SANRIZUKA 2009/06/01(No776 p02)

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第776号の目次
 

(写真 裁判終了後、報告会に臨む鈴木いとさん【左は浅野史生弁護士】)

1面の画像
(1面)
新誘導路供用阻止 7月現地闘争へ総決起を
「前倒し」攻撃を阻止しよう!  5・11市東さん耕作権裁判
新証拠次々提出、NAAを圧倒
「41-9」は石橋の畑  妹と法対員メモが立証
記事を読む
報告会での反対同盟発言 記事を読む

主張 5〜7月現地攻防の焦点

主導権離さず陣形強化を

記事を読む
「公共性はウソだ」
5・14鈴木さん一坪裁判 事故の居直り弾劾
記事を読む
ピンスポット 高速道の上に進入灯設置の暴挙
保安区域に巨大溝
乗客、乗員の命を度外視
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
日程 6・14--15集会 記事を読む
《法大裁判闘争日程》 記事を読む
(2面)
闘いの真理求める扇動者、求道者  戸村一作生誕100年にあたり
労農連帯訴え続け  三里塚43年の礎を築く
記事を読む
前代未聞の大量逮捕弾劾
法大で破防法型弾圧  4・24集会の爆発に焦り
記事を読む
市東さんの会イベントに参加  運動の手応え実感 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2009  5月6日(水)〜5月19日(火) 記事を読む
解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史(23)
蘇るむしろ旗 第2部  第3部 八街で闘われた小作争議
地主伊藤家との闘い
全小作人糾合した日農支部  小作料値上げを押し返す
記事を読む

週刊『三里塚』(S776号1面1)(2009/06/01)

 新誘導路供用阻止 7月現地闘争へ総決起を

 「前倒し」攻撃を阻止しよう!

 5・11市東さん耕作権裁判

 新証拠次々提出、NAAを圧倒

 「41-9」は石橋の畑

 妹と法対員メモが立証

 世界大恐慌情勢下で「戦争・改憲と民営化・労組破壊」の攻撃が強まる中、三里塚も決戦中の決戦に突入した。北延伸滑走路の10月前倒し供用につづき、新誘導路の7月前倒し供用、付帯施設の5月前倒し供用など、攻撃のエスカレーションが企てられている。反対同盟はこの攻撃を真っ向から迎え撃つ闘いとして7月現地闘争を決定した。その突破口として、5月11日の市東さん耕作権裁判で成田空港会社(NAA)を圧倒する勝利がかちとられた。国鉄1047名解雇撤回・法大弾圧粉砕・改憲阻止・麻生政権打倒の6・14〜15連続闘争の爆発かちとり、7月新誘導路供用阻止現地闘争へ。
(写真 弁論終了後、記者会見・報告会で市東さん側の圧倒的な優勢を確認した【5月11日 千葉市】)

 6・14-6・15連続闘争へ攻め上れ

 現地攻防、裁判攻防が白熱の度を増す中、5月11日、市東さんの耕作権裁判第11回弁論が千葉地裁で開かれた。NAAが市東さんを「不法耕作」で訴えた裁判だ。約80人の労農学は、4月23日の天神峰現闘本部裁判の勝利に意気上がり、この日も早朝から千葉地裁を包囲する傍聴闘争に立ち上がった。
 この日は、市東さん側から、石橋政次元反対同盟副委員長の妹である関根トメさんの聞き取り報告が準備書面として提出され、その録音テープも後日提出する意向を明らかにした。
 さらに1988年3月19日に作成されていた反対同盟法対部員の元永修二氏のメモも証拠として提出され、空港会社を追いつめた。
 10時30分に始まった法廷では、まず、葉山岳夫代理人が、前述の準備書面の陳述と証拠の説明を行った。中でも関根トメさんの証言が決定的であることを強調した。
 関根さんは石橋政次元副委員長の末の妹で、1952年まで石橋家に暮らし、農作業に従事していた。その関根さんが争点になっている「41−9」の土地について、「石橋家で耕していたが、屋敷林の陰になって日当たりが悪いため、そこには植木を植えた」と明確に証言しているのだ。当事者によるこれほど明快な証言はない。
 ここが市東さんの賃借地であると決めつけたNAAに対する、決定的な打撃の強制だ。NAAの土地特定はことごとくデタラメなのだ。
 さらに、元永メモも市東さん側の主張の正しさを証明している。元永メモとは、1988年当時、反対同盟法対部で活動していた元永修二氏が、市東東市さん(孝雄さんの父)から小作権の権利関係、耕作場所を聞き取り、メモと地図として残したものだ。そこには、「41−9」の土地については耕作していなかった事実、石橋政次氏が耕作していた事実がはっきり記載されている。裁判が起こされるはるか前の1988年に作成されていたことが大きいのだ。この二つの新証拠の提出を受けてNAA側代理人は打撃感をあらわにした。
 法廷では市東さん側が空港会社に対して、求釈明という形で追いうちをかけた。「41−9」の耕作状況を明確にするためには、過去の航空写真が有効だ。市東さん側は、空港公団(空港会社の前身)が1966年に成田空港の建設計画書を運輸省(当時)に提出したときの航空写真を求めていた。ところが、会社側は「1968年以前の航空写真は存在しない」とウソの回答をしてきたのだ。市東さん側は「そんなことはありえない。1966年に空港計画の図面を提出しているのだから、その時点で航空写真があったはずだ。探し出して必ず提出してもらいたい」と要求し、了解させた。
 この他にも会社側提出の準備書面の矛盾を鋭くつく求釈明が各代理人から行われ、市東さん側が圧倒的に押し込む弁論が傍聴席と一体で展開された。

