SANRIZUKA 2006/03/01(No698
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週刊『三里塚』(S698号1面1)(2006/03/01)
着工阻止決戦を宣言する 痛恨の歴史をくり返すな
反戦の砦から 北原事務局長語る
3・26北総大地へ
三里塚と新たな連帯を
小泉政権の反動攻撃が強まる中、三里塚闘争は暫定滑走路の北延伸着工攻撃との決戦情勢に入った。政府・空港会社は夏にも国道51号線のトンネル工事に着手しようとしている。夏〜秋の着工阻止決戦勝利にむけて3・26集会の成功を勝ち取ろう。三里塚闘争40年の地平を解き放つ決戦陣形を作ろう。反戦の砦・三里塚から改憲阻止へのろしを上げよう。反対同盟・北原事務局長にお話を伺った。(編集部)
三里塚闘争は40年目を迎えた。1966年の空港閣議決定、1967年10月の空港外郭測量阻止闘争に始まる三里塚闘争の歴史は、山あり谷ありで数え上げたらきりがないほどの激闘の数々だった。ふり返れば、あっという間の40年でもあったが、全国の人びとの協力をえて三里塚は闘いつづけており、いまだ空港を完成させてはいない。
この40年、日本は大きく変わった。何よりも侵略戦争は2度としないと誓ったはずの痛苦の反省をあからさまに覆そうという動きが公然化していることだ。
小泉政権は、国民投票法の制定や教育基本法の改悪を手始めに憲法9条の改悪を強行しようとしている。許してはならない。
60年前、日本の政治は戦争一色だった。ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアと同盟を組み、さらに天皇制によって私を含め日本中の人びとが動員され、朝鮮・中国を侵略し、アジアの民衆2000万人を死に至らしめた。まさに痛恨の歴史を経験し、その反省の上に戦後がある。
そもそも三里塚闘争はアメリカによるベトナム戦争がもっとも激しかった時に始まった。羽田が米軍のチャーター機によって占拠されていたことから手狭となり、また首都圏の空域が米軍に占領されていたこともあって、三里塚に空港計画がまわって来た。
民間空港とはいいながら、日米安保条約があるかぎり、一夜にして軍事空港に変貌させられてしまう現実を目の当たりにした。だからわれわれは「三里塚軍事空港反対」のスローガンを断固かかげた。このスローガンが今日ほど現実味を持つ時代を迎えようとは予想しなかった。
1月28日には三里塚第1公園で21年ぶりに「イラク出兵阻止」の集会とデモを闘った。1985年の10・20三里塚十字路の闘いを想起して感無量だったが、成田が自衛隊、米軍の恒常的基地にされる時代が目の前に来ていることを目の前にして、反戦の砦・三里塚の責任は重大だと自覚している。
現地の闘いをめぐっても状況は切迫している。小泉政府・空港会社による暫定滑走路の北延伸工事着工が具体化しているのだ。中でも最も難工事とされる国道51号線のトンネル工事が策動されている。
先日この国道のトンネル予定地で測量工事が行われているのが目撃された。2009年の工事完成を至上命令とする空港会社が、暫定滑走路の計画変更認可を待たずにトンネル工事着工を行うことは大いにありうる。2006年はいよいよ着工阻止決戦の年となろうとしている。
(写真 反対同盟・北原鉱治事務局長)
国ぐるみの地上げ
われわれは、でたらめ極まりない北延伸工事を今こそ声を大きくして弾劾しなければならない。
民家の上空40bにジャンボ機・大型機を飛ばそうなどという殺人的な暴挙をわれわれはもっと弾劾しなければいけない。すでに現在、1年365日、朝6時から夜11時まで変わることなく、ジェット機の大騒音が、東峰部落の農家家族を苦しめている。この上さらにジャンボを飛ばすというのだ。
このような悪質な地上げ行為を、民間が行ったら非難され、国家権力が行ったら許されるとでも言うのか。
「公共性」の仮面
空港会社当局が金科玉条のようにしてきた「空港の公共性」なる虚言も今や崩壊寸前だ。言うまでもなく、成田空港をめぐる談合事件が暴露され、空港会社の幹部自身が「公共性」と称しつつ実は私腹を肥やしてきたではないか。
「空港反対闘争の利益になるから入札会社の名前は明らかにできない」などと称して情報をすべて隠して通し、それをいいことに摘発を逃れ積年にわたって私的利益をむさぼってきたのだ。
明るみに出たのは氷山の一角でしかない。
しかしこのような正義のかけらもない地上げ工事がまともに進むはずもない。
頭上40メートルにジャンボ 常軌逸する北延伸
すでに明らかにされているように、何よりも新誘導路の予定地とされる場所には「東峰の森」と呼ばれる生活に密着した森がある。この森を空港会社は3度にわたって「防音林、景観林として整備するい」と部落に約束した。それを一方的に反故にして切り倒すことは許されない。この森は部落が何十年にもわたって入会的に使ってきた森であり、田畑の保水や防風、防音の役割も果たしているのだ。
(写真 付け替え工事の着工が策動されている国道51号線トンネル【上部は進入帯】)
さらに北延伸計画の進入塔予定地に、成田市の一般廃棄物処分場であるクリーンパークが存在しており、これを廃止しないかぎり処分場の転用はできないことが明らかになった。
クリーンパークに埋め立てられているゴミには大量のダイオキシンが含まれており、処分場の閉鎖―廃止には廃棄物の再処理が膨大で、最低5、6年かかると言われている。これを違法に埋め立ててしまおうというのが空港会社と成田市の策動だ。
クリーンパークのある成田市十余三周辺の住民の生命と健康を危険にさらしてはならない。
こうした無理に無理を重ねる権力のごり押しには人民の抵抗が必ず生まれる。
その出発点こそきたる3・26全国集会である。反対同盟は3・26をもって国家権力との新たな決戦に入る決意を固めている。三里塚闘争の新しい歴史を作っていかなければならない。特に若い人たちの参加を強く呼びかけていきたい。いまや20歳の人間でも生まれたのは1980年代の半ばということになる。
こうした人たちにこそ三里塚の現実を知って欲しい。権力を揺るがすほどの闘いがこの日本にあるという現実を、自分の目で確かめて欲しい。ここに時代を変える力がある。
ひるがえって、今の日本社会にあって、若者に夢を語れるような未来があるだろうか。自民党小泉政権による人民切り捨て、戦争、労働者への搾取と抑圧の反動政治。
こうした日本を変えるために三里塚は闘っている。歴史の転換点だからこそ三里塚が大切なのだ。
反対同盟は、動労千葉をはじめとする労働者と団結し、アジア、アメリカなど世界の人びとと連帯している。3・26集会への結集を心から訴えます。
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週刊『三里塚』(S698号1面2)(2006/03/01)
青年・学生の仲間たちへ
三里塚で何が起こっているか
●成田で何が起こっているか?
