SANRIZUKA 2008/05/15(No751 p02)

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第751号の目次
 

(写真 農地強奪と非妥協で闘う市東孝雄さん【3月3日 弁論後の報告会で】)

1面の画像
(1面)
「畑の場所も示せない」NAA追及を
5・19市東さん耕作権裁判傍聴闘争へ
「へ」の字誘導路延伸時直線化ムリ
労農の力が勝利の源
記事を読む
住宅追放と闘う全国連西郡支部
圧倒的な支援・連帯を
「絶対反対」は三里塚と一体 
記事を読む
6・8現地闘争〜サミット粉砕
「30周年」宣伝、トンネル開通と対決を
記事を読む
ピンスポット
営農破壊に負けず田植え作業
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
560人が「JR尼崎事故弾劾!」 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
レポート 農業危機の現場から
トヨタの「利益優先
日韓、日豪EPA阻止は労農の共通課題
「対豪」で農業は壊滅
「対韓」で労組破壊を要求
米帝、EU等囲い込み合戦
記事を読む
イラクはいま世界を揺るがす
バスラとサドルシティー
米軍との全面戦争宣言
マフディー軍 グリーンゾーンに砲弾数十発
残虐兵器使う占領軍
「100年戦争誓う」イラク人民
記事を読む
北総の空の下で北総の空の下で
尼崎集会で
“団結の晴れ舞台”
記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌2008
4月14日(月)〜5月6日(火)
記事を読む
解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史
蘇るむしろ旗第2部@
第1部 農民一揆と打ちこわし
江戸・大阪打ちこわし
一揆要求は「世直し」へ
明治維新導いた民衆の蜂起
記事を読む

週刊『三里塚』(S751号1面1)(2008/05/15)

 「畑の場所も示せない」NAA追及を

 5・19市東さん耕作権裁判傍聴闘争へ

 「へ」の字誘導路延伸時直線化ムリ

 労農の力が勝利の源

 帝国主義の最弱の環である日帝はその延命をかけて、アジア・ゲートウェイ戦略の一環として国際空港容量の拡大を打ち出しているが、この戦略を阻止しているのが抵抗の砦・三里塚闘争だ。このため日帝は三里塚破壊に全力をあげている。その最大の焦点が市東孝雄さんへの農地法による農地強奪攻撃だ。攻防の最前線として、5月19日に耕作権裁判の第7回弁論が闘われる。千葉地裁を包囲する大傍聴闘争を実現し、菅原崇裁判長、空港会社(NAA)を圧倒しよう。
(写真 農地強奪と非妥協で闘う市東孝雄さん【3月3日 弁論後の報告会で】)
市東孝雄さんの耕作権を守る裁判は、2007年2月19日に第1回弁論が闘われて以来、6回の裁判が行われてきた。簡単に全6回の経過をふり返っておきたい(年表参照)。2006年9月21日、千葉県知事・堂本暁子は、空港会社から出されていた市東さんの賃借農地解約の申請を許可する反動決定を下した。
これを利用して同年10月20日、空港会社は市東さんに対して、「契約地以外を勝手に耕作している」として、不法耕作地明け渡しを求める提訴を行ってきたのだ。「じいさんの代から90年耕しているんだ。何が不法耕作か」。市東さんの怒りが爆発した。
そして07年2月19日に第1回弁論が闘われ、そこで市東さんは直接空港会社を弾劾した。「90年間異議を唱えられることもなく耕してきて、突然不法耕作呼ばわりされた者の怒りが分かるか」。空港会社代理人は震え上がった。
第2回は4月23日。裁判の争点は空港会社が「不法耕作」と強弁する畑の場所特定の問題だ。市東さんと弁護団は、この点でぎりぎりと空港会社側を追いつめると、菅原崇裁判長が助け舟を出した。「求釈明は終了して訴状に対する認否を行え」と。
求釈明手続きは、裁判の本論に入る前のつばぜり合いだが、裁判長はこれを禁圧して「本論に入れ」と拙速審理を意図してきたのだ。市東さん裁判は弁論わずか2回目で緊迫した局面に入った。
 6月18日が第3回目。この日、反対同盟と傍聴団は重大な決意で臨んだ。弁護団の資料提出要求に菅原裁判長は「主張があるのなら被告の方から展開せよ」とまたしても空港会社を擁護する訴訟指揮を試みた。しかし、市東さんを先頭に、弁護団、傍聴団が退廷攻撃を蹴破って裁判長弾劾に立ち上がり、法廷の主導権を完全に奪還した。空港会社側に畑の位置特定に関する資料の提出を約束させたのだ。
10月1日の第4回と12月3日の第5回弁論では、公図と空港会社提出図面とがあまりにも違うことを徹底追及した。「空港会社が図面を作成した根拠を示せ」との追及に、NAA側は署名・捺印(なついん)もない旧地主の伝聞情報を提示する以外に資料を示すことができなかった。
そして前回、3月3日の第6回弁論では、いよいよ「耕作者の同意なき売買」という本裁判の核心問題への切り込みが市東さん側から行われ、弁論は白熱化した。
5月19日の第7回弁論では、4月18日に空港会社側から「公図は参考資料にしかならない」「反対運動が激しく現地での境界立会い、測量はできなかった」等の主張が書面で出されたことを受けて、求釈明の形でこれに徹底反論し、併せて「90年間耕作し続けてきた市東さんの耕作権」について、歴史を踏まえた主張を行う。
市東耕作権裁判は、第1回弁論からすでに1年3カ月。「2010年3月の北延伸までに市東さんの土地を奪い、『へ』の字の湾曲を解消したい」とのもくろみを、現闘本部裁判の展開とあいまって、ほぼ粉砕している。毎回、100人になろうとする傍聴闘争がこの前進を切り開いてきた。さらにさらに、この勝利を押し広げよう。
(写真 市東さんの地主への買収攻撃がなされた1988年3月、同時に襲いかかった市東さんへの自主耕作地破壊攻撃と闘う反対同盟)