 裁判に値しない

 引きつづく記者会見、報告会でも活発な討論が交わされた。報告会では、市東孝雄さんが「そもそも提訴などできる根拠を持たないデタラメな裁判であることが、弁論をやればやるほど明らかになっています」とあいさつ。北原鉱治事務局長は「さらに空港会社を徹底的に追及しよう。弱い者を切り捨てる攻撃と三里塚は43年間闘ってきた。これは全人民の共同財産です」と訴えた。(発言要旨別掲)
 全国からかけつけた仲間の発言に移り、市東さんの農地取り上げに反対する会の井村弘子さん、動労千葉の滝口誠特別執行委員、関西実行委員会の松原康彦さん、群馬・市東さんの農地を守る会の青柳晃玄さん、全学連の内田晶理君らが発言、「市東さん側が圧倒している事実がますます明らかになってきた。さらに支援を拡大しよう」と声を大にした。
 最後に萩原進事務局次長が、5〜7月の闘争方針、特に7月現地闘争への取り組みを提起してしめくくった。
(写真 弁論前に多数の労農学が傍聴券を求めて並んだ【5月11日 千葉地裁】)

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週刊『三里塚』(S776号1面2)(2009/06/01)

 報告会での反対同盟発言

●市東孝雄さんの発言
今日の法廷でも 空港会社側は何の釈明もできない状態だ。今度新たに出した新証拠に対して、向こうは何も出せていない。こんなレベルで裁判に持ち込めるのかというそのような状況だった。さらに押しこみ、押しこみでやっていきたいと思います。
●北原事務局長の発言
 今日の裁判の進行状況を見てもまったくずさん、デタラメの一言。これは徹底的に追及しなければならない。これはデタラメの進め方が成田空港の建設過程と同じだ。成田空港の建設というのは根本から法的にも間違っているとあらためて感じる。
 私たちは43年間闘って来たが、今の政府、権力のやり方について、1人1人が立ち上がることが大事。三里塚の闘いは全人民の共有の財産です。
●萩原進事務局次長の発言 7月の新誘導路の供用前倒しという攻撃に対して、断固現地闘争で反撃したい。今、「豚インフルエンザ」という形で騒がれていますけれど、感染を疑われた人が市東さんの所から500bくらいのホテルに停留させられている。
 しかしこの事態は、昨年の9月に市が国民保護法の訓練という形で行なった5000人規模の動員訓練の発動と同じ意味を持っている。戦争態勢作りの意図を見なければならない。これも有事体制作りの一環であり、断固粉砕しよう。
 事故を逆手に取った北延伸や新誘導路の供用前強権的なやり方に対して断固怒りを叩きつけよう。あらためて7月現地闘争への取り組みをお願いする。

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週刊『三里塚』(S776号1面3)(2009/06/01)

