SANRIZUKA 2005/04/01(No676
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週刊『三里塚』(S676号1面1)(2004/04/01)
“北側延伸”粉砕せよ
NAA 東峰区を再び脅迫
「無条件で暫定路閉鎖すべき」 東峰住民
身勝手すぎる“謝罪”
開港の暴挙開き直り 始めに買収ありき
暫定滑走路の「北延伸」問題について国土交通省から決断を迫られているNAA(成田空港会社)が、「謝罪文」と「早朝・深夜の運用制限案」をもって、東峰区に「話し合い」を持ちかけていることが一部で報道された。会社側は「地権者側に投げた最後のボール」と強調してはばからない。移転に応じないなら「いよいよ北延伸だぞ」という新たな脅迫である。相変わらずの農民無視、恫喝政治に反対同盟と東峰区住民の怒りは頂点に達している。「北延伸」粉砕、暫定滑走路閉鎖へ闘いを強めよう。
3月12日付け読売新聞千葉版は「成田国際空港会社が『謝罪文』の素案を反対派地権者らに提示していることが、11日わかった」と報じた。さらに同紙は「用地交渉にあたり同滑走路の深夜早朝便を日中に変更する案も提示している」と指摘した。NAAは1月12日の北側一雄・国土交通大臣と黒野匡彦社長の会談で、暫定滑走路の2500b化にむけた地権者との交渉努力(南側への延伸)について、「3月末までに終了するように」と迫られ、「事態が進まない場合には北延伸について決断するように」と求められた。
「努力期限」の3月末が間近に迫る中で、空港会社は「最後のカード」を切ってきた。「会社側に痛みを伴わない提案では交渉を求める余地もない」という偽善の立場から「深夜・早朝便の一部について日中に廻わす運航制限をする」という「譲歩案」を提示、暫定滑走路についても「地権者の合意をえずに1カ月前倒しで開港したことを陳謝する」という「謝罪文の素案」を示すことで、「交渉のテーブルにつくように」東峰区に迫るものだ。
しかし、東峰区はNAA側の「強要」を拒否、暫定滑走路の閉鎖まで闘いぬく姿勢を改めて鮮明にした。
NAAのあいも変らぬ農民無視、住民蔑視に今さらながら怒りがこみあげる。NAAは「謝罪」だの「譲歩」だのとキャンペーンしているが、「最後のボール」と彼ら自身公言しているように最後通牒的な脅迫なのだ。「今度の提案を飲まなかったら北に延伸しジャンボ機を飛ばす」「今度こそ住んでいられなくなるがそれでもいいのか」というわけである。
萩原事務局次長の怒りの談話にもあるように、政府・NAAは確信犯なのだ。他人をいきなりぶん殴る。それでも屈服しない時は「謝罪」と称して武装解除させ、再び何倍もの暴力で殴り始める。こんな三流芝居を何度くり返したことか。農民をみくびるにもほどがある。
「謝罪」と言うなら、少なくとも暫定滑走路の開港以前に戻すことが本筋だろう。まずは閉鎖することが大前提である。国家と資本の論理を好きなだけ振り回し、空港反対農民や支援者をさんざん痛めつけておいて「公益のためだからガマンを」「上場まで時間がないからご理解を」では虫がよすぎる。そういう発想自体が根本から弾劾され、問われていることに、そろそろ気が付くべきだ。
NAAはいよいよ追いつめられた。彼ら自身「北延伸」などやりたくもない。延伸したところで、法律と安全基準を破らない限りジャンボ機など飛ばせはしない。まったく無駄な数千億になることは明らかだ。だから北側国交相の「交渉努力を打ち切って延伸の正式決定を」の要求にも抵抗した。しかしその猶予期限も尽きようとしている。
三里塚闘争を闘う労農学は、脅しのための「北延伸正式決定」粉砕へ前進するのみである。3・27集会の成功をバネにさらにNAAを追いつめよう。
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週刊『三里塚』(S676号1面2)(2004/04/01)
萩原進さん怒りの談話
「謝罪」だ?!あきれ果てる コメントにも値しないよ
空港会社が東峰部落に「謝罪文」を提示したとかなんとか、一部で報道されたけど、期限を切って用地内の地権者を追い出すと、さもなくば暫定滑走路を「北側に延伸する」と脅しているのがNAAと国交省でしょ。この勝手な姿勢は40年間まったく変わらないわけだ。この期におよんで何を「謝罪」するというのか。いろんな取材もくるけど、俺らがコメントするに値しないような話だ。
そもそも人をけっ飛ばしておいて「謝る」という感覚が許せないでしょ。二度と強制手段は使いませんとか、地権者の同意なしに新しい滑走路は造りませんとかいう国の確約はどうなった? いまこうやって毎日暫定滑走路からジェット機を人の頭の上に飛ばしている現実こそが批判されるべきでしょ?
