港である。
 暫定滑走路について公団やマスコミは「反対派地権者などの土地を避ける形で造った」とするが正しくない。「避けた」というと、まるで別の場所に滑走路を移したかのようだが、違う。反対派の土地を「避けた」のではなく、滑走路用地内の農家や未買収地をそのままにして、農家の軒先、玄関まで滑走路を造ってしまったのだ。これが正しい表現である。
 その結果が、写真のように「へ」の字に曲がった誘導路だ。滑走路南端(写真 左)に広がる未買収地帯の農家までの距離はわずか三百五十b。しかも滑走路の中心線上だ。この農家や神社、部落の開拓道路などをはさんで、その先に平行滑走路の南側完成部分が見える。ここはコンクリート上にぺんぺん草が生える未供用区域だ。
 4・18暫定開港で何が起こるか。
 誘導路と隣り合わせの市東宅(=写真)は、わずか五十b脇を自走するジェット機の轟音と爆噴射にさらされる。滑走路南端に隣接する東峰の農家は、頭上四十bの高度をジェット機が飛行する。
 (写真 暫定滑走路の誘導路に隣接する畑の看板前にたつ市東孝雄さん。4・18開港を前に緊張が高まる)
 これが「成田空港問題は社会的に解決した」(隅谷調査団最終所見=九八年)という国の見解の実態だ。「解決した」と。何と、もはや反対派農民などこの世に存在しないというわけだ(!)。朝日新聞などは、この「解決した」論の立場から「報道」している。地権者との合意なしに新滑走路は造らない(円卓会議最終合意=94年)との確約はどこへいった! 警察権力による反対派農民への暴力的検問や尾行、嫌がらせも延々と続く。これが「話し合い」の結論だったのだ。
 反対同盟は「最後まで権力にひざを屈しなかった農家への最後の仕打ちがこの開港だ。結局は力ずくで追放する。それが政府の結論だった。血を流す戦いなくして民主主義はない。それが同盟の回答だ」(北原鉱治事務局長)と怒りを込めて語る。
 暫定開港はまさに三十六年間の農民殺しの集大成なのである。

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週刊『三里塚』(S601号1面5)

 ピンスポット

 偽善集団、共生委の自作自演

 何が「大変な事」か 地権者抹殺の張本人が

 何という偽善集団だろうか。共生委員会(写真)のことである。二月四日に開かれた同委の会合で、暫定滑走路の開港によって東峰の反対派農家の上空四十bをジェット機が飛ぶことになる問題について、「大変な事態。踏み込んだ対策が必要だ」との「意見」がある委員から出たという(2・5千葉日報)。
 そもそも共生委員会は「地権者の合意なくして新滑走路は造らない」という円卓会議の合意事項を隠し、暫定滑走路計画を積極的に進めてきた張本人ではないか。共生委自身が、敷地内の反対派を追放する公団の政策に積極的に乗っかってきたのだ。裏切り者の大塚某(元坂志岡団結小屋の支援から推進派に転向。反対派切り崩しのために、共生委「事務局次長」として公団から年間約千五百万で雇われている)もその一人だ。
 それで「大変な事態」とはどういう了見か。自分で農家を踏みつけにして「大変だ」と。三里塚闘争は、こんな欺まんを許すほど寛大ではない。

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週刊『三里塚』(S601号1面6)