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 市東耕作権裁判の経緯

2007年
2月19日 第1回弁論。市東さん意見陳述。4月23日 第2回弁論。裁判長が小磯武男か ら菅原崇に突如交代。求釈明を禁圧する反動的な訴訟指揮。
6月18日 第3回弁論。市東さん、弁護団、 傍聴団一体となり、退廷をはねのけて菅原裁判長の求釈明禁圧を粉砕
10月1日 第4回弁論。会社側の提出した書 面は、署名・捺印のない鈴木政重相続人からの伝聞でしかないことが判明。
12月3日 第5回弁論。
2008年
3月3日 第6回弁論。「耕作者の同意なき 売買」で追及開始

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週刊『三里塚』(S751号1面2)(2008/05/15)

 住宅追放と闘う全国連西郡支部

 圧倒的な支援・連帯を

 「絶対反対」は三里塚と一体 

   「八尾市の住宅追い出し裁判は部落差別だ! 追い出されてたまるか!
 思い上がった行政・資本家を裁くのはこっちだ!」
 4月21日、大阪地裁で西郡住宅明け渡し裁判の火ぶたが切られた。 
 応能応益家賃制度(※)絶対反対で団結し、10年以上にわたって元の家賃を供託して闘いぬいてきた部落解放同盟全国連西郡支部の住民3人(3世帯)を、八尾市は問答無用で住宅から追い出す裁判に訴えたのだ。
 これに対して3人は「ここは私たちのムラだ。追い出すなら家と土地を元通りにして返せ。柱に体をくくりつけてでも闘うぞ!」という決意を明らかにしている。固く連帯してともに闘おう。

 住宅はムラのもの

   西郡住宅は「差別をなくすために」地域住民が代々暮らしてきた家や土地を明け渡し、多大な犠牲を払って建設された。 西郡の手前で下水道工事が止まり、雨が降れば共同トイレがあふれ、伝染病で命を奪われるような差別行政を徹底糾弾して、自らの土地や建物を提供してまでも一律低家賃を勝ち取って建設されたのが今の住宅なのだ。
 ところが八尾市は何の説明もなしに応能応益家賃制度を導入し、家賃の値上げを強行してきた。
 とんでもない攻撃だ。「生きさせろ」という叫びが世にあふれる中、就職差別や職場での差別など部落差別は強まっている。一律低家賃の住宅は、差別と闘い、団結して生きていくために、なくてはならないものだ。
 2006年4月30日に結成された西郡支部は、不当な住宅家賃値上げに対し、供託してあくまでも従来家賃を払い続けるという、実力反対闘争を貫いてきた。
 これに対して八尾市は、八尾北医療センター労働組合(八尾北労組)の組合員でもある3人の西郡住民に対して選別的に給料を差し押さえるという暴挙に出てきた。供託の闘いをつぶすために、見せしめとしてかけられた攻撃だ。
 この攻撃が3人とともにムラぐるみ・地域ぐるみで闘う住民、そして八尾北労組の闘いで吹っ飛ぶと、八尾市は昨年、「10月31日までに団地から出て行け」という不当な攻撃をかけ、市議会で3人を強制的に団地から追い出すことを決議し、裁判に訴えてきた。
 その上八尾市と大阪地裁は、今年の2月18日、家賃を供託して闘う住民28人の預金口座から全額を差し押さえる、とんでもない暴挙を行った。入ったばかりの年金2カ月分13万円が全額、市当局によって奪われ、電気、ガス、水道料金などの引き落としも全部ストップした人もいる。「死ね!」という攻撃だ。
(写真 住宅追い出し攻撃と徹底対決することを宣言した2・24闘争【大阪府八尾市】)