相手は確信犯なんですよ。何でもいいから滑走路を造ることしか頭にないわけ。力ずくで開港して力で脅して、それで俺ら住民が屈服すればおしまい。開港の障害だった村の神社の木を伐採した事件(01年)も同じ。一坪共有地や人の畑を権力を頼んで取り上げてしまおうという提訴も同じ。まず人の顔を思い切り殴るのが奴らのやり方なんだよ。それで住民が屈服すればそれまで。
ところが予想に反して俺らが屈服しなかったらどうなるか? 窮地に立たされて今度は「謝罪」とかね。いったい政府はこの40年間で何回「謝罪」したことか。例の公開シンポジウムや円卓会議(91年〜94年)も同じ。政府は「謝罪」して見せるわけですよ。
ふつうは「謝罪」したら悪さを認めたわけだから引き下がるのが筋でしょ。ところが「謝罪」したのに住民が出て行かないのはケシカランとなる。それで滑走路の「北側延伸」でジャンボ機を飛ばすぞと脅す。この一年間、NAAの黒野(社長=元運輸事務次官)はこれでさんざん俺らを脅してきた。それでも東峰部落はだれも屈しなかった。それで今回の「謝罪」ですよ。権力者というのは根本的に俺ら農民を人間として扱っていない。
だからコメントにも値しないというんだよ。「謝罪」も何もないわけよ。彼らにはそんな気は毛頭ないんです。本当に謝罪する気があるなら、何も言わずに黙って滑走路を閉鎖しなさいという問題。それが40年も農民を虫けらのように扱ってきたことの当然の帰結でしょ。
2年後に上場を控えて空港会社は追いつめられている。奴らは何度でも同じことをやってくる。暴力と買収のくり返し。これしかないんだ。
むこう半年が「北延伸」をめぐる決戦だ。三里塚闘争40年の真価が問われていると思う。(談)
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週刊『三里塚』(S676号1面3)(2004/04/01)
会社側次つぎ馬脚
現闘本部裁判で同盟 登記、地上権で圧倒
天神峰現闘本部裁判は、地上権をめぐる本格攻防に入った。2月3日の第4回口頭弁論の後、反対同盟は求釈明書を千葉地裁に提出し、空港会社側を追及した。その内容は@NAA側書面には「石橋政次は所有地を無償で使用させたに過ぎない」とあるが、石橋と同盟間の法的関係はどのようなものと主張するのか。
ANAAは「同盟と石橋の間で地上権を設定した事実がない」と主張しているが1988年以後、年額5万円の地代を支払っていた事実も否認するのか。
B「鉄骨造り建物と既存の木造建築との間に同一性はない」と主張しているが、既存の建物の増築にあたらないという趣旨か。
C訴状では本部建物が「未登記」とし、第4回弁論では木造建物について逆に「登記されていることは認める」としている。では訴状での「未登記」という主張は維持するのか……。
これに対してNAA側は@石橋政次と反対同盟との法律関係は「使用貸借」。A木造建物と鉄骨造り3階建とは同一性がない。B地代の支払いについては否認する。C訴状にある「未登記」の主張は鉄骨造り建物が未登記であるため維持する、と従来の主張をくり返すだけだった。
ここで「使用貸借」とは無料の貸し借り関係で法律的にもっとも弱い権利のこと。NAA側は反対同盟にはこの弱い権利しかないのだから地権者(NAA)の要求に従って「すぐに撤去せよ」と言いたいのだ。
「木造建物と鉄骨造り建物の同一性がない」という主張は、「同一性がある」となると鉄骨造りについても地上権を認めることになるため苦しい強弁を行っているもの。しかし、登記されている木造建物については何も主張できないのだ。両者が同一であることは現場検証をすれば一目で分ることだ。「使用貸借」も反対同盟が地代の領収書を示せば決着がつく。NAA側の無理は明らかだ。
天神峰現闘本部裁判は3月24日の口頭弁論をもって核心的争点でNAAを追いつめる過程に入った(詳報次号)。支援する会をさらに拡大し勝利へ進もう。
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週刊『三里塚』(S676号1面4)(2004/04/01)
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実 (4)
裏切りを断罪するとは
譲れない闘争の原則
真の団結と信頼培う源泉
反対同盟は、1966年7月4日の空港閣議決定からわずか1月で、条件派の発生という深刻な課題に直面した。8月25日に開拓部落を中心にして成田空港対策部落協議会が作られ、67年3月6日には古村を中心にした成田空港対策地権者会が旗揚げした。
反対同盟は、こうした条件派組織弾劾の闘いを積極的に展開したが、そこには今日に連なる重要な闘争原則が貫かれていた。「裏切りは許さない」という闘いの根幹を形成する原則だ。今日までの40年間を貫通する重大なテーマである。今週は闘争史の解明からいったん離れて、この闘争原則の問題を掘り下げる。
