SANRIZUKA 2009/01/01(No766 p02)

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第766号の目次

市東さんの農地守る陣形を 新春座談会 「充満する怒りに火をつけろ」

1面の画像
(1面)
市東さんの農地守る陣形を
新春座談会 「充満する怒りに火をつけろ」
労農連帯の深化へ 同盟軍=農民隊列を登場させよう
一歩も引かぬ決意不変 市東
43年の闘い自信と確信 鈴木
71年以来の激突まぢか 伊藤
民主労総との連帯深め 萩原
記事を読む
反対同盟の新年アピール  “北延伸攻撃と正面対決の年”
“43年の抵抗は「革命」に等しい”
農業切り捨てと対決を  恐慌・首切り・戦争…三里塚は反乱の先頭に
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
日程 1・11新年団結旗開き、1・20市東さん行政訴訟 記事を読む
闘争スケジュール 記事を読む
(2面)
一作生誕100年行事へ
「労農連帯が実感できる場」 戸村 義弘さん ●天神峰現闘本部裁判を 支援する会代表世話人
記事を読む
決戦の09年へ闘志たぎらそう
12・13 市東さんの農地守るぞ  08年の勝利確認するデモ
記事を読む
耕作権裁判 NAA 位置誤認を認める  市東さん「生き方見直す年」 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2008  12月3日(水)〜12月15日(月) 記事を読む

週刊『三里塚』(S766号1面1)(2009/01/01)

 市東さんの農地守る陣形を

 新春座談会 「充満する怒りに火をつけろ」

 労農連帯の深化へ 同盟軍=農民隊列を登場させよう

 一歩も引かぬ決意不変 市東

 43年の闘い自信と確信 鈴木

 71年以来の激突まぢか 伊藤

 民主労総との連帯深め 萩原

(写真 1520人の結集を実現した3・30全国集会【成田市天神峰】)

 反戦の砦の真価示す時 市東

 麻生政権をぶっ倒そう 鈴木

 1次産業が貧困予備軍 伊藤

 田母神の居直り許すな 萩原

 

《新春座談会出席者》

市東孝雄さん(敷地内・天神峰)
鈴木謙太郎さん(芝山町・中郷地区)
伊藤信晴さん(芝山町・白桝地区)
萩原富夫さん(敷地内・東峰地区)

  2008年三里塚闘争は、開港30周年宣伝を切っ先とする闘争破壊策動を完全に粉砕した。不屈の抵抗闘争43年の力をあらためて日帝・国土交通省、空港会社につきつけたのだ。北延伸工事の完成を焦点とする2009年の闘いが、かつてない激しさとなることは避けられない。08年を振り返り09年の闘いを展望する恒例の新春若手座談会を開催したので紹介する。(編集部)

 「30周年」

――2008年も終わろうとしています。今年の闘いを振り返って、感想をお願いします。
 市東 2007年の年末に「飛行回数の年間30万回化」ということを空港会社は言い出してきた。自民党の中では「成田空港の24時間運用」などということまで言われだした。前の空港会社社長だった黒野匡彦は「北延伸しただけじゃ短い。南に延伸して3000b、3500bにしたい」と公然と言っていた。そして2008年は開港30周年の年にあたる。
(写真 市東孝雄さん)
 これは開港30周年のキャンペーンを大々的にやってくるな、と身構えた。
 伊藤 ところがところが拍子抜けも良いところだったね。
 萩原 キャンペーンをやったことはやったよ。
 市東 だけど全然迫力がなかったよ。各新聞とも「30年の歴史」なんていう趣旨で連載を組んだ。だけど、歴史をひも解けばひも解くほど、農民に対していかにひどいことをやってきたか、政府が住民のことをどれだけ無視してきたか、ということがどんどん明らかになっちゃうという構図になった。
 鈴木 「30周年」を強調すればするほど、「いまだに未完成の空港」「誘導路は『へ』の字に曲がっています」「2180bという短い滑走路です」という、現在のぶざまな状況を紹介せざるをえなくなる。
 伊藤 10月31日に韓国から民主労総が三たび来てくれた。彼らがお世辞だけじゃないと思うんだけど痛く感激してくれるんだよな。43年も闘っているのはすごいって。
 萩原 実際に、誘導路が「へ」の字に曲がっていたり、地上走行の管制をテレビモニターで代用している場面を見たり、(芝山町)横堀地区では横風滑走路を団結小屋と鉄塔が完全に寸断している現場を見たり、「確かに43年の闘いというのはすごい」ということを実感してくれている。
 鈴木 闘争が暮らしみたいになっちゃってる俺らからみるとピンとこないところもあっけどな。外からの人の感想を聞いて、そんなにすごいかなと気づかせてもらうような所もある。
(写真 鈴木謙太郎さん)
 萩原 2009年はぜひ韓国を訪問したいね。
 市東 08年は3月、10月の全国集会を成功させた。久しぶりに1500人を超す仲間たちが集まってくれた。勇気づけられたよ。
 伊藤 ひんぱんに行われた市東さん裁判をはじめ法廷闘争を全力でやりきった。傍聴闘争も「市東さんの会」はじめすごかったよね。

