狭山☆星野文昭絵画展を開催 国家犯罪を許さず再審へ

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週刊『前進』04頁(3094号04面02)(2019/12/16)


狭山☆星野文昭絵画展を開催
 国家犯罪を許さず再審へ

(写真 星野文昭さんが獄中で描いた絵と石川一雄さんの無実を示すパネルが展示された)

(写真 岩井信弁護士のお話に聞き入る来場者ら)

(写真 星野文昭さんの遺志を継いで第3次再審請求と国賠訴訟に立つ決意を語る星野暁子さん【いずれも11月16日 狭山市】)

狭山事件の地で

 11月16〜17日、埼玉県狭山市の市民交流センターで「狭山☆星野文昭絵画展」が行われ、私も実行委員会の一員を担いました。星野文昭さんの絵画30点に加え、1963年に狭山市で起きた女子高生殺害事件で、部落差別により殺人罪をでっち上げられた「狭山事件」のパネル30枚を同時に展示しました。当該の石川一雄さんとお連れ合いの早智子さんは今も狭山市にお住まいで、無実を訴え第3次再審闘争を闘っておられます。2日間で150人が来場しました。
 4月ごろから準備してきましたが、5月に星野文昭さんを獄死という形で失い、怒りと悔しさのなかで絵画展をどうかちとるのか討論してきました。狭山と星野を「えん罪」という国家犯罪を暴き、追及する闘いとして一つにして開催することとし、展示の順番や中身も練り上げました。
 入口には大きな幕に「SAYAMA☆HOSHINO」の文字と星野さん絶筆の絵が掲げられ、通る人々を引きつけました。星野さんの存在と絵画に衝撃を受け、涙を流しながら絵画や詩に見入る方、狭山闘争のパネルに「地元だけど、ここまで詳しくは知らなかった」「えん罪がどのようにつくられるのか、マスコミがどんな役割を果たしたのかがよくわかった」などの感想が寄せられました。
 初日には、星野さんのお連れ合いの暁子さんと星野再審・国賠訴訟弁護団の岩井信弁護士のお話を聞きました。

獄死責任を裁く

 暁子さんは再審へ闘う石川一雄さん・早智子さんご夫婦への思い、文昭さんとの出会いから、無期攻撃をも打ち破り豊かな闘いを一緒に切り開いてきたこと、文昭さんを獄死させた国家犯罪を裁く新たな闘いへの決意を静かに、しかしきっぱりと語りました。
 岩井信弁護士は、徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターによる「医療放置・隠ぺい・過誤」の内容をわかりやすく、丁寧に話されました。「5月30日に星野さんが亡くなったのは、事実を見れば見るほど計画的・組織的な行為によるものと言わざるを得ず、まさに国家犯罪」と断罪し、「こうした事実を国家賠償請求で明らかにし、裁判所と世の中に問いたい。支持とご協力をお願いします」と訴えました。
 質疑応答で、初めて2人のお話を聞いた医療労働者から「この手術のやり方は医療の観点から絶対におかしい。そのことを明らかにするために協力したい」との発言もありました。

新たな出発点に

 2日目には、地元の石川早智子さんも来場されました。来場者は、星野さんが徳島刑務所で作成したカバンを手に取り、絵画と併せて星野さんの人柄を思いました。
 星野さんを絶対に生きて取り戻すための更生保護委員会闘争で新たに結びついた人々と共に、星野闘争の新しい出発点に立ったことを実感する2日間でした。(埼玉 A)

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星野文昭さん 1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止闘争の渦中で起きた機動隊員死亡の実行犯にでっち上げられ、75年に不当逮捕・起訴され無期懲役刑に。無実を訴え獄中から再審請求。17年に受刑開始から30年を迎え四国地方更生保護委員会が仮釈放審理を開始したが19年3月に不許可に。肝臓がんが判明していたが本人には知らされず、4月に徳島刑務所から東日本成人矯正医療センターに移監され、手術を受けたが2日後の5月30日逝去。享年73。不屈の獄中闘争は44年に及んだ。現在、1986年に獄中結婚した暁子さんら家族が第3次再審請求と国家賠償請求訴訟を準備中。
石川一雄さん 埼玉県狭山市の被差別部落に生まれ育つ。1963年5月、市内で起きた女子高校生誘拐・殺害事件の犯人にでっち上げられ、無期懲役刑に。31年7カ月間を獄中で不屈に闘う。94年の仮釈放後も部落差別にもとづく国家の権力犯罪を糾弾し、再審無罪獲得へ闘う。2006年5月、東京高裁に第3次再審請求。事件発生から50年目に開示された証拠から、有罪の証拠とされた被害者の万年筆が偽物であることが判明。この新鑑定を武器に事実調べ・再審実現へと奮闘中。現在80歳。

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