核廃絶・戦争阻止へ闘おう 大行動実行委が公開討論会 8・6広島平和式典縮小許さない

週刊『前進』04頁(3152号03面01)(2020/07/27)


核廃絶・戦争阻止へ闘おう
 大行動実行委が公開討論会
 8・6広島平和式典縮小許さない

(写真 パネラーからの提起を受け、「8・6ヒロシマはどうあるべきか」を活発に議論【7月18日 広島市】)

 7月18日、広島市東区民文化センターで3回目となる「平和記念式典のあり方を問う公開討論会」(主催/8・6ヒロシマ大行動実行委員会)を開催しました。好評だった過去2回に続き、今回は3人のパネラーからの重要な提起を受け、議論が大いに盛り上がりました。
 8月6日の平和記念式典の規模を縮小し、式典の性格も変更して「慰霊に目的を絞る」ことを松井一實広島市長が4月9日に発表して以来、大行動実行委員会はこれに反対し、広島市へ申し入れ、市議会への請願を重ねてきました。こうした取り組みによって、式典会場周辺の入場規制にも変化が現れています。8・6ヒロシマ大行動を狙い撃ちにした一昨年来の拡声器規制条例制定の動きに対しても、さまざまな平和運動団体・被爆者団体から反対の声が上がっています。こうした中で公開討論会は、「8・6ヒロシマはどうあるべきか」を改めてとらえ返す場となりました。
 討論会の冒頭、主催者を代表して広島大学の学生から経過・趣旨説明が行われました。「原水禁世界大会もオンライン開催となり、集会の大規模な規制・自粛が行われようとしているのは、1950年の朝鮮戦争下の8月6日にあらゆる集会が禁止されて以来の歴史的事態。式典のあり方を市長が一方的に決めるのではなく、広く市民の意見を開かれた形で議論していくべきだ」と、公開討論会を開催した趣旨を説明しました。
 パネラーの吉田修さん(広島大学教員)は、「アジアからみたヒロシマ」と題して、戦争被害としての被爆を「ヒトとしてクニを訴える」ことで、平和の訴えに普遍的な意義を与えてきたことを明らかにしました。NPT(核不拡散条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)といったクニによる核軍縮ではなく、核兵器禁止条約でできたアジアの人々とのつながりによる核廃絶への訴えこそ、ヒロシマが果たすべき普遍的課題だと提起しました。
 同じくパネラーの渡子健さん(NAZENヒロシマ)は、「平和記念式典と反核運動の関係について」と題して、8月6日を「すべての戦争と核を無くす決意と、その具体的行動提起」をするための誓いの日とすることが世界から求められていると提起。「国の戦争による被害は等しく受忍せよという国に対して、原爆被害者が国家補償を求め立ち上がった広島は、原発被害者の苦悩や決起に連帯や支持を示すべき」と、原発推進の国策を批判しない松井市長のあり方に怒りを表明しました。
 3人目のパネラーの山田延廣弁護士は「改憲問題と平和記念式典」と題して、コロナ流行に乗じて式典を縮小する一方で、改憲発言・緊急事態条項の導入を繰り返す安倍首相を式典に呼ぶという松井市長を痛烈に批判。高齢化を理由に被爆者の発言を加えない式典は、平和の実現を子どもたちに伝えることを切り捨てることになる、真の慰霊とは「二度と戦争しない、二度と核兵器の使用を認めない」と決意し行動することにあると強調しました。
 討論では、河井夫妻はじめ買収事件の関係者を式典に呼ぶことに対して、「ありえない」と怒りの声が上がりました。式典のあり方そのもの、さらにはヒロシマから何を発信していくのかというところまで問題を掘り下げる、大変意義深い討論会となりました。
 8・6ヒロシマ大行動が声を上げたことで、新たな結びつきができ、ヒロシマの運動をもっと大きくしていく展望が開けていると実感します。

第5回実行委開催

 討論会の成功を受け、翌19日には8・6ヒロシマ大行動の第5回実行委員会を開催しました。これに先立ち、同じ会場でNAZENヒロシマ主催の講演会「原発をめぐる歴史とこれから」も行われ、多くの参加者を集めて成功しました。
 実行委員会では、宮原亮事務局長が「残り3週間、市井の人々に届く訴えを行って、8・6を大成功させよう」と提起し、当日に向けた具体的準備や集会運営などを全体で議論し、決定しました。
(8・6ヒロシマ大行動実行委員会 I)
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