SANRIZUKA 2009/11/01(No786 p02)
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週刊『三里塚』(S786号1面1)(2009/11/01)
全てを“11・1日比谷1万”へ
決戦の三里塚から大結集を訴えます
「成田・羽田一体」はアジア侵略
1047名解雇撤回、農地死守
国際連帯、労農の旗高く
11・1全国労働者総決起集会まで2週間弱となった。何としても労農学1万人の結集をかちとり、プロレタリア革命を切り開く唯一の政治勢力としての登場をかちとろう。国鉄1047名の解雇撤回にむけたうねりを作り出し、国際連帯の新たな発展と労農同盟の飛躍をかちとる集会だ。決戦に突入した三里塚の地から反対同盟は、10・11集会の大成功を引っさげて合流する。「成田空港と羽田空港のすみわけ廃止」は、「東アジア共同体構想」のインフラ整備に向けた侵略政策だ。戦争・改憲と民営化・労組破壊を粉砕する11・1集会の力で打ち砕こう。その力で天神峰現闘本部裁判の結審策動粉砕、11・12千葉地裁デモに立ち上がろう。
11・1日比谷に1万人の労農学を結集する闘いは正念場に突入した。8・30総選挙で労農学人民は自民党を打倒したが、民主党・連合結託政権を支持したのではない。こんな社会はもうがまんできない、という怒りの声がますます高まっている。政権から1カ月で早くも化けの皮が次つぎと剥がれてきている。
訪米した鳩山首相は「日米同盟堅持」を改めて確認する一方、「東アジア共同体構想」なる対米対抗的な戦略を押し出しつつ、帝国主義間争闘戦での生き残りを露骨に狙っている。
民主党・連合結託政権がブルジョア政権であり、帝国主義の最後の救済者である正体が日に日に明らかになってきている。
現下の世界大恐慌が示すものは、資本主義=帝国主義のそのものの崩壊と終焉であり、歴史的生命力の喪失である。資本主義発生以来300年の歴史を、労働者人民の力で転覆するかどうかが問われているのだ。
この過程で、動労千葉を先頭とする日本の闘い、民主労総ソウル地域本部を先頭とする韓国の闘い、ILWU(国際港湾・倉庫労働組合)ローカル10などを先頭とするアメリカの闘いそして全世界各地で雄たけびを上げ始めた労働者・農民の奔流のような闘いがついに最末期帝国主義に引導を渡そうとしているのだ。
帝国主義の枠内でのどうのような経済・財政・金融政策もこの資本主義の危機を解決することはおろか、緩和することもできはしない。
問題はただ一点、この日本の地で、動労千葉派の一大政治潮流としての登場だ。それが11・1日比谷1万人結集の成否にかかっている。体制内4者4団体派を吹き飛ばし、日共スターリン主義や小ブル反革命・塩川一派の敵対をふみしだいて、前進しよう。
動労千葉、動労水戸のストライキ闘争が爆発している。動労千葉は幕張支部への不当配転=組織破壊攻撃に対して全日ストライキで反撃を開始した。動労水戸も遠距離配転=組織破壊攻撃に対して4波のストライキで決戦に立ち上がっている。
4大産別の闘いが11・1の勝利とその後のプロレタリア革命にむけた前進を切り開くのだ。一切を11・1日比谷1万人結集の実現へかけきろう。
(写真 5700人の労農学を集めて成功した昨年の11月労働者集会【11月2日 日比谷野外音楽堂】)
10・11勝利の力で 「東アジア共同体」粉砕へ
大恐慌情勢下、三里塚も新たな決戦に突入した。10月22日には暫定滑走路の北延伸が供用開始された。市東さん宅を囲い込む第3誘導路の攻撃も迫っている。何よりも裁判闘争で天神峰現闘本部撤去の攻撃が切迫し、これは市東さんへの農地取り上げ攻撃と一体だ。
こうした中で、10・12前原国交相発言に端を発した「成田・羽田住み分けの撤廃」問題が浮上した。しかし、これは「成田の地盤沈下」とか「羽田に需要を奪われる」という空港利権の問題ではなく、安倍政権時代のアジア・ゲートウェイ戦略と軌を一にしたアジア侵略政策だ、という点に本質がある。
「東アジア共同体構想」と名を変えた成田・羽田一体の航空インフラ大増強攻撃だ。(2面に関連企画)
同時にこれは、地元自治体、経済・利権団体などの尻を押して、「30万回化」「24時間化」の大合唱をそそのかすことを狙っており、住民運動の扇動までも意図した大攻撃だ。
こうした攻撃との決戦を準備しつつ、反対同盟は11・1日比谷に決起しようとしている。「他力本願ではなく自ら決起するのだ」という北原鉱治事務局長の発言。「闘いの主人公は労働者。われわれ農民は同盟軍として合流する」という萩原進事務局次長の決意。そして1億8千万円という買収費を拒否して労働者との団結に生きる市東孝雄さん。菱田部落で一軒になっても不屈の闘いを貫く鈴木幸司さん一家。
