ファシスト石原の礼賛許すな 「都民葬反対」  SNSで抗議拡大

週刊『前進』04頁(3231号01面02)(2022/02/14)


ファシスト石原の礼賛許すな
 「都民葬反対」
  SNSで抗議拡大

(写真 都政史上かつてない大幅賃下げを画策する石原に対し、都労連は1999年11月12日、始業時間から1時間のストを決行、労働者は都庁本庁舎内の総決起集会で怒りのこぶしを突き上げた)

 数多くの差別暴言を繰り返し、公立学校入学式・卒業式での「日の丸・君が代」強制で多くの教育労働者を不当に処分してきた元東京都知事・極右ファシストの石原慎太郎が、2月1日に死亡した。石原は生涯を通じて戦後憲法を憎み、それを支配階級に強制した戦後革命期以来の日本とアジアの労働者階級人民の闘いにも一貫して憎悪と恐怖を抱いてきたが、2019年に死亡した元首相・中曽根康弘と同様、改憲と労組絶滅という「悲願」を果たせず失意の中で死んだ。後継者となるはずだった息子の伸晃・宏高は昨年衆院選でそろって小選挙区で敗北し伸晃は比例復活もできず落選、石原派も解散となるなど、今や「石原政治」の破産は誰の目にも明白だ。

差別暴言を連発

 石原は都知事就任直後の1999年9月、府中療養センターを訪問した際に、障害者に対して「ああいう人って人格あるのかね」と暴言を吐いた。2000年4月には陸上自衛隊の記念行事で在日アジア人民への差別語である「三国人」という言葉を使い、「凶悪な三国人を取り締まるために自衛隊は治安出動せよ」と主張。01年11月には週刊誌で「女性が生殖能力を失っても生きているのは無駄で罪。地球にとって悪しき弊害」と放言した。都政においては、土壌汚染のある豊洲への築地市場の移転を決定し、03年10・23通達で学校現場に「日の丸・君が代」を強制。自らは週3回程度しか都庁に出勤せず、都の税金を使って贅(ぜい)を凝らした外遊を繰り返しながら、11年3・11東日本大震災時には「津波は我欲にまみれた日本人への天罰」などと発言した。こうした暴言や悪行は挙げればきりがない。
 だが、この石原を自民党や維新などの極右改憲勢力は徹底的に賛美し、その死を最大限利用して中国侵略戦争に向けた改憲・戦争国家化を加速させようとしている。岸田は5日、石原の自宅を弔問して「石原氏の功績に心から敬意を表す。今あらためてその存在の大きさを痛感している」と賛辞を送り、これに先立つ3日には安倍晋三が派閥の会合で「石原氏は憲法改正に向けて情熱を燃やし続けた。そのたいまつは私たちに託された」と発言。都知事・小池百合子は4日、記者から石原の「都民葬」を行うかと問われて「都としてできる限りのことをやっていきたい」と応じた。これに対し、SNSでは「#石原慎太郎の都民葬に反対します」というハッシュタグがトレンド入りし、石原と同類のファシストや差別主義者の台頭を許すな、と多くの人々が声を上げた。

99年都労連スト

 極右勢力が石原を礼賛し、大手マスコミも「物言う知事」などと美化し、日本共産党・志位和夫に至っては石原を一言も批判せず「心からのお悔やみ」を述べて右翼にほめられている始末だが、労働者階級人民は断じて石原を許していない。石原のようなファシストは未来永劫(えいごう)断罪されて当然なのだ。
 そもそも石原のファシスト知事としての出はなを完全にくじいたのも労働者階級の団結した闘いだった。1999年11月、都労連(東京都労働組合連合会)は都職員の大幅賃下げ阻止へストライキを決行。都庁は赤旗で埋め尽くされ、石原は事実上の謝罪と大幅譲歩に追い込まれた。その後も石原は都労連や教職員組合を憎悪し、何度も攻撃したが、結局これらの労働組合を完全に解体することはできなかった。
 闘う労働組合こそファシストを粉砕し、改憲・戦争を阻止する最大の力だ。今こそ階級的労働運動の大発展をかちとろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加