 三里塚のように

  だが西郡の人々は「三里塚のように闘おう」を合言葉に日々闘い抜いて
いる。「日帝の総力をあげた攻撃を40年以上も粉砕している三里塚のような闘いを、西郡でもやるんだ」という決意のもとに団結を打ち固め、「三里塚のように徹底非妥協の原則を貫いて闘おう」と奮闘している。
 2月24日、全国の仲間とともにわが三里塚現闘も参加した決起集会で、基調報告を行った末光道正さん(八尾市議、八尾北医療センター院長)は市当局を徹底糾弾した上で、「攻撃の大本は帝国主義の新自由主義、民営化攻撃による労働者階級の団結の破壊。だから動労千葉の国鉄労働者、三里塚の農民、全学連の学生を始め、すべての労働者の団結を強める中でこそ勝利できる」と展望を示した。
 発言に立った住民の一人は「払える家賃を払う路線や分納路線は闘いを一人ひとりに分断してしまう。行政との妥協を求める道は改良運動への転落だ。団結して応能応益家賃制度を廃止・撤廃するまで闘いぬく」と決意を述べている。
 その通りだ。分断を許さず、非妥協で闘うことこそが、今問われている。
 日本共産党は住民管理課と一体となって部落差別をあおり、労働者人民のなかに差別・分断を持ち込み、八尾市職労(自治労連)指導部は、「国が決めたことに従え」と住宅闘争の破壊の先頭に立っているという。
 供託という原則を貫いて団結すべき時に、「分納」を闘争方針とした全国連中央のあり方は団結破壊にほかならない。
 三里塚でも西郡でも、追いつめられているのは権力・資本の側だ。非妥協の闘いを、団結を固め連帯を貫いて闘うことにこそ勝利の道がある。西郡の闘いは農地取り上げと闘う三里塚の闘い、職場破壊に対してストライキで闘う動労千葉の闘いと一体だ。
 西郡は住宅明け渡しをめぐる決戦に突入した。これから次々と三つの裁判が始まる。市東孝雄さんの農地強奪を粉砕する闘いと一体の闘いとして、西郡闘争を闘おう。支援・連帯の闘いに立ち上がろう。
(※)応能応益家賃制度 1996年に公営住宅法が改悪されて導入された制度で、世帯主ではなく世帯全員の収入合計で家賃が決まる。
 例えば3人家族で手取り27万円の収入があれば、7万円の家賃になる。これでは家族はバラバラになり、若者はムラに住めなくなる。
 実際、西郡の高齢化率は八尾市のどこよりも圧倒的に高い。

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週刊『三里塚』(S751号1面3)(2008/05/15)

 6・8現地闘争〜サミット粉砕

 「30周年」宣伝、トンネル開通と対決を

  国際帝国主義が最末期的な危機にのたうち回っている中で、その最弱の環としての日帝の脆弱(ぜいじゃく)性が浮き彫りになっている。日帝・福田政権は、この奈落からの脱出をかけて、アジア・ゲートウェイ戦略すなわち東アジア共同体構想という名の新たな勢力圏構築へFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)締結をしゃにむに進めている。
 そのためのインフラ(産業基盤)が、成田空港をはじめとする国際空港の機能充実であり、そのために空港容量の拡大を打ち出している。この戦略は安倍前内閣によって打ち出されたが、福田政権にも受け継がれている。国土交通省は、今年7月に東京国際空港再拡張対策室と新東京国際空港課を統合し首都圏空港課を新設して、アジア・ゲートウェイ戦略シフトに移行している。
 この日本帝国主義の延命戦略に真っ向から対決しているのが、闘う動労千葉と車の両輪として前進してきた三里塚闘争だ。ここから、日帝・国交省、空港会社は三里塚闘争つぶしに全体重をかけてきている。

 北延伸工事許すな

  攻撃が強まっている理由はそれだけではない。
 <戦争と民営化><ワーキングプアと格差社会>の攻撃が極限的に強まる中で、「生きさせろ」と叫ぶ青年労働者・学生の怒りが猛然とわき起こる一方で、世界金融大恐慌の現実化ともあいまって世界は「革命的情勢」に突入している。
 この闘いと反戦・反権力、抵抗の砦・三里塚が結合することを日帝・支配階級は激しく恐れている。この治安的観点からも、三里塚闘争への破壊攻撃を激しく強めている。その一方の柱が市東さんの農地を強奪しようとする攻撃で、他方の柱が2009年度北延伸開業にむけた諸攻撃だ。
 当面する焦点は、5月20日を前後して強まる暫定滑走路開港30周年キャンペーンと6月と言われる国道51号線トンネルの供用開始攻撃だ。
 前者はすでに商業新聞各紙やテレビによって開始されているが、空港会社そのものも5月20日を中心にさまざまなイベントで「地域との共生」なるキャンペーンを展開しようとしている。
 北延伸工事そのものをめぐっても攻防は激化している。5月3日には、東峰十字路近くの生活道路がまたしても勝手にねじ曲げられ、ルートが改変された。
 そして前述のように6月には国道51号線トンネルが切り替わり、供用開始されようとしている。このような空港反対農民圧殺の攻撃は、来年10月の「工事完成期限」にむけてどんどんエスカレートしていく。
 いよいよ北延伸との真っ向勝負の過程が始まるのだ。この一連の攻防の緒戦をなすものとして、反対同盟は6・8緊急現地闘争を訴え、取り組みをアピールしている(要項別掲)。追いつめられているのは日帝・空港会社である。6・8現地闘争に結集しよう。そして6・29サミット決戦へ。

