焦点 天皇のモンゴル訪問 抑留者「慰霊」は新たな戦争準備
週刊『前進』04頁(3406号03面02)(2025/07/28)
焦点
天皇のモンゴル訪問
抑留者「慰霊」は新たな戦争準備
天皇ナルヒトが7月6~13日、モンゴルを訪問した。第2次大戦直後にモンゴルに抑留され死亡した日本人の慰霊碑を訪れ黙禱(もくとう)した。天皇は訪問前の会見で「歴史に思いを巡らせつつ、心ならずも故郷を離れた地で亡くなった方々を慰霊し、そのご苦労に思いを致したい」と語った。
「歴史に思いを……」と言いながら、かつて「天皇の軍隊」が現在の内モンゴル自治区を含む中国東北部を侵略し植民地的支配を行い、土地や資源を略奪し、中国人民を大虐殺したこと——この決して忘れてはならない歴史への言及・謝罪は一切ない。
抑留は侵略戦争の帰結
そもそも、なぜ日本人がモンゴルに抑留されたのか。1932年の「満州国」でっち上げ以後、「天皇の軍隊」と日本の開拓移民(満蒙開拓団)が中国人民の土地・資源を奪い、侵略に抵抗する中国人民を「匪賊(ひぞく)」と呼び大虐殺した。断じて許せないことに、32年9月16日に日本軍は前夜の抗日ゲリラによる撫順炭鉱襲撃への報復のため炭鉱近くの平頂山の部落を襲い、住民を一カ所に集め、機関銃や銃剣・日本刀などで老若男女の区別なく、乳飲み子を含む住民約3千人を大虐殺した(平頂山事件)。その日本軍は45年8月、中国人民の解放戦争に敗北し大混乱に陥って壊走し、対日参戦したソ連軍が日本兵や軍属、民間人約60万人を抑留した。そのうち約1万4千人がモンゴルに移送され、現地で約1700人が死亡した。
ナルヒトは、この死亡者を追悼し、「そのご苦労に思いを致したい」というが、彼らは中国人民の土地・資源を奪い、迫害した日本軍兵士や開拓移民である。その加害の事実と日帝・天皇の責任を押し隠し、一方的な被害者・殉難者として「慰霊」する行為は、日帝・天皇の戦争責任を免罪し、開き直ること以外の何物でもない。
「天皇の軍隊」復活阻め
ナルヒトの祖父である昭和天皇ヒロヒトは32年1月の「勅語」で、日本陸軍の自作自演の謀略(柳条湖事件)で始まった中国東北部侵略戦争を「自衛の必要」「勇戦力闘」「朕深くその忠烈を嘉(よみ)す」と称賛した。天皇のお墨付きを得た日本軍はその後、中国人民への大虐殺と略奪、弾圧、虐待、戦時性暴力を繰り返した。平頂山事件や南京大虐殺を始め、「天皇の軍隊」が行ったアジア人民2千万人の大虐殺、侵略と植民地支配の歴史を絶対にあいまいにしてはならない。天皇と天皇制の本質は、階級支配の隠蔽(いんぺい)・擁護であり、暴力と戦争、差別と排外主義である。硫黄島―沖縄―広島―モンゴル訪問など、この間の天皇の「戦後80年、慰霊の旅」が狙うものは、大戦で死亡した日本人の碑に天皇が「深く」頭を下げることで、戦死者を「天皇とお国のために命を捧げた英霊」として祭り上げ、日帝のアジア・中国侵略戦争の歴史を正当化するためである。そのことを通して「天皇の軍隊」を復活させ、米日帝の再びの中国侵略戦争を「日本防衛の戦争」として正当化し、人民を動員するためである。断じて許すことはできない。
日本労働者階級は戦前、革命によって日帝を打倒することができず、その結果、アジア・中国侵略戦争に動員され、殺し殺された。この痛恨の歴史を胸に刻み、「血債の思想」「連帯し、侵略を内乱へ」の革命的路線を貫き、日帝打倒、天皇制打倒へ全力で闘おう。