市東さん迎え三里塚集会 杉並 成田軍事空港粉砕、高市打倒を
市東さん迎え三里塚集会
杉並 成田軍事空港粉砕、高市打倒を

三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんを迎えて、改憲・戦争阻止!大行進東京と同杉並の主催で三里塚・東京集会が2月15日、杉並区の「ワイム荻窪」で開かれた。153人が参加し、成田軍事空港粉砕、高市政権打倒へと攻め上る集会・デモとして画期的成功を収めた。
杉並区議会議員・洞口朋子さんが司会を務め、「自民党の総選挙圧勝情勢の中、三里塚60年の闘いがそこに立ちはだかっている。三里塚の勝利まで突き進もう!」と第一声を発した。
大行進事務局の川添順一さんが基調報告に立った。冒頭に映像の上映が行われ、新東京国際空港建設を地元住民を無視して三里塚地区に造るとの1966年の閣議決定から、反対同盟の結成、71年の強制代執行との闘い、78年の開港阻止決戦、80年代の成田用水闘争----と、国家権力・機動隊との激しい実力闘争がスクリーン上で再現された。反対同盟の先頭で誇り高く闘っていた市東東市さん、父の闘魂を受け継いで天神峰に帰還した若き日の市東孝雄さんの勇姿が、参加者の胸を揺さぶった。
続いて川添さんは、三里塚闘争の日本階級闘争における傑出した位置と先駆性を丁寧に説明。「中国侵略戦争を阻む三里塚」として、4000㍍級滑走路を持つ成田空港の軍事利用を政府はたくらみ、「第2の開港プロジェクト」は成田の兵站(へいたん)基地化であることを強調した。さらに第3滑走路建設が地元住民の用地買収拒否によって行き詰まっている現状を暴き、反対同盟との連帯にかけて援農や裁判傍聴への参加を訴え、3・29芝山現地闘争への結集を呼びかけた。
そして、市東孝雄さんが「農地死守」のはちまきを締めて登壇した。父・東市さんの営農と闘魂を受け継いで27年が経過したことを感慨深く語り、「60年もかけて、国家暴力を使っても闘争をつぶせなかった。〈闘魂ますます盛んなり〉の言葉を大事に、福島・沖縄・三里塚を一つの闘いとしてがんばります」と、鮮明な決意を表明(発言別掲)。誠実な発言は参加者の胸を打ち、全員が大きな拍手で応えた。
続いて三里塚現地闘争本部の同志が、現在闘われている各種の三里塚裁判について解説し、特に耕作権裁判の一審反動判決の内容を詳細に批判し、傍聴への決起を訴えた。
司会の洞口さんのカンパアピールの後、決意表明が続いた。最初に全学連の学生が2月12日のフィールドワークに参加したと報告した。さらに大行進杉並、大行進世田谷、婦人民主クラブ全国協杉並支部、NAZEN東京、全国水平同盟杉並支部、東京労組交流センターの山口弘宣代表が次々とマイクを握り、自らの三里塚での体験を交えながら軍事空港粉砕、高市政権打倒へ決意を表明した。
最後に、大行進杉並の丸田雅臣さんが「まとめと行動提起」に立ち、集会カンパを市東さんに手渡した上、3・29芝山現地闘争、東京での2・22新宿反戦デモ、3・8国際婦人デーへの決起を熱烈に訴えた。
会場前から市東さんを先頭にデモに出発。宣伝カーからは、「成田第2の開港粉砕!」「市東さんの南台農地守れ!」「中国侵略戦争阻止!」のコールが、荻窪の繁華街にこだました。沿道の人々が次々とビラを受け取り注目した。
JR荻窪駅の東西南北を「三里塚」で席巻するデモを貫徹し、全員が3月の連続する闘いへの奮闘を誓い合った。
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闘う気持ちは誰にも負けない
三里塚空港反対同盟 天神峰 市東孝雄さん

私が三里塚に戻って27年目になります。最初は「50歳になったら成田に帰る」という気持ちでいました。ただし家を継ぐとかは決まってなかったですね。結局、50歳になる2年前におやじが亡くなって、「(事業認定が切れて)もう強制執行はされない、農地が取られることはない」と聞き、じゃあおやじの跡を継いで農家をやろうと決めました。その時に萩原進さん(東峰、事務局次長・当時)から、「百姓の仕事は教えるから一緒にやろう」と言われました。
それで農業をやり始めて3年、4年はやっぱりものになりません。貯金を崩しながら4年目くらいから、やっとお金を稼げる状況になりました。
杉並の方々と三里塚の深い関係は聞いています。「空港反対・農地死守」の闘いをともにやっていただいたということで、大変感謝しております。
今裁判をやっている農地問題ですが、農地法裁判(すでに反動判決が確定)は、裁判長が「(離作補償として)1億8千万円出すんだから何も問題ない、土地を取ってもいい」という判決でした。国策のためであれば何をしてもいいということはないですよね。よく閣議決定の時に「ボタンのかけ違いがあった」と言われますが、かけ違いじゃなくて、国の空港を造る姿勢が間違っている。
うちのおやじたちが昔「また戦争が必ず起きる」と訴えたとき、近所の人たちは「戦争なんかもう二度と起きない」と言いました。だけど今考えてみるとやっぱり、おやじたちが正しかった。ベトナム戦争の時に羽田空港が使われているんです。これから「有事」という場合、成田空港が真っ先に使われるのは間違いないと思います。
3年前の今日、天神峰の土地を成田空港会社(NAA)に強制執行で取られました。そして私の天神峰農地を取ってじゃあそこに何をしたかと。フェンスを張っただけなんです。本当に嫌がらせでしかないんですよ。そういうことをやられればやられるほど、私たちは「農地を守る」っていう強い気持ちで闘います。
最初から60年も続く闘いになるとは誰が思ったでしょうね。それは同盟だけの力じゃなく、みなさん方の闘いの成果だと思います。60年もかけて、国家暴力を使っても闘争をつぶせない。それは闘っている人たちの力です。
高市政権になって今後ますます闇の中で法律がつくられていくようになる。空港港湾関係もいろんな有事使用の取り決めができると思います。私たち反対同盟は数が少なくなりました。少数派ではありますけど、闘う気持ちは誰にも負けない。反対同盟はこれからも「農地死守、戦争反対」の精神で、〈闘魂ますます盛んなり〉の言葉を大事にがんばります。そして福島・沖縄・三里塚を一つの闘いとして、みなさんの力をお借りして、ますますがんばりたいと思います。