萩原進さんは条件派の発生について次のように語る。「富里空港建設の時と比べて、政府と公団のやり方の際立った違いが閣議決定のスピードと条件派組織立ち上げの速さだった。前回述べたように開拓農民を中心とした条件派は66年8月には旗揚げした。古村を中心とした条件派『地権者会』も67年3月には正式発足した。前回の写真にもあったけど、『部落協』が作られようとしていた時、天神峰にあった県の北部林業事務所で連中の会議がやられているのが発覚した。300人ぐらいで押しかけて弾劾した。俺はその時参加できなかったけど、当時の雰囲気を伝えている。
俺が参加したのは、800年の歴史とも言われた取香部落の大地主・岩沢多門の家にやはり300人位で押しかけた時。家人は電気を消して戦々恐々としている所へブリキのドラム缶をガンガン叩いて、『裏切りは許さねえ』と言って抗議したよ」
萩原さんはこうした裏切りや敵対に厳しい態度を取つづけてきたことが三里塚闘争の前進にとって決定的だったと指摘する。
「三里塚闘争の歴史は、厳しい言い方をすれば半面脱落と裏切りの歴史だよ。幹部の場合だけを見ても婦人行動隊副隊長大竹はなに始まり、芝山側の筆頭副委員長だった瀬利誠の裏切り(1976年)、そして1979年から始まった島寛征事務局次長(当時)と政府・加藤紘一との「話し合い」交渉、石橋政次の裏切り(82年)、83年3・8脱落派の闘争破壊、小川派の分裂(87年)……。
(写真 40年にわたる三里塚闘争は農民自身の厳しい自己検証によって維持されてきた)
こういう歴史の中で三里塚闘争が骨格を維持して政府・公団、空港会社を圧倒しつづけて来られたのは、裏切り・脱落をあいまいにしない、厳しいが原則的な態度だった」として次のようにつづける。
「他人の脱落に対する態度の大切さと難しさを自分の問題として痛感したのが1982年の石橋政次(当時反対同盟副委員長)の裏切り・脱落の時だった。石橋というのは孤独な男で天神峰部落の中に仲間もいず相対的位置も低かった。目端が利くという点で面白い所はあったが、空港反対闘争がなかったらそれほど注目もされない一生を過ごした男だったと思う。
部落内には彼より力のあるボス格が他にいた。彼は仲間がいないもんだから、俺の家によく来た。来やすかったんだな。多い時は1日3回も来たことがある。俺が結婚したのは1970年だけど石橋には仲人を頼むほどの間柄だった。長男の武司はおれと同世代ということもあって、兄弟のような仲だった。石橋家は同盟内でもっとも親密だったといっていい。その石橋が誰に相談もせず公団と条件交渉を行っていた。親しかった俺も寝耳に水だった。しかも戸村一作委員長亡き後のリーダーだよ、彼は。その石橋が82年2月に裏切った。ショックだった。心が痛んだ。
この時、『裏切り者許さず』という闘いの原則の深い意味を思い知った。あの石橋を弾劾に行くということは、自分自身の闘いへの態度を決めなけりゃならないわけだ。自分自身が腹を決めなけりゃ他人の弾劾なんてできない。裏切りの弾劾とは自分自身に対する自己確認であり、退路を自ら断つということだ。ここのところをあいまいにしたら、金や暴力、物量で圧倒的な国家権力を相手に真剣な闘いはできない。他人への批判はそのまま自分に返ってくる。しかもこれは1度確認すればそれですむという問題じゃない。闘いの局面、局面で自己点検し自己変革をしなかったら他人の批判、弾劾はできない。自分に厳しくするためにも『脱落の自由』を認めることはありえないんだ。皆、農民無視の成田空港建設を許せないと思っている。しかし問題はこれとどこまで闘うか、屈服するかなんだ。絶えず自己確認が迫られる。人の裏切りを認めたら終わりなんだ」
「この問題は特に1983年3・8の同盟分裂にいたる過程で厳しく問われた。『脱落の自由』を認めるのかどうかということ。熱田派を引っ張った連中の考えは、石橋や当時の成田用水推進派(メモ参照)に対して、『他人の人生の選択についてまで介入できない』という立場だった。実はこれ、自分の問題なんだよ。自分があいまいだから人を批判できないわけ。簡単でしょ。闘争の原則なんて難しい理屈じゃない。どこまでやりぬくかということに尽きる。これが83年の分裂の核心だった。
そういう同盟の原則は、条件派への弾劾闘争を徹底的にやった66年、67年の段階から培われていたんだ。別の角度から言うと『権力への敵愾心』の表れとも言える。これは戸村一作流。同盟の仲間をろう絡し、破壊した権力への憎しみを新たにする闘いでもあった。実際につきあいを断たれて部落から移転せざるを得ない農家まで出た」
“人は人、自分は自分”では闘いは成り立たない――。こうして裏切りへの厳しい態度が三里塚闘争の不文律となった。
