藤掛守同志を追悼する 革共同の基礎築き60年前進編集長の重責担う 革命的共産主義者同盟書記長 天田三紀夫

週刊『前進』04頁(2909号04面02)(2018/01/22)


藤掛守同志を追悼する
 革共同の基礎築き60年前進編集長の重責担う
 革命的共産主義者同盟書記長 天田三紀夫


 昨年12月19日、藤掛守(本名・鞍田洋=くらたおうみ)同志を失った。80歳だった。一昨年脳腫瘍で倒れて以来、還らぬ人となってしまった。本当に残念でなりません。ここに生前の足跡を偲(しの)び、革命的共産主義運動の基礎を築いた指導的同志の冥福を心から祈ります。

革共同の先頭で

 藤掛守同志は、1957年の法政大学入学以来、法大経済学部自治会委員長を始め、大学院を卒業するまで12年間法大の闘いと共にあった。革命的共産主義運動の創成期から、革共同の基礎を築いた多くの先達と闘いを共にした。62年の革共同第3回全国委員会総会(三全総)、66年の3回大会の路線の実践者として全国オルグを展開した。
 何よりも前進編集長として現代のナチス・カクマルと先頭で闘った。日帝中枢の破防法攻撃とカクマルによる本多延嘉書記長暗殺という、革共同の最も困難な時期に『前進』を発行し続け、革命の旗を守り続けたことに、藤掛同志の偉大さと献身性を確認できる。
 また70年安保・沖縄闘争、反戦派労働運動が切り開いた地平を体現し、国鉄職場を先頭に、東北地方、さらに沖縄へと飛び、全国で職場の同志とひざを交えた。全金本山の解雇撤回の闘いを全力で闘い、全電通(現NTT労組)の全国の闘いなどを献身的に支えた。
 80年代の国鉄分割・民営化との闘いでは、動労千葉の2波のストライキ、動労水戸の結成の闘いなどの勝利のために尽力した。闘う労働者に信頼され、慕われた同志だった。
 91年5月テーゼ以来、なお必死に全国オルグを実践したことは記憶に新しい。中野洋動労千葉前委員長の「労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれない限り労働者は必ず勝てると確信している」という言葉を全国オルグにおいて体現していた。

『資本論』平易に

 マルクス主義の現代世界分析に秀で、原則を労働者に分かりやすい言葉で語った。『資本論』学習会の講師として奔走し、『資本論』を平易に編集したヨハン・モスト原著『資本と労働』新訳刊行委員会を組織し発行した。2001年の動労千葉労働学校開設に尽力し、継続・発展に努めた。近年は、全学連の学生の学習会にも協力し、心を砕いた。若い力に感動しつつ学んでいた。
 06年の「党の革命」を経て政治局に参加した。また革共同50年史編集作業に参加した。
 70年代からレーニン労農同盟論を今日的に復権させる闘いの先頭に立ち、三里塚反対同盟と動労千葉の団結にも力を注いだ。2011年3・11以後、革共同の農民組織委員会の代表として全国農民会議の結成に全力を挙げた。
 2000年代は、国際連帯闘争の基礎を築くために奔走した。09年には動労千葉訪米団と共にサンフランシスコの港湾労働者などとの連帯を深めた。同年11月には、日韓労働者の交流の一環として、ソウルで開かれた「日韓理念交流」の日本側講師を務めた。
 「革命的共産主義者として、労働者階級の自己解放・プロタリア革命の事業のためにまだまだやることが残っている」と力強く生き抜く決意を表明していた。

足跡に学び闘う

 藤掛守同志の人生のすべては、『前進』新年号で打ち出した「世界戦争を世界革命へ」「闘う労働組合と学生自治会甦(よみがえ)らせ、ゼネストと国際連帯で改憲阻止を」「天皇制打倒、オリンピック粉砕へ」を体現している。
 18〜20年階級決戦を、藤掛同志の偉大な足跡に学び、追悼して、全党一丸となって闘っていく決意である。

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