SANRIZUKA 2006/02/15(No697 p02)

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第697号の目次

支援する会運動第2期陣形強化の取り組みを 2・23千葉地裁へ傍聴に行こう

弁論の後に毎回行われている「裁判を支援する会」例会(写真は05年3月24日)

1面の画像
(1面)
1・28闘争 “成田出兵”許さない!
自衛隊“隠密”で羽田に変更  空港内は超厳戒体制
記事を読む
本部裁判 第10回弁論 争点に注目 原告主張の虚偽に渾身の反論へ
地上権は揺るがぬ  「登記」「構造」「地代」等
軍事空港の完成を40年間阻み続ける現闘本部
記事を読む
支援する会運動第2期 陣形強化の取り組みを
2・23千葉地裁へ傍聴に行こう
記事を読む
ピンスポット 共生委はNAAの第2公報部
深夜の運航を容認
「第三者機関」なれの果て
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
イラク労働組合連合が声明
石油資源の富を帝国主義から取り戻せ!
「占領こそがイラク再建を阻む元凶だ」
公有部門の「民営化」はアメリカ資本による収奪
記事を読む
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実(23)
福田首相が開港を宣言  開港決戦前夜(上)
“100万人結集で阻むぞ”
ジェット燃料阻止 動労千葉、ストライキを宣言
産土参道で激突、48人逮捕/全国津々浦々に実行委
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北総の空の下で北総の空の下で 最先端の闘い

21年ぶり第1公園

1月後半は久々の大雪に翻弄されました。

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三芝百景 三里塚現地日誌 2006  1月25日(水)〜2月7日(火) 記事を読む

週刊『三里塚』(S697号1面1)(2006/02/15)

 1・28闘争 “成田出兵”許さない!

 自衛隊“隠密”で羽田に変更

 空港内は超厳戒体制

 1月28日、反対同盟は「自衛隊のイラク派兵阻止! 反戦の砦=三里塚を軍服に蹂躙させるな」を掲げ、空港西側の三里塚第1公園で集会とデモを行った。120人の労農学が参加し、成田空港の軍事空港基地化に反対する新たな闘争を反対同盟を先頭に闘いぬく決意を明らかにした。第1公園での集会は、1985年の10・20三里塚十字路戦闘(※注)以来21年ぶり。いまなお軍事空港の完成を阻み続ける三里塚闘争の健在ぶりを地元住民にアピールする集会ともなった。「首都圏精鋭部隊」と言われる陸自第1師団中心の第9次イラク派兵部隊は、当初「日本の主玄関」を標ぼうする成田空港からの出兵を計画していたが、結局、出発スケジュールを公表せず予定日を遅らせ、29日に羽田からの出国に切り替えた。

 21年ぶりの激戦の地で

 21年ぶりに第1公園での集会となった。ここは成田空港の完成をいまなお阻んでいる三里塚闘争の力を決定的なものとした85年10・20戦闘の激戦の地だ。
 集会の冒頭、北原鉱治事務局長は「21年ぶりの第1公園。三里塚は国家の暴力に負けなかった。感無量だ」と二期決戦の激闘を振り返りつつ、「60年前は戦争一色だった。天皇制に人々が動員され、アジアの2千万人を死に至らしめた痛恨の歴史がある。三里塚は反戦の砦として自衛隊のイラク派兵を阻止する闘いの先頭に立つ。成田空港からの出兵は何がなんでも阻止しなければならない」と訴えた。
 さらに成田の平和を守る市民の会から伊藤全明さんは「イラク戦争の発端はブッシュによる『大量破壊兵器』ねつ造だ。先の大戦で死の苦しみを強いられたことが忘れられない。イラク派兵を許してはならない」と訴えた。
 集会には動労千葉、婦人民主クラブ全国協議会、都政を革新する会、全学連などがかけつけ連帯のアピールを行った。このなかで動労千葉の滝口誠さん(特別執行委員)は、反対同盟との労農連帯の地平を確認しつつ、JRで相次ぐ大事故について「民営化による安全崩壊の結果だ」「闘いなくして安全なし」と弾劾、春闘への決意を表明した。
 集会後、参加者は空港に近い三里塚周辺のデモに出発、反対同盟の久々の登場に近隣住民の注目が集まっていた。

【注】10・20三里塚十字路戦闘 成田二期工事(B・C滑走路)の着工が迫る中、全学連と中核派は「空港突入」の事前予告通り第1公園の全国集会で武装し、空港近くの三里塚十字路で阻止線を張る警察機動隊と激突、空前の1万人警備体制を打ち破る2時間の白兵戦をやり抜いた。88年の春から強制収用攻撃が動き出したが、同年10月に県収用委員会を崩壊させ、破防法適用攻撃を乗り越える90年決戦を闘い抜き、二期工事計画を破たんに追い込んだ。10・20戦闘は一連の三里塚決戦を勝利に導く渾身の幕開けだった。
(写真 「成田出兵を許さないぞ!」と三里塚第1公園からデモに出発する反対同盟【1月28日】)