 飛行延長

――さて、2009年、課題が山積だと思いますが。
 萩原 北延伸滑走路の開業が2010年の3月。それにむけた本体工事や付帯工事が急ピッチで展開される年になる。
 伊藤 工事完成が2009年10月末の予定でしょ。08年の11月17日に天神峰・東峰の生活道路が破壊されてトンネル化されたけど、あの上で新誘導路工事をやっている。これ見よがしに展開してくるということ。簡単な攻撃じゃないぞ。
(写真 伊藤信晴さん)
 萩原 飛行時間の延長なんてこともやってきたよね。09年は「今度はジャンボ機を飛ばすぞ」という脅しが現実味を帯びてくる。
 鈴木 そういう中であればあるほど、闘いの最大の焦点は市東さんの農地を守る闘いだ。
 伊藤 何年か先に、1971年大木よね以来の実力闘争になる、という腹が必要だと思う。当時おれは現地に来たばかりでせっせと塹壕掘りをやった。代執行をさせない、という狙いでとにかく奥へ奥へ、長く長く、穴を掘れば掘るだけ、闘いが長引く、強化されるんだ、という思いで必死に掘った。それと同じ戦術にはならないが、掛け声だけの闘いとは絶対にならないよ。
 市東 ま、その時になればみんな動いてくれる、と信頼している。実際、農地取り上げに反対する会の人びとを始め、裁判闘争では本当によくやってくれている。9月には群馬で新しい組織ができた。
 萩原 市東さんは当事者だからそういう風に言うけど、市東さんの農地を実力で守る体制ができているか、と言ったらまだまだだと思う。2009年はそういう陣形と体制を絶対に作る年にしなきゃ、と思う。
 鈴木 軽々しくこっちから動いて向こうの弾圧を引き出すという考え方は取りたくない。今は、裁判闘争、市東さんの会の陣形作り、労働者との連帯などやるべきことをしっかりとやり、向こうの出方を見て行きたい。その上で腹は固まってるよ。市東さんが常々言っているように、こっちは妥協しない、一歩も引かない闘いをやる。
 伊藤 市東さんの発言が時と共に戦闘的になってきている。10・5全国集会の時には「むこうが畑に手をかけてきたら実力阻止の闘いをやる」と宣言した。10月29日に、新たな提訴を弾劾して畑で開いた記者会見では「流血を辞さぬ闘いをやる」と言い切った。
 市東 いろいろ攻撃をかけられているからね。むこうがその気ならこっちも引かないぞ、という気持ちにどうしたってなるよね。

 末期的危機

――麻生政権との対決が重要な年でもありますが。
 鈴木 新KYつまり「漢字(K)が読めない(Y)」なんて言われている。安倍でダメ、福田でダメ、麻生でダメ。だけど田母神(前航空幕僚長)みたいなのが出てきた。一昔まえだったらあんな発言はできなかった。それを堂々とやり、国会の尋問でもくり返した。
 伊藤 麻生は田母神のような先兵を使って戦争体制を作りたいということだ。
 鈴木 本来なら田母神は懲戒免職だけど処分することもできなかった。自民党の中で後押ししている奴がいる。
 萩原 新聞の投書欄で「ああいうことを許していたらまた戦争になる」という危機感を表明していた。麻生自身は脆弱なんだけど、未曽有の金融恐慌、経済危機、労働者・農民が生きられない、という閉塞した状況が、戦前のように、軍部から田母神みたいな奴を作り出しつつあることに、本当に危機意識を持たなければいけない。
(写真 萩原富夫さん)
 市東 反戦の砦としてああいう動きを許さない。三里塚の価値もそこにある。