 主張 5〜7月現地攻防の焦点

 主導権離さず陣形強化を

 新誘導路の7月前倒し供用開始にむけた攻撃が、反対同盟と東峰区農民の前でこれ見よがしに強行されている。5月12日、成田空港会社はジャンボ機を使って「着陸誘導電波の性能テスト」と称した新誘導路の走行テストを行った。
 さらに、同19日には、再び東峰部落内に深く進入して、同様の走行テストを強行した(写真記事)。これは「電波テスト」と称した屈服強要攻撃だ。中型機の1・5倍もある巨大なジャンボ機が挑戦的に東峰・天神峰部落の中を”のし歩いた”のだ。部落の人びとを威圧する目的だ。
 さらに団結街道北端(国道51号線近く)に建設していた「ホールディングベイ」(すれ違い用の待機スペース)と現在の連絡誘導路の南側に建設していたB誘導路については、何と5月7日に使用開始を強行した。
 そもそも新誘導路の7月供用開始は見せかけ上の理由すらない。「緊急事態のため」とも言えない。ただただ、「工事が完成したから早めに供用開始し、東峰部落に圧力を加えよう」という闘争破壊だけが目的だ。元来が許しがたい新誘導路の建設であるものを、当初予定より9カ月も早く東峰地区住民を騒音地獄、環境破壊にさらそうというこの暴挙に地元住民の怒りは爆発寸前だ。。
 また、暫定滑走路北側では、東関東自動車道をまたいで、約900メートルものハシゴ状の鉄橋をかけ、そこに進入灯を設置する工事が急ピッチで行われている(ピンスポット参照)。空港警備隊のワゴン車がものものしい警備体制ではりついている。
 この進入灯工事も危険を増幅する前代未聞の代物だ。そもそも空港保安区域の中に高速道路が走っている空港など世界中のどこにもない。保安区域は、オーバーラン事故などに備え、平坦で何の障害物もない平面とされている。ところが北延伸滑走路はそこに深さ10bにもなる溝(切り通しの高速道路)が掘られているのだ。
 このようにパイロットと乗客を危険に陥れいる前代未聞の滑走路が北延伸滑走路だ。
 日帝・国土交通省、成田空港会社が、焦りにかられて行うこうした攻撃の背景には、世界大恐慌情勢の深刻化の中で、道州制攻撃と一体であるアジア・ゲートウェイ戦略の貫徹以外に延命の道がないという、せっぱつまった危機がある。
 その重要環が巨大国際空港の拡充策だ。国策である成田空港の未完成のままでの固定化などという選択肢はありえない。何が何でも北延伸計画を強行し、そのことで空港反対農民を屈服させ、南に延伸して最終的には3800b滑走路を狙う、これが日帝・麻生政権の狙いだ。
 結局は、43年の三里塚闘争を破壊できるかどうかに問題は収れんされる。ここでこそ光を放つのが、動労千葉を先頭とした闘う労働者と三里塚農民との労農連帯、労農同盟だ。
 車の両輪として40年もの共闘関係にある動労千葉は今まさに、第2次国鉄決戦、国際連帯の闘い、そして道州制・改憲攻撃を打ち砕く先頭に立っている。
 三里塚反対同盟は、日帝・国交省、空港会社を徹底的に追いつめつつ、労農同盟の呼びかけを声高に発し、農地法改悪・FTAに反対し、怒れる300万農民の先頭に立って、農業・農民切り捨て攻撃との先端で闘っている。市東さんへの農地強奪攻撃との闘いはその中心だ。
 こうした労農同盟の発展に対して、日帝・国交省の行うどのような攻撃も闘いの砦を破壊することはできない。逆に、反権力・抵抗の砦としての三里塚が、日帝打倒の砦へと成長・進化することは、不可避だ。
 反対同盟は新誘導路の7月供用開始攻撃に対して、断固たる7月現地闘争を闘うことを決定した。
 動労千葉の呼びかける日帝・麻生政権打倒の6・14―15連続闘争、6・25現闘本部裁判闘争を闘い、市東さんの3つの裁判での攻防に勝ち抜いて7月の現地闘争へ猛然と前進しよう。

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週刊『三里塚』(S776号1面4)(2009/06/01)

 「公共性はウソだ」

 5・14鈴木さん一坪裁判 事故の居直り弾劾

(写真 裁判終了後、報告会に臨む鈴木いとさん【左は浅野史生弁護士】)

5月14日、千葉地裁601号法廷で鈴木さんの一坪裁判第10回口頭弁論が行われた。前回に引き続いて、「千葉県新産業三角構想」や成田空港には「公共性」などないことを全面的に明らかにする弁論を展開した。
 成田空港建設は、多くの村落を破壊し、農地をつぶし、空港の周囲を破壊した。日常的な航空機騒音は、心筋梗塞まで引き起こすような重大な健康被害をもたらす。その上航空機事故を起こしても、安全を無視して運航を強行するのが成田空港だ。
 その「公共性」は利潤追求の隠れみのでしかない。弁護団は「当初の建設過程から違法の固まりである」と徹底的に「公共性」を批判し追いつめた。次回、9月17日弁論へ。

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週刊『三里塚』(S776号1面5)(2009/06/01)

ピンスポット

 高速道の上に進入灯設置の暴挙

 保安区域に巨大溝

 乗客、乗員の命を度外視

 北延伸滑走路のさらに北側で今、進入灯工事なるものが急ピッチで行われている(写真=左右にハシゴ状)。この地区は空港保安区域と呼ばれる事実上の空港の一部だ。ところが写真にあるように、この中に東関東自動車道路という高速道路が走っている。こんなデタラメなことはない。
 滑走路横の着陸帯などと同様、空港保安区域に工作物は建てられない。それと同様、陥没部分も埋められなくてはならない。オーバーラン事故などに備えた平面であることが要求されるのだ。
 ところがそこに高速道路が走るということは、深さ10bもの巨大な溝があるということだ。こんな危険なことはない。
 さらに、夜になれば高速道を走る車のライトが数珠つなぎになる。着陸する航空機パイロットの視界を惑わせることは必至だ。徹頭徹尾危険な北延伸滑走路阻止を。