 成田、関空など標的 侵略戦争の兵站地

 成田空港、関西空港など処理能力の大きな空港は政府の言う「周辺事態(朝鮮・中国への侵略戦争)」「日本有事(※「周辺事態」が自衛隊による武力行使に発展する段階。日本が攻められるわけではない)」の際に、強制的に米軍に提供する取り決めとなっている。1997年の新安保ガイドライン締結時に米側が成田、関西、新千歳、福岡、那覇など「11空港・7港湾」の占有的使用を求め、政府はこれを秘密協定として受け入れた。
 成田や関西などの巨大空港の使用を米軍が要求する理由は、侵略戦争の兵站(兵員・武器・弾薬・燃料・糧食などを送り込む、いわゆる後方支援)規模が膨大になること。湾岸戦争では50万人規模の大軍団が空輸を軸に送り込まれた。戦域における兵站拠点は貨物処理や陸上輸送を含む処理能力が小さな空港では不可能で、拠点空港の確保が侵略戦争の成否を決する。
 現在、政府は「周辺事態法」発動で空港・港湾を米軍に提供する際に、強制力を明文で持たせる法改定の検討に入った。米軍側はこれについて「台湾有事(中国侵略戦争)が起きたら九州のすべての空港を使う」と日本側に要請している(読売1・11)。報道は「九州のすべて」(これだけでも現状では不可能)となっているが、実戦では「日本中のすべての空港」ということになる。
 現下の改憲攻撃は、こうした動きに激しく突き動かされている。「米軍再編協議」として報道されている日米安保の実戦化は、戦後憲法体制の範囲内では到底実現できない問題なのだ。
 成田空港の軍事空港化阻止の闘いは、沖縄の基地反対闘争と並んで、日米安保の実体を粉砕する死活的な攻防点である。

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週刊『三里塚』(S697号1面2)(2006/02/15)

 本部裁判 第10回弁論争点に注目 原告主張の虚偽に渾身の反論へ

 地上権は揺るがぬ

 「登記」「構造」「地代」等

 軍事空港の完成を40年間阻み続ける現闘本部

 2月23日、天神峰現闘本部裁判の第10回口頭弁論が、千葉地裁民事第5部(安藤裕子裁判長)で開かれる。今回が立証段階に入る前の最後の弁論となる。反対同盟側は今弁論で、空港会社側が現闘本部の登記名義人問題で根拠のない強弁を行ってきていることに真っ向からの反論を展開すると共に、領収書問題での虚偽の主張を暴く。建物の構造をめぐる論争で決定打となる現闘本部への実地検証要求を再び行う予定だ。傍聴にかけつけよう。
(写真 鉄骨3階造りに増築中の現闘本部。旧本部が保存されている【88年9月26日】)
 第10回弁論での焦点は、空港会社側が準備書面(8)で初めて主張してきた現闘本部の登記の名義人の効力についての反対同盟側の反論である。
 準備書面(8)で空港会社側は次のように主張してきた。
 1967年9月に現闘本部が登記された時に名義人が衆議院議員の「小川三男」になっていたことを取り上げて「登記の名義人が代表者の戸村一作になっていないために、登記は無効である」
 この会社側主張への反論を今回の弁論で全面的に行う。会社側の主張は苦しまぎれの言いがかりだ。反対同盟のような「権利能力なき社団」の場合、建物の登記は組織の名前をもってはできないため個人名をもって行うことになる。
 権利能力なき社団とは、その実体が社団(組織)であるにもかかわらず、法人格を有しないもので、町内会や学術団体などを指し、反対同盟もこれに入る。法人格を得てないため登記は、組織名義ではできない。そこで反対同盟は、「三里塚地区周辺に土地を持つ会」会長および「三里塚空港反対現地闘争委員会」の委員長の地位にあった小川三男さんの名義で登記した。ところが、空港会社は「反対同盟として建物を登記するには委員長である戸村一作の名前でないと登記の効力がない」と誤った主張を行ってきたのだ。そして、それを「補強する」と称する最高裁判例を持ち出してきた。
 しかし、この「判例」を検討すると現闘本部の登記問題とは無関係の参考にならない判例であることが明らかになった。
 「判例」が示す内容は「組織の代表者が個人の名前で不動産の登記をすることができる」と一般的な判断を述べているだけで、では「代表者でない人間が登記者となることができるかどうか」という、現闘本部裁判で争点となっている問題については言及していない。本裁判にとっては意味のない判例なのだ。
 一見、現闘本部裁判と関係があるかのようで、実はまったく次元の違う判例を持ち出して、裁判長に反動判決を促そうと言う見え透いた策動だ。追いつめられたあげくの対応である。
 第10回弁論では、会社側のこの詭弁を全面的に打ち砕く反論を予定している。そして、同盟側は逆に「総有建物の登記者は必ずしも組織の代表者であることを必要としない」という判断を示した別の最高裁判例(1994年5月31日)を示して「小川三男名義の登記は有効である」「登記された建物の存在が地上権の存在の根拠となる」との主張を盤石のものにする。
 前記判例は次のように判示している。「非代表者で登記名義人になった入会団体の構成員はそれ以外の構成員全員のために登記名義人になることができ、かつ登記手続き請求の訴訟を追行する権限を授与されたものとみられる」。つまり本部裁判になぞらえれば「反対同盟建物の登記人は代表者でなくてもよい」旨の明快な判断を示している。
 弁護側は地上権主張のしめくくりとして、以上の論点を中心に空港会社側を追いつめていく方針だ。