 菱田廃村化

――鈴木さん一家は芝山町菱田で一軒で闘っています。
 市東 この間、「花の企画社」の前にある鈴木さんの畑(芝山鉄道の芝山・千代田駅近く)に行こうとしたら入り口が分からずにうろうろしちゃったよ。それくらい、鈴木さんの畑の周りの環境変化が激しい。
 鈴木 あそこの畑は周り中が倉庫と駐車場と移転組みの民家だぞ。取り囲まれちゃってる。まあ、環境の変化はすごいけど自信を持って闘いに取り組んでる。
 伊藤 1980年代の成田用水攻撃に負けなかった鈴木さん一家の闘いはすごいよ。1984年の9月に用水闘争で反対同盟が5人逮捕された。その中に市東孝雄さんのおやじさん(東市さん)が含まれていた。部落全体を敵に回す鈴木さん一家の闘いがどれほどすごいかを、東市さんは分かっていたんだね。だから逮捕覚悟の闘いをやりぬいた。
 市東 あの後、空港公団用地部の保坂某が私の働いていた(千葉県)市川の店に電話をかけてきたよ。「おやじさんは間違って逮捕されたけど、私の力ですぐに出しますから」とか何とか。
 萩原 公団の用地部は日常的に孝雄さんの店に嫌がらせに来てたの?
 市東 そうだよ。「空港反対闘争を止めるようにおやじさんを説得してくれ」って。
 伊藤 本当に許せない奴らだ。

 革命の叫び

――「労働運動の力で革命をやろう」と叫んで青年労働者・学生たちが決起を開始しています。この「革命」という問題について少し、議論をしてみたいのですが。
 鈴木 「革命、革命」と言う前にやることがあるんじゃないのか、というのが俺の率直な感想だよ。北延伸攻撃を阻止する闘い、市東さんの裁判闘争、現地攻防……。それを一つ一つ必死に闘う、その先に「革命」と言ってよければ、そういうものが見えてくる、という感覚だな。
 萩原 ずいぶん大きなことを言っているな、という感じで最初、ピンと来なかった。
 伊藤 彼らの言っている革命と三里塚とは、そんなに違わないとおれは思うよ。三里塚は「革命」という言葉は使わない。だけどやってることは革命とほとんど同じことだよ。だって、掲げているスローガンを見れば分かるじゃない。「北延伸阻止」や「暫定滑走路閉鎖」を頑強に要求して一歩も引かない。あげくに「成田空港完全廃港!」だ。こんなことを掲げている農民闘争は探したってどこにもないよ。帝国主義という国家権力と真っ向から対決しているスローガンだし闘いだ。三里塚は「革命」の最先頭に立っていると胸を張っていいんじゃないかな。
 市東 なるほどね。

 労農の課題

――もうひとつ、労農連帯、労農同盟も大きな課題になりました。
 鈴木 11・2全国労働者集会で萩原進さんが苦言を言ったけど、俺もまだまだ不満だな。三里塚からは労働者にむかって労農連帯を声をからして言っている。だけど労働者の方から労農連帯を言い、応えてくれるという闘いがまだまだ弱いと感じる。
 萩原 動労千葉の闘いはすばらしいし、労農連帯の実績を共に築き上げて来たことも事実だ。だけどまだ、労働者の組織化で手一杯なんだという感じは持つ。余裕がないというかな。
 伊藤 萩原さんも『農地収奪を阻む』という自著の中で言っているけど、実際に北総農民の組織化を開始する、ということが必要なんじゃないかな。労働者にむかって農民の具体的な力を見せる、というかな。三里塚も死ぬほど忙しいんだけど、もうひとがんばり、農民の部隊を作る、というね、そういう方向に一歩踏み出す、そして労働者の同盟軍としての農民の隊列を現実のものとして示して見せる、というね、それが必要なんじゃないかな。