 団結街道

 野菜づくりでは、今でも「油かす」を肥料として使うことがある。主に菜種の油かす。大昔は大豆の油かすやイワシの油かすも流通した。肥料屋さんの話では、今では油を薬(溶剤)で搾るため、肥料としては昔ほど効かない▼油かす有効成分の主眼は油そのもの。これがサツマイモの味を良くする。米ぬか(の油かす)を使うときは灰をいっしょに施す。こうすると分解しやすい。一昔前ではこの組みあわせは定番▼話題の肉骨粉も油かすの一種だ。家畜のくず肉や内蔵の脂を除いて粉砕したもの。この工程をレンダリングという。かつては溶剤で脂を搾ったが、オイルショックで溶剤が値上がりして手法が変わり、油分の多い肉骨粉が主流に。コスト面から加熱処理の時間も短縮された▼話題のBSE(牛海綿状脳症)。原因は、羊の伝達性海綿状脳症「スクレイピー」が肉骨粉を通じて移った説が有力。この脳症は痒(かゆ)がって身体を物にこすりつける症状が出る。羊肉への依存や飼料への肉骨粉依存の高いイギリスなどでレンダリングの手法が変わって以降、急激に増加したことも傍証とされる▼ところで元々草食の牛に、なぜ家畜の死骸かすを食わせたのか。リスクは当初から指摘されていた。「コストを減らせ」という資本主義の基本中の基本原理が働いた▼日本ではBSEという学術名すら行政が抹殺した。イギリスの惨状を目の当たりにしてなお、有効な対策を打たなかった農水省。最高責任者(事務次官)は、約九千万円の退職金もびた一文減額されず悠悠自適だ。生産農家と牛の叫び声が聞こえる。

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週刊『三里塚』(S601号1面7)

 闘いの言葉

 ゲーテは「もしこの旅で自分が変わらないのなら帰らぬ方がまし」と言った。我々の旅=獄中闘争は自己変革の決戦場だ。新たな一歩を踏み出す。
 元全学連委員長・鎌田雅志同志出獄のあいさつ(01年2月)

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週刊『三里塚』(S601号2面1)

 有事法制の国会提出粉砕せよ

 「憲法停止」首相に権限

 小泉政権は有事法制の制定を公式に決定し今国会に提出することを明らかにした。昨年十一月に戦後初めて自衛隊をアフガニスタン侵略戦争に公然と参戦させた(今も続いている!=写真下)上に立って、戦争国家づくりの一線を越えるものとして、非常事態法=憲法停止を核心とする有事法制攻撃を全面化させてきたのだ。それは、反戦闘争をたたかう労働者人民を国内治安戦争で鎮圧しようとする攻撃である。国の強権発動と三十六年間たたかい続け勝利してきた三里塚闘争の真価が今こそ発揮される時だ。

 国内治安戦争の開始 反戦運動禁止法 「反テロ戦争」条約次々批准

 小泉政権は戦争体制への決定的一歩を踏み出した。今国会への有事法制提出を施政方針演説で明言し、全面的な攻勢に出てきたのである。
 国内の反戦闘争を根絶やしにし、実質的な憲法改悪攻撃として展開される有事法制攻撃との決戦に、全人民の決起を勝ち取らなくてはならない。
 「有事法制」と呼ばれる攻撃の全体像はおよそ次の三つから構成される。
 第一が国家緊急事態法(マーシャルロー)である。これは戒厳令を究極の形態とするもので、憲法も停止し首相および軍部にすべての権限を集中する。
 第二が、一九七八年以来防衛庁および関係省庁の間で検討されてきた「第一分類、第二分類、第三分類」云々と言われる個別立法である。

 国民総動員切迫

 これを分かりやすく整理すると
@自衛隊の行動の自由を確保するための立法および既成法の改悪
A国民総動員にかかわる法整備
B政府機関の臨戦化を実現する法整備。
の三つの分野になる。
 第三が、9・11反米ゲリラ戦争を契機に、相次いで批准ないし批准が準備され、関連法の改悪が策動されている三つの「反テロ」国際条約と「スパイ防止」と称する防諜体制構築の攻撃である。すなわち
@テロリスト爆弾使用防止条約
Aテロ資金供与防止条約
B国際的組織犯罪条約
C昨秋の改悪自衛隊法に盛られた「防衛機密スパイ防止条項(保護条項)」
である。
 「個別法か包括法か」は大した問題ではない。国家総動員体制にむかう有事法制攻撃が本格化したことが重大なのだ。(写真 有事法制攻撃は戦前と同じ国民総動員への道だ【金属の供出風景=1941年3月】)

 《有事法制攻撃の全体像》

[1]国家緊急事態法の制定

[2]個別法の整備
@自衛隊の行動の自由の確保
A国民総動員に関わる法整備
B政府機関の臨戦化

[3]「反テロ戦争」国際条約等
@テロリスト爆弾防止条約
Aテロ資金供与防止条約
B国際的組織犯罪条約
Cスパイ防止法

 