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週刊『三里塚』(S776号1面6)(2009/06/01)

 コラム 団結街道

 トウモロコシ栽培がもたらす構造的危険を通して巨大アグリビジネスを告発する映画「キング・コーン」が面白い製作・出演はエール大学を卒業したばかりの2学生。ここでトウモロコシというのは飼料用の遺伝子組み換えデントコーン。これが世界のコーン生産の95%以上をしめる。バイオエタノールの原料もこれだまず、コーンがほとんどすべての食品に混入している事実を衝撃的に明らかにする。鶏肉・豚肉・牛肉・卵・牛乳はすべてコーン飼料で育てられた鶏や豚、牛からできているその肉を通じて日本人の体内にも大量に蓄積している。栄養価は低いがカロリーの高いコーンが原料のスナック菓子。糖尿病急増の元凶といわれるコーンシロップ。それを原料とする「果糖」は大量の清涼飲料水や加工食品に使われている。でんぷんもコーンスターチでからできている等々実は日本人も知らないうちに大量のコーンを食べている。こうした事態をもたらしたのがニクソン、フォード政権下で農務長官を務めたアール・バッツだ。彼は農業補助金政策を農家への直接支払いでなく出来高払いにしたその結果、補助金目当てのコーン生産が爆発的に拡大した。そこへ大規模なアグリビジネスが参入して、家族農業を破壊し、補助金も独り占めする。自らトウモロコシを栽培する身近な目線から始まって、製作者の射程はアメリカ帝国主義の柱の1つをなすアグリビジネスの告発にまで届いている。

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(写真 ジャンボ機のテスト走行弾劾 5月19日、日帝・国交省、成田空港会社は、新誘導路の7月供用前倒しのデモンストレーションとしてジャンボ機による誘導路テスト走行を強行した。天神峰・東峰部落に対する威嚇を許すな。【写真は東峰神社東側】)

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週刊『三里塚』(S776号1面7)(2009/06/01)

 闘いの言葉

 新自由主義を打破し、代案社会を建設していく課題、これこそ今日の、世界の労働者の共通の課題だと考えます。
 5月10日 民主労総ソウル本部 チェジョンジン本部長

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週刊『三里塚』(S776号1面8)(2009/06/01)

 日程 6・14--15集会

 6・14全国労働者総決起集会
6月14日(日) 午後1時開会
東京・代々木公園B地区(けやき並木)

 法大学生弾圧粉砕!
 6・15反弾圧全国労学総決起集会
6月15日(月)
 法大包囲デモ 第1弾 午前11時 東郷公園
 デモ第2弾 12時半 外濠公園

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週刊『三里塚』(S776号1面9)(2009/06/01)

《法大裁判闘争日程》

★5月27日(水)7・24建造物侵入デッチあげ裁判
 第11回公判(判決) 午後1時30分開廷
★5月28日(木)5・28「暴行」デッチあげ  
 第12回公判 午後1時30分開廷
★6月3日(水)5・29デモ弾圧裁判Aグループ
 第13回公判(最終弁論) 午後1時30分開廷

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週刊『三里塚』(S776号2面1)(2009/06/01)