成田空港は1966年に3本の滑走路計画をもつ国策事業として出発した。しかし強制収用に抵抗する農民たちの激しい抵抗闘争で一期開港(4000bA滑走路=78年供用)までに12年の歳月を費し、さらに2本目の暫定滑走路供用(02年=2180b)までに24年を要した。「暫定」の理由は、用地取得に失敗し、予定の2500bを2180bに切り縮めたことによる。現在、この暫定滑走路の「北側延伸」が焦点だ。
短くなった滑走路の南端には東峰・天神峰の2つの農村がある。村の半分が空港予定地で、用地売却を拒む農家が散在する。B滑走路の当初計画は真ん中で分断され、村の南側には滑走路の一部(第2ビル前)が完成しているが使えない。
現在、滑走路南端の農家の上空わずか40bにジェット機が行き交う。尋常ならざる事態だ。さらに滑走路西側に食い込んだ反対同盟・市東孝雄さん宅には、地上走行のジェット機から猛烈な排ガスが吹き付ける。「民主主義」の本性が露出している現場だ。
もとよりこのような開港は違法だ。航空法は、空港が住民の生活環境に破壊的影響を及ぼす事態を禁じている。またこれほどの生活環境破壊は、憲法が保証する生存権の否定だ。
NAA(空港会社)は、東峰・天神峰の農家が「飛行機を飛ばしてしまえば屈服する」と見込んで開港を強行した。開港後、千葉県知事は農家”説得”に訪れ「ここは人間が住める環境ではない」と言い放った。「人が住めない」環境を一方的に作り出して移転を強要する。これが「民主的」な空港建設の実態だ。
政府・国交省はこれまで、公開シンポジウム(91〜93年)などで何度も「過去の一方的な空港建設」を「謝罪」してきた。「地権者の同意なき着工は行わない」とも確約もした(円卓会議=94年)。その結末がこの暫定開港だ。農民を虫けらのように扱う現実は何も変わっていない。
●暫定開港の破たん
農民たちの怒りは大きい。彼らは暫定開港に対し最後まで移転を拒んだ。極限的な環境にあえて身を晒し、この国家犯罪を告発したのである。開港後、NAAの黒野社長は恥知らずにも「謝罪文」を住民に配ったが、農民たちの怒りはもはや決定的となった。
「飛ばしてしまえば屈服する」との見込みが外れたNAAは窮地に立った。2180bの暫定滑走路(離島空港なみ)は大型機が飛べず、多くの未買収地を残した結果、誘導路も片側通行で「への字」に湾曲するなど欠陥だらけだ。予想通り事故(オーバーラン、誘導路での接触事故、鉢合わせ等々)は頻発し、便数も増やせず、「国際空港」として使い物にならないことが明白になった。07年に予定していた株式上場(現在は国交省が全株保有)計画も棚上げとなった。
●「北延伸」一方的に決定
NAAと国交省は追いつめられ、昨年8月、暫定滑走路の「北側延伸による2500b化」を一方的に決定した。供用時期は「09年度」。結局、地元農民は無視された。過去の「謝罪」や「確約」はまたしても無視された。
「北延伸」は、本来計画とは逆の北側に滑走路を伸ばし、南側の反対農家の上空40bにジャンボ機を飛ばすことが目的だ。現在すでに最高110デシベルを超え「人の住める環境ではない」(知事)ところに、騒音値が格段に高いジャンボ機を飛ばせばどうなるか。何が何でも移転を強要しようという、国ぐるみの”地上げ”行為なのだ。
●北延伸「夏着工」を阻止せよ!