「でもね。厳しさの中から本当の団結や連帯の喜びも生まれる。闘いには汲めども尽きぬ楽しみもある。これを知ったらやめられない」
(つづく)
●成田用水推進派
1978年の空港開港後、運輸省は芝山町を中心とする敷地外の反対同盟を切り崩すため、農業振興策と称して成田用水事業を、従来除外されていた菱田地区にまで広げる攻撃をかけた。これは田んぼの基盤整備を中心に一戸あたり1千万円にのぼる補助を与えようという露骨な買収攻撃だったが、「反対闘争をつづけるためには農業基盤整備が必要」とのき弁で積極的に買収を受け入れる部分が発生した。これが成田用水推進派で、事実上の条件派分裂組織だった。
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週刊『三里塚』(S676号1面5)(2004/04/01)
反対同盟、3・20の先頭に立つ

反対同盟は東京・日比谷野外音楽堂で開かれた3・20国際共同行動集会に、北原鉱治事務局長をはじめ多数が参加し、6000人の労農学とともに「イラクの自衛隊は直ちに撤兵せよ」「成田の軍事基地化を許さない」と訴えた。
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週刊『三里塚』(S676号1面6)(2004/04/01)
辺野古住民、スパット台船撃退
7隻が攻防10時間
ボーリング阻止332日
3月16日、辺野古沖合いの海上基地予定地に、「スパット台船」と称するボーリング調査用大型ヤグラが運び込まれたが、基地反対住民の闘いで撃退された。
同日未明、那覇防衛施設局は闇にまぎれてタグボートで台船を曳航、夜間作業を強行した。ジュゴンへの配慮で「作業は日の出1時間前後から」という作業要領にも違反する暴挙だ。
反対住民の反撃が開始された。抗議船5隻とグリーンピースのゴムボート2艇が出動、反対派10人近くが台船に乗り移り座り込んだ。さらに抗議船が取り巻き固定作業を阻止した。抗議船に群がる施設局、業者、海上保安庁など30隻以上が入り乱れ攻防がつづいた。
海上保安庁は抗議船・ゴムボートを引っ張って台船から引き離そうとしたが、10時間におよぶ攻防で台船の固定設置を阻止したのだ。ボーリング着工から332日、施設局は63カ所あるボーリング調査のうち1カ所も実行できていない。海上基地建設粉砕までともに闘おう。
(写真 スパット台船を占拠した反対住民)
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週刊『三里塚』(S676号1面7)(2004/04/01)

日本人はどのくらい牛肉を食すか。02年度の一人あたり年間供給量は10・1キロ。アメリカは43・9キロで4倍以上だ。米畜産業界は日本人にもアメリカ並みに食わせろという▼55年体制が発足した頃は一人当たり1・2キロしか食べなかった。万博の70年で一人2キロ。ここらが転換点で、以後50年間で当時の5倍も食べるようになった。特に91年の輸入自由化以降は急増し、焼き肉屋チェーンは大流行…▼牛肉自給率は1985年の時点で72%。なかなか高水準だった。それが01年には36%まで落ちた。牛肉は「安くておいしい」食材となり消費量も急増、牛丼は2百円台にまで値が下がった。国内畜産農家の悲鳴はかき消された▼BSE(牛海綿状脳症)問題でライス長官の直談判を受けた日本政府は解禁へまっしぐら。「食と農の再生プラン」(農水省)が掲げる「消費者保護の視点」のウソは露わとなった。トヨタなど大資本の強い意向は「農の放棄」▼政府のいう「消費者保護」は、力の弱い個々の消費者保護ではない。グローバル経済の名の下に食材を世界から調達、「安くておいしい」食生活を享受する現代的“食システム”全体の強化だ。抗生物質の多用で耐性菌が拡大した米国牛肉に、放射線が照射されている現実など関係ない▼ところで70年度に日本人は米を年間60キロ食べていた。それが今は30キロ。流通自由化で米価は急落、米農家の生計は破たんし、もはや安全な米は一部でしか手に入らない。一方で安い牛肉が大量に出回る現代の食システム。「自己責任で牛丼を食え」という問題ではない。
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週刊『三里塚』(S676号1面8)(2004/04/01)
闘いの言葉
最高裁棄却決定を見てこれほどの怒りをもったことはない。新証拠を見ず決定を下した裁判官を許せない。冤罪が晴れるまで勝利の日まで一生闘いぬく。
3月17日、狭山差別裁判で無実の石川一雄氏
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週刊『三里塚』(S676号2面1)(2004/04/01)