こうした反対同盟が10・11全国集会の大成功をかちとった。この勝利を受けて「絶対反対原則」を引っさげて登場する。
11・1では、動労千葉と三里塚の「車の両輪」の連帯を中軸とする新たな労農同盟の発展が切り開かれようとしている。
さらに韓国・民主労総ソウル地域本部の4回目の三里塚訪問が決定した。国際連帯の新たな地平の実現は確実だ。
11・1日比谷野音に1万人の大結集を実現し、民主党・連合結託政権を打倒する政治潮流の登場をかちとろう。その力を11・12千葉地裁デモへ。
(写真 「成田・羽田一体化」にむけ談合する前原国交相【右】と森田千葉県知事【10月14日】)
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週刊『三里塚』(S786号1面2)(2009/11/01)
北延伸の強行を弾劾する
三里塚芝山連合空港反対同盟
10月20日、反対同盟は10・22暫定滑走路の北延伸を弾劾する声明を発表した。(抜粋)
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わが反対同盟は、政府権力・国交省と成田空港会社による10・22暫定滑走路北延伸の前倒し供用を怒りをこめて弾劾する。北延伸がもたらすものは欠陥空港のさらなる危険である。滑走路南端の航空機横断と東関東自動車道の航空保安区域通過、「へ」の字誘導路手前の停止撤廃など、民営化と利益追求による人命軽視は絶対に認められない。
だが問題はそればかりではない。国交省と空港会社は北延伸に続けて、天神峰現闘本部の破壊と市東孝雄さんの農地強奪を策動している。「第3の誘導路」で市東さんの家と畑を空港の中に囲い込み、東峰地区を追い出してコンクリートの下にしようとしている。飛行直下の住民の暮らしを同時並行離着陸でおびやかし、「年間飛行回数30万回」「24時間空港化」をねらっている。まさに71年強制代執行と変わらぬ農地収用、騒音下住民への犠牲の強要だ。
さらに、前原国土交通相の一連の発言と、森田知事や空港周辺首長の無責任な暴言を許すわけにはいかない。
10月13日、前原国交相は羽田を国際拠点空港(ハブ空港)とする考えを表明した。これに対して知事や周辺首長が「寝耳に水」「民主主義に反する」などと騒いでいるが噴飯ものだ。国の言うままに住民の声を踏みにじり、空港づくりを推進したのは当の首長たちではないか。「年間30万回」で経済波及効果が「1兆1388億円」(成田国際空港都市づくり推進会議)などという無責任なデマ宣伝はなんだ!
これに対して、反対同盟は空港建設の不当を訴え一貫して闘い続けてきた。その正しさが、今、明らかになったのである。成田空港の破綻は、農民を虫けらのように扱ってきた暴挙の結果である。
しかも前原発言は成田からの撤退を意味するものではない。成田空港の破綻は、住民への攻撃をいっそう激しくさせる。大恐慌は戦争をもたらす。航空需要が底なしに下がり続ける今、「年間30万回」「24時間空港化」を打ちだすのは、鳩山政権が鳴り物入りで掲げる「東アジア共同体」構想と軍事空港建設のためである。成田空港は廃港あるのみ。反対同盟は闘いの正義と勝利を確信し不屈に闘う決意である。
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週刊『三里塚』(S786号1面3)(2009/11/01)
現闘本部裁判 結審粉砕 11・12デモ決定
仲戸川隆人裁判長による天神峰現闘本部裁判の結審策動を粉砕するため、裁判が予定されている11月12日、反対同盟は千葉地裁を包囲する千葉市集会・デモを行うことを決定した。予定されている弁論法廷を粉砕し、実地検証、証人再喚問を実現させよう。(要項別掲)
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週刊『三里塚』(S786号1面4)(2009/11/01)
「不在地主だ」(農地法6条違反)と追及
市東行訴・農地法裁判 関係ない」の暴言
10・20 県、NAA追撃の弁論
10月20日、千葉地裁で、市東孝雄さんの農地をめぐる二つの裁判(@行政訴訟、A農地法裁判)の弁論闘争が連続して闘われた。