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週刊『三里塚』(S751号1面4)(2008/05/15)

ピンスポット

 営農破壊に負けず田植え作業

 

(写真 左:萩原さん宅で恒例の田植えが行われた【5月4日】 右:市東孝雄さん宅でも同じ日に田植えが行われた)

 敷地内東峰部落の萩原進さん、天神峰部落の市東孝雄さん宅で、5月4日に田植えが行われた。
 小雨が降る中ではあったが、現地支援もかけつけて、それぞれ20eの田んぼにフサオトメ(早稲米)、コシヒカリを植えた。
 萩原さんの田の周りでは「成田新高速鉄道」関連の資材置き場が建設され、作業環境、自然環境が悪化している。市東さんの田にもホテルやゴルフ場が迫り、同様に地下水の流れに変化が起きている。田植え自体がこうした空港建設による営農への圧迫・破壊との闘いだ。
 作業は意気高く行われ、午前中に「緑のじゅうたん」が敷きつめられた。

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週刊『三里塚』(S751号1面5)(2008/05/15)

 コラム 団結街道

  今週も前回に引き続eき、2007年9月8日の講演で山下惣一さん(農民作家)に示唆を受けたテーマを紹介したい。それは、フード・マイレージという、農産物の輸入依存への警鐘を慣らす考え方だフード・マイレージとは、輸入する農産物の重さと輸送距離をかけ合わせた計測方法のこと。「マイレージ」は「マイル」から来た言葉で「距離の長さ」という意味だつまり、どれほど大量の農産物をどれほど長い距離をかけて輸入しているかという指標である。中田哲也氏の調査によると主要各国のこのマイレージは、アメリカが約2958億`トン、イギリスが1880億`トン、ドイツが1717億`トン、フランスが1044億`トン。これに対して日本は実に9002億`トンに達するというアメリカに比べて3倍であり、一番少ないフランスに比べると何と9倍ものフードマイレージを記録する。人口1人あたりに直したマイレージでも日本の飛びぬけた数字は変わらない日本がいかに輸入農産物に頼っているかを衝撃的に示す数字だ。誰しも「こんなことがいつまでも続くはずがない」との思いにかられる戦後植民地を失った日本が、農業の犠牲の上に「戦後発展」をしゃにむに追求してきた結果がこれだ。だが、全世界で開始された労働者と農民の反乱とアジア、アフリカなどで巻き起こる食料暴動によって、日本経済のいびつな構造へ、ついに弔鐘(ちょうしょう)が鳴っている。

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週刊『三里塚』(S751号1面6)(2008/05/15)

 560人が「JR尼崎事故弾劾!」

 4月26日、「JR尼崎事故3カ年糾弾!」を掲げた現地集会に、動労千葉、闘う国労組合員など560人の労農学が結集して、JR当局を弾劾し第2次国鉄決戦の勝利を誓った。(写真は団結ガンバロー)

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週刊『三里塚』(S751号1面7)(2008/05/15)

 闘いの言葉

 そもそも三権分立はフィクション。国家権力がバラバラに分かれたように説明されるが役割分担させているだけ。それがばれた時、人民は直接行動に出る。
4月7日 弁護士 武内更一さん

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週刊『三里塚』(S751号2面1)(2008/05/15)

