侵略と戦争の「昭和100年」①総論「昭和100年式典」粉砕へ日帝の侵略とアジア人民の闘い
侵略と戦争の「昭和100年」①総論
「昭和100年式典」粉砕へ
日帝の侵略とアジア人民の闘い

国挙げた歴史歪曲許すな
日本の近現代史はアジア侵略の歴史だ。「明治」以降、台湾・朝鮮をはじめアジアへの侵略を通じて帝国主義としての自己を形成した日本帝国主義は、陸海軍の最高責任者=「大元帥」であった昭和天皇ヒロヒトのもとで中国―アジアへの全面的な侵略戦争に手を染めた。日本の労働者階級はスターリン主義と社会民主主義のもとで、差別と排外主義に屈して不正義の戦争に動員され、アジア人民2千万人の命を奪った。これはおびただしい数の人民の血で書かれた、絶対に消すことのできない事実だ。
にもかかわらず日帝支配階級は一貫して侵略への謝罪も賠償も拒否し、加害の歴史を抹殺しようとしてきた。この動きはとりわけ、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権登場以降の戦争国家化と並行して加速してきた。安倍の後継者を自任する高市は、侵略戦争を「日本の自存自衛のための戦争」「反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と居直り、中学・高校の歴史教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」の語を削らせた張本人だ。
そしていま再びの中国侵略戦争を開始した日帝が、国を挙げてアジア侵略の歴史を全面的に美化し、天皇を「国民統合」のシンボルとして前面に押し出して全面的な中国―アジア侵略に突進しているのだ。高市政権は「昭和」を「未曽有の激動と変革、苦難と復興の時代」として描き出し、その先にある「我が国の新たな姿・価値観を模索していく」(内閣官房「昭和100年」関連施策推進室)として、「国の新たな姿」=侵略帝国主義への全面的な転換を狙っている。完膚なきまでに粉砕し尽くさなければならない。
決して見落としてはならないのは、日帝の侵略の歴史とは、これと不屈に立ち向かった被抑圧民族人民の民族解放・革命戦争の歴史でもあるということだ。中国―アジア人民は単なる「犠牲者」にはとどまらなかった。武器を取って命がけで解放のために立ち上がった中国―アジア人民の抗日闘争こそが日帝を敗北に追い込み、中国大陸―台湾、朝鮮をはじめとするアジア全域から日帝をたたき出したのだ。この闘いは、1949年中国革命の偉大な勝利へとつながった。
戦後も中国―アジア人民、在日人民は日帝の民族差別・抑圧・抹殺攻撃と誇り高く闘い、日帝の戦争責任を追及し続けてきた。今こそこの全歴史をわがものとし、共に日帝打倒の闘いに立ち上がろう。
侵略と戦争の元凶・天皇制
明治維新により天皇制国家が成立した1868年から1945年の敗戦に至るまで、日帝が行った侵略戦争のすべてが「皇軍」=天皇の軍隊によるものだ。日清戦争(1894~95年)、日露戦争(1904~05年)を通じた台湾・朝鮮の強奪―植民地支配を通して天皇は権威と権力を絶大化し、天皇制こそが日帝の形成・確立・発展の基柱をなした。多くの皇族が陸海軍の将校として台湾や南京の戦場に乗り込み、侵略の最先頭に立った。
26年に即位したヒロヒトは翌年直ちに中国・山東省への侵略出兵を強行。31年の柳条湖事件に端を発する中国東北部への侵略戦争(「満州事変」)を「自衛の必要」によるものと称賛して中国全土へと侵略を拡大し、「欧米の支配からアジアを解放する」などという大義名分のもと「大東亜共栄圏」を掲げてアジア全域への侵略と虐殺に手を染めた。さらに沖縄を「国体(天皇制)護持」のための「捨て石」として地獄の戦場とし、その後も降伏を引き延ばしてヒロシマ・ナガサキへの原爆投下を招いたのがヒロヒトだ。
日帝の敗戦後、戦後革命の波が日本を含めたアジア全域を覆う中で、当然にも天皇の戦争責任追及は日本―アジア人民の共通の課題となった。日本における戦後革命の先頭には在日朝鮮人・中国人が立った。