 闘いの真理求める扇動者、求道者

 戸村一作生誕100年にあたり

 労農連帯訴え続け

 三里塚43年の礎を築く

 5月29日で三里塚芝山連合反対同盟・戸村一作委員長の生誕100年を迎える。
 78年5月20日、「出直し開港粉砕決起集会」に戸村一作委員長は、ヘルメットをかぶって登壇し「今朝、私は航空機が墜落する夢で目覚めた。起きてみるとゲリラを報道していた。反撃が叩きつけられた。この空港は、死に一歩近づいただけだ。無制限のゲリラ戦をやりぬこう」と檄を発した。日帝が戸村さんに新たな弾圧を検討していた時である。戸村委員長は、弾圧をものともしない不屈の闘士であった。
 戸村一作委員長は、さまざまな顔を持っている。敵を演説で打倒する無類の戦闘的アジテーター。たえず自らを自問自答する孤高の求道者。そして何よりも機動隊の盾にぶつかる行動者。戸村さんが79年逝去の病床で残した遺訓(「三里塚闘争への遺稿」、以下「遺稿」という)を中心に彼の思想のエッセンスを紹介する。
 第一に、非妥協・非和解の思想だ。「敵はどんなことがあろうが、空港反対を認め、反対同盟の立場に立つことは永久にありえない。この二つの水と油のような質的相違を、彼我にはっきりと認める必要がある」(「遺稿」)
 戸村さんは、国・空港と反対同盟農民を「水と油」に例え、それを質的な相違の関係として、すなわち絶対的な非和解性を明確にした。これは読者にとっては当たり前のように聞こえるだろう。しかし、3つの点であらためてその意義を確認したい。
 一つは、14年間(当時)の血みどろの闘争を闘いぬいた三里塚闘争と戸村さんの自己変革に裏打ちされている点だ。戸村さんは次のように三里塚闘争を断言する。
 「この闘争も元来は、農民の地域エゴや利害関係から生まれたもの。しかし、そこから農民の意識構造が変革され、政治的に目覚めていったところに、三里塚闘争の絶対的な評価がある。そうしなければ、一坪の土地といえども守りきることはできなかったからだ」(「農民のコミューンとしての共同体は可能か」「講座 農を生きる4」収録)。そして、農民は何で変わったのか。彼はこう答える。「国家権力の農地収奪に対する『農地死守』という、単純で素朴ではあるが、その具体的な体験を通して変わっていくのである」と。まさに大衆闘争のダイナミズムを的確にとらえている。三里塚の非妥協・非和解の闘いは、変革の積み重ねの到達点だ。
 二つ目に、戸村さんの非和解の思想は、同盟内部の闘争解体策動との激しい闘いを通して打ち固められていることである。戸村さんは、79年病床において、島寛征(当時事務局長で、青年行動隊の幹部)の話し合い策動を知るや烈火のごとくに激怒し、見舞いに来た青年行動隊員も追い返した。他方で、なぜこのような敗北主義が発生するのか、彼はその根源をえぐり出し対決する。「農民の敵との談合は許されてはならない」(「遺稿」)と叱咤しつつ、その克服を次のように提起する。
「三里塚闘争が真の権力打倒の階級闘争だとすれば、必然にこの力の漲(みなぎ)りが見えてこなければならない。怒涛のようなうねりのような偉力を、私は求める。この力こそまず求めなければならない唯一のものだ」(「遺稿」)。
 つまり、三里塚闘争の道筋を政治的取り引きなどではなく、「階級」の力にもとめ、勝利の力を労働者階級に徹底的に依拠するのである。闘いか屈服かの境目は、労働者階級の力のみなぎりを確信できるかどうかなのである。これは、今日こそ問われている問題だ。「労働者階級の力の確信」ここからの逃亡が、国鉄分割・民営化と解雇攻撃に屈服した4者・4団体派であり、動労千葉派との分岐点だ。
 三つ目に「戦いにとって、不可欠なものは敵愾心だ。階級的視点から見定めた敵に対する心からの怒り」(「遺稿」)の強調である。「階級的視点から見定めた怒り」これは、労働者階級闘争の立場への移行につながる。
 今日の社会は、賃労働と資本の関係を基軸とする資本主義社会であり、労働者階級は資本と全面的な非和解的対立関係におかれている。労働者は「資本との非和解性をはっきりさせることを通して団結することができる」(Solidarity第5号)のである。この非和解の立場に戸村さんは立っている。それは「資本家階級と労働者階級がいて、非和解な階級対立があることをはっきりさせ、階級対立をなくすことを目指す労働運動」(「新版 甦る労働組合」)という階級的労働運動路線に直結しているのだ。
(写真 1978年3・30集会での戸村委員長)

 コミューンに熱い思い 市東東市さんの闘いに結実

 

第二に、労農同盟と労農コンミューンの思想。
戸村さんの病床からの最後のメッセージは「三里塚と動労千葉の革命的連帯こそ勝利の道。この道こそ日本を革命にまで導く不可欠のもの」。14年間の三里塚闘争を指導してきた彼の最後の言葉である。この言葉の重みは、増している。今日、三里塚と動労千葉の連帯は、ますます不可欠となっている。階級的労働運動と労農同盟は日本プロレタリア革命の路線だ。戸村さんのメッセージはそれを簡潔に言い表している。戸村さんは、動労千葉のジェット燃料輸送阻止闘争に感銘し、「三里塚のように、動労の労働者と反対同盟の農民が一体となった闘争というのは新しい局面。これが日本の未来を背負う労働者・農民ではないだろうか」(79年7月28日集会メッセージ)と述べ、動労千葉と反対同盟の連帯が日本階級闘争の画期的地平を切り開き、労農同盟が三里塚勝利の道であることを明確にする。
労農コミューンの思想に関連して、示唆に富んだ提起をしている。「三里塚闘争は農業・農民問題を忘れてはありえなかった。闘いを支えるものは、戦うものの生活を支えるコミューンである。これなくして、どんな闘いの持続もありえない」(「わが三里塚 風と炎の記録」)。これは労農同盟論の核心だ。プロレタリア階級が農民階級をいかに獲得するのか、この戦略的課題を視野に入れている。労農同盟・労農コミューンは、革命的に闘う農民と労働者との結合=闘いの中でこそ創造されなければならない実践的課題なのだ。
「農地死守」のスローガンは、「三里塚闘争=階級闘争」論に踏まえて次のようにとらえ返される。「土地は金で売り買いできるものでない。いかなる支配者といえども農民の土地にやたらに手をつけられない」「農民にとっての土地問題は金ではない。土地とは一心同体だ」(「遺稿」)。戸村さんは、これが三里塚闘争の思想だ、と結論する。「三里塚=階級闘争」論に則ったラディカルな「農地死守」論だ。
戸村一作委員長の思想は、反対同盟の基本路線、「農地死守・実力闘争、話し合い拒否」の中に脈打っている。北原鉱治事務局長・萩原進事務局次長の率いる同盟は、脱落派の屈服を乗り越え、戸村委員長の遺訓を守りきった。そして、市東孝雄さんの農地強奪阻止の闘いの中でこそ、戸村精神がますます重みを持ってきている。戸村委員長の遺訓を教訓に三里塚闘争の勝利をかちとろう。
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《戸村一作略歴》