 レポート 農業危機の現場から

 トヨタの「利益優先

 日韓、日豪EPA阻止は労農の共通課題

 「対豪」で農業は壊滅

 「対韓」で労組破壊を要求

 米帝、EU等囲い込み合戦

  日韓、日豪のEPA交渉が本格化している。どちらも、労働者には首切りと低賃金、農民には絶滅を強制する大攻撃だ。何が起ころうとしているのか。
 アメリカ、EUを先頭に、全世界でEPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)の交渉ラッシュが起きている。アジアが一番遅れているとされてきたが、21世紀に入って日本、韓国、中国、ASEANなどで加速してきた。
 EPA拡大の本質は、危機に陥った帝国主国義国同士の市場の再分割戦にほかならない。EPAとは、2国間あるいは数カ国間で排他的に関税を安くあるいはゼロにする、まさに市場の囲い込み運動だ。
 関税の引き下げは、1995年に発足したWTO(世界貿易機関)のもとで、加盟国全体が交渉を行ってきたが、主に農業分野をめぐる関税、補助金問題で調整がつかず、ドーハラウンド(2001年11月に始まった関税引き下げ交渉。カタールの首都ドーハで始まったためこの名前がある)は7年近くにもなるのに成立の見通しは立っていない。
 焦りを深めたアメリカ、EUは、1990年代からEPA締結による市場の取り合いに走っている。
 遅ればせながら日本は現在、タイ、シンガポール、チリ、メキシコとFTAを結び、現在対韓国、オーストラリア、ASEANと交渉中だ。
 まず、農民・農業にとってのEPAの問題点は何か。現在進められている対オーストラリアの交渉を見れば一目瞭然(りょうぜん)だ。
 日本が今まで締結してきたEPAの相手国は、基本的に農産品をめぐる日本との対立が少ない国ばかりだった。タイやメキシコとは、農産物が競合していたが、コメ・乳製品などの最重要農産物を例外扱いして関税を維持する分、他の農産物、たとえば果物や豚肉を輸入して埋め合わせることができる余地があった。
 ところが、オーストラリアとの交渉はまったく違う。オーストラリアからの農産物輸入品は、現在、牛肉、ナチュラル・チーズ、麦、砂糖、コメなどの重要品目だけで50%を超えてしまう。
 つまり、オーストラリアにとって、この重要農産品目の関税をゼロ化するのでなければ、日本とEPAを締結する意味はなくなってしまうということだ。
 しかし、重要農産品目の関税をなくすことは、日本農業の壊滅に直結する。
 なぜ、日帝・福田政権はこのリスクを冒してまで対豪EPAを結ぼうとしているのか。現在15%もの高率である自動車関税、6%である金属製品など工業製品の関税をゼロにし売りまくるためである。トヨタの車とキヤノンの電器製品を売るために日本の農業と農民を死においやる、という露骨な独占資本優遇策なのだ。
(写真 日韓FTAに反対して闘う韓国民主労総の労働者【2004年11月】)

 日韓交渉中断の理由は 労働者激烈に反対

  労働者にとってもEPAは重大な攻撃だ。対韓国のFTA、EPA交渉が2004年11月以来中断している理由は、農業分野での競合という問題だけではなく、日帝と韓国当局が一体となった資本攻勢の問題があり、韓国民主労総を先頭とする労働者がこの攻撃に対して激しく闘ったからだ。
 その原因は、日帝が以下のような露骨な労組破壊・資本攻勢の自由を韓国当局に要求したことにある。要求項目は、
(1)「不合理な」各種手当やベースアップは廃止。過度に労働者に有利な労使協定・慣行の是正。労働紛争が横行しないよう政府等が徹底して指導する
(2)有給休暇制度の「適正」化
(3)一律に法律で規定している退職金制度の廃止
(4)休暇や退職金などパートの労働条件にかんする法律の廃止
(5)派遣後2年経過時に雇用義務が企業に生じる制度の廃止
(6)労組専従者の削減、賃金支払い禁止措置の厳守(7)労組の違法争議行為に対する厳正かつ迅速な法の適用
(8)会社経営悪化の時にも労働条件の下方修正ができるようにする
(9)正規職解雇の条件の緩和等々……。
 こうした露骨な労組、労働運動破壊の要求に反対して、民主労総は激しい反対運動を展開し、日韓FTA交渉を中断に追い込んだ。
 まさにEPA反対は、労働者自身の死活のかかった課題なのだ。そして、こうした韓国への資本攻勢はそのまま、日本の労働者にもはね返ってくる。
   *
 対豪交渉は4月で5回目を迎え、対韓交渉は6月に予備交渉が始まる。労農が連帯してEPA締結阻止へ闘おう。

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週刊『三里塚』(S751号2面2)(2008/05/15)

