渋谷暴動の偉大な地平 大坂正明同志へのデッチあげ粉砕を

週刊『前進』04頁(2849号03面01)(2017/06/05)


渋谷暴動の偉大な地平
 大坂正明同志へのデッチあげ粉砕を

(写真 全軍労を先頭に決起した71年11・10ゼネスト【那覇市】)

(写真 67年10・8羽田闘争で権力に虐殺された京大生・山崎博昭君の遺影を掲げるデモ隊【1970年10月8日】)


 71年11・14渋谷暴動闘争は、巨万の労働者・学生の決起として闘いぬかれた歴史的大闘争であり、百パーセント正義の闘いである。「私たちの当日の行動は、基地のない、戦争のない、誰もが人間らしく生きられる社会を求めた、誰にも恥じることのないものだった」(09年第2次再審請求で提出した星野文昭同志の「陳述書」)。星野同志と大坂正明同志は、日帝の戦争政策と沖縄の永久基地化に立ち向かう闘いの先頭に立った誇るべき同志だ。国家権力の「殺人罪」デッチあげ攻撃を、労働者階級の巨大な反撃に転化しよう。

沖縄-本土の分断を突破

 11・14渋谷暴動闘争は、沖縄でのゼネストと内乱的決起に、本土で、首都東京で呼応し合流する革命的決起として闘いぬかれた。
 沖縄は、県民の3分の1が犠牲になった沖縄戦を経て、日帝の敗戦と同時に本土から分離され、米軍の支配下におかれた。「東洋一」とされる巨大な軍事要塞が築かれ、沖縄を最大の出撃・兵站(へいたん)基地としてベトナム侵略戦争が展開された。B52戦略爆撃機が嘉手納基地に常駐して連日ベトナムに爆弾を投下する中、沖縄自体が戦場と化した。
 これに対し「本土復帰」の形をとって米軍支配からの解放を求める決起が渦巻き、「B52撤去・一切の核兵器撤去」を掲げた69年2・4全島ゼネスト方針が決定された。米軍基地機能の完全な停止と日米安保体制崩壊の危機に直面した日米帝は「72年沖縄返還」を打ち出した。沖縄問題が70年の最大の焦点になった。革共同は沖縄を日本革命の戦略課題として位置付け、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げて闘った。
 そして、69〜70年の島ぐるみの激闘、特に70年12月コザ暴動から71年2〜4月の牧港支部青年部を軸にした全軍労(全沖縄軍労働組合)の3波の全面ストを経て、71年の2波のゼネストへと発展した。
 71年5・19ゼネストは「死すべきは基地」「一切の軍事基地撤去」を掲げて沖縄全島を赤旗で埋め尽くした。労働組合の大半に学生や農民・商店主なども大合流し、160もの米軍基地群の機能を停止させた。11月10日には「沖縄返還協定批准反対」と「自衛隊の沖縄配備反対」を掲げ、5月19日をも上回る100万県民総決起の巨大なゼネストに発展した。全軍労を先頭にしたデモには武装部隊も合流して軍用道路を制圧し、暴動闘争になった。
 11・14渋谷暴動闘争は、こうした沖縄の決起に応えて闘われた。権力は一切の集会・デモ禁止に加え、破防法弾圧と1万2千の機動隊・国家権力で渋谷を戒厳令状態にたたきこんだが、巨万の労働者・学生・人民は阻止線を突破し、暴動闘争に発展した。労働者階級がついに沖縄と本土の分断を実力で打ち破り、ひとつに団結して日帝支配階級の打倒へと攻め上る歴史的地平を切り開いたのだ。

ゼネスト・革命の土台築く

 67年10・8羽田闘争に始まり71年11・14渋谷暴動闘争を頂点とする70年安保・沖縄決戦は、日本階級闘争を今日にいたるまで大きく規定している。
 無差別大量逮捕、破防法弾圧、星野同志への殺人罪デッチあげの無期投獄に代表される大弾圧も、70年決戦が築き上げた地平を崩すことができず、権力と結託した史上類例のないファシスト集団・カクマルによる青年労働者・学生への反革命襲撃と虐殺によってもこの土台は崩されなかった。
 70年決戦の中で「帝国主義を打倒する労働運動」を掲げた反戦派労働者の大群が逮捕を辞さず決起した。この闘いは戦後労働運動の限界をのりこえる新たな階級的労働運動の土台を築き、動労千葉の国鉄分割・民営化絶対反対の2波のストライキを生み出し、そして今日の動労千葉・動労水戸をはじめとした動労総連合建設へと連なっている。
 国鉄分割・民営化から30年。日帝支配階級はいまだに、国鉄決戦に決着をつけて改憲・戦争に突き進むことができていない。70年決戦は日本の労働運動、階級闘争に連綿と受け継がれ、脈打ち、いよいよゼネスト・革命へと発展しようとしている。この現実が日帝支配階級を震撼(しんかん)させている。

不正義の国家権力倒そう

 71年11月の闘いの正義性は、「復帰」から45年の沖縄の現実の中に証明されている。米日帝の朝鮮侵略戦争の最前線基地として在日米軍の70%が集中する沖縄では、辺野古新基地建設が強行され、臨戦態勢下で事件が繰り返されている。「基地の島」「戦争の島」は同時に「非正規職の島」として労働者を抑圧し、未来を奪っている。しかし、この現実をゼネストで根底から覆す闘いが青年労働者を先頭に始まっている。
 だからこそ日帝は、自らの歴史的犯罪と不正義を塗り隠そうと、恥知らずにも大坂同志への「殺人罪」デッチあげ攻撃に出たのだ。
 しかし日帝支配階級は、いったいどれほど多くの仲間の命を、警察や機動隊の暴力で奪ってきたのか! 断罪されるべきは、人生をかけて闘いに立ち上がった労働者・学生を虐殺し、負傷させ、一切の責任を放棄してきた国家権力の側だ! 星野同志と大坂同志は無実だ。70年決戦を引き継ぐ闘いの爆発を通して、デッチあげを必ず粉砕しよう。

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70年安保・沖縄決戦略年表
1967年 10月 羽田闘争
1968年 1月 佐世保闘争
10月 新宿騒乱闘争
1969年 4月 革共同に破防法発動
11月 佐藤訪米阻止「第一の11月決戦」
1970年 12月 沖縄コザ暴動
1971年 5月 沖縄ゼネスト
11月 沖縄ゼネスト沖縄返還協定批准阻止
「第二の11月決戦」 渋谷暴動闘争・日比谷暴動闘争
1972年 2月 星野さんと大坂さんを全国指名手配
3月 奥深山幸男さんをデッチあげ「殺人罪」で起訴
1975年 8月 星野さん逮捕
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