しかし、占領統治に天皇を利用しようとしたアメリカ帝国主義の思惑に加え、連合国軍を「解放軍」と規定して戦後革命を敗北に導いた日本共産党スターリン主義の裏切りの結果、ヒトラーやムッソリーニと並んで全世界の人民の怒りの的であった戦犯ヒロヒトは東京裁判で訴追すらされずに生き延びた。「戦争放棄」をうたう憲法制定と引き換えの「象徴天皇制」という虚構のもと天皇制は廃止を免れ存続した。これと一体で今日まで、ヒロヒトがあたかも「平和主義者」であり、不幸にも軍部の暴走に引きずられ利用されただけであるかのような宣伝がなされてきた。その目的はヒロヒトを免罪し、天皇をシンボルとする支配体制を維持することだ。
75年に記者会見で自らの戦争責任について問われたヒロヒトは、「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから......お答えができかねます」と平然と述べた。さらにヒロシマ・ナガサキへの原爆投下についても、「こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないこと」と言ってのけた。「現人神(あらひとがみ)」として絶大な権力を振るい数千万人の命を奪った人間が、どの口でこんなことを言えるのか! 何よりもアジア人民との連帯にかけ、天皇制を絶対に打倒しなければならない。
そして、あたかも敗戦をもって「平和国家」になったかのように振る舞った日帝の「高度経済成長」の裏には、数百万人が犠牲となった50~53年の朝鮮戦争によって日本の軍需産業が大きな利益を上げたことをさす「朝鮮特需景気」の語が示すように、アジアをはじめとする被抑圧国への絶えざる侵略と収奪があった。また国内においても、入管体制のもとで在日人民の実力闘争を抑え込み、差別・排外主義を絶えずあおり続けてきた。その姿は戦前とまったく変わらない。「明治」から今日に至るまで、アジア人民をはじめとする被抑圧民族人民を抑圧し続けてきたのが日帝だ。
今こそ連帯し内乱へ!
日帝が膨大な数の人民に血を流させ、命を奪い、戦後においてなお侵略と抑圧を許してきた痛苦の歴史をとらえ返し、われわれ日本の労働者階級がアジア人民に負っている「血の債務」を見すえた時に必要なものは何か。それは、日帝を打倒する闘いをもってこの債務を「弁済」するという「血債の思想」だ。
「血債の思想」は1970年、入管攻撃の激化に対して革命的左翼と在日朝鮮人・中国人との歴史的合流、共闘が始まる中で打ち立てられた。革共同は「7・7盧溝橋33周年・日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」をつくり上げる過程で行われた華僑青年闘争委員会(華青闘)からの糾弾を契機に、帝国主義国・抑圧国の人民としての自己のあり方を問い、真剣な自己批判を通して「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線=「7・7路線」を確立していった。
60~70年代、南朝鮮=韓国では日帝が育成し支える朴正煕(パクチョンヒ、日帝の陸軍士官学校を卒業し、日帝のかいらい国家「満州国」軍中尉も務めた)軍事独裁政権と対決する労働運動・学生運動が激しく闘われ、さらにベトナム反戦闘争が全世界的に爆発していた。とりわけ、在日朝鮮人・台湾人が強制送還されれば死刑宣告を受けるような状況下で命がけの闘いに立ち上がる中、抑圧民族である日本の労働者階級がいかにして被抑圧民族人民との連帯をかちとるのかが切実な課題として突きつけられたのだ。
