再びの中国侵略戦争許すな 盧溝橋事件88年 「血債の思想」で武装し闘おう
再びの中国侵略戦争許すな
盧溝橋事件88年
「血債の思想」で武装し闘おう


1931年9月以来、中国東北部への侵略戦争を繰り広げてきた日本帝国主義(旧大日本帝国)が、この戦争を中国全土へと拡大する契機となった37年7月7日の盧溝橋事件から88年。今、アメリカ帝国主義・トランプ政権は、中国を「これまでで最も強力で危険な敵」(ルビオ国務長官)とみなし、自らの世界支配の維持と帝国主義の延命をかけて中国侵略戦争―世界戦争に突き進んでいる。5月30日~6月1日にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で、米国防長官ヘグセスは「共産中国が武力による台湾の制圧を試みれば、インド太平洋地域や世界全体に壊滅的な結果をもたらす」と述べたが、これは中国の軍事行動が地域と世界に「壊滅的な結果をもたらす」と言ったのではない。台湾をめぐって中国と軍事衝突が起これば、米帝は台湾周辺にとどまらずインド太平洋と世界全体に壊滅的被害を及ぼすことも辞さず、同盟国を総動員して中国侵略戦争を実行すると言っているのだ。これに対応するものとして日帝は「ワンシアター=オーシャン」構想なるものを提唱し、戦後80年にして再びアジアを侵略戦争の戦火にたたき込むことを宣言したのである。断じて許すことはできない。中国侵略戦争阻止の反戦闘争の巨大な爆発へ、今こそ全力で総決起しよう。
日帝の不正義の15年戦争
何度でもはっきりさせなければならないことは、戦前の日帝が行ったすべての戦争は、ただ一つの例外もなく、天皇を頂点とする一握りの支配階級の利益と延命のための徹頭徹尾不正義の帝国主義侵略戦争にほかならないということだ。
1931年9月18日の柳条湖事件に始まる中国東北部侵略戦争から、37年7月7日の盧溝橋事件による中国全土への侵略戦争の拡大、40年6月に始まる仏領インドチャイナ侵攻、そして41年12月8日の真珠湾攻撃とマレー半島侵攻による対米英蘭開戦を経て45年8月の敗戦に至るまで、日帝は実に足掛け15年に及ぶ侵略戦争を遂行し、2千万人を超すアジア人民を虐殺した。日本の労働者階級人民もまた、この戦争を阻止できず、階級闘争を日帝打倒まで闘い抜くことができなかった結果、アジア諸国への侵略と戦争に動員され、塗炭の苦しみを負わされることとなったのである。
この「15年戦争」で日帝が最大の戦争目的としたのは、いわゆる「満蒙(まんもう)特殊権益」などと呼称されたところの、中国大陸における日帝の帝国主義的権益の独占的確保であり、この侵略に抗して不屈に立ち上がる中国人民の民族解放闘争を圧殺・根絶して血の海に沈めることだった。そして、この中国の資源・市場・勢力圏などの強奪と支配をめぐる日帝と米英帝国主義との対立が「世界の分けどりのための、植民地や金融資本の『勢力範囲』等々の分割と再分割とのための戦争」(レーニン『帝国主義論』)へと転化したものが、41年12月に始まるアジア・太平洋戦争にほかならない。
もとより旧大日本帝国は1868年明治維新で成立して以来、台湾、朝鮮、そして中国本土への凶暴な侵略と戦争を繰り返し、それを通じてアジア唯一の帝国主義へとのし上がってきた。1900年の義和団事件(中国人民の反帝民族蜂起)に際しては陸軍2万2千人を派兵し、その鎮圧後も「支那駐屯軍」(「支那」は中国の蔑称)と称して駐留を継続。04~05年日露戦争後は遼東半島南部を「関東州」とし、14~18年の第1次大戦ではドイツ東洋艦隊が根拠地としていた青島を占領し、19年には南満州鉄道付属地の警備を口実として「関東軍」を配備した。だが、この時すでに中国では、11年からの辛亥革命を経て帝国主義の中国侵略に対する人民の抵抗運動が高揚していた。中でも日帝が15年に中国全土への権益拡大を狙って袁世凱政権に突きつけた21カ条要求は、中国人民の抗日闘争に火をつけ、19年には朝鮮の3・1独立運動に続く5・4運動が爆発した。