 イラクはいま世界を揺るがす

 バスラとサドルシティー

 米軍との全面戦争宣言

 マフディー軍 グリーンゾーンに砲弾数十発

 残虐兵器使う占領軍

 「100年戦争誓う」イラク人民

  4月5日から始まった米軍によるマフディー軍への攻撃は、5週目に入っても続行されている。米軍は3個の旅団戦闘団を投入し、さらに空軍攻撃機と戦闘ヘリで爆撃を続けているがマフディー軍を制圧できない。残虐な攻撃による3月25日以来のイラク市民の犠牲者は、カイライ政府発表でさえ925人死亡、2605人負傷である。サドルシティー住民200万人が米軍により殲滅(せんめつ)されているのだ。絶対に許せない。
 3月31日、カイライ政府軍のバスラでの戦闘で完全に敗北したマリキ首相は、サドル派との停戦に合意した。慌てたのは米軍である。南部の最大の都市バスラを制圧し、バスラと石油積出港ウンム・カスルでの支配権を取り戻さなければ、米軍の占領そのものが脅かされるからだ。そこで、米・英軍はバスラでの攻撃を続行すると共に、サドル派とマフディー軍の最大拠点サドルシティー(バグダッド東部)の制圧を決定したのである。
 米軍発表によれば、3月のバグダッドにおける攻撃は、マフディー軍との戦闘によって急上昇したという。総回数=631回(2月は239回)。内、米軍とカイライ政府軍への攻撃は、562回(2月は177回)、市民への攻撃69回(2月は62回)である。市民への攻撃は2月、3月がほぼ同数であるのに対して、米軍とカイライ政府軍への攻撃は3倍以上となった。特に多国籍軍管理地区の「グリーン・ゾーン」に対して、毎日何十発もの砲弾が撃ち込まれたのだ。
 米軍の侵攻と爆撃、マリキ首相のサドル派への恫喝にもかかわらず、サドル派は4月16日に「マフディー軍は、占領軍がいる限り、解散にも武装解除にも応じない」と宣言し、「政治解決」を断固拒否したのである。さらに4月19日には、米軍との「全面戦争」を宣言し、本格的なゲリラ戦争に突入した。
    *
●最大の民間援助団体
 マフディー軍は、04年夏に南部ナジャフを中心に、米軍との戦争を戦った。このとき、サドルシティーは、マフディー軍の兵站(へいたん)基地として役割を果たした。米軍と真正面からぶつかったマフディー軍は、大量の死傷者を出し、シーア派最高権威アヤトラ・シスタニ師の仲介で停戦に応じた。
 08年のマフディー軍は、既にこのときのマフディー軍ではなかった。装備が近代化されたばかりではない。ヒット・エンド・ラン戦術に徹し、人民の海の中で神出鬼没の戦いを行っている。ゲリラ戦争の勝利の戦略は「長期・強靭(きょうじん)」に尽きる。04年夏には、何千、何万のシーア派人民を動員し早期の決着を求めた。その結果、武器と訓練にまさる米・英軍によって出血を強いられた。イラク人民とマフディー軍は4年間を無駄にしなかった。 
 現在、サドルシティーと呼ばれる地区は、サダム・フセインによって「革命」と名づけられ建設された町である。200万人の住民は、ほとんどがイラク南部諸州から職を求めてバグダッドにやってきた農民だ。04年当時、サドルシティーの住民は「マフディー軍は、とても勇敢だが支持できない。シスタニを支持する」という態度だった。しかし、現在では「マフディー軍こそがイラクで最大の民間援助団体だ。マフディー軍は資本を融資し、ガソリンや食料を配給している。300億jを貯めこんだ政府は、何をしてるのか?」と変化した。
    *
●同朋に銃むけるな
 4月19日、マフディー軍の「全面戦争」突入宣言に対して、米軍もまた軍事で回答した。ロイター通信によれば、19日には大部隊をサドルシティーに動員し、「サドルシティーの南部を制圧。支配下に置いた」「地区の中心部を制圧、マフディー軍を武装解除している」と発表した。ところが優勢のはずの米軍とカイライ政府軍は、実はぼろぼろだった。
 米軍発表によってさえ、20日から23日までの4日間でマフディー軍が米軍に発射した砲弾は、697発以上。内114発がグリーン・ゾーンを標的とし90発が命中、多大な被害を出した。24日には、グリーン・ゾーン内のポーランド大使館に砲弾が命中し、砲撃の正確さが証明された。
 サドル派は、「イラクの兄弟よ、米軍と戦う者に銃を向けるな。カイライ政府の命令を拒否せよ」と呼びかけた。サドルシティーの警察署を占領していたカイライ政府軍は、マフディー軍への攻撃を拒否。150人の中隊が撤退した。
 この頃から、バグダッドとサドルシティーで闘うスンニ派レジスタンスやマフディー軍以外のシーア派レジスタンスも、米軍に対する攻撃を激化させた。「占領軍の追放、イラクの解放」という一点での共闘が実現すれば、イラクレジスタンスの武装解放闘争は「総反攻」へと前進することになる。必ずこの道を進むであろう。
    *
●大型爆弾で爆撃
 米軍は、マフディー軍のゲリラ戦術と人民の支持の厚さに驚き慌てている。米軍はサドルシティーでの戦闘に、禁止されている2000■級の大型爆弾を使用した。住宅密集地区での使用は、国際法に違反している。さらに米軍は、対戦車ミサイルやクラスター爆弾、30_劣化ウラン弾を当然のように使用しているのだ。
 米軍は、あえて国際法を無視して「残虐な攻撃で戦闘意思を挫く」戦術をとっている。しかし、米軍の思惑は完全に裏目に出ている。長期戦略で闘うイラク人民を屈服させることはできない。
 「帝国主義と100年戦ってきた。それでも勝てなかった。よろしい、あと100年戦おう。それでも勝てなかったらさらに100年戦うのみだ」このような戦略を持つ人民に、帝国主義が勝てるはずがないのだ。

