知る・考える 用語解説 「党の革命」/韓国・民主労総

週刊『前進』06頁(2683号05面05)(2015/06/01)


知る・考える 用語解説
 「党の革命」/韓国・民主労総

「党の革命」-労働者党建設への敵対粉砕

 2006年から08年にかけて闘われた革共同の革命的な党内闘争。動労千葉を先頭に国鉄決戦―階級的労働組合運動を推進し、マルクス主義に基づく革命的労働者党を建設するという党の路線と体制を自己変革的に再確立した闘い。
 発端は、06年3月14日に関西地方委員会の労働者党員が、党を私物化し変質を狙い労働者細胞への抑圧体制を築いていた関西指導部を打倒した「蜂起」であり、この闘いが中央―全国に波及した。
 革共同は70年安保・沖縄闘争の大爆発の後、革共同の組織絶滅を狙った権力・反革命との20年におよぶ内戦=死闘を必死に闘い、勝ちぬいた。そして91年、あらためて職場生産点に入り、階級的労働運動の前進と一体で労働者党を建設することを提起し、その実践に突入した。
 しかし党中央の内部にこれへの隠然とした反対派が形成された。彼らは「日本の労働者は差別と排外主義にまみれていて革命の主体にはなれない」と主張し、動労千葉労働運動の推進に敵対した。それは労働者階級の党である革共同を根底から解体し、変質させるものだった。
 この反対派を打倒し、革共同をマルクス主義に基づく労働者党として再確立したのが党の革命である。党はこれを土台に大きく飛躍し、労働者党員が党の中央指導部を形成するに至っている。

韓国・民主労総-独裁政権打倒の中から誕生

 現在、ハンサンギュン委員長のもとでパククネ打倒へ波状的ゼネスト闘争を繰り広げている民主労総(全国民主労働組合総連盟)は、1995年11月に創立された民主労組のナショナルセンターである。新自由主義攻撃が吹き荒れ、労働組合運動が後退を強いられていた90年代中期の民主労総誕生は、全世界の労働者を限りなく激励するものだった。
 45年8月、日本の朝鮮植民地支配から解放されると同時に朝鮮労働者階級は、すぐさま労働組合の組織化を進め、同年11月には朝鮮労働組合全国評議会を設立して激しく闘った。しかしその後、朝鮮半島の南北分断と朝鮮戦争によるその固定化を経て、労働運動は圧殺され、韓国では軍事独裁政権下での徹底的な団結破壊と過酷な労働条件、政治的無権利状態を長く強いられてきた。
 1970年11月13日に、青年労働者・チョンテイル氏が「勤労基準法を順守せよ」と叫んで焼身決起した。彼の精神を引き継いで、資本と闘うために労働者自身の手で組織される労働組合=民主労組を結成し死守する闘いが、独裁政権下で御用労組と激突しながら営々と展開された。そしてついに87年労働者大闘争で軍事独裁政権を崩壊させ、さらに民主労組運動を一つに束ねる粘り強い努力が、95年の民主労総結成に結実した。
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