こうした中で「7・7路線」「血債の思想」を確立する過程は、血債を言葉の上で確認するだけにとどまらず、現実に日帝のアジア侵略・植民地支配の生き証人として目の前にいる在日朝鮮人・中国人が直面する差別や苦しみ、そして自己解放に向けた闘いから学び、援助を受け、帝国主義打倒へ共に闘う信頼関係を構築していく過程としてあった。これを通じて闘う日本の労働者・学生は、労働者階級とは、差別・排外主義と対決してすべての被差別・被抑圧人民と連帯し、帝国主義の打倒による全人民の解放を自己の解放として闘うことができる革命的な存在だという深い確信をつかみとり、爆発的な闘いの力としていった。
「7・7路線」「血債の思想」は、日本労働者階級人民が帝国主義的民族排外主義のイデオロギーを振り払い、階級性を鮮明にさせて闘うための重要な「思想問題」である。それは同時に、帝国主義段階において労働者階級人民が帝国主義国と植民地・従属国―抑圧民族と被抑圧民族に分裂させられ、そのもとで帝国主義国の労働者階級人民が帝国主義の侵略と戦争に動員されている現状を打ち破り、共に同一の世界革命へ決起していくために必要な路線だ。この闘いは、一国社会主義論により世界革命を放棄し帝国主義との共存を求めるスターリン主義打倒の中国第二革命に立ち上がる中国人民との結合を必然的に生み出す。
中国―アジア人民は100年以上にわたって日帝の侵略と戦争に立ち向かい、不屈の民族解放闘争を闘い抜いてきた誇り高い革命の主体だ。中でも朝鮮・台湾人民は、戦後も日米安保同盟のもとで米帝の反共分断軍事基地国家=世界的な労働者階級弾圧体制の要とされる中で闘い抜き、長きにわたる軍事独裁を打ち破った歴史をもっている。しかし米日帝は日本列島を出撃拠点として韓国・台湾人民を100%不正義の中国侵略戦争に動員し、再びアジア全域を戦場にしようとしているのだ。絶対に許してはならない。
今こそ米日帝の中国侵略戦争―世界戦争を阻止し、中国―アジア人民と共に朝鮮・中国―アジア革命、そして反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命を闘いとる時だ。われわれ日本労働者階級が、日本革命をもってその突破口を開こう。闘う中国人民・アジア人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争突入を内乱に転化せよ! 連綿と引き継がれる中国―アジア人民の闘いを学び、力とし、すべてをかけていま立ち上がろう!
(佐々木舜)
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日帝のアジア侵略関連年表(敗戦まで)
1894
~95年 朝鮮の甲午農民戦争鎮圧を契機に日清戦争、日帝が台湾を植民地化
1900年 中国で義和団蜂起、日本軍が出兵
04〜05年 日露戦争
09年10月 安重根が伊藤博文を射殺
10年8月 日帝が朝鮮を植民地化
12年2月 辛亥革命で清朝が崩壊
14年8月 第1次大戦勃発
15年1月 日帝が中国に21カ条要求
17年11月 ロシア10月革命
18~25年 日帝が「シベリア出兵」
19年3月 朝鮮で3・1独立運動
5月 中国で5・4抗日運動
23年9月 関東大震災、朝鮮人・中国人虐殺
25年5月 5・30上海ゼネスト
26年12月 昭和天皇ヒロヒトが即位
27~29年 日本軍が中国・山東出兵
28年6月 関東軍が張作霖を爆殺
31年9月 柳条湖事件
32年1月 天皇が関東軍支持の勅語
2月 関東軍が満州全土を占領
3月 「満州国」建国宣言
33年3月 日帝が国際連盟を脱退
37年7月 盧溝橋事件、日帝が中国全土へ侵略戦争を拡大
12月 南京大虐殺
39年9月 第2次大戦勃発
41年12月 アジア・太平洋戦争開戦
45年3月 沖縄で地上戦始まる
8月6日 広島に原爆投下
9日 長崎に原爆投下
ソ連が対日参戦
15日 日帝敗戦、朝鮮分断
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「昭和100年記念式典」粉砕闘争
4月29日(水・休)午後0時30分 東京しごとセンター(東京都千代田区飯田橋3―10―3)講堂で集会 1時30分 デモ出発
主催 改憲・戦争阻止!大行進