1909年5月29日 千葉県印旛郡遠山村駒井野(現成田市三里塚)に生まれる。
66年7月 三里塚芝山連合空港反対同盟委員長に就任。
68年2月 成田市街で機動隊に襲われ重傷。
79年11月2日 悪性リンパ腫で永眠。

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週刊『三里塚』(S776号2面2)(2009/06/01)

 前代未聞の大量逮捕弾劾

 法大で破防法型弾圧

 4・24集会の爆発に焦り

(写真 1500人の法大生と合流した4・24集会)

5月15日、16日、日帝・警視庁、警察権力は「暴力行為等処罰に関する法律」(暴処法)違反をデッチ上げて、全学連・織田陽介委員長や法政大学文化連盟委員長・斎藤郁真君ら11人を不当逮捕した(4・24法大解放闘争で逮捕されていた恩田亮君、倉岡雅美さん、5・12法大デモで逮捕された織田委員長は再逮捕)。絶対に許せない! 2006年3月14日以来、3年有余の法大闘争での逮捕者はなんとのべ107人、起訴は24人だ。全国学生・労働者・農民の怒りの反撃で粉砕しよう!
    *
 今回デッチ上げられた「暴処法違反」とは、2月19日の大学当局による入構禁止看板への抗議を口実にしている。この「暴処法」なるものは「団体もしくは多衆の威力を示し」暴行、脅迫、器物破壊を行なったものを取り締まるとして、戦前以来、一貫して労働運動への弾圧、労働争議の圧殺に使われてきた治安法だ。
 昭和恐慌と軌を一にして制定されたこの法が今回、学生運動に対して初めて発動された。このことは、法大解放闘争の爆発が全国300万人学生のみならず、三里塚闘争や全国の反戦闘争、2000万青年労働者の資本・権力への怒りに火をつけることを恐れ、恐怖に駆り立てられた日帝・麻生政権の姿をを示しているのだ。
 この暴処法によって、5月15日に10人の学生をデッチあげ逮捕、16日には何と沖縄闘争の現場で洞口朋子さんを逮捕した。これで「暴処法」での逮捕者は11人。さらに、18日には全学連・冨山小太郎書記長が4・24集会でのアジテーションを口実に建造物侵入と威力業務妨害ででっち上げ不当逮捕された。
 法大当局、警察権力、検察権力の恐怖は何よりも4・24法大解放闘争の処分粉砕1500人集会の大爆発にこそある。4・24弾圧の取調べにおいても、「絶対に4・24を再現させない」と公安警察は泣き言を並べた。
 12人の逮捕された学生は、全員が完全黙秘で闘い抜いている。
 この前代未聞の大弾圧に対して4万法大生の怒りは頂点に達している。ビラをまいたら処分。それに抗議したら逮捕。学費が払えない学生には借金を背負わせて社会に放り出す。その社会では職にもつけない。
 そのようにしてかき集めた学費をサブプライムローンなどのマネーゲームにつぎ込み、それで大損失が出たら「ビラまきで営業権が侵害されて大学がつぶれそうだ。禁止してくれ」と裁判所に乞い願う。これが大学の民営化=私物化でなくて何か! 大学を学生たちの手に取り戻せ! という全学連、文化連盟の訴えはあまりに正当だ。
 何よりも前代未聞のこうした弾圧は、今まさに三里塚現地で吹き荒れる7月新誘導路前倒し供用、10月北延伸滑走路前倒し供用の闘争破壊攻撃と完全に軌を一にした攻撃だ。
 300万学生、6000万労働者、300万農民の連帯した力で全学生を取り戻そう。
(写真 4・24集会後、法大を包囲するデモを貫徹)