その後、中国人民の民族解放闘争は国民党の主導する革命戦争として進行するが、日帝はその北上を阻止して中国東北部の「満蒙権益」を確保するため、20年代を通じて3度の山東出兵、28年には軍閥指導者・張作霖の爆殺を強行し、ついに31年9月、「満州事変」と称する侵略戦争に踏み切ったのである。
民族解放・革命戦争の勝利
重要なことは、関東軍の独断による自作自演の謀略をもって始まった中国東北部侵略戦争を、昭和天皇ヒロヒトが32年1月に発した「勅語」で絶賛したことである。すなわち、ヒロヒトはここで初めて日本軍を「皇軍」と呼び、関東軍の軍事行動を「自衛の必要上」「匪賊(ひぞく=盗賊や強盗)を討伐」するために「奮戦力闘」したものとたたえ、「朕(ちん=天皇の一人称)深くその忠烈を嘉(よみ)す」と、最大級の賛辞を与えた。これにより、日本軍が中国大陸で行う一切の軍事行動は「自衛」「匪賊討伐」の名で正当化され、これに反対することはおろか疑問を抱くことすら天皇への反逆とみなされるようになった。
だが日帝にとって最大の誤算だったのは、国民党・蒋介石政権や軍閥指導者・張学良らが「満州事変」に対して何ら抵抗らしい抵抗もしない中で、中国人民が独自に義勇軍を組織し、反満抗日武装闘争を開始したことだった。とりわけ中国共産党が組織した東北人民革命軍は、果敢なゲリラ闘争を通じて勢力を拡大し、11の軍から成る東北抗日連軍へと発展した。これに対し日帝は、共産党の壊滅と国民政府の完全屈服を目的として侵略を拡大し、36年には華北5省に「自治政府」をでっち上げて国民政府から分離させた。そして37年7・7盧溝橋事件をもって中国全土への侵略戦争に突入していくのである。
宣戦布告もなく、広大な中国全土への侵略戦争に突き進んだ日本軍は、食糧などの物資を「現地調達」すなわち現地住民からの略奪による以外になく、これに抵抗した人々への残忍な暴力と虐殺を繰り返した。37年12月の南京包囲戦から翌年3月まで続いた南京大虐殺を一つの頂点として、日本軍は同様の侵略と虐殺を中国全土で繰り返したのである。
この戦争において、日本軍の「最大の敵」は実は国民党政権や中国正規軍ではなく、日帝の侵略に抗して不屈に戦う中国人民にほかならなかった。中国人民の屈服を目的とした日本軍の侵略戦争とあらゆる残虐行為は、逆に中国人民の怒りと民族解放・革命戦争への決起をますます拡大した。中国共産党が華北で組織した革命軍第八路軍(八路軍)、華中で組織した革命軍新編第四軍(新四軍)は、日本軍と戦いながら農民を解放し、日本軍の占領支配地域内に抗日根拠地(解放区)を建設し、鉄道・通信線・日本軍拠点への奇襲攻撃を展開。これに驚愕(きょうがく)した日本軍は抗日根拠地への「燼滅掃蕩(じんめつそうとう)作戦」と称して、文字通り人民殺戮(さつりく)と抗日根拠地の村落に対する破壊、放火、略奪を繰り広げる作戦を開始した。中国人民はこの日本軍の恐るべき所業を「三光作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)と呼び、ますます怒りをたぎらせて決起した。
さらに41年12月以降、日帝はアジア・太平洋戦争を戦うための食糧・資源・労働力の調達のため中国の占領地域拡大を画策し、特に抗日根拠地への掃蕩作戦を一層強めた。だが、この侵略・略奪への怒りは抗日武装闘争へのさらなる決起となって爆発。八路軍・新四軍は45年7月までに正規軍91万人、ゲリラ民兵220万人、計19カ所の抗日根拠地の総人口は1億人近くに達し、日本軍をますます追い詰めた。
日本軍は37年7・7以来8年近くに及ぶ戦争で、南京大虐殺、三光作戦、関東軍731部隊による人体実験と細菌(生物)兵器の使用、毒ガス戦、重慶など主要都市への大爆撃、強制連行・強制労働、性暴力と軍隊慰安婦への動員など、数知れぬ残忍極まる戦争犯罪に手を染めた。だが中国人民を屈服させることはできず、ついにその不屈の民族解放・革命戦争に完膚なきまでに敗北したのである。
連帯し侵略戦争を内乱へ