 同盟の団結

 市東 確かにね。今、本当に農民は生きられないんだから。11月16日の「食と農を考える」イベントで天笠啓祐さんが言ってたけど、最大のワーキングプアは第一次産業で働く人だって。成田だって、農業人口なんかもう数lでしょ。労働者がそうであるように、本当に農民の中に怒りは充満しているよ。
 萩原 農民、漁民の怒りに火をつけない手はないね。
――最後に2009年の決意を語っていただけますか。
 伊藤 北延伸攻撃との決戦の年じゃないかな。2000年に暫定滑走路開業にむけた10万人署名運動が行われたけど、ああいう地域反動をもう一回組織するというようなことも含めて、厳しい闘いの年になると思う。
 鈴木 何と言っても市東さんの農地を守る闘いに全力を上げる。一回一回の裁判闘争が重要だと思ってる。同盟が団結し、これを支えてくれる労農学が居れば怖いものはない。
 市東 新しい裁判が2月3日から始まる。裁判が増えて月に一回以上になる。生活環境も悪化させられるけど「一歩も引かない」という私の決意は変わりません。
 萩原 私も市東さんの農地を守る闘いがポイントだと思う。毎回の裁判闘争のたびに集会・デモをやって司法反動の先兵・千葉地裁に圧力をかけたい。
――どうもありがとうございました。現闘も全力で闘います。

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週刊『三里塚』(S766号1面2)(2009/01/01)

 反対同盟の新年アピール

 “北延伸攻撃と正面対決の年”

 “43年の抵抗は「革命」に等しい”

 農業切り捨てと対決を

 恐慌・首切り・戦争…三里塚は反乱の先頭に

 2009年は北延伸攻撃との対決、市東孝雄さんの農地死守、天神峰現闘本部の防衛など激動の年となる。未曾有の金融大恐慌・戦争情勢の中で三里塚も正念場だ。同盟各位からアピールを頂いた。

 政治体制の根本変革 「権力の最後の言葉は暴力」 ●反対同盟事務局長 北原 鉱治さん

 2008年を振り返る時、戦争への動きが激しいことに警鐘を乱打したい。前の航空幕僚長だった田母神俊雄が、戦前の15年戦争や太平洋戦争は「侵略戦争ではなかった」などという、戦後60年の反省をくつがえすような論文を発表し、批判された後も居直っている。
 その後、自分の部隊を組織していたことまでが明らかになった。自民党の中からも田母神を支援するような声や動きが出ている。田母神を処分できなかったことも重大だ。定年退職なんて、処分でも何でもない。1930年代に軍部の独走を許した状況と同じ大変な状況だと感じる。
 政治、経済、社会、どれをとってもかつてない危機的状況に日本と世界は入っている。年末になって、非正規の雇用労働者には首切りの嵐が襲いかかっている。まさに、政治体制を根本から変えなければダメなところにまで行きついた。
 危機に陥った支配者たちだが、そうであればあるほど、なりふり構わぬ攻撃に出てきている。三里塚がその典型だ。政府・国土交通省、空港会社は、物や金で住民を抑圧し、43年間、空港建設を進めてきたが挫折した。しかし、それ以外の手段はない。同じ過ちをくり返しつつ、北延伸攻撃なるものを行っているが、破綻するだろう。
 最後は暴力という本質は何も変わっていない。09年の闘いを考えたとき、まず何よりも北延伸工事による闘争破壊の攻撃が強まろうとしている。それと一体のものとして、市東さんの農地を奪う攻撃が強まる。裁判闘争を全力で闘うのは言うまでもないが、最後の言葉は国家暴力だ、という権力の本質を片時も見失ってはならない。
 韓国、アメリカ労働者との国際連帯、動労千葉を先頭とした労働者との労農連帯を09年、さらに強いものにしていきたい。革命というスローガンがあるが、三里塚はその先頭を切っていると自負している。3・29全国集会の成功に向かおう。