 領収書も存在する

 弁論ではさらに、前回につづいて領収書問題を主張する。第9回弁論で会社側は、れっきとした領収書があるにもかかわらず「領収書は石橋政次の相続人が領収書という意識がないまま署名したにすぎず、領収書ではない」だから「地代は支払われていない」という驚くべき主張を展開した。
 これに対して今回の弁論でも同盟側は「金の授受について領収書の提示以外にどのような証明方法があるか」「領収証には『地代として』というただし書きがある」等の主張を行う。
 さらに前回行った現闘本部建物の実地検証についても、「保留」の態度を取った空港会社側を追及し、引きつづき裁判長に強く実施を要求していく。

 天神峰現闘本部裁判は暫定滑走路の北延伸を焦点とする現地攻防の重要な一環だ。さらに傍聴闘争に取り組もう。支援する会運動第2期への取り組みを広げよう。

 地上権をめぐる3つの争点

 
反対同盟の主張
NAAの「主張」
建物の構造 鉄骨3階建ての本部建物は旧現闘本部建物(木造)を保存する形で、その上に「お神楽作り」の構造で増築したもので、本部建物の保存登記は有効であり、同盟の権利は建物保護法の対象になる 旧本部建物(木造平屋)は鉄骨3階建ての建物に解体・吸収されたため独立の建物としては存在せず、その登記は無効になった
地代の支払い 現闘本部の土地については1989年以来一貫して年5万円の地代が支払われてきている。領収書も存在している。また石橋政次は土地を分筆して同盟のために残し、自身の書いた「本部の土地についてはどのように使ってもらってもかまいません」という趣旨の念書も存在する。だから本部の土地に関しては反対同盟に「有償の地上権」が存在する 地代の領収証について地権者・石橋は「形だけのもの」の考えで署名したもので、地代を受領する意志は有してなかった。故に、領収書という表題があるからといって有償の契約の証拠にはならない
登記の名義人 最初の登記名義人が反対同盟代表者(委員長)ではない「小川三男」であったからと言って、登記の有効性になんら問題はない。最高裁判例は「代表者でない構成員の名による登記」をはっきり認めている 最初の登記者が反対同盟の代表者である戸村一作ではない「小川三男」になっているため、この建物登記自体が無効だ
提訴の無効性 天神峰現闘本部は成田治安法によって封鎖されているのだから「本部の建物を撤去せよ」という原告の提訴内容は実行不可能だ。不可能なことを求める法益はないので提訴自体が無効であり、却下されるべき 本部建物は成田治安法(新東京国際空港の安全確保に関わる緊急措置法)によって封鎖されているが、それでも判決を求める法益は存在する

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 《本部裁判関係年表》

1966年12月16日 現闘本部を建設67年9月20日 所有権を小川三男で登記
87年春 石橋政次が移転。本部敷地を分筆し同盟に残した
88年9月26日 木造の旧現闘本部を守る形で鉄骨3階建てを増築
90年1月16日 成田治安法で封鎖03年11月10日 石橋政次の相続人が底地を空港公団に売却
04年3月12日 空港会社、現闘本部の撤去を求めて提訴
6月17日 第1回弁論。同盟「封鎖建物の撤去は不可能で訴えが成り立たない」。
「支援する会」発足
7月1日 名義人を北原鉱治に変更
9月9日 第2回弁論
1月4日 第3回弁論、「本部建物は撤去不可能」との主張に会社側反論できず
05年2月3日 第4回弁論
3月24日 第5回弁論で会社側「旧現闘本部の登記」を認める
4月25日 会社側、準備書面で「旧現闘本部は現存しない」と回答
6月9日 第6回弁論
7月28日 第7回弁論
10月6日 第8回弁論で同盟側が地代の領収書や石橋政次の念書を示したことに会社側は沈黙
12月15日 第9回弁論で会社側は領収書を認めながら「支払っていない」と主張

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週刊『三里塚』(S697号1面3)(2006/02/15)

 支援する会運動第2期 陣形強化の取り組みを

 2・23千葉地裁へ傍聴に行こう

 天神峰現闘本部裁判は提訴以来約2年を迎え、地上権をめぐる本格的な論戦をやりぬくともに、いよいよ証人の出廷を求めるなど立証段階に入る。
 立証では、建物登記の事実、名義人の正当性や地代の支払いなど地上権設定に至る経緯が明らかにされようとしている。また、本部建物増築の構造などを詳細に立証するための本部建物に対する検証要求も行った。
 裁判は空港会社の不当な提訴を破たんに追い込む闘いの正念場を迎えている。
 同裁判闘争は、現闘本部を守ることで、天神峰・東峰区住民に耐え難いほどの生活権侵害をもたらしている暫定滑走路を閉鎖に追い込む闘いである。天神峰現闘本部裁判を支援する会運動へのさらなる取り組み強化を切に訴えます。
(弁論の後に毎回行われている「裁判を支援する会」例会【写真は05年3月24日】)