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週刊『三里塚』(S751号2面3)(2008/05/15)

北総の空の下で北総の空の下で

 尼崎集会で

 “団結の晴れ舞台”

 4月26日尼崎集会。あの衝撃的な事故から3年、現場の怒りを共有したいという思いで参加してきました。デモで事故現場まで行き、無人のマンションが当時の傷を残したまま建っている現場で黙祷(もくとう)しました。建物の傷はたったこれだけ。速度アップのため軽量化した車両の恐ろしさを目の当たりにした思いでした。
 JR西日本はいまだに運転士を除いた「106名の犠牲者」と言っていることが、怒りを込めて報告されました。”闘いなくして安全なし”は、あらゆる現場に通じる真実だと痛感しました。
 集会のもう一つの柱は、国労1047名闘争を軸にした第2次国鉄決戦の戦闘宣言でした。解雇撤回・現職復帰”の原則を曲げていかなる未来もないことを各人が確信を持って語ったことが胸に響きました。
 日々の現場では、分断攻撃との激しい攻防が続いていることと思います。その中で、仲間を裏切らずに闘っているから、こんなにいい顔で発言できるのです。集会は、三里塚でもどこでも、団結の絆を確認しあう晴れ舞台なのだと思いました。
 ”三里塚のように闘う”と横断幕をかかげた全国連西郡支部からの特別アピールもありました。
 実は、私は関東以西に行ったことがほとんどありません。早朝出発して深夜に帰る一日闘争を経験して、三里塚集会に駆けつけてくれる皆さんの大変さ、ありがたさもまた実感した次第です。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S751号2面4)(2008/05/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌2008

 4月14日(月)〜5月6日(火)

●米大手航空2社が合併
 アメリカ第3位のデルタ航空と第6位のノースウェスト航空が合併に合意した、と発表した。両者とも経営は不振で、合併による規模拡大と効率化で再建を目指す。(14日)
●コメ国際価格が急上昇
 コメ需要の急増で、国際指標であるタイ産米の価格がここ1カ月で1・5倍に上昇、4月月内に1d1000jを突破する状況となっている。(19日)
●日韓EPA協議再開へ
 東京で行われた日韓首脳会談で、中断していた日韓EPA(経済連携協定)の予備協議を6月に開催することで合意した。(21日)
●茨城空港の認知度半分以下 2010年3月開港予定の茨城空港(百里基地と軍民共用)について、県内や千葉県など近県の事業所などを対象に「知っているか」との調査を行ったところ、「知っている」と答えたのは5割以下であったことが報道された。(24日)
●「成田の国際線を羽田に」 羽田空港の国際化に関する国と都・関係実務者会議が内閣府で開かれ、東京都の猪瀬直樹副知事が「成田の国際線を羽田に移行せよ」と主張した。(24日)
●「30周年記念日イベント」を発表 成田空港会社の森中小三郎社長は、「暫定開港30周年キャンペーン」として5月20日に、日本に初就航するA380機を歓迎放水で出迎えたり、コンサートを行うなどの計画を発表した。(24日)
●婦民全国協がタケノコ掘り 西村綾子代表をはじめとする婦人民主クラブ全国協議会のメンバー十数人が芝山町菱田の鈴木幸司さん宅でタケノコ掘りや山菜とりを楽しんだ。(27日=写真)
●東峰十字付近で生活道路を変更 新誘導路工事のため、空港会社は東峰十字路の近くの生活道路をねじ曲げて改変した。(30日)
●萩原、市東さん宅で田植え ゴールデンウィーク恒例の田植えが反対同盟萩原進さん、市東孝雄さん宅で行われた。(5月4日)

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週刊『三里塚』(S751号2面5)(2008/05/15)

 解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史

 蘇るむしろ旗第2部@

 第1部 農民一揆と打ちこわし

 江戸・大阪打ちこわし

 一揆要求は「世直し」へ

 明治維新導いた民衆の蜂起

 