 財界・地域反動と闘う 「今年はぜひ韓国訪れたい」 ●反対同盟事務局次長 萩原 進さん

 11月13日、空港会社の森中小三郎社長が記者会見して、早朝・深夜の飛行時間の制限についてこれを撤廃する方針を発表した。現在朝6時30分〜夜10時までとしている時間を朝6時00分〜夜11時までとするというものだ。
 今回の決定でさらにひどいのは、森中が読み上げた文書だ。「すべての関係者の幸福の公約数として飛行時間の延長を行う(?!)」としている。「幸福の公約数」が飛行時間延長?
 騒音地獄の悪化じゃないか、どこが「幸福の公約数だよ」という話だ。どこまでも懲りない連中だ、という怒りを深くしている。
 2008年はすばらしい勝利の年だった。「開港30周年」だとか何だとか、いろいろやってきたけど、同盟と三里塚の陣形はびくともしなかった。43年間にわたる抵抗闘争がどれほど敵国家権力に打撃を強制するものか、じっくり確認することができた1年だった。
 3月、10月の全国集会はじめ連月の現地闘争そして市東さんの裁判を始めとする頻繁な傍聴闘争など大きな支援をたまわり、この場を借りて御礼申し上げたい。中でも全国集会では結集の点で上昇に転ずるきっかけを作ってもらった。
 民主労総も3たび現地に来てくれ、国際連帯の実を上げることができたと考えている。2009年こそ反対同盟が韓国を訪れる年にしたい。
 動労千葉が闘いの原則を堅持して、三里塚との労農連帯を貫き、国鉄分割・民営化を許さない粘り強い闘いを貫き、さらにその先の勝利を展望していることに敬意を表したい。
 さて、2009年だが、北延伸開業攻撃との真正面からの闘いになる。マスコミも今年の「30周年キャンペーン」の比ではない大宣伝に出てくるだろう。成田がすでにアジアのハブ(中心)空港から陥落していることが08年暴露された。羽田の拡張が2010年10月に行われる計画で「成田はさらに地盤沈下する」と経済界や商工会は青くなっている。
 彼らも含めた地域反動が猛然と組織されることも覚悟し、対決しなければならない。
 そして、何よりも市東さんの農地取り上げを許さない陣形の構築を訴えたい。裁判闘争も3つになった。よくがんばっていると思う。「市東さんの会」を先頭とした支援運動の拡大にも感謝の言葉がない。しかし、相手は国家権力だ。司法反動の先兵・千葉地裁だ。判決は予断を許さない。最後は力で来る、というのが三里塚実力闘争の原点中の原点だ。そうした激突を見すえた闘争体制の構築が死活的だ、とあらためて感じる。
 日本も世界も天地がひっくりかえるような激動の時代。まさに三里塚が真価を発揮するときがやってきた。
 2006年に市東さんの問題が起きるまで、農業・農民問題への自覚が決定的に不足していた。恥ずかしいかぎりだが。その後、猛然と認識を深めた。あまりの深刻な現実に声を失ったくらいだ。労農連帯、労農同盟という点で言うとまだまだの水準だというのが率直なところだが、愚痴を言っていても始まらない。09年はたとえわずかでも北総農民を部隊として登場させられるレベルに農民の闘いを前進させたいと考えている。「労働者の同盟軍」という農民の存在を言葉だけでなく、実体あるものに何としても持って行きたい。
 08年、思いの一端を新著として発刊することもできた。参考にしていただけたら幸いだ。

 戦前の出兵は侵略だ  「農地取り上げと全力で闘う」 三浦 五郎さん ●反対同盟本部役員

 新年のごあいさつを申し上げます。私は2009年の1月6日で満96歳になります。年齢と共に外に出ることがむずかしくなり、集会もご無沙汰していますが、闘う意志は健在です。
 09年、市東孝雄君への農地法を使った農地取り上げ攻撃はさらに激しさを増します。私も全力で闘いたいと思います。農業・農民切り捨ての動きは強まりこそすれ、弱まる気配もありません。
 労働者だけでなく、農民の生活もぎりぎりの所に追い込まれています。芝山町宝馬という私の部落も70軒ある農家の内、専業は、うちを含めて2軒ほどです。
 労働者と農民の連帯した力でこの状況をうち破りましょう。
 この間の、自衛隊の田母神前空幕長のふるまいは許すことができません。戦前の戦争が侵略戦争でないとしたら、どの戦争が侵略戦争なのでしょうか。戦前から農民闘争を闘ってきた者として、戦前の暗黒政治への逆行を許せません。断固闘いましょう。2009年の勝利めざし共にがんばりましょう。