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会費納入方法について
年会費は1口3000円。団体の場合は出来る限り複数口でお願いします。
▼郵便振替【口座番号】00100−8−297055【加入者名】天神峰現闘本部裁判闘争を支援する会▼銀行振込:三井住友銀行成田出張所【店番号・口座番号】548−6592903【口座名義】伊藤信晴
銀行振込の注意
 銀行振込の方は、納入者の氏名等を正確に確認できませんので、連絡票(別途配布)を「支援する会」事務局まで郵送願います。郵便振替の方は、振替用紙に氏名・住所が書き込まれますので、連絡票は必要ありません。
《〒286-0111 成田市三里塚115(北原気付)/天神峰現闘本部裁判闘争を支援する会事務局》

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週刊『三里塚』(S697号1面4)(2006/02/15)

ピンスポット 共生委はNAAの第2公報部

 深夜の運航を容認

 「第三者機関」なれの果て

 空港の広報部と化した成田空港共生委員会が3日開かれ、雪などで滑走路を深夜まで延長して使う際、周辺住民の問い合わせ窓口を設けるよう空港会社に求めた。
 深夜の滑走路運用を正当化し、それを説明不足の問題だけに歪小化している。説明さえすれば、深夜の滑走路運用はOKという立場だ。あきれたものである。
 山本雄二郎代表は「時間延長が悪いと思わない。ただしっかり説明し、理解してもらうことが必要」と言っている。空港が混乱していれば真夜中の午前2時半でもジャンボ機を飛ばし周辺住民の安眠を妨げてもいいと言うのだ。周辺住民の健康と安全よりも空港を優先する考え方である。
 そもそも空港が混乱したのは営利優先の運営思想が原因だった。早めに他空港への代用着陸に切り替え、成田を欠航にする決断を行えば、これほどの混乱はなかったのである。空港の運用姿勢を不問に付して夜間運航を認める共生委員会は空港会社の第2広報部だ。
(写真 空港会社の第2広報部となった共生委員会【写真は05年2月月15日】)

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週刊『三里塚』(S697号1面5)(2006/02/15)

 コラム 団結街道

 「テロとの戦い」は実は石油分捕り戦争だ。何十万もの人間を殺してまで確保する石油とは何か?1970年の世界の石油需要は日量4700万バレル、90年で6600万バレル、2000年は7500万バレル。リットル換算で約120億リットルだ。たった1日でこれだけ使う。米エネルギー情報局の予測では、2025年に世界の原油需要は日量1億2000万バレルに達する原発を含む「代替エネルギー」は? 総エネルギーに対する石油と天然ガスの合計シェアは1971年で69%、2000年で62%。これが2030年に何と66%に戻る(IEA試算)。「代替エネルギー」なんてこの程度だ国別ではアメリカが圧倒的に石油を飲み込む。01年で日量1980万バレル。これはEU諸国の総和(1230万バレル=00年)をはるかに超える。ブッシュ政権の試算は、2025年にアメリカ一国の消費量は日量3180万バレルに達するアメリカの原油輸入依存率は60年代は20%台だった。これが2025年には70%台に達すると米政府は予測する。なるほど「フセインせん滅」に目の色を変えるわけだ。ちなみに現在、日本は石油輸入番付の2番目を中国と争う視角を転じる。GCC諸国(サウジアラビア、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、UAE)では1981年から01年までの間に、一人あたり国民所得は1万8000ドルから6000ドルに激減した。この富は誰が奪ったか? 毎日、民の血が流される理由は? ビン・ラディン氏らの怒りも納得できよう。

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週刊『三里塚』(S697号1面6)(2006/02/15)

 闘いの言葉

 岩山鉄塔は不服従精神の物質化であり怒りの血肉化であり闘いの顕在化だった。そこには何の矛盾も無理もない。10万人の共有化はだから実現された。
戸村一作委員長 『前進』76・1・5号

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週刊『三里塚』(S697号2面1)(2006/02/15)

 イラク労働組合連合が声明

 石油資源の富を帝国主義から取り戻せ!

 「占領こそがイラク再建を阻む元凶だ」

 公有部門の「民営化」はアメリカ資本による収奪

 「構造調整」拒否訴え 「復興」の主体はイラク人民だ

 1月17日、イラクの労働組合と組合連合は、ヨルダンの首都アンマンにおいて以下の声明を発表した。(『エレクトロニック・イラク』より)