NAA黒野社長は昨年末の会見で「06年夏に着工」と公言、滑走路北端部と交差する国道51号線のトンネルの付け替え工事から着手する意向を打ち出した。着工の法的手続きは無視する構えだ。
本来、北延伸は「成田空港工事実施計画」の変更なので、国土交通大臣への再申請と認可が前提だ。さらに法に基づく環境アセスメント(影響評価)や公聴会などの手続きを経て、初めて工事が可能になる。環境アセスも最低一年間は必要なので、着工は早くて来年春以降だ。しかしNAAはこれらを無視して着工しようとしている。
着工を急ぐ理由は、国道51号線トンネルの規模と工期だ。現状では09年供用に間に合わない。「09年」は羽田の新滑走路がオープンする年で、先を越されると成田暫定滑走路に発着している短距離アジア便はほとんど羽田に移ってしまう。「成田Bラン不要」論も浮上するだろう。40年の歳月をかけた国策の最終的な破たんである。政府はこれを絶対に容認できない。
そこで最難関の51号線トンネル工事を認可事項から切り離し、着工を前倒ししようというわけだ。あからさまな脱法行為である。
●反戦の砦=三里塚闘争の破壊を許すな!
もうひとつ着工攻撃の決定的な動機がある。空港反対闘争を今度こそ根絶やしにしたい治安政策からの要請だ。政府は、全国の住民運動に根強い影響を持つ三里塚闘争の根絶に異常な執念をにじませる。
第一級の国策を40年も阻み続ける三里塚闘争は権力支配の破たんの象徴だ。閣議決定と「法」を振りかざす国策に警察力の総力が投入され、なおかつ空港は完成出来ない。三里塚はいまでも権力の支配が及ばない”解放区”なのだ。
改憲攻撃が本格化し、階級対立が深まれば深まるほど、三里塚のような反権力闘争の拠点は国家支配の致命傷に転化する。政府は、暫定滑走路「北延伸」が、成田闘争を鎮圧する最後の機会と考えている。
この他にもNAAは、北側進入灯用地を確保するためのゴミ処理場の違法転用(廃棄物処理法の無視)、東峰区住民の生活と不可分の関係にある通称「東峰の森」(元県有林)を、過去の確約を無視して伐採し、ジャンボ機が通れる誘導路を新設する計画などを打ち出している。彼らは東峰神社の立木伐採(※暫定開港の前年、村の総有財産である滑走路南端の神社立木を「飛行の邪魔になる」とNAAが盗伐。裁判は住民側が勝訴)と同様に、警察権力による”闇討ち”を策動している。
わが中核派は、今夏〜今秋「北延伸」着工阻止決戦を断固として宣言する。われわれは51号線トンネル付け替え工事を滑走路本体の着工と見なす。ゴミ処理場の転用を含め、NAAと国交省の脱法行為がまかり通るような事態を、三里塚闘争は絶対に容認しない。
3・26三里塚全国闘争を新たな突破口に、青年・学生の新たな闘う隊列を作りだそう! 青年交流会・現地調査(前日)〜援農行動(翌日)に参加しよう!
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週刊『三里塚』(S698号1面3)(2006/03/01)
招請状 三里塚芝山連合反対同盟
全国の闘う仲間のみなさん。改憲攻撃を頂点とする小泉反動との闘いと軌を一にして、三里塚は暫定滑走路北延伸の着工をめぐる決戦に突入しました。この夏にも、国交省は延伸工事に着手する構えです。反対同盟は、三月二十六日に全国総決起集会を開催し着工阻止へと攻め上ります。全国のみなさんの総結集を訴えます。
この夏にも着工が策動されるのは、北延伸の最大の難工事といわれる国道五一号線のトンネル工事です。延伸によって滑走路が空港北側を走る国道五一号線と交差することから、現在のトンネル(十余三トンネル)の北側三〇〜四〇メートルの地点に航空機の重量に耐えられる新トンネルを建設するものです。本来、北延伸は、東峰地区における新誘導路建設とともに、成田空港工事実施計画そのものの変更であることから、国交大臣による計画変更認可をもって初めて工事が可能になります。しかし新トンネルは、現在のトンネルの三倍の全長四二〇メートル、滑走路の重圧に耐える構造にするための大規模工事であり、航空機の飛ばない夜間工事が避けられないことから、通常の工事手順では〇九年供用に間に合いません。そこで工事実施計画の変更認可と切り離し、前倒しで道路工事を強行しようとしているのです。
このトンネル工事は、事実上の北延伸着工です。さらに北側進入灯用地を確保するためのゴミ処理場の違法転用、ジャンボ機が通行可能な誘導路新設のための「東峰の森」破壊など、おいつめられたあげくの無謀な攻撃が策動されているのです。
民家の上空四〇メートルでジャンボ機(大型機)を飛行させるという、常軌を逸した暴挙は断じて許されません。北延伸がもたらすものは、現状一一〇デシベルをはるかにこえる殺人的大騒音です。これによって天神峰・東峰地区から農家を追い出し、平行滑走路の本来計画につなげることを目的にしているのです。悪質地上げ屋まがいの暴挙を、反対同盟は総力ではね返し、空港廃港に追い込む決戦として、この夏・秋を闘いぬく決意です。