1869年に開始された棄民・治安政策としての下総開墾事業の前提として、幕末から明治維新にかけた激しい農民、半プロレタリアート、町民、窮民の武装蜂起(一揆・打ちこわし)が展開されたことを紹介し、その頂点としての1866年の武州一揆を前回描いた。
  この武州一揆の引き金を引くものとして1866年5月、江戸・品川を中とする激しい打ちこわしが起きていた。またこれと呼応するかのように同年大阪での打ちこわし、1868年群馬、栃木、福島、1869年富山でそれぞれ激しい一揆が起きている。今回はこれらを簡潔に紹介し、明治維新の動力としての民衆の蜂起の意義に関する歴史学者羽仁五郎の主張をなぞりたい。
  *
  江戸打ちこわしとは、1866年5月と9月に「貧地に住居の者」が筵(むしろ)旗を持って決起し、質屋・米屋・酒屋などの直接的な収奪者を襲った闘いを言う。これは、同年の大阪市中の打ちこわしとともに徳川幕府の政権担当能力の危機を目に見える形で示した。
  幕末の江戸は、前回の武州同様、開港による経済変動に巻き込まれ、物価騰貴が起きていた。中でも米価の高騰がひどく、江戸打ちこわしの引き金になった。同年5月28日、最初の闘いが品川で起きた。夜8時ごろ、南品川の本覚寺境内から太鼓の合図がなり、打ちこわし勢約100人が南品川宿、北品川宿、品川歩行新宿を次々に襲った。さらに東海寺門前、御殿山下を打ちこわした。この時、40軒余りの質屋、米屋、酒屋、旅籠などを襲撃したと言われている。
  さらに翌5月29日、400人から500人が本芝付近に集まり、芝一帯の商家80軒あまりを打ちこわし、6月6日頃まで、赤坂、牛込、神田、本所などを中心に打ちこわしは江戸全域に広がった。
  襲撃の対象になったのは米屋などのほかに海外貿易で利益をむさぼる商人も含まれていた。この江戸打ちこわしの波が波及して、前回紹介した武州一揆をもたらしたをもたらした。
  江戸では8月から9月になると物価が再び高騰し、死去した第14代将軍家茂の法要のさなかに第2回目の打ちこわしが起きている。この時には商家に混じって武家にも米や金の強要、「お救い小屋」の設置を要求したという。民衆の不満は武士社会にも向けられて行ったということだ。第1回目の打ちこわしでは町奉行所の門外に「御政事売り切れ申し候(そうろう)」という張り紙がされたと伝えられている。民衆の蜂起は「世直し」へと向かっていた。
  同じ1866年、大阪でも大規模な打ちこわしが起きている。当時は第2次長州戦争のため、将軍家茂自身や諸藩の武士が、大阪に大勢駐屯していたため、開港貿易に加え、幕府軍の軍需で米価が急騰した。
 5月1日、摂津国武庫郡西宮町(現兵庫県西宮市)の町人の女房ら14〜15人が、米屋にコメの安売りを頼んだ。これが3日になると2000人に膨れ上がり、この内の数人が武士に切られたことが打ちこわしの発端になった。安売り要求は、御影、住吉、神戸などに拡大、8日夜には神戸で打ちこわしが起こった。
  14日になると打ちこわしは大阪に飛び火、西成郡難波村(現中央区、浪速区)で米屋への襲撃が行われ、安値での米販売を拒否した店17軒が打ちこわしにあった。そして、大阪市中全域と西成郡の各村々に打ちこわしが拡大した。
  大阪留守居役の薩摩藩士は大久保一蔵(利通)に「市中で被害を受けた米屋は366町、885軒に及んだ」と報告している。16日夜になると河内国国分村(現柏原市)などに拡大、「大阪十里四方一揆起こらざる所なし」という波及を見せ、藩兵が出動する騒ぎになったと伝えられる。
  将軍の滞在している大阪で打ちこわしが起きたことは、幕府の権威にとって決定的な打撃となった。また、対長州戦争の中止、撤退も余儀なくされた。
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  この江戸、大阪に呼応するように、1868年には上州世直し騒動(群馬)、野州世直し一揆(栃木)、信達世直し騒動(福島)、1869年、ばんどり騒動(富山)など巨大な「世直し一揆」が各地で連続的に起きている。
  こうした民衆の決起を背景に江戸の治安対策として「1万人の窮民を下総牧跡に入植させ天下安寧を図る」という下総開墾事業が企画されたのだ。
  民衆の闘いこそが明治維新の原動力だった。この決定的事実を強調した学者が、「三里塚はパリコンミューンだ」と強調してやまなかった羽仁五郎だった。
  民衆史観に立つことで、幕末の世直し一揆〜下総開墾事業との闘い〜小作争議の激発〜戦後農地解放闘争〜富里・八街空港反対闘争そして三里塚闘争へと農民・人民の闘いが一本の糸でつながってくる。
  (第1部終わり)
(写真 幕末の打ちこわしの模様を描いた「貧民乱入図」『実見図録』【長谷川渓石作】より)

 

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メモ・羽仁五郎の功績

 

「民衆の蜂起こそ明治維新をもたらした根源的な動力」という1930年台に提出された羽仁五郎の明治維新論は、当時のアカデミズムから冷笑された。講座派であった権威・服部之総からも批判されたという。しかし、幕末・維新の史実や思想を最も生き生きと説明するものこそ、この羽仁五郎であることは、何人も否定できない。帝国主義段階論で補強し、天皇制ボナパ論をもって明治維新を解明したのが革共同・本多延嘉書記長だ。

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