二つの裁判の焦点は農地法第6条1項にある「不在地主」の禁止だった。同項には「何人もその所有者の住所のある市町村の区域の外にある小作地を所有してはならない」旨書かれている。
空港公団(後の空港会社=NAA)が市東さんの農地を旧地主から買収したのが1988年。この時公団の本社は東京にあり、成田に移転したのは96年だ。つまり空港公団の買収は「不在地主」規定違反そのものだった。したがって、買収は違法であり無効だ。
午前10時半、市東さんが耕作権解除の許可を出した千葉県を訴えた行政訴訟が開廷。被告の千葉県は、反対同盟と顧問弁護団の「不在地主」問題での追及に対し、「NAAが農地法6条に反しているかどうかは考慮されることではない」などと「反論」した。とんでもないことだ。行政が「違法をやっても問題ない」などと言い張った。
さらに、成田市農業委員会、千葉県農業会議での審議過程の問題については「釈明の必要はない」と居直りを決め込んだ。裁判長はこうした千葉県代理人に、たびたび助け船を出した。傍聴席から怒りの声が次々と浴びせられた。
11時10分から、NAAが市東さんに対し土地の明け渡しを請求した農地法裁判が開廷した。ここでも「不在地主問題」が鋭く追及された。NAAの弁明はなんと「一時的に不在地主と同様の状態が生ずるとしても、成田に移転の見通しだったから問題ない」という、これまた驚くべき暴論だった。
裁判終了後、弁護士会館で記者会見と報告集会が開かれた。この日は成田空港内で前原国土交通相や森田千葉県知事が来て、2日後に控えた暫定滑走路北延伸供用開始のセレモニーが大々的に行われている。絶対に許すことはできない。
冒頭に事務局の鈴木謙太郎さんが、10・22前倒し供用への「弾劾声明」を読み上げた。(別掲) 北原鉱治事務局長が怒りの発言に立った。「ここに43年間闘っている農民がいる。この千葉県民を無視して森田が騒いでいる。物取り主義の典型だ。廃港まで闘います」
続いて市東孝雄さんがあいさつした。「裁判で県は肝心要のところで逃げるばかり。さらに追い込んでいく。22日から供用開始されてもこれまでどおり闘うのみだ」と鮮明な決意を表した。
葉山岳夫弁護士を始め弁護団が次々と発言し、県とNAAのデタラメで傲慢不遜な居直りを徹底追及していくことを明言した。
最後に萩原進事務局次長がまとめの発言を行った。「記者からは大臣や知事に何か言うことはないかという質問もあったが、こっちから頭を下げて言うことは何もない。彼らの頭には利権のことしかない。われわれの闘いにこそ正義性、勝利性がある。空港は完成しない」と不動の決意を示した。この反対同盟の断固たる記者会見が、仰々しい空港内のセレモニーはまったくの空騒ぎに過ぎないことを容赦なく暴いた。
三里塚裁判は、11月9日に市東さんの耕作権裁判があり、11月12日にはいよいよ現闘本部裁判の弁論法廷が予定されているが、反対同盟は結審策動を粉砕するため千葉地裁包囲の集会・デモ行動を決定した。全力で結集しよう。
(写真 弁論終了後、記者会見と報告会を行った【10月20日 千葉市】)
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週刊『三里塚』(S786号1面5)(2009/11/01)
「危険と欠陥の拡大」
反対同盟 北延伸弾劾の記者会見
反対同盟は、10月22日に暫定滑走路の北延伸滑走路が前倒し供用されることに対し、10月20日の市東さん裁判弁論終了後記者会見を行い、弾劾声明を発表した。
記者会見には新聞各社およびテレビ局多数もかけつけ、「北延伸供用開始」への反対同盟の態度に注目した。
弾劾声明で反対同盟は、「北延伸がもたらすものは欠陥空港のさらなる危険である」として、滑走路南端を2カ所にわたって航空機が横断することになる、前代未聞の誘導路の危険性、さらに東関東自動車道をまたぐ形で造られている航空保安区域の違法な建設など、危険性の増幅と人命軽視が民営化と利益追求によるものであることを指摘し、北延伸供用の中止を求めた。
さらに、前原発言による羽田空港の拠点空港化問題にも触れ、地元自治体、利権団体による暴言を弾劾、「羽田拠点化」なるものが、実は成田の「30万回化、24時間化」攻撃を一体であおり、三里塚闘争破壊として立ち現れてくる攻撃であることを指弾し、成田空港の廃港をきっぱりと要求した。
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週刊『三里塚』(S786号1面6)(2009/11/01)
コラム
