十亀弘史の革命コラム-45- 侵略戦争の大拠点の呉で

週刊『前進』04頁(3462号04面03)(2026/09/07)


十亀弘史の革命コラム-45-
 侵略戦争の大拠点の呉で


 初めての訪問ですが、8月5日の昼間に呉を見てきました。想像を超える軍港の街でした。十分の一スケールの戦艦大和が置かれた「大和ミュージアム」の入り口には、次のように書かれたパネルが立っています。「どうか忘れないでほしい。世界一の戦艦『大和』が我々の郷土・呉の地で生まれたことを。誇りに思ってほしい。この呉という街を」。3階のホールでは子どもたちが戦闘機の模型を作るレゴゲームに夢中になっています。ミュージアムの向かいには、「てつのくじら館」と称して、海岸通りを圧するように巨大な潜水艦がまるごと置かれています。
 そして呉市の公式観光サイトが書くのです。「戦艦『大和』を建造した造船の街としての誇りは、今も『大和ミュージアム』や『てつのくじら館』に息づいています」。一時間ごとに出港する「呉湾艦船めぐりクルーズ」の紹介写真では、何人かの船客が旭日旗の小旗を振っています。
 そこに、戦前・戦後の断絶は全くありません。侵略戦争の大拠点であったこと、今もそうあろうとしていることが市の「誇り」とされています。45年8月6日には呉市からも低い山並みを越えて、原爆の閃光(せんこう)や、中心に大火柱を含みながら約1万㍍の高さにまで伸びて行ったすさまじい「ピンク」(目撃証言)のキノコ雲が見られました。また呉市内でも14波に及んだ空襲によって3700人の命が奪われています。それらの惨禍は呉がつくり出した膨大な兵器と港からの相次ぐ出兵の帰結そのものです。その侵略加害を誇るのか。そして新たにそれを繰り返すというのか。暗い重い気持ちにとらわれました。
 しかし、呉にはそのような侵略戦争策動を根本から覆そうとする、労働者、市民の強い闘いがあります。複合防衛拠点の建設や特定利用港湾指定などに対し抗議の現地活動が重ねられています。
 8・6ヒロシマ大集会ではまさに「大行進呉準備会」の鮮明な発言を聞くことが出来ました。呉の現状を明らかにしながら、だからこそ血債にかけて自衛隊の侵略軍隊化と闘い抜き、中国侵略戦争を絶対に阻止するとの決意表明です。
 東京は巨大な呉です。首相官邸は侵略の司令塔であり、国会は戦争法の製造機と化しています。防衛省があり、在日米軍の司令部があり、経団連の本部があり、皇居があります。中国侵略戦争のこの中枢拠点で戦争阻止の内乱を起こしましょう。
(そがめ・ひろふみ)
2026.9.7

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