45年8月の日帝敗戦に伴うアジアの帝国主義支配の空白化と各国の民族解放闘争の拡大、さらには49年中国革命の勝利という事態を前にして、米帝は中国革命の「封じ込め」とアジア軍事支配の再確立に乗り出し、50年朝鮮戦争の過程を通じて沖縄の軍事拠点化と日米安保体制の構築を急ピッチで推し進めた。日帝支配階級は、この米帝の戦後アジア支配=世界支配をかけた帝国主義的戦後処理に全面協力し、そこに日本の帝国主義的再建の唯一の道を見いだした。天皇と資本家階級はもとより、旧日本軍の上級将校や警察官僚なども、ごく一部を除いて何ら戦争責任を問われることなく、アジアと日本の人民に対する数々の犯罪を何一つ償いもせず、戦後も支配階級として生き延びた。
そして今、この同じ支配階級が、戦後世界体制の最後的崩壊と基軸国・米帝の大没落に象徴される帝国主義の未曽有の危機の中で、新たな中国侵略戦争へと突き進んでいる。敗戦帝国主義としての一切の戦後的制約を取り払い、日米安保同盟の中国侵略戦争同盟への再編とそれに応じた大軍拡・戦争国家化・戦争動員体制構築を推し進め、再び天皇を前面に押し出し、差別・排外主義のイデオロギー攻撃を強めているのだ。
この情勢を前にして、革共同は昨年2月の第9回全国大会で、「闘う中国人民・アジア人民と連帯し、米日帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争突入を内乱に転化せよ!」の戦略的総路線のもと、中国侵略戦争阻止の反戦闘争を全力で闘うことを党の方針として決定した。そしてその実現のためには、23年10・7パレスチナ蜂起を受けてあらためて24年1・1政治局アピール(本紙3325号掲載)で提起された「7・7路線、『血債の思想』の再確立」が不可欠であることを明確にさせた。
さらに今年3月の第34回全国委員会総会で、党と運動の内部で発生した女性同志への許しがたい性暴力・差別事件と関西地方委員会一部指導部によるその隠ぺいについて明らかにし、党としての自己批判の貫徹、そして「連帯し、侵略を内乱へ」を貫く党への飛躍と変革を誓い、そのためにも7・7路線、「血債の思想」での全党の再武装が急務であることを確認した。
戦時下の差別・排外主義の攻撃と対決し、日帝打倒の内乱的決起をつくりだしていくために、帝国主義本国のプロレタリアートとその革命的前衛党は、自分たちが差別・排外主義のイデオロギーに汚染されてきたことを自覚し、これと意識的に対決し克服する闘いを、革命の成否を決する死活的課題として明確に位置づけなければならない。その際、差別・抑圧の現実を告発し糾弾に立ち上がった人々の存在と闘いを具体的に措定し、そこから必死に学び、連帯していくということの意識的な実践が求められるのである。
とりわけアジア人民との関係では、日本のプロレタリアート人民は、スターリン主義と社会民主主義による指導の誤りと裏切りのもと、階級闘争を自国政府=日帝打倒まで貫徹することができずに敗北し、帝国主義的民族排外主義に屈服して日帝のアジア侵略の先兵にされ、朝鮮・中国をはじめとしたアジア人民におびただしい血を流させた。この敗北の責任を自覚し、それを乗り越える闘いを血を流して貫徹することで「償う」ということが、革命的階級としての自己批判として明確にされなければならない。帝国主義の侵略責任とは別の意味でプロレタリアートとしての血債をアジア人民に負っているということであり、それは「歴史と現在を真正面から見すえれば、労働者階級の考え方はそのようにしかならないという唯物史観を貫く思想」(34全総第1報告)にほかならない。このことを明確にさせたとき、プロレタリア国際主義は真にその内実をもつのである。
ここで強調しておきたいことは、このような「血債の思想」で武装することによってこそ、プロレタリアートは自らの歴史的使命を鮮明に自覚し、帝国主義への怒りを倍加させ、誇りと喜びをもって真に自己解放的に日帝打倒の闘いへ決起することができるということである。6・14全国闘争でスクラムデモ部隊を形成した青年・学生・女性たちのみずみずしい決起こそ、それを証明しているのだ。
「連帯し、侵略を内乱へ!」の総路線を貫き、今夏反戦反核闘争の爆発へ攻め上ろう!