10月16日付のマスコミに米農家の「時給」が出ていた(産経新聞)。何と179円。農水省が毎年算出している。ワーキングプアの青年労働者も真っ青! という値段だ▼1975年から90年くらいまでは時給600円から700円だった。95年には1059円まで上がった。しかし、その後00年に475円、05年331円、06年256円と下がりつづけてきた。そして前述の179円だ▼94年の食管法撤廃が転換点となって信じがたい米の暴落となっていった。「米だけ作って食えるようにしてもらえないか」というのが取材を受けた宮城県栗原市の農民の切実な言葉だった。民主党が喧伝する「戸別補償」にも期待の声はない。同政策の眼目は何よりもFTA(自由貿易協定)・EPA(経済連携協定)を承認させるための”毒まんじゅう”だからだ▼また、「補償」と言っても赤字になった場合の補償であってそれ以上ではない。利益はゼロのまま。利益が出ないのだから、翌年以降の再生産にはつながらない▼日本の農業の危機は小手先の政策変更ではどうにもならない所にまで来ており、帝国主義の世界的な打倒による現在の社会の根本的な変革をかちとる以外に解決の道は見出せない▼家族農業と大規模農業、有機農業の普遍性、フードマイレージ(食物・野菜の輸送距離)の短縮化、単作特化型農業と循環型農業など、解明すべきテーマは多いが、土台は労働者と農民が連帯した共同社会の樹立だ。
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週刊『三里塚』(S786号1面7)(2009/11/01)
闘いの言葉
仲戸川裁判長は仮執行宣言付き判決で、控訴審、上告審抜きで現闘本部を破壊しようとする。代執行攻撃の再現に私は体を張って闘う。
10月11日 反対同盟・森田恒一さん
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週刊『三里塚』(S786号1面8)(2009/11/01)
集会要項
国鉄1047名解雇撤回! 派遣法撤廃! 道州制=360万人首切りを許すな! 改憲・戦争と民営化・労組破壊に立ち向かう労働者の国際的団結を
11・1全国労働者総決起集会
●東京・日比谷野外音楽堂 11月1日(日)正午
●呼びかけ 全日本建設運輸連帯・関西地区生コン支部/全国金属機械労組・港合同/動労千葉
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現闘本部裁判結審策動粉砕
11・12千葉地裁包囲デモ
●11月12日(木)午前9時
●千葉市中央公園
・10時30分から弁論闘争
11・9市東さん耕作権裁判
●11月9日(月)午前10時30分
●千葉地裁601号法廷
【法大闘争裁判】
☆暴処法弾圧裁判
恩田君、増井君、織田君、内海君、新井君
第3回公判 11月4日(水)午後1時30分
☆4・24集会弾圧裁判
斎藤君、恩田君、増井君、倉岡さん、冨山君、内海君
第2回公判 10月30日(金)午後1時30分
第3回公判 11月13日(金)午後1時30分
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週刊『三里塚』(S786号2面1)(2009/11/01)
レポート 「東アジア共同体構想」と前原国交相発言
アジア侵略への大空港造り
「成田も羽田も」だ!
地元反動組織し「30万回・24時間化」狙う
10月12日、前原誠司国土交通大臣は、「成田は国際線、羽田は国内線という分離の原則を見直し、羽田を国際線化しアジアのハブ空港競争での遅れを取り戻す」と発言した。NAA(成田空港会社)や地元自治体、経済界は「成田が沈没する」と大騒ぎだが、問題の本質はどこにあるのか報告したい。
(写真 成田空港のハブ競争からの脱落を示す地図。韓国仁川が潜在能力で群を抜く)
勢力圏化
前原国交相は、大阪泉佐野市で開かれたアジア・太平洋航空局長会議に出席した後記者会見して、「従来成田空港を基軸に位置づけてきた国際線について、羽田も解禁し、国際線と国内線の分離を見直す」「日本にハブ空港はない。韓国仁川空港などに遅れをとっており、羽田をハブ空港化するために全力を上げる」と語った。
この突然の発言に、千葉、成田の現地は大騒ぎとなった。森田健作県知事は「冗談じゃない。今まで積み上げてきたものがゼロになる」と前原発言を真っ向批判した。
千葉県経営者協会(代表・大塚弘京成電鉄相談役)もただちに「成田と羽田の住み分けを維持して欲しい」と要望した。