イラク人民のレジスタンスと自決の権利
武装解放闘争は占領と戦う正当な手段だ
イラク情勢−−米有志連合は窮地に
抑圧された側の暴力
吹き飛ぶ戦車に歓声轟く
●イラクにはレジスタンスと自決の権利がある(インフォーメーション・クリーニング・ハウス投稿=ガリ・ハッサン氏)
◇
イラク侵略と占領は計画された<帝国の征服>であり、大量破壊兵器や9・11の攻撃、あるいはイラクの「解放」とは何の関係もない。それは偽りだったことが何度も証明された。イラク占領の目的は石油を含むイラクの天然資源を支配し、イスラエルの中東におけるシオニズム政策を支持するためだ。
イラク社会の計画的な破壊と占領が始まって以来、西側世界の(一部の)反戦運動は「原理主義者」による「暴力的な」レジスタンスを支持せず沈黙を守っている。この主張を広げているのは不幸にも占領軍とブッシュである。
しかし暴力は占領によってもたらされているのであって、占領を終わらせるために戦っている人々によってではない。武力的な抵抗は、外国の軍隊による乱暴な占領から生じているのである。侵略者を殺す人々が「テロリスト」呼ばわりされ、暴虐な統治を押しつける殺人者が西側「文明」の高貴な男たち(女たち)というわけだ。
アメリカの公民権が叫ばれたときキング牧師はこう語った――「世界で最大の暴力調達者である自分の国を最初に批判することなく…抑圧された側の暴力に反対する声をあげることは私には決してできない」
レジスタンスの目的はイラクから外国軍隊を無条件で撤退させイラクの主権を取り戻すことだ。レジスタンスに外国人がいるというが、外国人はむしろアメリカ、イギリス、イタリア、ポーランド、オーストラリアの軍人だ。もしレジスタンスと一緒に戦う外国人がいるなら、彼らはイラクの同胞に歓迎されるだろう。
オーストラリア政府はアメリカ、日本、イギリスの「同胞を助けるため」にイラクに兵士を派遣する。それなのになぜイラク国民はイスラムとアラブの同胞に助けを求めてはいけないのか? イラク国民には外国の侵略者に反対し、自分たち自身と自分たちの国を守る合法的な権利がある。
(写真 米軍の大型車両を仕留めたレジスタンス戦士。彼らは市民軍だ【ファルージャ】)
国連憲章および数多くの国連決議は、国際法は占領を終わらせるために「処置に必要なあらゆる方法」を用いて、不法な占領に抵抗する国民の権利を保証している。外国の大国から独立した自決権はイラク国民が自己を統治する権利だ。イラク・レジスタンスが中東その他の場所でアメリカ帝国主義を阻止するだろう。
【Ghali Hassan ガリ・ハッサン=西オーストラリア在住。カーティン大学科学・数学教育センター勤務。イラク問題やパレスチナ問題で多く発言している】
◇ ◇
【イラク情勢日誌】
■3月7日 月曜日
サマワを中心とするムサンナ州の治安維持権限が7日、オランダ軍から英軍に移管した(共同)
(写真 レジスタンスの後方は限りなく深い。補給も途切れない。彼らは人民の海で戦う)
《バクーバ》レジスタンスとの戦闘でイラク治安部隊5人が死亡。急行した警察車両が自爆攻撃を受け警官2人が死亡(IM)
《バラド》爆弾攻撃で国家警備隊20人以上が死傷(ロイター)
《サクラウィーヤ》レジスタンスが米軍を攻撃、米兵4人死亡。
《ラマディ》自動車爆弾で米兵4人死亡
《ファルージャ》米軍陣地に砲撃。米兵7人死傷
《バグダッド》米軍がモスクを急襲。レジスタンスの果敢な反撃で撃退された
《モスル》自動車爆弾で米兵22人が死傷
■3月8日 火曜日
《ラティフィヤ》首を切断されたカイライ軍の15遺体が発見された(AFP)
《アル・カイム》射殺された警察官の遺体20体が見つかった(同)。米軍基地が砲撃された(IM)
《ラマディ》レジスタンスと米軍が市内で1時間の戦闘、米兵19人が死傷。米軍検問所では米兵11人死傷
《ファルージャ》米軍基地が砲撃され15人死傷。
《バグダッド近郊》米軍パトロールに路上爆弾。米兵8人死傷。米兵が自殺
《バグダッド西30キロ》路上爆弾が米軍ハンビーを破壊、米兵4人死傷。別の米軍車列も攻撃され米兵4人死傷。
イタリア軍が撤退表明 日米“悪の枢軸”に人民の怒りが集中
《バクーバ》米軍コンボイに路上爆弾。装甲車輌が破壊され米兵7人死傷
《ディヤラ州》自爆攻撃で米兵11人死傷。
《モスル西部》ハンビー4台の米軍車列にレジスタンスの自動車爆弾が突入。米兵8人死傷
キルクーク国際空港に4発のグラード・ロケット。3つの黒煙が上っている。
レバノンのイスラム教シーア派ヒズボラ(神の党)が、シリア支持のデモをベイルートで行った。アラブ各地の新聞報道では100万人以上が参加(BBC)。レバノン政府の公式発表は150万人。米FOXニュースは「数千人」。