戦後を一変させる小泉内閣の反動攻勢に対して、「戦争協力拒否」「教育基本法改悪・改憲阻止」をかけた労働者の決起が始まりました。民営化による労組破壊に対して動労千葉を先頭に春闘が闘われています。沖縄では名護新基地計画に反対する新たな決起が広がっています。労農連帯と反戦の砦=三里塚は、これら全国の闘いと一体です。三里塚の四〇年は「国策」による人権圧殺と軍事空港建設に真っ向から反対し勝利してきました。自衛隊はいまだ、迷彩服を着用して成田空港から出兵することができません。戦争放棄を誓った九条の改悪と、戦後闘い取った人民的権利を奪う改憲は、三里塚闘争を一掃する攻撃です。北延伸着工阻止の決戦を、戦争のための国家づくりに立ち向かう新たな三里塚闘争として闘いとる決意です。
暫定滑走路の北延伸は、実力抵抗闘争によって追いつめられたあげくの工事計画です。欠陥だらけの計画と減収減益の懸念から〇七年株式上場の先延ばしがすでに確定しました。闘えば必ず勝利できます。不屈の四〇年の地平をもって反対同盟は断言します。天神峰現闘本部裁判などの三里塚裁判支援運動のいっそうの拡大を訴えます。三・二六全国集会は夏・秋の闘いの突破口を切り開く総決起集会です。全国から大結集されるよう切に訴えます。
二〇〇六年二月十九日
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国道51号線トンネル工事着工阻止
暫定滑走路北延伸攻撃粉砕
3・26全国総決起集会
3月26日(日)正午
成田市天神峰 同盟員所有地
《主催》三里塚芝山連合空港反対同盟
【会場案内】成田駅からタクシーで東峰十字路へ/車は成田インター下車。日航ホテル手前から小見川県道〜東峰十字路へ
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週刊『三里塚』(S698号1面4)(2006/03/01)
東峰の森“新誘導路”は危険だ
「滑走路横断」論外
管制官ら航空労働者が警告
東峰の森を切り倒して、危険な新誘導路が計画されている
暫定滑走路の北延伸に関して、現場の航空労働者や客室乗務員、整備士、管制官らで構成する航空安全推進連絡会議成田支部(園川峰紀議長)が新誘導路の危険性や航空機が滑走路を横断する構造の問題点を指摘する要望書を15日までに空港会社に提出した。
新誘導路とは、ジャンボ機を通すために東峰の森を伐採して東側に計画している誘導路である。安全推進会議はこの誘導路がくねくね曲がっていて危険だ、と従来から反対同盟が指摘していた問題点をとりあげた。
またその構造のために、航空機が滑走路の延長線上を横断しなければならない(南向き離陸の時は二度も)点についても「到着機の進入間隔を調整することで、今以上に遅延便が増える可能性もある」と指摘した。つまり現行よりも運用効率が落ちる点を警告したのだ。現場労働者の指摘によって、延伸計画は安全性など無視した地権者への脅迫計画であることが改めて明らかになった。許してはならない。
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週刊『三里塚』(S698号1面5)(2006/03/01)
コラム
「コストの削減」という規制緩和の代表的標語が様々な業界を席巻している。鉄道輸送の世界では1986年の国鉄分割・民営化以来の猛烈なコスト削減と利益至上主義が、あの尼崎事故に行き着いた▼鉄道ほど注目されないが、実は陸上トラック輸送の世界も鉄道以上の規制緩和が進行し、現場運転手の安全が破壊されている。「九州から関東まで3日間不眠の運転」は既に当たり前の世界だ▼02年に東名高速道路で発生した大型トレーラーによる追突・玉突き事故は4台が炎上、5人が死亡という惨事だったが、運転手は「3日続けて徹夜で茨城から大阪まで」の運転を強いられていた▼「そんな無茶は許せん」との声が少なからず上がったが、このような殺人的労働を日常風景にしたのが「規制緩和」であり、小泉「構造改革」なのである▼トラック運送業界は、参入条件の規制緩和で新規参入が殺到、毎年2500社が新規参入する業界に変貌した。車両規模101台以上の大手業者は全体の1%で9割が中小企業。なかでも1〜10台の零細業者が半数を超える▼運賃も03年に「自由化」。極端な話、ただで走らせても許される。荷主は限りなくコスト削減を要求。下請けの運賃は低下し、しわ寄せの末端は運転手の過労運転だ。その結果、交通事故件数は90年の2万3千件から03年までに36%も増加した▼トラックの事故で、毎日38人(!)もの労働者が労災として死んでいる。「構造改革」「規制緩和」は間違っているのだ。闘わなければならない。圧倒的な労働者がそのことに気づき始めている。
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週刊『三里塚』(S698号1面6)(2006/03/01)
闘いの言葉
貨車輸送問題では苦しい討論を重ねた。闘いの位置づけ、迫る弾圧。だが労農連帯を決断した瞬間、政府は計画提示もできない状況に陥っている。
77年7月 動労千葉 関川宰委員長(当時)
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週刊『三里塚』(S698号2面1)(2006/03/01)
遂に“撤退”に追い込まれた自衛隊
レジスタンスの拡大に耐え切れず英・豪も
イラクで「日の丸」瓦解始まる
動揺が広がる侵略軍
「撤退作戦」で戦闘部隊増派
米軍は石油強奪のため巨大な恒久基地を建設