成田現地では、成田市を始め9市町からなる「空港周辺自治体会議」が緊急会議を開いて、前原発言を批判、15日には国交省に出向いて申し入れ書を手渡した。
しかし、前原発言の真意は、安倍政権時代のアジア・ゲートウェイ戦略そのものである(解説(2))。2002年暫定滑走路開業の当時から羽田への近距離国際便の解禁をめぐって、「成田の地盤沈下につながる」云々の私利私欲で、成田空港利権関係者が大騒ぎした経緯があるが、「成田か羽田か」ではなく「成田も羽田も」なのだ。
そして鳩山政権の延命策は「東アジア共同体構想」である。これは形を代えたアジア・ゲートウェイ戦略だ。アジア・ゲートウェイ戦略では成田、羽田を含めた空港容量全体の大幅拡大が主張されていたが、それと同様、アジア勢力圏化と一体の産業インフラとしての空港拡充政策だ。
そして、何よりも今回の前原発言の最大の眼目は、地元自治体、経済界への脅しをとおした反動的住民運動の扇動であり、三里塚闘争破壊攻撃のいっそうの激化なのだ。
「成田の地盤沈下」に怖気を振るう地元自治体、経済界は「成田への視線の厳しさを実感した」と語り「だから30万回化、24時間化を急がなければ」という趣旨の発言をくり返している。とりわけNAA社長・森中小三郎は、「暫定滑走路の南側の問題は、空港の安全から言っても、空港の拡大から言っても避けて通れない」と発言し、東峰・天神峰部落へのたたき出し攻撃を公言した。今こそ、民主党・連合結託政権による「東アジア共同体構想」そのものを粉砕しなければならない。これは民主党政権を擁護する塩川一派をも打ち砕くものだ。
43年の闘いで国策窮地 勝利の証しがここにある
労農の力
他方で、今回の事態の示すものは、三里塚闘争43年の勝利の地平の大きさである。上の地図でも分かるように、日帝は、アジアをめぐるハブ空港競争に完全に敗北している。
前のNAA社長・黒野匡彦は運輸省(当時)航空局長だった1990年代半ば、「成田は、アジアのハブ空港は目指さない」とハブ空港競争からの脱落を早くも明言していた。
その言葉のとおり、シンガポール・チャンギ空港や中国・香港空港そして何よりも韓国・仁川空港から大きく遅れをとったのだ。【仁川空港との比較で言うと貨物では完全に水をあけられた。旅客ではかろうじて成田の方が上回っているが、潜在成長力は段違いだ。仁川は成田の2倍の敷地を持ち、現在滑走路が3本のところ、2020年には5本にする計画だ。およそ勝負にならないというのが実態だ。=解説(1)参照】
日本航空の危機もつまるところ、三里塚43年の闘いが強制した戦略的空港政策の喪失に根源がある。成田の未完成問題に端を発する今回の「ハブ空港競争からの陥落――だから羽田の全面的国際化を」という“騒動”を目の当たりにする時、日帝最大の国策空港を43年もの長きにわたり阻止しつづけてきた三里塚闘争の偉大さを改めて確認できる。
このことは、日帝そのものを打倒する力を労働者・農民・人民が保持していることの具体的な証明だ。韓国・民主労総ソウル地域本部の仲間が、「三里塚を訪ねたい」と希望する根っこにもこの闘いの力強さがある。
「空港絶対反対・農地死守」「一切の話し合い拒否・実力闘争」の原則をとことん貫き、今秋決戦に勝利しよう。11・1日比谷に大結集しよう。
(写真 三里塚闘争によって完成の展望を絶たれている成田空港【写真は暫定滑走路】)
解説
(1)仁川空港のハブ空港化 仁川空港がのし上がった戦略の一つに日本の地方空港からの旅客需要を吸い上げる作戦があった。仁川は日本の27カ所の地方空港に大韓航空、アシアナ航空などを使って路線を張っているのに対して、成田はわずか8空港にしか国内路線がない。成田への国内線がない地方からは仁川経由で欧米に向かった方が利便性が高い。前原発言の「日本にハブ空港はない」はこのことも意識している。国内線が多い羽田を国際線化し、仁川に奪われた地方空港需要を奪い返してハブ空港に、という趣旨だが、「羽田も成田も」であることに注意しなければならない。
(2)アジア・ゲートウェイ戦略 安倍政権時代の2006年5月、経済財政諮問会議が打ち出した日本帝国主義の延命戦略。成田・羽田の両空港の容量拡大によって、産業インフラとしてアジアとの航空ネットワークを拡充して、アジア勢力圏を目指す、としている。
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週刊『三里塚』(S786号2面2)(2009/11/01)
階級的敵がい心を貫く 戸村思想を学ぼう(3)
敵権力に何で応えるか