タイで5月行われる多国間合同軍事演習「コブラゴールド」に陸上自衛隊が初参加する(時事)
■3月9日 水曜日
バグダッドのホテルで自爆攻撃。このホテルはイラク警察に利用されていた(ロイター)。車列の米兵12人死傷。内務省ビルが砲撃された(IM)
《ファルージャ》自動車爆弾で米兵9人死傷
《ハッバニーヤ》米軍基地が大規模な砲撃を受けた
《ヒート》米軍基地砲撃
《サラアドディーン州》爆弾で米兵14人死傷。
《バビロン州》米軍パトロールの8人死亡。
《ヒッラ》米軍基地が砲撃された。
《タルアファル》レジスタンスが米軍戦車隊と交戦1時間。米兵15人が死傷。
《バスラ》英軍が攻撃され14人死傷。
2月のレジスタンスによる攻撃は726回(AP)
■3月10日 木曜日
モスルで10日、シーア・サドル派の葬儀が攻撃され、少なくとも46人が死亡(AP)。サドル派はシーアのリスト派(イスラム革命最高評議会とダーワ党連合)と対立していた。
《バグダッド》警察幹部が射殺された(中東オンライン)。爆弾で米兵2人死亡。シーア・シスタニー派の軍事組織「バドル軍団」やクルド民兵が大量に警官に採用される(IM)
《サマワ》日本軍基地が砲撃された。
《ハディーサ》米軍輸送ヘリが撃墜された。
《ファルージャ》輸送部隊の米兵9人死亡。
《ディヤラ州》爆弾闘争で米兵5人死亡。
■3月11日 金曜日
《モスル》米軍基地が砲撃され食堂に命中。34人以上が死傷(IM)
《ラマディ》米軍と交戦、米兵9人死亡。レジスタンスも2人死亡。爆弾闘争で米軍3人死亡。
《アンバル州》米軍車列を自爆攻撃。米兵9人死傷、装甲車2輌破壊。
《サーマッラ》米軍パトロールとレジスタンスが交戦。米兵7人死傷。
《バイジ》米軍ヘリが撃墜された。
《サマワ》連日の砲撃、日本軍基地に着弾。
アフガン北部では、この冬の厳しい寒さに加え、暖房もなく食糧も乏しい中で報告されただけで600人が凍死した。これが米軍の侵攻で「民主化された」アフガニスタンの現実だ。
■3月12日 土曜日
《ハッバニーヤ》米軍が小中学校を襲撃。暫定政府の日曜政策に従わなかったため学校を閉鎖(IM)
《ヒート》米軍ヘリが撃墜された。
《ファルージャ》爆弾闘争で米兵4人死亡。米軍が検問所でイラク市民4人を虐殺。レジスタンスは直ちに報復した。
《アル・カイム》米軍基地が砲撃された。
《ハディーサ》爆弾闘争で米兵5人死亡。
《ラマディ》爆弾闘争で米兵2人死亡。
《バグダッド》米軍車列を攻撃し、拘束されたレジスタンス幹部4人を解放した。参加した部隊は20人の戦士。11人の米兵が死亡。
《イスカンダリア》米軍ヘリが撃墜された。
《イラン国境》米軍基地が砲撃され米兵9人死亡。
《ティクリート》爆弾闘争で米兵3人死亡。
《サマラ》内務省特別部隊が無実の青年を拷問で虐殺した。レジスタンスは報復し国家警備隊9人死亡。
《キルクーク》米軍基地に砲撃。
《バスラ》パトロールの米兵6人、英兵3人死亡。
■3月13日 日曜日
《サマラ》米軍基地が砲撃され大爆発(IM)
《ラマディ》米軍がインターネットカフェを襲撃、店主など11人拘束。
《ファルージャ》爆弾で米兵4人死亡。非常事態が発令されたが「ファルージャ抵抗軍」(暫定政府が組織した治安軍。ファルージャ住民で構成)は全員出動拒否。北部では米軍と45分間の銃撃戦。米軍は南部から撤退。
《アル・カイム》米軍基地に砲撃。
《ハッバニーヤ》パイプラインを2カ所で破壊
《バグダッド》爆弾で米兵4人死亡。米軍がウラマー協会幹部を拘束。
《サマラ》米軍基地に激しい砲撃。
《バラド》米軍のF16が撃墜された。
《サラ・アドディーン》燃料輸送車列が攻撃され米兵4人が死亡。
《バビロン州》爆弾闘争で米兵7人死亡。
《ヒッラ》ポーランド兵1人射殺。米軍がインターネットカフェを閉鎖。
《モスル》警察の最高幹部をレジスタンスが処刑。
《タルアファル》米軍が女性と子供を虐殺。
《キルクーク》爆弾で米兵2人死亡。
レバノンのヒズボラが数十万人の反米大集会を開催(AJ)
■3月14日 月曜日
《アル・カイム》米軍がイラク市民3人を虐殺。報復で米軍基地砲撃(IM)
《ラマディ》米軍が30体の傭兵の遺体をユーフラテス河に投棄。
■3月15日 火曜日
《バグダディー》バグダッドの西190キロ。2重爆弾(1発目で米軍が集まったところを2発目が爆発)で米兵12人死傷(IM)
《アル・カイム》米軍が市民5人を虐殺。レジスタンスは報復の砲撃。モスクから動員指令。
《バラド》レジスタンス70人が、米軍500人の部隊を強襲。米軍は空爆したがレジスタンスはすでに退却。米軍は基地内に撤退、後にはM1戦車など多数の車輌が残置された。
ウクライナ軍が15日、撤退を開始。ウクライナ国防省によると5月までに計700人撤退、残り900人は12月までに撤退(タス)
●イタリア軍が撤退表明!
