国鉄解雇撤回!7・1集会へ 乗務員制度解体と外注化阻止を 動労総連合 JR復帰へ労働委申し立て

週刊『前進』02頁(2946号01面01)(2018/06/07)


国鉄解雇撤回!7・1集会へ
 乗務員制度解体と外注化阻止を
 動労総連合 JR復帰へ労働委申し立て

(写真 解雇撤回と団交開催を求める千葉県労働委員会への申し立て後の記者会見で、動労千葉顧問弁護団長の葉山岳夫弁護士が申し立ての趣旨を説明した。記者会見後の報告集会では、動労千葉争議団の高石正博さんと中村仁さんが決意を述べた【5月28日】)

 動労総連合は5月28日、国鉄1047名解雇撤回へ、JR東日本を相手とする新たな申し立てを千葉県労働委員会に行った。申し立ての内容は、①解雇撤回に向けての団体交渉に応じること、②動労千葉争議団9人と動労福島宮城県支部の小玉忠憲さんを、JRが発足した1987年4月1日にさかのぼって採用したものとして扱うこと、③謝罪文の掲示、の3点だ。安倍政権は「働き方改革」で労働組合を解体し、労働者を総非正規職化して改憲と戦争に突き進もうとしている。この攻撃の出発点になった国鉄分割・民営化に反撃する画期的な闘いが、ついに始まったのだ。6月3日には星野文昭さんの解放へ、香川県高松市で集会とパレードが行われた。この大高揚を引き継ぎ、7・1国鉄集会に集まろう。

 1987年4月に強行された国鉄分割・民営化は、改憲と戦争国家体制づくりを目的とした戦後最大の労働運動破壊攻撃だった。当時の首相の中曽根康弘は、「行政改革でお座敷をきれいにして立派な憲法を床の間に安置する」と公言し、後にも「(国鉄分割・民営化は)総評と国労を崩壊させることを明確に意識してやった」と語っている。
 国鉄労働運動を解体するためにひねり出されたのが「国鉄とJRは別法人」という虚構だった。JRへの採用は新規採用とされ、その人選は資本が自由に行えるものとされた。採用をめぐり労働者を争わせ、団結を破壊しようとしたのだ。
 国鉄改革法により、JRへの採用の手続きは、①国鉄がJR採用候補者名簿を作成し、②JR設立委員会がその名簿の中から採用者を決定する、という2段階に切断された。国鉄が採用候補者名簿の作成に際して不当労働行為を行っても、その責任をJRに負わせないための仕組みだった。
 これによる不当解雇と動労千葉・動労総連合は31年、闘ってきた。そしてついに、この枠組みを打ち破る武器を手にした。動労千葉組合員をJRから排除するために作られた不採用基準を不当労働行為と最高裁に認めさせ、JR設立委員長がその基準の策定を命じた事実をつかんだのだ。
 国鉄分割・民営化は、2千万人の労働者が非正規職とされ、過労死の強制と解雇の自由がまかり通る現在の社会の出発点になった。分割・民営化直前の85年に労働者派遣法が制定され、89年11月には労組のナショナルセンターの総評が解散し連合が結成されて、労働運動は際限なく後退した。
 安倍政権は今、「働き方改革」で国鉄分割・民営化以来の労働法制解体の攻撃を完成させ、労組の団結を破壊して改憲・戦争に突き進もうとしている。JRはその攻撃の先頭に立ち、乗務員勤務制度改悪などの大合理化を次々と打ち出している。だから動労総連合は、この攻撃の原点にある国鉄分割・民営化を根底から覆すために、新たな労働委員会闘争に立ったのだ。
 国鉄闘争全国運動が呼びかける7・1国鉄集会に集まろう。新たな国鉄1047名解雇撤回闘争を柱に闘う労働運動をよみがえらせて、改憲・戦争と労働改悪の安倍政権を打倒しよう。

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解雇者当該の決意

不採用基準で解雇したJRをただす
 動労千葉争議団 高石正博さん

 解雇撤回闘争は30年を超える闘いになりました。理由も言われずJR不採用とされ、裁判の中でどうして解雇されたかが初めて明らかになりました。その不採用基準が不当労働行為だったという決定が出ました。不採用基準がなければ私はJRにいたはずです。
 これからも皆さんの力をもらい、JRをただしていきたいと思います。

首切り許さず闘い続けることが重要
 動労千葉争議団 中村仁さん

 JR採用候補者名簿に載せなかったことが不当労働行為だという最高裁の決定が出ました。解雇の責任はJRにあると迫って、絶対に採用を実現させたいと思います。
 私たちが闘い続けることが重要です。これからもよろしくお願いします。

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弁護団から

JRに法的責任があることは明らか
 動労千葉顧問弁護団長 葉山岳夫さん

 本日の申し立ては1047名解雇の責任がJRにあることを明らかにする画期的なものと考えます。
 1987年2月、JR東日本への応募者は定員に満たなくなりました。度重なる不当労働行為で退職者が続出したからです。国鉄当局は、本州では希望者を全員採用するとして、ストライキで停職処分を受けた動労千葉組合員らをいったんはJR採用候補者名簿に載せていました。しかし、それが不採用基準によって削られ、組合員はJR東日本に不採用、国鉄清算事業団送りとされ、1990年4月に1047名全員が解雇されました。
 国鉄を引き継ぐ鉄建公団(旧国鉄清算事業団)を相手に動労千葉が起こした裁判では、不採用基準を策定したことは組合差別の不当労働行為意思に基づくものという東京地裁判決、東京高裁判決が出され、それは2015年6月30日の最高裁決定で確定しました。
 不採用基準は、JR設立委員長の斎藤英四郎が、国鉄職員局次長の葛西敬之、国鉄総裁室長の井手正敬に命じて作らせた事実が明らかになっています。井手自身が、その事実を語っている文書が存在します。
 この不採用基準は、1987年2月12日のJR設立委員会の会合で正式決定されました。設立委員には、JR東日本初代社長の住田正二や当時の国鉄総裁の杉浦喬也、元関東軍参謀で中曽根政権下で臨時行政改革推進審議会委員になった瀬島龍三も入っていました。設立委員会全体が不採用基準の策定という不当労働行為にかかわったことは否定できない事実です。
 国鉄改革法23条5項は「承継法人(JR東日本)の職員の採用について、設立委員がした行為は、承継法人がした行為とする」と定めているからです。JR東日本の法的責任は明らかです。
 動労総連合が解雇の問題で団交を求めても、JR東日本は「当社は当事者ではない」として拒否しています。しかし、明らかにJR東日本には法的責任があります。労働運動として労働委員会闘争を闘い、ぜひともJR採用の救済命令をかちとりたいと思います。

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