階級闘争への飛躍を
戸村一作委員長は、亡くなる直前に二本の論文を発表した。「敵権力に何をもって応えるか」と「話合いによる解決はない」である。「79年10月集会へのメッセージ」とならんで、戸村さんの思想的到達点を示す。今回、「敵権力に何をもって応えるか」を紹介したい。
当時、三里塚闘争は71年代執行阻止闘争とその弾圧をのりこえ、78年開港阻止決戦の勝利をかちとり、二期攻防に攻め上っていた。三里塚闘争は、カクマルの反革命を打ち破り70年安保・沖縄闘争の地平を引き継ぐ一大闘争として日本階級闘争の中軸へ躍り出た。その決定的な意義は、動労千葉がジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起し、労農連帯の本格的構築がなされたことであった。これへの反動が懐柔策や話し合い策動による反対同盟総条件派の攻撃である。
戸村さんは、同盟内部話し合い派を「敵との談合はありえない」と弾劾し、彼らの屈服を思想的レベルから問題にし、自己の「三里塚階級闘争論」を明確にした。戸村さんは、三里塚闘争を「階級闘争の戦争=内乱・暴動・革命」と規定し、三里塚はプロレタリア革命の一翼を担い、労農コミューン=ソヴィエト樹立まで闘われることを主張した。この立場から、闘いにとって不可欠なものは、「革命の思想とその階級的憎悪の怒り」「敵愾心」だ、と強調した。
また、三里塚闘争を労農コミューンの戦いとして地歩を占めることができるかは、反対同盟の思想性と力量の問題だと指摘し、農民自らの飛躍が必要なことを訴える。そのカギは、「動労千葉と反対同盟は一心同体」「動労千葉の戦いなくして勝利なし」の労農同盟論だ。戸村さんは、レーニン主義の労農同盟論を自らの闘いによって実践的に獲得しつつあったといえる。ところでレーニン主義の核心は、プロレタリア独裁と労農同盟による社会主義建設である。塩川派のレーニン主義解体は、戸村思想に対する敵対である。
(写真 鉄の彫刻「闘う大木よね」と共に)
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「敵権力に何をもって応えるか」(「遺稿」より)
さて、二期工区戦であるが、これにどう戦うかが現時点の問題で、要は反対同盟の階級的な思想性と決断がものをいう戦いである。三里塚闘争の何であるかを、明確に総括して見る必要がある。
三里塚闘争はもはや闘争の段階ではなく、戦争だ。階級闘争の戦争とは侵略に対して、いかに内乱・暴動・革命をもって、これに応えうるかにある。「農地死守」から始った空港反対の農民運動も、ようやくそこから脱して今や階級闘争の端緒に入りつつある。今尚、農民のプチブル性とエゴから抜け切れない面もなきにしもあらずである。これをどう克服し、敵の掲げて来た農業政策や話し合いムードを拒否して、撤底抗戦をしていけるか。これが現局面の当面する重大問題で、戦いの勝敗を決するほどのものだ。
いま、三里塚での恐威はこれなのだ。ここから即時に脱却して敵に対する憎悪の念を、もう一度新しくどう燃やすかが問題だ。どんな意味でも農民の敵との談合は、許されてならない。なぜなら階級闘争に敵との談合はありえないからだ。あるものは撤底抗戦ただ一つあるのみ。最終的に敵を倒し三里塚闘争を勝利に導くものは、革命の思想とその階級的憎悪の怒りの爆発の強弱の程度によって決まる。
それほど戦いにとって、不可欠なものは敵愾心だ。敵愾心とは私憤や怨念ではない。階級的視点から見定めた敵に対する心からの怒りだ。
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戦いは階級闘争であって見れば、もっと総合され統一された労農コミューンの戦いとして地歩を占めていかないと、敵の分断作戦によって孤立化する。ここに反対同盟の思想性と、力量の問題が厳しく問われる。
幸いなことに反対同盟はすでに動労千葉地本と労農同盟を結んでいる。動労千葉は成田空港ジェット燃料阻止を掲げている。動労千葉の労働者との連帯をもっと強固なものとし、これをいかに大衆化していくかに問題がある。ジェット闘争の動労千葉の戦いは、反対同盟と路線を一つにした戦いであることはいうまでもない。動労千葉の戦いなくして、勝利は望めない。動労千葉と反対同盟は、一心同体のものだ。
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週刊『三里塚』(S786号2面3)(2009/11/01)
三里塚営農だより