イタリアのベルルスコーニ首相は15日、イラク駐留のイタリア軍を9月から徐々に削減する方針を明らかにした。削減時期を明示したのは初めて(共同)
■3月16日 水曜日
《バグダッド》初めての「国民議会」開会。「統一イラク同盟」(140議席)と「クルディスタン・リスト」(75議席)が連立政権協議を続けているが、北部油田の帰属問題などで合意できず、新政府発足のめどはたたない(毎日)。会場の外ではレジスタンスの激しい爆弾闘争(AP)。砲撃もあり米兵4人死亡。バドル軍団4人死亡(IM)
●米軍がジャーナリストを暗殺
《サマラ》イラク・ジャーナリスト組合サマラ支部員、ロイター・AFP特派員ハリド・アブ・ジャマル氏が、正確な報道ゆえに米軍に射殺された(同)
■3月17日 木曜日
ブルガリア国防省は、中南部に展開する約450人の派遣軍を6月に約100人削減。近く完全撤退の決定を下すと明らかにした(ロイター)
米国防情報局はイラクの治安状況について過去2週間は1日50件前後の「テロ攻撃が発生」と発表。以前の1日約60件に比べ「減少している」と強調(AP)
ナジャフ州でサドル派がビラ配布。「シーアとスンニは肩を組み、占領軍を追い出すまで戦う。レジスタンスは完全に合法的かつ正義の戦い」(IM)
■3月18日 金曜日
サマワで18日、シーア派反米指導者サドル師派の聖職者が金曜礼拝の演説を行い、外国軍がイラクから出て行くよう強く要求した。また「イラク国民議会は撤退を要求していない」と批判した(時事)
《ハディサ》2重爆弾攻撃で米兵34人死亡(IM)
《アル・カイム》米軍がレジスタンスの攻撃から逃れるため、人質として子供10人を誘拐した。
《ラマディ》路肩爆弾で米兵6人死亡。
《ファルージャ》爆弾攻撃で米兵10人死亡。
《バグダッド北東部》ラシード米軍基地を50人のレジスタンスが攻撃。戦士たちは基地に突入し見張りの米兵3人を倒し基地内の車輌を破壊。米軍車輌を奪ってで逃走した。米兵は11人死亡のうえ同士討ちで4人が死亡。
米国防総省は「国防計画見直し(QDR)」の基礎となる「国防戦略」と「軍事戦略」を発表。ブッシュ大統領が02年9月に発表した「先制攻撃論」の維持を再確認した(産経)
イラク駐留米兵たちは、ポルノとドラッグに溺れている(LAタイムス)
アフガニスタンが、米軍によって不確かな容疑で拘束された人々の“国際拘置所”のハブになっている。バグラム空軍基地内にある通称「キャンプ・スラッピー(拷問キャンプ)」。ここにはアフリカ、中東、アジアから常時1500人の「テロリスト容疑者」が収監され、何処とも知れず連れ去られる(アフガンオンライン)
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週刊『三里塚』(S676号2面2)(2004/04/01)
米軍再編と成田空港 動き出した大規模戦争体制の実像E
大空港の確保が絶対的
座間移転は開戦準備
全国の反基地闘争と連帯を
米陸軍第1軍団の司令部(米ワシントン州)が神奈川県・座間基地に移転する問題で、膨大な地上兵力を運用する戦略空輸体制を、それを受け入れる日本側でどのように構築するかが死活的な問題であることを前回(674号)明らかにした。成田空港の米軍基地化はその中心課題だが、米軍が現在進めている軍の再編(トランスフォーメーション)を象徴する部隊の一つである“ストライカー旅団戦闘団”について触れておく。
地球規模で96時間以内に
ストライカー旅団戦闘団は、約3600人の兵員と定数309輌の「ストライカー」と呼ばれる新型の装輪装甲車を主兵装とする装甲機動部隊である。座間移転で焦点となっている第1軍団司令部の麾下で現在2つの戦闘旅団を編成、すでにイラク戦争の実戦に投入されている。地上部隊でありながら「世界のどこへでも96時間以内に展開可能」という緊急即応が身上で、兵員と装備のすべてを大型と中型の輸送機で空輸できる編成になっている。
「戦闘団」となつているのは、旅団内に戦闘部隊だけでなく情報、偵察、砲兵、工兵、兵站部隊などを常備している自己完結型の戦闘チームであることを指している。補給なしで72時間の独立した作戦が可能とされる。【それでも「72時間」であり、それ以後は補給がないと戦えない。この問題は別途】
(写真 イラクに展開するストライカー旅団。丸ごと航空機で派遣される)
装備は前記の装甲車309輌と1700輌の各種装輪車両からなり、戦術インターネットを使った情報共有機能によって、旅団のカバーする作戦区域は50キロ×50キロに達するとされる。これは第二次大戦時の機械化師団の作戦区域(17キロ×17キロ)の17倍、70年代の機械化師団の作戦区域(25キロ×25キロ)をも超えている。(※これらはあくまで平原戦での理論値。イラクのレジスタンスのような人民の海の中ではハイテク装備はほとんど役に立たず、現に翻弄されている)
前述のように、ストライカー旅団の特徴は戦場への迅速な展開である。イラクに派遣された同旅団の全装備は1万3000トン、積荷の床面積はフットボール場8面分にも相当する規模となった。これらをすべてC17大型輸送機などを使って、戦域の飛行場(クウェート空港など)に送り込むのである。兵員本体は民間チャーター機で空輸する。こうして3600人から5000人の戦闘旅団を96時間(4日間)以内に地球規模で遠征させる体制だ。通常はいったん中間支援地域(戦域兵站の拠点=イラク戦争ではクウェート。朝鮮戦争では日本)で部隊編成を整えてから戦場に移動するが、場合によっては戦場付近の野戦飛行場(即製の非舗装滑走路。戦場に隣接する地域が安定していることが条件)に旅団を直接送り込むことも可能だ。