イラク労働組合連合の声明(06年1・17)
 イラク経済は、数十年におよぶ経済制裁、戦争と占領により大きな打撃を受けてきた。イラクの様々な労働組合と労働組合連合は、イラクが有する石油と鉱物資源をもってすれば、イラクの人びとに一定の生活水準を提供する力がイラクにはあると信じる。
 連合と組合は、戦争と占領によりイラクの人びと、とりわけ労働者の生活水準と社会的地位が劇的に悪化したと考える。
(写真 自衛隊は米占領軍と一体だ。サマワ民衆はデモで「電力と水を!」「日の丸ノー!」を訴えた【05年7月】)
 連合と組合は、石油と天然ガスがイラク人の完全な支配のもとに置かれることが重要と考える。イラクの労働者人民だけが、イラクの完全な再建を確実なものとするためにそれらを開発することができるからだ。私たちは、イラクにおけるIMFと世銀の政策に関して以下の点を要求する。
(1)IFI(国際金融諸組織)の意志決定における透明性を高め、イラク人代表を増加させること。
(2)貸付に対して構造調整の条件を課すことをやめること。
(3)公共サービスと国有企業に対し、民営化を求めずに資金を提供することに合意すること。
(4)旧政権の政策により発生したイラクの債務を帳消しにすること。
(5)社会サービスに対する支出の削減を拒否すること。とりわけ、食糧配給システムに対する政府支援の撤廃と対象物資品目の削減を拒否すること。
(6)公有部門の民営化、特に石油、教育、保健、電力、交通運輸、建築部門の民営化を強く拒否する。
(7)イラク人の生活水準に負の影響を与えることを考慮し、石油製品価格の引き上げを拒否する。
(8)労働者の諸権利を確保し、国際的な労働水準と人権諸条約に合致するような新たな労働法と年金・社会保健法を採用すること。世銀とIMFもこれらの基準を順守すること。

 この声明に署名した労働組合と組合連合は、IFIにイラクにおける政策をめぐって、労働組合連合との対話、議論、交渉に参加するよう求めます。さらに組合と連合は、国際的な労働組合組織が、上述の要求をめぐり可能なすべての支援を与えるよう求めます。
【署名】イラク労働者総連合/イラク・バスラ石油労働組合連合/イラク労働者評議会・労働組合連合/クルディスタン労働組合連合・アルビル支部/イラク・クルディスタン労働組合
 2006年1月16日
 アンマンにて
●イラク再建はイラクの労働者人民が担う!(91年湾岸戦争後の再建レポート=『バクダッド・バーニング』より)
(写真 「職場を返せ。政府は給料を支払え!」と叫んでデモするバグダッドの労働者【03年7月】)
 湾岸戦争の42日間、バグダッドなど大きな都市も町々も約14万トンの爆薬で爆撃された。爆撃は学校、集合住宅、工場、橋、発電所、行政の建物、下水処理場、精油所、通信施設、そして防空壕に対してさえも容赦なかった。(イラクでたった一つの赤ちゃん用粉ミルク工場や約400人もの民間人が爆撃で殺された、かのアミリヤ防空壕もある) 
 当時のバース党政権が公表しているところでは、42日間続いた爆撃、および様々な破壊行動による被害は、以下のとおり。 
・学校施設=3960カ所
・大学、研究室、寮=40
・保健医療施設(病院、診療所、医薬品医療器具会社の倉庫)=421
・電話交換所、通信塔など=475
・橋、ビル、集合住宅=260
・倉庫、ショッピングセンター、穀物貯蔵庫=251
・教会とモスク=159
・ダム、給水所、農業用施設=200
・石油関連施設(精油所など)=145
・一般サービス、(避難所、汚水処理場、公共施設)=830
・工場、鉱山、工業設備=120
 さらにラジオ放送塔、博物館、孤児院、老人ホームなどまだまだある。 
 「戦争が終わると」すぐに、関係省庁は、復興を果たすために招集された。課題はインフラ=製油所、電気、水、橋、通信網をもとに戻すことだった。 
 これは難題だった。というのも、非常に多くのイラクの基幹施設や建築物は、フランス、ドイツ、中国、日本などの世界中の企業が設計し建設したものだからだ。外国の専門技術と部品は91年以降、戦争と経済制裁で入手できなかった。
 イラク人の技術者は、限られた物資と自分たちだけの力で湾岸戦争後の荒廃に立ち向かわなければならなかった。 
 2年という年月とおよそ80億ディナールを費やして、被害の90%近くが再建された。およそ6000人の工学技術者(すべてイラク人)、4万2000人の専門家、そして1万2000人の管理者を投入し、600万の労働者によって橋はやがて架けなおされ、電話はおおむねつながり、精油所は稼働し、水は出ていたし、電気は100%ではなかったけれど点灯した。 最初の2年で、大小100以上の橋、精油所16基、工場や工業複合施設50カ所以上が再建された。 
 完璧とはいえなかった。けれどイラク人の手によるものだった。戦争の間破壊された建物や橋なりが、機能し以前より立派になってくるのを見るのは、何ともいえない満ちたりた、誇らしい気分だった。 
 そして、その後10年間、イラクは経済制裁と米・英軍の空爆に耐えた。イラク労働者は、ライフラインを維持し、空爆による破壊と闘い、社会を支えぬいた。バース党とフセインの支配の下ではあったが、イラクの労働者は確実に階級として組織されてきた。労働者の力と誇りこそがイラクを支えてきたのである。