毎日新聞は2月16日付1面トップで、陸自イラク派兵部隊の撤退が決まった旨を報道した。「撤退」は新たな侵略の拡大(後述)と裏腹だが、事実ならばイラク・レジスタンスと世界のイラク反戦運動の前進の結果でもある。
(写真 日の丸を燃やして自衛隊の撤退を叫ぶシーア・サドル師派の住民【サマワ】)
イラク人民の反占領レジスタンスは、戦いの質と広がりの両面で日本帝国主義を追いつめた。04年冒頭から自衛隊派兵が始まった時、「歓迎自衛隊」の横断幕を掲げて見せた「サマワ・日本友好協会」は、一年と持たず05年10月に解散した。同年8月、バスラで英軍特殊部隊による「爆弾テロ」未遂が発覚しバスラ、ムタンナ、ディカルの各州における反占領闘争は激化の一途をたどった。今年1月から始まった「預言者ムハンマド風刺画」糾弾闘争は、世界中のムスリム人民に広がっている。2月5日には、デンマーク軍への攻撃が呼びかけられ、間髪を入れずイラクの同軍へのレジスタンスの攻撃が敢行された(ロイター)。2月14日にはバスラ州評議会がデンマーク軍に撤退を要求する決議をあげた。(AP)
「南部は安定している」「イラク政府に統治を任せる時だ」などの英国政府の発言とは裏腹に、イラク南部情勢は、確実に「アンバル州化」している。今後、米軍が例によって「核開発疑惑」なるものを持ち出してイラン空爆を強行する準備を進めている情勢も含め、イラク南部は中東全体を揺るがすホット・ポイントになろうとしている。この情勢の重圧に耐えきれず、日、英、豪軍がムタンナ州からの撤退を余儀なくされたのだ。
●兵士との反戦交流拡大/自衛隊の動揺広がる
イラク人民の戦いと連帯しつつ粘り強く闘い抜かれてきた日本でのイラク反戦闘争も政府を追いつめた。特に自衛隊駐屯地に対する再三の申し入れ・請願行動は、各所で自衛隊兵士と労働者との感動的交流を実現している。イラク派兵が侵略戦争であることは、目の前で日々くり返されるむごたらしい虐殺の現実が証明している。この現実を突きつけられた自衛隊に動揺が一気に広がった。
「国際貢献なら別な形でできる」「本当は行きたくない」という兵士や家族の本音が数多く寄せられ始めた。虐殺に加担する結末は自衛隊兵士自身の死だ。この冷厳な現実も目の前に迫った。政府や制服幹部は、根本のところで兵士を動員しきれていない。
これは政府にとって決定的な事態である。現場兵士が派兵の正当性を承認できない事態とは軍の崩壊の始まりだ。軍が政府の意向に忠誠を誓い切れなくなったとき、権力統治は確実に崩壊過程に入る。戦後初めての戦地派遣となったイラク侵略戦争の敗北が、本格的な侵略軍への飛躍を目指す自衛隊を根底から動揺させた。自衛隊の現場兵士は「制服を着た労働者」である。プロレタリア革命の悪夢が、ついに日本帝国主義を覆い始めたのである。
この問題は、米軍再編(トランスフォーメーション)の進行と自衛隊の米軍との軍事的一体化が進めば進むほど拡大するだろう。
政府の動揺は「陸自撤退」計画自体の動揺として表面化している。
予定では2月24日に日・米・英・豪の軍事当局による「調整会議」が行われ、ここで日本が陸自のサマワからの撤退と空自・海自の任務継続を提起することになっている。
(写真 イラクでの治安作戦に参加する自衛隊。銃口はイラク人民に向けられている)
「陸自撤退」のシナリオは、実は派兵のエスカレートと背中合わせでもある。陸自は、政府命令を受けて編成準備中の「撤退班」約320人(輸送隊130人・普通科=戦闘部隊200人)を組織する。陸自の輸送ヘリ4機を伴って3月には現地サマワに入り「撤退準備」に入るが、これで現地の部隊規模は、空自の要員を含めて1200人規模に膨れあがる。
イラク復興支援第9次隊(現在派兵中の本隊)は3月中には日本に帰還し、撤退は第10次派遣隊による作戦となるが、この部隊はこれまでの施設大隊中心の編成から、普通科中心の戦闘部隊(陸自初の大隊戦闘団)に編成替えされる。5月にはサマワからクウェートまで撤退し、ここで実に2カ月間、7月いっぱいまで「車両の洗浄」などを行うとされている。
派遣部隊の編成替えは大きな意味を持つ。陸自だけで900人(空自を加えて約1200人)もの普通科=戦闘部隊が現地に展開するのだ。そして7月までクウェートに駐留する。
一方の空自は任務を拡大する。バグダッドやキルクークまで米軍物資や兵員の輸送を担当する。彼らはほぼ完全に米・英軍の日常的な兵站輸送に組み入れられる。海自は、インド洋上での補給任務と情報・通信支援を継続する。事実は単純な「撤退」ではありえない。日本の帝国主義的権益の護持と、侵略軍としての部隊維持という国家の死活をかけた軍事作戦が、「撤退」という形を取ってレジスタンスとの攻防のなかで展開されるのである。
“陸自撤退”の動きに、米ブッシュ政権は日本政府に強く「イラク派遣の継続」を要請した。任務内容も、これまでの給水・発電施設などの復旧ではなく、イラク治安部隊の訓練だ。現在米軍は、イラク国家警備隊やイラク陸軍を隣国のヨルダンなどの米軍基地で訓練しているが、今後はクウェートで陸自がイラク治安部隊の訓練にあたることを計画している。
(写真 レジスタンスの仕掛け爆弾で損傷した自衛隊の車両。詳細は隠された)
●米軍がイラクに巨大な恒久軍事基地を建設中
