動労千葉・田中康宏委員長に聞く なぜ今三里塚を闘うのか

週刊『三里塚』02頁(0976号01面02)(2017/09/25)


動労千葉・田中康宏委員長に聞く
 なぜ今三里塚を闘うのか

 反対同盟とともに「車の両輪」として闘ってこられた動労千葉・田中康宏委員長に、三里塚闘争の新たな発展に向け、闘いの総括と展望についてお聞きした。

動労千葉の最高の理解者

 三里塚闘争が、国際的な意味でも日本の反権力闘争の象徴的な大闘争になったのは、北原鉱治さんというリーダーなしにはありえなかった。
 特に、動労千葉との関係で言うと、反対同盟の中でも動労千葉の一番の理解者であり続けてくれた。労働者との連帯なしに三里塚闘争は勝てないと、本当に揺るがない団結をつくってくれた。
 ジェット闘争をやめろという弾圧が動労本部のカクマルからきて、統制処分を受ける過程は、北原さんが先頭に立って闘ってくれた。動労本部にまで乗り込んでいって、断固たる抗議をし撤回を求める。何度も動労千葉地本の処分に対する声明文を出してくれたり、ジェット支援共闘会議をつくり、その代表も北原さんだった。
 それと、権力は農地を持っていることにつけこみ金で闘争を切り崩そうとする。農民の闘争の多くはこれに耐えきれない歴史をたどってきた。三里塚闘争も反対同盟への激しい切り崩しと破壊工作の連続だった。その典型が83年の3・8分裂。そのとき北原さんは農民と一緒になって微動だにしなかったというのが最大の功績だと思う。
 もう一点、自らの海軍の経験から、徹底した戦争反対の意思を貫く姿勢。それがあったから三里塚闘争が普遍的な意味を持った。戦争絶対反対の不動の確信から、若者に対する期待や国際連帯に対する本当に熱い思いを持っていた。自分の戦争の経験に照らした訴えが、どれだけ民主労総の人たちに感動をもって受けとめられているか。みんな、三里塚闘争の、北原さんの、いわばファンになって帰っていく。やっぱりそれを引き継いで闘わないといけない。

(写真 動労第101期定期委員会での動労千葉への査問に対して反対同盟が会場で抗議【1978年 東京】)

ジェット闘争「四つの視点」

 空港開港という国策を推し進めようとしたときに、二つの問題にぶちあたった。一つは、沿線の反対で燃料のパイプラインが出来ていなかったことから暫定貨車輸送という問題が出てきた。もう一つが、滑走路南側の岩山に反対同盟が建てた大鉄塔。これがある限り飛行機は飛べない。それで岩山部落の切り崩しが猛烈にやられた。岩山の鉄塔で、同盟と動労千葉の交流会をやったことがあるんです。そこに岩山の反対同盟が来ない。それで相当遅れてきて「岩山は切り崩されました」って。北原さんはもちろんその場に来ていて、絶対に空港開港を許さず闘おうと意思統一をした。
 その時というのは、動労本部カクマルが千葉地方本部全員をいったん組合員権を全員剥奪して本部に従う人間だけ再登録する。そのために臨時大会を開くところまで事態は煮詰まっていた。だから一般的に三里塚闘争を支援するという立場だけでは絶対にいかなかった。組合員が文字通り自分自身の闘争なんだというところまで意思統一ができなかったら、この闘争に踏み出すことはできなかった。薄氷を踏むような闘いの中で出てきたのがジェット闘争を闘う「四つの視点」です。
 まず、三里塚闘争は日本の国家権力に対する農民の正義の闘争であって、これと労働者が連帯することは絶対に労働運動のためにも必要だというのが第一点。
 同時に、そもそもジェット燃料の貨車輸送は危険過ぎて不可能だからパイプラインが必要だということが、政府の住民に対する見解だった。実際1968年には新宿駅で米軍のタンク車が爆発、炎上する事故が起きている。運転保安という観点からも絶対に手は貸せないというのが第二点。
 さらに、千葉は東京のベッドタウンで人口が急増し通勤客を送るために増便しないといけない。労働時間短縮の協定は結ばれていたけど、千葉では人がいなくて実施できない。こういう状況の中で、さらにジェット燃料を運べと。自らの権利、労働条件という立場からも許せないとなったのが第三の視点。
 四つ目の視点というのは組織破壊を許さない。団結を揺るぎないものにしなかったら、現場から当局と動労本部と国家権力と一緒になって切り崩されて、第二組合というような形で破壊されていく。だから組織内的には何よりもその点を議論した。ちょっとでもあいまいな態度を取ったり、闘いを避けたときには、内部から実際上崩れていってしまうはずだと。
 しかもこれを全組合のものにしないといけない。だから現地闘争5割動員という方針を何回も出し、とにかく自分の目で見て判断してほしいと言った。当局は動労千葉が拒否する中で、全国から機関士の経験を持っている管理者を集めてきた。その訓練に対しても、組合員を早朝から連日総動員して線見訓練阻止闘争ということをずっと展開した。それと強力な順法闘争をやった。自分で列車の速度を、例えば1割減産と言って100㌔の所を90㌔で走る。それでダイヤががたがたになる。それは一人ひとりの組合員が自分の意思でやる闘争になる。運転台に入ったら自分ひとりですからね。あえてそういう闘争戦術をとった。
 その年の動労本部の大会では、闘争をやめ反対同盟との関係を切らなければ統制処分をするとなる。それに立ち向かってこの過程での5名の組合員の解雇にまったく揺るがなかったのも、そういう闘いの仕方を取ったからなんですね。この闘争が動労千葉が動労本部から分離独立して生まれる最大の力になった。この闘争なしには後の分割・民営化攻撃と闘うことができなかった。反対同盟と連帯して闘ったということが、動労千葉を鍛え上げてくれたし、導いてくれた。
 三里塚闘争の50年にわたる地平というのは本当に大きい。最高裁で判決が確定したものが、請求異議の訴えが通り、千葉地裁がこの訴訟が終わるまでは強制執行はできないと結論を出すなんて誰が思ったのかって。三里塚闘争の正義性の前に、司法権力だって揺らがざるを得ない。明らかな破綻点です。

