チョンテイル烈士精神継承誓う 日韓労働者の絆深め

週刊『前進』04頁(3422号02面02)(2025/11/17)


チョンテイル烈士精神継承誓う
 日韓労働者の絆深め

(写真 労働者大会を終え、民主労総ソウル地域本部と共にデモに出る動労千葉訪韓団【11月8日 ソウル】)

(写真 公共性・労働権の強化を訴える公共運輸労組の決意大会に参加【8日】)

(写真 動労千葉が民主労総本部を表敬訪問。ヤンギョンス委員長【右】と関委員長【10日】)

(写真 解説員の詳細な説明に聞き入る【9日 ソウル】)


 1995年の民主労総結成から30年を迎えた今年、「主導せよ、新たな時代を! すべての労働者の民主労総!」をスローガンに開催された11月8日の全泰壱(チョンテイル)烈士精神継承全国労働者大会には韓国各地から5万人以上が結集した。ソウル・東大門(トンデムン)の大通りは色とりどりのベストを身につけた組合員で見渡す限り埋め尽くされ、両脇には各労組の旗が翻った。
 動労千葉の関道利委員長は、20年以上にわたって連帯を続けてきた民主労総ソウル地域本部のキムジノク本部長と共にステージ近くの最前列で参加した。
 冒頭に祝辞を述べた民主労総初代委員長のクォンヨンギル指導委員は「常に求められる闘いの先頭に立って勝利してきた民主労総らしく、これからも歩んでいこう」と檄(げき)を飛ばした。ヤンギョンス委員長は新自由主義と闘ってきた30年を振り返り、業種の壁を越えて未組織の労働者を組織しようと強調。元大統領・朴槿恵(パククネ)、前大統領・尹錫悦(ユンソンニョル)との闘いに勝利した民主労総の団結で社会を変えようと呼びかけた。
 闘争現場からの発言では、ソウル地下鉄とソウル都市鉄道で働く労働者を組織する公共運輸労組ソウル交通公社労組のキムテギュン委員長が労働基本権を闘いとろうと訴え、金属労組光州(クァンジュ)全南(チョンナム)支部のチョンジュンヒョン支部長は、アメリカ帝国主義・トランプの経済侵略を弾劾した。
 大会の最後に、95年生まれの組合員たちが壇上に並んで決議文を朗読。「すべての労働者の労働権を保障し、韓国社会の自主と平等を実現する日まで闘いをやめることはない」と高らかに宣言した。
 集会後のデモは2部隊に分かれ、整理解雇された労組支部長が高空籠城(ろうじょう)闘争を続ける明洞(ミョンドン)の世宗(セジョン)ホテル、そしてソウル地方雇用労働庁へと向かった。街頭からは例年にも増して注目が集まった。

公共運輸労組の事前大会に参加

 大会に先立ち、動労千葉訪韓団は同じ会場で開催された公共運輸労組の決意大会に参加した。集会の冒頭、海外代表団として動労千葉が参加していることが紹介され拍手が送られた。
 大会あいさつに立った公共運輸労組のオムギリョン委員長は、ユンソンニョル弾劾を経ても労働者の現実は変わらず、むしろ後退していると糾弾。李在明(イジェミョン)政権に対する闘いの強化を呼びかけた。
 現場からの発言では、仁川(インチョン)空港地域支部のチョンアンソク支部長が、労働条件の改善を求める組合支会長らのハンストが13日目に入る中、「いつまで労働者が職場で死ななければならないのか!」と怒りを込めて訴えた。
 韓国では現在、増加する移住労働者(外国人労働者)との連帯も大きなテーマとなっている。10月には、慶州(キョンジュ)で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)を口実として政府が行った取り締まりによってベトナム人の女性労働者が死に追い込まれる事件が起きた。大会には移住労組に結集する多くの外国人労働者も参加し、共に声を上げた。
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チョンテイル烈士精神学ぶ

 労働者大会の成功の興奮冷めやらぬ翌9日、動労千葉訪韓団と訪韓闘争に参加した労働者・学生の仲間は、ソウルのチョンテイル記念館を見学した。
 毎年11月には必ず「チョンテイル烈士精神継承」を掲げる労働者大会が開催されるように、チョンテイル青年が1970年、過酷な労働条件を告発して自ら体に火を放った決起は民主労総の闘いの原点に位置づけられている。その生涯を紹介し、彼の遺志を伝える場がこの記念館だ。民主労総ソウル本部の同志たちの計らいで解説員をつけてもらい、訪韓団はチョンテイル烈士の生涯と思いに向き合う特別な時間を過ごした。
 貧しい中で仕事を転々とし、やっと見つけた縫製工場に就職したチョンテイル青年は、少女たちが下働きとして過酷な労働条件で働く現実に直面する。自らも低賃金で働く中、交通費で彼女らにたい焼きを買ってやり、自分は3時間も歩いて家に帰る日々の中でついに決起。当局に告発するも無視され、焼身決起に至るのだ。彼の死後、母である李小仙(イソソン)さんは自ら労働組合を組織し、初期の民主労組運動の突破口を開いた一人となった。
 訪韓団もまた、彼の遺志を継ぎ闘う決意を固めた。

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