 現在、米軍と多国籍軍による支配の下で、何百億ドルもの資金が投入され、世界的企業のハリバートンとその子会社KBRを中心に「復興事業」が行われているが遅々として再建は進まない。明らかになった事実は、建設費の水増し、資金の不正使用などの汚職ばかりである。イラクの失業率は公式発表でも60%だ。
 イラク人労働者を排除してイラクの再建などありえない。占領軍は、レジスタンスの破壊活動がイラクの再建を阻害していると宣伝するが、事実は逆だ。占領
こそが復興と再建を阻害している。

 「占領軍は即時撤退を」 「武装レジスタンス支持」 −石油労組委員長が訴え

●国際平和会議でのバスラ石油労働者組合委員長の発言(05年12月10日・ロンドン/この組合は05年に数派のストライキを構え、イラク南部バスラの労働者とともに米・英占領軍、カイライ政権と対峙している。レジスタンスの武装解放闘争を支持し、イラク労働者階級の生活と権利を守るために闘っている)
(写真 サマワの宿営地付近に展開する陸自の装輪装甲車。復興とは無縁の存在だ)

 私たちの組合は、占領軍がバグダッドに到達してから11日後に再建されました。03年4月20日のことで、多数の活動家がこの任務にあたりました。混沌と治安の不安定化の中できわめて困難なものでした。
 組合再建の主な目的は第1に、イラクの国家行政がアメリカ合衆国の支配に落ちた中で労働組合員の主張を確保すること。第2にアメリカの目的がイラクの石油支配であることが分かっている中、石油部門の生産メカニズムを労働者の手で守ることでした。
 私たち労働組合の立場を明らかにします。
(1)占領軍は、即時無条件にイラクを撤退しなくてはならない。
(2)私たちは、イラクの人びとの安全と権利に悪質な手を加えようとするあらゆる者に断固とした決意をもって反対する。
(3)イラクの人びとに対するテロリスト攻撃を非難し、人権尊重を強調する。
(4)外国の軍隊を標的として攻撃し、占領者を追放しようと試みる名誉あるレジスタンスを支持する。
(5)私たちは〈石油部門における〉外国企業の侵略を許さず、生産共有合意を認めない。また私たちはハリバートンやKBR、シェル社等々に反対する。
(6)私たちは、民営化とPSA(海外企業による金融支配)に反対し、労働組合を支援する愛国的な勢力と反戦運動と平和を愛する人びとと力を合わせたい。
(7)私たちは、イラクの「対外」債務の無条件取り消しを求める。これらの債務はイラクの人びとをまったく利することなく、前政権を利しただけだ。

 イラク解放戦争は、イラク労働者階級の登場を契機に新たな歩みを開始した。イラクでは現在、数十の組織が武装解放闘争に参加している。それぞれ地域や民族、宗派の違いを乗り越えて団結し、統一する必要性を認めつつ、戦線の統一と組織化の困難と闘っている。
 この闘いは、武装レジスタンスを含むイラク人民の闘いが、地域や民族、宗派の利害を超えてイスラム諸国13億と世界の人民の普遍的利害を代表することで大いに前進するだろう。イラク・レジスタンスにとって労働者階級の力強い登場は、帝国主義の支配を根底から揺るがす歴史的橋頭堡となるだろう。

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週刊『三里塚』(S697号2面2)(2006/02/15)

蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実 (23)

 福田首相が開港を宣言

 開港決戦前夜(上)

 “100万人結集で阻むぞ”

 ジェット燃料阻止 動労千葉、ストライキを宣言

 産土参道で激突、48人逮捕/全国津々浦々に実行委

 岩山大鉄塔破壊をめぐる最初の激突は、鉄塔破壊道路の建設をめぐる闘いだった。戸村一作委員長は1976年正月、「岩山鉄塔は10年の闘争の体験が語らしめる不服従精神の物質化し顕在したものである」「鉄塔を人塔に」(『前進』)と檄を発した。
 1月9日、空港公団は「鉄塔撤去のための資材運搬道路の建設工事を2月中に着工する」と発表した。破壊道路は1974年に建設が始まっていたが、焦点の水田の手前でストップしていた。その道路建設を再開するとしたのだった。
 同日、三木武夫首相も「年内開港は可能。2月中に燃料問題を決着」と発言し、機動隊も増員された。
 すでにこの時点で1兆円を超える国費が投入されていたが政府部内ですら「見通しのないプロジェクトにあと2兆円も投入するのか」という声が上がり「このままでは開港以前にプロジェクト全体が頓挫しかねない」という危機感が芽生えていたのだ。
 「いよいよ鉄塔決戦が開始される」。反対同盟の号令が全国に発せられた。まず2月18日、鉄塔破壊道路によって寸断される産土(うぶすな)参道に高さ3・6b、幅41bにもなるバリケードを構築した。産土参道とは岩山部落の氏神である四所神社の参道だが、これが破壊道路によって切り刻まれようとしていた。
 つづいて2月22日に緊急集会を行うことを決定し、全国に結集を呼びかけた。場所は旧岩山小学校跡地。緊急集会には5600人の労農学がかけつけ、産土参道防衛の闘いを誓った。
 2月25日、ついに産土参道破壊との激突の日が来た。2・22集会後、全学連行動隊が結成され現地に留まってこの日の闘いに備えた。反対同盟、全学連現闘、行動隊総勢600人。対して公団職員350人、これを守る機動隊数百が25日早朝6時にぶつかった。
 石が飛げつけられ、糞尿弾が飛んだ。薄氷がバリバリと割れくるぶしまで埋まる田んぼ。泥まみれ、汗まみれになりながら肉弾戦が展開された。機動隊の顔面に泥の塊がさく裂した。
 権力は48人を不当逮捕したが、反対同盟の闘志をくじくことはできなかった。しかも産土参道の闘いは鉄塔決戦のほんの序の口でしかなかった。
 5月25日、大塚茂公団総裁は日仏空港シンポジウムの席上、「年内開港を断念する」と発言、自身2度目の開港断念発言を余儀なくされた。
(写真 3000人の大結集を実現した動労千葉ストライキ支援集会【77年3月10日千葉市民会館】)