米軍の姿勢を最もよく示す事実は、イラクの米軍基地が恒久的な巨大基地として建設されつつある事実だ。米軍は、現在イラクで使用している106カ所の基地や軍事関連施設を統合し、中央と南北、西の戦略的要所に、飛行場を備えた4つの巨大基地を建設中だ。
各基地には一個旅団規模の兵力と空軍の部隊が置かれ、兵舎などの施設もかなり強化されている。空軍の高官は「米軍はほぼ無制限に駐留し続ける」と明言している。西にシリア、東にイランという攻撃想定国と国境を接し、南にペルシャ湾と世界最大の石油産出国であるサウジアラビアに面したイラクは、米軍の出撃拠点としては中東で匹敵する国がないほど“絶好の地政学的位置”にあるといわれている。米軍は、中東での軍事展開の中軸を果たす恒久基地をイラクに確保しようとしているのだ。
「自衛隊撤退」は、レジスタンスの圧力に耐えきれなくなったことが決定的要因だが、このアメリカ帝国主義の侵略のエスカレートと“日米枢軸”の深まりという文脈で捉えることが重要だ。日本のスタンスは日米枢軸なのであり、血を流しても帝国主義国家として中東から逃げる選択はあり得ないからだ。小泉政権の真意は侵略戦争の拡大であり、参戦のエスカレートだ。そのためにこそ改憲攻撃を本格化させているのだ。「撤退」はその一コマに過ぎない。
●米日が共同で大規模な軍事挑発を開始
2月14日、米太平洋艦隊司令官(大将)は、6〜8月にかけて空母計4隻が参加し、過去10年間で最も大規模な演習を、日本も参加して西太平洋などで行う計画を明らかにした。
訓練は、@6月に空母3隻、A7月に空母1隻、B8月に空母2隻――を動員し、ハワイ周辺海域などで実施される。
このうち7月の演習は、ほぼ隔年で実施されているリムパック(環太平洋合同演習)で、日本や英国、韓国、オーストラリアなども参加。ほかの2回は米軍単独による演習だ。
同司令官はまた、弾道ミサイル迎撃のためのミサイル防衛システムを搭載したイージス巡洋艦シャイロを、今年後半に日本に配備する考えを示した(共同)。
これで中東から台湾、朝鮮半島にかけての軍事的緊張はますます高まる。「CONPLAN8022」(イラン・北朝鮮同時先制核攻撃計画)や、「OPLAN5029」の書き換え(北朝鮮の「核実験」に対する即時攻撃)などの発動が、現実性を帯びて語られ始めていることも重大だ。
●対北朝鮮「経済制裁」と軍事制裁は一体
ここに来て、日本政府が北朝鮮への「経済制裁」に具体的に言及し始めたことは重大だ。これは現在進行中の「米軍再編」と裏腹の関係にある。米軍は朝鮮侵略戦争の準備を本気で進めている。ブッシュ政権にとって、経済制裁と軍事作戦の発動は別々の段階的措置ではなく、完全に一体のものだ。
イラク反戦闘争の新たな発展・強化を勝ち取ろう。革命的統一へ向かう南北朝鮮人民の闘いと連帯し、「米軍再編」をはじめとする日米帝国主義の朝鮮侵略戦争へのすべての攻撃を粉砕しよう!
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週刊『三里塚』(S698号2面2)(2006/03/01)
(24)
闇討ち鉄塔破壊に怒り爆発
岩山鉄塔決戦
前代未聞、秘密審理で
反対同盟“心の鉄塔は倒されない”
動労千葉、協力順法・拠点ストで労農連帯
「岩山大鉄塔を守れ」「鉄塔を人塔に」を掲げた4・17全国総決起集会は、三里塚闘争史上空前の高揚を勝ち取った。23000人という結集人員は、過去最大と言われた1976年10・3集会(10350人)の2倍以上になった。
集会の発言で戸村一作委員長は「平地に乱を起こせ。暴動、内乱にまで高めよ。全人民の怒涛のうねりを作り出そう」と熱弁をふるい、北原鉱治事務局長は「鉄塔撤去に向けた仮処分が迫っている。先制しよう。100万の力で動労千葉を包もう」と力を込めた。
さらに敷地内外、各行動隊を代表した反対同盟が続々と登壇した。そして連帯のあいさつも、動労千葉を先頭に北富士、砂川、高浜入(霞ヶ浦干拓反対)、関西、水俣、沖縄、解放同盟など津々浦々からの闘いの代表が声を枯らし、多くの大学から学生が馳せ参じた。中でも動労千葉の関川宰委員長は「沿線市町村が同意してもわれわれがストライキで闘えば燃料は輸送できない。動労千葉1300はうって一丸労農連帯をかけて闘う」と決意表明し、圧倒的な歓呼の声で迎えられた。
4・17闘争の威力がいかに大きかったかは権力・民間反革命の側の対応が示していた。まず反革命カクマルは、4・17集会が70年安保闘争以来の爆発的高揚を実現しつつあることに恐れおののき、何と4月17日早朝、京葉道路の下り車線を遮断する暴挙に出てきた。闘争は前述のとおり空前の成功を実現したが、そうであればあるほどカクマルの正体が暴露された。反対同盟はこの後の5・29集会で彼らに対する永久追放を決定した。
萩原進さんはふり返る。「カクマルは70年のころから三里塚に対する敵対を重ねてはいたが、4・17の妨害にはあきれたね。正真正銘の民間反革命だということを疑う同盟はほとんどいなくなった」と。
一方、政府・公団の打撃も大きかった。空港公団の大塚茂総裁はうちのめされ、直後のインタビューで「鉄塔破壊の仮処分を急ぐだけが能ではない」と打撃感を隠せなかった。
しかし政府・公団に岩山鉄塔破壊を先延ばしする時間的な余裕は残されていなかった。福田内閣が77年1月に「年内開港」を打ち出した時、遅くとも6月までに鉄塔を破壊することが至上命題だった。