風物詩いも穴掘り
萩原進さん宅
この所、農作業をするのに最適な秋晴れが続き、気持ち良い風が、額に流れる汗を消してくれます。
今週から、根菜野菜の中でも1番人気があるサトイモ(写真)の出荷が始まります。今回、萩原さん宅の真ん前のサトイモ畑の1列を掘り取りましたが、土が株にへばり付き、2〜3倍の重さに。
萩原進さんも「イヤー掘り取ったのは良いいが、土がくっついて、重くてトレーラーに積むのが大変だったよ、良い出来栄えだが、虫に舐められ(喰われ)てるのが多いな」と虫(黄金虫の幼虫)の被害を心配しています。
さて、11月中頃から根菜野菜の貯蔵も始まります。「稲刈り」と同じで、こちらは畑のイベントです。貯蔵を終えると今年もあと少しだなとホッとします。
おーっと、貯蔵の前に、畑に貯蔵用の穴掘りがありました。幅1b、深さ60a、長さ15bのいも穴を掘ります。
大汗を流してやる作業は、「これぞ畑仕事!」と言う感じで気持ちが良いです! さあ皆さんも、気持ち良い汗を流しに援農に来てください。
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週刊『三里塚』(S786号2面4)(2009/11/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2009
10月12日(月)〜10月20日(火)
●前原国土交通相、「羽田をハブに」発言 大阪府泉佐野市で開かれたアジア太平洋航空局長会議の後、記者会見した前原誠司国土交通大臣は、「成田を国際線、羽田を国内線としてきた原則を廃止し、羽田空港の国際線化を図り、ハブ空港化する方針を発表した。(12日=写真)
●千葉県経営者協会が「3500b化」要求 千葉県経営者協会(会長=大塚弘・京成電鉄相談役)は千葉県に対し、成田空港暫定滑走路の3500b化を要求する内容を含む政策提言を千葉県に提出した。(13日)
●国交相と千葉県知事が「羽田ハブ化」で会談
「羽田ハブ空港化」問題で前原国交相と森田健作千葉県知事が会談した。森田知事は「成田・羽田の一体的運用を確認した」とし、「羽田ハブ化発言を撤回した」とこじつけた。(14日)
●成田空港周辺市町会議が国交相に「抗議」 成田市など9市長からなる成田空港周辺市町会議は国交省で前原大臣と会談、「羽田ハブ空港化」発言に「抗議」した。(15日)
●仲戸川裁判長が検証要求またしても却下 反対同盟弁護団が10月9日提出していた天神峰現闘本部の検証要求と証人再喚問について、仲戸川隆人裁判長はまたしても却下した。 (16日)
●日航再建に企業再生支援機構活用へ 国交相が任命した「JAL再生タスクフォース」は、経営危機の日本航空の再建のため、企業再生支援機構を活用する方針を固めたことが報じられた。(17日=産経新聞)
●市東さん行政訴訟、農地法裁判を闘う 市東さんの行政訴訟(県に処分の取消を要求)と農地法裁判が千葉地裁で闘われた。弁論後の記者会見で反対同盟は10・22暫定滑走路北延伸供用を弾劾する声明を発表した。また、緊迫した情勢に突入している現闘本部裁判に関連して、11月12日に予定されている弁論闘争の当日に千葉地裁包囲の集会・デモを行うことを決定した。(20日=1面に記事)
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週刊『三里塚』(S786号2面5)(2009/11/01)
解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史
蘇るむしろ旗 第2部(32)
第3部 八街で闘われた小作争議
大鐘争議の激闘 B
20年戦争、ついに勝利
農地解放闘争で地主追放
大鐘争議は、激突を恐れた千葉県知事の調停により、この1932年末、法廷和解が成立する。しかし対立はさらに激化し、以降でも大鐘争議は和解拒否・争議再発を二度にわたって繰り返した。まず33年11月法廷和解が成立する。和解条件は@地代、一反歩につき年5円50銭、A地代完納の場合、地主はその小作者に反2円を還付することであった。完納小作者は、小作料3円50銭となり、小作農はさしあたりの条件を獲得した。
しかし、大鐘はこの和解に不満で、完納者に対する反2円の還付(これを奨励金と言った)を「これは地主の任意」と主張し小作者への交付を拒否した。この地主の条件違反で、34年6月に争議が再発する。この中34年、大鐘家小作人の一人が死亡して、この土地1・5町歩を国粋会の管理に移した。