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週刊『三里塚』(S776号2面3)(2009/06/01)

 市東さんの会イベントに参加

 運動の手応え実感

 5月10日、市東さんの農地取り上げに反対する会のフィールドワークに参加しました。前夜からの雨もそれほどひどくならず一安心。お宅についてマイクロバスやワゴン車を連ねて現地調査へ。
 延伸滑走路の北側には、ライトをつけるための朱色の物体が長く続いています。進入灯を東関東自動車道の上に通す工事です。「これじゃ高速道路の車のライトと混同するんじゃない?」という声が上がりました。
 裁判で争点になっている「41−9」に立ち葉山弁護士から説明を受けました。耕しもない土地を「返せ」とは! 県と会社に怒りが募ります。
 轟音や地響き、排気ガス……。市東さんが厳しい状況で、農業を続けていることを実感しました。取り上げ対象となっている庭で、楽しみにしていたガーデン・パーティー。北総地域や東京からの農民が多数参加していました。パーティに間に合わせようと、餅つきが既に始まっています。子どもたちが小さい杵でこね、力自慢が大きな杵で次々とつきあげます。
 主催者、市東さん、、反対同盟のあいさつ、参加者の自己紹介……。最後はシャンソン歌手(市東さんの会会員)のライブ演奏。参加者の多彩な顔ぶれに、改めて市東さんの農地を守る運動の力強さと幅広さを実感しました。(投稿 千葉県K・H)

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週刊『三里塚』(S776号2面4)(2009/06/01)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2009

 5月6日(水)〜5月19日(火)

●農地法改悪案、衆議院で可決 農地法改悪案が衆議院本会議で、自民、公明、民主の賛成多数で可決された。(8日)
●「農地売買が世界に拡大している」 「発展途上国」の農地を目当てに、湾岸諸国、中国、韓国、インドなどが海外で農地取得に乗り出しているとの「国際食料政策研究所」(IFPRI)の報告書が新聞に紹介された。それによるとアジア、アフリカの国を中心に約2000万fが上記の国の投資家によって買収されたという。(8日)
●市東さん耕作権裁判でNAA圧倒 千葉地裁で開かれた市東さんの耕作権裁判で、市東さん側が新証拠を提出して、空港会社側を圧倒した。(11日=1面に記事)
●日本航空が1200人の人員削減へ 日本航空は4万7500人いるグループ社員の内1200人を来年3月末までに削減する方針を発表した。(11日)
●航空2社赤字転落 日本航空と全日空の2009年3月期連結決算で、両者とも赤字に転落したことが分かった。日航は631億円、全日空は42億円の損失。(12日)
●鈴木さん一坪裁判闘う
千葉地裁で鈴木幸司さん夫妻名義の一坪用地強奪阻止裁判が行われ、鈴木さん側は「千葉県新産業三角構想」の実態を暴いて、共有地強奪の目的である貨物基地構想、成田空港の公共性論に対して反論した。(14日=1面に記事)
●市東さんの会のイベント開かれる 市東さんの農地取り上げに反対する会主催の現地調査と交流会が市東さん宅で開かれ大成功した。(17日=投稿別掲)
●NAAが初の減収減益
NAAが09年3月期の決算を発表した。それによると経常利益で前年比39・9%減、純利益で45・5%の大幅な減収減益となり、04年4月の株式会社化後初の事態となった。(18日)
●成田駅頭街宣 6・14−15連続闘争に向かって、三里塚現闘が毎週の成田駅頭街宣を開始し、市東さんの農地を守ろうと訴えた。(19日=写真)

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週刊『三里塚』(S776号2面5)(2009/06/01)

 解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史(23)

 蘇るむしろ旗 第2部

 第3部 八街で闘われた小作争議

 地主伊藤家との闘い

 全小作人糾合した日農支部

 小作料値上げを押し返す

 前回述べた1923年の大地主・西村に対する争議と同時期、もう一人の大地主・伊藤に対する争議が始まる。発端は、不在地主(東京在住)の伊藤喜助が1923年から小作料を4円から6円に値上げすることをを通告したことによる。
 5割り増しの増額は、小作農民たちの生活を奪うものであった。農民たちは怒った。この耐え難い強収奪は、折からの農民組合運動の闘いの高揚によって農民たちの決起をうながした。