4・17集会の威力
「開港スケジュール」はアクロバット的なものだったからだ。すなわち鉄塔破壊道路建設に3カ月、未解決の暫定貨車輸送ルート沿線自治体の合意取り付け、鉄塔撤去仮処分申請の提出とその審理(2〜3カ月と見積もられた)、さらに飛行検査に1月、慣熟飛行(パイロットに路線免許を取らせる)に3カ月、ノータム(航空情報)発送は開港3カ月前、燃料備蓄に2カ月、残った施設の整備等々。
(写真 空港開港を阻止しつづけた高さ62メートルの岩山鉄塔)
4・17集会の大高揚と「鉄塔を人塔に」という闘志の激しさを見せつけられた政府・公団は、通常のやり方では、鉄塔破壊は到底無理であることを思い知らされた。まかりまちがえば犠牲者が出て内閣が吹き飛びかねない。
このため福田内閣は“超法規的”とも言える奇襲作戦を政府の命運をかけて決断した。この作戦の詳細を知らされていたのは公団の大塚総裁、町田直副総裁、警察庁長官浅沼清太郎、同警備局長三井脩、千葉県警本部長中村安雄らほんの一握りだったとされている。
具体的には5月5日が新聞休刊日であることを利用してゴールデンウィーク中に法手続きを完了し、6日早朝に鉄塔破壊を強行するとの計画だった。そのためには千葉地裁との打ち合わせが必要だった。
選ばれた裁判官は札付きの民事第1部渡辺桂二だ。渡辺は71年7月仮処分時にも空港公団の手先を務めた“前科”を持つ。
それでも71年の時には審理に3カ月かけたが今回はわずか2日間の密室審理というでたらめぶり。まさに「権力との一体化」を満天下に示した暴挙だった。
5月6日未明、岩山鉄塔周辺には「水戸へ行く着替えを持ってこい」という暗号で動員された2100人の機動隊が配備された。これは「家宅捜索」の名目による急襲だった。宿泊していた鉄塔防衛隊を排除すると同時に宿泊所となっていた鉄塔下のバス内の電源、電話線などを切断した。まさに非合法の襲撃だ。そして形式だけ地裁の執行官なる者が現れそのまま鉄塔破壊へ移行したのだ。
鉄塔周辺には厳重な封鎖体制がしかれ、鉄塔破壊道路を使って持ち込まれたクレーンなど重機械を使って午前11時1分、ついに鉄塔は倒された。前代未聞の非合法的鉄塔破壊に反対同盟、労働者・学生・人民の怒りは爆発した。
急を聞いて東京からかけつけた全学連の部隊120人は午後3時すぎ、鉄塔直下の岩山地区の五十石で機動隊の阻止線に角材と火炎びんで突撃し、1個中隊を撃滅した。連携して中核派戦士3名は東京赤坂にあった空港公団本社に突入し総裁室まで進撃、居合わせた大塚総裁本人を弾劾、部屋を破壊し尽くした。
午後5時には、2名の戦士が第1、第3ゲートの間から空港内に突入し滑走路をじゅうりんした。
萩原さんは「体がふるえるような怒りを感じた。同盟全員が『わが心の鉄塔は倒されない』と歯をくしばった瞬間だった」とくやしさの思いを語っている。
公団が7日から飛行テストを始めたことに対して、労働者・学生は成田市荒海、横芝町中台の航空無線施設を火炎びんで破壊した。また空港第2ゲート、第8ゲートに対して火炎びん攻撃を敢行した。
5月8日は、空港第5ゲート近くの千代田農協で、「鉄塔破壊抗議集会」が予定されていた。この日の早朝と午後、第5ゲートへの突撃を敢行、東京石神井の西大泉派出所および千葉宮ノ木派出所に対し火炎びんがさく裂した。
こうした暴動的な決起に恐れをなした権力・機動隊は同日、反対同盟の集会に無差別的なガス銃の水平うちを加え、近くで臨時野戦病院を防衛していた東山薫さんを射殺したのだ。報復戦として芝山町長宅を防衛していた機動隊にせん滅戦が敢行された。
重要なのは鉄塔破壊で年内開港のレールが敷かれたわけではなかったということだ。5月22日には、600人を収容できる三里塚最大の団結小屋である三里塚闘争会館が落成した。5月29日には再び18000人の大結集を実現、年内開港阻止の決意を固めた。
一方、動労千葉は5月14日、第96回中央委員会の決定を受けて全組合員に対し「無期限強力順法闘争・拠点実力ストライキ」の臨戦態勢指令をおろした。7月2日、2月の関西実行委員会創設につづいて東京実行委員会が結成され、100万人の動員を実現する東西の体制が築かれた。
そして8月12日、千葉市公園体育館で「ジェット燃料貨車輸送阻止」の動労千葉大集会が開かれ、広い体育館を6500の労農学が埋め尽くした。労農連帯の歴史にまたひとつ金字塔が打ち立てられた瞬間だった。(つづく)
●日米貿易摩擦…
1977年は日米の貿易摩擦が鉄鋼・繊維問題からカラーTV・自動車などへ拡大していく転換点の年となった。この年の3月、米国際貿易委員会が日本製カラーテレビの米輸出急増に対し、国内産業への被害ありと裁定して日本への圧力を強め4月の協議で76年輸出台数の60lに抑えることで合意した。こうした結果、円の対ドル相場は12月には238円に急騰した。
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週刊『三里塚』(S698号2面3)(2006/03/01)
一坪裁判証言より 鷲見一夫さん
“経済優先”は間違い
成田空港の公益性も疑問だ
世界の開発援助を長年見てきまして感じることは、経済効率性優先の考え方があまりにも強すぎるということです。