(写真 8・10請求異議裁判に向けて訴える田中委員長【千葉市中央公園】)

第3滑走路は必ず破綻する

 空港機能強化も空港建設という攻撃の破綻点だ。今第3滑走路を造ろうときているけど、B滑走路が3500㍍、それに直列で新たに3500㍍の滑走路を造る。その間も数㌔ある。実際上行われていることは、10㌔、1万㍍の滑走路をつくって、その影響が成田の房総半島のど真ん中から、外房九十九里の海まで突き出していく。開発計画的に言ったって、こんなめちゃくちゃな計画が通用するはずがない。絶対に破綻する。
 実際、芝山の南の方から横芝にかけて相当広範な形で反対運動が起きていて三里塚闘争の新たな発展というかたちになろうとしている。
 今、改憲ということが具体的な政治日程に上り、国家の在り方を根本からひっくり返そうとしている。戦争できる国をつくるための反動的なクーデターと言ってもいい。これに立ち向かうには、もちろん戦争だけは許さないという広範な怒りの声を結集しなければいけない。だけどその核心に座るものは国家権力との非妥協的な闘いでなければいけない。それを貫いてきたのが三里塚闘争。その思想こそがよみがえらないといけない。
 また、三里塚闘争は国鉄闘争と一体で闘ってきてくれた。国鉄分割・民営化というのは戦後最大の意図的な改憲攻撃だった。これと一緒になって立ち向かい30年間改憲を許さなかった。そう考えるとジェット闘争が本当の意味で発展させられないといけない。
 それともう一つは、今度の空港機能拡張問題は、国家が生き残るために付加価値を生みださないようなものは全部切り捨てる「選択と集中」そのものです。最大の切り捨ての対象となっている地方の住民にとってみたら、そもそも生活することができないような状況の中で、騒音地獄と、住民追い出しの修羅場のような現実を強制していく。大反乱を組織することにつながるような課題を含むと思っている。
 わずか1年間で全国で500校の小中学校が廃止され、激しい統廃合で子どもたちがもう学校に行くのも困難になっている。住民税なんかも値上がりするし、インフラ、水道だろうと保健所だろうともう維持できない。だから、一般的な地方問題でなく資本主義の崩壊過程と考えてたたく必要がある。

(写真 2・4内房線切り捨てのダイヤ改正に反対する集会【千葉県館山市】)

地域の怒りの声と結びつき

 そういうことを強く感じるようになったのは、僕らがローカル線の切り捨てに反対する闘いをして痛感したことなんですよね。民営化がもたらした地域の怒りの声の深さに僕らが気付かされたという感じだった。これは支配が崩壊していると思ったんですよ。
 鉄道、学校が撤退したら人が住めなくなる。問題なのはそれを意図的にやっているということ。
 空港機能強化という中で、横芝をめぐって起きていることと結びついた。この時代に、階級的な労働運動が力をとり戻すとはどういうことかと考えたときに、間違いなく一つのきっかけは新自由主義がもたらしたこういう地域の現状と結びつくということ。例えば教育、医療、保育、つまり労働者にとって絶対的に必要な問題がはらまれている。こういう矛盾の中にこそ労働運動が復活する契機がある。
 それは国際連帯で学んだことでもある。ロサンゼルスで戦闘的な左派の教員組合として頑張っているUTLAは、地域のコミュニティーと深く結び付いている。学校の先生の首切りが起きたら地域の人がみんなよってたかって反対する。僕らも地方切り捨てとの闘いをやって、館山支部だとか木更津支部だとか、中心となって動いた組合員に不動の確信というか団結が生まれたことが大きかった。つまり、僕らの訴えは地域に行けば圧倒的多数派であり、JRに対する怒りの声に満ちていることが自分たちの運動に確信をもたらす。だから強力な団結がつくれる。
 そういうふうに考えると、やっぱり三里塚闘争にあらゆる力をもっともっと集中して組織しないといけないと思う。そういう闘いができたら、改憲阻止闘争とか他の闘争にも火が付きますよね。10・8に大結集してそういう情勢を共につくりましょう。

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