 「生きさせろ」叫ぼう 「千葉地裁の拙速審理許すな」 宮本 麻子さん ●反対同盟婦人行動隊

 自衛隊の田母神発言などに見られることは、今まで常識と思っていたことが常識として安住してはいられなくなる、激動の時代に入っているということです。
 労働者も農民も「生きさせろ」と闘わないと生存すら保障されない時代になりました。私の福祉職場でも「公務員は最大のサービス業だ」が口癖の市長の政策の下で、人員削減が進行しています。本当に許せません。
 09年は市東さんの裁判に関しても予断は許されないと気を引き締めています。空港会社そしてその先兵となっている千葉地裁の拙速審理・早期結審の攻撃がますます強まると思います。
 市東さんを中心に反対同盟はがっちりと団結して、農地死守の陣形を守ります。さらにいっそう市東さん裁判を支援する運動の拡大を実現していかなくては、と思います。
 08年も韓国民主労総の人たちが来てくれ、交流会に参加しましたが、どこの国でも規制緩和・民営化で、労働者・農民が生きられない現実に置かれていることを実感しました。
 支持率が20%に陥った麻生内閣の打倒にむけ、三里塚こそが先頭に立って前進したいと思います。

 命かけ強制執行阻止  「三里塚闘争は生涯の仕事」 森田 恒一さん ●反対同盟員

 私は、一昨年、大阪の岸和田市から佐倉市に移ってきました。大阪では、三里塚決戦勝利関西実行委員会の世話人をずっとやり、三里塚闘争にずっとかかわってきました。
 佐倉市に越してきて、さっそく反対同盟に加入させていただき、今の私の生活のエネルギーの大部分は、三里塚闘争に費やしています。
 ただ変形性膝関節症のため、行動は著しく制約されているので、今のところ、反対同盟の春秋の集会、裁判には必ず出席していますが、そのほかは参加できない状態です。
 私の見たところでは、現在の日本の裁判体制の中では、中々勝てない。市東さんの裁判も理屈の上では、明らかに国の方が間違っている。しかし、判決になると、変な理屈をこねて国に勝たせているのが現状だと思う。
 おそらく遠くない時期に機動隊を動員して裁判所の判決を盾にした強制執行をやるのではないかと私は覚悟している。私は今91歳です。そのときには、大げさだが、命をかけて強制執行をさせない、市東さんの農地を守るつもりでいます。
 この年になるとこれからどうしよう、こうしようということはないが、三里塚闘争だけは、私の生涯の仕事と思って生きていきます。

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週刊『三里塚』(S766号1面3)(2009/01/01)

 コラム 団結街道

 前航空幕僚長の田母神俊夫が懸賞で最優秀賞を取ったとされる論文を読んで驚いてしまった。おそレベル以下の水準だからだ▼「日本は第2次大戦前から五族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた(?!)。」などと大まじめに書いている。「5族協和」なるきれい事が、日本帝国主義のアジア侵略のための方便であったことは、小学生でも分るウソ八百だ▼そういう水準の自説を「これは私の信念だ」として、現在もあちこちでふり巻いているのだから何をかいわんやだ。それを渡辺昇一(懸賞論文の審査委員長だった)や中西輝政や西村慎吾や西尾幹二といった「つくる会」教科書に連なる札付き右翼どもが必死になって担ぎ回っている▼しかし問題は、田母神のレベルが高いか、低いかという点にあるのではない。戦前の天皇主義者の議論のレベルもお世辞にも高かったなどとは言えなかった。だが、金融大恐慌、未曾有の経済危機に根ざす現在の社会の閉塞状況が、こういった連中の暴発を準備し、その象徴として田母神が「決起」した点にこそ核心がある▼自民党内の右翼政治家どもは「田母神論文のどこが悪い」とうそぶいている。彼らにとって理屈などはどうでもいい。「100年に一度」の革命情勢に対して、支配体制を守るために、クーデター的な行動を用意することが必要なのだ。この右からのエネルギーはあなどれない。田母神は処分されず「定年退職」で済まされた。軍部の暴走が猛威をふるった1930年代に似てきている。

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週刊『三里塚』(S766号1面4)(2009/01/01)

 闘いの言葉

 「革命」というスローガンが叫ばれているが、政府の国策と43年闘いつづけてきた三里塚は「革命」の最先頭に立っていると言える。
 12月10日 反対同盟 北原鉱治事務局長

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週刊『三里塚』(S766号1面5)(2009/01/01)

 日程 1・11新年団結旗開き、1・20市東さん行政訴訟

●新年デモ 1月11日(日)午前10時
 東峰十字路北側の開拓組合道路
●新年旗開き 午後1時 ハナマサ(成田市並木町大久保219−304)