例えばすでに紹介したインドのナルマダ川の例ですが、世界銀行の幹部が次のように言うわけです。「ナルマダ川開発について住民権・森林権の破壊というマイナス面があるけれど発電・灌漑(かんがい)用水というプラス面もある。両者比較したらプラスの方が大きい」と。
それに対して私は言ったんです。「現地の先住民の人たちは『ナルマダ川はわれわれを育んでくれた母であると、母を売るとか金銭補償するとか、そんな問題じゃない』と言っているわけです。その地に住む人の利益が第1だろう。話が転倒しているんじゃないか」と。
成田問題でもそうなんですけれど、日本政府、空港公団の対応を見ていても、何か経済的な物差しだけで、お金の勘定だけで物事をすべて進めていこうとしていることが大問題なんです。
やっぱり土地は農民の命である。そういう人たちの心情を理解しないでやる開発は限界に来ています。インドネシアのコトパンジャンダム開発などでもそうです。
しかもその開発というのはだれのための開発かということが次に問題になってくる。
よくテレビが栄養失調で骨と皮だけになっているような子どもを紹介しますけれども本来そんな子どもたちはいません。アジアでもアフリカでもラテンアメリカでも、最悪の気候の場合に備えて、キャッサバを周りに植えておいて、それで命をつなぐというような知恵を住民は持っている。
しかし、ダムだとかハイウエーだとか空港だとかで立ち退かせて、農業もできない岩だらけの所へ移したりした結果、ああいう子どもが生み出されるんです。かならずその裏には経済開発という名のプロジェクトが存在している。
成田空港建設でもそれと同じ問題がある。なぜ羽田の拡張をするという選択肢を真剣に検討しなかったか。羽田の拡張では運輸官僚の天下り先が作れなかったためではないか、と私は疑っております。現在になって拡張しているじゃないですか。
東京湾アクアラインの海底トンネルなんかにしても、全部トンネルにするとトンネル屋しか儲からずに、製鉄会社が困っちゃうから半分地上に出して、製鉄会社に儲けを分けるような構造にしてある。
要するにできるだけ大企業に儲けさせるというのが公共事業なわけで成田空港でも同じです。
僕はしょっちゅう海外に出ますけれど、成田が混雑するのは夏休みと正月の時期だけです。公益というと聞こえはいいが、その言葉の中に私益がもぐりこんできて、都合のいいように民衆の収奪の論理として使われている。腹の底から抗議したい気持ちです。
この一坪共有地裁判では、農民は抵抗権の意味で一坪共有運動をしているのであって、「売る」という意志がない。そういう人から民法でいう「価格賠償方式」云々で土地を奪うべきではない。
裁判自体がナンセンスであり直ちに提訴を却下すべきです。
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週刊『三里塚』(S698号2面4)(2006/03/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2006
2月8日(水)〜2月21日(火)
●市東さん宅でダイコンの種まき 天神峰の市東孝雄さん宅で、ダイコンの種まきが行われた。順調に行けば春に出荷を迎える。厳しい寒さと雪のための低温でホウレンソウ、小松菜などの葉物の生育が遅れ、反対同盟農家も苦闘を強いられている。(9日)
●反戦共同行動委の活動者会議へ 全学連現闘の代表が反戦共同行動委の活動者会議に参加して、「日の丸・君が代」不起立の闘いを始めとする今春決戦を闘う決意を固めた。さらに3・26三里塚全国総決起集会への取り組みを訴えた。(11日)
●萩原さん神戸空港開港阻止集会へ 萩原進事務局次長は神戸空港の開港攻撃と闘う関西の集会に参加して共に闘った。(12日)
●NAA談合事件で初公判
成田空港の電気設備工事をめぐる談合事件の初公判が東京地裁で行われ、空港会社(NAA)の元公務部次長・伊藤貞夫、元工務部電気課長・客野悦志の両被告が談合の起訴事実を認めた。(14日=写真)
●航空安全会議が北延伸に警告
成田空港のパイロットや管制官、客室乗務員で作られている「航空安全推進連絡会議成田支部」(園川峰紀議長)は、暫定滑走路の北延伸計画について「安全性に不安が生じる」とNAAに対して要望書を出した。具体的には「北延伸計画では新設誘導路の形状に問題が多い」と指摘、さらに航空機が滑走路を横断しなければならない構造になっていることに警告を発している。北延伸計画のずさんさが現場労働者の行動によって暴かれたのだ。(15日)
●三里塚第1公園の使用申請を却下 反対同盟が3・26集会の会場として使用を申請していた三里塚第1公園について、成田市の小林攻市長は申請却下の通告を行ってきた。理由は1月28日に第1公園で行われた「イラク出兵反対集会」で「空港反対」が訴えられたことを指して、「使用申請の目的と違っていた」という言いがかり。反対同盟は対抗措置を検討している(17日)
●暫定滑走路認可取り消し訴訟 2000年12月に行われた暫定滑走路の認可処分に対して、処分の取り消しを求めて反対同盟が国土交通省を訴えていた裁判が千葉地裁で行われ、審理打ち切り策動を打ち破って次回5月23日に萩原進さんの証人調べを決定させた。(21日)
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