富田益行同志を追悼する 国鉄―JRで不屈に闘い先頭で勝利の展望開く 革共同関西地方委員会 革共同兵庫県委員会

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週刊『前進』06頁(2665号06面03)(2015/01/19)


富田益行同志を追悼する
 国鉄―JRで不屈に闘い先頭で勝利の展望開く
 革共同関西地方委員会 革共同兵庫県委員会


 富田益行同志は昨年10月29日、脳幹出血で突然亡くなりました。10月17日に国鉄闘争全国運動・関西を立ち上げた矢先の、あまりにも早い死でした。享年63でした。
 しかし、富田同志が党と労働者階級に示した闘いの地平は巨大です。富田同志は、「国鉄決戦の路線は動労千葉・動労水戸、動労総連合をJRの中に拡大し、JR労働運動の主流派になること」「国鉄分割・民営化を突き破ったのは階級的労働運動だけ。動労総連合だけが時代を切り開ける」と常々言っていました。
 富田同志は、その路線を実現するために、JR西日本近畿統括本部の青年労働者が動労西日本に加盟したのを契機に、動労西日本を階級的労働組合として確立するために奮闘してきました。先駆的に「動労総連合を全国に」を実践してきたのです。そして、その実践をもって全国国鉄委員会での議論を組織し、党の国鉄決戦の路線的確立を牽引(けんいん)してきました。
 富田同志はJRでのあらゆる闘いをやり抜き、国鉄決戦勝利の展望を切り開いてきたのです。
●分会の団結守り抜く
 富田同志は1951年神戸市で生まれ、67年に神戸工業高等専門学校に入学。在学中に安保・沖縄決戦に決起し、革命的共産主義運動に合流します。72年に卒業し、国鉄新幹線総局に入社。対カクマル戦争の最大の戦場であり総評労働運動の基軸をなす国鉄戦線での闘いに入りました。
 82年以降は労働者階級の先頭で国鉄分割・民営化粉砕闘争を闘ってきました。300人以上を擁した国労大阪新幹線保線所分会の執行委員として、敵の攻撃にひるむことなく徹底的に職場闘争を闘い、保線所分会の団結を守り抜きました。この闘いは、動労千葉派のもう一つの拠点、国労大阪森ノ宮電車区分会の闘いとともに、分割・民営化を突き破りました。
●国労臨大弾圧を粉砕
 1047名解雇撤回を巡る98年5・28判決から始まる国鉄闘争解体の大攻撃に対しても、富田同志は先頭で闘いました。とりわけ2002年、「3党声明」に屈して国鉄闘争の解体に踏み切った5・27国労臨時大会を粉砕する闘争に全国の国鉄労働者とともに決起。国家権力・国労本部から暴力行為等処罰法(暴処法)による逮捕・投獄という弾圧が加えられましたが、完全黙秘・非転向で闘い、1年3カ月の勾留に屈せず裁判闘争を闘い抜きました。そして暴処法弾圧を完全に粉砕。この勝利は法大闘争に引き継がれました。
 決定的なことは、富田同志を団長とする被告団が体制内的あり方から階級的労働運動路線への全面的転換をかけて、09年2月、弁護団を全員解任したことです。「闘う闘争団(4・9和解派)」にすり寄るあり方と決別し、完黙闘争の否定を徹底弾劾して完黙路線を確立。動労千葉の反合・運転保安闘争路線で闘いJR体制を打倒することこそが国鉄闘争の推進基軸であることをはっきりさせたのです。
 弁護団の解任は、富田同志を中心にして05年から始めた尼崎闘争の路線的確立に決定的インパクトを与えました。動労千葉・動労水戸に体現される階級的労働運動だけがJR体制を打倒できることをつかみ、国労主義をのりこえる決定的契機になりました。「動労総連合を全国に」につながる転換だったと富田同志は総括していました。
●県委員会の責任担う
 富田同志は12年1月、兵庫県委員会書記長に就任し、党と労働組合の一体的建設の先頭で闘ってきました。国鉄決戦でつかんだ時代認識と路線で地区党建設に責任を取ってきたのです。とりわけ公務員決戦で労組拠点をつくること、労働者同志が階級の指導部に飛躍していくことに心血を注いできました。
 富田同志は「国鉄決戦の指導部が地区党建設の先頭に立たなければ、革命に勝利する党はつくれない」と地区党を牽引しました。兵庫県委員会の同志は巨大な地区党と自治体に拠点を建設する決意に燃えています。
 富田同志! われわれは同志の闘いをすべて受け継ぎ、「国鉄決戦で世界革命を」「動労総連合を全国に」の闘いを爆発させ、2010年代中期階級決戦、日本における「1917年」へ進撃します。故中野洋動労千葉顧問とともにわれわれを見守ってください。
 (写真は臨大闘争弾圧で勝利判決をかちとった09年11月27日、東京地裁前で)

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