■1・20市東さん行政訴訟 午前11時千葉地裁

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週刊『三里塚』(S766号1面6)(2009/01/01)

 闘争スケジュール

●1・11新年デモと団結旗開き (別掲)

●1・20市東さん行政訴訟(別掲)

 《法大闘争裁判》
★12月25日(木)5・29デモ弾圧裁判@グループ
  第7回公判 午後1時30分
★1月13日(火)5・29デモ弾圧裁判Aグループ
  第6回公判 1時15分
★1月21日(水)5・29デモ弾圧裁判@グループ
  第8回公判 午後1時30分
 ・すべて東京地裁です。

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週刊『三里塚』(S766号2面1)(2009/01/01)

 一作生誕100年行事へ

 「労農連帯が実感できる場」 戸村 義弘さん ●天神峰現闘本部裁判を 支援する会代表世話人

 萩原進さんが書かれた本がすばらしい。なぜ脱落派が発生したか、どういう苦闘の末に今の三里塚と反対同盟があるか目を開かれる本になっている。
 2009年5月には戸村一作生誕100年のイベントをやりたい。一作を宗教者、芸術家そして闘争者の3つの角度から再認識してみたい。戸村精神なるものが今も反対同盟の中に受け継がれているのがうれしい。
 世の中は大変なことになっている。田母神のような者まで出てきて戦前の再来の動きがあらわになっている。こういう時こそ、三里塚闘争の出番。43年も抵抗しぬいているという事実は、これを革命と呼んでいいんじゃないだろうか。09年、市東さんの裁判、現闘本部裁判をしっかりと支援していきたい。

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週刊『三里塚』(S766号2面2)(2009/01/01)

 決戦の09年へ闘志たぎらそう

 12・13 市東さんの農地守るぞ

 08年の勝利確認するデモ

 12月13日、今年の三里塚闘争を締めくくる現地闘争が首都圏の労農学約80人を結集して三里塚現地で闘われた。08年三里塚闘争の勝利を宣言し、来る決戦の09年への闘志をたぎらせた。
 午後1時半、開拓道路(東峰十字路北側)で集会が始まった。最初に北原鉱治事務局長が、「来年は三里塚闘争44年になる。今、真の団結をかちとる時だ。日本の未来、世界の未来、人類の未来のために闘っている三里塚闘争は健在です」と言葉に力を込めた。
 共闘のあいさつでは動労千葉の繁沢敬一副委員長、婦民全国協の鶴田ひさ子事務局長、都政を革新する会の北島邦彦杉並区議らが登壇し、三里塚を闘う「障害者」からの発言では関東「障」解委もアピールした。
 中でも動労千葉の繁沢副委員長は「原則を貫いてがんばる三里塚43年の闘いに敬意を表する」とした上で萩原進さんが出版した著書に触れ「脱落や裏切りを許さず前進してきた三里塚の闘いは、国鉄・分割民営化と闘い抜いてきた動労千葉の闘いと同じだと感じた」「4者・4団体路線による新たな裏切りを絶対許さず闘う決意をあらためて固めた」と鮮明な決意表明を行った。
 支援党派から発言に立った三里塚現闘の同志は開口一番、「生活道路破壊トンネルへの怒りを爆発させている! 絶対に許せない」と語り、11月17日に開通が強行された天神峰と東峰を結ぶ生活道路のトンネル化を弾劾。「しかし、これも三里塚闘争に追い詰められた姿であり、09年は文字どおりの決戦。農地を死守して闘うと宣言している市東さんとともに闘う」と訴えた。
 団結ガンバローの後、反対同盟を先頭にデモに出発! 東峰十字路の先で「生活道路破壊トンネル」に突入。「なんだこれは!」、デモ参加者から一斉に怒りの声が上がった。東峰十字路から東峰神社の間が右回りにトンネルへと下降している。計画中の新誘導路のためにトンネル化されたのだ。カーブで見通しがきかず、畑に通う萩原さんや市東さんが乗ったトラクターは危険に直面する。地元の農民に農作業をさせないつもりか!
 デモ隊は天神峰現闘本部先の市東さんの農地まで、敷地内を横断して行進をやりぬいた。
 その後、市東さん宅の離れで恒例の「団結忘年会」を開催。大いに語り大いに歌い、1年の激闘を互いにねぎらい合い、決戦の2009年にむかう決意を固めあった。
(写真 生活道路破壊トンネルへの切り替えを弾劾して行進するデモ隊)