 ●地主制の矛盾

 戦前地主制の矛盾の一つは、小作料金基準の不透明・根拠のなさである。左記の表は、八街の地主別小作料状況である。1932年当時のもので地主によってバラバラだ。すでに伊藤は他の地主(飯沼家=後述)に土地を売ってしまった後の状況で、伊藤の名前は出てこないが、当時の様子は見て取れる。(その飯沼も転売してしまっている)
 同じ八街町住野(すみの)の畑でも在村地主の大久保の小作料は、3円である。
 ところが道を一本隔てただけで小作料が異なるのである。合理性を欠いた小作料の違いは、農民の地主制への疑問・農民問題の端緒的自覚をもたらし、地主に対する小作人たちの怒りが蓄積していく契機だ。
 農民たちの闘いは、地主への納入延期要請の消極的受身的姿勢から出発し、小作料永久減免・納入拒否の組合的積極的闘いへと発展した。
 今回述べる伊藤争議もこのように展開した。しかし、伊藤が卑劣だったのは次の点だ。地主である伊藤は、一旦は小作料の引き上げを断念するが、農民組合への対抗手段として地所を八街隣町の飯沼酒造(甲子正宗を製造)という資産家に売却した。
 他方で、新地主となった飯沼は善意の第三者として小作料滞納分の支払いと未納の場合に明け渡しを要求したのだ。法的詐術を使って小作人を惑わそうとする、今日でも見られる収奪手段だ。
 このような旧地主の土地売却と新地主の民事訴訟による明け渡し要求が20年代後半からの地主階級の対農民組合戦術になった。
 これに対抗した八街農民組合の闘いは、小作地の所有権獲得を要求するものを含んでいった。詳しく見てみよう。
 伊藤家は、明治開墾のときの八街開墾会社の参加商人で、20年当時、八街町の住野に53町歩の畑と77町歩の山林を所有した。明治期の八街開墾会社の商人は、次々と土地を売却したことはすでに述べた。佐倉牧開墾(当初9人の豪商)から残っているのは、西村・大久保・大鐘・伊藤・鍋島である。うち鍋島は、小間子牧の独自の開墾なので、伊藤が明治開墾以来の唯一の東京に住む不在地主である。
 伊藤家では、八街現地の代理人として瀬古という社員が土地を管理していた。1922年、下半期地料納入の際、この代理人・瀬古は、来年度からの小作料の値上げを通告した。
 先に述べたように当時の反当りの小作料は、大久保が3円、伊藤が4円であった。それを6円に引き上げ、納期の遅れた場合はさらに2割の利子を徴収するというのである。当時麦1俵の売価が3円、反収約3俵であるから、おおよそで言えば収穫物の3分の2を奪う小作料である。これは、大久保家の2倍である。
 農民たちは、協議し、この通告を撤回させるために決起した。二つの部落で小作人組合を結成した。まず住野の兎谷津部落に日農支部が結成された。さらに日農支部は、住野の俵部落の「協同組合」(地主が組織する協調団体)と共同して伊藤家の全小作人に呼びかけが組織することに成功した。4名が組合を代表して瀬古に撤回を申し入れる。

 ●小作争議の嵐

 

しかしこの時点では、瀬古に断られただけでなく、東京の地主・伊藤とは会うこともできなかった。明治期以来の従属的な地主・小作人関係が圧倒していたのであった。 翌年9月、関東大震災直後、先の代表4名は、り災見舞いをかねて伊藤家を訪れ実質の経営者の奥村に窮状を訴える。1921年農民組合結成以来、情勢は劇的に変革されていたのである。
奥村は、全国で巻き起こっていた農民組合の闘いに身震いし、小作人の訴えに敏感に反応する。現地代理人・瀬古を解任し、農民の不満事項であった貸し付け面積の過大見積もりに耕地を実測し地積をあらため、小作料を反当り5円として妥協した。
農民組合の団結の力で引き上げ額を6円から5円に値下げさせたのだ。引き上げ自体の阻止はできず屈辱的だったが、その値上げ幅を縮めることだけでも当時としては画期的なことだったのだ。
農民たちは、この争議の最初の勝利をおさめた。(つづく)

表 地主別実行小作料(1932年=反当)

  地主氏名 契約小作料 実質小作料
在村地主 西村家 5円 3円50〜4円25
西村分家 5円50 3円30〜4円13
大久保家 3円 3円
大鐘家 6円 6円
松原圭次郎家 5円 4円
不在地主 長谷川卯三郎 5円 3円50
斉藤菊次郎 5円 3円50
山本栄治 2円50〜3円50 2円50〜3円50
山本利一 2円50〜3円50 2円50〜3円50
赤地源八 5〜7円 3円〜4円20
豊田啓二郎 4〜5円 3円20〜4円
森岡平右衛門 5円 3円50
森岡文三郎 5円 3円50
鍋島家 2〜3円 2〜3円

伊藤家に対する争議より10年ほど後の小作料の実態をしめす表。各地主で地代がまったくばらばらなのが分かる

●メモ…参考文献

今回は『歴史学研究』第52号所収の「戦間期農民運動の一側面――千葉県大鐘争議を事例として」、『土地制度史学』85号所収「農民運動の発展と自作農創設――千葉県印旛郡八街町を事例として」および八街市発行の『八街町史』などを参考にした。

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