 部落解放同盟も

 

鉄塔破壊道路がほぼ完成した以上、岩山大鉄塔そのものをめぐる激突は時間の問題となっていた。早くも8月記者会見で大塚総裁は「鉄塔撤去の仮処分申請を10月中に行う」と反対同盟にゆさぶりをかけた。
 7月22日には、総計100億円とも噂される買収費をもって茨城県鹿島町、神栖町、潮来町の3町とジェット燃料暫定貨車輸送で最終合意し調印した。
 反対同盟も決戦態勢作りを急いだ。6月15日の全国集会に反対同盟は56人の代表団を送り、労働者・学生への連帯を求めた。
 8月28日には敷地内天神峰のやぐらを建て替えた。そして10月3日の三里塚全国集会には実に1万350人の大結集を実現、実力デモで機動隊と激突、水俣病患者の会会長の川本輝夫さんを含む62人の不当逮捕をはね返して闘いを貫いた。
 さらに闘いの拡大を示したのが10月21日の国際反戦と11月10日天皇在位50年祭粉砕の全人民共闘集会(共に明治公園)だった。萩原進さんは回想する。「あの時の全人民共闘集会は壮観だった。戸村委員長、北原事務局長ら反対同盟の幹部が勢ぞろいし、敷地内、敷地外からも総結集し、同盟だけで100人を超えたな。鉄塔決戦への足場が築かれた集会だった」
 明けて1977年、暮れに三木内閣を引き継いだ福田赳夫首相は1月11日の閣議でついに「成田空港の年内開港」を発表した。首相みずから開港時期を宣言するのは11年の歴史でも初めての「事件」だった。
 開港を宣言した背景は何か。1975年4月30日にアメリカがベトナム戦争に敗北したことで、朝鮮半島における民族解放闘争が爆発していた。米日の帝国主義はインドチャイナ半島につづく新植民主義地主義体制の失陥の危機感を募らせていた。この危機を乗り切るためのアメリカ・日本一体となった朝鮮侵略戦争策動が切迫していたのだ。(それは翌78年に日米安保ガイドラインの締結という形で具体化された)
 こうした中で、日本帝国主義最大の国策に立ち向かう三里塚闘争の存在はもはや認められなかったのだ。
 反対同盟は1月16日と17日に東西での三里塚大集会を開催し鉄塔決戦への奮起を促した。1月19日には鉄塔破壊道路の最終工区(140b)の着工を阻止する闘いに2200人が立ち上がったが(第1波鉄塔闘争)、その場で4月17日に「岩山鉄塔を守れ」をスローガンとする最大級の全国総決起集会を開催することを打ち出した。
 1月28日の狭山闘争では鉄塔決戦へのアピールが行われた。こうした中で本紙『週刊三里塚』が創刊された。(1月14日)
 2月6日の第2波集会には国家権力の予想を2倍する4800人という「全国集会並み」の人民を結集し、その夜には活動者会議が開かれて「100万人動員・1千万署名、全国実行委員会運動」が宣言された。2月初旬から東京、山梨、仙台、八戸などで全国キャンペーンが展開された。2月20日には、100万人動員の先陣を切って淡路国際空港反対期成同盟、東灘区住民の会など関西新空港に反対する住民団体を糾合した全関西実行委員会が結成された。
 ここで巨大な援軍としてふたたび登場したのが国鉄動力車労働組合千葉地本(動労千葉)だ。動労千葉は67年11月3日の三里塚現地集会以来、三里塚支援勢力の強力な柱だったが、ジェット燃料貨車輸送問題は、動労千葉を闘いの当事者にすえる決定的な意味を持っていた。「県内の貨物部門は100l動労千葉の運転士だから止めることができる」と宣言し総力で阻止する方針を決めた。
 しかしそのためには動労カクマルの制動をはね返す組織内闘争に勝たなければならない。中野洋書記長を先頭とした千葉地本は、カクマルの暴力をはね返して、76年12月の第94回中央委で本部の「貨車輸送阻止」の決議を勝ち取った。
 3月10日、3000人を集めたジェット燃料阻止動労千葉集会(写真)、3月27日、4300人で鉄塔決戦第3波集会、3月28日、春闘・ジェット燃料阻止の動労千葉24時間ストライキ……。
 そして、歴史的な4・17集会の当日、文字通り全国各地、各職場、各大学から集まった参加者は実に2万3千人。初めて使われた三里塚第1公園を埋め尽くした。部落解放同盟も正式参加した。4・17集会は、三里塚闘争を反戦・反権力、労農学の闘いの砦として全人民の前に登場させた歴史的集会だった。(つづく)