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週刊『三里塚』(S766号2面3)(2009/01/01)

 耕作権裁判 NAA 位置誤認を認める

 市東さん「生き方見直す年」

 12月8日に千葉地裁で闘われた市東さんの耕作権裁判第9回口頭弁論で決定的な勝利がかちとられた。
 弁論でNAA(空港会社)側が陳述した準備書面8で、市東さんの畑の位置の特定問題における最大の争点だった「41−9番地の畑」が、市東さんの耕作地ではなく、石橋政次(元反対同盟副委員長)の耕作地だったことを認めたのだ。
 前回裁判(9月1日)で市東さんと弁護団が行った、NAA提出の地積測量図(1984年2月作成)に基づく主張が正しかったため、ついに空港会社は従来の主張を一部撤回したのだ。
 同地籍測量図には、旧地主・藤崎政吉が、小作契約解消をもくろん石橋と市東さんの小作地での権利関係を整理するための分割線が多数引いてある。小作地を7対3の割合で所有権分(7)と小作権分(3)に分けてあるのだ。問題の「41−9番地」の面積を見ると、これに隣接する石橋の他の小作地との間で7対3に分割されていることが一目瞭然だ。
 これこそ、「41−9番地」を石橋が耕作していたことを示す決定的証拠に他ならない。しかもその地籍測量図は、NAAが提出したものだ。この事実をつきつけられたNAAはぐうの音も出なくなり、今回、1984年時点で「41−9」は、市東さんでなく石橋が耕していた畑であることをしぶしぶ認めた。
 さらにNAAが陳述した内容の中には、彼らの墓穴を掘るものが他にも含まれていた。
 弁論終了後、千葉県弁護士会館において記者会見と裁判報告会が行われた。市東さんは「自分の生き方を再認識する1年だった。今後もがんばるので支援お願いしたい」と語った。
 耕作権裁判はじめ市東さんの3つの裁判は、NAA、県を圧倒する佳境に入った。次回来年2月16日(午前10時30分 千葉地裁)の第10回弁論闘争をさらに強化しよう。

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週刊『三里塚』(S766号2面4)(2009/01/01)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2008

 12月3日(水)〜12月15日(月)

●「自給率50%に」 石破農相は、食糧自給率を50lにする工程表を発表し、現在40lを政府目標で約10年後まで引き上げるとした。この自給率向上計画は、企業の農地賃借規制の緩和で、耕作放棄地など未利用地の有効活用を図ろうとしている。農地法改悪にむけて自給率向上を口実にする狙いだ。(2日)
●農地法の改悪案提出 石破農相は経済財政諮問会議に農地制度の「抜本改革プラン」を提出、これに沿った農地法の改悪案を来年の通常国会に提出すると発表した。農地貸借を原則自由化、株式会社の農業参入を目的にしている。(3日)
●堂本知事が「30万回容認」へ 千葉県の堂本暁子知事は成田の年間発着回数を30万回にした場合の影響について「騒音コンターの協議に入る」と答弁。現在の発着は20万回。空港会社は30万回を策動している。(4日)
●市東さん耕作権裁判 千葉地裁で、市東さんの耕作権裁判第9回口頭弁論が行われた。今回の口頭弁論で、空港会社が勝手に決めつけた場所が、やはり石橋政次(元同盟副委員長)の畑だったことがはっきりした。NAAは陳述した準備書面で、畑の位置誤認の事実を認めた。(8日=写真、記事別掲
●都内でトラクターデモ
JA青協150人は、東京都内でトラクターデモを行い、「食糧と農業を守ろう」と訴えた。農民の怒りが噴出し始めている。(8日)
●1WTO決裂 WTOはド
ーハ・ラウンドの閣僚会合開催を見送った。これにより年内合意断念された。7月閣僚会合決裂以来の利害対立、農業などの対立が解けなかった。(12日)
●緊急現地闘争が成功 08年最後の緊急現地闘争が80人の結集をえて意気高く闘われた。闘争終了後、市東さんの離れで恒例の団結忘年会を行った。(13日=記事別掲)
●成田の横風用滑走路?
産経新聞が、横風用滑走路の必要性に関する地元協議についてャンペーンを始めた。(14日)

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