 参戦の既成事実先行 戦前の治安維持法も

 こうした有事法制攻撃の決定的な特徴はアフガニスタン侵略戦争への参戦という現実と一体となって推し進められていること、そして戦時型国内治安戦争の実質的な強行として進められていることだ。
 この点で「反テロ」国際条約と関連法は問題の性格をむき出しにしていて重要だ。
 その第一が昨年十一月十六日に批准した「爆弾テロ防止条約」と関連国内法改悪の攻撃だ。
 関連法は爆発物取締罰則(爆取)や火炎びん処罰法、サリン法など七法案だが、明治憲法以前の太政官布告でしかなかった「爆取」もこれで国際条約に裏付けされ、検察側の一方的な有罪認定や密告の義務化など、現憲法下では制約されてきた戦前型の運用の道が開かれる。
 次にテロ資金供与防止条約だ。これについても小泉政権は昨年内に署名し、今国会で「テロ資金供与罪」を創設した新法とともに批准する方針を表明している。この新法は、「テロ行為」に使われることを知って資金を提供する行為それ自体を犯罪とするもの。これは革命的左翼への資金援助すべてを禁止することにつながるもので現行法体系の決定的な破壊だ。

 結社禁止を導入

 さらに重大なのが国際的組織犯罪条約だ。これは破防法(破壊活動防止法)以上の結社禁止法である。革命党組織は言うに及ばず、労働組合から市民団体までを対象に、大規模な戦闘的デモなどへ参加すると、それだけで犯罪が成立する「参加罪」を規定している。
 強制供述制度(司法取引)の導入や、泳がせ捜査導入なども含まれるアメリカ型の暗黒治安立法だ。これも今国会に批准法案が提出される。
 このように「反テロ戦争」という形で反戦闘争をたたかう労働者人民に対する国内治安戦争が全面的に襲いかかっているのだ。
 こうして、国家緊急事態法を終着点とする有事法制攻撃が、今国会で一気に全面化している。
 国家緊急事態法をもっとも詳しく検討しているのが一九六三年の三矢作戦研究(昭和三八年度統合防衛図上研究=三八の数字から「みつや」と命名)の中の「非常事態措置諸法令の研究」である。三矢研究は再度の朝鮮戦争の勃発を想定して、日米の軍事作戦を詳細に検討し、秘密裏に行った大規模な図上演習であるが、膨大な「研究」の一環として戦時国内体制の検討=「諸法令の研究」が行われた。
 「諸法令の研究」は最終的には「軍事クーデター」=軍政の確立をめざすすさまじい内容である。治安弾圧法としても「国家公安の維持」をスローガンに「戒厳令」「非常時政府への権限委譲」を主張し、すべての政治活動の禁止、表現の自由の制限を目論んでいる。

 三矢作戦現実化

 さらに「非常時刑法」「非常時民法」「徴兵制の導入」等々を提唱。
 また八十七本の非常時法をあらかじめ準備しておき、開戦と同時に二週間で国会を通過させ、前述のように軍政に移行する「クーデター」プランまで検討している。「有事法制」の行きつく先がこのように国家あげての総力戦そのものであることを赤裸々に自己暴露している。(詳細は本紙562号参照
 有事法制攻撃は、日本が本格的な戦争を始めるために、戦前型の軍部独裁にまで行きつくまさに究極の戦争体制づくりなのだ。全人民の決起が求められている。