これに対し小作人側は反対闘争に立ち上がり、全農(全日本農民組合)の大衆動員で対峙する。10月16日、国粋会の幹部、遠藤久米吉を代理人とした強制執行が行われたが、農民側のピケで粉砕した。
実は、ファシストの暴力支配は栃木県の阿久津争議の武装決起で完全に粉砕され、右翼国粋会も闘う人民の前では既に張子の虎でしかなかった。元々暴力団にすぎなかった国粋会は、この頃、品行の悪さと反人民性で八街町の嫌われ者となっていた。そこで遠藤は、地主の番犬の姿を転換し、争議調停者として躍り出て「親分」の体面を保とうとして策動したのだ。
地主と小作人の間に立って争議を解決させた実績で実力者の地位を維持しようとした。しかし遠藤に農民のピケを解除させる力はなく、小作側の要求を受け入れざるを得なかった。
これにより一旦は、和解が成立する。しかし35年秋、和解条項に基づき小作料を納入するが大鐘は拒否し、組合幹部の北村(耕地4町歩)、池田(耕地3町歩)、平沼(1町5反)の3人に、強制執行・立ち入り禁止の処分を請求した。そして35年9月警察を導入して強制執行が行われた。
9月25日、県特高課、警察の100名の動員で、検束用のトラックを用意し札が立てられることとなった。全農は、山本源次郎を先頭に早朝からの闘争に入った。300名が大鐘の家を取り囲み、農民歌を歌い気勢を上げる。婦人たち100名は、大鐘宅後ろの氏神の境内に集合する。大鐘の屋敷は、家の西側に広い屋敷林を作っている。その角に接して神社がある。そもそもは柳沢牧の「馬の水のみ場」といわれた泉と林があったところである。
地主側弁護士が対応に出てきた。山本がこれを殴り、権力が導入される。山本は検束されるが、「我らの闘士を返せ」と婦人行動隊が決起し奪還される。
地主側は、8町5反の畑に立て札を立てる。大鐘の妻と番頭が先頭だ。後に続くものは、大鐘の使用人数人と他の部落の大鐘の小作人たちだ。大鐘は、夕日丘のほかに小作地を持っていて、小作人を同行社という団体に入れている。その役員らしき農民が動員されている。手に立ち入り禁止の看板を持っている。
組合員みんなが集まってくる。「『立ち入り禁止』の文字を消せ」「そんな看板を作る金があるなら、小作料を下げろ」と口々にいい始める。巡査が数人県道から監視し始めた。番頭たちは、畑の隅に看板を立てると巡査に向かって一目散に駆け出す。
小作人の池田・北村は、「完納してある耕地に対する制札は認めない。今夜中にも引き抜いてしまう」と宣言し、引っこ抜いた。全農弁護士黒田寿男・町長・警察署長が仲裁に入り、大鐘はこの件では鉾を納める。しかし、大鐘は翌26日滞納小作料の一時納入を提訴する。また、小作人が10月に陸稲の刈り入れをしたのを窃盗で訴えた。
「今回は是非私の思うとおりに断行する。私の心情はとやかく言われましょうが、将来必ず判る時機が来ると信じます。地主の身にもなって考えていただきたい」。
小作人たちは、さらに怒りを増した。
池田作治郎の長男勝治は、立ち入り禁止の立て札を無視して、落花生の大鐘は、勝治が畑にいるのを見つけると、怒鳴りつけ殴りかかり、乱闘になった。勝治は持っていた農具で大鐘の頭をたたき、大鐘は重傷を負う。勝治も大鐘にたたかれ打撲し、双方告訴する。
大鐘は、さらに反動を強め、18人の小作人に30町歩の明け渡しを要求。しかし、小作人たちはこれに構わず落花生・陸稲・甘藷の収穫を行い、11月には麦の蒔きつけもおこなわれた。この団結した実力行使の前に、大鐘も権力もこれ以上なすことができなかった。地主階級の没落が始まっていたのである。
36年法廷和解が成立するが、大鐘はこれを不服として訴訟を起こし勝訴するが、小作人側調停申し立てをおこない、紛争は戦後まで続くことになる。そして戦後の農地解放で、土地の所有は農民のものとなりついに地主を追放したのだ。(第3部「八街で闘われた小作争議」は今回で終了。第4部「戦後農民運動の真実」を2010年の1月より開始します)
(写真 大鐘争議における「立入禁止」の看板と官憲)
メモ ●阿久津村小作争議
栃木県塩谷郡阿久津村の地主側は、大日本生産党を導入し闘争を策した。大日本生産党は農民組合幹部を暴行・拉致し組合事務所を占拠した。32年1月9日早朝、農民組合員173名は、槍刀、猟銃、竹やりで武装し、事務所の奪還に決起する。5人に死を強制、10数人重軽傷。この闘いによって栃木県の未解決の小作争議は勝利した。
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