石木ダム反対運動と連帯を 切迫する強制収用と対決

週刊『三里塚』02頁(1024号02面06)(2019/09/23)


石木ダム反対運動と連帯を
 切迫する強制収用と対決

(写真 「強制収用やめろ!」と長崎市内をデモ行進【9月9日】)

(写真 石木ダム反対同盟の団結小屋)


 13世帯約60人が生活する長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)川棚町川原(こうばる)地区に、長崎県と佐世保市は石木ダムの建設を強行しようとしている。
 今年5月、長崎県収用委員会は、地権者13世帯の宅地を含む未買収地約12万平方㍍の明け渡しを裁決。9月19日までに移転物件のない土地を、11月18日までに住宅などのある土地の明け渡しを迫っている。それに応じなければ、県知事が、行政代執行の手続きを始める可能性がある。
 地元住民は「強制収用裁決がなされましたが、安住の地、癒しの故郷を守り続ける信念に変わりはありません。もう逃げられない断崖絶壁まで追いつめられましたが、絶対に明け渡しには応じられません」と決意を語る。
 石木ダム建設絶対反対同盟の闘いを紹介したい。
●発端は50年以上前
 1962年、長崎県はダム建設を目的に、地元に無断で現地調査・測量を行う。地元の抗議により調査を中止。その後約10年の中断をはさんで、長崎県は「予備調査はダム建設につながらない」と言って、「地元の了解なしではダムは造らない」とする長崎県、川棚町と地元の覚書のもと予備調査に入る。
 計画の本格化に地元地権者を中心に74年12月、川原・岩屋地区で「石木ダム建設絶対反対同盟」結成。翌年10月木場地区も加わり3地区となる。80年3月、同盟幹部の切り崩しによって反対同盟は解散するが、3月14日、川原地区23世帯をもって新たに「石木ダム建設絶対反対同盟」が結成される。翌年木場地区33世帯も加入する。
●事業準備を実力阻止
 長崎県は、80年代に入り、事業準備に動き出す。82年5月21日、延べ7日間にわたり機動隊140人を導入し抜き打ちで強制測量を開始。反対同盟と支援者は連日座り込みで阻止行動に決起した。小・中学生も学校を休んで参加。地元住民7名が負傷。この闘いで事業は中断状態へ。
●工事着工との闘い
 長崎県が再度動き出すのが2009年に入ってからだ。11月に県と市は事業認定の申請書を国交省九州地方整備局に提出し、12月に正式に受理される。
 10年3月、県はついに工事着工。地元との約束(付け替え道路工事開始日通知)を反故にしたものであった。反対同盟は支援者と共に27日より連日作業道路入口に座り込み阻止行動を行った。
 抗議行動によって工事が2カ月進まないことを受け、7月に県は、付け替え道路工事の中断を発表した。
●土地収用との闘い
 2014年から土地収用との闘いが本格化する。7月、県が収用裁決準備の土地立ち入り調査のため現地に来るが、反対同盟と支援者のべ120人が阻止行動に決起。2日間で中止させる。
 県は、昨年来のダム付け替え道路工事に着工。
 14年9月、4世帯の農地に対し収用裁決申請(第1次)。翌年、県は第2次収用裁決申請と残地すべての事業認定の留保を解除し収用裁決申請を準備すると発表。長崎新聞も社説「強硬姿勢をやめよ」を掲載する中、長崎県は、第1次収用裁決処分対象地を強制収用する。
 15年9月、県は第3次収用裁決申請に向けた強制測量立入りを図るが、阻止行動で撤退させる。翌年5月、反対地権者9世帯の未買収地を県収用委員会に裁決申請。
 19年5月、収用委員会は反対地権者13世帯の宅地を含む未買収地の明け渡しを裁決した。
 石木ダム反対同盟は、50年以上たっても本体工事の着工を阻止し続けている。当初言われていた利水や治水の計画は、時代遅れのものとなり、必要性も緊急性も消失している。「人が人として生きることを奪うダム建設」を粉砕しよう。

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