 武装決起、勝利の根拠 三里塚「収用委崩壊14年」の地平

(写真 戦後初めて侵略戦争に参戦した自衛隊(写真は佐世保港を出兵する「さわぎり」)
 有事法制攻撃は、すでに法律論議を超えたレベルで反戦派への「国家テロ」として襲いかかっている。
 三里塚戦士である星野文昭同志が無実の罪で二十七年間も獄に囚われている事実。デッチ上げ爆取(爆発物取り締り罰則)違反で四人の同志が未決のまま十六年(一人は九年)も見せしめ的に収容されている事実。これらは、侵略戦争参戦下における反戦活動家への戦時型テロである。これが有事法制攻撃の実態だ。
 昨年末、「不審船事件」を仕組んでまで武力行使を行い、有事法制攻撃を一気に強めたやり方自体が戦時型ファッショ政治である。
 そして、こうした有事法制を先取りする攻撃に対して三十六年間もたたかってきたのが三里塚だ。
 三里塚では権力による無法状態が強制されてきた。中でも一九七八年の成田治安法(成田新法)の制定は、空港周辺地域に「憲法の停止」を宣告するような戒厳状態の強行であった。
 「空港建設に逆らうこと」を唯一の「理由」にして空港反対派すべてを「暴力主義的破壊活動者」に「認定」し、空港反対派が出入りした建物は、「使用禁止」「封鎖」「破壊・撤去」できるというのが、成田治安法である。
 同法の適用によって、天神峰現闘本部は十一年も封鎖されたままであり、五つの団結小屋は跡形もない。
 このほか、三里塚では二回の代執行、岩山鉄塔の破壊などで違法の限りが尽くされ、日常的にも警察権力による営農破壊や尾行、不当検問などが常態化し、無法地帯と化している。
 こうした現実に対して、すべてをなげうった実力闘争に立ち上がり、一歩も引かないたたかいを展開してきたのが三里塚闘争だ。それが今や国策を決定的破たんに追いつめている。一九八八年9・21戦闘と収用委員会の解体はこの勝利的地平を象徴している。この結果三里塚闘争は、国家権力の暴力支配を日本の一角で切り落とすという偉大な勝利を獲得している。
 こうした三里塚闘争の地平こそが小泉政権による有事法制攻撃と最先端で激突しているのだ。有事法制攻撃とたたかい勝利する道は三里塚闘争が築いてきた戦闘的立場と地平を拡大してたたかうことである。今こそ三里塚を先頭に小泉政権の有事法制制定攻撃を打ち破ろう。3・31現地集会―4・14全国集会に大動員を勝ち取り、暫定滑走路開港を阻止しよう。

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週刊『三里塚』(S601号2面2)

 葉山岳夫弁護士に聞く A

 建物が犯罪を犯すのか

 成田治安法 憲法体系外れた三里塚

 「パレスチナの襲撃と同じです」

 国家権力は三里塚闘争を破壊するために、自ら法を破ってきたのみならず、成田だけに適用される特別の弾圧法まで作って襲いかかってきた。それが成田治安法(成田新法)である。同法は、一九七八年三月二十六日の管制塔占拠闘争や横堀要塞戦に驚愕した政府・自民党が空港反対闘争禁止法として制定したものだ。空港周辺地域について憲法を停止する事実上の非常事態法=成田破防法である。人民の抵抗で国家権力の根幹が揺らいだ時、支配階級は、法体系を無視しても自らの支配を暴力的に貫こうとした。この瞬間、政府は「法による統治」の正当性を失ったのである。
 敷地内天神峰部落を縦断する通称「団結街道」。その北方に反対同盟の現地闘争本部がある。この現闘本部が、九〇年一月から今日にいたるまで国土交通大臣の権限で強制封鎖処分にされ、建物全体が鉄条網で巻かれている。
(写真 成田治安法の封鎖処分で12年間も強制封鎖されたままの反対同盟・天神峰現地闘争本部)
 一体どんな「犯罪行為」があったのか。何もない。あったのは現闘メンバーら支援者がこの建物に「出入りした」という警察官の現認報告だけである。現闘メンバーは「暴力主義的破壊活動者」とされた。そういう者たちが出入りしたことは「違法行為」であると旧運輸省が認定したことで建物が封鎖された。
 空港南側の南三里塚にあった「三里塚闘争会館」。ここも同じ理由で強制撤去処分となり、今では跡形もない。「財産」もろとも叩き壊され、一銭の補償金も出なかった。犯罪行為は一切存在しない。この建物を使ったことそのものが「違法」とされた。これが他でもない、この日本国内の現実である。成田空港だけに適用される法律ならざる「法律」、それが成田治安法だ。
    *

