避難指示区域を訪ねて 「希望の牧場」吉沢代表と共に(下) 牛とともに「希望」掲げて

週刊『前進』06頁(2711号05面03)(2015/12/21)


避難指示区域を訪ねて
 「希望の牧場」吉沢代表と共に(下)
 牛とともに「希望」掲げて

(写真 白石市から運び込まれた大量の牧草ロール)

(写真 体中に無数の白い斑点が浮かび上がっている被曝牛)

330頭の牛を生かして

 福島第一原発から北西に14㌔、双葉郡浪江町にある「希望の牧場」。代表の吉沢正巳さんは11年3・11から4年9カ月たつ今も、330頭の牛とともにこの地に生きる。
 3・11当時、この区域で飼われていた牛のうち約1500頭が、牛舎につながれたまま餓死した。その中でも吉沢さんは3日に一度エサを届け、牛を生かした。その後、生き残った牛が野良牛となっていると問題視され、農水省は5月、原発20㌔圏内の家畜の「全頭殺処分」を決めた。
 吉沢さんは語る。「この時、逆スイッチがばーんと入った。『国の言うことは絶対に聞かない。どんなことがあっても牛を生かし続ける』と」。約1800頭の牛が殺処分されたが、希望の牧場の牛の殺処分は拒んだ。
 「5年近く、募金活動で牛を世話している。エサを運び込む運送費は年間約1千万円。あとはもやしのかすやりんごの搾りかすなどをもらってきて食べさせている」
 この秋、明るいニュースがあった。約70㌔離れた宮城県白石(しろいし)市が、市内にあった牧草約550㌧を希望の牧場に無料で提供した。事業費1400万円も市が拠出した。

これでこの冬を乗り切れる

 国の基準値(1㌔グラム当たり100ベクレル以下)を超える飼料は、出荷する牛には食べさせられない。同市の畜産農家が仮保管していた1㌔グラム当たり8千ベクレル以下の牧草について、環境省は各市町村で焼却処理する方針を示した。しかし地元住民は焼却処分に絶対反対。そこで白石市は「焼却のめどが立たず、これ以上放置もできない」として、希望の牧場への提供を決めたのだ。
 10月末から11月にかけて、白石市から牧草ロールの搬入が行われた。吉沢さんは以下のメッセージを発した。「希望の牧場では宮城県白石市より『汚染牧草』の搬入が始まりました。汚染牧草を焼却処分ではなく、被ばく牛の餌として活用する道がようやく開けたのです。これにより春までの餌は十分確保することができました。逆に言えば、今回の白石市からの提供がなければ、牛たちは冬を越せませんでした。当牧場としましては、汚染牧草を抱える各自治体には今回の『白石市方式』にぜひ習っていただき、今後も汚染牧草を被ばく牛の餌として活用していきたい」
 事態にあわてた浪江町の馬場町長は11月20日、白石市に抗議に行った。抗議文には「市が汚染された牧草を運びこむことは......浪江町民の帰還意欲の低下を招く」とあった。しかし白石市は「1㌔あたり8千ベクレル以下の牧草で移送は合法。農家と牧場を助ける人道的措置、動物愛護の観点から決断したことで、われわれの行動は正しかった」と、馬場町長の抗議を受け付けなかった。
 吉沢さんは「これでこの冬を乗り切れる」と笑みを浮かべる。「白石市に続き汚染ロールを運んでくれるよう、あちこちの自治体にお願いしている。動きそうだという感触がある。5年近い活動が一つの市を動かした。僕たちがそれなりに実力をつけた結果だと思う」

斑点牛は原発事故の証人だ

 希望の牧場には白い斑点模様の牛がいる。牛に異変が見つかったのは事故の約1年後だ。「今、330頭のうち斑点が出ている牛が20頭ぐらい。獣医師は『毛づやもいいし、食欲もあって健康的。皮膚病とは違う。メラニン色素の突然異変が起きている』と言う」
 農水省に調査するよう求め、牧場に調査員が来て血液に銅が欠乏していることがわかったが、斑点模様と被曝の因果関係については「わかりません」と言うだけだった。
 「斑点牛も、小児甲状腺がんの多発も、国は原発事故との因果関係を認めない。原発を再稼働し輸出するためには、邪魔だから。この先も僕たちは、牛の斑点と原発事故との因果関係を認めさせるために頑張っていく」

国への抵抗のシンボルに

(写真 タイヤショベルの先で牧草ロールを器用に扱い、2段に重ねて運ぶ吉沢正巳代表)

(写真 30㌶という広大な牧場のところどころで、牛がロールに群がって干し草をはんでいる)

 吉沢さんたちは浪江の地に住み、汚染ロールを運び込んで牛を生かしている。牛飼いとして最後まで牛の世話を続ける。その意味は何なのか。
 「あの牛は邪魔者なのか。そんなことはない。そもそも被曝の影響はしっかり研究すべきことだ。さらに国の殺処分という指示に絶対従わない希望の牧場は、国に対する抵抗のシンボルだ。応援してくれる人も全国に増えた。命の問題を真剣に考えている人たちに響くテーマだからだ。さらに白石市の件で、汚染ロールを見事に食いながら片付けるという新しい役割が生まれた」
 希望の牧場は今では警戒区域の見学コースとなり、大勢の人が見に来ている。筆者が訪れていた間も、観光バスに乗った団体が次々やってきた。また報道関係者や研究者が訪ねてくる場所になっている。
 「牧場の支援者も増えている。しっかり全国に発信する。これからも声がかかれば、講演会、写真展、街頭演説、全国どこへでも行きます」

原発の時代を終わらせよう

 「生きているうちに原発の時代を終わらせる」というのが吉沢さんの決意だ。
 「今、その寸前のところに来ている。原発事故をへて多くの人が行動するようになった。再稼働や戦争法をめぐり、あれだけ多くの人たちが動き、全国に広がったのはすごいことだ。『戦争も原発もいらない』というところではみんなつながれる。その大きな連帯を広く深くどうつくるか。『生きている限り、心を決めて闘い続けよう』と言いたい。力勝負だ。いっぺんでけりはつかない。向こうが強いかと思えば、必ずしもそうでもない。こっちも押し返すこともできる。実力なき者は物事を切り開くことはできない。みんなで広くつながって2倍、3倍の実力を身につけよう」

3・11は牛と郡山・開成山へ

 来年は5年目の3・11を迎える。「3・11は郡山市の開成山に『希望の牛』の鉄のオブジェを持っていきます。みこしにして、みんなと一緒に担ぎたい。これからも国の言うことには絶対に従わず、この牧場で闘っていきます。頑張りましょう」。ともに3・11郡山へ駆けつけよう。
(本紙・里中亜樹)

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