この戦力展開(※ストライカー1個戦闘旅団=3600人)に必要な空輸作戦の規模は、大型のC17輸送機を使ってのべ288機分にもなる。成田空港のほぼ一日の発着枠の大半を独占する規模の空輸である。
(写真 C17から降ろされるストライカー装甲車。戦域での大規模空港の確保が絶対的だ)
ただし実戦ではこの程度の動員規模ではとうてい済まない。米軍が想定する朝鮮戦争(5027作戦など)での動員規模は50万人〜70万人にも上るとされているので、開戦直前の空輸規模は想像を絶するものとなる。従って、こうした大規模の空輸を受け入れる空港の“能力”が死活的な問題となるのである。兵員の受け入れと宿泊、移動手段の確保。膨大な貨物処理能力、鉄道や陸上輸送の徴発、等々。
動員兵力の半分程度が日本で部隊編成されると仮定しても、成田空港をはじめとする主要空港はかなりの程度で占有に近い状態に置かれるだろう。米軍支援法を含む有事法制で、成田空港などの施設や労働力の徴発・徴用に強制力を持たせた意味はここにあった。「米軍支援」とは、自衛隊だけが作戦面で米軍と一体化するにとどまらない。ほとんど米軍が日本を“再占領”するような事態が想定されているのである。
緊急即応的な地上部隊の展開という面で、前記のストライカー戦闘旅団とは別の意味で再評価されているのが第18空挺軍団(米ノースカロライナ州フォートブラッグ)である。相手国の領土内深くに対する「敵前パラシュート降下作戦能力」を最大の特徴とする軍団である。パラシュート部隊という名前は軽い印象をうけるが、米陸軍が編成している4個の軍団(第1、第3、第5、第18空挺)の中で、最大となる8万8000人を擁する。
軍団の中核は4個師団で、その内訳は第3歩兵師団(機械化=1・7万人)、第101空挺師団(空中強襲=1・7万人)、第82空挺師団(1・5万人)、そして第10山岳師団(軽歩兵=8000人)となつている。
この主力4個師団のうち機甲部隊の第3歩兵師団を除く3個師団は、いずれも輸送機による地球規模の緊急展開が可能な部隊として編成されている。「地球上のどこへでも地上軍を遠征させる」というコンセプトの米軍再編(トランスフォーメーション)の性格にあらかじめ適応した部隊だ。
この部隊が朝鮮戦域で展開する場合も、日本国内の空港施設や航空基地が相当な規模で徴発されることが大前提となる。首都圏では横田基地と成田空港の一体的な運用確保が絶対的である。
日本の座間基地に統合軍クラスの司令部、すなわち戦域で陸海空海兵の4軍を統括指揮できるトップ司令部が移転してくる問題の意味は明らかだろう。米ブッシュ政権は近い将来、1950年の朝鮮戦争の時のように日本全土を基地にして大規模な戦争を引き起こす準備を具体的に始めたのである。沖縄・辺野古の新基地建設もその大きな一環だ。そして成田空港をはじめとする日本国内の空港施設での大規模な米軍受け入れが死活的な問題として浮上しているのである。
三里塚闘争が当初から掲げてきた「軍事空港建設阻止」のスローガンを真に実現することが問われている。沖縄、北富士をはじめとする全国の反戦・反基地闘争と連帯し、成田空港の軍事基地化を粉砕しよう!
(おわり)
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週刊『三里塚』(S676号2面3)(2004/04/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2005
3月9日(水)〜3月22日(火)
●ほうれん草など葉物類に保温用“トンネル”設置作業
萩原進さん宅でほうれん草、小松菜、ラディッシュ、カブ、チンゲン菜などの保温のために「トンネル」と呼ばれるビニールをかける作業が行われた。(11日)
●NAA、「謝罪」で東峰区の切り崩し策動 NAAが東峰区農民を「話し合い」のテーブルにつかせるため新たな「謝罪文」を提示している、との報道がなされた。これと一体で、暫定滑走路の運用時間を1部短縮する「譲歩案」を国土交通省との間で検討していることも報道された。これは、国交相が設定した「北延伸」の3月末正式決定期限に追いつめられたNAAが「謝罪」と「譲歩」で“最後通牒”とする新たな恫喝攻撃である。東峰区住民はこれをはね返して闘っている。(11日)
●本多延嘉同志をしのぶ会に北原事務局長 東京都内で行われた「本多延嘉同志をしのぶ会」に反対同盟から北原鉱治事務局長が参加して、あいさつするとともに参加者と交流を深めた。事務局長は本多同志と酒を酌み交わした時の思い出話を披露、「革共同が先頭に立って今の体制を変える時が近づいている」と語った。(14日=写真)
●動労千葉のスト支援に北原事務局長 千葉市文化センターで行われた「05春闘勝利! 安全運転闘争―スト貫徹! 動労千葉総決起集会」に反対同盟から北原事務局長がかけつけ連帯のあいさつを行った。「労働者と農民の連帯、国際連帯で戦争にむかった反動政治を変えよう。三里塚反戦の砦を守り抜き日本の未来を切り開く」と述べた。(17日)
●日本航空に事業改善命令
2月から3月にかけてトラブルが相ついだ日本航空に対して国交省は事業改善命令の処分を行った。日本航空は2月28日、新千歳空港で無断で離陸行動を開始、3月9日には貨物機の整備ミスを放置、11日には韓国・仁川空港で滑走路に誤進入、16日には羽田発札幌行き便が非常用脱出装置を未セットのまま運航した。大惨事の発生に直結するミスの連続に対して国交省が処分を行ったもの。(17日)
●3・20集会に反対同盟参加
東京日比谷公園で行われた「いまこそ平和を守るとき国際共同行動3・20集会」に北原事務局長をはじめ反対同盟多数が参加。(20日)
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