世相  ●ロッキード事件

 全日空の新型旅客機導入選定に絡み、前首相であった田中角栄を始めとする政治家、財界、官界人が、ワイロ受け取っていたとして1976年2月に摘発された疑獄事件。同年7月27日に受託収賄や外為法違反などの疑いで田中が逮捕された。この裏にはP3C対潜哨戒機の導入で国産路線を主張した田中に対するアメリカの制裁の意図があったとされている。

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週刊『三里塚』(S697号2面3)(2006/02/15)

北総の空の下で北総の空の下で

 最先端の闘い

 21年ぶり第1公園

 1月後半は久々の大雪に翻弄されました。

 21日明け方から降り始めた雪は夜まで止まず、湿気を含んだ重い雪が20センチも積もったのです。記録的な積雪で大きな被害が出ている新潟などの地方と比べたら”たかが20センチ”なのですが、日常生活はしばらく混乱しました。
 必要に迫られてタイヤチェーンの装着に挑戦したり……。大根や人参は雪をかき分けながら収穫しました。2月1日の雨でようやく雪が消えましたがまだまだ寒い日がつづきそうです。
 1月28日、イラク派兵阻止・成田緊急闘争がありました。出発空港は秘匿され、事後、羽田空港からの出兵が公になりました。反対同盟の闘いが成田からの派兵を阻止したのです。
 80年代までは周辺の支持者の人たちに「軍事空港になるというのは飛躍しすぎじゃないのか」と言われてよく議論になりました。賛成派はこれを逆手にとって「国際空港として完成しなければ軍事空港になる」と不安をあおったものです。
 それでも反対同盟が40年間このスローガンを掲げつづけてきたのは、70年代ベトナム戦争当時、羽田空港で米軍機の全面使用を許し、後方基地として使われた現実を直接視察したからです。
 今「軍事使用反対」のスローガンは誰の目にも自明のものとなりました。
 三里塚第1公園での21年ぶりの集会は感慨深いものでしたが、参加した全学連の学生諸君も遠巻きにする地元の中高生も1985年の三里塚十字路戦闘以降に生まれた世代です。彼らに昔話として三里塚を語るのではなく、時代の最先端、最左派の闘いとして訴え、すそ野を広げていくことが、三里塚闘争40年目の課題です。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S697号2面4)(2006/02/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2006

 1月25日(水)〜2月7日(火)

●成田空港から蓄熱材パラフィン流出し川を汚染  成田空港の中央冷暖房所の蓄熱タンクから蓄熱材の液体約5立方b漏れ出し、一部が周辺の取香川などに流入していたことが分かった。しかも空港会社は「パラフィンそれ自身の毒性はない」「微生物によって分解する」と危険性がないと主張し流出事故を公表しなかった。しかし取香川と下流の根木名川で計12キロにわたって川の半分が白濁する事態となり、公表せざるを得なくなった。川が白濁しなければ知らぬ存ぜぬを決め込もうとしていたのだ。空港会社が普段から言う「エコエアポート」とか「共生」とかの建前との矛盾は明らかだ。(26日)
●イラク派兵阻止闘争を闘う 
 三里塚第1公園で、「成田空港からの陸上自衛隊東部方面隊イラク派兵を許すな」を掲げて現地闘争が闘われた。結集した120人の労農学は21年ぶりに第1公園で集会を開き、三里塚十字路周辺を1周するデモを行った。(28日=写真)
●成田空港で貨物取り扱い量が減少 2005年の成田空港の取扱量が前年比マイナス0・3lの減となり、01年以来4年ぶりの減少となった。中部国際空港の開港で大きな変化が起き、原油高で船便へのシフトも進んだ。(30日)
●共生委員会が深夜便を容認 
 成田空港地域共生委員会が開かれ、「深夜の相談窓口を作るべき」と主張して、住民の生活を無視した深夜便を容認する提言を行った。(2月3日)
●「イラク派兵阻止」の駅頭ビラまき 三里塚闘争現地支援連絡会議のメンバーは、「成田空港からの陸上自衛隊派兵に反対します」と訴えるビラまきをJR、京成成田駅前で行った。第9次人道復興支援群の第1回派兵は1月29日に羽田空港を使って行われたが、第2回、第3回派兵が連続して予定されており、成田空港に対する軍事使用策動はつづいている。こうした動きに先制してビラまき活動を行った。(4日)
●「日の丸・君が代」の強制を許さない2・5集会へ 東京・一ツ橋の教育会館で行われた「処分撤回! 解雇撤回! 『日の丸・君が代』の強制をゆるさない 2・5総決起集会」が700人の労農学を結集して成功した。全学連現闘も参加してともに闘った。(5日)

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