 ●常軌逸する

 葉山 「現闘本部などの封鎖・撤去は成田治安法の異常性をまざまざと示しています。近代法の大原則では人間の行為以外は裁けないのですが、治安法では空港反対派が住んだり、出入りする建物自体を破壊できると規定しました。このような規制は消防法の特殊な場合にしか認められていない。にもかかわらず同法では『破壊活動者』云々という一方的な認定を受けた支援者が、建物に出入りしただけで建物が破壊できる。むちゃくちゃです」

――現闘本部は会議場や事務所として使われていただけですね。

 葉山 「党派の活動家や現地に常駐する支援者が反対同盟員に会うために出入りしていたことはあたり前の事実ですが、これが『集合にあたる』と建物を撤去したり、封鎖したりしたのです。建物が何か犯罪を犯したのか。そんなことはありえるはずがない。常識です。 
 実際に国会で論議された話ですが、例えば、忠臣蔵で四十七士が吉良邸への討ち入り前にそば屋で食事をした場合、そば屋の建物を没収したり、壊すことはどのような法律でもできません。建物自体には何の罪もないからです。しかし治安法ではそれを可能にしている。財産権も何もない。まさに常軌を逸している」
   *

 ●事実無根だ

 治安法の論法でいくと空港反対闘争に利益を与える一切がいけないという話に行きつく。支援者に食事を提供する食堂にまで「支援者には売るな」という法律を制定できることになる。空港反対闘争禁止法と言われるゆえんだ。
   *

――他にも問題山積ですが。

 葉山 憲法を頂点とする戦後法体系そのものを破壊している法律です。成田治安法は「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」と言い、表向きは「成田空港の安全を確保する」という趣旨です。
 しかし、空港の安全と団結小屋の規制とはまったく関係がない。3・26の管制塔占拠で団結小屋が出撃拠点になった事実はありません。警察官僚が国会で証言しています。
 だが、もし仮に事実だったとしたらどうか。前の日に活動家たちが寝泊りした建物を権力が勝手に取り壊すことが許されるか。許されるわけがありません。そんなことは現行の法体系では不可能です。しかしそれを可能にしたのが成田治安法です。
 さらに『暴力的破壊活動者』という言い方で、支援者すべてをひっくくり、事実上「空港反対、国家に逆らう思想」を裁いているわけです。戦後憲法が定めた、思想・信条の自由を真っ向から否定している。
 手続きがこれまたひどい。建物を破壊する権限を、空港建設の当事者である国土交通大臣に与えている。土地収用法の場合ですら第三者機関=収用委員会の裁決が一応ある。破壊活動防止法でも縛りがかかっていて、形式的ですが第三者機関の審議がある。成田治安法ではそれすらない。おどろくべき治安法です。しかも他人の財産を撤去するというのに『告知・弁解・防御の機会』すら与えられていない。これは憲法三一条(適正手続き)、一九六二年の最高裁判決にすら違反している。
 結局、『空港の安全確保』は口実なんです。成田治安法の本当の目的は反対闘争それ自体を破壊すること。そのために支援者の生活拠点である団結小屋を強制的に撤去することが狙いです。国による反対派への襲撃ですよね。国の中央権力に反抗した地方の村に、国が軍事力で侵攻したといった方が事実に近いと思います。イスラエルによるパレスチナ人民への攻撃と一緒です。

――なるほど。

 葉山 「成田の団結小屋撤去とは、そういう問題だった。それを可能にした。法律ならざる法律が国会を通過した。現代の『民主主義』はこうした非合法な国の暴力によって成り立っている。この点が決定的に重要です。
 だから三里塚農民が実力で抵抗することは正義なんです。国が自ら法の枠を破った時、これに実力で抵抗することは正義であるに止まらず義務ですらある。これを否定する者は、民主主義を語る資格がなくなる。『抵抗なくして民主主義なし』とはそういう問題です」(つづく)

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週刊『三里塚』(S601号2面3)

