十亀弘史の革命コラム-35- 「戦争」の反対語は「革命」
十亀弘史の革命コラム-35-
「戦争」の反対語は「革命」

戦争の反対語は平和ではありません。トランプの横で小躍りしていた高市首相の後ろには大きく「力による平和」と書かれた横断幕が張られていました。その場合の「力」は、二人の帝国主義の頭目が立っていた原子力空母自体、さらにその巨大な戦力の行使、すなわち戦争を意味しています。帝国主義の下では平和はしばしば戦争の別表現でしかありません。
戦争の主体は国家、そして日本の国家は帝国主義国家です。帝国主義は戦争を不可避とし、現に今、日本は戦争へと激しく突き進んでいます。中国への侵略戦争です。
最近では、例えば、二つの文書がそのことをこの上なくあらわに、かつ具体的に表現しています。自民党と維新の「連立政権合意書」と「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」報告書です。それらの内容は本紙でも紹介されている通りですが、中国を「敵国」として想定した上で、どうやって戦争と戦争準備を進めるべきかを書いた「戦争計画書」そのものとなっています(ぜひ全文を一読されたい)。
他にも高市の「所信表明演説」があります。11月4日衆議院で、6日参議院で、所信表明への各党の代表質問が行われました。どの党の質問も、眼前で現に進行している戦争準備を真正面から弾劾するものではありませんでした。戦争と排外主義に加担するか、あるいはそれらから目をそらさせるような質問ばかりです。これが今の「平和」な国会であり、その実質は戦争法制を整えようとする「戦争国会」にほかなりません。
茨木のり子の詩「内部からくさる桃」には「内部からいつもくさっている桃、平和」という一行があります。帝国主義を倒そうとしない平和は、まさしく「内部からいつもくさって」行きます。詩は、そのような「平和をつかんではならない」とし、そのためには「怒りの火薬をしめらせてはならない」と書いています。
11・2のデモ隊が東京電力の脇を通り日比谷公園に近づいた時、前方に国会議事堂のとがった中央塔が見えてきました。すると直ちに「戦争国会粉砕!」のデモコールが発せられました。それこそが「怒りの火薬」です。かつて西川重則さんは、「戦争は国会から始まる」と繰り返されていました。そのことも思い出して、私もコールにいっそうの力を込めました。戦争国会もろとも、帝国主義を打ち倒そう。戦争の反対語は平和ではなく革命です。
(そがめ・ひろふみ)
2025.11.17