7・26追悼集会 星野精神を受け継ぎ 新たな闘いの開始を宣言

週刊『三里塚』02頁(1021号02面04)(2019/08/12)


7・26追悼集会
 星野精神を受け継ぎ
 新たな闘いの開始を宣言

(写真 壇上で訴える星野暁子さん【26日】)

 7月26日、「星野文昭さん追悼 獄死・国家犯罪を許すな全国集会」が、杉並公会堂で行われた。この追悼集会には全国各地の星野さんを取り戻す会をはじめ広範な人たち720名が結集し、新たな星野闘争の開始を力強く宣言した。具体的には、第一に、獄死の責任を問う国家賠償請求訴訟を闘うこと。第二に、第3次再審請求裁判を、星野さんと共に闘った大坂正明さんの無実を明らかにする裁判闘争と一体で闘うこと。第三に、改憲・戦争阻止、11・3労働者集会へ総決起すること。これらを暁子さんを先頭に闘うことを確認し、新たな闘いを開始した。
 全体で黙とうを行った後、はじめに星野さん追悼の映像が上映された。演劇の「ブラインド・タッチ」を作・演出した坂手洋二さんからは「星野さん解放を夢見て作った劇だった。本当に残念」とビデオメッセージが紹介された。
 主催者あいさつを、星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議共同代表の戸村裕実さんが行った。戸村さんは、「獄死させた国家犯罪を絶対に許さない」、と激しい怒りを表明し、星野さんの他者への優しさ・思いやりや黙従を拒否するという生き方を語り、星野精神を継承して星野闘争を前進させることを訴えた。文昭さんの身柄引き受け人でもあった群馬の青柳晃玄さんが後を追うように逝去されたが、伊藤成雄さんが、「星野闘争や三里塚闘争を本当に全力を尽くして闘いぬいた人であった」と追悼の辞を述べた。
 四国地方更生保護委員会への抗議申し入れの先頭に立った元参議院副議長の角田義一さんをはじめ、星野再審闘争の証拠映像を制作した永田浩三さん、国鉄全国運動呼びかけ人の金元重さん、映画「獄友」監督の金聖雄さん、冤罪犠牲者の会の十川正さん、高知・星野さんを救う会の小西文江さん、医師の山田真さんが、それぞれの立場から追悼の思いを表明した。
 三里塚芝山連合空港反対同盟の伊藤信晴さんは、星野さんが沖縄闘争と共に三里塚闘争とりわけ1971年の強制代執行阻止闘争を先頭で闘いぬいたこと、星野さんの国家権力に屈しない生き方は反対同盟に脈々と生き続けていること、星野さんが果たせなかった無念さを農地死守・三里塚闘争の勝利に転化して闘いぬくことを表明した。
 そして、紹介された追悼のメッセージの中で、大坂正明さんは、「星野さんの遺志を継いで私の裁判を星野さんの事実上の再審闘争として全力で闘うことを誓う」と宣言した。
 星野解放歌を作った丸尾めぐみさんと福山竜一さんのミニコンサートも行われ、会場全体でソリダリティを大合唱した。
 星野再審弁護団から主任弁護人の岩井信弁護士、大坂弁護団でもある藤田城治弁護士が発言した。岩井弁護士は、星野さんの肝臓がんが「巨大な腫瘍」になるまで医療を放棄した真実を明らかにする国賠訴訟への意気込みを述べ、藤田弁護士は「大坂裁判ででっち上げという国家犯罪を明らかにする」と語った。再審連絡会議共同代表の狩野満男さんが新たな星野闘争の方針を提起し、洞口朋子杉並区議と高原恭平全学連委員長が、青年学生が星野闘争の先頭に立つと表明した。
 最後に、家族の訴えとして星野暁子さんと、いとこの星野誉夫さんから追悼の発言が行われた。暁子さんは「獄中44年、ふりかけと味噌汁だけの朝食を食べながら全世界のことを思って生き抜いた文昭の生と死を無駄にしたくない。文昭にかわって闘いぬく」と人間解放の実現まで共に闘うことを呼びかけた。
 生涯をかけて「誰もが人間らしく生きられる社会」の実現を訴えた星野精神をわがものとし、3つの闘いに勝利しよう。
(三里塚野戦病院・大熊寿年)
このエントリーをはてなブックマークに追加