アスベスト被害追う『国家と石綿』読んで 在本土沖縄労働者 風間 茂

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週刊『前進』04頁(2847号04面03)(2017/05/29)


アスベスト被害追う『国家と石綿』読んで
 在本土沖縄労働者 風間 茂

国家による犯罪

 『国家と石綿(せきめん)』(永尾俊彦著、現代書館。以下、本書という)は、アスベスト(石綿)被害を追った渾身(こんしん)のルポである。
 被害者への慟哭(どうこく)と、労働者の生血で肥え太ってきた資本、そして、それを放置してきた国・行政への満腔(まんこう)の怒りを禁じ得ない。
 石綿は「静かな時限爆弾」と呼ばれ、中皮腫(ちゅうひしゅ)や肺がんを引き起こす。その危険性は、戦前の保険院の調査で報告されていた(1940年)。しかし、戦後もその利便性や安価ばかりに目をやって、多くの人びとを塗炭(とたん)の苦しみに追いやってきた。
 国は、石綿の危険性を熟知しながら「局所排気装置の設置義務付けをしなかった点……防じんマスクの着用を義務付けなかった点など、基本的な粉塵対策全般にわたって、国は規制権限をきちんと行使しなかった」(本書329㌻)。まさに、国による不作為「犯罪」と言わざるを得ない。
 政府の対応は、日本のアスベスト被害を拡大し、「中皮腫については、現在年間約一〇〇〇人が死亡しており、今後二〇年後までに一〇万人以上が死亡すると推測されています。……石綿肺がん、そして石綿肺の死亡者数を考慮すれば、日本だけでも数十万人の被害者が出ると推測されます。まさに史上最大の産業災害です」(岩波ブックレット『終わりなきアスベスト災害』5、7㌻)
 「一八九四〜五年の日清戦争で」日本海軍は、国内初の軍艦を建造しようとしたが、国内メーカーは、捕獲した清の軍艦に使用されていた石綿を主剤としたパッキンなどを製造する技術がなかった。
 「海軍当局は、国内に有力な石綿製品メーカーの出現を強く要請した」「石綿産業はその始まりから軍と強く結びついていた」(本書10〜11㌻)

クボタショック

 2005年、いわゆる「クボタショック」が起きる。農機具メーカー・クボタの兵庫県尼崎市にあった工場の周辺住民が、飛散した石綿で中皮腫というがんを発症して亡くなっている「石綿公害」が発覚した。
 これを受けて、翌年「石綿健康被害救済法」ができたが、将来、ばく大な額になることを恐れてか、補償ではなく「救済金」の名目だった。労災なら数千万円になるのに、救済法では約300万円。さらに救済対象が限定されている。
 同法は2010年に改正されたが、環境曝露(子どもづれで石綿工場で働き、その幼児の曝露、工場近隣住民の曝露)はきわめて厳しいままだ。
 さらに阪神大震災等での建物倒壊やその後の石綿飛散問題は深刻であり、「最も懸念される中皮腫の潜伏期間は平均四〇年前後なので、二〇三五年前後の一〇年間に発症のピークを迎えると考えられる」(『終わりなきアスベスト災害』34㌻)。

労組が規制反対

 本書の対象である大阪泉南地区の零細石綿工場では工場主も自ら曝露し苦しんでいる。しかし、比較的大きな工場では、連合傘下の労組が協議会をつくり、石綿規制に反対する運動を展開した。まさに「命より仕事=金」であった。電力総連をかかえる連合は、原発廃炉に抵抗し続け、石綿規制にも反対してきた。今なお全国で続く、国と石綿産業、石綿メーカーに対する闘いに注目、連帯しなければならない。
 ちなみに私のいとこは数年前に中皮腫で死亡し、私自身15歳から働き、毎日のように吹き付け石綿の粉が散乱する階段下で20年超、清掃し続け、73歳の今、時おり、激しいせきの連続で死ぬかと思うほどの苦しさに悩んでいる。
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