戦争の元凶・天皇制打倒を 被爆の責任居直ったヒロヒト

週刊『前進』04頁(3455号03面02)(2026/07/13)


戦争の元凶・天皇制打倒を
 被爆の責任居直ったヒロヒト

(写真 1971年8月6日、広島での式典に参加した佐藤に被爆2世の女性が迫り糾弾した)

 日本帝国主義・高市政権は今、皇室典範改定を今国会で実現しようと焦りに満ちた動きを展開している。「立法府の総意で」とか「静謐(せいひつ)な環境で」改定を行うなどと言っているのは、「天皇制存続のために国民が一つになる」ということである。ここで交わされている論議全体が反動的・反人民的で許しがたい。「男系男子を」などという徹底的に差別主義的な議論も「女性天皇を認めるべき」という日本共産党スターリン主義をはじめとする議論も、すべて天皇制=日帝の延命を図るものだ。高市が狙う皇室典範改定攻撃の核心は、天皇制を暴力的に押し出した中国侵略戦争突入の戦時体制づくりだ。日本共産党を含む全野党がこれに協力している。「天皇制打倒・日帝打倒!」「連帯し、内乱へ」を貫くことこそ労働者階級の立場だ。
 天皇(天皇制・天皇制イデオロギー)とは戦争と差別の元凶である。朝鮮・中国―アジアに植民地支配、侵略戦争の攻撃を加え、2千万人という中国―アジア人民を殺害した元凶が昭和天皇ヒロヒトだ。ヒロヒトはその戦争責任を完全に否定し開き直って戦後も君臨した。それを敬うアキヒト、ナルヒトも同罪だ。
 ヒロヒトは1975年10月、訪米後の記者会見で広島・長崎への原爆投下について問われ、「こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒ですが、やむを得ないこと」と答えた。
 これが天皇の正体だ。天皇は45年、「国体(天皇制)護持」のための時間稼ぎとして沖縄戦を強要し、おびただしい死を前にしてもなおも戦争を継続し、ポツダム宣言も無視して生き残り策に腐心した結果、広島・長崎への原爆投下を招いた。この責任を問われて「戦争中だからやむを得ない(受忍せよ)」というのが天皇の感覚なのだ。人民の命など、何十万人、何百万人失っても「やむを得ない」の一言で片づけられると思っているのだ。
 ヒロヒトが71年4月に広島を訪問した際には、被爆者を先頭に怒りの闘いが展開された。被爆者青年同盟を始めとする3団体が行った6コースのデモ申請を広島県公安委員会が不許可にした。天皇に対する闘いは無条件に禁止するという強権的な弾圧だった。これを退けて広島地裁が処分の執行停止を決定すると、佐藤首相による「異議申し立て」という実質的な指揮権発動が強行され、デモは国家権力中枢の強権発動によって禁圧された。しかし、全市が戒厳状態にたたき込まれる中で、広島大学構内からの600人のデモが機動隊と激突した。この闘いによって、天皇制とは国家権力のむき出しの暴力であること、それと真っ向から闘ってこそ道が開かれることが示された。
 この闘いの4カ月後に、本紙前号3面「アジア侵略の帰結ヒロシマ・ナガサキ」でも言及されている8・6広島平和記念式典での佐藤出席糾弾の激烈な実力闘争が闘われたのだ。
 アジア人民への血債にかけて天皇制打倒と「連帯し、侵略を内乱へ」の路線を貫き、中国侵略戦争に突き進む高市が出席する8・6広島記念式典粉砕の実力闘争を全力で闘おう。
このエントリーをはてなブックマークに追加