異議申し立て棄却弾劾!再審開始・無罪まで闘う 富山保信

週刊『前進』08頁(2685号06面02)(2015/06/15)


異議申し立て棄却弾劾!再審開始・無罪まで闘う
 富山保信


 5月29日、東京高裁第4刑事部(河合健司裁判長)は、2004年3月30日に第3刑事部(中川武隆裁判長)が行った再審請求棄却決定に対する異議申し立てを棄却した。まったく不当な、許しがたい決定である。
 富山再審闘争は、1974年10月3日の反革命カクマル完全せん滅戦闘へのデッチあげ「殺人罪」弾圧(注)と不屈に闘い抜いてきた。八海(やかい)事件元被告の阿藤周平さんをはじめ多くの心ある人びとの決起をかちとり、ともに前進してきた。
 異議申し立てから11年、粘り強い闘いによって、弁護団はこれまで隠されていた27人の目撃者の供述調書等60通、さらに法廷で証言した6人の目撃者の面通し、面割りに関連する捜査報告書等8通を開示させた。弁護団は開示証拠と確定審までの証拠を総合的に検討し、私の無実を裏付けた。棄却決定は弁護団の主張にまったく答えられずに立ち往生している。
 開示させた証拠を見ると、事件直後の目撃者たちに、私の特徴を言っている者はいなかった。特に最も大きな特徴である180㌢という身長に誰も言及していない。
 決定は、確定判決(東京高裁での「逆転有罪」判決)で最も信頼できるとされたI証人の視力(「左0・1ないし0・2程度、右0・3ないし0・4程度」)では16・45㍍の距離からは初めて見た人物を識別できないという鑑定結果にまっとうに応えていない。事実に反するデッチあげ「殺人罪」弾圧を追認した確定判決は、真実を踏みにじるために論理学的にも破綻した論理展開を重ねた(例えば「がっちり」「角張った顔」と「ほっそり」「細面」は矛盾しないとまで主張)。
 そして、その擁護のために開き直った再審請求棄却決定は、お粗末きわまりないものだったが、今回の決定は拙劣さにいっそう輪をかけるものだ。
 I証人は「当時、日常生活を特に不自由なく裸眼で送っていた」というが、それは「既知の情報を利用」できることが前提となっているから可能なのであり、本件は初めて見る人物が対象の「既知の情報を利用できない場面」なのだ。「見る」「見える」と「識別する」「識別できる」は、明白に別のことがらである。最も良好な条件下で実験を行い、その結果「識別できない」という結論に達した鑑定(科学的知見)を正視しようとしないから説得力を欠く恥ずかしい文章を書くことになるのだ。
 さらに容貌の識別ができないI証人の視力でも大きさの判別はできるにもかかわらず、私の身長・180㌢を指摘できないで後に「こんなに大きかったかな」と述懐する羽目になったのは、捜査当局の暗示・誘導があったことの証明でなくていったいなんだというのか。
 決定は、新たに開示された証拠について真摯(しんし)な検討をまったくしていない。こんな劣悪な水準で人の人生を左右する判定をするとは怒りに堪えない。
 詳細な批判と弾劾は別の機会に譲るが、今回の異議申し立て棄却は11年間の異議審、さらに一審以来の審理内容を無視した卑劣かつ悪辣(あくらつ)な決定だ。全審理経過と内容をあえて無視しないかぎり、棄却決定は強行できなかったのだ。
 あらためて声を大にして訴える。私は無実だ。40年間の闘いを通して私の無実はあまりにも明らかである。
 今回の決定は破綻したデッチあげを維持し、日帝安倍の改憲・戦争攻撃の前に立ちふさがる労働者階級人民の闘いの根絶一掃のための治安弾圧体制確立を狙う暴挙である。こんな裁判の名に値しない裁判の行き着く先は、戦時司法の再来だ。まかり通らせる訳にはいかない。
 私と弁護団はただちに最高裁に特別抗告を行った。再審開始・無罪まで闘い抜く。ともにがんばりましょう。

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(注)1975年1月13日に逮捕、2月3日に起訴、81年3月5日の一審東京地裁は無罪判決、85年6月26日の二審東京高裁は「逆転有罪・懲役10年」の判決、87年11月の最高裁は上告棄却、大阪刑務所で服役、94年6月20日に再審請求、95年12月19日に満期で出獄した。

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