 北総の空の下で

 来年はデュエット 新春を奏でる

 今年の反対同盟旗開きは一月十三日でした。三里塚は毎年、全国に先がけてたたかいの旗を開きます。旗開きの前段の新年デモが戦闘開始の宣言です。
 デモ隊は東峰神社に立ち寄ってお参りしました。昨年十一月に植樹した白カシが根づいて、春に若葉の芽吹くことを願いつつ、しめ縄も飾りました。最前線の抵抗拠点・東峰神社こそ闘いの守り神です。
 デモ部隊
 東峰神社に初詣で
   植樹の白カシ
      天を突く
 旗開きで反対同盟は、全国に暫定滑走路開港阻止の檄を発しました。訴えに応える発言が続く中で、〃新春”を奏でてくれたのが群馬県実行委員会代表・小池正男さんのハーモニカです。巧みに伴奏もつけながら新年にふさわしい「さくらさくら」の変奏曲を披露してくれました。
 子どもの頃、皆一度は手にしたことのある楽器だけに「赤とんぼ」「故郷」などの曲と重なって、とてもなつかしい音色です。
 その夜、現闘メンバーでちょっとしたハーモニカ談義となりました。すると後日、ハーモニカとテキストを購入した同志まで現れました。来年は小池さんとの珍しいデュエットが実現するかも(?)。
 会場でもう一つ話題になったのが市東孝雄さんの落花生です。豆の甘味は脂肪の量に比例するそうですが、とくに油分の多い「千葉半立ち」という品種を袋詰めにして会場でも販売したのです。
 収穫、天日乾燥、脱粒、選別、水洗いの後再び乾燥、殻煎り(からいり)と、とても手間のかかる工程を経てでき上がった味は絶品。孝雄さんの農業にかけた意気込みを、舌鼓打ちつつ皆で味わいました。(北里一枝)

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週刊『三里塚』(S601号2面4)

 三芝百景

 三里塚現地日誌 2002

 1月23日(水)〜2月6日(水)

●援農隊の感想文 昨年10・7集会後、反対同盟の援農を行った関西の労働者、学生の内5人の感想文が掲載された関西実行委員会の「実行委ニュース」が届いた。中でも学生の文章が新鮮だ。「鮮烈に頭の中に刻み付けられた言葉があります。鈴木いとさんが9・11について言われた『あれはスカッとした。こっちも(成田空港の)管制塔に突っ込んだらイイんだ』の言葉です」「三里塚で闘っているすべての人に、最大限の『ありがとう』を送りたい」「この感動は自分の行動(実践)で表現するべきだと思います」。三里塚は若い人を育む地味豊かな大地だ。(23日)
●反対同盟若手が団結旅行
萩原進事務局次長をはじめとする反対同盟若手メンバーは、栃木県の佐野厄除け大師へ団結旅行に行った。(26日)
●大学2年生が長期援農に 
地方の大学3年生T君が2週間の予定で、援農闘争にやってきた。空港南端の芝山町朝倉部落にある野戦病院を宿舎にして敷地内、敷地外の反対同盟農家で、連日農作業を手伝っている。T君は三里塚初体験。「警察権力のいやがらせの数々に腹が立つ。今後の自分の生き方について深く考えさせられた」と語ってくれた。(26日)
●動労水戸団結旗開きに北原事務局長 北原鉱治事務局長は、茨城県水戸市で開かれた動労水戸の団結旗開きに参加して、暫定滑走路開港阻止決戦をたたかう決意を表明し、「労農連帯」の意義を訴えた。(27日)
●一坪共有地の立ち木を違法に伐採 空港公団が1月中旬、天神峰にある鈴木幸司さん名義の一坪共有地の立ち木を勝手に伐採したことに対して鈴木幸司さんと顧問弁護団は公団と成田市役所に抗議の文書を送り弾劾した。(28日)
●工事実施計画取消訴訟の控訴審が結審 反対同盟が最初に起こした行政訴訟である成田空港工事実施計画取消訴訟の控訴審公判が開かれ、弁護側が最終弁論を行って結審した。(2月5日)
●関西実の安藤さんが現地調査 関西実行委事務局長の安藤真一さんがスライド撮影のため三里塚を訪れた。1年4カ月ぶりの訪問だが現地の激変ぶりにびっくり。滑走路工事による農村破壊に怒りを露わにしていた。関西実行委はすでに3・27集会を決定し決戦体制を整えている。これに続こう。(6日=写真

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